90、インドのポピュラー音楽の現代と未来

今から30年40年前、日本の数少ない民族音楽学者の高名な先生や、インド哲学、インド文化、語学の教授先生たちの何人かが、「異口同音」に次のように述べていました。

「インドには所謂Love-Songというものが存在しない」「これはLove-Songか?と思って聴いていても、良く良く歌の中身を学べば、恋人に歌っているようでいて、全ては神に対してであった」と。

確かに第二次世界大戦後のパキスタンとの分離独立前と同時に生じた「宮廷音楽の終焉」「イスラム藩王国、ヒンドゥー藩王国の終焉」までは、この話しもまんざら嘘ではありませんでした。しかし戦後ともなると、いささかこの話しは「思い込み」と言わざるを得ない訳です。

戦前迄の音楽の在り方の基本には、「宮廷楽師=古典音楽」「花柳界楽士=世俗歌謡」がありましたが、後者では10世紀から「Love-Song」が歌われていたのです。

後者の音現場は、イスラム藩王国のカスバでしたが、「歌姫」は、殆どヒンドゥー娘でした。なので、学者先生がおっしゃるように、「恋人に準えた神々」だったかも知れませんが、全てがそうとも言えない訳です。

また、同時代、階級が無い筈のイスラム教でも、イスラム娘の芸者さん舞妓さんは存在しました。彼女たちの歌の場合は、「神々へ」ということはほぼ皆無だった筈です。

しかしその一方で、1980年代に来日コンサートをも実現したベンガル地方の「音楽教」とも言える、神秘主義系の「Baul」の有名演奏家の歌にも「恋人に準えた神への歌」もあります。「Baul」の歌のジャンルでは「Prem(愛)-Tattuva」とさえ言われますが、この「愛」は、全て「神」に対してのものです。(Baulは言わば一神教です)
勿論この「恋人に対してのように神々に歌う」は、中世の「献身歌:Bhajan」と同時進行した、「神々への恋歌」の流れもありますが、根強く継承されていることも事実です。

中世の花柳界に既に存在した「宗教を離れた恋歌」は、戦後の共和制になる以前にも「Madhuru-Sangeet」として或る種の確立を見せていました。
そして戦後、日本同様に庶民の希少な娯楽であった映画の主題歌で、「恋歌」は一気に膨大なスケールに至るのです。しかもご存知のようにインドは世界有数の「映画生産国」ですから、或る意味「ポピュラー・ミュージック」の生産もまた、世界有数ということが出来るのです。

当連載前々回で述べましたように私は、そもそもポピュラー・ミュージックであろうと、洋楽であろうと、インドの伝統音楽に絡みこそはすれども、「その本質を浸食することはないだろう」という楽観を抱いています。

しかし、問題は、その伝統音楽と向い合う人間の「精神性/心」であることは否めません。喩えるならば、「仏像」自体は、古いものでは、飛鳥・奈良の時代から「何も変わらず、私達人間と向い合っている」としても、それと向い合う私達の意識は大きく変わっているであろう、と同じ話しです。

逆に、ポピュラー・ミュージックは、何時の時代でも向い合う人間を肯定し続けて来ました。しかし、何故か流行が過ぎると古臭く感じ、かと思うと、十年二十年経つと得も言われぬ懐かしさを感じる。しかしその時、「懐かしさ」と或る種の「淋しさ」は感じるけれど、それらは「今の自分」を必ずしも肯定してくれない、そんな感慨を禁じ得ない人は決して少なくないのではないでしょうか。

言わばポピュラー・ミュージックは、「留まること」も「逆戻りすること」もない、長距離列車を向かえる各駅の歓迎楽団の音楽のような感じです。その時々、感激・感動し、良き想い出となったとしても、人はまた列車の発車と共に乗り込んで「先へ先へ」と進んで行く。通過駅のことは、「旅の記念アルバム」としてだけ振り返るのみ。
その一方で、「長距離列車」から、或る種の勇気を奮って下車し、「Uターン/Iターン」で過疎の村で農業を「一から始める」という人々の話しも聞きます。

唐突な横道の話しですが……。近年、歴史或る寺社の施設を「落書き」や「油?」で損傷を与えたり、猫に対しての虐待、お年寄りや障害者、幼い子どもに対する虐待や痛ましい事件が多く報道されます。

勿論、マスコミの報道は必ずしも冷静且つ中立とは言えず、ことさらに誇張して「作られた時勢のイメージ」を増長する傾向は昔からあり、近年その「大衆迎合性・煽動性」は、タブロイド雑誌のごとくでもありますから、「そのような事件が増えている」と言う印象操作は正しくないかも知れません。

しかし、それが何時始ったにせよ、「狂った人間の蛮行」と単純に処理してしまう前に、「はたっ!」と気付けば、何れも、長年「守るべき」とされていたものや「弱者」への残虐な行為であるということです。「言う迄もない」と言われそうですが。
そして、これは決して、事件の犯人を弁護するものでは毛頭ありませんが、「どうでも良いもの」に対してではなく「守るべきもの」や汚してはならないもの」に対しての行為には、何らかの「叫びのような訴え」の深層心理があるのではないか?というテーマです。要するに「幼児的な逆説心理」ということです。

幼い子どもの親ならば、誰しも、子どもが喜ぶ「玩具」や「お菓子」を買ってやりたいものです。喜ばせたい、喜ぶ顔が見たいと言う純粋な思いで。しかし、しばしば「仕事が忙しくて構ってやれない」などの「負い目」があると、「玩具」や「お菓子」で「穴埋めしよう」「許して貰おう」としてしまいがち。そして何時の間にか、それでも子どもが不満そうだったり、淋しそうだったりすると、自責の念に耐えかねて、それをプレッシャーと感じ「玩具」や「お菓子」を「買ってあげたじゃないか!」となってしまい、「純粋な思い」から随分と隔たってしまうものです。

子どもは、それを敏感に感じ「言葉の論理」では整理出来ずとも、感覚的にそれを察知しますから「玩具」や「お菓子」に対する有り難みが急速に薄れ、しばしば「憎たらしい」「腹立たしい」ような気分さも内在することが考えられます。
そして親がくたくたになって深夜近くに帰宅すると、「玩具」は壊して散らばって、「お菓子」も少し食べては止めて部屋中にバラ撒いていたりします。中には、「玩具」や「お菓子」を巧みに利用して、近所の友達や年下の子を子分にしたりする賢い子も居ます。

いずれにしても問題は、「玩具」や「お菓子」に対する「有り難み、感謝、素直な喜び」が失せることです。

ポピュラー・ミュージックは、何百年も前から古今東西で、その時代を反映し、その時代に懸命に生きる人間の心情を代弁したり、励まし、癒して来ました。ところが、1970年代の後半位から世界的に、それ迄とは桁違いな「商品化」が急速に進みました。勿論、その反動の音楽も常に生まれましたが、それらもやがて商業主義に飲み込まれて行きました。そして、「粗製濫造」とは言わないにしても、1980年代1990年代には,ポピュラー・ミュージックの歴史の中で、昔の人間にとって眼がくらむほど、信じられない程膨大に大量生産されました。

こじつけ的に思われるかも知れませんが、その様は、「人間が自分たち人間やそれ以外の生き物や自然、守るべき人間の伝統などに対する、無意識に近い何らかの負い目が在り,自らで自らに大量に「玩具」や「お菓子」を買い与え、結局はその価値を下げた姿である」という論法が成り立つのではないでしょうか。

ところが、ことインドのポピュラー・ミュージックともなると、必ずしも「生まれては消えて無くなる消費物」とも言えないのです。いや、正確には、やはり商業音楽ですから、時間が経てば「賞味期限」が来ますし、数年後に「懐かしい」と思われるのは大量生産されたものの極1%にも満たないかも知れません。

ですが、インドの場合、そもそものポピュラー・ミュージックが、タイやフィリピン、シンガポール、香港などと比べると、「インド的」というか、世界のポピュラーミュージックの最先端と、必ずしも張り合ったり真似たり、パクったりをしていない気がするのです。妙な「自信」と「誇り(自尊心ではなく)」が感じられると思うのは、インド音楽歴47年ということだけでなく、今も一介のインド・ファンである私の「贔屓目」でしょうか。

例えば、当連載の前々回び「ヒンドゥー寺院」をご紹介しましたビルラ財閥傘下の国産車「アンバサダー」の公式サイトをご覧下さい。驚かされます。
何しろ「最新型」なのに、数十年前と対して変わっていなくて、そもそも、もの凄く「レトロ」なデザインなのです。頑丈な作りは窓枠なども太く、決して視界は良くない。しかし,相変わらずのインドの交通事情では「気取っていたらアウト」です。それを逆手に取って、優しい丸みを帯びたカーブに仕上げるので、嫌が応にもレトロなのです。

しかし、決して「野暮ったい、古くさい、ダサい」とは感じない何かがあるのではないでしょうか?

同じことがインドの最新のポピュラー・ミュージックにも大いに感じられるのです。例えばコンピューターの打ち込み音源を用いてさえも、その基本に数百数千年続く伝統民謡のビートを見出すことが出来ます。

流石、古今東西ありとあらゆる要素を取込んで、ひたすらその質(質量)を高めて来たようなインドならではの「カオス」のようでいて、滅茶苦茶ではない、多種多様が混在共存している姿が、ポピュラー・ミュージックに如実に現れていると思えてなりません。

最後までご高読下さりありがとうございます。

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

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Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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