92、音楽の科学と演奏家の関係

古代インド科学音楽とインド古典音楽の演奏者との関係をより正しく認識し理解することは、今日と将来に於ける「インド科学音楽」もしくは「インド古典音楽の科学性」の可能性と懸念をより正しく理解することに繋がります。

また、今世を生きる私達にとって、どのような音楽がより体に効果的に働き、どのような音楽が効果が薄く、場合によっては弊害さえあるのか?を知る手だてにもなる筈です。そして、願わくば、その審美眼が宿ることによって、今まさに目の前で滅びつつある「科学音楽により近い、より本物の芸系」を途絶えさせない努力や発言、行動を取ることが出来れば。少なくとも逆の音楽にまんまと騙され「偽物・本物が見抜けない鈍感な感性」に至らないようにすることの為にも大きなきっかけと力になる筈です。

「古代インド科学音楽」は、その数千年の歴史の中で、幾度も「危機」を迎え、「変革」を余儀なくされて来ました。それはそもそも、「ヴェーダの叡智(ブラフマン教)」が衰退し、仏教が隆盛した後、ヒンドゥー教に取って代わられた段階で、多くの叡智と、基本的な論理性がかなりズレてしまったことに端を発します。

極論で言いますので語弊も誤解を招く要素も多々ありますが、「ヴェーダの叡智(ブラフマン教)」の時代は、圧倒的に「神々の時代」で、人間の存在は二の次三の次ぎだったのです。より正確に言えば、かねがね私が「私達の意識・認識など、独裁国家の独裁元首のようなもので,国民(体内の細胞や細菌)や自然環境(健康な心身)のことなど大して考えちゃいない」と言っているように、「ヴェーダの叡智(ブラフマン教)」で「二の次、三の次ぎ」とされるのは、「勉学も修行も理解も悟りも希薄な一般的な意識(Ahamkara)」であり、論理を重んじ知識・研鑽を積んだ「純粋な意識(Chaitaniya)」のことを言ってはいません。

しかし、今日より精神性が高く(物質至上主義ではないだろうから)、敬虔な信仰心を豊かに持っていたであろう数千年前の人間とは言っても、一般人には「ヴェーダの叡智(ブラフマン教)」はやはり「難しい、厳しい」と感じられたのでしょう。「仏教」の救済の側面、包容力に一気に人心が流れる訳です。しかし、「仏教」にも面子があるのか? その聖職者に求められる狭義や理論は、「ヴェーダの叡智(ブラフマン教)」に負け時、ましかしたら、それ異常に複雑です。結果的に、解釈は若干異なれど、「仏教」は、それ以前の「ヴェーダの叡智(ブラフマン教)」の殆どを、より綿密に分析・整理して継承している部分が多く見られます。

しかし、全体を見たり、一般庶民の生活を見る限りには、その時代のインドは、数百年に渡って「混乱の時代」を体験します。この時代に「科学音楽の叡智」の多くが奪われ、音楽理論の解釈もかなり変化しました。しかし、そこにある「論理」を掴めば、その時代の後の情報をより正しく翻訳することは可能です。まだ誰も説いていないようですが。
その混乱の時代に、或る種「政治的・覇権主義的」に勢力を伸ばした宗派が、後の「ヒンドゥー教・シヴァ派」と「同・ヴィシュヌ派」で、争いと和合をくり返しながら「ヒンドゥー教」という全体像を数百年掛けて作り上げます。「ヴェーダの叡智(ブラフマン教)」は地下に潜み「密教」となったり、「サラスワティー派」の姿に宿したりしたようです。また、過渡期の鍵期な宗派は、「ドゥルガー派」「シャクティー派」「カーリー派」などに変遷しました。 これらもいずれは、大きな「ヒンドゥー教」の総体に組み込まれて行きます。が,地域では今でも古来からの神を、言わば偏りを持って専門的・優先的に信仰している人々が多くいます。

この時代の混乱は、「インド科学音楽」にとっては、後の「イスラム教支配の時代」よりも苛酷なものだったのです。音楽理論を表面的に見てしまえば、それ以前とそれ以後とでは「全く異なる音楽理論体系」とさえ思えてしまいます。なので、世界の専門家・研究家。勿論、現地インドの研究者も皆、この時代とそれ以前のことは避けて通っています。その結果、この時代に起ったことは、後々、様々な研究者によって、自在にねつ造され得た訳で、実際かなりの「ねつ造(恣意的に歪められた歴史)」が数多く語られています。

この「政治的・覇権主義的」な宗教に反発をしたのが、中世前期に興った「Bhakti(献身)運動」と考えることも出来ます。より正確には、「既存のヒンドゥーに反発した思想・宗教家」と、「既存の宗派の中から生まれた現場(庶民)第一主義の派」が混在して世紀をまたいで長く大きくうねった社会現象と言うべきでしょう。
後者の中でさえも、「為政者・権力者子飼いで、権力者の恣意を巧みに芸能に組み込んだ大衆煽動派」も居れば、純粋に「既存のヒンドゥーに疑問を持った宗徒」も居ます。

この「Bhakti運動」は、「インド科学音楽」に対し「功罪」二つの側面を与えます。それは主に後に「Raga-Mala/Raga-Malika(いずれも字義は、ラーガの花輪)」として総合的な観念に至る、「ラーガ(旋法)を擬人化した観念論」によってです。まず、前述の時代変遷の中で、統一音楽理論を失ってしまった科学音楽で生まれた様々な「楽派」と「様々な新興ラーガ」を統一して整理整頓する為に「Ragaを夫、その妻をRagini、子をPutra」として家族分けをしたことが基本にあります。

その後、それを「絵画で表す」「詩で表す」ということを通じて、極めて「現象的な存在」にしてしまったのです。勿論、古代科学音楽に於いても、「ラーガは精霊」とされていましたが、中世のそれは「(その時代の)人間の感性で擬人化したもの」であり、必ずしも「ラーガの本質(Prakriti)」を理解しているとは限らないのです。

例えば、「アーユルヴェーダ薬学」では、「常人の普通の意識(Ahamkara)に支配された味覚(Rasa)」と「消化後の味(Vipaka)」を区別しています。「現実・現象論」では、後者は理解されません。後者は、言わば「体と心(意識ではなく)、そして臓器・細胞が感じる味」というもので、「意識(Ahamkara)」を「独裁者」に喩えるならば「(本当の)国民、庶民の意識(それを感じれる自我意識がChaitaniya)」が感じる「味(効果効能/有難さ)」です。

以前にもお話しましたが、私は思うことがあって、体重を二ヶ月で20kg落とした時期があります。(このSita-Ramaさんのコラム執筆者でYogiとJotyshの専門家のGanesha-Giriさんに褒められたこともあります) その後の二三年も、コンビニ食・ほか弁・砂糖を完全に断っていました。(その後は引っ越しの大騒ぎで、贅沢を言ってられなくなりましたが)

その頃に、福岡で「双璧」と賞される板前さんの「和食」を頂いたのですが、「喉を通る実感」の後、胃に溜まった(腹が満たされた)実感どころか、「胃に入った実感」さえも感じないまま、喉の途中から「体中に運ばれた感覚」を初めて体験しました。
科学的に言えば、その料理には「砂糖の味」が皆無でした。数年後に頼み込んで秘技を伺えば、やかり「素材の自然な甘さと、特注の味醂のみ」とのことでした。
ところが、そのお店を案内してくれた友人は、毎朝マック・モスの人で、後日別な店を案内してくれて、「私はこっちの方が好き」と言っていましたが、明らかに上白糖の味がしました。その時期、私の「Rasa」は「Vipaka」を感じられたのでしょう。
しかし、その為には、或る種の苛酷な数年の修行が必須だったのです。

「Bhakti」の時代に、「庶民に分かり易く」ヒンドゥーを説き、科学音楽をヒンドゥー教徒に取り戻す動きは、必然的であり必要なことではあった筈ですが「啓蒙と口説/大衆迎合と大衆煽動」「その功罪/必要性と危険性」の「線引き」は、誰にも容易に出来ることではありません。

私は何故か子どもの頃からコメディアンの小松政夫さんが好きでした。比較的最近になってご著書を出されていることを知り古本を買い集め熟読しました。後に小松さんのラジオ番組にゲストで呼ばれた際にお話したら「僕も今は全部持っていない」と感動してくれました。ご著書を読んで、「何故子ども心に惹かれたのか」が良く分かりましたが、最も感動し学んだ話しが、クレイジー・キャッツの植木等さんの付き人時代、師匠植木さんに厳しく教えられたことについてです。

それは「笑いの芸は、『バカのギリギリ手前』『下品のギリギリ手前』を命掛けで守り挑むことだ(要約)」です。「一線を越えることは容易」「ギリギリを狙い守り通すことは、至難の業であるし、神経をすり減らし,寝ずに考え、自分に厳しい修行を課し、命を削る」という話しです。

その文言を読んで、同じく少年期に「何故か得も言われぬ感動をした映画」、スティーブ・マックイーンが活躍する「大脱走」の名場面を思い出し、「その何故?」も解決しました。
マックイーンは、他の脱走兵の為にドイツ兵を引っ張り回し時間を稼ぐ役目を負って、得意のバイクで、でこぼこの丘陵地帯の国境の柵の手前を猛スピードで走り回るという場面です。最も楽な場所を見つけて一直線に柵を越えることは、彼にとっては簡単なこと。ところが、ドイツ兵に側面を見せて銃弾を掻い潜りながら、柵に激突せずに猛スピードで走り回ることは、超絶技巧に他なりません。

恐らく,日本の「笑い芸」の多くは、1970年代後半に、クレイジー・キャッツの時代から次世代に代替わりした頃に、その「命掛けのギリギリ」の哲学・思想を失ったのでしょう。同じく日本のポピュラー・ミュージックも、様々な芸術も、文化全体も同様に思います。

「アーユルヴェーダ薬学」に於ける「Rasa(舌とAhamkaraが感じる表面的・現実的な味)」と「Vipaka(細胞・臓器・心・魂・Chaitaniyaが感じる意味的味」と同様に、「Raga-Mala(Malika)/Raga&Ragini」の時代に、ヒンドゥー教徒音楽家主導のインド古典音楽では、「Nava-Rasa(九つの感情)」の観念に基づく庶民・文化人への啓蒙が全面的に押し出され、画家や詩家がこぞってそれを取り入れました。

しかし、問題は、その時に「ラーガのVipaka」については誰もその意味深さ、重要性を説かなかったのです。ならば、「人(音楽家や聴衆)それぞれで色々な聴き方をするだろう」という言い逃れは通用しないのです。すでに「人間の(しかも短絡的になりがちなAhamkara)感覚主体の印象論」で「ラーガ(旋法)」を説いてしまった訳です。
難しく言えば、「形而上の価値を歪め、形而下の分かり易さに落とした」と言っても過言ではないかも知れません。少なくとも「ギリギリのライン(柵)」は容易に越えられるようになってしまったのです。

ところが、一方、当時の宮廷音楽の圧倒的な主流派であった「イスラム教徒の音楽家」は、そのような「ヒンドゥー至上主義」が入り込み易い「Bhakti」関連の「Raga-Mala/Raga&Ragini」の観念に全く無関係だったのです。

その「中世イスラム宮廷音楽の最高峰」は、13世紀ではHazrat Amir Khsrawが挙げられ、16世紀ではMiyan-Tan-Senが挙げられますが、両者とも「イスラム系神秘主義」の師匠を持ち、ターン・センは同時に、ヒンドゥー聖者Swami Haridasをも師と仰ぎました。Haridasは、当時のヒンドゥー宗教界に背を向け、ブリンダーヴァンの森で隠匿生活を送った言わば異端児ですが、後世の評価は最も高い聖人のひとりです。

即ち、イスラム宮廷音楽を牛耳って支配する最高峰の音楽家が、幸いにも、「ヒンドゥー教の堅物の弟子」であり、「神秘主義者の弟子」であったことで、19世紀の末頃迄は、極めて「芸術的かつ科学的」「神秘的かつ精神的」な高度な音楽が求められ評価されて来たのです。「奇しくも」と言うか「皮肉にも」と言うか、中世に於ける科学音楽の真髄は、ヒンドゥー教徒音楽家の大半には歪められ、むしろイスラム教徒音楽家の厳しい世界で守られ継承されたということなのです。

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是非ご参考にして下さいませ。

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(文章:若林 忠宏

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