ブラフマンへ至る道

ヒンドゥー教における重要な概念の一つに、宇宙の根本原理であるブラフマンの存在があります。ブラフマンは創造主であり、万物に浸透する根本原理を示す語として、古代から用いられてきました。あらゆる存在はブラフマンから生まれ、そしてブラフマンへ戻ると信じられています。

チャーンドーギャ・ウパニシャッドは、ブラフマンについて「तत् त्वम् असि(タットゥ トヴァム アシ)」を説いています。「汝はそれである/それは汝である」という意味があるこの大格言は、ヴェーダンタの学派によりさまざまに異なる解釈があります。アドヴァイタ(不二一元論)学派においては、窮極の真実であるブラフマン「タットゥ」と、個人のジーヴァとしての「トヴァム」の絶対平等を意味します。ブラフマンと個人が同一となる時、ブラフマンの名は真実となるのです。

ブラフマンを定義する場合、それはブラフマンを制限することになるため、定義することはできないといわれています。それ故、ブラフマンについては数多くの逆説的な解釈がなされています。

最も深い本質において、人間の魂は宇宙全体を包む不滅のブラフマンと同じです。バガヴァッド・ギーターには、ブラフマンについて以下のような記述があります。

さて 永遠の生命を得るために
知るべきことを これから説明しよう
大霊ブラフマンは無始であり
有と無を超越している

あらゆるところに かれの手あり足あり
眼も頭も顔も至る処にあり
至る処に耳があって全ての音を聞き
全てを覆いつくして時空に充満している

かれはあらゆる感覚機能をもつが
かれ自身には感覚器官が無い
一切を維持しながら一切に執着なく
物質性を楽しんで 物質性を超越している

全てのものの内にも外にもかれは在り
不動であって しかも動く
はるかに遠く また極めて近く
その精妙なこと とても肉体感覚では認識不可能だ

個々に分かれて存在するように見えるが
かれは決して分かれず常に一である
かれは万生万物の維持者であるが
全ての絶滅者であり 創造育成者である

かれは光るものの光の源泉であり
物質性の明暗を超えて光り輝いている
かれは知識であり 知識の対象であり
知識の目的であって全個々の心臓に住む
(バガヴァッド・ギーター 第13章第13-18節 田中 嫺玉訳)

ヴェーダは、万物に存在するひとつの本質について示唆しています。宇宙を支配する原理であるブラフマンと、個人を支配する原理である我が同一である(梵我一如)と理解することは、非常に難しいことです。それを理解する時、誰もが永遠の至福に到達することができるでしょう。

ブラフマンを知るには、まず、自己の本質を知る必要があります。それは、究極の自己認識に他ありません。梵我一如を悟る時、私たちは永遠に自由となり、あらゆる苦しみから解放されることでしょう。

(SitaRama)