102、インド音楽に於けるサブカルチャーとは

インド古典音楽文化論のおさらい
ここ何回か、インド古典音楽のその「文化論」について説かせて頂いていますのは、世界の民族音楽の中でも、最も保守的なインド古典音楽でさえも、この十年二十年で急速に変化して来ているからでもあります。

インド古典音楽に於ける「保守性/保守的」とは、伝統の継承に他なりません。 世界各地でその為に、楽壇の長老や国の文化省などが強く主張・先導して、「意識して守る」や「伝統文化の正しい保護と継承を促す」というものもありますが、かつてのインドの場合、それ以上に自発的な性質や、自然の性質が多く見られていたのです。しかし、近年では、その性質さえも変化して来てしまいました。

詳しくは、おいおいお話するとして、前回と前々回で、インド古典音楽に於ける「メイン・カルチャー」の性格、及び、「その概念は構築し得るか?」について述べました。今回は、インド古典音楽に於ける「サブ・カルチャー」について考えてみたいと思います。

以前、そもそも「サブ・カルチャー」が「メイン・カルチャー」に反抗・対立、及び「メインカルチャーの破壊や敵対的な冒涜」などといった「アンチテーゼ」であること自体が「不自然(或る意味不健康)である」と述べました。ところが、そのような(「間違った」とさえ言いたい)感覚は、戦後70余年の間に、ほぼ定着してしまった感もあり、むしろ近年では、「サブカルに攻撃された対象としてメインカルチャーが浮かび上がる」とさえ言いたいような、或る種の「ていたらく(文化性の崩壊)」が見られるとも述べました。

また、異なる次元の検証も述べました。それは、「生命体のみならず、宇宙の摂理にも通じる=恒常性の為の対峙する二極の共存」こそが「健康・健全・自然・維持」の基本であるという話しです。

インド古典音楽に於いては、奇しくも16世紀から今日に至る間、北インド古典音楽の総本家的存在に君臨し続けている、16世紀の楽聖ミヤン・ターン・センを祖とする巨大流派が、「二極の共存」を見事に果たしたことも述べました。

「二極の共存」を守り通したターン・センとその子孫
ターン・センの音楽をより具体的に言うと、晩年は、宮廷音楽の楽壇を嫌い隠匿生活を送りながら、古代のインド科学音楽の真髄を極めんとしたヒンドゥーの恩師スワミ・ハリダースが継承した音楽を享受し、他方では、13世紀にアミール・フスロウも行った、西アジア(ペルシア、トルコ、アラビヤ、シルクロードの主にタジク族、パミール高原の音楽と、アフガン人の音楽)音楽の導入と、イスラム系神秘主義の師匠からの教えがあり、ターン・センとその一派の音楽は、この「対峙する二極」からなっていると言えるのです。

奇しくも、ターン・センは、前者を、自らの娘とその婿で、若き日のターン・セン同様にグワリオールのヒンドゥー藩王国の楽師出身のナウバット・カーンに継がせ、後者を息子ビラス・カーンに継がせました。ナウバット・カーンは、ターン・センの娘と結婚したことでイスラムに改宗したのですが、なんと娘の名は、サラスワティーなのです。

前者(サラスワティーとナウバット・カーン夫妻の分派)は、古代から伝わる弦楽器「ヴィーナ(Vina/Vin/Rudra-Vina)」を専門とし、後者(息子ビラス・カーンの分派)は、ターン・センが、パミール高原の三味線「Rubab(ルバーブ)」にインド音楽式の「サワリ音」を取り付けた新楽器「ラバーブ(Rabab/TanSen-Rabab)」を専門としました。勿論両者とも、「古典声楽:Dhrupad」をそれら弦楽器よりも格上音楽として継承しました。その結果後世、前者は「Seni-Vinkar(ヴィーン奏者)Gharana(家)」、後者は「Seni-Rababiya(ラバーブ奏者)Gharana」と呼ばれました。

しかし、言い換えれば、両分派は、「Dhrupad声楽と、それを弦楽器で表した音楽(器楽という概念は、弦楽器Sarod音楽の確立以降になり、この時代には、独立した呼称が無いのです)を専門とする、という意味では「全く同じ流派」なのです。 しかも、前者は、プライベート(弟子へのレッスンなど)ではラバーブも弾き、教え。後者もプライベートではヴィーナも弾き、教えました。

奇しくも「ヴィーナ」は、やや広い弦楽器の総称的な性質も持つ呼称ですが、或る種の琵琶のひとつのルーツでもあります。指先に義爪をはめて弾き、駒の下には皮を張りません。「ラバーブ」は明らかに「三味線のルーツの一派」であり、駒の下は山羊皮を張り、小さな撥を持って弾きます。従って、ターン・センは、自らの一族と流派に「インド科学音楽系の琵琶」と「西アジア系・神秘主義系の三味線」を併せ持たせ、娘と婿の分家は、「(表だっては)琵琶」、息子の本家は「(表だっては)三味線」を専門とさせつつ、いずれも「古典声楽」をメインとし、表では弾かない他方の楽器の名手であり名教師であった、ということです。

具体的な例を挙げると、世界的に有名なシタール奏者:ラヴィ・シャンカル氏の師匠:アラウッディン・カーン氏は、ラバービヤ派と関係が深いサロードの名手ですが、そのまた師匠は、ターンセン直系のヴィーンカル派のワズィール・カーンです。つまり、琵琶(系楽器)奏者:ラヴィ・シャンカル氏は、三味線(系楽器)奏者:アラウッディン・カーン氏に学び、アラウッディン・カーン氏は、ターンセン直系の琵琶派のワズィール・カーンに学んだということなのです。

私(筆者)の師匠、Ud.イリヤス・カーン師は、シタール(琵琶系)の最古の流派(Lucknow-Kalphi-Gharana)に学びましたが、家柄はサロード(三味線系)の最古の流派で、元々の先祖はアフガン楽師です。流派(Lucknow-Shahjahanpur-Gharana)の中興の祖は、ターン・セン直系のラバービヤ(三味線系)に指示し「セニ派」の一員となりました。私は同時に、Ud.イリヤス・カーン師の兄で、流派の(前)家元Ud.ウマール・カーン師にサロードも学びました。

シタールは、ドゥルパド声楽の数百年後に生まれた新様式「Khayal(カヤール)」や、花柳界の叙情詩「Thumri(トゥムリ)」の影響を強く受けた流派が少なく在りません(Gayaki(歌の)-ki-Ang(様式)が、弟師匠のシタールは「完璧なDhrupad-Ang/Tantra-Baj」として知られていました。

サロードの音楽もまた、前述のワズィール・カーンの時代には、新様式「Gat」が主流でしたが、それより100年近く古い兄師匠のサロード音楽もまた「Dhrupad-Ang/Tantra-Baj」でした。日本の音楽に喩えると、「Dhrupad-Ang/Tantra-Baj=雅楽、平家琵琶、地歌、古浄瑠璃」であり、「Khayal=長唄」「Thumri=小唄」「Gat=津軽三味線」のような感じです。

そして、ターン・セン系の「Dhrupad-Ang」には、前述の「インド科学音楽と西アジア・神秘主義音楽」が合わせもたされていますが、「Khayal=長唄」「Thumri=小唄」「Gat=津軽三味線」は、その限りではありません。

こもように、ターン・セン系の音楽は、「生命体の基本原理=対峙する二極の共存」を見事に守り、具現し、継承しているのです。そして、注目すべきは、その「摂理」は、古代インド科学音楽の基本原則であり、とりも直さず「ヴェーダの叡智の最重要基本」でもあるばかりか、なんとイスラム系神秘主義の科学と、それが説く摂理と一致するのです。

「生命体の大原則:二極の対峙と共存」を狂わす「合理性と利便性」

ここで、一旦「生命体の恒常性と二極対峙の様子」を振り返ってみましょう。分かり易い例では「血圧が上がり過ぎれば下げる、下がり過ぎれば上げる」「血液や尿のpHが上がり過ぎれば下げる、下がり過ぎれば上げる」もしくは、それぞれ「上げるべき時には上げ、下げるべき時には下げる」というものがあります。

ところが、実際の「神経系統やホルモン系統、及び代謝回路系統や免疫系統」は、もっともっと複雑で、例えば「免疫系」では、仮に上記の(恒常性の基本)対峙を「AグループとBグループ」としますと。先ず「Aグループの免疫細胞が侵入した外敵(細菌やウィルス)を確認しマーキングする」すると、「Bグループの免疫細胞がそのマークを確認して第一次攻撃を行うと共に、或る種の信号を出す」その後、「Aグループの別な免疫細胞がその信号によって臨戦態勢になり第二次攻撃を行う」などの複雑な仕組みがあるのです。

これは極めて複雑であり、現代人間社会の主流の価値観である「合理性」からすれば、極めて「非合理的」「不合理」なシステムです。

しかし(簡略した幾分幼稚な極論ですが)この(非合理的に思える)システムでないと、「誤認逮捕や誤射・誤爆」があり得る訳です。何故ならば「AB各グループ単独」では、その「性質、検証法、価値観、判断力」が偏りってしまうからに他なりません。これも分かり易く言うと、現代社会人に極めて多い(もしくは増加の一途である)「アレルギー」「自己免疫疾患」「鬱」「アパシー」なども皆、この「機能の変調」が基本原因に他なりません。

そもそも「合理化の観念」が確立してから、まだ百数十年。二百年にも至っていないのですが、地球に生命体が生まれてから、哺乳類が生まれてからでさえ、数千万~数億年? であることを考えて下さい。「摂理に則った自然な姿」がどちらにあるか? どちらに見出すべきか? は明らかな筈です。

つまり、今日の私たちは、「合理的」や「便利」というものに如何に洗脳されているか? をしっかり自壊・再検討しないと、とんでもなく「不自然・不健康」なことになるに違いないのです。

極論を言えば、「それが分からない人」は、「アレルギー」「自己免疫疾患」「鬱」「アパシー」などや「依存症」や「様々な心の病」及び「その手前の生き辛さ」などになり易いということは、何方も否定出来ない筈なのです。

何がインド音楽に於ける「サブ・カルチャー」なのか?
これ以降の僅かな文言で、やっと表題について語る本末転倒をお詫びせねばなりません。しかし、これがより真実に近い話しなのです。

結論から言えば、「より正しいメイン・カルチャーとは、自らの内面に、対峙する二つの要素を併せ持っている」と言うことが出来ます。音楽や文化を評する時には、「対峙する二極」の一方を「メイン」とし、他方を「サブ」とすることも全く不可能ではないかも知れませんが、「生命体の自然の摂理」に照らすと、それは正しくないと言えます。

幼稚な比喩で恐縮ですが、「理知的で身も心も健康な規範的な人間像」という定義や概念があったとして、それを説明する場合、「性質が相反する男女」が揃っていてしかるべきで、例えば「正しい人間像=男」「女性はサブ」というのは、自然の摂理に反します。つまり「陰陽の双方を併せ持ち、そのバランスが取れた姿」こそが「メイン・カルチャー」の在るべき姿である、と言える訳です。

この概念にとって、他方の「サブ・カルチャー」は、インド音楽の場合、二つの性質が存在しました。それは、10世紀からターン・センの時代迄では、「西アジア系古典音楽」がそれでした。13世紀のアミール・フスロウが導入した西アジア系・神秘主義系の音楽であり、私の師匠の先祖が持ち込んだアフガン系の音楽です。しかし、当時のそれらもまた「自らの中に対峙する二極の要素を併せ持っていた」立派な「メイン・カルチャー」でもありました。

つまり、「インド古典音楽に於けるサブ・カルチャー」の基本的な姿は、インドという土俵に於ける、「西アジア系音楽」だった訳です。

ところが、早くも18世紀後半から続々と誕生した「新様式」は、「サブカルチャー」の二つ目の性質を持っていました。具体的にそれらは、前述した「Khayal」「Thumri」「Gat」などですが、これら「第二種サブカル」の決定的な特徴は、「繁殖能力が無い」ことです。

自然の摂理に照らせば当然のことですが、「相反する二つの要素を併せ持つ」は、上記で「男女ペアで人間像を語る」ことと同じですが、「第二種サブカル」では、それが一方しか存在しないう、もしくは極端に偏っているが為に、「子孫を残せない」のです。

私は、最初の保護猫との出逢いで「生き物と暮らした幼少期」がリバウンドしてしまい、淡水魚飼育、クワガタ・カブトムシ・直翅目飼育に没頭していた時期(5年程)がありますが、奇しくも「クワガタ・ブーム」と重なりました。

不景気の時代に突入した頃で、一説には通産省が「この時期貴重な成長産業」とクワガタ飼育を高評価し、厚生省にプレッシャーを与えて次々と「輸入解禁種」を増やしたほどです。

私の本音は、もし二者択一ならば「昔懐かしい日本固有種」だけで良かったのですが、「外国産クワガタ」が「主流=メイン・ストリーム」の中では、「国産に執着する」ことは、何だか卑屈な感じもありました。後に思えば、それは、メインストリームが必ずしも「クワガタに於けるメイン・カルチャー」でもないのに、むしろ「国産専門」の方が、正当性があるかも知れないのに「日の目を見ない地味なサブカル」のイメージが濃厚だったのです。勿論、国産でも「オオクワ」はメイン・ストリームでしたが、私は「図体ばかりでかいが臆病なオオクワ」よりも、小さいくせに勇敢な「ヒラタ、コクワ、ノコ」が大好きでした。

程なく、「クワ飼育界」は、エスカレートの一途を突き進み、「貴重種」から「輸入禁止種の密輸」などに走る一方で、「異なる種の交配」や「雌雄同体を作り出す」ことさえもがメイン・ストリームを闊歩するようになりました。その頃には、世界の異なる地域のDNAなども滅茶苦茶になりつつありました。高校教師がネパールの両面太鼓(Madal)の中にクワガタを詰め込んで密輸して逮捕された頃です。

私がそれ以前に昆虫飼育に没頭していた幼少期に、「ライオンと豹のハイブリッド=レオポン」が作り出され話題になったことがあります。ここでいう「ハイブリッド」とは、本来の狭義の、「種を継承出来ない(子どもを作れない)」という意味です。「異なるクワガタのハーフ」や「右半身が♂で左が♀のクワガタ」のようなものを作り出して自慢気な人が増える一方となりましたが、いずれも、それらは「子を作れない」のです。なので、「作り出す」と書きましたが、そのような突然変異を産みやすい「真っ当な親クワガタ」を交配によって作り出すということです。

この話しと全く同じく、前述した「Khayal」「Thumri」「Gat」は、今日迄の200年以上経ても、新たな音楽様式を生み出してはいません。

正確には、「Thumri」は、古代花柳界から存在し、極めて流動的にその様式を変えて来ました。日本の花柳界音楽(端唄・小唄)も同様です。なので、「常に細胞分裂している」ようなもので、「どれが親、何が子」という概念からは外れます。しかし、 「Khayal」と「Gat」は、明らかにターンセンが交流させた「インド系音楽と西アジア系音楽」の交配から生まれたハイブリッドだったのです。そして、見事に「それらの子孫」は、未だ生まれていないのです。

「ハイブリッド」である根拠は、 「Khayal」「Gat」の中には、「相反する二極」が存在していないことです。いずれにも「重い様式と軽い様式」がありますが、「相反する」と言うより、「同じ様式の時代差」のようなレベルとも言えます。

ただ、このような「ハイブリッドなサブ・カルチャー」でも、明らかに「メイン・カルチャー」を良い意味で刺戟します。

クワガタ飼育界では、やがて、そのような奇抜な試みは飽きられ、「自然が良い」「生態系を守ろう」という意識が生まれ始めました。
ところが、不景気が更に進み、都心の各駅に数軒あった「クワガタ屋」はほとんど姿を消し、自然志向に至らなかった人々は、昆虫飼育からさえ離れたようです。

ターン・センの息子の流派に学んだ、私の師匠の先祖は、或る意味で「当時の第一種サブカル(ローヒルカンディー・アフガン楽師)」でしたが、師からセニ・ラバーブを学ぶと共に、自らの楽器アフガン・ルバーブを改造して「インド音楽用のサロード」を発明しました。つまり「子を産んだ」訳であり、「第一種サブカル:ローヒルカンディー・アフガン音楽」は、ハイブリッドではなかったということを証明します。

そして、なんと、セニ一族の師匠が、それを面白がって弾くようになり、やがて、セニ派も新楽器「Sur-Singhar(スル・スィンガール)」を創作するのです。弟子が師匠を触発したということです。

このように「第一種サブカル」は、直接的に「メインカルチャー」を刺戟し、影響を与えると共に、自らも子孫(派生形)を生み出す訳です。

他方の「第二種サブカル」は、そのような直接的な影響力は持ちません。ただ、「危機感」は与えるようで、メインの「伝統派・保守派」は、一層の研鑽・修行を積み、その質を高めた訳です。

これらが、インド古典音楽に於ける「メインカルチャー」と「サブカルチャー」の実際の姿であり、あるべき姿な訳ですが、恐らくインド古典音楽に限らず、あらゆる文化にも通じることではないでしょうか。

ところが、インド古典音楽に限らず、現代は、「(奇抜・奇を衒った第二種)サブカルの存在でメインが想起される」というようなていたらくで、「メイン・カルチャー」は、あたかも「陥落寸前の天守閣」のような有り様となってしまっているものが急増しています。

これはひとえに、連載三編で長々とお話ししましたような「メインカルチャーのより正しい定義(概念)」、及び「サブカルチャーには二種あること」が専門家さえしっかり把握していないことにあると言わざるを得ません。

写真の「絵画」は、ヴィーナを弾くターンセンの娘婿:ナウバット・カーン

白黒写真は、私の師匠の一族(流派)の中興の祖が師事した、ターンセンの末裔:ラバービヤの巨匠ムハマド・アリ・カーン師で、弟子が発明したサロードをセニ・ラバーブ式の縦構えで弾いています。

昆虫をお嫌いな方には申し訳ございませんが、カラー写真は、インドシナの「笙」に止まらせた、我が家で卵から育ったインドシナのクワガタ(♂)とカブト(♀)です。いずれも羽の色は、枯れた葦や竹の色で、背中は、笙の管を音響体に固定する「蜜蝋の黒」と見事に一致します。クワガタの場合、その背の中央は、「音響体の紫檀の濃エンジ」さえ持っています。
葦も紫檀も、いずれも成虫・幼虫の「食草」ではありませんが。「民族楽器は、その土地の自然の素材から多く作られ」「昆虫はその土地の自然の色に擬態して生まれる」ということが見事に表れています。

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是非ご参考にして下さいませ。

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(文章:若林 忠宏

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