107-2、誤った「自我」の解釈と実践 (その2)

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「感覚は、精神性の忠実な出先機関」
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現代社会では、「便利さと安全(安心)」を得る為に「合理主義・結果論・選択」を受け入れてしまった人々は、「末端・末梢的な枝葉」にこそ「自己を見出そう」と必死になり、SNSなどの「共感空間」で、「印象・感覚」を最も重要なものとして、自己の「反応感覚=気分・感情」に「自己、自我、個性=自分の存在(アイデンティティー)」を見出さんと必死になります。これは、原因を辿れば或る意味「便利病」の怖い症状です。

私が管理しているfacebook-Pageで、アフガニスタンの少年少女の素晴らしい瞳について語りましたが。彼らは、今の時代でも、朝、日の出と共に起きて家事をこなし、山羊・羊を牧場に連れて行ってから、山道を二時間掛けて学校に通う。インフラどころかまともなライフラインさえない。しかし、彼らは不遇とは思っていないし、被害者意識も無い。だから、素晴らしい目線と力と輝きの瞳を持っています。

また、1980年代以降の人々の中に多いのが、知ってか知らずかは別として、ジョンレノンの「イマジン」を極解した「イマジン病」の人も多い。「今に生きる」という観念を都合良く解釈して自分許しを行った結果、「枝葉にしがみつく(依存)」の怖さに気付かないのです。

その結果、「感覚」とそれを司る「気分・感情」は、極めて「利己的、合理的、結果論至上主義的」となってしまいます。

以前もお話しましたが、大分県の山中を車で移動していて、途中休憩で山の上の原っぱで新鮮な空気を吸った時です。東京では出逢えなかったオナガササキリの声がしたのですが、「ほら、ここ」と1mほどで指を差してもドライバーさんは、「聞こえない」と言っていました。逆に「昆虫採集」では、「虫が大嫌い!」という人を無理矢理連れて行くと、私より早く沢山見つけてくれます。「鳴く虫」の場合と同じ性質(心理習慣)が逆に発揮されるのです。このように、「五感」は、、その人の価値観・世界観・精神性に沿った働きしかしないことが極めて多いのです。
「猫が嫌い」でなくても、「面倒」や「過負荷」を嫌う人には、「風に乗った僅かな捨て子猫のSOSの声」などは都合良く聞こえないようです。

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「板挟みになっている現代人の心」
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その内側の「心の領域」では、「心」は、「魂と気分・感情」の板挟みになっていて、恐らく一人の人間の中で、最も苛酷な想いをしている部分だと思われます。

「心」は、明らかに、個々の人間が所有する「意識器官」ですが、「魂」は、バトンや鍵や、家宝や伝統のような「預かりもの」なわけですから。私たち個々の人間の所有物ではありません。

樹木の図は、ヴェーダ科学が説いた「個々の人間の本来の姿」を樹木に喩えたものです。「心」は、「幹と根っこ」であり、「魂」は、「大地、もしくは大地と切り離せない根っこや株」のようなものですから、地球上の数億数兆の生き物は、「ひとつの大地」を共有している訳です。

ヴェーダの叡智を学ばずとも、前述のアフガンの山の学校の子どもたちのように、「朴訥としている」とか「素直な」と賞される人間は世界には、まだまだ居てくれると思います。彼らの「素直」の構造は、「大地〜根っこ〜幹〜太枝〜中枝〜小枝と葉、花や果実」が、「真直ぐで、滞りが無い」状態なのでしょう。恐らく、無意識で、あらゆる物事を「根っこから順に優先して考える」。

例えば、「大好きな一頭の羊」を売りに出すこととなった。という時、アフガンの羊飼いの少年は恐らく、無意識に瞬時に、「羊〜家の状況〜両親の想い」の順で「心が動き、思考し」その後に、「自分の寂しさ」を自覚するのではないでしょうか。故に、その「寂しさ」は「哀しさ」に昇華・代謝し、「慈愛」に変換されて、残された羊に注がれる。だから「苦役」とは感じない。

ところが、(先進国の)現代人の場合、その感情経路は恐らく大半が逆。「自分が寂しい、悲しい、不遇だ、不条理だ」で、親はそれを強いた加害者でしかない。「家の事情」を説いたところで、「不遇感、不自由感、被害者意識の肥やし」にしかならない。意識では、「羊が可愛そう」と思っても、果たしてその本質は? その「悲しみ」は、「哀しみ」とは全く縁遠い性質ですから、何かに昇華・代謝しようがない。何時迄も負の感覚で滞るばかり。新たな依存対象と出逢うまでは。恐らくアフガンの山中では「ペットロス症候群」も「アパシー、鬱」も殆ど無いのではないでしょうか。

前回の作図の右下の図、今回蔦の写真と共に描いた図は、そんな様々な「精神的感染症」に於かされた現代社会人を描いたものです。

思考回路は、ほぼ完全に「気分・感情」に支配されています。「論理」が理解出来ない人は、無意識の内に「論理の代替」として、むしろ真逆の性質(自然の摂理からほど遠い、人間社会本意の人工的な)の「観念、常識、理性、理屈、道理」などで、無意識ながらも必死に「思考回路の破綻」と「心の荒廃」を防がんと、堪えている人もとても多いと思われます。が、哀しいことに、何かでその「防御システム」が壊れると、別人のように、豹変したり、自虐に走ることが多くあります。

写真の「蔦」は、「幹」「太枝」「中枝」「小枝」の区別は殆どありません。太くたくましく真直ぐ伸びるような「幹」では、「観念、常識など」にまとわり着く(依存)などしたくても出来ません。対する「蔦」は、目先で出逢った「安心材料」に自由にまとわり着くことが出来ます。しかし、その軌跡を振り返って見ても、自分の始まりなどは、曲がりくねった「弦」の何処にあるかも分かりませんし、他人の「弦」も絡まっていて訳が分からない。その「根っ子」が脆弱であることもまた、言うまでもないことです。

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「論理的思考は、心の城壁」
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ヴィヴェカナンダ氏が「正しい理解のために不可欠」と説いた「論理的思考」は、別な意味合いでは「心を守る城壁」でもあるのです。「城壁と門番」が役立たずでは、人間の中で、最も奥に存在するその人間の所有物である「心」は、逃げ場も無ければ、防御力も無く、脆くも敗れ去ってしまうのです。

なので、「心がすさむ」とか、「心を入れ替える」などの言葉は、注意が必要です。「すさむ」はあり得るが故に、安直に用いたくないものです。もし本当だったら、即刻対処しないと手遅れになるからです。「入れ替える」は、「根性」とか「考え」に直した方が良いかも知れません。

そして、とうとう「心」まで「気分・感情」に支配されてしまえば、それは最早「個人(個性/アイデンティティー)」の消滅です。

もしかしたら、「魂」には、「自己防衛機能」があるのかも知れず、「論理思考の城壁」が崩れた頃には、「硬い殻」で、自らを覆って。最早、「心」に教えを伝えることもしなくなって(見捨てる)しまうのかも知れません。

より正しいアーユルヴェーダ音楽療法では、それぞれのラーガ(旋法)の音や幾つかの音の動きの何れが、図のどの円に届き、作用するかを理解していなければなりません。これは「身体(臓器・気管・経絡)」と同様に、今回の図の「意識・思考・心・魂」にも「直接的であるべきもの」は、直接的な作用が望ましいのです。

しかし、前述しましたように、「心までもが感情に支配されている場合」や、それを無意識に守らんとして「観念・常識・理性」などで防御している人には、障壁となって、音(Nada)が届かない、届きにくいということは多くあります。

図版:樹木図、蔦と図、アフガンCD、

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何時も最後までご高読下さりまして、ありがとうございます。

また、この度「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」を実施致します。

是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

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(文章:若林 忠宏

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