スピリチュアルインド雑貨SitaRama

インド音楽

112、16世紀の楽聖Tan Senの流派(1)

当連載Vol.44でご紹介した北インド中世イスラム宮廷音楽の頂点に君臨したMiyan Tan Sen(Muhammad Ata Ali Khan)とその一族は、第二次大戦後の共和制によって宮廷そのものが終焉する迄、北インド・ムガール帝国の宮廷楽師最高峰の流派として在り続けました。

ミヤン(偉大な)・ターン(旋律)・セン(主)は、皇帝より賜ったタイトル(称号のような)ですが、一族は略して「Seni派(Gharana)」と俗称されます。

しかし実際ムガール帝国自体が最後迄常に北インドで最強のイスラム帝国であった訳でもなければ、歴代皇帝が常に音楽の強力なパトロンであった訳でもないのです。
にも関わらず、Seni一族は、今日現在に至る迄インド音楽史に於いて不動の名誉を保っており、各地に散った一族の後継者は、いずれの土地でも宮廷楽師の頂点に君臨しました。また、18世紀から19世紀に掛けて生まれた、今日私たちが聴くことが出来る北インド古典音楽のほぼ全てのスタイルと流派がSeni派との繋がりをステイタスにしており、実際のSeni一族の後継者は、Muhammad Dabir Khan(1905~1972)とその息子(演奏活動をしていたか?現在のところ不詳です)を最後に途絶えながらも、現行の流派は皆「Seni派の亜流」ということも出来ます。

その音楽的な実態は、かなりの基礎知識が無いと理解が難しいと思われますので、今回は、そのような特別な地位にあった一族に生まれた、各時代の音楽家の様子がイメージ出来るような俯瞰的全体像の総論をお話ししたいと思います。

ターン・センが、インド全土をほぼ統一した著名な皇帝:アクバルの宮廷楽師長になったのは、自身が60歳を過ぎ、アクバルが20歳の頃でした。勿論これには諸説あると共に、かなりいい加減な記述が今日でさえも見られます。

それにしてもインドと中国の現地音楽学者と、音楽史や学理を語る時の音楽家・演奏家の知識の幼稚さと、新たな文献を読まず、昔学んだことを信じ込んでいる杜撰さには呆れを通り越して憤りさえ憶えます。と言うのも、かれこれ47年に及ぶ私のインド音楽探求の歴史の中で、それらの情報に何度翻弄されたことか!

と言いつつ、

「情報の価値など殆ど皆無で、大切なものは、その背景の文化の流れと社会性、そして人間模様であり、情報の多さや貴重さではなく、それを読み取る力である」

と痛感の中で教えてくれたのもまたそれらの偽情報ですから、感謝せねばなりません。

ただ、「餅は餅屋」的に、「インドのことはインド人に訊くのが良い」とばかりの日本人研究者に対しては、文献至上主義に対する憤りも手伝って未だに擁護の気持ちが湧いて来ません。「餅は餅屋」と言われれば返したくなります。「調査対象の家の玄関ベルを押す間抜けな興信所調査員も居ないだろう」と。

新たな情報でも出てはいまいか?と検索してみれば、どれもこれも相変わらず。これが文献至上主義の最たる欠点で、新たな文献が発掘されない限り、テーマを掘り下げたり探求しようと言う者が現れないのです。ターン・センの生没年に関しても、相変わらず十年もずれる諸説が散乱していました。デリー宮廷登官に至る逸話もしかり。
................................................

さて、ターン・センは、40歳の年齢差ですから当然アクバルの治世中に没し(1586)、アクバルによって偉大な芸術家として改めて讃えられ、荘厳な廟が起てられました。従って、ターン・センの息子たちによって大きく二つに別れたSeni派は、まずアクバルの宮廷楽師となり、引き続いて第四代皇帝:ジャハンギール(在位:1605~1627)の宮廷楽師となる訳です。

Seni派二大流派とは、後妻の子Bilas Khanの「Rababiya派」と、ターン・セン自身の師のひとりで、Kshangarh-DhrupadのKhandar-Vaniの家元Vina奏者:Raja Samokhan Singhの孫:Yuvraj Saheb Misri Singhに娘:Hussaini Khanを嫁がせた結果の「Vinkar派」のふたつです。

先妻の三人の息子も卓越した音楽家だった筈で、中にはTan-Tarang(多彩に並ぶ変奏)のタイトルを持つ名手も居たのですが、三兄弟とも一代でほぼ途絶えたがために、多くの弟子たちも二大流派の流れに組み込まれてしまったようです。

Misri Singhは、「ムスリマを娶るならば、改宗せよ」のイスラムの掟に従い改宗し、Naubat Khanとなります。一説には、婚礼に伴ってターン・セン側から「数百の作品」がダウリー(持参金)としてNaubat Khanに与えられたと言います。従ってDhrupad-Khandar-Vaniは、ターン・セン創始のGaurhar-Vaniとこの時点で習合したということです。「Gauhar」は、ターン・センがRamtanu Pandey(Tanna Misra)という名のヒンドゥー教徒だった時代「Goudiya-Brahman(Vishnu派)」に属していたことからの流派名です。

アクバル大帝の息子:第四代皇帝:ジャハンギールは、即位当初から、病弱にも拘らず、ムスリム禁忌の酒に溺れるなど、無茶と失敗が多い人で、アフガン貴族の妃:ヌール・ジャハーンを略奪し、その父親を宰相に据えれば実権を奪われ、晩年の王位継承争いでは幽閉もされています。

不思議と、偉大な人間の二代目に、このような悲運な物語が多いのは、世界的な傾向のようです。しかし、皇帝が政治的に無力であって、放蕩三昧に過ごした御陰で、ターン・センの息子Tan-TarangとBilas Khanは、宮廷楽師の頂点で豊かな人生を送ったと言われます。

在位一年の第五代皇帝の後、その兄で、ヌール・ジャハーンの姪婿の第六代皇帝:シャー・ジャハーン(在位:1628~1658)は、彼の有名なタージ・マハルを、ペルシア人宰相の娘であった先立った妃:アルジュマンド・バノ・ベーガムの為に建てた他、巨大なデリー城、未だに亜大陸最大のモスクであるジャーマ・マスジッドを建てるなど、ムガール王朝全盛期の富を使い放題使いました。

シャー・ジャハーン即位までの王権争いの熾烈さは、その昔のヒンドゥー二大叙事詩やオスマン・トルコ宮廷史に勝る複雑な物語で、インドでも何度も映画になっています。朝鮮・李王朝の物語が、何度も日本語吹き替えで放送されているのですから、インド版やトルコ版もひとつくらいは何時か出来ても良いのではないでしょうか。
去年、宝塚までが取り上げた「Om Shanti Om」が話題になりましたが、どうでも良いストーリーではなく、是非歴史物語で御願いしたいところです。尤も、喜怒哀楽度に、何処からともなく、舞踊団が現れる「踊るマハラジャ」系ではストーリーは二の次かも知れませんが、インドにはけっこう優れたストーリーの映画もあります。(ました、か?)

ムガール王朝史に輝く放蕩皇帝で、王権争いでは実の兄を殺すほどの人物シャー・ジャハーンは、パキスタンのラホールにも同国最大のモスク:シャー・ジャハーン・マスジッドを建てた他、UP州にも都市国家的なシャー・ジャハーン・プールも築きました。私が内弟子として属するサロードのシャー・ジャハーン・プール派も、彼の皇帝の御陰で育まれたという訳です。
おそらく読者の皆さんの多くがご存知だと思いますが、シャー・ジャハーンは、タージマハル建築の為に、相当数のタイル職人をペルシアから呼び寄せ、完成後に殆どを処刑したと言われます。「同じものを他の者に建てさせない」為に。

シャー・ジャハーンは、アクバルに劣らず、文芸対しても湯水のように財宝を使った皇帝でしたから、ターン・センの孫、Lal Khan(Vinkar)も、かなり裕福な生涯を送った筈です。流石に三代目辺りに、音楽の世界でも駄目な家元が現れることが多いので、実力のほどは分かりませんが、Lal Khanは、シャー・ジャハーンより「Guna-e-Samander(海の美)のタイトル(Laqab)を賜りました。 音楽に「海」が登場するのは、その昔、Lal Khanの祖父(ターン・セン)が、皇帝の曾祖父(アクバル)に、音楽を海に例えた逸話からのことと思われます。Lal Khan没後は、息・qのNazir(Khushal)Khanに、皇帝承認の下、タイトルは受け継がれました。

Naubat Khanの息子であるLal Khanの母親は、Rababiya創始者Bilas Khanの娘で、この婚姻よって、Rababiya派とVinkar派また、新たに習合したということなり、ターン・センに学んだNaubat Khanの頃から、二大流派の音楽は、基本的に同一ということになり、「専門楽器が異なるだけ」とも言えます。

しかし、シャー・ジャハーン没後の第七代皇帝:アウラングゼーブ(在位:1658~1707)の時代は、インド宮廷古典音楽と、Seni派にとって、第一回目の「暗黒の時代」となりました。
(つづく)

.................................................................................................................

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

...............................................................................................................

また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

12月1月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

………………………………………………………………………

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


RANKING

DAILY
WEEKLY
MONTHLY
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3

CATEGORY

RECOMMEND

RELATED

PAGE TOP