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インド音楽

114、歴史の理解力を高めることは、心身の健康に最適・最短の手法 (その2)

「人間ナマコ論」の説明
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生命体の「筒 」の構造~例えば血管
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「人間は手足の生えたナマコである」などと言っても、理解されなければ迷言で終わってしまいますが、今回の管と円を描いた図を見て頂けると分かっていただけると思います。

まずその図の右の円は、このテーマの前回の図の「5つの意識(の4つ)」の図の内面と外面を逆転させたものです。しかし、一ヶ所に大きな穴があり、「外的要因」は、その穴から内部に入って、内壁から浸透し、順に、より「奥の層」に伝えられるのです。このようなイメージによって、筒図の構造がより具体的、現実的に分かる訳です。

この右図は、人間が食物を食べる姿を横から見たようでもあり、眼球を横から見た様でもあります。同じように、「言葉、文字、文学、音楽、美術、思想、哲学」などもまた、本図のような「逆位置構造」の中に取込まれ、次の層に順に伝えられると考えられます。

実際の生命体の様々な筒は、左の「筒の図」のようになっており、上記の「逆転構造」が如実に反映されています。

例えば血管の場合、「A」は、悪玉コレステロール、老廃物、リンパや細菌・ウィルスなどの死骸がたむろし、しばしば血栓の原因となり死活問題を生じさせる血管内壁の状態です。血液の性質ばかりを「血をサラサラに」と執着しても、この壁にこびりついたものたちを解決せねばどうにもなりません。

これを「現代人のメンタル面」に置き換えると、奇抜・猥雑でアカラ様な商業主義や、汚い言葉、軽薄な流行言葉、間違った言葉、勝手な解釈の言葉など、氾濫する不純なものや有毒なものが、「心と思考への管」の内壁にドロドロと懲り付いているということです。
またネット依存の人々にとって、「情報」を収集するばかりで「思考しない/吟味しない」ことによる、「情報」も或る種「消化・代謝」には無縁の代物ですから、不要物・老廃物と同じようにしか機能しないばかりか、大切な「(心の)血管壁」に損傷を与えかねません。

「B」は、リンパと細菌・ウィルスの戦場です。勿論、免疫細胞の有名なマクロファージなどは、血管内を縦横無尽に飛び回ります。が、皮肉なことに「A」の「澱み(汚れ)」の代表的な正体も(外敵を食べ過ぎて動けなくなった)マクロファージだったりします。

これも「現代人のメンタル面」に置き換えると、上記の「過剰な情報」を「心の免疫機能」が懸命になって選択を試みている、或る種の「修羅場」であり、そこには、捨てられた情報と徒労に使い果たしたエネルギーや知恵が「不純物・ゴミ」として折り重なっていると考えられます。

「C」と「D」は、医学的に「血管内膜1/血管内膜2」と呼ばれるものです。これらと「E」の血管外膜が、フィルターとなりつつ、「浸透圧の恒常性」が保たれることなどで、栄養素が細胞に行き渡り、老廃物を回収しています。そして「F」の様々な臓器やジャンクションを経て、その最中にも。酵素やホルモンなどが働きながら、必要不可欠なものと変化しながら、細胞や臓器に運ばれます。

これを「現代人のメンタル面」に置き換えると、現代人の多くが、Dの機能が著しく衰えていると考えられます。それによって、Cの領域「気分・感情」とDの領域「論理的思考」の区別がなくなり「○○だと考えた」とは言っても「思った」「感じた」「気がする」の区別が付かないという状態に至ります。

その結果、本来ならば、論理的思考によって「気にならない」「気になるが、それで頭一杯にはならない」「ましてや気分が落ち込むということはない」程度の他人の「一言」や、「感情的な言動」に対して、くよくよ考えたり、不要な発散や癒しを求めたりすることで、逆に正常な思考力が極端に低下してしまいます。結果、正しいフィルターの役目を果たせず、「心・思考力にとっての栄養素」も「不純物」「毒素」も一緒に送り込むことになります。

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生命体の「筒」の構造~例えば腸管
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例えば、やっと最近なって、理解も感心もやや高まって来ました「腸内環境」ですが、腸管の場合、「A」は、粘液状の外堀で、所謂「悪玉菌・寄生虫」の住処でもあります。「B」は、リンパ・善玉菌と細菌・ウィルスの戦場です。当然外敵が腸管を通り抜けたら命に関わる事態となりますから、ここの「粘液と粘膜の折衷のような内壁」は、頻繁に剥げ落ちているようです。

「C」は、善玉菌のみ出入り出来る作業層で、医学界でもまだごく一部の人々しか気付いていないかも知れません。つまり、健康体であれば、この「層(Kosha)」は極めて有効な「防御壁」となっているのです。生命体の驚くべき神秘は、ここで善玉菌のみが自由にこの「第二の粘液と粘膜の折衷のような内壁」をすり抜けて出入りし、担うべき重要な仕事をしてくれているというところにありす。

また、近年食品会社が懸命になって開発・商品化・宣伝している「乳酸菌」の類いも、数年前の「腸迄届く」は、最早時代遅れで、「どうにかあっと言う間に流れ出てしまうことを解決出来ないか」という段階に至って、この「壁」が、「商品開発の壁」にもなっているようです。何故ならば、健康体であれば必要量の善玉菌が数億と存在しているので、後から新参者を投入したとしても、この壁を出入りする力や通行証をもたなければ、数時間で便になってしまうからです。

しかし、実際は、見た目元気な人でも、この層は殆ど機能していない場合が多いと懸念され、悪玉菌が腸壁まで到達しているという危険な状態であり、それを未然防ぐ善玉菌の仕事場も無い、という状況のようです。
ここまでの「ABCの層」が正常に備わって機能していないだけで、「食物アレルギー」は簡単に発症しますし、

この層を痛めつけ、破壊してしまうのは、食品添加物の化学物質であることは勿論ですが、砂糖、とりわけ漂白された上白糖やアルコール、適量を必要なタイミングに摂取する以外の香辛料などであることもまた、言う迄もないことです。

言い換えれば、この「善玉菌専用通過層・作業層・生活層」の修復方法を発見しない限り、乳酸菌を新たに送り込んでも、ほとんど「気休」か、「笊」に近い、ということなのです。

これを「現代人のメンタル面」に置き換えると、現代人の多く、とりわけSNSなどで「共感=認められた」というものを強く求める癖を増長させてしまった人の場合。本来「善玉菌だけが行き来出来る粘液と粘膜の領域」に於いて、「耳に優しい・嬉しい言葉や音楽」「分かり易い幼稚な言葉」を容易に通過させ、「耳に痛いがしっかり思考すべき言葉」「論学寮法的に意味・効果のある音楽」「論理的な文章や漢字」などを逆に拒絶させてしまいます。つまり「悪玉菌を歓迎して善玉菌を閉め出す」というとんでもないことをします。それによって、心の領域迄を・u不純物・毒素」が入り込むだけでなく、この「粘液と粘膜の層」が機能しなくなり、破壊してしまうのです。

「D」は、栄養素を取込むフィルター層であり、細胞によって構築されている腸の内壁です。これは解剖学的に昔から確認されているものです。これに穴が開けば「LGS」という怖い状況になります。「E」は、腸外壁で、まだ殆ど解明されていないようですが、「栄養素・毒素の二次フィルター層」がある筈で、必要に応じて行き先を肝臓、腎臓に振り分けていると考えられます。
「F」肝臓や腎臓などの臓器、及びそれらに運ばれる回路やジャンクションです。

「LGS」の手前で、生命体が必死の「SOS」を出している様子のひとつが「(比較的軽度の)食物アレルギー」ですが、軽度とは言っても、アナフィラキシーを誘発しないということであり、充分重症ではあります。しかし、アレルギーと言うと「花粉」とか「小麦」などを思い浮かべるが為、「そもそも必要では無いからだ」「無くても困らない」と考えがちかも知れません。しかし、そもそも「本来敵ではないものに対する過敏・過剰な反応」であったり、「本来むしろ味方・必要なものなのに敵対する」ということが少なくなく。このこと自体は、決して「正常な状態」ではないのです。

「胃の構造」も、より単純であってもほぼ同じと考えられ、「鼻腔」や「口腔』も勿論同様です。また、これもまだまだ研究が進んでいませんが、「皮膚」は、この構造を「裏返した状態」と言えます。最近では殆ど見掛けないので「知らない!」という人も居るかも知れませんが、幼児に着せた「腹巻き」のような筒・帯状のものを、「血管や腸」と逆に「裏返した状態」であると言えます。つまり「善玉菌と悪玉菌の戦場」が何層かの構造の「皮膚」なのです。

実際、「腸内細菌叢」とは構成がかなり違うようですが、それでも重要な仕事をしている頼もしい善玉菌が存在します。

自称愛猫家さんでも、まさかの「シャンプー」をする人が少なくないようで、特に海外の愛猫家さんのYou-Tubeなどを見ると結構あります。しかし、猫の皮膚は、極めてデリケートで高度なバランスで保たれている考えられ、犬より頻繁に行う「毛づくろい」で、「腹巻きの表裏」の細菌を交換もしていると考えられます。獣医さんでも分かってらっしゃる方は「まだ殆ど解明されていない」とおっしゃります。

人間ももしかしたら数十年後には「入浴しない健康法」が声高に語られるかも知れません。少なくとも「バランスの崩れた部分だけの清拭、緊急時の全身浴に留める」などはあり得そうですが、やっと最近「保湿成分が洗い落とされる」と言われ始めた段階なのでしょうか。

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実際現代人の多くは
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昨今の日本を取り巻く国際情勢の中で、北朝鮮の脅威が高らかに語られていますが、私自身、例に挙げて語りたくもない話しですが、何らかの方法で、現代人にこれを伝えんとすれば、極めて似通った、共通の構造が見られるから致し方がありません。

私たちの「感覚的気分感情」は、柔軟にしなやかに・揺れ動くからこそ、例えば私が親子二代に渡って生業としてきた「音楽」などの芸術が生まれ求められるのですが、その領域に、「体の細胞や臓器の命運」や、「心と思考の命運」までを委ねてしまうことは、極めて危険なことなのです。

しかし、現代人の多くが、「美味しいからこれを良く食べる」を優先し、本当は体に不可欠なのに「苦手だから食べない」としてしまいます。言葉や音楽もしかりで、「耳に優しい・嬉しい言葉」「分かり易い音楽」ばかりを取込み、逆の必要・摂取が必須のものを拒否してしまいます。その結果、バランスが崩壊し、瀕死の重症になれば、その感覚・気分・感情の領域は一層ヒステリックになり、他者の言うことなどには耳を貸しません。

これとそっくりな国家単位の様子を北朝鮮に見ることが出来ます。首都以外では、特に農村などでは前世紀どころか中世の衣食住で、それさえも不足して喘いでいるというのに、官僚と軍部、その頂点に立つ独裁者が、ヒステリックになっている様子と何ら変わりありません。そこに何処かで「戦争をしたい・兵器の在庫を使い果たしたい・新たに売り込みたい」という人間が居たり、漁夫の利を得たいと思っていれば、どうなるでしょうか? 同様に、メンタル面でも、セラピスト、カウンセラーや専門医の中に、「本当に直して上げたい」と思っているのだろうか? 「麻薬患者や依存症」を慰めるばかりの人が少なくない、という構造さえそっくり似通っています。

逆に、(勿論これが本来ですが)健康体の体力と同様に、本来の意味での正しい「国力」が豊かであれば、そうそう攻め込もうという外敵も現れない筈です。

「江戸時代の鎖国」も、スペインの無敵艦隊、それを撃破した英艦隊の力をもってすれば、その時代(江戸幕府成立の十年前)に日本に侵略を仕掛けることも不可能ではなかったとも考えられます。諸説・諸解釈色々ありますが、戦国時代のような武家同士が果てしなく内紛・内戦を繰り返し、商業・農業がずたずたになる状況を終わらせ、国内産業の充実を計り。戦いが無くなった代わりに武家がアイデンティティーを求めて勉学に励んだ(識字率は当時の世界で抜群だったとも)ことなどに加え、秀吉のように隣国に攻め入るなどをしなかったことが、戦争(覇権争・「)の口実を与えなかったことなどが要因と考えても間違いではないのでは?

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何故、口から入る食物だけなのか?
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このように、生命体の心と体は、「必要なものを取込む」「不要なもの・弊害があるものを取込まない」為に、何層にも重ねた「層:Kosha」によって、外因由来のものを分別し活用しているのです。その形は、正に「筒」であり、その「管」は、無数とも思える様々なものがあり、それらを束ねたようなものが生命体とも考えられるのです。

もし、この「人間は無数の筒を束ねたものである」という考え方が浸透すれば、「滞らせることの危険」ということが、どれほど重みを持って来るか? ところが、現代でさえも、西洋医学では、「血流」について考えるばかりにとどまり。便通などは、一般サプリ販売者に遅れを取っています。「運気」「ナーディ」に関しては、東洋医学が数千年も前から説き、やっと最近日本でも関心を寄せる人が増えて来ました。ヨガの基本は言う迄もなく、「空気の出入り」と「気の流れ」です。

しかし、ヨガやアーユルヴェーダに専門的に関わる人でさえ、その多くが「言葉・文字・文章・音・音楽・画像・美術」に関して無頓着なばかりか、今世のあらゆる害のあるものに対しても追認主義的であるのは、何故なのでしょうか? 不思議でなりません。

そして、以前にもご説明し、前回も引用しました、二つの円のある図ですが、左が本来の意識と心の階層で、右が、現代人の階層の危険な状態を示しています。
明らかに「Vidya(叡智・知識)、Bhava(信心)、Pramana(洞察と納得)」などの語彙を含む「Vijnanamaya-Kosha (理知鞘)(ピンク色で示した領域)」の脆弱化・崩壊(青系化)が問題であることが明白になる筈です。

「枝葉=気分・感情(Manomaya-Koshaの領域/ブルーで示した)は、しなやかに大いに揺れるべきである」だからこそ、芸術・文学が意味を持ちます。しかし、「太枝と幹=論理的思考と叡智・知性(Vijnanamaya-Kosha)はブレるべきでは決して無い」のです。
「ブランコの土台が壊れかけている」状態では、楽しいブランコ乗りが出来ないのと同様に、Vijnanamaya-Koshaが脆弱で崩壊寸前の上に、正しく健康ではつらつとしたManomaya-Koshaは成り立たないのです。

では、この「Vijnanamaya-Kosha」を正しい状態戻し、「Vidya(叡智・知識)、Bhava(信心)、Pramana(洞察と納得)」の力を蘇らせ育むにはどうしたらよいのでしょうか?

それは、まず「思考法の改善」であり、「既存の思考癖の改良」であり、その為には、「その必要性を深く実感・納得すること」が不可欠です。
その上で、最も効果的で、即効的な手法が「歴史を楽しく学ぶ術」を身につけることです。

何故ならば、「続編」でより詳しくお話しますが、「Vijnanamaya-Kosha」の正常な機能に欠かせない論理性には、幾つかの象徴的テーマ(要素)がありますが、「三次元的思考感覚」が極めて重要で、現代人に最も欠けているのが「縦軸:時間(歴史)感覚」であるからです。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

12月1月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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