世界の安寧を願い、ヒマラヤで瞑想に耽る慈悲深いシヴァ神。豊かな髪をなびかせるその姿には、静と動の調和を垣間見ることができます。
このシヴァ神の豊かな髪は、ヴァーユを象徴すると伝えられてきました。ヴァーユは「風」を意味し、それは私たちの呼吸としてあらわれます。今この瞬間にも生まれる一つ一つの呼吸は、シヴァ神そのものに変わりありません。
生きとし生けるものの主であるそんなシヴァ神は、「パシュパティ」と呼ばれることがあります。パシュは、神と区別された個人の魂であり、家畜や動物を意味するものとして捉えられてきました。パティは主を意味することから、パシュパティは動物の神としてのシヴァ神をあらわすとされます。
私たちは常日頃、物や状況といった変化を続ける外界の幸せに囚われています。その幸せは揺らぎやすく不安定で、さらなる無知や幻力の中に私たちを束縛します。そうして外界ばかりを見て束縛の中で生きる私たちは、パシュとして存在しています。
そんな束縛から自分自身を解き放つために、私たちは内なる世界に幸せを見出さなければなりません。霊性の道に進み、内なる世界へと向かい始める時、私たちはパシュパティとなります。そこでは、シヴァ神が主となった、光輝の意識となることができるからです。
動物の中でも、人間は高い知性をもつ存在であるといわれます。私たちは、その知性を活かしながら、真摯に生きることを努めなければなりません。そのためには、シヴァ神を主として自分自身を結びつけ、その手綱の下で生きることがもっとも賢明な方法となり得ます。そこで私たちは、生と死から解放された、永遠の至福の中で生きることができるに違いありません。
マハーシヴァラートリは、シヴァ神を讃えるこの上ない吉祥の夜です。この夜、自らの呼吸と向かい合い、シヴァ神の存在を礼拝したいと感じます。そうして内なる世界を見つめる時、私たちはパシュパティとして、シヴァ神との合一に至ることができるのだと思います。
(文章:ひるま)
シヴァ神との合一、
今 私はそれにつきます。
ありがとうございます。