150、アーユルヴェーダ音楽療法入門12(ヤントラと音楽療法1)

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視覚に訴える叡智
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ヤントラは、図象ですが、ある一定の法則に則ったパターンが応用されています。
マントラが、そもそも「考える」がテーマであったように、ヤントラもまた「見れば良い」ということではありません。

ヤントラもまた、「視覚~直感領域~運気」だけでなく、「視覚~論理思考領域~消化吸収代謝」でも受け止めているのです。良く言われることに「目をつぶって、ヤントラの残像が残るくらいに見る」ということが大切であるとともに、「剣道」と一部の「碁や将棋」で言われる「遠山の目付」の感覚も不可欠です。

この叡智は、西洋にもありますから、ヒンドゥー教より古いことは勿論、ブラフマン教よりも古くから存在した叡智だと考えられます。

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大切なことは、「論理思考による理解」と「論理思考的な直感による享受」が揃っていることとバランスがとれていることです。

前者は、一見しただけで、「何処にどのような色が用いられており、その定型の意味は何か?」「三角形と四角のバランスはどうか?」「蓮の花弁の数は幾つか?」というものが、厳密に見ずとも「頭に入る」ような感覚です。「論理思考」は、「難しく考える」ということでは決してありません。

後者は、前者に似ていますが微妙な違いが大切です。それは前述の「遠山の目付」のような感覚で、「全体把握能力」で、受け止めるものです。

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インド文化ファンやヒンドゥー教に強い関心がある人でも、古代インドの叡智が極めて論理的であることを充分に理解している人は、残念ながら少ないと想わざるを得ません。

そう判断する根拠は沢山ありますが、それはさて置き、
古代インドの叡智が何故「論理の塊のようであるか」ということについて、改めて述べたいと思います。

ひとつには、「用語が極めて多いこと」にあります。これはひとつ音楽をとってみても、古代インド音楽と、源流を同じくする古代ペルシア音楽とその後継者たち(アラブ古典音楽とトルコ古典音楽)ほど、音楽理論用語が多い音楽は世界に類を見ません。
西洋クラッシック音楽も、バロック時代の音楽や、バッハなどは極めて論理的ですが、中世に伝わったアラブ古典音楽の論理面を継承している要素が多く認められます。

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異なるジャンルが不思議にリンクする訳
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もうひとつが「ヤントラ」に大きく関わることですが、ひとつの物を説明する時に、世界の他の文化ではまず語らない全く異なる次元のものを組み合わせることです。

音楽でいうならば、「ドレミ(SaReGaMa)のド(Sa)の音は、孔雀の鳴き声から生まれ、人間に喩えると老人であり、色はピンク」といった具合です。

世界でも神話的に「生き物の声から」位迄は、語るところもあるかも知れませんが(それさえも無いかも知れません。私の寡聞かも知れませんが)「色は○○」「人間ならば○○」は、常識的に考えても「意味不明」と想う人が多くて当たり前でしょう。

しかし、古代インドの叡智は、よろずに関してこの様子なのです。これは中国にも伝わり、インド産の叡智をことごとく自己流に変換してしまいがちな中国では珍しく継承されていると思われます。

現代では、中国人の生薬薬剤師さえ理解出来ていないとも言われますが、そもそも中国医療の根幹は「弁証論治」であり、これを学ばんという人は、「論理学」を徹底的に習得しないと訳が分からない代物です。

その結果、今日ネット上に溢れる漢方薬局のサイトでは、殆ど中医・漢方弁証論治を無視して「○○に効きます」と、まるで「西洋医学・局所対処療法」のように謳って、売らんかなです。

「ドレミのドの音はピンク」という感覚は、「論理」の他に「悟性学」を学ばないと納得の域には到達出来ません。

故に、インド現地の音楽家も、自称アーユルヴェーダ音楽療法師も、「ピンクである根拠」は説明出来ませんし、しつこく尋ねれば「そう言うもんだ!」「それを問うならば、お前の名前の根拠は何なのだ!」と問い返されるか、かなり機嫌が悪くなることは必至です。

しかし、人間社会は、その歴史の中で、特に西洋では「悟性」は、中世以前に葬り去られ、キリスト教の理性に置き換えられ、論理の賜物である概念も、近代の合理主義と結果論によって淘汰され、観念論に置き換えられてしまいました。

中国は、前述のように、「大概のものを後に自己流に替えてしまう」とは言え、唐代頃は、極めて正確に朝鮮半島と日本に伝えていました。なので、日本の伝統的なものの中には、インド由来の論理に富んだものが少なくありません。

しかしながら、現代人の多くは、前述しました「感じた/思った/考えた」の区別をしないだけでなく。漢字の「悲しい/哀しい」が区別出来ない・しない。「嫌いの反対語を好きだと思う」などがまかり通っています。

かつては漢字の多くが「表意文字」で、それらはいずれも極めて論理的だったのですが、近現代中国では全くその面影さえなく、朝鮮半島はハングルになってしまいましたから、激減したとは言え、日本が最もその伝統を継承しているとさえ言えます。

驚いたことに「ゆとり世代」の私の受講者の或る人たちなどは、「貴方のおっしゃる『哀しい』は、『悲しい』ですね!」と言えば「何でそんなこと!誰が決めたんですか!」と言う人が居るかと思えば「私は私の使い方で使っているんです!」とか「悲しいの字は嫌いだけれど、哀しいは嫌いじゃないから」と平然と言う人が少なくないのです。

そのような人に「悲しいはブルーだが、哀しいはグレーやオレンジ」などと言っても「それは先生の感覚でしょ?」としか思われないことでしょう。

この叡智の源泉であるインドでも、サンスクリットの段階では、「寛容的な発音が原点」の文字・言葉のみならず、論理的な意味で、同源の文字を踏襲して用いるなどが多く見られましたが、近現代では、ヒンディー語風に替えられているものも少なくないようです。

いずれにしても「ヤントラ」を目に焼き付け、脳裏に焼き付ける時には、その形の他に、色彩の微妙な違いまでも、悟性で理解し摂り込むことが不可欠なのですが、近年、それを説明出来るインド人も激減しているだろうことが懸念されます。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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是非ご参考にして下さいませ。

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アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

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(文章:若林 忠宏

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