151、アーユルヴェーダ音楽療法入門13(宇宙からの音)

スピリチュアル・インド雑貨のお店:シターラーマさんのご好意で連載させていただいております、このコラムの記念すべき第一回目で概略をお話しましたのが、「インド科学音楽(Shastriya-Sangit)では、楽器の音も人間の声(声楽)も、全ては『宇宙の波動:Nada』を受信したものである」という絶対的な基本についてでした。今回は、連載第一回目より一歩掘り下げたお話をしたいと思います。
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今日でも、インドの音楽院などで「インド音楽の楽理や歴史」を学ぶと、必ずこの話「楽器の音も人間の声(声楽)も、全ては『宇宙の波動:Nada』を受信したものである」が最初に登場します。
しかし「口先だけの空論」と言っては叱られますが、実際のところ、数千年の間に、インド古典音楽は「科学音楽」から「芸術音楽」に徐々に変貌し、後者に於いて「人間に聴かせる」という観念が台頭するに従って、「音楽=宇宙との対話」という観念が廃れて行きました。従って、音楽院などでのレクチャーは「お決まり・通過儀礼的・有名無実な話」と言わざるを得ないところもあります。
しかし、「鑑賞芸術音楽としてのインド古典音楽」ならばいざ知らず。「音楽療法」の場合、この基本から見直さない限りは、やはり「本末転倒・仏作って魂入れず・実も蓋も無い」ものになってしまいます。何故ならば、「宇宙との対話」の中で得た叡智は、「聴衆との対話」の中では、殆ど活用されない。それどころか、むしろ「邪魔な知識」になるからです。
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古今東西で、心ある音楽家にとって、「自分の信じる音楽・目指す音楽」と「聴衆の評価(好反応・盛り上がり・素人ものさしの批評)」は、得てして「諸刃の剣」で、前者を優先すると(最高レベルの音楽家のことですから、単なる「独りよがり」のレベルではないことは言う迄もありません)聴衆が引く・ノラない・冷める・しらける。後者を優先すると「その場の満足や楽しさ」は、聴衆のみならず音楽家自身も得るでしょうけれど、何処かに「後ろめたい・罪悪感や自己嫌悪」のようなものが拭い去れないものです。ある種「芸術家の永遠のテーマ」とも言えます。
これを「心ある音楽家」と述べたのは、昔(戦中=即ちインドの場合王国時代生まれ)の音楽家の場合、「後者に偏った演奏=大衆迎合=恥ずかしい、みっともない、下品、せこい」という「プロの目(評価)」があったからです。それをせず慎むのが「心ある音楽家」であり、「伝統、流儀、品格、重み、そして『音楽の在るべき姿』を守ることを優先している姿です。そうでない音楽家は「利己的・自分の俗的名声を欲し、守るべきものを遺棄する姿」であり、大いに軽蔑されたものです。
しかし、彼のインドでさえも、1980年代辺りから急速に変貌し始めました。そして、今日では、世界中でおそらく誰もがそう思って疑わない(かも知れない)「音楽って楽しむためや癒されるためのものでしょ?」という価値観が定着しつつあります。よって、最早今日、前述した「後ろめたい・罪悪感や自己嫌悪」などの感覚を「全く抱かない」音楽家ばかりかも知れません。
もしかしたら世界で「そうじゃないんだ!」と説いているのは、このシーターラーマさんでの私のコラムだけかも知れません。
(『西洋クラッシック音楽は違うだろう!』と思いたいところですが、有名なショパン・コンクールなどでも、日本人が上位入賞する頃から、「表面的な技巧が優先されるように変貌して来た」と嘆く人(海外に多い)も居ます。)
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しかし、「アーユルヴェーダ音楽療法」に於ける音楽は、そのような「楽しみ・癒し」の音楽では決してないのです。そう言い切ることが出来る根拠は、「体のアーユルヴェーダ」の「薬学」に於いて明言されていることが「心のアーユルヴェーダ(Mantra/Yantra/Shastriya-Sangit)」に於いて「無関係」の筈がないからです。(むしろ「全く同じだ」と言いたいですが、日本でも増えつつあるアーユルヴェーダ関係者でそう言っている人は皆無のようにも思えます。)
「体のアーユルヴェーダの薬学」に於いては、「薬(生薬)」の「味と効能」は、「通常意識=Ahamkaraの味覚(舌先で感じる味)」と「体(臓器や細胞)が感じる味」は「全く別物である」という基本があります。それはアーユルヴェーダ以外の東洋医学でも、アジア・アフリカ・アメリカ大陸(先住民族)の民間療法でもある程度は共通して言われています。(アーユルヴェーダ程論理的な体系を構築していませんが)
例えば、「夏野菜」の多くは、暖めようが、油で揚げようが「体を冷やす効果」があるような話しです。もちろん、実際に冷たいもの(カキ氷など)を食べれば、「口先~食道~胃」を通る間に一時、体は冷やされます。しかし「アーユルヴェーダ薬学」などで説いているのは、その成分が「消化吸収・代謝」された際に「どう効果するか?」というテーマです。これは「暖める・冷やす」のみならず「pHの上げ下げ」「対峙する二系列の自律神経系への作用」などもあります。
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本題の、「インド科学音楽(Shastriya-Sangit)では、楽器の音も人間の声(声楽)も、全ては『宇宙の波動:Nada』を受信したものである」という絶対的な基本には、実は、しっかりと論理的に考え理解すべき二つの大きな課題があります。
ひとつは「宇宙の波動」は、それこそ「無限」とも言えるだろう程の種類、バリエーションがあり、それには「有害なもの・無害なもの・有益なもの・無益なもの」などが混在している、ということです。それは、宇宙のほんの一惑星に過ぎない地球上にさえ、膨大な種類の生き物が生息していることと同様の神秘的なテーマの「宇宙サイズ」の話です。
そして、この「有害なもの・無害なもの・有益なもの・無益なもの」は、「受信者の日々の体調変化によっても作用・結果が異なる」ということがあります。従って、「Ahata-Nada(宇宙の波動:Anahat-Nadaを受信して、楽器や肉声から発せられる音。動物や鳥は自然に最善のそれが出来るらしい)」の達人でさえも、日々、瞬間に異なる「宇宙の波動」や「その乱れ」の中で、「最善のものを最適に」受信し変換することは極めて困難な技である、というテーマです。
もうひとつの課題は、この「宇宙の波動Nada」がヨガと瞑想でも語られていることとの照合です。ヨガと瞑想では、「宇宙の波動」は「Purana(気)」と呼ばれますが、本来は「Nada」であったことは、「体の中の経絡をNadi(Nadaの通り道)」と呼んでいることでも明らかです。「波動・気」を取り込むことの関連とも言えなくない「呼吸法(Puranayama)」との混同や説明の便宜上、何時しか「プラーナ」の呼称が一般化し、またその取り込みも(分かり易い)「呼吸」に限定される方向に至ったのでしょう。
同時に、「宇宙の波動の享受」も、「チャクラを通し第七チャクラで宇宙と連結する」という「個々の人間本意」のイメージに偏り、宇宙から常にあらゆるものに降り注ぐ「波動」を「如何にして受け止めるか?」というテーマが希薄になっています。
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実は、この二つの問題は同源同義でありながら、互いにそれぞれの理解を阻害している面もあります。前者(科学音楽に於ける宇宙波動の享受)の問題点は、「何故直接受け止められないのか?」という点であり、後者(ヨガ・瞑想に於ける宇宙波動の享受)の問題点は、「何故チャクラを開かないと繋がらないのか?」という点です。
後者を言い換えれば、「人間は普通にしていても、正しく波動を受け止めることが出来ない」ということであり、そもそも「波動は人間のどの器官(Indria)で享受するのか?」ということが謎のままなのです。
それは単純に第七チャクラではないことは明らかです、「七つのチャクラ全てが開き・滞りなく通じること」が不可欠だからです。つまり「稲妻」のようなもので、「七つのチャクラが開き、全てのナーディが滞りなく通じている」ことの他に、第一チャクラで地面の電極に接していなければ通電しない、かのような話です。
チャクラを整えることで体中のNadiとチャクラが立派な受信器官となるのですが、ヨガや瞑想は、そのテーマやその先のテーマをほとんど説かず「意識を宇宙と繋ぎ・宇宙に飛ばす」というような「現世からの逃避」的なテーマに大きく偏っています。(ヴェトナム反戦運動時代から定着した感があります)。これは極めて深刻な問題で、私の心の師(間接的には孫弟子とも言えますが)ヴィヴェカナンダ師が言い続けながらも、側近や共鳴者さえも充分に理解していない(理解しているからこそ歪曲した人も含め)テーマでもあるのです。
私が特筆したいヴィヴェカナンダ師の言葉は「論理は信仰の敵ではない。むしろ最大の味方である」というものです。これは私が何度となく図解(Yantra)で説いています「精神世界の構造」と「樹木に喩えた精神性」と同じテーマです。「論理的であること」は「理屈っぽい」でも「理性的」でも「理論的」でさえも全くなく、「樹木の幹~根っこの視座で物事の全体像を俯瞰し、より深く理解すること」に他なりません。それによって精神的に「地に足が着く」「大地に根を張る」ということが可能になるのです。
「地に足が着く」「大地に根を張る」という言葉を臆せず語る人は少なくありませんが、「枝葉感覚・価値観」と決別していたり、決別せずとも制御出来る論理的思考力を持った上でおっしゃっている方に、残念ながらまだ出会えていません。(意外にTVによく出ている老(という程でもないが)若男女で三名ほど、「あっ!この人は素質あるかも!」という人が居ますが。)
「論理的思考力の構築によって地に足が着く・大地に根を張る」ことに、ヨガによる「体のゆがみの修正と呼吸法の改善」が加われば、私たちの体は、まるで「避雷針」のように、「天と地(BrahmaとPritvi)」が通電した中に置かれ、立派な受信機となる訳です。
この段階に至れば、「波動を受け止める人間の器官は何処か?」は、最早愚問に至ります。宇宙(天)から降り注いだ波動が私たちの頭頂部の第七チャクラから下方へ進み、第一チャクラから地に至るであろうと、逆であろうと。
そもそも私たちの体から大地(地球)に抜けた(通じた)後、それは地球を貫通して行くのでしょうから。
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しかし、それでも尚、「無限の種類の波動をどう選択するのか?」という課題と、前述した「避雷針のようなチャクラ・ナーディ受信機」で体(無論心・精神もですが)を貫通させただけで、「心と体」にどんな効果効能があるのか?という課題が未解決です。
そこで「同じNada」を科学音楽(Shastriya-Sangit)がどう解釈し説いているか?が重要な鍵となるのです。詳しくは、このテーマの第三弾(一二年後?)になりますが、搔い摘んで述べますれば。
科学音楽にのみ存在する論理性(古典音楽にも片鱗はありますが、論理的には理解されていないことがほとんどです)によって、「波動を選択する」ことと、「論理的思考のフィルターによって心と体の必要部位に届けられる」ということによってのみ、前述の「未解決の課題」が理解(納得)されるのです。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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