156、アーユルヴェーダ音楽療法入門18(そもそも精神世界とは?-その5-)

「Kosha論」の解釈に於ける注意点

実際この「Kosha論」の基本は、ウパニシャドの中でも比較的古い(信憑性の高い)もので説かれていると言います。しかし、その後、一旦大きく廃れ、近代になって復興サンキャー学派などが脚色を加えて説いた結果、インド全体では基本的な価値には至っていないかも知れません。と言うよりも、そもそも数十年前までは、流石のインドには「心と感情を混同する」ような人は少なかったのでしょう。「Kosha論」は、言わば「当たり前のこと」として価値を見出さなかったのかも知れません。

尤も、その時代でも、それ以前でも、今日でも。「Kosha論」を知って「へー」とか「なるほど」で終わってしまうならば、価値も意味も見出せません。そこで説かれていることの意味と、現代人がどれほどズレているか? その理由は何なのか? を論理的に思考せねば、何の意味もないのです。
しかし実際は、残念なことに「へー」で終わる。「だから?」の域を超えない解説が、ヨガ関係やアーユルヴェーダ関係に少なくありません。(そもそも「Kosha論」を語るもの自体が極めて希ですが)
それは説いている人自身が「へー」の域を超えて、この「Kosha論」を理解していないからであろうと思わざるを得ません。
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「Kosha論」では、最も外側から「Annamaya-Kosha (食物鞘=肉体)」「Pranamaya-Kosha (生気鞘=気・活力・経絡など)」「Manomaya-Kosha (意思鞘)」「Vijnanamaya-Kosha (理知鞘)」「Anandamaya-Kosha (歓喜鞘)」の順に説かれます。「鞘(Kosha)」という観念で説いているのですから、それらはまるでロシヤ民芸の「マトリューシカ」のようなもので、明らかに「外側と内側」を分別しています。そして、それが私が説明している「精神構造図」と全く同じなのです。

「Manomaya-Kosha (意思鞘)」「Vijnanamaya-Kosha (理知鞘)」「Anandamaya-Kosha (歓喜鞘)」の三層は、私の図解の「気分感情領域(Heart)」「論理思考領域(Mind)」「心と魂の領域(Spirit/Soul)」と全く一致します。しかも「論理思考領域」を「理知鞘=理知層(領域)」としており、「意思=常人が常時自覚出来る意識(Ahamkara)=気分・感情と、それらが思考する領域」と区別しており、後者が外側にあり、前者が「心・魂」に近いところにある、と説明している点も全く同じです。
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違いは、「身体領域(精神領域と区別して)」を外側に二層説き、その二層目「Pranamaya-Kosha (生気鞘=気・活力・経絡など)」が「精神領域」と重なる部分もある点。最も内側のAnandamaya-Kosha (歓喜鞘)」で「心と魂」を区別していない点位です。
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この相違には、全て意味・理由があります。
相違点の前者は、「ヴェーダ科学」の「ひとつの大きな欠点」でもある「肉体論と精神論の混同」に原因があります。これだけで「分厚い論文」が書けてしまうテーマですが、搔い摘んで言うと。

「ヴェーダ科学の真髄」に於いては、「肉体論と精神論は、表裏一体であり同源同義」が結論なのです。ところが、インドの叡智に常に付きまとう性質ですが、「論理的には同源同義だが緒論に於いてはしばしば分別すべきである」という「矛盾」が理解出来ないとアウトなのです。

これは、何度もご説明している「樹木」の有様と同じです。「枝葉はそれぞれで別物」ですが「同じ一本の幹に繋がっている」という姿そのものの話です。「枝葉論」では「違い」がメインになり、「幹論」では、「同源同義」がメインになります。しかし互いに異なる次元の論理から切り離されることもアウトです。

ヨガ・アーユルヴェーダ関係者さんでもこれを分かっている人は殆ど居ないようで。「インドでは肉体と精神は同じ物質」などと仰っていたりも多く見かけます。「遠からずとも当たらず」です。

相違点の後者は、おそらくタイッティリア・ウパニシャドの段階で既に「梵我一如」の観念が在って「心=魂(更に=Pursha:宇宙原理)」である、と説いてしまっているからであると共に、「個々の人間の個人所有物である心」は、その外側の)「Vijnanamaya-Kosha (理知鞘)」に含まれるか、もしくは「論理思考と同一」であると説いているからです。それはそれで凄いことで、例えば、以下のような例題で考えてみて下さい。
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ファミレス・メニューの場合:
Manomaya-Kosha (意思鞘)の選択 → その時々の気分と直感で「食べたいもの」を選ぶ。
Vijnanamaya-Kosha (理知鞘)の選択→ その時の体調や前後の栄養バランスを考えて選ぶ。
Anandamaya-Kosha (歓喜鞘)の選択 →滅多な事では関与しないが、強いて言えば同上。

というのが「Kosha論」の時代の「人間の自然な姿」だったということです。

ところが現実は、
気分・感情の選択  → その時々の気分と直感で「食べたいもの」を選ぶ。
時間・金額や写真での印象や、同伴者の動向に左右される。[
思考領域 → 体調や前後の食事のことを加味して考える。
の二種でしばし「悩む」

捨て子猫と遭遇した場合:
気分・感情の選択  → 直感的に「可愛らしい」「可哀想」などを感じるのみ。
気分・感情思考の選択  → 「どうしよう」と循環思考するが、答えは既に出ている。
(人によって保護する場合もしない場合もそれぞれ)

これが「本来の人間」の場合、
論理思考の選択  → 「言い訳・屁理屈」は遺棄し、「すべきこと」を行動する。
ここに「可愛い・可哀想・放って置けない」の感情は不要

もし「心・魂」が選択に意見を述べられるのであれば
心の選択    → 「放って置けない」それしかない。
魂の選択    → 「放って置けない」それしかない。
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「捨て子猫」の場合、もっぱら「気分感情領域の循環思考」の人では、
「職場への道中だ。遅刻は出来ない→どうせアパートはペット不可→そもそも私は猫毛アレルギー→もっと良い人が拾ってくれるだろう→そうだ!ここで私が保護したら、そのチャンスをこの子から奪うことになる→「頑張ってね!きっと良い人が助けてくれるから」と声を掛ける(単に見捨てた訳じゃない)」のようなことを「猛スピード」で思考する能力に長けているようです。

「論理的思考領域」での答えでは、「ペット不可」「アレルギー」「もっと良い人」などは、「保護しない理由」には全くなりません。とにかく保護し、安全を確保し、健康に戻した後に幾らでも解決策があるからです。故に「答えは既に出ている」とした訳です。

最近では「鳴き声に気づいても『気のせいだろう』と判断する能力」さえ身につけている人も増えた気がします。いずれ「本当に聞こえない」人も増えることでしょう。
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「論理思考領域での思考」は、「論理的」であるが故に、その「思考構造」は、極めてシンプルで、「枝葉状=系図的」になっていますから、「思い通りに行かない場合」「分岐点」に戻って「別の選択」を試みることが出来ます。「思考」している間に、「気分・感情」が「焦ったり、悩んだり」は殆どありませんし、そもそもがシンプルですから「負荷」が少ないので、その分「判断と行動」に余裕が生まれます。

ところが「気分感情領域での思考」は、前述したように、「あれこれ色々考える」上に、「焦る・悩む」。そして、人によっては「どうするのが正しい?」「罪の呵責」なども加わって、実に「すっきり」しません。

事実の話ですが、昔の生徒さんで、循環思考であれこれ膨大に考えた挙句、逆に「或る種の無思考状態」に陥り、「動物の保護→行政の動物管理センターに相談しよう」に至ってしまった人が居ました。
直前で「殺処分」であり、それはトンデモ無い「本末転倒・矛盾の極み」であると、薄々感じながらも、循環から抜け出せずに子猫をセンターに持ち込んでしまい。しばらくして自分のしたことを理解して、それから20年近くも「心の重荷」にしていると、話してくれた人が居ます。

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これは「学童のいじめ問題」でも同じ構造が見られます。
「いじめを目撃した」は、「捨て子猫と遭遇した」と全く同じ現象。ところが「見て見ぬフリをした人も、罪の呵責で苦しんだんだ=被害者の一種=加害者ではない」という理屈まで思考する人も少なくありません。

同じく事実の話ですが、私が二十歳になった頃。突然小学校の同級生から電話があり。「あの時、君に対するクラス中の苛めに、『苛めたくない』と思いながらも後戻り出来ずに加担してしまった」と詫びられたことがあります。彼はそれから7~8年、ずっとそのことが「心の何処かで重荷になっていた」というのです。
「ご苦労な話だ」と言ったら無礼ですが。当の私は小学校時代、それに思い悩むこともなく。「ああ、そうかあれが苛めなのか」と理解したのは中学二年になった頃でしたから、正直「ご苦労さま」としか思いようがありませんでした。私は、小学校二三年に「役者の子・川原乞食」とクラス中から石を投げられるなどの苛めを受けていましたが、毎度その日の内に忘れたかのように、翌日はまた「給食目当て」でまた学校に喜んで行っていました。

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もし、「Kosha論(Taittiriya-Upanishad)」の時代に「捨て子猫」と遭遇したら?
その時代でも「他の動物に喰い殺される」と心配することは在り得たでしょう。

Manomaya-Kosha (意思鞘)の選択 → その時々の事情・状況・条件で悩むことはある。
Vijnanamaya-Kosha (理知鞘)の選択→ すべきことを即行動する
Anandamaya-Kosha (歓喜鞘)の選択 →滅多な事では関与しないが、強いて言えば答えは同上。

でしかない、と説いているのです。

つまり、「心が含まれているかも知れないVijnanamaya-Kosha(論理思考領域)」は、論理的であるが故に「個人差が無い」のです。もし「心は魂と同一」であるならば、尚更です。

つまり「個人=個性=個別の感性」は、最も外側の「Manomaya-Kosha」でしかなく、それが出した答え(選択)ばかりで生きている人間は、明らかに「下等」と考えられていた訳です。

そのような人が、自らの「閉塞感・不遇感・生き辛さ」などから「梵我一如」を望むなど、そもそも在り得ない、ということも言うまでもないことです。

逆に、「Vijnanamaya-Kosha」で選択した人は、その最中「あらん限りのManomaya-Koshaの思い」で、子猫を愛で、励まし、世話をするに違いありません。そこには、歴としたその人の「個性」が現れてしかるべきです。(例えば、人前では照れて「なんてことない」素振りでも、猫とふたりっきりだと目じりが下がりっぱなし、など)

つまり、私の「精神構造図」は、流石に「Kosha論(Taittiriya-Upanishad)」の時代の人間をデフォルトとして説いても非現実的過ぎますから、「梵我一如」の如何は別にして、「心の領域」を個人の所有(管轄)として説いている訳です。

このような話を説くと、
「なんだ!捨て子猫を保護することだけが正しいなんて、どうして決められるんだ!」という感覚から抜け出せない人に激怒されることが少なくありません。「そんなことは人それぞれの生き方、価値観、考え方であり、それは自由な筈だ!」ともおっしゃります。

哀しいかな。全てはそのお言葉に見事に証言されています。

おっしゃる通りに、「気分感情領域・樹木の枝葉領域」は、「外因(枝葉にとっての雨風陽射しや害虫、他の枝葉との衝突)によって影響を強く受け・ひたすら反応する」のが「当然(自然・正しい)」に決まっています。ゆえに「枝葉は自由に揺れ・折れないように良くしなる」べきなのです。
故に、
おっしゃる通りに「人それぞれで自由」なのです。

しかし、「それが全て(それで全て)」ということは、「太枝も幹も、根っこも無い(脆弱・希薄)」ということです。

従って、そのような人は、
Manomaya-Kosha (意思鞘)しか「自覚(意識・認識)出来ない」状態になっており、Vijnanamaya-Kosha (理知鞘)Anandamaya-Kosha (歓喜鞘)と「意識・認識」の通い合いが、「同じひとりの人間の内面であるにも拘らず、不能になっている」と言わざるを得ないのです。

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極めて重要な問題は、そのような「気分感情領域の思考」ばかりで「論理思考」を殆どしない人は、日々物凄い思考と悩み、焦り、ストレスを感じているのですから、大変なことです。故に「Detox」や「自然食」などに懸命になるのでしょうが、「精神構造を元来の状態(健康)戻す」だけで、人間がどれほど健康になれるか。

私事(恐縮ながら)、
「ファミレスの食事など体に悪い」とおっしゃる人も少なくないかも知れませんが、(そもそも経済的理由で、自転車で五分のところにありながらこの七年年に一回も行けませんが)
40年前の二年間「Vegan」で、その後今日まで「Pescetarian」なので、ファミレス・メニューで選ぶもなにも、一種類位しかありません。思考も同様で、40年前までは、物凄く頭が疲れました。その後も論理を学び・習得修行をする前と後では、頭の疲れ度合い、疲れの質が全く異なります。今でも、手作業の種類によっては、例えば「掃き掃除中」の論理思考は疲れますが、「拭き掃除中」は、相乗効果が上がる、など脳機能に適した同時進行をせねばなりませんが。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

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Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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