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インド音楽

157、アーユルヴェーダ音楽療法入門19(そもそも精神世界とは?-その6-)

ここまで、5回に渡って「そもそも精神世界とは?」について述べさせて頂きました。

(その1)では、「魂」という言葉の誤用は、権力者の恣意の可能性があり、「心」という言葉の誤用は、庶民の「大げさ、美意識」が原因と述べました。

(その2)では、同じようなことが西洋でも行われていること。しばしば「歌の世界」では、日本に於ける「心の美化的誤用」のように、「詩的を言い訳にした美化」があり、レコード会社の「売らんかな」も加味されている話。一方スペイン語の「Corazón」の場合、むしろ「多様な意味」を意図的に持たせた様子があり、これは「誤用」とは意味が異なるなどと述べました。

(その3)では、昔のお医者の「カルテのドイツ語」、未だにクラッシック音楽の世界で行われている「多国語の混用」。それらに見られる日本人の日本語と英語に対するコンプレックス。「現地専門用語」を用い続けることの「謙虚さ・憧れ」と「ひけらかす自尊心」のせめぎ合いについて述べました。

(その4)では、「精神世界(領域)」の語彙は、(その1)~(その3)の元凶に加えて、そもそも「感情、思考、想い、心、魂」が世界の何処でも「論理的な概念・定義が為されていないこと」。しかし、私がこの連載で何度も説明しているように、その構造は確かに定義することが出来る。しかし、それを「ひとつの意見」として聞き流したい心理があるのだろう、と述べました。

(その5)では、私がクレイジーなほど多岐に渡る考察から得た「精神構造図」は、奇しくも古代インド・ヴェーダ科学ですでに説かれていた「Kosha論」とほぼ一致していたことを説明致しました。
しかし、その「Kosha論」にも、いくつかの問題があり、特に紀元前のインドと現代社会人の場合では、根本的な違いを「本来のあるべき姿」にも見出すべきだろうと述べました。

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これらすべてを総合すれば明らかなことですが、「古今東西で、心と感情や気持ちと想いなどは、どちらが深いところに在るかは、ほぼ同じようなことを言っているが、微妙に一階層ずれたりする。しかしそこには『そうしたい恣意』がある」「古代インドには、著者の『精神構造図』と全く同じことを言っている理論が存在した」という事実があるのです。
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これらのことをまとめると、おおよそ次のようになります。いずれも古今東西で共通しています。

1)精神構造は、「気分・感情(Heart)~論理思考(Mind)~心(Spirit)~魂(Soul)」の順に、
より「深い(奥)」領域に存在する。

2)「論理思考領域」を荒涼としたものにしてしまい、もっぱら「気分・感情領域」で
思考する人間は古代から存在した。しかし戦後急増し、日本の場合、1980年代以降
庶民の大半を占めるようになった。(※)遅れて1990年代、急速に世界中に広まった。
もしかしたら日本の「ゲーム・アニメ」の世界的流行・浸透と符号するのかも知れない。

3)古今東西で、「より深い領域」であるかのように「大げさ・美化」したがるものである。

4)「気分・感情(Heart)」を「美しく純粋」であると思いたい人間は極めて多い。
その結果「気分・感情(Heart)=心(Spirit)」としたがる傾向が強い。

5)殆どの思考が、「気分・感情(Heart)」にて「外因に反応して」生じるにも拘わらず、
「より深いところで考えたと思いたい」が為に「心=Mind」としたい人が極めて多い。

6)「魂(Soul)」は、「輪廻転生」を信じる場合、「神からの預かりもの(個人の所有物ではない)」
と言ってもさしつかえない筈だが、権力者(為政者)は、しばしばこれを「民族(社会/集団)」の共有物
と偽り、民衆を扇動する。民衆の側にも「群生本能的な共感」で安心しようという意識がある。

7)権力者の恣意と同様に、プロ歌手・レコード会社・出版社は「売らんかな」で、「精神世界語彙」
を好き勝手に解釈し民衆に迎合しつつ扇動し、より混乱を深める。

8)これらの結果、世界中で殆どの人々が、
「気分・感情(Heart)~論理思考(Mind)~心(Spirit)~魂(Soul)」を好き勝手に解釈し誤用している。

9)近年では「気分感情思考」を「感じた」と表現し、臆さないどころか誇らしげに言う人も急増。

10)そのような「感覚(認識・価値観)」の仲間同士で共感・連体し、反する感覚を排除したがる。

11)「ものごとを深く考えない」結果、「論理的思考力」は深刻なダメージを受け衰退する。
代わりに「気分感情領域での循環思考」が活性化し、常に「頭は混乱」寸前となり、
自らで過度のストレスを作り出すこととなる。

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私が、このようなことを「嫌われる」ことを覚悟で述べ続けているのは。
ひとつの「目先の問題」として、このような「精神構造」では、「音楽療法」が「暖簾に手押し」であり、「利くものも利かない」からです。

しかしそれとは別に、極めて重要なテーマは、「ヴェーダの科学」「神々の力」は、確かに存在するにも拘わらず、このような「精神構造・思考回路」では、それに辿り着けないと思うからであり、これほどもったいなく哀しいことがない、と思うからです。
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斯く言う私とて、17年前保護猫の世話をするようになった当時。論理を真剣に学ぼうとしていなかった頃。愛猫の持病の一進一退に一喜一憂し、「病気と闘ういたいけな猫」の頭上で、獣医さんと戦っていました。「あっ!解熱剤はまだ待って下さい!」「えっ!どうして利き始めたかも知れないのに抗生剤を替えるんですか!」「今の薬は何ですか?!」などなどと。

一二年後、その過ちに気づき。「お医者が何をするか」に関しては、ひたすら「神頼み」となり。自分に出来るフォロー(抗生剤やステロイド剤のリスクを軽減する生薬や食事、環境を改善する務め)に邁進しました。その頃には「病魔が敵なのに、投薬との闘いになっていた子」に「心が通じる」ようになりました。(病魔優勢の頃は難しい時も少なくありませんが)
或る意味猫たちは、私の「最大最強の論理の師匠」とも言えます。
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そして、「命と向き合い」「気分感情(と心の共同体)で最大限の励ましを送り」つつ。「やるべきこと」は論理的に、ブレずに粛々と遂行して行くと。年々、「神々の領域」の存在が大きく・深く感じられるようになってゆくのです。

まさに私の心の師 二人の偉人の言葉通りに。

「論理は信心の敵ではない。むしろ最大の味方である」 Swami Vivekananda

「貴方がその闘いを続けるべきなのは、
貴方が世界を変える為ではありません」
「貴方が世界に変えられない為です」 Mahaatma Gandhi

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Vol.152の図で、様々な言葉の検証を示しました。それには書きませんでしたが、一般に深く浸透している語法に「自分の気持ちに正直に」と「自分の気持ちを裏切れない」というのがあります。
これは明らかに誤用です。しかし、無下に否定出来ない想いもあります。

例えば、猫保護の話ですが、
(※)猫に興味が無い人や、むしろ嫌い・苦手という人は、「原発問題」「憲法問題」にでも置き換えて読んで下さい。尤も、「論理的思考領域」が失われつつある場合「置き換えて考える」ということが苦痛かも知れません。その場合はやむを得ませんが。

かつては「強烈な愛猫家」で、保護活動もしていた人が、或る出来事をきっかけに「間逆」の人格・考え方に変貌してしまいました。

その人の「或る出来事」というのが、立て続けて「酷い里親に渡してしまった」ということでした。詳しい事情はともかく、それによってその人は「子猫を殺してしまった罪の呵責」を重く感じました。

しかし、人間(の気分感情領域の循環思考)は「苦痛からの逃避」の為に、様々なことを凄まじく思考し、「活路(逃げ道)を探し出さん」とするものです。

その人は、ほどなく「愛猫家」の殆どを嫌い、否定するようになりました。「自分が癒されたいだけ」「保護猫を引き取って良い人間だと思いたいだけ」と。そして「猫保護活動」さえも嫌い・否定し、私にもずいぶん誹謗中傷を述べるようになりました。かつては「若林さんのような考え方ややり方の人は見たことも聞いたこともない。素晴らしい」と言っていたのに、間逆の評価です。

更に「公園などで餌付けをしている人」を止めさせるために区役所にクレーム電話をしたり、と酷く執拗に「逆の行動」をするようになったのです。まるで「禁煙した途端に、物凄い嫌煙家になる」「ダイエットに成功した途端、太っている人を蔑視する」人々と同じように。

もうお分かりと思いますが、その人は「心(※)に深い傷を負い」その「原因の追究(犯人探し)」と「子猫の敵討ち」が混同・融合してしまったのです。

しかし、「余りに強烈な自戒・自責の念」が、むしろ最もその人を苦しめている正体であり、それを「内心(※)では分かっている」かのように、「別な犯人」を必死に探さずには居れない状態に至っていたのです。

そうなってしまった後のその人の口癖は、「自分の気持ちを裏切れない」「自分の気持ちに正直であり続けたい」でした。

果たして、その人の場合、その人が言う「気持ち」とは、何処の領域のことなのでしょうか? いみじくも「心」とは言わなかった。

上記の(※)では、敢えて「一般に普通に用いられている語法で書きましたが、実はいずれも「確かに『心』の領域」に他なりません。

その人は「確かに『心』に深い傷を負った」ですが、その「傷」の本質は、「心の何処か(内心/というより心そのもの)では、気分感情領域が暴走した自虐からの逃避願望が、最も大きな苦しみの元凶であることを分かっている」なのです。

従って、「自分の気持ちを裏切れない」は、正しくは「自分の気分感情を裏切れない=気分感情の支配から逃れられない=気分感情を制御出来ない」であり、「自分の気持ちに正直であり続けたい」は、「気分感情を制御出来ず支配されている自分を許したい=何故ならば悪いのはあの里親であり、身勝手で自分本位な自称愛猫家たちなのだから」が、正直なところなのでしょう。

しかし、本当の「心」は、どう想い、どう感じているのでしょうか? 本当に「心を裏切ること」になるのか? それともむしろ変貌こそが「心を裏切っている」のか。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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