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雑記帳

太陽の愛

凛とした空気の中に、透き通るような自然の美しさを見る季節になりました。
しかし、心身は太陽の温かな光を欲してなりません。
そんな時、インドでは、太陽を崇めるマカラ・サンクラーンティが祝福されます。

日本の冬至にあたるマカラ・サンクラーンティでは、私たちに限りのない恵みを与える太陽がスーリヤ神として崇められます。
ヒンドゥー教においては、至要たる存在として崇められてきたスーリヤ神。
そんなスーリヤ神の妻となったのが、創造神であるヴィシュヴァカルマンの娘、サンジュニャーでした。

サンジュニャーは、万物を育むスーリヤ神を深く愛する誠実な妻となります。
しかし、スーリヤ神の放つ熱に耐えられなくなると、自らの影を残してスーリヤ神のもとを去ってしまいます。
その後、サンジュニャーは雌馬の姿となって、この地を彷徨ったという神話が伝わります。

そんなサンジュニャーの姿は、この地で生きる私たちの姿を映し出していると教えられたことがありました。
太陽という最高の光から遠ざかり、この地を彷徨ったサンジュニャーは、まるで、神から遠ざかり、この物質世界で欲望に駆られている私たちのようです。

変化を求め欲望に突き動かされる私たちにとって、神という不変の真実を見ることは、時に耐えられないほどの苦痛を伴います。
そうして私たちは、真実から遠ざかり、光を失い、無知という暗闇の中でもがき続けなければなりません。
事実、スーリヤ神のもとを去ったサンジュニャーには、多くの苦難が待ち受けていました。

しかし、後にスーリヤ神はサンジュニャーを見つけ出すと、彼女を連れ戻し、再び夫婦となります。
太陽が万物を照らし、限りのない恵みを注ぎ続けるように、神の恩寵は常に私たちを取り巻いています。
私たちの霊性修行とは、その光の中で生き続けることができるかということを意味しているのかもしれません。
そうして真実を理解する時、私たちは不変の幸福の中で生きることができるはずです。
冬から春へ、闇から光へと変わるマカラ・サンクラーンティにおいて、太陽の光をしっかりと見つめたいと感じます。

(文章:ひるま)

※スーリヤ神とサンジュニャーにまつわる神話は、聖典によってさまざまに異なります。

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