神の国があるところ

聖と俗が入り混じる広大なインドの地では、生きるという人間の一途な姿が、むき出しに迫ってくることがあります。
思わず目をつぶりたくなるその瞬間には、今でも学ぶことが尽きません。
しかし、さまざまな思想が多様に混在する社会が、調和と均衡のもとで、目をしっかりと開くことの意味を教えてくれました。

主となるヒンドゥー教徒だけでなく、イスラム教徒やキリスト教徒も多いインドでは、それぞれの宗教に基づいた祝日が定められています。
クリスマスも、その一つです。
そうして異なる思想が生きる社会は、より明確に、その中心を見せてくれるようでした。
そんな中で、聖書には次のような言葉があります。

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねた時、イエスが答えた言葉です。

「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ルカによる福音書 第17章20-21節)

さまざまな解釈がなされるイエスのこの言葉は、インドの地が伝えてきた霊性を育む数々の教えに重なるものでした。
それは、今にいること、気づくこと、委ねること、受け入れること、手放すこと。
まさに、幸せに生きる実践そのものです。

苦しみに満ちる日々において、私たちは救いを求めます。
幸せはどこにあるのか。苦しみはいつ終わるのか。
しかし、そう思い続ける限り、苦しみは終わらず、幸せを手にすることはできないということを、混沌としたインドの地でただ生きようとする人々の姿が教えてくれました。

見える形に幸せを求めがちな私たちは、大切なものを見失いがちです。
この大きな世界に育まれながら、一つひとつの呼吸が生まれること。
見えないその瞬間の力に気づくことは、何よりも大きな幸せであるということを学びました。

私たちを取り巻くその恩寵に気づく時、神の国の中で生きることができるに違いありません。
宗教を超え、神とともに生きる人々の姿が織り成すインドの地に、これからも学び続けたいと思います。

(文章:ひるま)