バガヴァッド・ギーター第3章第8節

नियतं कुरु कर्म त्वं
niyataṁ kuru karma tvaṁ
ニヤタン クル カルマ トヴァン
あなたは定められた行為を行え

niyatam【男性・単数・対格、過去受動分詞 ni√yam】(処格)に結ばれた;握りしめられた;阻止された、抑制された;確定された、確立された、固定した;不変な、一定した;〜に専心する
kuru【二人称・単数・パラスマイパダ・命令 √kṛ】[あなたは]作れ、為せ、行え
karma【中性・単数・対格、karman】[〜に、〜を]行為、作業;作用、職業;儀式;結果;運命(前世に行った行為の結果)、業
tvam【単数・主格、二人称代名詞 tvad】あなたは
※定められた行為(義務的行為):最高神は、要素(グナ)を配分して、生類の本性を定めた。(上村勝彦注)
※別の「随意的・恣意的に行われる行為」kāmya-karmanに対する概念。(宇野惇注)

कर्म ज्यायो ह्यकर्मणः ।
karma jyāyo hyakarmaṇaḥ |
カルマ ジャーヨー ヒヤカルマナハ
なぜならば、行為は無為よりも優れているから

karma【中性・単数・主格、karman】[〜は、〜が]行為、作業;作用、職業;儀式;結果;運命(前世に行った行為の結果)、業
jyāyas【中性・単数・主格、比較級、jyāyas】より有力な、より強い;より優れた、より良い、より大きい;より老いた;より尊ぶべき、より顕著な
hi【不変化辞】なぜならば、〜のために;真に、確かに、実に
akarmaṇas【中性・単数・従格、akarman】[〜から、〜より]無為、無行為、非動作、無作;何もしないこと

शरीरयात्रापि च ते
śarīrayātrāpi ca te
シャリーラヤートラーピ チャ テー
あなたにとって、身体の維持さえ

śarīrayātrā【女性・単数・主格、śarīra-yātrā】[〜は、〜が]身体の維持、肉体の生存
api【不変化辞】さらに、また、同様に;されど、なお
ca【接続詞】そして、また、〜と
te【単数・属格、二人称代名詞 tvadの附帯形】[〜の、〜にとって]あなた

न प्रसिद्ध्येद् अकर्मणः ॥
na prasiddhyed akarmaṇaḥ ||
ナ プラシッディエード アカルマナハ
叶わないだろう、行為しないことによって

na【否定辞】〜でない
prasiddhyet【三人称・単数・パラスマイパダ・願望法 pra√sidh】[それは〜だろう、それは〜するべき]生ずる;成功する;成就する;結果になる、説明される
akarmaṇas【中性・単数・従格、akarman】[〜から、〜より]無為、無行為、非動作、無作;何もしないこと

नियतं कुरु कर्म त्वं कर्म ज्यायो ह्यकर्मणः ।
शरीरयात्रापि च ते न प्रसिद्ध्येदकर्मणः ॥ ८ ॥

niyataṁ kuru karma tvaṁ karma jyāyo hyakarmaṇaḥ |
śarīrayātrāpi ca te na prasiddhyedakarmaṇaḥ || 8 ||
あなたは為すべき行為を行いなさい。なぜなら、行為は無為よりも優れているから。
あなたが行為をしないならば、身体の維持さえ叶わないだろう。

バガヴァッド・ギーター第3章第7節

यस्त्विन्द्रियाणि मनसा
yastvindriyāṇi manasā
ヤストゥヴィンドリヤーニ マナサー
しかし、心によって、感官を

yas【男性・単数・主格、関係代名詞 yad】〜であるもの、〜である人
tu【接続詞】しかし、一方(虚辞としても使用)
indriyāṇi【中性・複数・対格、indriya】[〜に、〜を]神の力;支配;偉大な行為;活力;体力;精力;感官;感覚
manasā【中性・単数・具格、manas】[〜によって、〜をもって]心、内的器官、知性、理性、精神、良心、思考、意向、気分

नियम्यारभते ऽर्जुन ।
niyamyārabhate ‘rjuna |
ニヤミヤーラバテー ルジュナ
支配して、行う人、アルジュナよ

niyamya【絶対分詞 ni√yam】留めて;縛って;抑制して;引き締めて;阻止して、支配して、制御して;制限して
ārabhate【三人称・単数・アートマネーパダ・現在 ā√rabh】[彼は、それは]つかまえる、占有する;達する;〜に着手する;〜を企てる;〜を始める;行動する;形成する、作る、産出する、組み立てる
arjuna【男性・単数・呼格】アルジュナよ

कर्मेन्द्रियैः कर्मयोगम्
karmendriyaiḥ karmayogam
カルメーンドリヤイヒ カルマヨーガム
運動器官によって、行為のヨーガを

karmendriyais【男性・複数・具格、限定複合語 karma-indriya】[〜によって、〜をもって]活動器官、運動器官、行為の器官
karmayogam【男性・単数・対格、限定複合語 karma-yoga】[〜に、〜を]行為のヨーガ、行為の道、行道;動作、活動;聖業の実践

असक्तः स विशिष्यते ॥
asaktaḥ sa viśiṣyate ||
アサクタハ サ ヴィシッシャテー
執着のない彼は、より優れている

asaktas【男性・単数・主格、過去受動分詞 a√sañj】世俗を超越した;(処格)にとらわれない;束縛のない;執着のない
sas【男性・単数・主格、指示代名詞 tad】[〜は、〜が]これ、あれ、彼
viśiṣyate【三人称・単数・現在・受動活用 vi√śiṣ】[彼は、それは]大いに尊重される;より優れている

यस्त्विन्द्रियाणि मनसा नियम्यारभतेऽर्जुन ।
कर्मेन्द्रियैः कर्मयोगमसक्तः स विशिष्यते ॥ ७॥

yastvindriyāṇi manasā niyamyārabhate’rjuna |
karmendriyaiḥ karmayogamasaktaḥ sa viśiṣyate || 7 ||
しかし、アルジュナよ、心によって感官を支配し、執着なく、
運動器官によって、行為のヨーガを行う人は、より優れている。

バガヴァッド・ギーター第3章第6節

कर्मेन्द्रियाणि संयम्य
karmendriyāṇi saṁyamya
カルメーンドリヤーニ サンミャンミャ
運動器官を抑制しても

karmendriyāṇi【中性・複数・対格、限定複合語 karma-indriya】[〜に、〜を]活動器官、運動器官、行為の器官
saṁyamya【絶対分詞 sam√yam】保持して、ひきしめて;抑止して;縛って、束縛して;抑圧して、抑制して;制止して、制御して

य आस्ते मनसा स्मरन् ।
ya āste manasā smaran |
ヤ アーステー マナサー スマラン
心によって、想起しながら坐す

yas【男性・単数・主格、関係代名詞 yad】〜であるもの、〜である人
āste【三人称・単数・アートマネーパダ・現在 √ās】[彼は、それは]坐す、座る;住む、止まる;住居を構える;休む、留まる、横たわる
manasā【中性・単数・具格、manas】[〜によって、〜をもって]心、内的器官、知性、理性、精神、良心、思考、意向、気分
smaran【男性・単数・主格、現在分詞 √smṛ】記憶している、想起している、憶念している、思い出している

इन्द्रियार्थान् विमूढात्मा
indriyārthān vimūḍhātmā
インドリヤールターン ヴィムーダートマー
感官の対象を、愚かな人は

indriyārthān【男性・複数・対格、限定複合語 indriya-artha】[〜に、〜を]感覚の対象、感覚を刺激するもの
vimūḍha【過去受動分詞 vi√muh】〜に関して途方に暮れた、当惑した、不確実な;愚かな
ātmā【男性・単数・主格、ātman】[〜は、〜が]気息;霊魂;生命、自身;本質、本性;特色;身体;知性、悟性;我、最高我

मिथ्याचारः स उच्यते ॥
mithyācāraḥ sa ucyate ||
ミッティヤーチャーラハ サ ウッチャテー
彼は、偽善者と言われる

mithyācāras【男性・単数・主格、mithyā-ācāra】[〜は、〜が]偽善的行為をする(人)、不正な行為をする(人)
sas【男性・単数・主格、指示代名詞 tad】[〜は、〜が]これ、あれ、彼
ucyate【三人称・単数・現在・受動活用 √vac】[彼は、それは]言われる、話される

कर्मेन्द्रियाणि संयम्य य आस्ते मनसा स्मरन् ।
इन्द्रियार्थान्विमूढात्मा मिथ्याचारः स उच्यते ॥ ६ ॥
karmendriyāṇi saṁyamya ya āste manasā smaran |
indriyārthānvimūḍhātmā mithyācāraḥ sa ucyate || 6 ||
運動器官を抑制しても、心によって、感官の対象を想起しながら坐す
愚かな人は、偽善者と言われる。

インド人とディワリ

 さまざまな民族や宗教が入り混じり、神様がたくさんいる国だけあって、インドではそのお祭りの数も半端ではありません。去る11月5日、ヒンドゥー教最大のお祭りとも言われるディワリが祝われました。これに合わせ、インドの友人からも多くのメッセージが届きました。やはり今年も凄かったようです。
 新年を祝うこのお祭りですが、さすがヒンドゥー教最大のお祭りともあって、その様子には凄まじいものがあります。大人だろうが子どもだろうが、皆あちこちで巨大な花火を打ち上げ、路上で爆竹を鳴らし合います。いつもは我が物顔であたりをうろついている牛たちも、この日ばかりは居場所がありません。ディワリの日に日本へ電話をかければ、電話口に聞こえる花火や爆竹音、人々の雄叫びから紛争が始まったのだと間違われたこともありました。でも実際、あたりはちょっとした紛争地のように様変わりします。初めてのディワリでは、巨大な花火がなんの警備もなく突然打ち上げられる中、爆竹とはしゃぐ子どもたちに追いかけられながら、アシュラムのプージャから必死の思いで帰ったのを覚えています。翌日の新聞には、手足を失ったり失明したりする人々のニュースがでるほどでした。
 インドの一年はお祭りに始まり、お祭りに終わります。そして皆お祭りが大好で、その祝いっぷりと言ったら右に出るものはいないでしょう。とにかく派手に街中を電飾で彩って、花火や爆竹を鳴らし、一晩中歌って踊ってご馳走をみなでシェアします。日常の生活を忘れ、ただがむしゃらに歌って踊る人々の姿は思わず微笑んでしまうほど。たまにはこうして、いえ、また!?というくらいのかなりの頻度で、我を忘れてはしゃげる時があるのもいいなぁなんて、恐れいていたお祭りも最近は楽しめるようになりました。そして欠かしてはならないのが、お祈りです。信仰心の厚いインドの人々だから、神様を崇拝することは最優先で、お祭りの日にはあちこちでプージャが行われ火が灯されます。ガンジス川に浮かぶろうそくの小さな灯りが、周りの喧騒とは対照的で、本当に美しいんです。そして、春の訪れ、夏の始まり、収穫といった自然の暦とも深く結についているお祭り。それぞれを祝う瞬間を通して、インドでは季節の移ろいをはっきりと感じます。
(文章:ひるま)

バガヴァッド・ギーター第3章第5節

न हि कश्चित् क्षणमपि
na hi kaścit kṣaṇamapi
ナ ヒ カシュチット クシャナマピ
実に、誰であっても、一瞬たりとも

na【否定辞】〜でない
hi【不変化辞】なぜならば、〜のために;真に、確かに、実に
kaścit【男性・単数・主格、不定代名詞、kim + cit】誰か、誰かある人
kṣaṇam【中性・単数・主格】瞬間;機会、暇
api【不変化辞】さらに、また、同様に;されど、なお

जातु तिष्ठत्यकर्मकृत् ।
jātu tiṣṭhatyakarmakṛt |
ジャートゥ ティシュタティヤカルマクリト
全く行為をしないでいることはない

jātu【副詞】全然、確かに;少なくとも、概して、おそらく;今まで、かつて
→na … jātu:決して〜せず、少なくとも〜せず
tiṣṭhati【三人称・単数・パラスマイパダ・現在、√sthā】[彼は、それは]立つ;静止する、停止する、とまる;流れが止まる;滞在する、とどまる;存在し続ける;〜のままである;し続ける
akarmakṛt【男性・単数・主格】無為の、行為をしない、行動しない

कार्यते ह्यवशः कर्म
kāryate hyavaśaḥ karma
カーリャテー ヒアヴァシャハ カルマ
なぜなら、否応なく行為をさせられるから

kāryate【三人称・単数・アートマネーパダ・現在・使役活用 √kṛ】[彼は、それは](対格)に(対格)を為させる・作らせる;準備させる;遂行させる
hi【不変化辞】なぜならば、〜のために;真に、確かに、実に
avaśas【男性・単数・主格、avaśa】(他人)の意志に従わない;独立の、自由な;欲しない;自分の自由意志を有しない、(他人)の嫌がることをする
karma【中性・単数・対格、karman】[〜に、〜を]行為、作業;作用、職業;儀式;結果;運命(前世に行った行為の結果)、業

सर्वः प्रकृतिजैर् गुणैः ॥
sarvaḥ prakṛtijair guṇaiḥ ||
サルヴァハ プラクリティジャイル グナイヒ
すべての人は、根本原質プラクリティから生じる要素グナによって

sarvas【男性・単数・主格、sarva】[〜は、〜が]すべての人、あらゆる人、各人
prakṛtijais【男性・複数・具格、prakṛti-ja】生来の;プラクリティ(根本原質)から生じる、原物質より生じる
※プラクリティ:サーンキヤ学派では、精神的原理としてプルシャ(純粋精神)を、物質的原理としてプラクリティ(根本原質)を立てる。プラクリティは三構成要素(グナ)よりなり、それから現象界が開展する。『ギーター』においては、クリシュナに属する高次のプラクリティ(サーンキヤ学派の「プルシャ」に対応)と低次のプラクリティ(根本原質)があるとされる。(上村勝彦注)
guṇais【男性・複数・具格、guṇa】[〜によって、〜をもって]紐、網;灯心、弓弦;種類;要素;性質;根本的元素(地・水・火・風・空)の属性;根本的(三)原素

न हि कश्चित् क्षणमपि जातु तिष्ठत्यकर्मकृत् ।
कार्यते ह्यवशः कर्म सर्वः प्रकृतिजैर्गुणैः ॥ ५ ॥

na hi kaścit kṣaṇamapi jātu tiṣṭhatyakarmakṛt |
kāryate hyavaśaḥ karma sarvaḥ prakṛtijairguṇaiḥ || 5 ||
実に、誰であっても、一瞬たりとも完全に行為をしないでいることはできない。
なぜなら、すべての人は、根本原質プラクリティから生じる要素グナによって、否応なく行為をさせられるから。

ガーヤトリーQ&A

ヴェーダについての啓蒙をすすめる「ヴェーダマンディール」より、ガーヤトリーのQ&Aについて、スワミ・ラーマスワルーパの回答を以下にご紹介します。

バルティ・グプタは、スワミ・ラーマスワルーパにガーヤトリー・マントラについての詳しい質問をしました。
(1) マーラー(数珠の意。マントラを108回唱えること)は奇数回でなければならないでしょうか?私は、以前に、1、3、5、7、9回などの奇数回行うように言われました。
そうだとすると、朝の8時前にガーヤトリー・ジャパを3マーラー(108×3回唱える)行い、それから、夜8時前に1マーラーを行うのは正しいと言えるでしょうか?つまり、1日に4マーラーを行うことになります。ご説明お願いいたします。
スワミ・ラーマスワルーパ:最高のマーラーは、すでに呼吸器系の神によって与えられています。ガーヤトリー・マントラを唱える最も良い方法は、プラーナーヤーマ(調息法)にるものです。それはまた、ガーヤトリー・アヌスターナ(行)と呼ばれます。しかし、プラーナーヤーマは、学識のあるアーチャリヤ(師)から直々に学ばなければいけません。サーマ・ヴェーダによると、朝と晩の1日2回の行で十分です。
(2) マーラーを行うのにもっとも効果的な吉兆の時間帯はいつになりますか? また、午後にガーヤトリー・マントラのマーラーを行って良いのであれば、何時から何時の間に行うのが良いか教えてください。
スワミ・ラーマスワルーパ:朝は午前5時頃、午後は午後5時〜10時頃の時間帯が適しています。
(3) ガーヤトリー・マントラを詠唱するとき、アガルバティ(お香)あるいはディーヴァ(油またはギー)を灯す必要はありますか?
スワミ・ラーマスワルーパ:アガルバティは使用しますが、それでもやはり、ヴェーダの永遠の哲学が必要です。ヴェーダでは、神聖なハヴァナやヤジュニャ(護摩供養)を行なうように述べています。
(4) ガーヤトリー・マントラを唱える前に沐浴する必要はありますか?
スワミ・ラーマスワルーパ:神は穢れとは無縁の純粋な存在なので、沐浴するのはとても良いことです。神は清浄を望みます。しかし、何らかの事情があれば、沐浴は必ずしも必要ではありません。
(5) 敷物の上に座り、足を組んで座る必要はありますか?
スワミ・ラーマスワルーパ:そうすると良いでしょう。瞑想をすると、私たちの体内に電流が走るので、熱を通しにくいアーサナをする必要があります。ヨーガ・アーサナ、シッダ・アーサナ(達人座)、スカ・アーサナ(安楽座)やパドマ・アーサナ(蓮華座)が良いでしょう。
(6) マントラを唱えた後は、毎回「オーム・シャーンティ・シャーンティ・シャーンティ」を唱える必要がありますか?例えば、3マーラーのジャパを行ったとき、3マーラーすべて終えた後に「オーム・シャーンティ・シャーンティ・シャーンティ」と唱えるべきなのか、それとも、1マーラー毎に「オーム・シャーンティ・シャーンティ・シャーンティ」と唱えるべきなのでしょうか。
スワミ・ラーマスワルーパ:オーム・シャーンティを唱える場合は、ヤジュル・ヴェーダによると、断片的であってはならず、一番最後に唱えなければなりません。アタルヴァ・ヴェーダでは、ヴェーダ・マントラの断片的な詠唱に警鐘を鳴らしています。
(7) 家事をしながら聞くのに適したガーヤトリーのCDやテープがあったら教えてください。
スワミ・ラーマスワルーパ:そのようなものは私は知りません。お店の人に聞いてみると良いでしょう。希望でしたら、ガーヤトリーのカセットを製作して差し上げますが、まずはお店に尋ねてみてください。
ジャイデーヴァ・シャルマ:ガーヤトリー・マントラをどのように瞑想したら良いでしょうか?詳しく教えていください。
スワミ・ラーマスワルーパ:ガーヤトリー・マントラとその意味は、ヴェーダ・マンディールのウェブサイトで知ることができます(http://vedmandir.com)。ガーヤトリー・マントラの瞑想には、二つの方法があります。
一つは、スカ・アーサナ(安楽座)、シッダ・アーサナ(達人座)、パドマ・アーサナ(蓮華座)などの適切なアーサナで座ります。そして、眉間にあるアージュニャー・チャクラに集中します。外界の対象に気を向けてはなりません。それから目を閉じ、意味を吟味しながらガーヤトリー・マントラを毎日唱えます。
2つ目は、アーサナで座りながら、プラーナーヤーマ(調息法)を行う方法です。息を大きく吸ってから、呼吸を止めて目を閉じ、アージュニャー・チャクラに集中します。それから、ガーヤトリー・マントラを唱え続けます。呼吸を止めることができなくなったら、できるだけゆっくりと息を吐いて、息を吐ききったところで、再びガーヤトリー・マントラを唱えます。そして、この方法を何度も繰り返します。このような3段階のプラーナーヤーマを毎日行います。このような方法は、バーヒャーンタル(内と外)とアービャンタラ(内部の)と呼ばれます。さらにガーヤトリー・マントラを用いてハヴァナ(護摩)を行うこともできます。すべては礼拝です。

引用:http://www.vedmandir.com/node/21

バガヴァッド・ギーター第3章第4節

न कर्मणाम् अनारम्भान्
na karmaṇām anārambhān
ナ カルマナーム アナーランバーン
行為を開始しないことにより

na【否定辞】〜でない
karmaṇām【中性・複数・属格、karman】[〜の、〜にとって]行為、作業;作用、職業;儀式;結果;運命(前世に行った行為の結果)、業
anārambhāt【男性・単数・従格、anārambha】[〜から、〜より](属格)の開始しないこと、企てないこと、着手しないこと;苦難のないこと【形容詞】企画しない、開始しない

नैष्कर्म्यं पुरुषो ऽश्नुते ।
naiṣkarmyaṁ puruṣo ‘śnute |
ナイシュカルミャン プルショー シュヌテー
人は行為の超越に達することはない

naiṣkarmyam【中性・単数・対格、naiṣkarmya】[〜に、〜を]活動の放棄、活動しないこと;行為の超越、超行為、超作、至為
※超作:善悪・利害を超越した行作、すなわちkarmayogaにもとづく行作。「無作」(akarman)とも異なる。(辻直四郎注)
※行為の超越:行為の結果を顧みないこと。行為の完成。(上村勝彦注)
※超行為:行為をしつつ、行為とその結果に執われない状態。(服部正明注)
※超行為:行為よりの離脱。すなわち、無行為を本質とする知識の実修は、行為の実修によって成り立つ。(宇野惇注)
puruṣas【男性・単数・主格、puruṣa】[〜は、〜が]人;人間;霊魂;個人の本体、普遍的霊魂、最高精神
aśnute【三人称・単数・アートマネーパダ・現在 √aś】[彼は、それは]到達する;達成する;遭遇する;捧げる;楽しむ

न च संन्यसनादेव
na ca saṁnyasanādeva
ナ チャ サンニャサナーデーヴァ
また、(行為の)放擲のみにより

na【否定辞】〜でない
ca【接続詞】そして、また、〜と
saṁnyasanāt【中性・単数・従格、saṁnyasana】[〜から、〜より](世を)棄てること;(行為の)遠離、放擲
※放擲:この場合は、「行為の放棄」という一般的な意味で用いられている。(上村勝彦注)
※行為の遠離:「行為の遠離」とは、欲望を動機とする行為を捨てることで、ラーマーヌジャによれば「知識の実修」を指す。(宇野惇注)
eva【副詞】実に、真に(強意を表す。しばしば虚辞として使用)

सिद्धिं समधिगच्छति ॥
siddhiṁ samadhigacchati ||
シッディン サマディガッチャティ
成就に至ることもない

siddhim【女性・単数・対格、siddhi】[〜に、〜を]完成、遂行、履行、完全なる達成、成功;成就、解脱
samadhigacchati【三人称・単数・パラスマイパダ・現在 sam-adhi√gam】[彼は、それは]共に行く、近づく;獲得する、入手する;超える;学ぶ、研究する

न कर्मणामनारम्भान्नैष्कर्म्यं पुरुषोऽश्नुते ।
न च संन्यसनादेव सिद्धिं समधिगच्छति ॥ ४ ॥

na karmaṇāmanārambhānnaiṣkarmyaṁ puruṣo’śnute |
na ca saṁnyasanādeva siddhiṁ samadhigacchati || 4 ||
人は、行為をせずに、行為の完成に達することはない。
また、行為の放擲のみによって、成就に至ることもない。

バガヴァッド・ギーター第3章第3節

श्रीभगवान् उवाच ।
śrībhagavān uvāca |
シュリーバガヴァーン ウヴァーチャ
クリシュナは語った

śrībhagavān【男性・単数・主格】栄光ある方、神聖な神、威厳ある尊者。ここではクリシュナのことを指す。
uvāca【三人称・単数・パラスマイパダ・完了 √vac】[彼は]言った、語った

लोके ऽस्मिन् द्विविधा निष्ठा
loke ‘smin dvividhā niṣṭhā
ローケー スミン ドヴィヴィダー ニシュター
この世界には、二種類の成就(への道)がある

loke【男性・単数・処格】[〜において、〜のなかで]世界、地上
asmin【男性・単数・処格、指示代名詞 idam】[〜において、〜のなかで]これ、この、ここ
dvividhā【女性・単数・主格】二重の、二種類の
niṣṭhā【女性・単数・主格】[〜は、〜が]基礎、状態;専心;成就、完成;頂点、限度;終局、終末、大詰め(劇の)、死

पुरा प्रोक्ता मया ऽनघ ।
purā proktā mayā ‘nagha |
プラ− プロークター マヤー ナガ
以前に私によって説かれた、アルジュナよ

purā【副詞】かつて、以前に;前の生に;昔は、昔;初めに
proktā【女性・単数・主格、過去受動分詞 pra√vac】宣言された、教えられた、記述された;言われた、語られた;(対格)と言われた;〜であると宣言された、と称された、説かれた、いわゆる
mayā【男性・単数・具格、一人称代名詞 mad】[〜によって、〜をもって]私
anagha【男性・単数・呼格】罪なき者よ、穢れなき者よ。アルジュナのこと。

ज्ञानयोगेन सांख्यानां
jñānayogena sāṁkhyānāṁ
ジュニャーナヨーゲーナ サーンキヤーナーン
理論家(サーンキヤ)にとっての知識のヨーガによる(成就)

jñānayogena【男性・単数・具格、jñānayoga】[〜によって、〜をもって]知識のヨーガ、知識の道、智道、理論的なヨーガ
※jñāna-yoga:最高の境地(ヨーガ)に帰結する知識(jñāna)。絶対者(最高神)に関する知識に専心すること。シャンカラは「知識、すなわちヨーガ」と解する。(上村勝彦注)
sāṁkhyānām【男性・複数・属格、sāṁkhya】[〜の、〜にとって]計算する人、熟慮する人、サーンキヤ説の信奉者、理論家
※sāṁkhya:この場合は、思弁により最高存在を考察する人を指す。シャンカラ「アートマンを対象とする識別知を有する人々。」ラーマーヌジャ「アートマンのみを対象とする知性をそなえた人々。」(上村勝彦注)

कर्मयोगेन योगिनाम् ॥
karmayogena yoginām ||
カルマヨーゲーナ ヨーギナーム
修行者(ヨーギン)にとっての行為のヨーガによる(成就)

karmayogena【男性・単数・具格、karmayoga】[〜によって、〜をもって]行為のヨーガ、行為の道、行道;動作、活動;聖業の実践
※karma-yoga:最高の境地(ヨーガ)に帰結する行為。執着することなく行為そのものに専心すること。シャンカラは「行為、すなわちヨーガ」と解する。(上村勝彦注)
yoginām【男性・複数・属格、yogin】[〜の、〜にとって]ヨーガ行者、修行者、実践者

श्रीभगवान् उवाच ।
लोकेऽस्मिन्द्विविधा निष्ठा पुरा प्रोक्ता मयाऽनघ ।
ज्ञानयोगेन सांख्यानां कर्मयोगेन योगिनाम् ॥ ३ ॥

śrībhagavān uvāca |
loke’smindvividhā niṣṭhā purā proktā mayā’nagha |
jñānayogena sāṁkhyānāṁ karmayogena yoginām || 3 ||
クリシュナは語りました。
アルジュナよ、私は前に、この世界には、成就への道が二通りあると説いた。
すなわち、理論家(サーンキヤ)にとっての知識のヨーガによる道と、
修行者(ヨーギン)にとっての行為のヨーガによる道とである。

光の祭典−ディーワーリー(ディーパーヴァリー)

2010年11月5日(金)は、ヒンドゥー教の三大祭のひとつであるディーワーリーの祝日です。このお祭りは、別名ディーパーヴァリーともよばれ、サンスクリット語では「光の列、夜のイルミネーション」を意味します。
この祭典期間中は、ろうそくや煌びやかな照明がインド全国の街中で灯され、その美しさはおおくの人々を魅了します。
このお祭りは、以下のように解説されています[1]。
「ディーパーヴァリーは「光の祭典」として知られ、正義が悪に打ち勝った象徴である。ランプには、その勝利の祝福と人類の希望の記として、灯が点される。ディーワーリーまたはディーパーヴァリー(陶器製のランプの列)を祝う理由は、ラーマが宮殿から追放され14年間を森で暮らす間に、シーターを奪った羅刹王ラーヴァナを殺し、凱旋したラーマを祝福するためである。ラーヴァナを殺した日は、ダシャラー(ディーワーリーの19〜21日前日)として祝われる。祭典は、光とランプに焦点がおかれ、地域によっては、花火が打ち上げられるところもある。
ディーパーヴァリーは、ヒンドゥー暦のアーシュヴィン月に6日間連続で祝われる。おおよそ10月あるいは11月に行われるが、インドでは、もっとも人気があり、待ち望まれている祭典のひとつである。ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒、シーク教徒は、この祭典を、人生の祝福、そして家族と社会の絆を深めるために祝う。ジャイナ教徒にとっては、もっとも重要な祭典であり、ジャイナ教暦では新年にあたる。またシーク教徒にとっても、信仰上重要な祭典である。
・ヒンドゥー教における意義
祭典は、悪に対する正義の勝利を象徴する。サンスクリット語のディーパーヴァリーは、光が暗闇に勝利したことをあらわす光の列を意味する。サンスクリット語の知識が廃れるにしたがい、特に北インドでは、名称が一般にディーワーリーと変化した。
ディーワーリーの日は、多くの人は新しい服を身につけ、お菓子を分け合い、爆竹を鳴らす。北インドの経済界では、事業年度はディーワーリーの日に開始され、新しい商業帳簿はこの日から付けられる。
ヒンドゥーでは、この祭典を祝う理由を、次のようにいくつか挙げている。
・スカンダ・プラーナによると、女神シャクティは、シヴァ神の半身を手に入れるために、シュクラ・パクシャのアシュタミー(月が満ちる時)から21日間の苦行を行った。この誓願(ヴラタ)は、ケーダラ・ヴラタとして知られる。ディーパーヴァリーは、この苦行が完了した日である。この日、シヴァ神は左半身にシャクティを受け入れ、アルダナーリーシュヴァラとして顕現した。熱心な帰依者は、空間を意味するカラシャと呼ばれる容器に21本の紐を入れ、35日間21種類の供養を行う。最終日はケーダラ・ガウリー・ヴラタとして祝われる。
・ディーワーリーは、アヨーディヤの王ラーマが羅刹王ラーヴァナを殺し、シーターと弟のラクシュマナとともに、アヨーディヤへと凱旋した祝いでもある。道に沿ってオイルランプに灯りを点すことで、暗闇にある人々の道を照らすと信じられている。北インドでは、祭典はヴィクラム暦の最終日に行われる。次の日は北インドの新年にあたり、アンナクットと呼ばれる。
・クリシュナの妻のひとりであるサティヤバーマーによって、大破壊をもたらした悪鬼ナラカースラ(地獄のアスラの意味)が倒された祝日。クリシュナのアヴァターの時代であるドゥヴァーパラ・ユガにもたらされた。別の解釈では、悪鬼はクリシュナ自身に倒されたともいわれる。南インドでは、シャリヴァハナ暦にしたがうため、ディーワーリーの新年は一致しない。
(以下略)」
地方によっては、女神ラクシュミーをお祀りするところなどもあるようです。この日はインドの習慣にならって、ランプに灯を点し正義の復興を願ったり、日頃お世話になっている人々に贈り物をしてみるのもよいかもしれませんね。
インドのディーワーリーに先駆けて、横浜では明日10月16日(土)、17日(日)と「ディワリ・イン・ヨコハマ2010」が開催されます。
さまざまなイベントや出店が予定されておりますので、横浜近郊にお住まいの方は参加されてみてはいかがでしょうか。
ディワリ・イン・ヨコハマ2010のプログラム
出典
[1] Wikipedia “Diwali”, http://en.wikipedia.org/wiki/Diwali

ナヴァラートリ祭

ナヴァラートリとは、ドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティー女神をお奉りするヒンドゥー教の三大祭典のひとつです。「ナヴァ」はサンスクリット語で9をあらわし、「ラートリ」は夜を意味します。したがって、ナヴァラートリとは、9日間の夜となります。この祭典は、春と秋の年2回、9日間にわたって行われます。ヒンドゥー教のカレンダーでは、月齢にしたがっているために毎年開催時期が多少前後しますが、今年は本日10月8日から10月16日まで行われます。
ナヴァラートリの9日間は、礼拝する神さまに応じて、3日間ずつに分けられます。はじめの3日間は、わたしたちの心の中に潜む不純物や悪徳、欠点を破壊するため、強力な戦士でもあるドゥルガー女神を礼拝します。次の3日間は、すべての帰依者に尽きることのない富と幸福を授けるといわれるラクシュミー女神を礼拝します。そして、最後の3日間は、創造主ブラフマーの妻であり、学問と芸術、そして叡智を授ける女神であるサラスワティー女神を礼拝します。わたしたちは人生のさまざまな局面で、神々からの祝福を求めて、3つの側面をもつそれぞれの女神さまにお祈りを捧げます。そのために、この祭典には9日間が費やされます。
ナヴァラートリの期間中、真摯な帰依者の中には、断食をしながら、健康や繁栄を願って祈りを捧げる人々もいます。じぶん自身の日々の生活を見つめ直して、人生の向上につながる新しい習慣をはじめるには、昔からナヴァラートリはこの上ない吉祥の日であるといわれています。
10月17日に行われるナヴァラートリの第10日目は、ダシャラー(Dussehra)と呼ばれる吉日です。この日には、ラーヴァナという悪魔をかたどった像が燃やされ、ラーマに主導される善の勢力が、悪に打ち勝った日として盛大に祝われます。
ナヴァラートリは、自身の内面に潜む不浄な傾向を克服するために、非常に重要な期間とされています。この神聖な期間を活かして、かつてラーマが悪鬼ラーヴァナに勝利したように、わたしたちの内面に潜む悪魔を討ち滅ぼすことができるよう日々を過ごされてみるとよいでしょう。
参照
[1] “Navaratri” from Wikipedia, Free encyclopedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Navratri