ガネーシャ・チャトルティー

本日は、ガネーシャ・チャトルティーの日です。
ガネーシャ・チャトルティーは、バードラパダ月の月が満ち始めて4日目(チャトルティー)に行われるガネーシャの降誕祭であり、テルグーではヴィナーヤカ・チャトルティーともいわれています。
インドの家庭では、新しく買ってきたガネーシャの像に毎日、2日〜10日間にわたって、甘いお菓子やお花を捧げ、プージャーを行い、最終日には神像を水に沈めます。
像の頭をもつガネーシャ誕生の秘密にはいくつかの物語がありますが、以下にインド神話伝説辞典[1]より引用してご紹介いたします。
『ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナ』(ガナパティ章)より
「ガネーシャはあるとき母のパールヴァティーの水浴の番を命じられていたが、そこに入ろうとした父シヴァ神をもしりぞけた。激怒したシヴァはガネーシャの首を切り落とした。パールヴァティーが息子の死を嘆き悲しんだので、シヴァは妻を慰めるために息子を生き返らせることを約束し、最初にそこを通りかかった象の頭をつけてしまった。」
『ウッタラ・ラーマヤナ』より
「シヴァの神妃パールヴァティーは夫とともに猿の姿となって森の中で睦み合っているうち身籠もった。するとシヴァは妻の子宮の中から自分の精子を取り出して風神ヴァーユに与えた。ヴァーユはそれをアンジャナーの胎内に入れると、たちまち身籠もってハヌマーンが生まれた。シヴァが像の姿となるとパールヴァティーも雌の象となって男の子を産み、ガナパティと名づけた。」
ガネーシャは仏教では大聖歓喜天、聖天として知られています。日本でも有名なこの愛しい姿をしたガネーシャ神を、今日この日、新たな気持ちでお迎えするとよいかもしれません。
インドで奇跡続出!?
プッタパルティでの「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」は2006年8月20日で終了いたしましたが(次回は来年1月にチェンナイで行われる予定です)、その最終日に前後して、インドで起こった奇跡の話題が世界中のメディアを騒がせています。
日本でも報じられたニュースを以下のリンクに掲載します。
海水の水が甘くなった
聖人の奇跡?「海水が甘い」と住民殺到 インド西部 (産経新聞 2006.8.19)
インドで奇跡!?「海水が甘くなった」と数千人が海岸に殺到(サンケイスポーツ 2006.8.19)
【こぼれ話】「甘い海水」求め海岸に住民殺到=聖人の奇跡?―インド(時事通信 2006.8.21)
神像がミルクを飲んだ
インド、神々の像がミルク飲む「奇跡」(ロイター 2006.8.21)
インドでまた「奇跡」 今度は牛乳(ロイター 2006.8.23)
またさらに、最新のニュースとしては、8月25日木曜日の夜、グジャラート州スラトのビルの壁面に、サイババが出現し、通行人が大騒ぎになったとの話題で盛り上がっています。
サイババが壁面に「出現」(タイムズ・オブ・インディア 2006.8.25)
壁にあられたサイババの顔をみようと数百人が殺到(ジーニュース 2006.8.25)
今度はスラトでサイババの奇跡(グジャラート・グローバル・ニュース 2006.8.25)
物質社会にどっぷりと浸かっている私たちにとっては、このような奇跡ともとれる現象には心が奪われてしまいます。しかし、聖人たちは、われわれがこのような変化に一喜一憂して騒ぎ立てるたびに、次のように嘆いているかもしれません。
「あなたのハートの甘露をもってすれば、辛い海水も砂糖水のように甘くすることはたやすい。神像にミルクを与えるならば、隣人に愛というミルクを与えることの方がどれほど尊いことか。あなた方が奇跡と騒ぎたてるものは、とるに足らない表象の変化を追ったものにしかすぎない。最大の奇跡は、あなた方の内面の変化に他ならないのだ。」と。
[1] 菅沼晃編、「インド神話伝説辞典」東京堂出版

クリシュナ・ジャンマーシュタミー(御生誕祭)

2006年8月16日、ヴィシュヌ神の第8番目の化身とされるクリシュナの御生誕祭が行われました。ジャンマーシュタミー(ジャンマ[生誕]+アシュタミー)とはクリシュナの誕生日の意味であり、その他、ゴークラ・アシュタミー、クリシュナ・ジャヤンティー(誕生祭)とも呼ばれています。アシュタミーとは、8番目の意味であり、ヒンドゥーの暦で、シュラーヴァナ月(七月〜八月)、アセンダントがローヒニーの時、月が欠けはじめて第8日目の夜にクリシュナが誕生したことからこのようにいわれています。
クリシュナの生誕については「バーガヴァタ・プラーナ」に詳述されています。その一部を『インド神話』(上村勝彦著、ちくま学芸文庫)[1]を参照してご紹介いたします。
『悪魔どもは暴虐な王の姿をとって地上に出現した。
大地の女神は彼らに苦しめられ、牝牛に姿を変えて梵天に救いを求めた。
梵天はシヴァをはじめとする神々をつれて乳海の岸に行き、瞑想して最高神プルシャ(ヴィシュヌ神)を崇拝した。
梵天は瞑想のうちに天の声を聞いて神々に告げた。
「最高神はヴァスデーヴァの家に生まれるであろう。
天女たちは彼を楽しませるために、(牛飼女として)地上に生まれなさい。
ヴィシュヌ神の一部分であるアナンタ竜は彼の兄として生まれなさい。
聖なるヴィシュヌのマーヤー(幻力)も、主の目的を成就させるために地上に下るであろう。』
クリシュナの生まれた時代は、世界を支配する王が悪魔であったとされ、人々は王の暴政に悩み悲しんでいました。
そのため、人々の願いに応え、ヴィシュヌ神自身が悪魔を滅ぼすためにクリシュナとして地上に降誕しました。
『ある夜、ヴィシュヌ神は、当方に昇る満月のように、デーヴァキーの胎内より出現した。その子はヴィシュヌ神の特徴をことごとくそなえていた。……』
幼児期のクリシュナは、さまざまなリーラー(神の戯れ)が言い伝えられています。
『やがて幼児の誕生日がおとずれ、ヤショーダー[クリシュナの養母]は祝宴の準備でいそがしく働いていた。
幼児は母の乳を吸いたかったが、彼女が来ないので大声で泣き、怒って足をばたばたさせて、そばにあった車を遠くまで蹴とばしてしまった。
車がぶつかって多くのものがこわれた。
ヤショーダーたちは驚いて駆けつけた。
そばにいた子供たちが、この幼児が車を蹴とばしたと言ったが、牛飼いたちは信ずることができなかった。
またある日、ヤショーダーが幼児を膝にのせていると、突然その子が山のように大きくなったので、彼女は驚いてその子を地面に置き、最高神に祈念してバラモンたちを呼びに行った。
ちょうどその頃、カンサに派遣されたトリナーヴァルタという名の悪魔が旋風の姿をとってそこへやって来た。
人々が埃のために何も見ることができないでいる間に、旋風は幼児をさらっていった。
ところが、幼児を運んで空を飛んでいるうちに、悪魔は幼児の異常な重みに耐えることができなくなり、幼児を放そうとしたが、その子は彼の首にしっかりと抱きついて離れなかった。
悪魔はついに地上に墜落し、岩にぶつかって死んでしまった。
またある時、ヤショーダーは幼児に乳を飲ませていた。
子供が乳を飲み終わり、母がやさしく笑ってその顔をなぜていると、その子はあくびをした。
ところが、ヤショーダーは、その子の口の中に、空・星々・太陽・月・海・大陸・山々など、ありとあらゆる世界を見たのであった。
彼女は幼児の口の中に宇宙を見て仰天し、両眼を閉じてしまったものだ。
(『バーガヴァタ・プラーナ』10.5-7)』
クリシュナは実在の人物であるといわれておりますが、そのクリシュナが織りなす奇跡の数々は魅力に満ちあふれ、クリシュナの本質を体現しているようです。クリシュナは、彼の人々を惹きつけて止まないその愛の本質により、いまなお世界中の人々を魅了し続けています。
「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」追記
前回お伝えいたしました人類の平安と繁栄を祈願して行われている「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」についてですが、一部誤解を生む表現がございましたので、ここに追記させていただきます。
「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」の僧侶団代表であるシュリー・ナンジュンダ・ディキシット氏の講話で、次のような解説がございました[2]。
「一人がルドラ(ナマカと思われる)を11回とチャマカを1回唱えると、ルドラとなる。それを11倍するとルドライエーカーダーシニー(エーカーダシャ・ルドラム)となる。さらにそれを11倍すると、マハー・ルドラとなる。マハー・ルドラを11倍すると、アティ・ルドラとなる。1,331人の僧侶が、一日のうちに11回のルドラとチャマカを1回唱えると、アティ・ルドラとなる。あるいは、11人の僧侶が、121日間それを続けるとアティ・ルドラとなる。……」
今回プッタパルティでは、121人の僧侶によりルドラムが朗誦されているようですので、11日間ルドラムを唱え続けるとアティ・ルドラムとなることになります。
アティ・ルドラムは合計14,641回のナマカムと、1,331回のチャマカムを唱えることですが、一人一人の僧侶が14,641回のナマカムと1,331回のチャマカムを唱える必要はなく、僧侶の人数によって唱える回数を割ることができるようです。
誤解を招いてしまいまして申し訳ございませんでした。プッタパルティでのアティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャは、本日で終了いたします。占星学的にも霊性修行に適した日であるとされておりますので、この一日を瞑想やジャパなどで過ごし、神聖な想いで満たすとよいかも知れません。
[1] 村上勝彦著,『インド神話』,ちくま学芸文庫,2003
[2] Athi Rudra Maha Yajna: Day One – 9th Aug 2006,
Elaborate Report on the Afternoon Session,
http://www.sssbpt.org/Pages/reports/armyreportfirstday.htm

「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」

8/9(満月の日)より12日間にわたり、インド・プッタパルティのサイババのアシュラムで、「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」が行われているようです。このヤジュニャ(祭祀)は、人類の平安と繁栄を願って、ルドラ(シヴァ神)に祈願するものです。アティ(甚大な・莫大な)という言葉にもあるように、このヤジュニャには甚大な手間がかかるために、インドでも頻繁に行われるものではありません。過去には2001年にシルディ・サイババ寺院[1]や、1997年にはアメリカ[2]で行われたとの報告があります。
このヤジュニャがどのようなものか、SSSBPTのホームページ[3]を参照してご紹介いたします。
『聖者サターパータは、彼の著作「マハールナヴァ・カルマ・ヴィパーカ」の中で、ヴェーダや聖典に共通するアビシェーカの四つの形式について列挙しています。それらはルドラム、エーカーダサ・ルドラム、マハー・ルドラム、アティ・ルドラムであり、後者になるほど効果が強くなります。この中で、もっとも強力なアティ・ルドラムには、14,641のルドラムが含まれています(クリシュナ・ヤジュル・ヴェーダ・サムヒターの第4カーンダ(章)第5プラパータカ(節)にあるルドラーディヤーヤムに、ナマカムとチャマカムの組み合わせとしてのルドラムが記載されています)。
ナマカムとチャマカムはそれぞれ11のアヌヴァーカ(ヴェーダの章節)から成り立ちます。ナマカムを全11アヌヴァーカ吟唱した後に、チャマカムを1アヌヴァーカ唱えると1ルドラムとなります。
ナマカムを唱えた後にチャマカムを1アヌヴァーカづつ唱えていくと、ナマカムを11回唱えたところで、チャマカムを全章唱えることになります。これがエーカーダサ(11の意味)・ルドラムとなります。
そして、エーカーダサ・ルドラムを11回繰り返すことをラグ(手軽なという意味)・ルドラムといいます。ラグ・ルドラムを11回繰り返すと、マハー・ルドラムとなります。マハー・ルドラムを11回繰り返すと、アティ(甚大な、莫大なの意味)・ルドラムとなります。
したがって、アティ・ルドラムは合計14,641回(11×11×11×11回)のルドラムを唱えることになり、その中で14,641回(11×11×11×11回)回のナマカム、1,331回(11×11×11回)のチャマカムが唱えられています。
以上がルドラ・パーラーヤナであり、ルドラービシェーカでは、同時に儀式に精通した121人の僧侶によってルドラ・ホーマが執りおこなわれます。そこでは、この目的のために、11のホーマ・クンダ(儀式用の穴の開いた台)がつくられます。』
ナマカムは、11章からなるシヴァ神を讃える祈りですので、これだけでも大きな労力がいると思われます。それを一日に1,331回唱えるわけですから、この祭祀の意義が伝わってきます。
月の満ち欠けは、しばしば欲望の増減に例えられます。満月の日にこのようなヤジュニャがはじめられるのは、ヤジュニャによってわれわれの欲望が少しずつ減少し、ついには滅してしまうようとの願いが込められていると思われます。欲望は少なければ少ないほど、旅は快適になるとはよくいわれますが、このような機会を生かして、すこしでも欲望を抑えられるような生活をしてみるとよいかもしれません。
ルドラム(ナマカム、ルドラム)の吟唱が含まれたCD-ROM(VCD)を掲載いたしましたので、興味がございましたらこちらよりご参照ください。
[1]Sai Vichaar, volume 3-44
http://www.saibaba.org/newsletter3-44.html
[2]Hinduism Today
http://www.hinduismtoday.com/archives/1997/12/1997-12-11.shtml
[3]Sri Sathya Sai Books & Publication Trust
http://www.sssbpt.org/Pages/reports/armyreportfirstday.htm

マハームリティユンジャヤ・マントラ

マハームリティユンジャヤ・マントラは、インドではとても有名なマントラです。今回はこのマントラを取り上げてご紹介いたします。ムリティユとは「死」を意味し、ジャヤとは「勝利、克服」を意味します。すなわちマハームリティユンジャヤ・マントラは、死を克服する、死に打ち克つマントラ、すなわち輪廻の鎖を断ち切るマントラとして知られています。
このマントラは、次のように唱えられます。

「オーム トリヤムバカム ヤジャーマヘー
スガンディン プシュティ ヴァルダナム
ウルヴァールカミヴァ バンダナートゥ
ムリティヨール ムクシーヤ マー アムリタートゥ」
Om Tryambakam Yajaamahe
Sugandhin Pushti Vardhanam
Urvaarukamiva Bandhanaat
Mrityor Muksheeya Ma-Amritaat
タイッティリーヤ・ウパニシャッド 2.7

言葉の意味
マハー(Maha):偉大な、強大な
ムリティユ(Mrityu):「死」あるいは死の神マヤ。ムリティユは、ブラフマー、バヤ(恐怖)、あるいはマーヤー(幻)の子であるといわれ、彼らの子供は他にヴィヤーディ(病気)、ジャラー(老年)、ショーカ(悲しみ)、トリシュナー(渇き)、クローダ(怒り)であるといわれています[1]。
ジャヤ(Jaya):勝利、克服、征服、歓喜
したがって、マハームリティユンジャヤ・マントラは「死に打ち克つ偉大なマントラ」ということになります。このマントラを心を込めて唱えることで、死の恐怖を克服し、病を癒し、様々な事故から守られ、究極的には解脱をもたらすといわれています。
オーム(Om):宇宙創造の初音、聖音
トリヤムバカ(Tryambaka):「三つの目を持つもの」の意味で、シヴァ神の別名をあらわします。第三の目は、直観や洞察力、見識を司ります。この第三の目の機能により、我々はシヴァ神を悟ることが可能となります。
ヤジャーマヘー(Yajaamahe):崇める、礼拝する
スガンディン(Sugandhin):芳香、甘い香りの意味。第三の目が覚醒することにより、すべては芳しい香りを放ちはじめます。すなわち、すべてが神であると悟ります。
プシュティ(Pushti):成長、肥大の意味。真理はすべてのものをよい状態に養い、成長させます。
ヴァルダナ(Vardhana):増大、成長、繁栄の意味。真理はわれわれの理解を日々増大させます。
ウルヴァールカム(Uruvaarukam):キュウリの意味。マントラにキュウリが出てくるのは理解に苦しむかも知れませんが、この場合、キュウリは私たち個人を意味しています。それぞれのキュウリは各々の蔓に実り、ちょうどその時がくると、熟して落ちます。これは、私たちそれぞれが成長していく過程そのものをあらわし、やがて悟りを得る(熟す)ことによって、輪廻の鎖を断ち切る(実が落ちる)ことになります。
バンダナ(Bandhana):束縛、結合。
ムリティヨール(Mrityor):死、無知。
ムクシーヤ(Muksheeya):解放、解脱。
したがって、「バンダナートゥ ムリティヨール ムクシーヤ」の個所は、「どうか私たちを死の束縛(あるいは無知)から解放してください」の意味となります。
マーアムリタートゥ(Maa-amritaat):マーは「偉大な」、アムリタは「不死なるもの、永遠なるもの」を意味し、「すべての背後にある永遠の真理」の悟りをあらわします。
全体の意味
わたしたちすべてを養いくださり、芳香に満ちあふれる三つ目のシヴァ神を讃えます。熟したキュウリが自然と実り落ちるように、わたしたちが日々成長し、死や輪廻の束縛から解放されますように。そして、永遠の真理へ到達できるようにどうかわたしたちをお導きください。
マハームリティユンジャヤ・マントラは、ガーヤトリー・マントラとならび重要なマントラであるとされています。このマントラは、インドでは悟りをえるための、また人生のさまざまな問題を解決するための非常に強力なマントラとして広く唱えられています。また次のような問題の解決策として唱えられるのもよいでしょう。
・人生や仕事で行き詰まりを感じたときに、障害を打破し解決をもたらすために
・家庭や社会で問題が生じたときに、調和を取り戻すために
・精神的に落ち込んだときに、内なる力を呼び覚まし本来の自分を取り戻すために
・病床に伏しているときに、内在の力を目覚めさせ健康を取り戻す手段として
健康的な問題を抱えている方には、このマントラは特に効果的で、医者から見放された病気をも治すといわれています。また占星学上の惑星のあらゆる悪影響を滅ぼすマントラとして知られています。このマントラは、解脱へ至るための手段として、毎日繰り返し唱えることがすすめられています。
上記のような問題の解決策として、マハームリティユンジャヤ・ジャパを実践される場合は、毎日108回マハームリティユンジャヤ・マントラを唱え、それを40日間以上続けることがすすめられています(ジャパには108ビーズのマーラーを使用されるとよいでしょう)。こちらにマハームリティユンジャヤ・マントラのオーディオサンプルがございますので、ジャパを実践される場合は、この朗誦を参照されてみてください。
また、このマントラを唱えるのが難しいと感じられる場合は、音を省略したショート・フォームがあります。ショート・フォームは「オーム・ジューン・サハ・サハ・ジューン・オーム」と唱えられます。ショート・フォームも、これを唱えることで神の鎧を身につけることになり、上記と同様の効果が得られるとされています。こちらにこのマントラが収録されているCDがございますので、ご参照ください。
参照
[1] 菅沼晃編、「インド神話伝説辞典」東京堂出版
[2] Mrityunjaya Mantra – The Mantra for Realising the Death
http://www.mandalayoga.net/index.php?rub=newsletter_en&p=mrityun_jaya

マントラ瞑想

医学系ジャーナル「ARCHIVES OF INTERNAL MEDICINE」の2006年6月12日号の記事で、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のノエル・ベイリー・メルツ教授らが、マントラを唱える瞑想(TM瞑想)によって、血圧やインスリン抵抗性に有効な効果があったとする論文を発表しました[1]。
この論文では、無作為に選出された冠状動脈硬化症の患者を対象に、16週間にわたってマントラを唱える瞑想(TM瞑想)を実践してもらうグループとアクティブ・コントロール(健康教育)を行うグループにわけ、その効果の違いを確認しました。この研究成果によると、マントラ瞑想を行ったグループは、アクティブ・コントロールのグループに比べて、血圧の安定化やインスリン抵抗性、心拍数の安定化に効果が見られたと結論づけています。
TM瞑想法は、広く欧米を中心に受け入れられたため、この瞑想法の効果に関する研究論文がしばしば発表されています。しかし、マントラを唱える瞑想は、インドでは古くから行われてきており、その効果が科学的な論文を通じて、一般に認知されつつあるのは、とても喜ばしいことです。ヒンドゥー教では、古代の文献や多くの聖者は、現代は世界の四分の三を不正が支配するカリ・ユガであるとしていますが、このような時代においては、ラーマ、シヴァ、クリシュナ、ヴィシュヌ、ブッダ、キリストなどすべての神の名前がもっとも強力なマントラとなり、この時代に神の名前を唱えることは巨大な功徳を積む行為であるといわれています。また神の名前に限らず、師から授かったマントラや、普段唱えているマントラを継続して唱えられるのも同様の効果があると思います。
「点滴石をも穿つ」という諺にもあるように、継続的に実行していけば、数年、数十年後には大きな進歩が確認できると思います。それを信じて、日々の小さな歩みを大切にしていきたいですね。
[1]Maura Paul-Labrador, et al. “Effects of a Randomized Controlled Trial of Transcendental Meditation on Components of the Metabolic Syndrome in Subjects With Coronary Heart Disease”, Arch Intern Med., 166, pp1218-1224, 2006

光の瞑想

2006年7月11日は、グル(師)に敬意を捧げる日であるグルプールニマの日です。サティア・サイババの語る光明瞑想についての講話翻訳文をいただきましたので、グルプールニマの日を記念して、恐縮ではございますがここに掲載させていただきます。
光の瞑想Jyothi Dhyana サティア・サイババ
瞑想とはどうやればいいのか。これについては、いろいろな先生や指導者が、さまざまに違った教えを説いています。しかしわたしはみなさんにここで、最も普遍的で、最も効果のあるやり方をお教えしましょう。これこそは、精神的な修行における、はじめの一歩と言えます。まずは瞑想のために毎日ごく数分の時間を定めるようにし、悦びが深まるとともに、時間を延ばしていきます。刻〈とき〉は明け方がいいでしょう。眠りのあとで身体〈からだ〉はさわやかな上、昼間のいろいろな活動の影響がまだ及んでいないため、とてもよい時間と言えるのです。ロウソクかランプの明かりを目の前に置きます。直接目に見える、おちついた感じの、まっすぐな炎です。蓮華座〔訳注……結跏趺坐〕で両足を組むか、他の楽な姿勢で座ります。

しばらくの間、炎をじっと見つめます。
眉間〈みけん〉をとおって、光が自分の内側に入ってくるように感じながら、目を閉じます。
光は、光の道すじを通って、ハート――胸の中心――に向かって、ゆっくりと降りていきます。
光は、ハートに届きます。
このとき、蓮〈はす〉の花びらが一枚ずつ、ゆっくりと開いていくのをイメージします。
すべての思い、すべての気持ち、すべての感情が、光で満たされます。
闇はなくなります。闇の潜んでいられる場所は、もうどこにもありません。
光はさらに大きく、輝きを増します。
光は手に拡がり、
足に拡がっていきます。
手や足は、悪い思いや、疑いや、悪い行為に浸〈ひた〉っていることはできなくなります。
手も足も、光のため、愛のために尽くすものとなるのです。
光が舌に届くとともに、嘘いつわりは消え失せます。
光は目と、耳まで昇っていきます。
あらゆる悪い欲望――目や耳に巣食い、ねじ曲がったものの見方や、子供じみた話に向いがちな欲望――は、なくなってしまいます。
頭の中の光は、さらに輝きを増します。
すべての悪い思いが頭の中から消えていきます。
内なる光が、さらに大きな輝きになっていくさまを、ありありと思い浮かべます。
自分の周りの全体が光で包まれ、
光の輪はどこまでも大きくなっていきます。
大切な人、家族、友人、知人、対立している相手、競争相手、よく知らない人々、命あるすべてのものが光の中に包まれ、
光は全世界へと拡がっていきます。

 毎日、深く、順序だって、すべての感覚を光が明るく照らし出していくのですから、後ろ暗い、悪いものの見方に惹かれたり、けがれた、恐ろしい話を聞こうとしたり、身体によくない、力を弱める、悪質な食べものや飲みものを求めたり、悪いものをほしがったり、好ましくない場所や悪〈あ〉しきものに近づこうとしたり、いつ、誰についても悪い思いが浮かぶようなことは、そのうちになくなってしまうでしょう。どこにいても、光を見つめている「あの感じ」を忘れないようにするのです。これからは、たとえどの神さまでも、あがめ、祈るときは、あらゆるところに満ちている光の中にその姿があると思い描くようにします。光は神だからです。神は光です。
わたしがお話ししたように、毎日規則的にこの瞑想を続けなさい。その他の時間は、(神のさまざまな栄光のうち、かぐわしい魅力のある名であれば何でもいいから)神の名をくり返し唱え、神の力、慈しみ、惜しみのない愛に気づいていようと、いつも心に思うのです。
日時 1979年
出典 http://www.saisamachar.com/saipranaam/sep02/mediate.htm

“Sathya Sai Speaks – vol.10” ‘Meditation’
解題 現代の脳科学者によれば、イメージの力は、読み書きや計算の能力に勝るとも劣らぬほど重要だ。この光の瞑想(光明瞑想)を日常的におこなうことで、イメージする力を強め、情緒を安定させ、病気の回復を早め、健康な身体を作り、学習や仕事の効率を上げ、人間性を高めることができる。そしてこれは、サイババに帰依する人もそうでない人も誰でも続けることができる、すぐれた方法だ。その一方で、この瞑想のやり方については、サイババ関係者の間でもさまざまに違った見解がある。ここに訳出したのは、サイババ自身が語った瞑想の方法として、最も信頼できるテキストのひとつである。光の瞑想はどうやればいいのか、迷いがおこったときに、立ち返るべき原点がここにある。
翻訳 宇野梵悦(2006年7月11日 グルプールニマ)

プリントアウト用PDFファイル<Jyoti_Meditation.pdf>

ビージャ・アクシャラ その3

前回は、スワミ・シヴァナンダの著書から、ビージャ・マントラの意味を抜粋いたしましたが、この説明の中には、それぞれのビージャ・マントラの最後に唱えられる「ム」の説明がないことに気がついた方もいらっしゃると思われます。
この「ム」の意味は、「オーム」の解説に記載されている“「ム」はイーシュワラとプラジュナの睡眠の状態です”の説明が当てはまるでしょう。睡眠の状態というと、われわれにとってはマイナスのイメージがあるかもしれませんが、ここでいう睡眠とは、われわれが眠くなるときにとる睡眠とは意味が異なります。サンスクリット語のことわざに、「聖者は、人々が目覚めているときに眠り、人々が眠りに就くときに目覚める」というものがあります。これは、一般に、人々は五大欲望に代表されるさまざまな欲望にとらわれ、その欲望を満たすために“目覚め”ます。しかし、聖者はそのような欲望には関心がないため、人々が目覚めているときには“眠る”のです。また、人々が関心の薄い解脱への道、神への欲求は、聖者の第一の関心事であり、そのために人々が“眠る”ときに聖者は“目覚める”のです。
「オーム」のマントラに代表されるように、はじめは世俗的な意義を示す語(「オ」)からはじまり、最後に神への道へと至る(「ム」)のように段階を踏む形式、つまり表層意識から深層意識へとつながる意味をもつマントラはしばしばみうけられます。他の代表的なマントラとしては、ガーヤトリー・マントラもそのような構造になっています。
そのようなことから、他のビージャ・マントラにある結びの語「ム」も、「オーム」に示されているものと同義語で、悟りへの道、終結をあらわす意味をもつと理解してよいでしょう。
ビージャ・アクシャラについては、今回スワミ・シヴァナンダの解釈を参照いたしましたが、同一の神でもさまざまに異なる呼び名があるように、その意味もじつは一義的なものにとどまりません。たとえば、「フリーム」は、マハーマーヤーのビージャであるとのことでしたが、ほかにも「フリダヤ」(ハート)へと通じるマントラであるとか、「サラスワティー」を示すマントラであるとの解釈もあります。また、「クリーム(KLEEM)」はカーマのビージャであるとのことでしたが、「クリーム(KREEM)」と同様、カーリー(あるいはドゥルガー)を示すマントラであるともいわれております。
マントラの一節で、「オーム・フリーム・シュリーム・クリーム…」というビージャをつなげたものがしばしば出てきますが、この一節は、その解釈にしたがうと「フリーム」がサラスワティー、「シュリーム」がマハーラクシュミー、「クリーム」がカーリー(ドゥルガー)という三位一体を示していることになります。精神的な側面に関する活動はサラスワティーが、物質的な側面に関する活動はマハーラクシュミーが、そして肉体的な側面に関する活動はカーリー(ドゥルガー)がつかさどります。この三位一体の女神の恩寵により、あらゆる面での幸福と繁栄があたえられます。
ところで、ガーヤトリー女神は、あるときはサラスワティーの姿を、あるときはマハーラクシュミーの姿を、そしてまたあるときはカーリー(ドゥルガー)の姿をとる三位一体の化身とされています。そのため、ガーヤトリー女神の恩寵を得ることで、神への解脱と至る叡智、またそのために必要な衣食住、身体的な強靱さのすべてがあたえられます。これが、ガーヤトリー・マントラが万能かつ最高位のマントラであるといわれるゆえんでもあります。
ビージャ・アクシャラは、すべてのマントラの基礎となると同時に、それ自身が強力なマントラともなっています。「すべての道はローマに通ず」ではありませんが、すべてのマントラはただひとつの至高神に通ずるということは真理です。それぞれ表現は異なるかもしれませんが、すべてのマントラは、ただひとつの至高神をあらわしており、どのようなマントラ(道)を選んでも、それを継続的に臆念し続けることにより、やがてはひとつの真理に到達することができます。

ビージャ・アクシャラ その2

前回のスワミ・シヴァナンダによるビージャ・マントラの解説の続きより
『「ハウム(HAUM)」
このマントラでは、「ハ(Ha)」はシヴァをあらわします。「アウ(AU)」はサダシヴァをあらわします。ナーダ【サンスクリット語で音の意味】とビンドゥ【点の意味。あらゆる創造的なエネルギーがこの点から湧き出るとされる。ビージャ・マントラは通常一文字からなるので、ビンドゥの概念があると考えられる】は、悲しみを払拭することを意味します。このマントラでは、シヴァ神を帰依の対象とします。
「ドゥム(DUM)」
このマントラでは、「ダ(Da)」はドゥルガーをあらわします。「ウ(U)」は守護をあらわします。ナーダは宇宙の母を意味し、ビンドゥは礼拝や祈りなどの行為を意味します。
「クリーム(KREEM)」
このマントラは、カーリカー【ドゥルガーの9つの姿のひとつ】のマントラです。「カ(Ka)」はカーリーをあらわします。「ラ(Ra)」はブラフマンをあらわします。「イー(Ee)」は、マハーマーヤー【マーヤーは幻の意味。非実在の神格としてのドゥルガーの別名】を意味します。ナーダは宇宙の母をあらわし、ビンドゥは悲しみを払拭することを意味します。
「フリーム(HREEM)」
このマントラは、マハーマーヤーあるいはブヴァネーシュヴァラ【世界の主の意味でシヴァ神をあらわす】のマントラです。「ハ(Ha)」はシヴァをあらわします。「ラ(Ra)」はプラクリティ【自然、本質、創造などを意味するサンスクリット語。精神原理プルシャと対比される】をあらわします。「イー(Ee)」はマハーマーヤーを意味します。ナーダは宇宙の母をあらわし、ビンドゥは悲しみを払拭することを意味します。
「シュリーム(SHREEM)」
これはマハーラクシュミーのマントラです。「サ(Sa)」はマハーラクシュミーをあらわします。「ラ(Ra)」は富をあらわします。「イー(Ee)」は充足感や満足感を意味します。ナーダはアパーラ【無限の、計り知れないの意】すなわちブラフマンの化身やイーシュヴァラをあらわします。ビンドゥは悲しみを払拭することを意味します。
「アイム(AIM)」
これは、サラスヴァティーのビージャ・マントラです。「アイ(Ai)」はサラスヴァティーをあらわします。ビンドゥは悲しみを払拭することを意味します。
「クリーム(KLEEM)」
これはカーマのビージャ・マントラです。「カ(Ka)」は欲望の神カーマデーヴァをあらわします。また、「カ」はクリシュナを意味するともいわれます。「ラ(La)」はインドラ【帝釈天】をあらわします。「イー(Ee)」は充足感や満足感をあらわします。ナーダとビンドゥは、しあわせと悲しみをもたらすことを意味します。
「フーム(HOOM)」
このマントラでは、「ハ(Ha)」はシヴァをあらわします。「ウー(U)」はバイラヴァ【恐ろしい者の意味で、シヴァ神の別名】をあらわします。ナーダは至高神をあらわし、ビンドゥは悲しみを払拭することを意味します。このマントラは、鎧のヴァルマ(鎖かたびら)の3部からなるビージャです。
「ガム(GAM)」
これは、ガネーシャのビージャになります。「ガ(Ga)」はガネーシャをあらわします。ビンドゥは悲しみを払拭することを意味します。
「グラウム(GLAUM)」
これも、ガネーシャのマントラです。「ガ(Ga)」はガネーシャをあらわします。「ラ(La)」はあらゆるものに浸透するものを意味します。「アウ(Au)」は、栄光や光輝をあらわします。ビンドゥは、悲しみを払拭することを意味します。
「クシュラウム(KSHRAUM)」
これはナラシンハ【人獅子。ヴィシュヌの化身】のビージャです。「クシャ(Ksha)」はナラシンハをあらわします。「ラ(Ra)」はブラフマーをあらわします。「アウ(Au)」は上を向いた牙をあらわします。ビンドゥは、悲しみを払拭することを意味します。
このほかにも、このようにさまざまな神々をあらわす多くのビージャ・マントラがあります。たとえば、聖仙ヴィヤーサのマントラは「ヴィヤーム(Vyaam)」、ブリハスパティ【祈祷の主の意味。神々の世界の祭官】のマントラは「ブリム(Brim)」、ラーマのマントラは「ラーム(Raam)」などがあげられます。』
このようにビージャ・マントラには、表面的には意味はあまりないといわれていても、内的には深い意味が隠されています。ビージャ・マントラを唱えるときには、このような意味をかみしめつつ、それぞれの神の栄光を想いながら唱えることで、より大きな恩寵がそそがれることでしょう。
参照文献
[1]Swami Sivananda, “Japa Yoga, A Comprehensive Treatise on Mantra-Sastra”, pp94-, The Divine Life Society, India, 1992
[2]菅沼晃編、インド神話伝説辞典、東京堂出版、1998

ビージャ・アクシャラ

「ビージャ」とは、サンスクリット語で「種」をあらわす言葉です。またアクシャラとは、「音節」をあらわします。したがって、ビージャ・アクシャラは、仏教では種字(しゅじ:天台系)または種子(しゅじ:真言系)といわれています。ビージャ・アクシャラ(種字)は通常、サンスクリット語1文字であらわされるものとなります。マントラは、このビージャ・アクシャラを基本にして構成され、またビージャ・アクシャラそのものもマントラとして唱えられます。師から弟子へと口伝によって伝授されるマントラは、このビージャ・マントラが多いでしょう。
ビージャ・アクシャラについては、かの有名なスワミ・シヴァナンダが、著作の中で詳しい解説をしていますので、ここでは、その一部をご紹介いたします[1]。
『ビージャ・アクシャラとは、種となる言葉(種字)です。それはとても強力なマントラです。すべての神々は、それぞれのビージャ・アクシャラを所有しています。すべてのビージャ・アクシャラの中で、もっとも偉大なものは「オーム」すなわちプラナヴァです。それは、パラ・ブラフマン【註:ブラフマンとは宇宙の根本原理であり、それを超越(パラ)するもの】あるいはパラマートマン【真我】の象徴です。オームはそれ自身の中に、他のすべてのビージャ・アクシャラをを含んでいます。オームは、あらゆるものの源泉、すなわちすべての特定音に共通の種であり、また経過音として二次的な種ともなります。アルファベットの文字は、すべての音と文字の根源であるオームから発生します。オームよりすばらしく偉大なマントラは他にありません。オームは、日常的に発音されるとき、きわめて繊細で、耳では聞こえない状態の音がかたまりとなって放出されます。それはアマートマ、すなわち第4段階の超越状態【註:第1段階では、口を使い音として発声する。第2段階ではささやき声で発声する。第3段階では唇だけを動かして、声には出さない。そして第4段階では、こころの中でマントラを唱えるようになります。アマートマとは境界のない、計り知れないの意味で、ここでは無音を意味します】に達します。さまざまな神々は、ひとつの至高的存在のさまざまな姿や側面をあらわしているように、ビージャ・アクシャラあるいはビージャ・マントラもまた、至高のビージャ、至高のマントラである「オーム」のさまざまな姿や側面をあらわしているにすぎません。「ア」「ウ」「ム」の文字だけでは、超越的かつ根本的な音の状態を与えることはまずありません。この3音から構成される音は、もっとも神聖で原初的なドゥヴァニ(波動)のあらわれでしかありません。オームの超越的な音は、通常の耳で聴こえるものではなく、ヨーギンたちによってのみ聴くことができます。オームの正しい発音は、太く調和的な波動とともに、へそから音が生まれ、アヌスヴァーラ【鼻音】つまりチャンドラビンドゥ【”月のような点”の意味で、鼻音】が発音される場所である鼻孔の上部まで段階的に少しずつあらわれていきます。
ビージャ・マントラは、時には数文字からなる場合もありますが、基本的には、一文字でできています。たとえば、ビージャ・マントラである「カム」は、すべてのビージャ・マントラを終結させるアヌスヴァーラあるいはチャンドラビンドゥで、一文字からなります。チャンドラビンドゥでは、ナーダ(音)とビンドゥ(点)がひとつに融合します。いくつかのビージャ・マントラは、「フリーム」のマントラのように複数の文字からできていることもあります。ビージャ・マントラは、その内部に重要な意味をもち、表面的には意味を持たないことが多いでしょう。それらの意味は、非常に微細で、神秘的なものです。ビージャ・マントラの姿は、それを示している神々の姿となります。
5つのマハーブータ(偉大な元素)、すなわち地、水、火、風、空のビージャは、それぞれラム(Lam)、ヴァム(Vam)、ラム(Ram)、ヤム(Yam)、ハム(Ham)となります。ここで、次に例としていくつかのビージャ・マントラの意味を示します。
「オーム」
オームは「ア」「ウ」「ム」の3つの文字からなります。それは時間の3つの周期、意識とすべての存在の3つの状態を示します。「ア」は目覚めの状態、すなわちヴィラートとヴィシュヴァ(目覚めの意識状態、有限宇宙)です。「ウ」は夢見の状態、すなわちヒランニャガルバとタイジャサ(夢見の意識状態)です。「ム」は眠りの状態、すなわちイーシュヴァラとプラージュナ(眠りの意識状態、叡智)です。オームの意味を理解するためには、マンドゥキョーパニシャッド(Mandukyopanishad)を詳細に学ぶといいでしょう。』
[1]Swami Sivananda, “Japa Yoga, A Comprehensive Treatise on Mantra-Sastra”, pp94-, The Divine Life Society, India, 1992

108Hzの「おと」

ヒンドゥー教では、「音」に大きな意味をおいています。サンスクリット語のマントラは、その音自体が意味をもち、そこに重要な役割があるとされています。また神さまの名前は最高のマントラであるともいわれるのは、その神さまの名前を構成するひとつひとつの音にそれぞれ重要な意味が含まれているからです。そのような重要な意味を含む「音」を唱えることにより、心身共に健康になり、解脱に至るというのは、だれでもが実践できる魅力的な方法です。
またその「音」に加えて、ヒンドゥー教では「数」にも重要な意味をおいています。たとえば、「108」という数は、仏教では煩悩の数などとしてしられていますが、ヒンドゥー教では神さまの御名(みな)やジャパ・マーラーの構成数など、「108」が基準となり、神聖な数を示す場合が多くあります。
そこで、ヒンドゥー教では「音」と「108」に大きな意味をおいていることから、108Hz(ヘルツ:1秒間に波が何回振動するかの単位)の音はどのような「音」になるのだろうということで、実際につくってみました。実際の音はこのようになります。108Hzの音
この音は、自然科学的に見たら、何の変哲もないただの音ですが、何か意味を見いだせる方がいらっしゃいましたら、どうぞご利用ください。
この108Hzの音自体は、低音で「オーム」の響きに似ていないとも言えないので、瞑想の時の補助に使えるかもしれませんね。しかし、あまり大きな音量で聴くと、逆に疲れてしまいますので、使用するときはごく小さな音で使用するようにしてみてください。
ところで、人間の脳波は、0〜10数ヘルツまでその精神状態によって変化します。脳波は、瞑想や作業中の集中時など、自らの意志によって変化させることも可能ですが、音や光、電気的な外部刺激によっても誘導されることが知られています。そこで、この108Hzの音を利用して、脳波に誘導的に働くように変化を与えてみました。人間の聴覚は非常によくできていて、左右の耳から異なる周波数や異なる位相差の音を聴かせると、脳は左右から入ってきた音を内部で合成して、その合成した音を知覚することができます。例えば、左耳から108Hzの音を聴かせて、右耳から111Hzの音を聴かせると、脳内ではその周波数差である3Hzのうなりを知覚することができます。一見、あたり前のようなことですが、これは人間の脳が、あらゆる連係プレーを通じて、非常に高度に働いている証拠でもあります。
3Hzというのは、脳波でいうと深い睡眠時の脳波であるデルタ波にあたります。そこで、左チャンネルから108Hz、右チャンネルから111Hzの音を用意してみましたので、夜寝付きが悪い方がいらっしゃいましたら、この音を試してみてください。3Hzの音
3Hzの音が脳内で合成されて、深い睡眠時の脳波に誘導されやすくなります。
ただし、夜寝るときは少し不便かも知れませんが、ヘッドホンやイヤホンで聴かないと、効果が期待できません。またあまり大きな音で聴くと、脳が疲れてしまいますので、ごく微かに聴こえる程度の音量でお聴きください。
また集中時の脳波はアルファ波といわれ、8〜13Hz程度であるといわれています。ヒンドゥーでは、9は神聖な数とされているので、仕事や集中の助けとなるように、108Hzの音をベースに、9Hzのうなりをつくってみました。9Hzの音
この場合も、上と同様にヘッドホンやイヤホンをもちいて、ごく微かに聴こえる程度の音量でお聴きください。勉強や仕事の時に聴かれると、集中の助けになるかも知れません。
朝、すっきり目覚めたい方には、13Hzの音がよいかも知れません。108Hzの音をベースに、13Hzのうなりをつくってみましたので、朝の目覚めの時に聴いてみてください。13Hzの音
この場合も、上と同様にヘッドホンやイヤホンをもちいて、ごく微かに聴こえる程度の音量でお聴きください。寝起きが悪い方が聴くと、目覚めが良くなるかも知れません。
108、3、9、13という数は、どれもヒンドゥーでは神聖な数とされているものです。ここでは、この神聖な数を組み合わせて、日常生活に活用できそうな音を興味半分でつくってみました。ご活用されるのは自由ですが、効果に関しては一切の保証はありませんので、あらかじめご了承ください。またこの音は、使用者ご本人の責任の上でご使用してください。また市場ではこのようなメカニズムを活用した能力アップグッズが市販されています。これはあくまで自然の物理・生理作用をもちいた方法であるので、とくに権利侵害はしていないと思いますが、何か不都合がありましたら、ご連絡頂ければ幸いです。
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