ラクシャ・バンダン(愛の紐)

2010年8月24日は、ラクシャ・バンダンの祝日です。
ラクシャ・バンダンについての簡単な解説を、以下Raksha-Bandan.comよりご紹介させていただきます。
ラキ:愛の紐
ラキは、兄弟・姉妹の愛情で彩られた神聖な紐のお守りです。ラクシャ・バンダン(守護を結ぶの意味)として知られるこの日は、ヒンドゥー暦におけるシュラヴァナ月の満月の日に祝われます。一筋の紐に過ぎないラキは、 愛と信頼の固い絆の中でもっとも美しい関係を結ぶとき、鉄の鎖より強いとみなされます。 また、誰もが助け合い、仲良くするべきという概念を広めるために、ラキの祝日は社会的な意義があります。
伝統と習慣
ラクシャ・バンダンの祝日は、兄弟・姉妹間で分かち合う愛情に捧げられます。 この日、姉妹たちは、兄弟の長寿と祝福を神に祈ります。 姉妹たちは兄弟たちに美しいラキを贈り、兄弟たちはこの世界の悪から姉妹たちを守ることを約束します。この習慣は古くからあり、ここで行われる儀式は地域によって異なりますが、その美しい意義はどこにおいても変わることはありません。
ラキの意味
調和をもたらし、家族をひとつにまとめるために、ラキの祝日には大きな意味があります。ラキは、兄弟・姉妹間の愛、すなわち彼らが子供の頃から共有している愛の絆を表しています。 ラクシャ・バンダンを祝う習慣は遙か昔に遡り、今なお、人々は伝統的な方法でその愛情を表現しようとしています。ラキは、古い時代から、兄弟・姉妹間の愛の絆を強く結びつけてきたのです。
ラキのお祝い
ラクシャ・バンダンのお祝いは、兄弟・姉妹間の穢れのない愛を表す祝日です。 古くから、この祝日は歓喜をもって祝福されてきました。ラキは兄弟・姉妹間の無条件の愛の証です。 女性たちは、少なくとも祝日の2週間前から準備を始めます。その一日を特別な日にするために、人々はラキや贈り物、ラキ・プージャーのプレート、お菓子などを買います。 これはまた、この神聖な祝日を祝うために家族が集まるという一つの機会にもなります。愛する人々の間での贈り物は、この特別な日を心に残る美しい思い出にしてくれます。
出典:Raksha Bhandan, http://www.raksha-bandhan.com/
より翻訳転載

ラーマ・ナヴァミ

2007年3月27日は、ラーマ・ナヴァミ(誕生祭)です。
インドの家庭では、ラーマ・ナヴァミのこの日、ラーマとその妃シーターの小さな神像を並べ、結婚式の儀式を執りおこないます[1]。そしてまた、敬虔なヒンドゥー教徒は、断食をし、寺院では叙事詩「ラーマーヤナ」が詠まれます。
ラーマは、この叙事詩の主人公として、正義、寛容、忍耐、そして犠牲など、わたしたちが失いかけている美徳の大切さを示しています。
ラーマーヤナでラーマが示されている理想は、現代のわたしたちからすると、あまりにもかけ離れていて、現実味がないかもしれません。しかし、ラーマは実在の人物ともいわれていますので(およそ紀元前5000年の人物といわれています)、ラーマーヤナで語られている物語も、まったくの作り話ということではないかもしれません。
便利・快適になった今ですが、その反面、さまざまなものに囚われ、心にゆとりがなくなってきています。いじめや社会的な問題もさまざま表面化していますが、決定的な対処法がなく、何を拠り所としたらよいか分からないのが現状ではないでしょうか。
しかし、ラーマーヤナには、このような問題に対する対処法が、随所に見て取れます。
新しいものに目を向けるのは、現代人が仕事をこなし、生活していく上で必要不可欠ですが、しかし同時に、古き良き文化にも、この上ない価値が散りばめられていることを忘れてはならないかもしれません。
ラーマーヤナは、国内でも本が出版されておりますので、この機会にお目を通されてみてはいかがでしょうか。またインターネット上でも、簡約版等が閲覧できます[2]。
[1] Wikipedia, “Rama Navami”, http://en.wikipedia.org/wiki/Rama_Navami
[2] 簡約ラーマーヤナ, http://www.geocities.jp/jayramayana/

ヴァサント・パンチャミー(サラスワティー女神の御生誕)

明日1月23日は、ヴァサント・パンチャミーの日です。ヴァサントとは、「春」の意味で、このお祭りは、春の到来を祝うお祭りです。光の祭典であるディーワリーは富の女神ラクシュミーを祀り、ナヴァラトリーはドゥルガー、そしてヴァサント・パンチャミーは、学問と芸術の女神であるサラスワティーを祀るお祭りにあたります。
ヒンドゥー教では、サラスワティー女神は、このヴァサント・パンチャミーの日に生まれたとされ、この日、盛大に祝福されます。
このお祭りでは、黄色が特に重要な意味を持ちます。黄色は、春の作物がたわわに実ることをあらわしています。この日、サラスワティー女神は黄色の衣装を装い祝福されます。またそれを祝う人々も黄色の服を着て、人々にふるまわれるお菓子なども黄色、食べ物もサフランなどで黄色に色づけがされています。
またインドの子供たちにとっても、この日は重要な意味をもつ日となります。
読み書きを学び始めるのに最適な日であるとされていることから、この日、子供たちは「あいうえお」を習い始めます。
この日を創立記念日とする教育機関も珍しくありません。
ヴァサント・パンチャミーを境に、自然が春の到来をつげることから、太陽の女神、大地の女神、そしてガンジスの女神に対してはとくに真摯な祈りを捧げます。
ヴァサント・パンチャミーは、作物の豊作を願う季節的なお祭りであるとともに、弁財天としてしられるサラスワティーの誕生を祝福し、より豊かな精神的・物質的教養を身につけるための重要な日です。
春の到来を祝い、今年も実り豊かな一年をお過ごしくださいませ。
参考:
“Birthday of the Goddess of Wisdom”, http://hinduism.about.com/library/weekly/aa020700.htm
“Vasant Panchami”, http://www.hinduism.co.za/vasant.htm

ガネーシャ・チャトルティー

本日は、ガネーシャ・チャトルティーの日です。
ガネーシャ・チャトルティーは、バードラパダ月の月が満ち始めて4日目(チャトルティー)に行われるガネーシャの降誕祭であり、テルグーではヴィナーヤカ・チャトルティーともいわれています。
インドの家庭では、新しく買ってきたガネーシャの像に毎日、2日〜10日間にわたって、甘いお菓子やお花を捧げ、プージャーを行い、最終日には神像を水に沈めます。
像の頭をもつガネーシャ誕生の秘密にはいくつかの物語がありますが、以下にインド神話伝説辞典[1]より引用してご紹介いたします。
『ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナ』(ガナパティ章)より
「ガネーシャはあるとき母のパールヴァティーの水浴の番を命じられていたが、そこに入ろうとした父シヴァ神をもしりぞけた。激怒したシヴァはガネーシャの首を切り落とした。パールヴァティーが息子の死を嘆き悲しんだので、シヴァは妻を慰めるために息子を生き返らせることを約束し、最初にそこを通りかかった象の頭をつけてしまった。」
『ウッタラ・ラーマヤナ』より
「シヴァの神妃パールヴァティーは夫とともに猿の姿となって森の中で睦み合っているうち身籠もった。するとシヴァは妻の子宮の中から自分の精子を取り出して風神ヴァーユに与えた。ヴァーユはそれをアンジャナーの胎内に入れると、たちまち身籠もってハヌマーンが生まれた。シヴァが像の姿となるとパールヴァティーも雌の象となって男の子を産み、ガナパティと名づけた。」
ガネーシャは仏教では大聖歓喜天、聖天として知られています。日本でも有名なこの愛しい姿をしたガネーシャ神を、今日この日、新たな気持ちでお迎えするとよいかもしれません。
インドで奇跡続出!?
プッタパルティでの「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」は2006年8月20日で終了いたしましたが(次回は来年1月にチェンナイで行われる予定です)、その最終日に前後して、インドで起こった奇跡の話題が世界中のメディアを騒がせています。
日本でも報じられたニュースを以下のリンクに掲載します。
海水の水が甘くなった
聖人の奇跡?「海水が甘い」と住民殺到 インド西部 (産経新聞 2006.8.19)
インドで奇跡!?「海水が甘くなった」と数千人が海岸に殺到(サンケイスポーツ 2006.8.19)
【こぼれ話】「甘い海水」求め海岸に住民殺到=聖人の奇跡?―インド(時事通信 2006.8.21)
神像がミルクを飲んだ
インド、神々の像がミルク飲む「奇跡」(ロイター 2006.8.21)
インドでまた「奇跡」 今度は牛乳(ロイター 2006.8.23)
またさらに、最新のニュースとしては、8月25日木曜日の夜、グジャラート州スラトのビルの壁面に、サイババが出現し、通行人が大騒ぎになったとの話題で盛り上がっています。
サイババが壁面に「出現」(タイムズ・オブ・インディア 2006.8.25)
壁にあられたサイババの顔をみようと数百人が殺到(ジーニュース 2006.8.25)
今度はスラトでサイババの奇跡(グジャラート・グローバル・ニュース 2006.8.25)
物質社会にどっぷりと浸かっている私たちにとっては、このような奇跡ともとれる現象には心が奪われてしまいます。しかし、聖人たちは、われわれがこのような変化に一喜一憂して騒ぎ立てるたびに、次のように嘆いているかもしれません。
「あなたのハートの甘露をもってすれば、辛い海水も砂糖水のように甘くすることはたやすい。神像にミルクを与えるならば、隣人に愛というミルクを与えることの方がどれほど尊いことか。あなた方が奇跡と騒ぎたてるものは、とるに足らない表象の変化を追ったものにしかすぎない。最大の奇跡は、あなた方の内面の変化に他ならないのだ。」と。
[1] 菅沼晃編、「インド神話伝説辞典」東京堂出版