ヨーガ・スートラ第3章第21節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


कायरूपसंयमात् तद्ग्राह्यशक्तिस्तम्भे चक्षुःप्रकाशासम्प्रयोगेऽन्तर्धानम्॥२१॥
Kāyarūpasaṁyamāt tadgrāhyaśaktistambhe cakṣuḥprakāśāsamprayoge’ntardhānam||21||
カーヤルーパサンヤマート タドグラーヒャシャクティスタムベー チャクシュフプラカーシャーサムプラヨーゲーンタルダーナム
肉体の形態に綜制を行うことで、形態を見られる能力が抑えられ、目と照明との接触が停止し、身体が見えなくなる。

簡単な解説:前節において、綜制を通じて他人の心を知ることができても、その知識は想念にだけにとどまり、その対象には及ばないため、想念の原因を知ることはできないと説かれました。本節では、綜制を自分自身の肉体に行うことで、見られる側の形態が持つ見られる能力が抑えられ、その身体は誰にも見えなくなると説かれます。

インド縦断ツアー5

カーマキャー寺院

タントラの中心地であるカーマキャー寺院は、たくさんの参拝客でごった返していました。
参拝のため並んでいる人たちを見ると、女神にまみえるまでには4~5時間くらいはかかりそうです。
1日で10の女神全部を参拝するためには、カーマキャー寺院は短時間で参拝しなければなりません。

通常、こうした場合「VIPルート」が用意されていて、高額なお布施を支払えば横から入れてくれるのですがカーマキャー寺院の場合は、もうその日のVIPチケットは売り切れていました。
寺院のトップに直談判するしかない、とのことでオフィスに向かいました。
驚いたことにカーマキャー寺院の現場のトップは、サリーが似合う大変美しい清楚な女性でした。
大きな椅子にちょこんと座るその姿は、インド映画のワンシーンのようにすら見えました。
遠い異国から来た私たちの話に熱心人耳を傾けてくれた女性は、経営のトップの許可を得るためにオフィスから出て行きました。
やがて大柄な僧侶2人を従えて戻ってくると、「いいでしょう。横から入ることを許可します。」そう言ってくれました。
微笑むその姿は本当に美しくカーマキャー女神ように見えました。ツアー参加者のある女性も「美しい人ね。」とため息をついていたのが印象的でした。

この寺院群を目的を持って参拝した日本人のツアーは、私たちが初めてだったのかもしれません。
ですのでどうしても、すべてを参拝したい気持ちでいっぱいでした。
その気持ちに応えてくださったのだと思います。

10の寺院すべてを巡り終えて、寺院の池の近くで一息ついていると、池に棲む伝説の200歳のスッポンが偶然水面から顔を出しました。
スーツケースほどある甲羅は迫力と威厳に満ちていましたが、老賢者のようにも見え、まるで私たちを祝福してくれているようでした。
度重なる幸運に女神の恩寵を感じました。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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弓矢を引くアーサナ

自分自身の身体という小さな世界の中で、霊的な探求の道を歩ませてくれるヨーガ。
そんなヨーガのポーズに、アーカルナダヌラーサナというポーズがあります。
「アーカルナ」は「耳へ引く」を、「ダヌラ」は「弓」を意味します。
「弓矢を引くポーズ」とされるこのポーズを通じては、神という標的を射抜く方法を見ることができます。

インド神話において、弓というと、ラーマ神の弓矢を引く姿を思い起こします。
そこには、シーター女神と結ばれるための神話が伝わります。

シーター女神の父であるジャナカ王は、シヴァ神より神聖な弓を授けられました。
弓はとても重く、この弓に弦を張ることに成功した者が、シーター女神の夫となることができるとされていました。
しかし、弓に弦を張るどころか、その弓を持ち上げることができる者すらあらわれません。

するとある時、ラーマ神があらわれます。
ラーマ神は、その弓を持ち上げ弓を張るだけでなく、2つに折ってしまうほどの力を持っていました。
そしてラーマ神は、シーター女神と結ばれたといわれます。

マーンドゥーキヤ・ウパニシャッドには、以下の一節があります(2.2.4)。

プラナヴァ(オーム)は弓である
アートマ(自己)は矢である
ブラフマー(神)は標的である
瞑想(弓)によって自己(矢)を制御することで
神(標的)を射ぬくことができる

神と一体になるための術として、プラナヴァというマントラの弓を用いて、自己という矢を制御し、神という標的を射ぬくということが説かれます。

弓矢を引くポーズは、同じように捉えることができます。
このポーズでは、足を伸ばして座り、右手で右足の親指を、左手で左足の親指を掴みます。
そして、片膝を曲げ、掴んだ親指を耳の近くにまで引いていきます。
このポーズの過程では、股関節やハムストリングの高い柔軟性、腕の筋力、そして均衡をとる力など、頭から爪先までの全身の動きの中で、深い集中力が必要とされます。

こうした身体を用いた瞑想(弓)の中で、完全に自己(矢)を制御できた時、このポーズで安らぎ(標的)を感じることができます。
そこでは、身体と心が一つに結ばれた、完全な境地を経験することができるはずです。
それは、神という標的を射ることにも他ありません。

ヨーガのポーズには、その一つ一つに深い意味が秘められています。
実践を通じてその意味を読み解くことで、真実の理解に近づくことができるに違いありません。

(文章:ひるま)

さまざまな神格におけるジャパ・マーラー

マントラを唱える際に欠かすことのできない数珠は、ジャパ・マーラーとして知られます。「マーラー」は、もともと「花輪」や「首飾り」を意味します。マントラを通じた祈りや瞑想によって、数珠は大きな力を持つようになり、私たちに恩恵をもたらします。

ジャパ・マーラーは、神格を象徴する木の実や天然石、その色などに応じて、勧められる種類があります。代表的な神格や、お問い合わせの多い神格に勧められる数珠を以下にご紹介いたします。神格に対応するマーラーを用いることで、さらに大きな恩恵を感じることができるでしょう。

・ガネーシャ神:ローズウッド(レッド・サンダルウッド)マーラー、8面ルドラークシャのマーラー
・ラクシュミー女神:ロータス・シード(蓮の実)・マーラー、7面ルドラークシャのマーラー
・ドゥルガー女神:クリスタル・マーラー、9面ルドラークシャのマーラー
・サラスワティー女神:パール・マーラー
・ガーヤトリー女神:クリスタル・マーラー
・カーリー:黒瑪瑙や黒壇などの黒い色のマーラー
・シヴァ神:ルドラークシャ・マーラー
・ヴィシュヌ神:トゥラシー・マーラー
・クリシュナ神:トゥラシー・マーラー
・ハヌマーン神:レッドサンストーン、レッドコーラル、レッドジャスパー、 レッドカーネリアンなどの赤い色をした石のマーラー
・スーリヤ神:ルビー・マーラー、12面ルドラークシャのマーラー
・チャンドラ神:パール・マーラー、2面ルドラークシャのマーラー
・マンガル神:レッドコーラル・マーラー
・シャニ神:黒瑪瑙や黒壇などの黒い色のマーラー
・アグニ神:3面ルドラークシャのマーラー
・ブラフマー神:4面ルドラークシャのマーラー
・スカンダ神(カールッティケーヤ神):6面ルドラークシャのマーラー、レッドコーラル・マーラー
・バガラームキー女神:ターメリック・マーラー
・チンナマスター女神:ゴーメーダ(ヘソナイト)・マーラー
・マータンギー女神:シトリン、イエロー・トパーズ、ルビーのマーラー

占星術師や宗派によって、勧められる数珠が異なる場合があります。
また、サンダルウッド(白檀)・マーラーは、どのようなマントラや神格にも勧められる数珠として広く用いられています。

136、インド音楽の楽しみ方(9)南インド古典音楽の即興部分

南インド古典音楽に於いても即興音楽は、古典音楽体系が南北に別れる前後の時代では、古代インド音楽/科学音楽の伝統として基本であった筈です。

しかし、何時頃か即興音楽は二の次になり作曲の再現音楽が主体になったのです。

10世紀に北からイスラム勢力が侵攻し、13世紀には南インドまで支配され、その後ヒンドゥー勢力が盛り返すことも多少ありましたが、ヒンドゥー寺院・僧侶・寺院音楽家たちは、辛うじて寺院音楽やヒンドゥー王朝宮廷音楽を維持している小王国を点々とすることになります。

そのような時代に、科学音楽の系譜にある即興音楽を演奏するよりは、ヒンドゥーイズムを強調した讃歌が好まれた可能性は大いにあります。

そして19世紀には、Tyagaraja(1767-1847)、Shyama-Shastri(1762-1827)、Muthuswami-Dikshitar(1775-1835)の三大楽聖が現れ、膨大な数のラーマ讃歌クリティーの名曲を著わすことによって、以後の南インド古典音楽の主流は、それらの再現が基本となってしまうのです。これにはイギリスの統治政策の一環であるヒンドゥーイズムの高揚も大いに関係しました。即ち、数百年も間、南インド古典音楽は、科学音楽の土壌に根差しながらも、その実践よりもヒンドゥーイズムの維持、高揚に努めねばならなかった事情があるのです。

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ところが、この数十年。特にこの十年、南インド古典音楽の潮流は即興演奏に傾きつつあります。或る意味「マノーダルマ・サンギート・ブーム」とも言えます。

「Mano-Dharma-Sangit」は古代音楽の用語で、即興音楽を意味し、作曲の再現である「Ano-Dharma-Sangit」の対峙語です。この言葉を高らかに語ること自体、長年アノーダルマが主体であったことを南インド音楽家自身が認めていることになります。即興音楽が主体の北インドでは数千年、わざわざそんな言い方はして来なかったのですから。
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南インドに於ける即興音楽の再興には、二つの要素が考えられます。ひとつは、「古代音楽への回帰」という精神論であり、もうひとつは「北インド古典音楽の影響」です。
長年、19世紀の楽聖の作品を再現することに至高の喜びを抱いていた南インドの音楽家と聴衆の中から、1970年代に少しずつ「即興演奏」に重きを置く演奏家が現れました。それは主に器楽(撥弦楽器:Vina、竹の横笛:Kural、弓奏楽器:Violinなど)演奏家からでした。

しかし、声楽家のコンサートやレコード発表では相変わらず再現音楽が主体でした。

器楽も基本は歌詞のある音楽の模倣でしたが、そもそも声楽に於いて前唱曲:アーラーパナや、本曲第三部チャラナムの後に展開する即興部分:スワラ・カルパナは「歌詞の無い部分:即興部分」でしたから、器楽にとっても自然に思う存分個人の音楽性を発揮出来る様式だった訳です。

このことからも分かりますが、「即興演奏」は、「科学音楽の具現」という意味合いとは異なる「個人芸の披露、自己実現、営業的要素、大衆迎合的要素」が、分別出来ずに渾沌と混在する危険性があった訳です。

尤も、近年急速に流行している、即興性の極めて高い様式「Ragam-Tanam-Pallavi様式」は、20世紀中盤に既にあり、私が敬愛して止まない女流声楽家スッブーラクシュミ女史もかなり昔に素晴らしい「Ragam-Tanam-Pallavi」の録音を残しています。
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ただ女史位の水準になると、個人芸の披露や決してイヤラシくなく、「彼女自身の才能と芸・技法」の他に、「伝統と様式美」そして「ラーガとターラ」が三位一体となって昇華・昇天するような見事さがありました。

それと比べてしまうと、近年の「Ragam-Tanam-Pallavi」には、ラクシュミ女史などの往年の巨匠がバランス良く表現した「三位」の後二つが決定的に貧相なので、結果「個人芸の披露=自己顕示の塊」のようなことになってしまう訳です。

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「Ragam-Tanam-Pallavi様式」とは

Ragamは、そのままの単語では、旋法ラーガのことになってしまいますが、この様式の語意では、前唱曲:アーラーパナの三部構成の第一部:Ragam-Alapanamの事です。

Tanamも同様、中庸の2拍子(ターラ概念は無い)で展開するアーラーパナの第二部でしばしば演奏される「リズム・ヴァリエイションの妙技」の様式です。

図で示したのがターナムの基本的な概念で、同じフレイズ(図ではSRG:ドレミ)を異なるリズム型で繰り返します。ターラの概念は無い部分ですが、2拍子的なノリの上で演奏していますから、2の倍数から外れることはあまり芳しくないのです。

尤も近年、図のようなことを全て演る人はまず居ません。冒頭だけやって、「あっターナムが始った」と聴衆に分からせた後は、北インド古典音楽アーラープの第二部「ジョール」のように即興を自在に展開します。

Pallaviは、クリティー様式の冒頭に歌われる、最も重要な主題(第一主題)部分です。クリティーの基本は三部構成で、パッラヴィ(第一主題)、アヌパッラヴィ(第二主題)、チャラナム(展開部)となっており、歌詞はそれぞれ、一行、二行、四行となっています。少なくとも百年二百年の伝統があるクリティーの即興部分は、チャラナムの後に付加されます(しなくても良い)。この場合四行ある歌詞の三行目をパッラヴィや、ターラと太鼓を伴う北インド即興音楽の主題「スターイー」のように用いて「主題/即興/主題/即興」と展開します。従って、パッラヴィというよりは、「チャラナムの三行目」ということですが、固有の名称がないためか「主題」の意味合いで「パッラヴィ」と言っているような感じです。

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すなわち、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」の基本となる「伝統曲の即興部分」は、「アーラーパナの自由リズムの第一部」「アーラーパナの2拍子の第二部」「チャラナムの後の即興部:スワラ・カルパナ」ということです。

「伝統曲の即興部分」は、この他に、アーラーパナの第二部で、ターナムとは別に、後の本曲の歌詞を自在な旋律で歌う「Niraval」がありますが、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」では、第三部Pallaviの歌詞を自在に変奏します。
しかし、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」は、ラーガ音楽よりも、ターラの技法や変奏の妙技をより重視しているため、逆に原曲の旋律のまま、拍数構成を替える方が好まれているようです。
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「Ragam-Tanam-Pallavi様式」の流行に見られるスタイルは、意識があろうとなかろうと、北インド古典音楽の模倣の要素が濃厚です。しかし、本来北インド古典音楽の即興性は、古代インド古典音楽に根差しているからであり、南インド古典音楽もそこに回帰する方向性にある、と言うことが出来る筈です。

しかし、実際の時代推移を見ますと、前述しましたように、まず器楽奏者から即興性が高まり、それを受けて声楽家が「Ragam-Tanam-Pallavi様式」を発展させた、という流れがある以上、精神論の「古代音楽への回帰」があったかどうか、は疑われるところです。

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北インド古典音楽の影響は、明らかな事実によって明確です。それは以下のような出来事が下地になっていると考えられます。

1)大元は南インド民族の血を引く、世界的に有名になったシタール奏者:ラヴィ・シャンカル氏の1960年代からの世界的な活躍。氏は、それまで北インド古典音楽音楽家がほとんどしなかった「南インド・ラーガの起用」を多く行いました。

2)南北インド演奏家の共演。これもラヴィ・シャンカル氏が発案者と言えるもので、南北古典太鼓の共演、南インド古典ヴァイオリンの起用を、欧米での音楽活動で積極的に行いました。

3)それによって、本来コテコテの伝統古典派の家柄のL・シャンカル、スブラマニアム兄弟が欧米で活動し注目され、L・シャンカルは、ジャズ・ギタリストでインド音楽に傾倒したジョン・マクラフリンのインド・ジャズ・アンサンブル「シャクティー」で大活躍します。そのコテコテの南インド古典音楽即興演奏の世界的な成功を南インドの若手音楽家たちが触発されない筈もなかったのです。

4)ラヴィ・シャンカル氏と同世代、同時代の南インド撥弦楽器ヴィ―ナの異色な巨匠バラチャンデルの活躍。

正確には活躍と言うより「派手で目立った」に過ぎないかも知れません。氏のヴィ―ナは、極太の象牙を糸巻にふんだんに使い、一般演奏家が、金箔どころか、日本の子どもが使う「折り紙」の「金紙」を貼る装飾部分に純金を施し、(派手なだけで、大した名演奏家でもないのに、何処からお金を得たのか?) 純金縁の眼鏡に、聴衆の眼が嫌でも行く左手には純金の大きな時計をはめて、ヴィ―ナをシタールのように弾いた御仁です。かと思えば、それまで誰も録音しなかった南インド古典音楽の基本ラーガの72を全集で発表したり、後にも先にも居ないような演奏家でした。

流石に温厚で朴訥とした性質の南インド人からは、そんな彼を真似る者は、未だに現れては居ないようですが、彼によって「堰が切られた/タガが外れた」はあると思われます。その他、マンドリンの超絶技巧で古典を演奏した天才少年(当時)、才色兼備の古典声楽三姉妹「ボンベイ・シスターズ」など、しばしば派手な人も現れていました。
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一方の北インド古典音楽も、宮廷音楽が終焉して、「芸術音楽」となった戦後、次第に科学音楽から遠のき、パーフォミング・アーツの方向に邁進しました。

既にアーラープの話しで述べたように、現行の最古の様式:ドゥルパドは、アーラープでも本曲でも、その「ラーガ具現展開」には、「スターイー、アンタラー、サンチャリー、アボーグ」の四節があったのです。従って、シタールなどの器楽:ガットの主題も南インドのクリティーよりひとつ多い、四つの主題(スターイー、アンタラー、サンチャリー、アボーグ)をきちんと演奏してからでないと即興に入れなかったのですが、既に19世紀頃には、サンチャリー、アボーグが割愛され、20世紀末にはアンタラーも冒頭に一回演奏するだけとなり、それも次第にアドリブ的に変化して行きました。

つまり、北インド古典音楽も、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」のパッラヴィのようなことになっていたのです。
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また、北インド古典器楽:ガットでは、エンディング間近に、太鼓:タブラとの掛け合いなどの「見せ場」があります。また、ラヴィ・シャンカル氏は、欧米のコンサートで、「タブラ独奏」の演目を多く見せ、海外の聴衆の大きな興味を掻き立てました。

南インドでも、ある程度昔から、北インドの影響ではなく、「打楽器アンサンブル(ソロ回し):ターラ・ヴァディアム・カチェリ」や、太鼓ソロ「ターニ・アヴァルターナム」がありました。それが、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」や「マノーダルマ音楽の流行」の時代になると「聴衆のお楽しみ」として、多用されるようになるのです。「Ragam-Tanam-Pallavi様式」ではしばしばパッラヴィの後に太鼓ソロが加えられます。

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カラー写真は、バラチャンデル氏のLP。三大楽聖のDikshitar作品を集めています。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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スタッフ日記:フード・サービス・プログラムのご報告(今年のモンスーン)

フード・サービス・プログラムにご支援をいただいている皆様、本当にありがとうございます。
最近の写真が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

インドの各地で酷暑期が続いていますが、南インドのケーララ州では、待ちに待ったモンスーンが始まりました。
今年はモンスーンの前にも雷雨が頻繁に発生し、水不足が深刻になるこの時期の大きな恵みとなりました。
それでも、暑い夏が続き、これまでよりは患者さんの多い時が続いています。


モンスーンが始まり、湿気が増えるこれからの雨季にかけては、患者さんがもっとも多い時期となります。
5月には、ケーララ州の一部地域において、致死率の高いコウモリが媒介とされるニパ(Nipah)ウイルス感染症が流行り、緊急措置が発動されていました。
現在、状況は落ち着いているようですが、病院関係者や一般の人々を含め、多くの人々が心配をする日々を過ごしているようです。

モンスーン時は、蚊を媒介とする病気など、さまざまな病が流行る時期です。
貧しい人々は、正しい予防策を取れず、病にかかりやすかったり、重症化しやすい傾向があります。
苦しい時など、一人でも多く人々が支えを得られ、少しでも心安らかな日々を過ごせるように、支援活動を続けて行きたいと思います。

皆様の温かいご支援に心より感謝申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

礼拝用具に勧められる銅と真鍮

神々を礼拝する際には、さまざまな礼拝用具が用いられます。
神聖な品々を祀るお皿、供物を捧げる器、聖水を捧げるスプーン、お香立て、ハンドベル、オイルランプなど、祭壇にはさまざまな礼拝用具が並びます。

インドでは古来より、こうした礼拝用具には銅や真鍮といった金属類を用ることが勧められてきました。
金属類の持つ微量金属作用、特に、銅には優れた殺菌効果があることが伝えられます。
真鍮は黄銅とも呼ばれ、銅と亜鉛からなる合金です。

アーユルヴェーダでは、銅の容器に一晩入れた水を朝飲むことが勧められる場合もあります。
病に対する治療のなかで、銅が用いられることも少なくありません。

こうした銅の優れた殺菌・浄化作用は、周囲のタマス(惰質)やラジャス(激質)といったネガティブなエネルギーを払拭し、サットヴァ(純質)なエネルギーを引き寄せる力を持つと信じられます。
また、銅は古来より、金星に繋がる物質として崇められてきました。
その銅を礼拝に用いることで、豊かさや繁栄が引き寄せられると信じられる場合もあります。

礼拝用具をそろえる際には、合成樹脂やガラスなどを避け、銅や真鍮といった金属類の器を用いることが良いでしょう。

チャイルド・スポンサーシップのご報告(2018年5月)

チャイルド・スポンサーシップ(子どもの教育支援)にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。
5月の配給時の様子が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

現在は酷暑期が続き、インドの多くの地域で夏休みを迎えています。
一方で、ケーララ州では待ちに待ったモンスーンが始まりました。
雨季を迎え気温が下がり始めると、新学期が始まります。
5月の配給は、新学期を迎えるための学用品などを配る時期です。

今回は、NGOの代表が国連の核軍縮の会議のために米国に滞在していたため、また、夏休み中で遠出をしている子どもたちもいることから、施設での配給の集まりを見送りました。
通常であれば、新学期を迎えるための学用品を配る時期となりますが、子どもたちの通う学校によって、必要なものがさまざまに異なります。
主にダリットの人々が中心であるNGOのスタッフだけでは、それぞれを適切に購入することが難しい状況でした。
そのため、5月はフードサービスを行うリキシャドライバーのスレーシュが、1家庭にRs.1500(約2500円)を配りに歩きました。
主に、制服や通学バックを準備する資金となります。
資金は、必要な学用品をそれぞれ購入するよう、主に母親に手渡されました。
毎回の配給時におけるさまざまな話によって、母親たちは教育が子どもたちのより良い未来を築くことを理解し、とても教育熱心です。
それぞれの子どもに見合った適切な学用品が準備されたとのことでした。

今月は配給時の写真がなく誠に申し訳ございません。
4月の終わりに、NGOが支援するろう者の方々が集まる教会において、ろう者の親をもつ子どもたちへ学用品の配給を行った際の写真を掲載させていただきます。

チャイルド・スポンサーシップのリストには入っていない子どもたちですが、必要な時にはこうして支援を行っています。

ろう者の方々が集まる教会はとてもシンプルです。お説教は手話で行われ、前の黒板が使われることもあります。
中には、絵葉書作成を通じて、収入を得る女性もいます。

十分な学用品を手にした子どもたちは、夏休み明けの新学期を楽しみにしているようです。
モンスーンは恵みの雨をもたらしますが、貧しい人々は十分な食糧を得ることが難しかったり、病にかかったりと、マイナスの面もあります。
6月の配給は、食糧を中心に配給が行われる予定です。

いつも温かいご支援をいただき、心より御礼申し上げます。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第3章第20節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


न च तत्सालम्बनं तस्याविषयीभूतत्वात्॥२०॥
Na ca tatsālambanaṁ tasyāviṣayībhūtatvāt||20||
ナ チャ タトサーラムバナン タスヤーヴィシャイーブータトヴァート
ただし、その原因を知ることはできない。それは、対象には及ばないからである。

簡単な解説:前節において、綜制を通じ、想念を直観することで、他人の心を知ることができると説かれました。本節では、他人の心を知ることができても、その知識は想念だけにとどまり、その対象には及ばないため、想念の原因を知ることはできないと説かれます。

ラクダのアーサナ

心身の鍛錬法として、世界中に広まったヨーガ。
古代より、霊的な探求者たちによって実践されてきたヨーガは、現代を生きる私たちにも、その道筋を見せてくれます。
そんなヨーガの中で、自己探求の道を開くウシュトラーサナというポーズがあります。

「ウシュトラ」は、「ラクダ」を意味します。
ラクダのコブのように胸を突き出すこのポーズは、深く後屈をする難易度の高いポーズとして知られます。
このウシュトラーサナの実践は、自分自身と向き合うための長い旅路のように映ります。

日常生活の中で背中を反らせることが少ない私たちは、こうした慣れない動きに、まずは困難を感じます。
大きく後屈し、腰にかかる負担の中で、身体をどこまで伸ばしていいのか、恐れや不安が伴うこともあります。
そこではまず、自分自身の身体と心に対する理解を深めなければなりません。

ウシュトラーサナの実践では、胸が大きく開きます。
胸を開く動作は、愛情や感情、慈愛や受容を司るアナーハタ・チャクラに働きかけると伝えられてきました。
このポーズを通じて心を開く時、自分自身と向き合うための広い空間が生み出されます。

その空間の中で繰り返す後屈の鍛錬は、何よりも、自分自身の身体と心に対する信頼感を築くものでした。
実践を重ね、見えない恐れや不安が取り除かれていくと、伸び伸びと後ろに反ることが可能となります。
そうして背骨が柔軟になる時、エネルギーはより自由に流れ、人生を豊かに生きるための持久力や柔軟性が授けられます。

人生において厳しい状況に直面している時、または感情が塞ぎがちな時、このポーズの実践は特に難しく感じることがあります。
それはまるで、砂漠を行くラクダの旅ように例えられるかもしれません。
見えない目的地は、時に苦しい状況を生み出します。
しかし、その歩み自体に、私たちを成長させる大きな恵みがあるはずです。

自分自身の身体という小さな世界の中で、霊的な探求の道を歩ませてくれるヨーガのポーズを通じて、自己探求の旅に出かけて見るのも良いかもしれません。

(文章:ひるま)