マウニー・アマーヴァシャー2020

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1月24日は新月です(日本時間では25日)。マカラ・サンクラーンティを終え、太陽が北へ回帰するウッタラーヤナ(冬至から夏至の6ヶ月間)に入り最初に迎える新月は、霊性修行を行う重要な時であるといわれます。

マーガ月(1月~2月)の新月となるこの新月は、マウニー・アマーヴァシャーと呼ばれ、1年に訪れる新月の中でもとりわけ重要な新月とされます。マウニー・アマーヴァシャーは沈黙の新月を意味し、インドの各地ではさまざまな行いが執り行われます。

満ち欠けをする月は、変化をする私たちの心の象徴として捉えられてきました。喜びや悲しみ、慈しみや憎しみ、月はそうした変化に富む私たちの心のようであり、実際に、月の満ち欠けのエネルギーは、私たちの心に大きな影響を与えるといわれます。この神聖な新月の時、心の平安を得るために実践されるのが、沈黙の行いです。

沈黙は、マウナと呼ばれるヨーガの修練の一つであり、霊性を育む大切な術として広く実践されています。自分自身の本質に気づくための大切な行いとして、実際にヨーガの修練においては、沈黙を実践する時間が度々あります。

心にふとあらわれる感情や思考から生まれる言葉に自分自身を重ねる私たちは、簡単に自分自身の本質を見失う瞬間にあふれています。湧き出る感情や思考のままに言葉を操り、その結果に苦しむことも少なくありません。しかし、決して嘘をつくことがない沈黙は、いつも変わらずにある自分自身の本質に気づかせ、確かな平安を授けてくれるものです。

マウナとは、単に言葉を発しない沈黙を意味するものではありません。それは、心の動きが静まった、静寂を意味するものです。この新月を通じては、内観する時間を過ごして見るのも良いかもしれません。その実践を通じて、大きな平安が授けられますよう、心よりお祈り申し上げます。

203、アーユルヴェーダ音楽療法入門65 (今、なぜスピリチュアルか?-4-)

「アニミズムに立ち戻って考えてみよう」
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そもそも「スピリチュアル」という言葉の意味は? そう問われても、実のところ曖昧な返答しか出来ない人が多い。つまりは、そもそも論理的な概念は構築されていないのです。
しかし、人間文化史の中では、既に紀元前から存在したことは明らかで、アニミズム信仰が宗教に取って代わられる頃(インドの場合は世界的にみてもこの変遷の構造がかなり違いますが)、「宗教的理念・道徳・死生観と人生観」がメイン・カルチャーの地位を確固たるものにしたのに対抗して、スピリチュアルは、常にサブ・カルチャー的に、しばしばアンチテーゼとして存在し続けました。例えば、キリスト教が旧約聖書の信仰を取り込んで新たに新約聖書を創作して社会と文化の中心の権力を得ようとした時代、旧約聖書を堅持したい人々(ユダヤ教に限らず)や、アカラサマなアンチテーゼの性格が強い悪魔教や、グノーシス派などが台頭したのも、この構図の典型例と言えます。
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その後、中世後期には、キリスト教自体が分裂、多様化したため「メインとサブの二極構造」が分かりにくくなったことで、アンチテーゼ的な存在感を持つ思想・信仰は比較的終息していました。しかし、近代になると再び、「神智学」「人智学」などが、哲学の衰退と入れ替わるようにして民間の信心を集め始めます。
同じ構造は、日本の仏教でも見られましたが。仏教の場合、当初から多様化していたため、やはり「メインとサブの二極構造」が分かりにくい状況でした。
分かり易く言うと、キリスト教社会の場合、キリスト教の善悪観念・理念・道徳観では、どうにも説明し切れない矛盾や不条理を納得せんが為に、全く逆の価値観にその答えを求めたのです。現代人の「無信仰」や、イスラム教(の中の過激で多分に歪んだ)原理主義教団に欧米人の若者が憧れたりするのも、全体を俯瞰すれば、同じ心理の表れと考えることが出来ます。
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日本の場合は、1990年代に、多くの新興宗教が生まれ、若者の入信が盛んになりましたが、幾つかの教団が反社会的な事件を起こしたことで、「何となくの嗜好」程度のレベル、「個人的な興味・好奇心」のレベルであれば「文句は言わせない」ような感じで収まっています。しかし、逆に言うと、その正当性や、真実、誠意というものは問われないまま。その意味では、本当に人間を救うこともなければ、社会も救えない訳です。
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言葉で読み書きする程簡単なことではありませんが、一旦「アニミズム」の視座に立ってみて、考えて欲しいと思います。

簡単に言えば「もの皆神(や精霊や魂)が宿っている」ということと、「一人ひとりの人間の中にも宿っている」ということ。そして「森羅万象=身の回りの全ての事柄・存在・出来事=大自然=地球全体=宇宙、というものの俯瞰。その一部としての人間世界。その僅かな微細な存在としての個々の人間」というサイズ感を抱いて生活し生きる、という感覚です。
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この感覚に立って世の中を見渡しますと、如何に強烈に「人間本位の世界観」が成り立ち、何千年もの間、殆ど疑われることなく、まかり通って来たことに驚愕することでしょう。

例えば、最近になって世界中で慌てて「地球温暖化問題」が問われているように。例えば、同じように「自然保護」「動物愛護・絶滅危惧種の保護」などが語られているように。

人間は、その歴史の殆どの時期、「自然や生き物」のことや「目に見えないもの」「科学がまだ解明していないものごと」について、殆ど考えもしなければ、向かい合いもしなかった、ということです。
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スピリチュアルなことに興味関心がある人のみならず、インド文化やアーユルヴェーダに関心がある人の中にも、人間本位の世界観にさほど疑問を持たない人は少なくありません。「間違っている」とか、「何が正しいか」とかいうテーマで申し上げたいのでは決してありません。重要なテーマは、「スピリチュアルは信仰なのか?」それとも「生き方・価値観なのか?」「単なるファッションなのか?」ということや、「生き方・価値観・信仰」であったとしても、「アニミズムの要素と宗教の要素はどうなっているのか?」というテーマです。
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例えば、キリスト教の場合、「人間以外の生き物」について、さほど関心や慈愛を抱いている様子は見受けられません。私には敬虔なクリスチャンの友人が沢山いますし、そもそも私の母方の家系は、明治維新のころからクリスチャンで、祖母は教会のオルガン(ハーモニウム)弾きでした。なので、「決め付け・印象論」で申しているのではありません。
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私が昆虫飼育にハマっていた頃(元々は小学生時代ですが2000年代初頭に再発しました)。房総半島の先端の村で集団生活をする、アメリカ人宣教師の友人たちの小さな共同社会にホームステイしました。彼らの賛美歌CDに民族楽器の音を提供しつつ、昆虫採集に明け暮れたのです。
面白かったのが、町の道ですれ違うアメリカ人ごとで、挨拶の言葉が違うのです。「おはよう!どうだい!?Beetle(カブトムシ)は採れたかい?」と声を掛けてくれる人もあれば。「おはよう!どうだい!?Insect(昆虫)は採れたかい?」と言った人。「おはよう!どうだい!?Bug(虫けら)は採れたかい?」と言った人。と様々なのです。無論、言った人はいずれも優しく、私に親愛の気持ちを抱きながら、良い意味で言っているのですが、「Beetle、Insect、Bug」と、ご自分が、如何に無意識に(如何に段階的に)昆虫を卑下しているか、について気づいていないのです。
そして、
残念ながら、
「おはよう!どうだい!?お友達は見つかったかい?」と言った人はいませんでした。

つまり、一切の悪気もなく。人それぞれで、人間以外の生き物に対する意識が全く違う。ということはキリスト教の教えでは、「生き物のに対する基本的観念を教えていない」ということに他ならないのです。
これは仏教もほぼしかりです。ところが、アニミズムの場合は、「もの皆神(精霊)が宿る」ですから、かなり身近に感じている。アニミズム性が強かった日本の神道系の信仰も(本来は)しかりです。
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そして、インドのブラフマン教~ヒンドゥー教もまた、基本に強いアニミズム性がありますから、サラスワティー女神が「白鳥に乗り」「孔雀をお供にし」。ガネーシャ神が「ネズミをお供にし」。ドゥルガー女神が「ライオン(虎)に乗り」。シヴァ神が「生きた毒蛇をネックレスにし」。ヴィシュヌ神が「多頭の蛇をお供にし」。ラクシュミ女神が「象をお供にし」。そもそもガネーシャ神は、象頭ですし、ラーマ王子の側近ハヌマーンは猿。ガルーダは鳥。と「生き物だらけ」です。

この感覚は、仏教にも受け継がれ、中国、日本でも様々な動物がお供として描かれますが、大概は一種一頭がせいぜい。その感覚から見るとインドは異様です。
それでもインド~中国~日本と伝わった釈迦涅槃図には、昆虫から蛇、蟹迄が描かれています。
そもそも仏教の重要な教えのひとつ「衆生済度」の「衆生」は、人間以外の生き物を含んでいるのですが、そのニュアンスが「人間を含む全ての生き物」が本来だったのが「人間以外の生き物を含む」に変わった辺りでかなり本質が失われた感が否めません。

一方チベット仏教では、ブラッド・ピット主演の「チベットの七日間」という実話を基にした映画では、映画関係者であるピットが演じた遭難した登山家が、チベットに映画館を造らんとするが、工事が何度も中断する。それは、地面を掘る度に「ミミズ様が出た」と作業が中止になるから。という場面がありました。
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このように、理屈で言えば、本来「インド系スピリチュアル」に造詣、関係が深い人々は、いずれも「自然保護、動物愛護」に理解、関心が強く、その必然性、重要性を深く想っているはずなのです。

また、2011年の東日本大震災以降、様々な懸念・気配が一気に現実化し、年々その規模は広がる一方で、より深刻になっていると誰もが分かり始めて来ています。

しかしながら、相変わらず「枝葉執着」、自分たちの身の回りの安寧を願うばかりで「樹を見て森を見ない」。今こそ、スピリチュアルに理解がある人々が、論理的に地球・世界・社会を俯瞰して、精神的な活動を始めて貰いたいものです。

図:サラスワティー女神
意外に、白鳥(ハンス)を乗りもの(ヴァーハナ)としているポスターは少ないみたいです。すると「お供」が白鳥と孔雀の「どっち?」となってしまい、最近では、一方のみ描かれることが多いようです。

サラスヴァティー・ポスター
https://sitarama.jp/?mode=cate&cbid=58553&csid=18

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

昨年夏、一年ぶりの若林の新著「日本の伝統楽器(ミネルヴァ書房:19年8月20日発売)」が出ました。
「インドに関係ないじゃないか!?」と思われるかも知れませんが、無論、当書では書き切れませんでしたが、「日本の楽器→ルーツ(ペルシアとインド)」の物語の背景には、「Naga-Sadhu(裸形上人)」や「Saraswati(妙音天)派修行僧」などの活躍が大であるという解釈が存在します。機会を得る度に、その核心に迫って行きますので、どうぞ応援下さいませ。
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若林は現在、福岡及び近郊の方の「通いレッスン」の他に、全国の民族音楽・民族楽器ファンの方々にSkypeでのレッスンを実施しています。体験の為に、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」も行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui(毎月の実施日時も掲載しています)」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

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また、Hindu Chant講座Vol.1 https://youtu.be/_UPLRjMFFpo 「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」https://youtu.be/wWmYiPbgCzg をはじめとした多くの「紹介動画」をYou-Tubeにアップしております。是非ご参考にして下さいませ。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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2020年のサンクラーンティ

Woman meditating in sitting yoga position on the top of a mountains above clouds at sunset. Zen, meditation, peace

2020年は1月15日に、太陽の北方への回帰を祝福するマカラ・サンクラーンティを迎えます。
このマカラ・サンクラーンティは、冬の終わりを告げる祝祭です。

ヒンドゥー教の暦には、サンクラーンティと呼ばれる重要な時があります。
サンクラーンティは「変遷」を意味し、太陽がラーシ(インド占星術における12星座)からラーシへと移ることを意味します。

2020年の12のサンクラーンティ(日本時間)をご紹介いたします。

1月15日 マカラ(山羊座)・サンクラーンティ
2月13日 クンバ(水瓶座)・サンクラーンティ
3月14日 ミーナ(魚座)・サンクラーンティ
4月14日 メーシャ(牡羊座)・サンクラーンティ
5月14日 ヴリシャバ(牡牛座)・サンクラーンティ
6月15日 ミトゥナ(双子座)・サンクラーンティ
7月16日 カルカ(蟹座)・サンクラーンティ
8月16日 シンハ(獅子座)・サンクラーンティ
9月16日 カニャー(乙女座)・サンクラーンティ
10月17日 トゥラー(天秤座)・サンクラーンティ
11月16日 ヴリシュチカ(蠍座)・サンクラーンティ
12月16日 ダーヌ(射手座)・サンクラーンティ

12のサンクラーンティは、以下のように4つのカテゴリーに分けられます。

マカラ・サンクラーンティとカルカ・サンクラーンティは、アヤナ(半年)・サンクラーンティと呼ばれます。
マカラ・サンクラーンティよりウッタラーヤナ(ウッタラ・アヤナ、太陽の北回帰)が始まり、カルカ・サンクラーンティよりダクシナーヤナ(ダクシナ・アヤナ、太陽の南回帰)が始まります。

メーシャ・サンクラーンティと、トゥラー・サンクラーンティは、ヴィシュナヴァ・サンクラーンティと呼ばれます。
春分と秋分と同じ概念があります。

シンハ・サンクラーンティ、クンバ・サンクラーンティ、ヴリシャバ・サンクラーンティ、ヴリシュチカ・サンクラーンティは、ヴィシュヌパディー・サンクラーンティと呼ばれます。

ミーナ・サンクラーンティ、カニャー・サンクラーンティ、ミトゥナ・サンクラーンティ、ダーヌ・サンクラーンティは、シャドシティームキー・サンクラーンティと呼ばれます。

参照:2020 Sankranti Calendar

スタッフ日記:第54回アンナダーナ終了しました!

第54回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。
今年最初の実施は、首都ニューデリーのAIIMS病院となりました。

病院では16回目の実施となり、今回も滞りなく終えることができました。
今冬、首都のデリーは記録的な寒い冬となっています。
年末には過去119年において最も低い気温となり、最高気温は9度、最低気温も1度台まで下がりました。
路上で生活をする人々の中には、シェルターに避難をし過ごす人々もいます。

年が明けると寒さは少しずつ和らぎ、アンナダーナを実施した日は朝から太陽が照る清々しい日となりました。
病院の周辺では常にアンナダーナが実施されているため、食事を求める路上生活者の人々が多くいます。
また、病院へは、一年を通じて常夏の地域など、遠方から訪れている人々も多くいます。

慣れない寒い冬を過ごしている人々が多いため、今回はいつも以上にスパイスを効かせたサブジー(野菜のカレー)を作ることにしました。
インドでは、季節や体調に応じ、絶妙な加減でスパイスを使い分け、食事を通じて心身の調和をはかることが多くあります。
極寒の冬が続いていた今回は、スパイスの効いた風味豊かで少し刺激のあるサブジーを配り、食事を楽しんでいただくことができました。
準備から配膳まで滞りなく進み、1000食分以上を配り終えています。
今回も配膳を始めると大行列となり、食事は2時間半ほどで配り終えることができました。

インドでは、1月15日にマカラ・サンクラーンティという日本の冬至にあたる祝祭が祝福されます。
太陽が北方に回帰し暖かくなり始め、3月には40度近い気温になることもあります。
厳しい自然環境の中で生きる人々の生活を通じては、自然ととも生きる術を学ぶことがとても多くあります。
環境対策の一環として、首都デリーではアンナダーナの実施を禁止するというニュースが出ましたが、現在のところ、周辺に気を配りながら実施をすることができています。
究極の霊性修行の一つでもあるアンナダーナを通じ、今年も少しでも社会のお役に立つことができますよう、尽力して参りたいと思います。

今後も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

第62回グループ・ホーマ(パウシャ・プールニマー)無事終了のお知らせ

第62回グループ・ホーマ(パウシャ・プールニマー)にお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

ナヴァグラハを礼拝する、第62回グループ・ホーマは、1月10日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

第62回グループ・ホーマの実施内容はこちらよりご覧いただけます。

202、アーユルヴェーダ音楽療法入門64(用語辞典:ス)

お詫びと言い訳
しばらく間が開いてしまいました。申し訳御座いません。実は、年末年始、酷い「気管支炎」に苦しんでいました。感染症ではなく、二年近く楽器製作を頑張りすぎて、ベビーパウダーほどに細かい大鋸屑(木の粉)やシンナー、剥離材の気化を吸い込んだ無理がたたったようです。内視鏡検査もしましたがお医者さんも「良く分からない(極端な重篤な所見は無い)」とのこと。ところが、仮眠中に「息が止まって飛び起きて、指を喉に突っ込んで解除」というトンデモないことが八回以上もあったので、流石に「気分感情思考」は、かなり落ち込んでいました。それだけならば、むしろ、論理思考を活性化させる原稿書きで元気になれそうですが、咳が止まらないだけでなく。人生初の強烈な咳で、肋骨にヒビが入ってしまい、デスクに座っても咳と肋骨の痛みで集中出来ないという有様でした。
この体験と共に、やむなくお世話になった町のお医者さんの化学製剤、効かなかったり効き過ぎたり、効いたけれどタイミングと方向性が違ってむしろ苦しかった漢方や生薬。改めて我が身で更に学びました。
何時もご高読下さる方、ご愛読しているとおっしゃって下さった方々、そして、何時も(保護猫の看病などに忙殺されることがしばしばなので)温かく見守って下さるシーター・ラーマさんに、心よりお詫びと感謝をお伝えいたします。申し訳御座いません。ありがとう御座います。
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用語辞典:ス

スークシュマ:
10(20)の構成物質(力、性質、存在原理も意味する)「10(20)グナ」のひとつ。「微性」。

スークシュマ・シャリーラ:
ある程度解剖学的である「人間の体を三層に分別する:トゥリ・シャリーラ」のひとつ。中間層にある「精神層」最も外側の「ストゥーラ・シャリーア:目に見える身体構造(皮・肉・臓器・血管など・骨)」の内側にあるとされる。字義的には「微細層(部分、体)」。

スークタム:
ヒンドゥーの賛歌のひとつ。神々(一曲は一柱を選んで歌う)の賛辞を歌う。現行の讃歌では、最も伝統的なもののひとつで、現在でも「二音唱法」で歌われ、「二音唱法」の中でも、より古いスタイルで歌われることが多い。※

スネーハ(フ、ホ):
「油性」。「10(20)グナ」とは別な属性を意味するという解釈もあれば、「10(20)グナ」のひとつ「スニッダ」と同一視する解釈もある。スニッダ(後述)がより「あぶら性」的なのに対し、スネーハは、必ずしも化学的に「脂肪・油分」を意味していない場合も少なくない。

スマラナ(ム)
ヒンドゥーの賛歌のひとつ。神々(一曲は一柱を選んで歌う)の御名を唱える。字義は「記憶・回想・想起」で、「神を忘れては居ない」と伝える。儀礼の冒頭に歌われ、伝統的には、より古い「二音唱法」であったが、近現代では七音で歌われたり、キールターンのように主唱者と群集が掛け合いで歌うようなことが増えた。※

スムリテ:
「記憶力」

スニッダ:
10(20)の構成物質(力、性質、存在原理も意味する)「10(20)グナ」のひとつ。「油性」

スパンダ(ナ):
1)振動。
どちらかと言うと「反復運動」に近い。
2)アーユルヴェーダ病態・病理学に於いては「痙攣」「心拍数の上昇(高血圧)」についても言う。

スパルシャ:
1)インド古代古典音楽に於ける装飾音(装飾法)のひとつ。「前打音=主要な音の直前に軽く触れるように鳴らされる」
2)アーユルヴェーダ医学に於ける「感覚器官(機能)」「触覚」「皮膚感覚(転じて皮膚を言うことも)」。

スピリチュアル:
通常、とても楽に簡単に用いられている語ですが、極めて、翻訳が難しい語のひとつ。日本でこれを「精神世界をテーマにしたもの」としたのは、1970年代に出版社が画策したブック・フェアーでのこと。同様に世界的にも商売やご利益宗教のご都合で語られることが多い。本来文字通りにより正しく理解すれば、「Kosha(鞘)論」に於ける、「心の領域(とその関連の文物、出来事)」であり、古代ヴェーダ科学では、その内側の「魂の領域」と合わせて説かれることが多いのは、紀元前の人間が悟性豊かで信心(アニミズム的な)深かったからの他ならず、近現代の人間のように「最も外側の鞘:気分・感情」で、「心が動いた」としたがる風潮に於いて、「果たしてスピリット(心)は存在(健康的に活性化している)しているのか?」と問われれば、極めて懸念され、必然的に巷の「スピリチュアル」の主流の感覚も、その実は、「気分感情世界」というべきかも知れない。

スラクシュナ:
10(20)の構成物質(力、性質、存在原理も意味する)「10(20)グナ」、及び「3オージャス(生命力)のひとつ。「滑性」。

スーリヤ:
「太陽神」。ブラフマン教~仏教~ヒンドゥー教には、少なくとも六柱の「太陽神」が在るが、スーリヤは、最も新しい太陽神。言い換えれば、亜大陸の宗教の変遷を生き抜いた太陽神とも言える。(詳しくは当連載・当用語辞典後半の「タ行:太陽神」を参照されたい)。そのような、神々の混乱と変遷の中で、スーリヤの起源については諸説が乱立する。ブラフマン教時代は、一時期インドラに並ぶ力を持った。ヒンドゥー時代には、シヴァ、ビシュヌに圧倒された。しかし、ブラフマン教初期に太陰教を駆逐した太陽教の中心としての権威は密かに継承されているとも考えられる。

スール:
「音」のこと。→「スワル」参照。

スール・バハール
ベース・シタールのこと。楽聖ターンセン(16c.)の一族:ウムラオ・カーン(19c.)が、「甲乙付けがたい二人の一番弟子」の一方に「小型シタール」を特注して与え、他方に「大型シタール」として、この楽器を創案して与えたのが始まりと言われる。前者は、その頃既に宮廷器楽の地位を得ていた、マスィート・カーンのスタイルやレザ・カーンのスタイルの(新様式の)器楽を弾いたが、後者は、ターンセン一族の真骨頂である「ドゥルパド様式」の器楽を弾いた。現代では、この楽器を「単なる低音シタールのように弾き」「ドゥルパッド」の香りすらない演奏者が幅を利かせている。

スール・ダース:
16世紀の聖人で、バクティー(献身)運動期のヒンドゥー讃歌「バジャン」の四大詩人のひとり、四大詩人の中では、唯一の盲人。所謂ペンネームに近いこの名前は「スール(音)・ダース(僕)」の意味。著書のタイトルもまた「スール(音の)・サーガル(海)」と、音楽的な呼称にこだわった。

スール・マルハール:
北インド古典音楽の旋法(Raga)のひとつ。上記の聖人スール・ダースが創作したとして継承され「スールダースィ・マルハール」が正式名称。中世後期から混同されがちな、いずれも極めて古い「マルハール(マッラール)・ラーガ」と「カナラ(カンハラ)・ラーガ」であるが、このスール・マルハールは、本来のマルハールの性質にかなり正確に準じている。

スール・マンダール:
箱型のハープ。→スワル・マンダール

スール・シュリンガール
中世後期(18c.)に創作された宮廷音楽の弦楽器。18世紀に、北インドのデリー北東地域ローヒルカンドに展開するアフガン傭兵軍閥の楽師が、デリー宮廷楽師の主流派ターン・セン一族に師事が許され、アフガン弦楽器ルバーブをインド音楽の多彩多様な装飾音が出る様に工夫した新楽器サロードを創作した。(奇しくも筆者:若林の師匠の家系だった)そのセニ家の師匠は、ターン・センが中央アジア弦楽器ルバーブを改造したセニ・ラバーブで、サロードの弟子に教えたが、程なく「羨ましい」と思い、弟子の知恵も借りてセニ・ラバーブのガット(羊腸)弦を金属弦に替え、板張の指板を金属板に替えた。この二点は弟子の「サロード考案(アフガン・ルバーブの改造点)」に習ったが、セニ・ラバーブの皮張り表面を、木製に替え、駒の沈み込みを防ぎアフガン・ルバーブ、サロードには無いインド原産の「サワリ駒」をセニ・ラバーブのまま起用した。アフガン・ルバーブ、サロードが床に平行に横に構えるのに対し、この楽器は、セニ・ラバーブ同様、縦に構える(棹上部は左肩で支える)。「シュリンガール」は、サンスクリット系の語彙で、「華麗・装飾」の意味だが、創作者やイスラム教徒は「スリンガール」「スィンガール」と発音する。

スロータ(ス):
体の中を縦横無尽に流れる様々な「管」。「ナーディー」がより形而上的であるのに対し、スロータスは、「血管・リンパ管・神経」など、解剖学でも確認出来るものが多いが、それでも尚、現代医学ではまだ認識されていないものもある。

スシュルタ・サンヒター:
アーユルヴェーダの三大経典のひとつ。ダンヴァンタリ神から直接教えを受けたとされる聖人スシュルタの弟子との禅問答を綴った散文詩集。チャラカ・サンヒターが内科に強いのに対し、こちらは外科に重きがあるとされる。

スターナ(スターン):
「場所・在り処・座」
1)古代科学音楽(Shastriya-Sangit)の旋法構成音の中で、終止性が強い音を中心とした短い旋律句。
2)インド方位学に於ける「座とその本質」

スタンバ:
筋肉の緊張・痙攣

スティラ:
10(20)の構成物質(力、性質、存在原理も意味する)「10(20)グナ」のひとつ。「安定性・不動性」。

ストゥーラ・シャリーラ:
ある程度解剖学的である「人間の体を三層に分別する:トゥリ・シャリーラ」のひとつ。最も外側の「目に見える身体構造(皮・肉・臓器・血管など・骨)」を言う。字義的には「粗雑層(部分、体)」。

スタヴァナム:
ヒンドゥーの賛歌のひとつ。神々(一柱を選んで)への賛辞を歌う。主に南インドで盛ん。本来伝統的な讃歌である筈だが、現代では「七音唱法(普通の歌)」で占められ、伝統的なスタイルを聴くことが難しい。※

ストータ(トゥ)ラ(ム):
ヒンドゥーの賛歌のひとつ。神々(一柱を選んで)への賛辞を歌う。南北インドに伝統的に存在するが、特に南インドで盛んで、名称は末尾に「ム」で締められ「ストータラム」と呼ぶ。通常32音節で、比較的長い。伝統的には「三音唱法」であったが、中世以降は、「五音音階」で歌われる。※

ストゥーティー:
ヒンドゥーの賛歌のひとつ。神々(一柱を選んで)への賛辞を歌う。主に北インド。比較的短い。比較的伝統的な「五音唱法」が多い。聖音Omは最後のみ。※

ストロータ:
ヒンドゥーの賛歌のひとつ。神々(一柱を選んで)への賛辞を歌う。伝統的な「三音唱法」のようだが、その音律が異なり長調的に明るく聴こえる。※

スワーパ(プ):
「痺れ」。感覚(触覚)機能「スパルシャ(前述)」が麻痺した状態。

スワプナ:
「夢」「睡眠」「熟睡」。
古代から、人間の悩みのひとつに「睡眠障害」があった。アーユルヴェーダ内科療法でも、音楽療法でも、この語は頻繁に現われる。「睡眠」は、別に「ニドゥラ」という語もある。

スワル:
「音」のこと。より正確には「楽音」。
ヴェーダ科学では、音は「宇宙の波動(ナーダ)」であり、可聴を「アーハタ・ナーダ」非可聴を「アナーハタ・ナーダ」と分別する。ヴェーダの音楽起源論では、「教育された正しい音楽家が、正しく声楽、器楽を奏でるとアナーハタがアーハタに転化される」とも言う。スワルは、それらから得た「サレガマパダニ」の七つの楽音のこと。音楽理論上では、紀元前~7世紀頃の「オクターヴを22の微分音に分割したものから得た七音(当初三通りの配分があった)」を言った。古代音楽が中世イスラム宮廷芸術古典音楽に転じた以降、口語的に「スール」と発音されることが多い。「スワルはサンスクリット系ヒンディー語」「スールはサンスクリット系ウルドゥー語」と解釈しても良いだろう。

スワル・マンダール
台形の箱に調律された弦を多数張り、もっぱらグリサンドで奏でる「ツィター属の撥弦楽器」「箱型ハープ」。字義的には「音のマンダラ(群れ)」。中世宮廷音楽の新声楽「カヤール」の歌手がしばしば自らで奏でる。希に単音奏法で旋律を奏でる器楽奏者も居た。

スワーサ:
「呼吸」

スウェーダ:
汗。アーユルヴェーダでは、汗も老廃物(マーラ)に数えられる。デトックス至上主義であるかのような日本のアーユルヴェーダでは、マーラは、忌み嫌われる、まるで穢れた、汚いものという観念が主だが、本来の「マーラ(マール)」は、単に「物質」の意味で、「物・商品・富」も「マール」。ちなみにLに母音が付くと全く異なる意味の「花輪・首輪」となる。そもそも老廃物・排出物に対し「穢れた・汚い」という観念が日本人と古代インド人ではかなり異なることも考慮すべきである。
一方、「分泌物・分泌液:スラーヴ(スルタ)」の総称には「スウェーダ」を含まない代わり(含める解釈もある)に、膿などを含めることが多い。

※「ス」ではじまるヒンドゥー讃歌の総論
膨大な種類がある「ヒンドゥー讃歌」には、「マントラ起源」のものが基本にあり、ヴェーダ・マントラの伝統的歌唱法「単音、二音、三音、四音」を基本に、より古く伝統的な「五音唱法」があった。この歌唱法に則って、「韻律の数、形」「韻文、散文の異なり」「賛辞の文言のスタイル」「祈祷のどの場面で歌われるか」などが厳格に決められていたことで、その形式名が意味を持った。しかし、現代では、いずれも伝統的な歌詞だけが継承され、その歌唱法は極めて自由(好き勝手)に歌われることが多い。現地の敬謙な信者でさえも、変貌した多様な讃歌を正しく分別出来る人が激減している。明らかな伝統の崩壊と言わざるを得ない。しかも、「音楽的に聴いて心地良い」などと言う人間本位な感覚の台頭も問題視すべきであろう。(人間本位で神々への賛辞というのは本末転倒)

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

昨年夏、一年ぶりの若林の新著「日本の伝統楽器(ミネルヴァ書房:19年8月20日発売)」が出ました。
「インドに関係ないじゃないか!?」と思われるかも知れませんが、無論、当書では書き切れませんでしたが、「日本の楽器→ルーツ(ペルシアとインド)」の物語の背景には、「Naga-Sadhu(裸形上人)」や「Saraswati(妙音天)派修行僧」などの活躍が大であるという解釈が存在します。機会を得る度に、その核心に迫って行きますので、どうぞ応援下さいませ。
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若林は現在、福岡及び近郊の方の「通いレッスン」の他に、全国の民族音楽・民族楽器ファンの方々にSkypeでのレッスンを実施しています。体験の為に、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」も行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui(毎月の実施日時も掲載しています)」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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心と体の健康(本来のバランス力を取り戻す)の為に欠かせない。脳機能を本来の姿・力に戻すための講座です。ヨガ、瞑想、アーユルヴェーダ音楽療法の全てにとっても、極めて重要な基本です。論理力を高めると、世界観さえ変わって(むしろ神秘・スピリチュアルなことが、新鮮に敏感に深く理解出来るようになります)来ます。
更に、貴方の論理力を簡単にチェックする「論理力・無料Mail診断」を受け付けています。
お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

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また、Hindu Chant講座Vol.1 https://youtu.be/_UPLRjMFFpo 「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」https://youtu.be/wWmYiPbgCzg をはじめとした多くの「紹介動画」をYou-Tubeにアップしております。是非ご参考にして下さいませ。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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ガネーシャ神とネズミ

子年となる新たな一年が始まりました。
ネズミといえば、インドではガネーシャ神のヴァーハナ(乗り物)として崇められる存在です。
ガネーシャ神がネズミを乗り物とするようになった理由には、いくつかの神話が伝わります。
その一つに、ガンダルヴァと呼ばれる天上の音楽師、クラウンチャにまつわる神話があります。

ある時、クラウンチャは聖仙であるヴァーマデーヴァの足を誤って踏んでしまうと、呪いをかけられ、ネズミの姿にされてしまいました。
ネズミの姿となったクラウンチャは音楽師としての役割を忘れ、ネズミの旺盛な食欲を象徴するように巨大化し、進む道にあるすべてを破壊し始めます。
すると、ガネーシャ神が手にしていた縄でクラウンチャを縛り、その動きを制御しました。
後に許しを得たクラウンチャは、ガネーシャ神を運ぶ力として、その乗り物になったと伝えられます。

巨大化し進む道にあるすべてを破壊するクラウンチャの姿は、限りなく肥大していく欲望に比例するように大きくなる苦難の中で、右往左往する私たちに重なります。
事実、ネズミの強い繁殖力や旺盛な食欲は、人間の飽くなき欲望に例えられてきました。

世界が眠りにつく夜の暗闇の中で穀物を食い荒らすネズミは、農耕が生活の中心であった古代の人々にとっては、脅威の存在であったともいわれます。
そんなネズミが神の操る乗り物となったように、その存在を制御する天恩は、切に願われるものであったのかもしれません。

ガネーシャ神がクラウンチャを縛った縄は「パーシャ」と呼ばれ、物質世界に溺れることがないよう、私たちを引っ張る縄と信じられてきました。
パーシャは、個人を束縛する不純物としての意味もあり、それは、アーナヴァ(無知)、カルマ(行為)、マーヤー(幻力)の3種類とされます。
ガネーシャ神は手にする縄でこうした不純物を縛り付け、私たちを正しい道に導くと伝えられます。

欲望に突き動かされる私たちは、本質を忘れ、無知の暗闇の中でもがき苦しむことが少なくありません。
ガネーシャ神を礼拝する時、英知の神としてのガネーシャ神のエネルギーが私たちの内に呼び覚まされます。
その英知のエネルギーは、巨大化する欲望を制御し、正しい道を歩むための力になるはずです。

この一年の始まりに、ガネーシャ神を運ぶネズミの存在と向き合いながら、自分自身の歩みを確かめたいと感じます。
皆様にとって、この一年が光に満ちた年となりますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ・ジャヤンティ

1月12日は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生誕日です。この日は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ・ジャヤンティとして、盛大な祝福が行われます。

ヴィヴェーカーナンダは、近代インドの聖者であるシュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの主要な弟子として知られ、霊的指導者として、インドのみならず世界中の人々に影響を与えました。宗教を超えた真理の教え、また社会的実践の中での霊的修行の価値を説き、現代も多くの人々を惹きつけています。

理想的な人間とは、最大の沈黙と孤独の中で、最強の活動力を見出す者であり、最強の活動力の中で、砂漠の沈黙と孤独を見出す者である。
その者は、自制の秘訣を学び、自分自身を統制している。
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863年1月12日 – 1902年7月4日)

“The ideal man is he who, in the midst of the greatest silence and solitude, finds the intensest activity, and in the midst of the intensest activity finds the silence and solitude of the desert. He has learnt the secret of restraint, he has controlled himself.”
Swami Vivekananda(12 January 1863 – 4 July 1902)

ヴィヴェーカーナンダの教えは、世俗を離れることや超越的な体験をすることとは異なり、仕事を求め、行動を起こし、社会的に下層の人々へ奉仕を行うことにありました。その奉仕は、物質的な面に限定されるのではなく、インドの中核とみなされる精神的な探求をより深いレベルで導きます。インドという大国を目覚めさせるために働いたヴィヴェーカーナンダの力は、精神的な強さ、身体的な強さ、民族的な強さ、そして他のために働く強さとして、現代でも生き続けています。

参照:Swami Vivekananda Quotes

日食の話・その後(星の力のインド紀行1)

皆さま、明けましておめでとうございます。

無事インドから帰国いたしました。ツアー中の出来事を、個人ブログとは違った切り口から時系列は関係なく記事にさせていただきます。どうぞご期待ください。

昨年のショップブログで、12月26日の日食の記事を書かせていただきましたが、実際にインドで体験した日食の様子をご披露させていただきます。

12月26日は、シルディ村からムンバイへのバスでの移動と、(希望者は)ムンバイ市内観光を予定しておりました。
熱心なヒンドゥー教徒のインド人ガイドが詳細に調査をしてくれて、インドでは日食は午前中のわずかな時間だけで、午後3時以降は寺院も通常に開くということでした。
バス到着予定の午後3時過ぎには、日食の時籠る予定だった人たちも含め、全員で外出することとしました。

バスの移動は、完全にカーテンを閉め切り、光をなるべく遮断し、外気も直接入らないようにして移動しました。
ですが、途中でトイレが我慢できない、という方が出てきました。ツアーには28名の参加者がおられたのでこういう可能性はあるかな、と思っておりました。
生理現象ですので、日食の最中でしたが、これは車を停めて降りるしかありません。

ドアを開け閉めすれば外気も入ります。短いトイレ停車の後、たしかにバスの中のエネルギーの感じは一変しました。

この状況を改善するために、色々考えた末、たまたま大聖地ナーシクの近くを走っていたため、急きょ皆でナーシクに寄ることにしました。

ナーシクに降り立つと、日食の気持ち悪い日差しの中でしたが、大勢の人たちが沐浴場に集まっていました。
聖典によれば日食の時は聖河での沐浴が勧められているからです。
日食の終わる時間になった途端、大勢のインド人が歓喜の声を上げながら、沐浴場に飛び込みました。
私たちの足を水に浸けて、頭から少量の水をかぶり、沐浴しました。
とてもすっきりしました。

その後、ムンバイに移動し、市内観光を楽しみ、つつがない一日を過ごせたのでした。
インドでの日食体験は貴重な経験になりました。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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すべての災いを取り除く祈り

さまざまな神格が崇められるインドにおいて、最初の祈りは、何よりもまずガネーシャ神へ捧げられます。
あらゆる物事の始まりに礼拝されるガネーシャ神は、すべての災いを取り除き、全世界に幸福をもたらすといわれる存在です。
そんなガネーシャ神は、「障害を取り除く神」を意味する「ヴィグネーシュヴァラ」という名前で崇められます。

ガネーシャ神は障害除去の神として唯一無二の存在であり、その礼拝を通じては、障害を克服するための力が授けられるといわれます。
目まぐるしく変化をする現代社会においては、揺れ動く心の働きがさまざまな障壁となって、私たちの前を塞ぐことがあります。
思い通りにならない状況に障害を見出し、自分自身に限界を定め、幸せを遠ざけていることも少なくありません。
ガネーシャ神のマントラの詠唱を通じて本質に心を定める時、障害を乗り越え、前進するための力が授けられるでしょう。


・ॐ विघ्नेश्वराय नमः
・om vighneśvarāya namaḥ

・オーム ヴィグネーシュヴァラーヤ ナマハ
・意味:ヴィグネーシュヴァラ(障害を取り除く神)に帰依いたします。

一年の始まりに捧げられるガネーシャ神への祈りは、障害を乗り越える力となって、私たちの内に呼び覚まされるはずです。
皆様にとって、幸せ多き一年となりますように、心よりお祈り申し上げます。