ヨーガ・スートラ第3章第2節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तत्र प्रत्ययैकतानता ध्यानम्॥२॥
Tatra pratyayaikatānatā dhyānam||2||
タットラ プラティヤヤイカターナター ディヤーナム
そこでの想念が一方向に伸びていくことが、瞑想である。

簡単な解説:前節において、ヨーガの8つの部門の中の凝念について説かれ、それはある特定の場所に心を縛りつけ、心が動かないように固定することであると説かれました。本節では、その凝念の時と同一の場所を対象とする想念が、途切れることなく、一方向に伸びていくことが瞑想であると説かれます。

スタッフ日記:第22回アンナダーナ終了しました!

第22回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。今回は病院にて、滞りなく無事に終えることができました。

病院では、6回目の実施となりました。束の間の冬を迎えていた北インドも、日中は25度前後の穏やかな気候となりましたが、朝晩はまだまだ10度を下回る寒いくらいの気温です。実施する病院の周辺では、外で寝泊まりをしている人々も多く、温かい食事を心待ちにしている人々の姿が多く見られました。

今回のアンナダーナも気がつくとあっという間に大行列となり、2時間半ほどで、1000食分以上を配り終えることができました。病院での実施では、いつも集中して短時間に大行列となってしまいます。最近はご厚意で配膳や誘導を手伝ってくださる方がおり、皆様の温かいお気持ちがたくさん集まって実施されるアンナダーナには、心が温まる瞬間が多くあります。

見返りを求めずに、ただ与えること。そこにはこんなに大きな喜びがありますが、日々の中で常にそのような気持ちでいることは簡単ではありません。こうして、意識的に与えることを実践しながら、心の豊かな日々を過ごせるように私自身も努力したいと感じています。

次回は、寺院でのアンナダーナを予定しています。次回も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

インドの大地の呪力

以前コラムで書かせていただいたように、混沌に満ちたインドの地は、急速に発展し 整った地になりつつあるように思います。しかしながら、それはあくまで物質的な側面だけであり、インドの大地の持つ本来の呪力は、いささかも衰えていない、と感じます。
カルカッタ(2001年以前のコルカタ)はその混沌さから「宇宙で最も邪悪な場所」と呼ばれたこともあったそうです。
インドの中でもっともディープな地の一つと言って差し支えないでしょう。
2013年、私は遅ればせながら、初めてこの地を踏みました。
かつて大聖者ラーマクリシュナがおられたドッキネーショルのシヴァの祠の前で、ひれ伏して祈りを捧げているときに、出来立ての甘いお菓子が突然手の上に乗せられました。
はっと顔を上げると、近くには誰もおりませんでした。
それからマザーテレサのマザーハウスを訪れた時に「写真を撮っていい。」という許可をいただいたのでマリア像にカメラを向けると、自然にシャッターが下りたのです(その時はスマホではなく、カメラで撮影していました)。この2つの出来事は、本当に不思議でした。
これらの出来事はたまたま何かの具合で起こったもので、何か原因があり、実は不思議な出来事ではないのかもしれません。
しかし、インドの大地の持つ呪力には、こういうことが本当に起こっても不思議ではない、と思わせてしまう何かがあるのです。
3月には、またツアー参加者の皆さまとここを訪れる予定です。この地の呪力がいささかも衰えていないことを再確認し、そこから幾ばくかの力をいただいてきたいと考えております。この地の呪力を体験したい方がおられればぜひご一緒しましょう。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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[ガネーシャ・ギリ 同行]最強厄除開運・インド縦断 – 女神と聖者とガンジス川から力を貰う旅

ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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「オーン・ナマ・シヴァーヤ」パンチャークシャラのご利益を説くマントラ

今回サンスクリット原文とともに紹介するマントラは、シヴァ神を祈念するマントラとして有名な「नमः शिवाय namaḥ śivāya ナマ(ハ)シヴァーヤ」のご利益を説いたものです。「न ナ」「म マ」「शि シ」「व ヴァ」「य ヤ」という各音それぞれを別々に説く五つの詩節もあわせた「पञ्चाक्षरस्तोत्रम् pañcākṣarastotram パンチャークシャラ・ストートラ」の最後の一節にあたります。

このなかに「ナマ(ハ)シヴァーヤ」というマントラ自体は出てきませんが、「ナ」「マ」「シ」「ヴァ」「ヤ」という五つの音節を含んでいるため、これを「パンチャークシャラ(パンチャ・アクシャラ)」=「五音節のもの」と呼んでいます。

ナハマの「ハ」は気音で、母音の後に軽く息を添えるだけの音節を作らない音であり、次の「シ」の音と同化して「ナマッシヴァーヤ」のように発音される場合もあります。そのため、音節には数えられていません。

「五音節のもの」のように、インドでは、尊いもの、聖なるものを直接的な言葉で言わず、婉曲表現を用いることが好まれてきました。歴史の長いサンスクリット語には多様な語彙と高度な文法があるため、豊かな言語表現が可能となっています。

 

【原文】

पञ्चाक्षरमिदं पुण्यं यः पठेच्छिवसन्निधौ।

शिवलोकमवाप्नोति शिवेन सह मोदते॥

pañcākṣaram_idaṃ puṇyaṃ yaḥ paṭhec_chiva(śiva)-sannidhau.

śiva-lokam_avāpnote śivena saha modate .*1

パンチャークシャラミダン プンャン ヤハ パーッヴァサンニ

シヴァローカマヴァープノーティ シヴェーナ サハ モーダテー*2

 

*1 -(ハイフン)は複合語内の単語区切り、_(アンダーバー)は通常の単語区切り

*2 太字は有気音、下線は反舌音)

 

【逐語訳】

吉祥なるこの五音節(namaḥ śivāya)をシヴァの御前で唱えるものは、シヴァの世界に達し、シヴァとともに歓喜する。

 

【単語の意味と文法の解説】

 

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、または動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。√の記号は動詞語根を表わします

 

पंच- <pañca-> 五つ(男性名詞、複合語で次のakṣaraを修飾)「五つの~」

अक्षरम् akṣaram <akṣaram> 音節(中性名詞、単数、対格)「音節を」

इदम् idaṃ <idam> この(代名詞中性形、単数、対格)「この」

पुण्यं puṇyaṃ <puṇya-> 吉祥(中性名詞、単数、対格)「吉祥な物を」

यः yaḥ <yat> 誰か(関係代名詞、男性形、単数、主格)「~する者は」

पठेच् paṭhec <√paṭh> 詠む、唱える(本来の語形はपठेत् paṭhet;連声により変化;

願望法能動態、3人称、単数)「唱えるならば」

छिव chiva <śiva->シヴァ(本来はśiva;連声により変化;男性名詞、複合語)「シヴァの~」

सन्निधौ sannidhau <sannidhi-> 目前(男性名詞、単数、処格)「目の前で」

शिव <śiva-> シヴァ(男性名詞、複合語)「シヴァの」

लोकम् lokam <loka-> 世界(男性名詞、単数、対格)「世界を」

अवाप्नोति avāpnote < ava√āp> 到達する(現在反射態、3人称、単数)「(彼は)到達する」

शिवेन śivena シヴァ(男性名詞、単数、具格)「シヴァと」

सह saha ともに(不変化詞+具格)「~とともに」

मोदते modate <√mud> 喜ぶ(現在反射態、3人称、単数)「(彼は)喜ぶ」

 

また、これと似たものに次のようなマントラがあります。

冒頭のpañcākṣaram がliṅgāṣṭakam に代わっており、リンガを讃える八つの詩節のご利益を説く内容になっていますが、全体的な文章の構成は同じです。

 

【原文】

लिङ्गाष्टकमिदं पुण्यं यः पठेच्छिवसन्निधौ ।

शिवलोकमवाप्नोति शिवेन सह मोदते ॥

liṅgāṣṭakam_idaṃ puṇyaṃ yaḥ paṭhec_chiva(śiva)-sannidhau.

śiva-lokam_avāpnote śivena saha modate.

リンガーシュタカミダン プンャン ヤハ パーッヴァサンニ

シヴァローカマヴァープノーティ シヴェーナ サハ モーダテー

 

【逐語訳】

吉祥なるリンガ(=シヴァ)八賛歌リンガ八賛歌をシヴァの御前で唱えるものは、シヴァの世界に達し、シヴァとともに歓喜する。

 

【単語の意味と文法の解説】

लिङ्ग <liṅga-> リンガ(男性名詞、複合語)「リンガの」

अष्टकम् aṣṭakam <aṣṭaka-> 八つのもの(男性名詞、単数、対格)「八つの(讃歌)を」

 

(文章:pRthivii)

カーマデーヴァの5つの矢

カラフルな色が飛び交い、インド中が歓喜に包まれるホーリー祭は、芽吹く陽春の喜びをそのままに象徴する心が浮き立つ祝祭です。そんなホーリー祭は、愛の神であるカーマデーヴァが礼拝される時でもあり、この美しい季節の祝福の中で、愛しい気持ちを感じる瞬間が多くあります。

春の神格であるヴァサンタを親友とするカーマデーヴァは、この春の季節に活発になると古くから伝えられてきました。ホーリー祭とカーマデーヴァの間には、シヴァ神にまつわるある有名な神話が伝わります。

最初の妻であるサティーを亡くしたシヴァ神は、悲しみのあまり、深く長い瞑想を続けていました。サティーがパールヴァティーとして姿を現し再び結ばれる時を迎えるも、シヴァ神は目を開けることはありません。そんなシヴァ神を目覚めさせようと、カーマデーヴァが愛の矢を打ち放ちます。すると、シヴァ神の第三の目が開き、そこから鋭い閃光が放たれたのだといわれます。それが、このホーリー祭であると一説に信じられています。

カーマデーヴァは、「花の矢を持つ者」を意味する「クスマシャラ」と呼ばれることがあります。カーマデーヴァの持つ花の矢は5つあり、それは、チャンパカ、ロータス、ジャスミン、マンゴー、アショーカといわれます。どれも、香しい芳香を放ち、世界を魅了する麗しい花の数々です。

美しい香りを放つカーマデーヴァの矢は、私たちの感覚を魅了します。豊かな感情を生み出すその力は、時に、心の平安を奪うものとして捉えられることがあります。しかし、春を引き連れ美しい花を運ぶカーマデーヴァの矢は、死や腐敗に包まれ荒廃していた世界に、命や再生をもたらし、再び繁栄を呼び覚ましました。

冬から春へ、巡る大自然がそうであるように、私たちは常に、調和の中で生きることを学ばなければなりません。そこでは、愛するという感情を大切に育み、より豊かな日々を送ることができるはずです。

一年に一度、心の奥深くから溢れる喜びを感じるホーリー祭のように、人生の一瞬に喜びを見出し、調和をしながら生きることを学びたいと感じます。皆様にも、うららかな春の喜びが訪れますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

ホーリー・フェスティバル2018

ホーリー・フェスティバルは、豊年祈願を祝う春の祭典で、例年パールグナ月(2〜3月)に行われます。
道行く人々に、色粉を浴びせたり、色水をかけたりして、街中カラフルに染まるお祭りです。

今年2018年は、3月1日と2日に行われます(お祭りの日程や期間は地域によって異なります)。

このお祭りの起源は、さまざまな説がありますが、もっとも有名なのは悪王ヒラニヤカシプに関するものです。

彼は、苦行により、ブラフマー神から誰からも殺されないという特権を獲得しました。その権利を得た彼は、やがておごり高ぶり、人々に神ではなく、自分を崇めるように強要するようになっていきます。
そんな傲慢なヒラニヤカシプの息子であるプラフラーダは、打ってかわって、熱心にヴィシュヌ神を信仰していました。ヒラニヤカシプは、たびたび息子にヴィシュヌを信仰するのをやめ、自分を崇めるように強要しますが、息子は一向に聞き入れようとしません。
やがて彼は、息子に殺意を抱くようになり、さまざまな手段で息子を殺そうと試みます。
ある時は、息子に毒を飲ませましたが、ヴィシュヌ神の恩寵のために、毒は彼の口の中で甘露に変わってしまいました。
ある時は、巨大な象に息子を踏みつけさせましたが、驚くことに無傷のままでした。ある時は、お腹をすかせたコブラといっしょに、牢獄の中に閉じこめましたが、何事も起こりませんでした。

さまざまな手段を試みましたが、ヒラニヤカシプは、息子を殺すことができませんでした。
そんな時、ヒラニヤカシプはプラフラーダに、薪の上に娘のホーリカーといっしょに座るように命じました。まだ小さかったプラフラーダは、ホーリカーの膝の上に座ると、ヒラニヤカシプは、彼らを殺すために薪に火を投じました。ホーリカーは、神の恩寵のため、火から身を守るショールを持っていました。しかし、このショールはひとり分しか身を守ることができません。
熱心にヴィシュヌ神に祈りを捧げていたプラフラーダは、ショールがホーリカーの身から舞い降り、火から守られました。しかし、ホーリカーは、ヒラニヤカシプの犠牲となってしまいました。
一説では、このホーリカーの犠牲を、ホーリー祭として感謝するといわれています。

また他の説では、クリシュナに関するものがあります。
いたずら好きであったクリシュナは、愛するラーダーや他のゴーピーに色粉をつけて遊んでいたといわれます。また色白のラーダーに不満を抱いた色黒のクリシュナは、母に言いつけ、母がラーダーの顔に色粉を塗ったともいわれています。
この風習が広まり、クリシュナの聖地ヴリンダーヴァンやマトゥラーでは、16日間に渡ってホーリーが祝われるようです。

その他の説では、カーマデーヴァやシヴァ、プータナーに関するものもあります。しかし、どの説でも、善が悪に打ち克った勝利を祝うことが、このお祭りの起源になっているようです。

礼節の厳しいインドでは、唯一の無礼講が許されるお祭りとして有名ですが、色粉による健康被害も少なくないようですので、何事もほどほどにした方がよいかもしれませんね。

スタッフ日記:フード・サービス・プログラムのご報告(医療現場)

フード・サービス・プログラムにご支援をいただいている皆様、本当にありがとうございます。最近の写真が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

一年中30度を超える常夏のケーララ州ですが、12月〜1月頃の早朝は、少し気温が下がります。過ごしやすい気候となる一方で、風邪を引いたり体調を崩す人々が増える時です。それでも、高温多湿の酷暑期に比べると、病院は落ち着いていて、ここ最近は通常の150~200食の配給が続いてます。

だいぶ前に訪れた時の写真となりますが、病院の中に入らせて頂いた時の写真です。私立の病院に比べると、医療現場や医療器具のあり方は大きく異なります。それでも、必要としている方々はとても多く、たくさんの人々が治療を受けています。

ケーララ州は他の州に比べ社会福祉が整っており、誰でもこうして、病院で治療を受けられるよう制度が整っています。しかし、インドにはこうした医療を受けることができない人々がとても多くいます。一人でも多くの人が、痛みや苦しみの少ない生活を送ることができるようにと願うばかります。

皆様の温かいご支援を心よりお待ちしております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(スタッフ:ひるま)

チャイルド・スポンサーシップのご報告(2018年1月)

チャイルド・スポンサーシップ(子どもの教育支援)にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。1月の配給時の様子が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

1月の配給は、通常通り第2週目の土曜日(1月13日)に実施されました。また、次の日となる1月14日には、インドの各地でマカラ・サンクラーンティが祝福されました。子どもたちが住むケーララ州では、このマカラ・サンクラーンティにおいて、サバリマラ巡礼がピークを迎えます。サバリマラはアイヤッパン神が悪魔を倒した後、瞑想についた場所として崇められていますが、限られたときにのみ人々へと開かれ、その一つが、マカラ・サンクラーンティにあたります。以前訪れた巡礼の様子です。

子どもたちが住む主な地域はサバリマラから離れていますが、この時は、あちこちのお寺からアイヤッパン神を讃える讃歌が鳴り響き、子どもたちもささやかなお祝いを楽しんだようです。

クリスマスと新年、そしてマカラ・サンクラーンティと、お祝いが続いていましたが、現在は落ち着いて勉学に励んでいるようです。

4月を過ぎると酷暑期を迎え、子どもたちは長い夏休みとなりますが、その前の3月には大事な試験が待ち受けています。試験の邪魔にならないよう、毎年、2月の第2土曜日の配給に合わせ、現地を訪問しています。次回のご報告は、現地を訪問して、子どもたちの様子をたっぷりお伝えできればと思っています。

ちょうど昨年の2月に訪れた時の写真です。一年経って、子どもたちの成長した姿を見るのがとても楽しみです。


いつも温かいご支援をいただき、心より御礼申し上げます。これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

119,科学音楽創成期の危機(Gandharva音楽の台頭)

私がシーターラーマさんからの多大なご支援を得て、この連載コラムを書かせて頂いております、最大の目的は、ネットや書籍では説かれていない、インド音楽のより深い情報をお伝えすることにあります。

そして、願わくば、「インド科学音楽:Shastriya-Sangit」の存在を知って頂くことと、「医食同源」の言葉の元に、私たちの体の心配や、食べ物・飲み物の心配は多くの方が勉強されているのに、「何故『言葉・文字・文章・音・音楽』には、とても無頓着なのだろうか?」の強い疑問と懸念、そして、危惧を抱くが故の、或る種の警告的な性質も、より多くの方々にご理解頂けたら誠に幸いであると存じます。

とは言っても、前回のコラムでも、それ以前にも説きましたが、「人間が神々のことを深く学ぼうとせず、都合の良いように解釈する傾向は、実は、紀元前から始っている」という事実もあります。

とうとう流石に、私たちの宿主である地球も大きな悲鳴を上げるような事態に陥りましたが、言い換えれば、数千年も前から「その徴候(人間の愚かな悪癖)」がありながら、「良くも数千年も保ったものだ」という、哀しい感心も否めません。

人間の歴史の中で、今日の私たちには想像も付かないほどの苦境や、苦難、不条理に苦しんだ人々は数多く居る筈です。しかし、そのような中に於いても、その大きな変換の時代に立ち会った宿命を真摯に享受し立ち向かった人々が居てくれて、今日の私たちがあるのです。

その意味では、おそらく「宿主」であると共に、世界の多くの宗教や、それ以前のアニミズムが強く説いた「母」であり「神」でさえある「地球」が悲鳴を上げていると共に、「人類の叡智と悟性」が、最早瀕死の状態に至ったこの時代に「立ち会った」私たちもまた、その宿命を光栄と受け止め向い合うか、それとも、自らの不遇や不満足に被害者意識を募らせて、利己に走り、「人生をやり切り、逃げ切る」ような生き方で終わるか? が問われているのではないでしょうか。

しかしその選択は、社会的には確かに「当人の自由」かも知れませんし、逆に、「望み」でもないことを、義務や責任でさせても意味も効果も得られないかも知れません。

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古代インド科学音楽が背負った宿命 (1)
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古代インド科学音楽が誕生したのは、おそらく紀元前3千年ほど前のこと。しかし、その当時の記述はもっぱらヴェーダに限られていますので、音楽が語られるようになったのは、紀元前千年前後の、ご存知「Sama-Veda」の頃からとなります。

つまり、「Vedaが先か?Shastriya-Sangitが先か?」は、確定のしようがないのです。しかし、いずれにしても当初、「Veda(Sama–Vedaなど)」と「Shastriya-Sangit」は、ほぼ同源同義であり、同じ祭官や僧侶が取り組んでいたものと考えられます。

ところが、そもそも音楽は、Veda祭官のある一派が「音楽はVedaから生じた」と主張する以前に、巷では「鼻歌」を歩きながら歌っていた庶民も居れば、五音以上音の出る笛も在ったに違いないのです。つまり、「Veda詠唱」が、数百年毎に「一音から二音、二音から三音、それら三つの音が四度転調して」とやっている最中にも、「庶民音楽」は、存在していたし、祭官御自身も、寺では一二音で経を読みつつ、非番の日には、ついつい鼻歌を歌っていたかも知れないのです。

またそれどころか、既に当時のブラフマン教寺院や王宮には、「宴楽」も存在したし、花柳界もあれば、そこでの艶歌も存在していた筈なのです。

そんな中で、既に存在している音楽に「科学(Tantra)(及び音楽療法の効能)」を見た人々が居て、「科学音楽/Shastriya-Sangit」が形作られて行くと共に、祭官の別な派は、前述した「物語」を構築する必要があったのです。尤も、それが「物語」となったのは、それから数千年後のことの可能性もあります。紀元前11世紀頃は、純然たる「Veda詠唱法の推移」を説いた(記録した)だけだったのかも知れません。

しかし、いずれにしてもその後の千年二千年の間に、ブラフマン教の混乱期、仏教やジャイナ教、その他の宗教や思想・哲学の台頭と、様々な戦乱の時期を経て、その著述期間は、未だ今日も不詳ながら、紀元前6世紀から起原6世紀の間の千年の中の数百年」と言われる、残念ながら「現存する(Sama-Veda以外の)音楽の記述がある最古の文献」が、現れます。

当然のことながら、その著者「Bharatha」は、一人の人物ではなく、そもそもその著書「Natya-Shastra」は、このコラムの連載冒頭に述べましたが、「ブラフマン~ヒンドゥー教布教のための音楽劇」の興隆に伴った、その劇の指導書や記録の意味合いのものなのです。

「Bharatha」は、「音楽舞踊演出家」の官職であり、同様に「Narada」は「音楽監督」、「Tandu」は「舞踊演出家」の官職名でもありました。勿論、12世紀の「Narada-Shiksha」:の著者Narada-Muniは、個人と思われます。しかし、「Natya-Shastra」で著わされるNaradaは、それこそ数百年の間の数十人かも知れません。神話の中のNarada-Muniは、そのような音楽賢人の数人の総称的・象徴的存在とも考えられます。
しかし、今日現在でさえ、このことを理解している現地インドの研究者・演奏家は、ほんの一握りであり、多くは、バラタでさえも個人と考え、そう語っています。

その複数のバラタ(舞踊劇監督・演出家)の誰かが、ある程度時代の的を絞って、紀元前2世紀~西暦2世紀の間に、「ブラフマン~ヒンドゥー布教舞踊劇」に於ける音楽を、「Gandharva音楽」と称し、「Veda音楽」との曖昧な線引きを行ったのです。

Gandharvaの存在は、神話では「天上の楽師」とされ、仏教でも「乾闥婆」の表記で語られています。勿論、阿修羅などと同様に、ブラフマン教の中で既に淘汰され「悪神」や「下級神」とされた神々を仏教が、「帰依と仏法の守護の誓約」で職(立場)を与えた「淘汰された神々」及び、「その従者」です。

しかし、実のところ成立時代が不詳な「Taittiriya-Aranyaka(ヴェーダの奥義(森林書)のひとつ)」に著わされるGandharvaは、既に実在する「宴楽楽師」や「花柳界楽士」であった可能性があります。

つまり、紀元前10世紀前後のブラフマン教布教のための音楽舞踊劇と、紀元前4世紀から紀元後の4世紀迄の千年のヒンドゥー教布教のための音楽舞踊劇の音楽・舞踊・演劇の担い手たちは、そもそも寺院の巫女(Deva-Dasi)や花柳界楽士、より上級で宮廷宴楽楽師であり、そのまま、しばしば(~頻繁に)寺院主宰の「布教ステージ」に駆り出されたと考えられるのです。

勿論、そのまま「布教プログラム専属音楽家」になった者も居たでしょうが、要は、その音楽家が、花柳界・寺院供養楽・宮廷宴楽の音楽家であり、Shastriya-Sangitの専門僧侶とは、全く一線を画した、ということです。

そして、彼らに対し、誰が何の目的でか(論理的に考えれば、答えは二三に絞られますが)神話の「天上の楽師たち」の名:Gandharvaを与え、それを契機に「Gandharva-Sangit」が、後づけで確立したことになったのです。

問題は、彼らを指導した前述のBharatha、Narada、Tanduたちは、何処に所属するどのような芸術家であったのか?ということです。演劇の場合は、寺院の僧侶、すなわち、Veda祭官などの中から、布教活動に熱心で、啓蒙活動に対しての興味関心や知識がある者であったでしょうし、舞踊に関しても従来からの巫女供養舞を取り仕切っていた僧侶だったのでしょう。後には、役者や舞踊手のキャリアからも選ばれたかも知れません。

しかし、こと音楽に関しては、Sama-GanからダイレクトにGandharva–Sangitには、到底至りませんから、何らかの助けをShastriya-Sangitの専門家に求めねばならなかった筈です。
その結果Gandharva–Sangitは、古典音楽としての理論のほとんどをShastriya-Sangitに取材することとなり、それを盾に、Bharathaたちは、『Natiya-Shastra』にて、(おそらくその後期に)「Gandharva–Sangitは、要するにMarga-Sangitなのである」という暴言を吐くに至ったということなのでしょう。

ここでの「Marga-Sangit」は、字義では「道の在る音楽」であり、要するに「正統的」という意味合いです。従って、その実態は、時代と、価値観によって変化してしまいました。
結果論で言えば、紀元前後のこの時代では、「極めてヴェーダ寄りの古典音楽」の意味合いで語られています。

しかし、この用語によって、「Veda音楽」と「科学音楽」がごっちゃにされ、しかも「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」と「同じである」とされてしまった訳です。

これが、既に紀元前後に生じていた「科学音楽の一大危機」であり、この禍根は今日迄残り、様々な問題や矛盾、ひいては、科学音楽のみならず、芸術音楽の衰退や大衆化(安直・短絡・低俗化)の元凶にまで至っているのです。

何故ならば、そもそも「Veda音楽」は、極めて孤高な祈祷楽であり、大衆迎合性は全く不要です。「科学音楽」もまたしかりですが、その科学性には、しばしば宗教の存在さえも邪魔になり、ましてや為政者の恣意が加えられた宗教的方針などの干渉は害でしかありません。科学音楽の探求に於いては、宗教とは分離されてしかるべきなのです。

他方「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」は、それ自体「芸術性と大衆性」の狭間でもがき苦しむものであり、これは古今東西「音楽が普遍的に持つ大きな課題」でもあります。しかし、そもそも「科学音楽」からすれば、そのような「狭間」自体が「不要で無駄であるどころか弊害でしかない」訳ですから、両者の間には、相容れない、同居などあり得ない、性質の異なりがある訳です。

ところで、意外と言いますか、興味深いと言いますか、紀元前6世紀頃に、各種ヴェーダ経典及び、その実践書(Vedanga))祭儀書(Brahmana)に継ぐ、Tantricな要素が濃厚な「森林書(Aranyaka)」は、文字通り「人里離れた森林で」考えられ、祈祷されるものですが、紀元前5~6世紀の時代のことです。TVもネットも無ければ、都会に人も少なく、車も電車も走っていないのに何故その必要があるの? と改めて考えると、改めて驚かされます。

都会であっても、寺院はたっぷりの敷地に豊かな樹々が茂り、動物たちが飛び交っていたことでしょう。 それでも尚、人間社会から遊離せねば得られない境地を求めたという程です。
「科学音楽」もまた、或る面同様だった筈です。

ところが「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」は、本懐が「布教(ブラフマン教、ヒンドゥー教の理解)」であったとしても、或る意味、神棚に背を向けて、聴衆の方を向き、聴衆を「惹き付けてなんぼ」の領域で腕を振るい知恵を絞る方向性にあった訳です。恣意や作為や勘違いがあろうとなかろうと、基本的な性質が異なる訳です。そられが同居してしまえば、どのようなことになるか?  それに加えて、何時の時代にも、ブラフマンの叡智を学び、教える立場の者の中でさえ、「枝葉感覚・思考」で物事を判断する者も居たことでしょうし、Perfoming-Artに使命感を抱いていた者も居たに違いありません。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

1月2月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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2018年2月の主な祝祭

Lord Shiva idol in front of Hindu temple for the people to offer puja on the Hanuman Jayanti day in Hyderabad,India.

2018年2月の主な祝祭をご紹介いたします。

2月はいよいよ、シヴァ神を讃えるもっとも神聖な夜であるマハー・シヴァラートリーが祝福されます。霊性修行を行う人々にとってとりわけ重要視される祝祭です。

2月3日 サンカタハラ・チャトゥルティー
2月11日 エーカーダシー
2月13日 クンバ(水瓶座)・サンクラーンティ
2月14日 マハー・シヴァラートリー(インドでは13日)
2月16日 新月
2月18日 シュリー・ラーマクリシュナ・ジャヤンティ(西暦)
2月26日 エーカーダシー

※地域や慣習によって差異が生じます。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html