カンドーバ神の寺院

前回のインドツアーでは、カンドーバ神のお寺にも参拝しました。
日本ではほとんど名前を知られていない神様ですが、シヴァ神(バイラヴァ)の化身とも言われるこの神様は マハーラーシュトラ州では絶大な人気があるそうです。
ツアーにも参加されたインド系アメリカ人の方の提案で、この旅の企画段階から巡礼地に加えていました。
予備知識がない状態で詣でたのですが、結論から申し上げますとこの寺院を訪れたことは大正解でした。
ハルディ(うこん)の粉で、すべてが黄色く染まったこの寺院へは、長い石段を登らなくてはなりません。
ハルディのためつるつる滑り、また手すり等もないため、危険が伴いました。
しかし、寺院に到着した時には、その静謐さに圧倒されました。たくさんの善男善女が集まり、また式を終えたばかりと思われる新郎新婦も何組かいて、かなりの喧騒なのに、「場」が素晴らしく静謐なのです。
数十分並び、撮影禁止の御本尊に参拝しましたが、シヴァリンガムや他の神々の像もありどれがカンドーバ神なのか判別が難しかったのです。
おそらく一番奥の像がそうだと思われました。
個人的な印象ではまるで日本の閻魔大王のような風貌に感じました。
また、いわゆる本堂には馬に乗った神の像もあり、もともとは騎馬民族の礼拝する神だったのかもしれません。
外国人が珍しいのだと思います。僧侶の方には特に親切にしていただき、実はカンドーバ神のご本尊よりもメインに祈られるらしい、シヴァリンガムなどにに触れる許可もいただきました。手で触れ額を着け祈りました。
空中に漂うハルディの粉で最後は服も髪も黄色に染まりましたが、心の芯から癒された感じがしました。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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パラシュラーマ・ジャヤンティ

一年の大吉日といわれるアクシャヤ・トリティヤが、2017年は4月29日に迫っています。

アクシャヤ・トリティヤはパラシュラーマの生誕日であると伝えられています。パラシュラーマはヴィシュヌ神の6番目の化身として、ブラーフミンの家系に生まれました。パラシュは斧を意味し、斧を持つラーマをあらわします。

このパラシュラーマにまつわるさまざまな神話の中に、奢り高ぶった数多くのクシャトリヤを殺害したという言い伝えがあります。武士階級であるクシャトリヤによる尊大さや横柄さが、世の中を混乱に陥れていた時代のことであったと言います。これは、純質なサットヴァであるパラシュラーマが、ラジャス(激質)やタマス(惰質)によって生じた混乱を破壊することを物語っているのだと伝えられます。

この物語は、自分自身の内なる世界においても常に起きていることに変わりありません。ラジャスとタマスによって生み出される怒りや憎しみ、悲しみや憂いといった様々な感情は、自身の内を戦場のように作り上げ、その混乱によって、私たちは自身の本質を見失います。混乱を打ち破り、輝く純粋な質へと自分自身を導くこと、それがこの社会を生きる私たちの日々における修練に他ありません。

より良い作物を育て上げるためには、雑草を引き抜かなければならないように、自身の成長を遂げる中で、破壊は誰もが経験せねばならないということが、このパラシュラーマの歩みに象徴されていると言われます。

そして何より、このパラシュラーマには強い信仰心がありました。手にする斧は、パラシュラーマの苦行に喜んだシヴァ神が授けたものだとも伝えられます。信じる心、それが正しい道を歩むための最大の強みとなることを忘れてはなりません。

維持や保護の神として知られるヴィシュヌ神は、世界が混乱に陥った時、人々を正しい道へと導くためにさまざまに姿を変え現れると信じられています。太陽と月の輝きが最も満ちる時となるアクシャヤ・トリティヤにおいて、こうした神々の象徴を見つめることは、自分自身の内の純質を磨きあげる大切な行いとなることでしょう。皆さまもどうぞこの吉兆な時を大きな喜びと共にお迎えください。

(文章:ひるま)

ヴィシュヴァーミトラの修行

無限の力を引き出すガーヤトリー・マントラを発見した聖仙ヴィシュヴァーミトラには、古代から多くの神話が伝えられます。聖仙として崇められるヴィシュヴァーミトラは、かつて、偉大な力を持った一人の王でした。

ある時、聖仙ヴァシシュタのもとを訪れた王のヴィシュヴァーミトラは、もてなされた食事の豪華さに驚きます。ヴィシュヴァーミトラが理由を尋ねると、聖仙ヴァシシュタにはカーマデーヌという、限りない恵みを授ける牛がいることがわかりました。聖仙ヴァシシュタからこの牛を奪おうと戦いを挑むも、聖仙としてのヴァシシュタの神秘の力には敵わず、牛を手にすることができません。すると、ヴィシュヴァーミトラはこの神秘の力を手に入れようと、聖仙になるための厳しいヨーガの修行を始めました。

ヴィシュヴァーミトラの修行には、多くの邪魔が入ります。何度も何度もその修行を阻まれるも、決して諦めることはなく、時を超えて厳しい修行を実践し続けました。そして、その修行が達成された時、ヴィシュヴァーミトラは聖仙ヴァシシュタにも認められる偉大な聖仙となります。この修行の賜物として、ヴィシュヴァーミトラはガーヤトリー・マントラを発見しました。

ヨーガには、聖仙ヴィシュヴァーミトラに捧げるアーサナ(ポーズ)があります。ヴィシュヴァーミトラーサナと呼ばれるこのポーズは、全身の高い柔軟性、確かな安定、そして中心の強さを必要とする、高度なアーサナの一つに数えられます。その練習の過程では、幾度となく前進と後退を経験するも、少しずつ進歩を感じる時、繰り返し努力をすることの意味を学びました。そうして得る心身のしなやかさと安定、そして強さは、何にも勝る大きな喜びです。

ヴィシュヴァーミトラがその修行で経験した苦難は、その名が捧げられたヨーガのアーサナの難しさに映し出されています。私たちは、人生においても前進と後退を繰り返し経験し、その歩みには、時に大きな苦難が待ち受けています。しかし、その苦難が大きければ大きいほど、努力をする価値があり、そうして得る恩恵は、ヴィシュヴァーミトラがガーヤトリー・マントラを発見したように、人生に光をもたらす賜物となるに違いありません。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Vishvamitra

82、花柳界出身の太鼓:Tabla

シタールの伴奏によって、シタールと共に世界を旅したことで世界的に有名になり、その後、シタールが入ると「如何にもインドの世界」になってしまうのに対し、タブラは世界の様々な音楽にも自然に溶け込み、色を変えないことからシタールよりも普遍的且つユニークな楽器(太鼓)としてより好まれた経緯があります。
シタールの項で述べました「ラーガ・ロック」は恐らくほとんど演奏しなかったエリック・クラプトンも、名曲「ライラ」のアルバムでタブラを起用しています。
この「タブラ」は、前回ご紹介した「ムリダングを左右で二分した、高低二個一組の片面太鼓」ということが出来、正式には「タブラ(右高音太鼓)・バヤン(左低音太鼓)」であると知っている人は、タブラをご存知の方の中でも七割位でしょうか? 「バヤンが単に『左』の意味で、タブラは元々アラビヤ語で『太鼓』である」となってくると五割程度かも知れません。
更に、実は「タブラ・バヤン」に至る迄に、過渡期の同様の太鼓が数種あることは「タブラを持って居る」人や「そこそこ演奏するぞ」という人の中でも殆どご存じないかも知れません。

そもそも何故「ムリダングを二分する必要があったのか?」
ひとつには,西域からインドに来た(つまり移動して)イスラム教徒にとって、移動出来る太鼓は、馬の鞍の両側に取り付けた「二個一組」の太鼓であったからに他なりません。
他方「ムリダングを二分しないと、叩けない」ということは、ある程度はあります。手の甲が上を向くか横を向くかでは重力を利用出来る出来ないの大きな違いがあります。ですが、決定的な問題ではない筈です。

実は、より決定的な理由は「音量と余韻」にありました。前回お話しましたように、ムリダングは、世界有数の音量と余韻を誇る太鼓で、正にヒンドゥー寺院の厳かな儀礼音楽や、宮廷音楽の最高峰ドゥルパドには適しているのですが、花柳界の歌姫の叙情詩には全く不向きです。
もちろん「楽器の格」がありましたから、ムリダングを宮廷や寺院から持ち出して花柳界で用いることなど許されませんでしたが。誰もそれを望みもしなかったということです。

なので、当初花柳界では「馬の鞍の両側」に吊るされた太鼓「ナッカーラ(Naqqara)」を指と掌で叩いて歌姫を伴奏していたのです。本来はスティックで叩きますが、しっとりとした叙情詩では音が大き過ぎです。
この太鼓も大小で音の高低を付けましたが、音色変化は4種類程度でしょう。
そもそも花柳界の歌姫は、宮廷楽師に弟子入りしていました。これは日本の芸者さんも同様で、長唄や浄瑠璃の師匠に昼間稽古を付けてもらうのです。
歌姫の家系は、女子に生まれれば、歌姫と舞姫になり、男子に生まれればタブラ奏者とサーランギー奏者になりますから、恐らく男子もラーガ音楽やターラ技法を学びに行っていた筈です。そこで、ムリダングの「スャヒ」を知り、恐る恐る遠慮がち「どうにかナッカーラにも応用出来ないか?」とチャレンジしたのでしょう。

ところが、その当時も今でもムリダングの左側低音太鼓にはスャヒを貼らず、演奏の度に米粉を捏ねて貼ります。演奏中に渇くと剥がれてしまいますから器の水を用意し常に湿らせます。右のスャヒは汗でも痛むので、むしろ頻繁に手を拭きながらです。「音の高低」のみならず「乾きと湿り」も同時に存在するのです。実に「二元論を象徴している楽器」と言えましょう。
なので、初期の花柳界ナッカーラにはスャヒは全くなく、演奏時に左低音太鼓に米粉(ラヴァ)を塗って演奏していた訳です。
このペア太鼓の名はやはり「ナッカーラ」でしかなく、左右は「サギールとカビール(アラビヤ語の小と大)」かヒンディー語(ウルドゥー語)で「ダヤンとバヤン(右と左)」程度だったと思われます。

次に開発された花柳界太鼓が、左低音太鼓のみ木製にして、ムリダングのラヴァの他に「縁皮」をも取り入れて、音の変化を際立てたものです。それは「ダーマ」と呼ばれます。何故そのような太鼓が必要であったのか? それは、ラヴァを塗った左は手のかかとを鼓面に付け、スライド音を出すからです。もちろん、かかとがラヴァに乗り上げてしまうとぬかるみに足を突っ込んだようになってしまいますから「寸止め」ですが。
なので、断面が三角なナッカーラより円筒形の方が安定するからがその理由です。そして、右側は変わらず小さなナッカーラ。しかし、そもそも「ナッカーラ」はアラビヤ語で複数形ですが、その頃にはアラビヤ語会話者は少なくなっていたのでしょう、それでも「ペア太鼓の一方」を旧名で呼ぶことはしなかったようです。なので、「高音(頂き)」の意味(前回のムリダングのイスラム教徒の呼称と同じ)の「アワジ」を用い「アワジ&ダーマ」だったのです。もちろん単に、アラビヤ語の「太鼓」の意味の「タブラ」の語を用い「タブラ&ダーマ」であったかも知れませんが、後述の同名太鼓と同名異形ですから割愛します。
そして、次に「アワジ」もムリダングを真似た木製片面太鼓に替え今度はスャヒを塗って、今日の右側高音太鼓「タブラ」が出来上がります。そのセットが「タブラ&ダーマ」です。

ところが、楽派によっては「ダーマ」を用いず、ナッカーラの左太鼓をずっと用いていた奏者も居ました。彼らはナッカーラのインド名「ドゥッギ」と称します。その彼らも右高音太鼓にスャヒが着いた「タブラ」は大歓迎。そこで「タブラ&ドゥッギ」が誕生します。倒れにくいように「お椀型」に改良されています。
そのドゥッギのラヴァをスヤヒに替えたのが今日の「バヤン」です。なので、今日の「タブラ・バヤン」を未だに「タブラ・ドゥッギ(ドゥッガ)」と呼ぶ人も少なくありません。 当初左低音の「ドゥッギ」にはラヴァが塗られていたのでしょうが、近年ではもっぱらスャヒが貼られています。一方の「ダーマ」は、未だに鼓面には何もなく、演奏時にラヴァを貼るようになっています。
また、1990年代に日本でも人気となったスーフィー・チシュティー教団の献身歌(神秘詩)カッワーリの歌い手:ヌスラット・ファテ・アリ・カーンの楽団では「タブラ・バヤン」「両面民謡太鼓:ドーラク」の他に、「アワジ・ドゥッギ」をしばしば使っていました。この場合のドゥッギは今日のバヤンと同じ「スャヒ付き」で右側「アワジ」はナッカーラのままです。

「タブラ」もまた、流石にシタールの相棒であるだけあって、シタール同様に波瀾万丈の歴史を経て古典音楽太鼓に至ったのです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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ヴァルーティニー・エーカーダシー

2017年4月22日はエーカーダシーの吉日です。月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。

チャイトラ月(3〜4月)の満月から11日目にあたるこのエーカーダシーは、ヴァルーティニー・エーカーダシーといわれます。ヴァルーティニーには、「軍隊」や「兵士」といった意味があり、このヴァルーティニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を努める者には、強い守りがもたらされると信じられます。

ヴァルーティニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を通じては、数々の王たちが救われ、成功を得たと伝えられます。また、欲望にまみれ驕り高ぶった態度を見せたブラフマー神を罰するために、5つあったブラフマー神の頭の一つを切り落としたシヴァ神は、その際に受けた呪いを、このヴァルーティニー・エーカーダシーの戒行によって払拭したともいわれます。不幸な境遇にある女性たちは、このヴァルーティニー・エーカーダシーを通じ救われると伝えられることもあります。

エーカーダシーでは、ヴィシュヌ神を通じた瞑想や断食を行ったり、寄付や施しを行うことが勧められます。このヴァルーティニー・エーカーダシーを通じた行いは、千年を通じた修行の成果と同じ恩恵を授けるとも伝えられています。

参照:http://www.speakingtree.in/blog/varuthini-ekadashi-fast

ヨーガ・スートラ第2章第14節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ते ह्लादपरितापफलाः पुण्यापुण्यहेतुत्वात्॥१४॥
Te hlādaparitāpaphalāḥ puṇyāpuṇyahetutvāt||14||
テー フラーダパリターパパラーハ プンニャープンニャヘートゥトヴァート
これらは、有徳か不徳かによって、喜び、苦しみをもたらす。

簡単な解説:前節において、煩悩という根源がある限り、出生、寿命、経験が生じると説かれ、煩悩という根源を断つことが、輪廻からの解放をもたらすということが説かれました。本節では、それらの業報(出生、寿命、経験)は、その原因となる業が有徳であるか、または不徳であるかによって、喜び、あるいは苦しみをもたらすと説かれます。

ガーヤトリー・マントラの無限の力

ヒンドゥー教において最高峰のマントラといわれ、現代では国や宗教を超えて詠唱されるガーヤトリー・マントラは、かつては儀式や祭祀を執り行う特定の家系の男子のみによって唱えられるものでした。ヒンドゥー改革運動の流れやヨーガの普及もあり、日常的に幅広く世界中で唱えられるようになったこのガーヤトリー・マントラについて、その意味、起源、重要性を詳しく見ていきましょう。

「オーム、地よ、空よ、天よ
我らが、彼(か)の太陽神の愛でたき神の光輝を獲得せんことを
我が為に、彼が知性を鼓舞せんことを 」
(参照:ガーヤトリー・マントラの逐語訳

紀元前12世紀頃に編纂されたリグ・ヴェーダにあらわれるこのガーヤトリー・マントラは、太陽神サヴィトリへの賛歌です。聖仙ヴィシュヴァーミトラは、太陽の中に神(ブラフマン)を見出し、無限の力を引き出すガーヤトリー・マントラを発見しました。ガーヤトリー・マントラには、生きとし生けるものに命を与える太陽という最高の光が、私たちの心を照らし、知識を授け、正しい道へと導いてくれるよう、叡知を司る祈りが込められています。

「ガーヤトリー」とは、もともと韻律の一種であり、8音節の句を3つ重ねた、合計24音節からなる詩形を意味します(参照:ガーヤトリー・マントラについて)。
後に、ガーヤトリーは神格化され、ガーヤトリー女神として崇められるようになりました。ガーヤトリー・マントラが記されたヴェーダは、「知識」を意味し、ヒンドゥー教においてもっとも尊ばれる聖典であり、ガーヤトリー女神は人々の無知を取り除くヴェーダの母として崇められています。

それでは、なぜガーヤトリー女神は、5つの顔を持つのでしょうか。4つの顔は4つのヴェーダをあらわし、残りの1つは最高神をあらわすといわれます。4つのヴェーダには、以下のマハーヴァーキヤ(格言)があり、これらをすべてあわせたものが、ガーヤトリーとなります。

サーマ・ヴェーダ:tat tvam asi(汝はそれである)
リグ・ヴェーダ:prajñānaṁ brahma(意識はブラフマンなり)
アタルヴァ・ヴェーダ:ayam ātmā brahma(自己はブラフマンなり)
ヤジュル・ヴェーダ:ahaṁ brahmāsmi(私はブラフマンである)

このことから、ガーヤトリー・マントラは4つのヴェーダの教えの真髄であり、ガーヤトリー・マントラを唱えることは、4つのヴェーダをすべて唱えることと同じ功徳があるといわれます。またガーヤトリーは、パンチャ・マハー・ブータ(五大元素)をあらわし、宇宙全体の力を通じて、ガーヤトリー・マントラを唱える個人の心と体を守り、偉大な力を授けると伝えられます。また、5つの顔は、生命を司る5つのプラーナ(生気)と、自己の本質を覆い隠す5つの鞘に対応します。すなわち、ガーヤトリー・マントラを唱えることは、生命力を活性化させ、自己の本質を覆い隠す鞘を取り除くために、非常に役立ちます。

太陽神サヴィトリへの賛歌であるガーヤトリー・マントラは、感覚を司るガーヤトリー女神、生命力を司るサーヴィトリー女神、そして叡知を司るサラスヴァティー女神の三女神の象徴です。したがって、ガーヤトリー・マントラを唱えることにより、感覚器官を制御し、真理を語り、思いと言葉と行動の一致をもたらします。ガーヤトリー・マントラは、あらゆるマントラの中で最も恩恵高く、光に満ちた知識を授けるマントラであることから、グル・マントラとして受け継がれることもあります。

ガーヤトリー・マントラを唱える最適な時間は、日の出、正午、日の入りです。こうして1日に3度ガーヤトリー・マントラを唱えることは、サンディヤー礼拝と呼ばれます。マントラは108回唱えることで最大の恩恵が得られると伝えられますが、十分な時間が取れない場合は、3回、9回、11回等の吉祥数回唱えることもよいでしょう。もし食前に唱えるならば、その食事は神聖な波動で満たされた神への捧げ物となり、精神と肉体にとって有益な食事となるでしょう。

賢者や聖人たちは、単にガーヤトリー・マントラの意味を伝えるだけでなく、清らかな知識を授ける正しい力となるように、その言葉を伝えてきました。スワミ・シヴァーナンダ師は、ガーヤトリー・マントラについて、次のように述べています。
『ガーヤトリーは、敬虔深いヒンドゥー教徒すべての生命であり支柱です。
それは、信奉者を守り導く決して破れない霊的な鎧であり、堕ちることのない要塞です。
事実、ガーヤトリーの言葉の真の意味は、「それを歌う人を守るもの」です。
ガーヤトリーは、人間を神へと変え、最高の霊的光輝によって人々を祝福する神の力です。』
(参照:ガーヤトリー・ジャパの日

ガーヤトリー・マントラに秘められた教えと力が、その真義を明らかにしています。詠唱を続けると、真の知識があらわれ始めることを感じるでしょう。神への讃美であり、瞑想であり、祈りでもあるガーヤトリー・マントラは、真理を授ける無限の力を秘めています。

(SitaRama)

仏陀と蓮の花

泥沼から美しい花を咲かせる蓮。インドの国花として人々に広く愛されるその美しさは、純粋さと神聖さの象徴です。ヒンドゥー教の神々は蓮とともに描かれることが多く、その存在は、カマラー女神として神格化され崇められています。

仏陀も、そんな美しい蓮の花に座す一人です。泥沼の環境で美しい花を咲かせる蓮は、仏教において、叡智の開花や慈悲の象徴として崇められてきました。それはまた、悩み苦しみ、厳しい苦行を続け、悟りを得た仏陀の生きる姿を示していると伝えられます。

蓮の花に座し寂静に満ちる仏陀の姿は、苦の先にある果報が唯一無二の美しさを見せることを物語っています。悩みや苦しみは、人々に多くの気づきをもたらします。美しい花を開く蓮が豊かな養分を含んだ泥水を必要とするように、悟りを開くためには、私たちも泥沼のような苦が必要なのかもしれません。

人生とは「苦」であると、仏陀は説いています。泥沼を経験することがあっても、悟りの糧として受け入れると、その苦しみも、有り難き幸せとなり変わります。人生における苦を通じ、より多くの知恵を得ながら慈悲の心を育むことで、私たちは何よりも美しい花を咲かせることができるに違いありません。

仏陀は、「苦」の人生をいかに生きるかという道筋も示しました。基本となるその道筋は八つ、正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行動、正しい仕事、正しい努力、正しい気づき、正しい精神統一(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の八正道といわれます。生きることは苦しみと向き合うことである、という事実を理解しながら、この八正道を歩むことで、私たちは涅槃の境地に達するのだといわれます。

インドの地で多大なる苦悩を経験し、悟りを開いた仏陀。自分自身の人生において、美しい花を開くことができるよう、苦を受け入れ、正しい道を歩むことを努力したいと感じます。苦がある時、開く花の美しさは、より真実味を帯びるのかもしれません。

(文章:ひるま)

ブッダ・プールニマー(ウエサク祭)

2017年5月10日の満月は、ブッダ・プールニマーです。ブッダ・プールニマーは、仏陀降誕の日として世界中で祝われている盛大なお祭りです。※日本時間の満月は5月11日となりますが、11日の夜には満月を過ぎるため、10日に祝福されます。

以下に、Wikipediaよりブッダ・プールニマー(ヴェーサーカ)の記事をご紹介します[1]。

ヴェーサーカ(パーリ語;サンスクリット語ではヴァイシャーカ)は、ネパール、シンガポール、ベトナム、タイ、カンボジア、スリランカ、ミャンマー、バングラデシュ、インドネシア、インドなどの南アジア、東南アジアの仏教徒による伝統的な年間行事です。
通常は、仏陀の降誕日とされていますが、実際には仏陀の降誕日、悟りの日(ニルヴァーナ)、成仏を包括する日とされています。
ヴェーサーカの正確な日にちは、各国に伝統的な太陰暦によって変化します。テーラワーダ(上座部仏教)の国々では、満月のウポーサタ日(仏教徒の安息日;不浄な心を清める日)に行われます。中国のヴェーサーカ日は、中国の太陰暦における第4月の8日目に行われます。西洋のグレゴリオ暦では、年によって異なりますが、毎年4月か5月に行われます。

●歴史
ヴェーサーカを仏陀の降誕会とする決議は、1950年にスリランカで行われた第一回世界仏教徒連盟(WFB)の会議で採択されましたが、仏教国における当時の祭典は、各国の古い伝統に基づいて行われていました。
ヴェーサーカにおいては、世界中の仏教徒は、仏陀の誕生日、悟りの日、成仏日を含む重要な行事として祝します。インドから仏教が伝来して、多くの外国文化に同化したように、ヴェーサーカは世界各国において独自の方法で祝されています。

●ヴェーサーカの祭典
ヴェーサーカにおいては、敬虔な仏教徒や信奉者たちは、祝典のために夜明け前に各地の寺院に集合し、仏旗を掲げ、仏・法・僧の三宝を讃える讃歌を歌います。帰依者たちは、師の御御足に捧げるための花、ろうそくや線香を持参します。これらの象徴的な捧げ物は、美しい花はすぐに萎れ、ろうそくや線香はすぐに燃え尽きるように、人生は儚く短いことを意味しています。帰依者たちは、あらゆるものの殺傷を避けるために、特別な努力を行い、この日は精進料理(ベジタリアン・フード)を摂ることが勧められています。特にスリランカなどのいくつかの国では、ヴェーサーカを祝するための2日間は、酒屋や食肉処理施設は、閉店するように政府の法令によって定められています。また、意に反して捕らわれていたおびただしい数の鳥、昆虫、動物が自由の象徴として放たれます。敬虔な仏教徒の中には、簡素な白装束をまとい、八正道に対する新たな決意を胸に、一日中寺院で過ごす人もいます。
敬虔な仏教徒は、教えに基づく五戒を遵守する誓約をし、高潔な日々を過ごしていますが、特に新月と満月の特別な日には、道徳、簡素、謙虚を実践するために八正道を遵守します。
またある寺院では、小さな幼児の仏陀像を祭壇の前にまつり、花で飾りつけられた小さなたらいに水を張り、帰依者が像に水をそそぐことができるようにしています。これは、悪い業(カルマ)を洗い清め、神々や精霊の祝福のもと、仏陀の降誕を再現する象徴的な行為になります。
帰依者たちは、僧侶による説法を聴きます。この日は、国や国民の繁栄と平和を願い、僧侶たちは仏陀によって語られた詩句を詠唱します。仏教徒たちは、仏陀が説いたように、他人を信頼し、他人の信条を尊敬し、調和を持って生活することを思い起こされます。

●他の人々に幸せを運ぶ
ヴェーサーカの祝日は、高齢者、障がい者、病人のような人々に幸せを運ぶ特別な努力をする日を意味します。この日には、仏教徒は贈り物を贈ったり、奉仕活動をしたりします。ヴェーサーカは、大きな幸せや喜びの時であり、自分の欲望を満たすのではなく、寺院での奉仕活動や、仏陀の教えを世間に示すために専念する時でもあります。また、敬虔な仏教徒たちは、仏陀を礼拝するために寺院に足を運んだ信奉者たちに、軽食や精進料理(ベジタリアン・フード)を提供する腕を競い合います。

ブッダ・プールニマー(ヴェーサーカ)は、日本ではウエサク祭(または花祭り、降誕会など)として親しまれています。京都の鞍馬寺では、5月10日にウエサク祭の行事が行われます。
興味ある人は、足を運んで、仏陀の教えを学び、瞑想する良い機会にするとよいでしょう。

[1]Ves?kha, http://en.wikipedia.org/wiki/Vesak

81、Ganeshが祖の太鼓:Mridang

この連載のVol.23で、「世界初の太鼓奏者は、ガネーシャ神で、その太鼓はムリダング」と御紹介しました。「ムリダング」は「ムリドゥ(土)+アング(胴)」の文字通り、当初は素焼きで円筒形の胴を作り山羊皮を水牛の皮の締め皮で強く張りました。加えて、次回ご紹介する「古典音楽太鼓:タブラ」同様の鼓面に張られた重り「スャヒ(字義は墨)」がムリダングの大きな特徴です。
「スャヒ」が何時頃発明されたかの確かな情報はありませんが、仏教が伝わったインドシナの古典音楽太鼓にも、模倣してほぼ黒い円を描いただけの太鼓が基本的に存在することから考えて、仏教時代以前には存在していたと思われます。

同様に、確かないきさつが分からないのは、1980年頃からジャズ(ロック)のドラムのヘッドにも黒いシート(パッド)が貼られるようになったことです。もちろん全てをインド太鼓に結びつける必要はありませんが、ヒントにはなったかも知れません。
インドシナの太鼓とジャズドラムの「黒い丸」の効果は、「散乱する余計な倍音を消去し、音に締まりを与える」ということに尽きるようです。

それに対し、「スャヒ」は、遥かに大きな効果が複数あります。
まず、「余韻が十倍近く伸びる」ことです。それによって、やたらに音数を増やすことなく叩くことでも、充分に重厚で荘厳な不雰囲気を醸し出すことが出来ます。瞑想ファンにもお馴染みのチベッタン・ベル(ハンド・シンバルや鉦)や日本のお寺の鐘(鉦)もやはり余韻が命です。
次に「音量が数倍大きくなる」ことです。恐らく太鼓の鼓面本来の重さの十倍以上になることで、単純計算で直径が同じく十倍以上の太鼓の音量が出る理屈です。
そして「豊な倍音が得られる」ということです。この倍音は、ジャズドラムやインドシナ古典太鼓が「割愛を求めた」拡散・散乱する余計な倍音ではなく、澄んだ音楽的な倍音です。

そして、極めつけが「鼓面の一部を触っても全ての音が消去されない」ということです。
「スャヒ」を塗ることで、鼓面の構造は、「本皮の性質」「スャヒの性質」「両者を合わせた性質」の「三枚の鼓面の性質」を併せ持ったことになります。なので、単純な説明で恐縮ですが、指や手のかかとで鼓面に触れても、普通の太鼓ではミュート(消音)されてしまう振動が、完全には消えないのです。三枚の皮の内、一枚がミュートされても他は響くという理屈です。

この仕組によって、上記の「三つの性質」を複雑に組み合わせることが出来るのです。つまり、上記の三つの性質それぞれの上で、「鼓面全体、鼓面中心部、鼓面の縁」を叩くことで単純計算で、「九種類の音」が出る理屈になります。
実際は「音になっていないもの」と「大して変わらないもの」があるのですが、それでも明らかに異なる基本音が「五種」生まれるのです。そこに「両面太鼓」の場合、左右で高低の音程差をつけますので、これもまた単純計算で25種、実際の実用的な音数は、基本で12種生まれたのです。

この感覚は、世界の他の太鼓には見られません。希に「スティックを鼓面に押し付ける」等の奏法が西洋のマーチングドラム、日本の祭り太鼓、キューバの舞曲の太鼓に見られる程度ですが、インド太鼓は「スャヒ」の御陰で12種もの「音色の違い」を叩き分けることが出来るようになったのです。

その結果、インド太鼓は、世界の他の太鼓と全く異なる方向に進みました。それはある意味「喋る太鼓」という方向性です。「喋る太鼓」=「Talking-Drum」はアフリカでも有名ですが、それは、小脇に挟み、脇で締め紐を絞り上げて音程を替え、その変化が「言葉のようだ」ということと、「そもそもアフリカの全ての太鼓は『モールス信号の役割』を果たした=伝達=言語的」であるという二つの意味合いですが、インド太鼓の「喋る」はその次元とは全くことなります。

12音の基本音は、「インド人の耳にそのように聞こえる」という「擬音語」の名前をもっています。
それは、右手高音鼓面で「ター、ティン、トゥン、テ、ティ」の五種で、左手低音鼓面で「ゲ、カ」の二種で、「似た音」を省いて「左右同時」で五種の計12音です。つまり、「た、てぃ、とぅ、て、てぃ」と「だ、でぃ、どぅ、で、でぃ」「か、き」があるのです。
また基本音の12の他に、「ナ、ガ、キ、ク、ラ、リ」などの比較的頻繁に用いられる「前後関係から生まれる派生音や太鼓記憶言葉の言い替え」を加え、日本語に当てはめると「たちつてと、な、らり、かきくけ」がフォローされているのです。すろと「田中君が泣く泣く来た」位の言葉は喋れてしまうのです。

その結果、リズム表現用語で「タンタ、タンタ、タカタ、タカタ」のようなシンプルなリズムも「ダーナ、ディンナ、タキタ、ティナク」「ゲケテ、ナギナ、タキタ、テテテ」など、無限とは言いませんが、限りがないと思わせるほど「異なるもの」に聴かせることが出来るのです。

ということは、そもそも音楽は、基本「リズムと音程」の「二元論」でしかないのですが、「同じリズムが音程を替えずに様々に変化発展する」ということであり、これは音楽の常識を覆すものということが出来るのです。

素焼き胴の、元祖「ムリダング」は、その後、壊れにくい「木製胴」になりましたが、素焼き胴も、キールターンなどの伴奏用やマニプール州の古典舞踊の太鼓として今日迄生き続けています。

木製胴は樹の幹をくり抜くもので、北インドでは薄めの比較的軽い(それでも10kg弱はありますが)ものですが,南インドでは厚めにくり抜くため、ずっしりと重く、恐らく30kgはありそうです。胡座の片足首に右側を載せ叩き易くするのですが、慣れないと足首が保ちません。この南北の「ムリダング」の重さの違い、皮の厚み(やはり南が厚く、その分余韻が短い)の違いは、南北の太鼓奏法とその役割の違いが現れています。
ちなみに南では言語習慣によって「ムリダンガム」と呼ばれ、北ではイスラム宮廷時代にペルシア語で「聖なる頂」の名を得て「パカワーズ(ジ)」とも呼ばれます。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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