188、アーユルヴェーダ音楽療法入門50 (用語辞典:キ・ク)

カ行・キ
キラナ・ガラナ:
北インド近世の新古典声楽「カヤール」の一派。16c.の楽聖ターンセンの娘の系譜「ヴィーンカル・ガラナ」から派生した非ターンセン血統のヴィーンカル(弦楽器ヴィーナ演奏者)のUd.Bande Ali Khanから発したが、主要カヤール流派の中で、最も早く西洋楽器(手ふいごの鍵盤楽器:ハルモニヤム)による伴奏を起用した。(伝統的な微分音を無視することを意味する) 上記創始者がJaypur-Ghatana、Indore-Gharanaの強い影響を受けていることも考慮すべき。

キールターン:
ヒンドゥー讃歌(献身歌)の一種。主唱者と合唱隊の掛け合いによる。「キールターン」の字義は「繰り返し」とも言われる(※)。その起源は、ヴェーダ時代に遡る、という説がいる一方。今日の歌唱様式の原型は、15~16cのヒンドゥー献身運動「バクティー」から発したとされる。同源の「バジャン」が物語性(叙事詩)が強く、楽曲形式も複雑で規則があるのに対し、単純な構造が主である。
元来、インド~ヨーロッパ語族、及びアフリカのバントゥー系には、所謂「Call & Responce(以下C&R)」の歌唱法が古くから発達していた。音楽研究者は語らないが、必然的にメソポタミア、古代エジプトにその原型が見られる筈。その末裔は、「バジャン~キールターン」から遥か西に至ったキューバの「ソン歌謡」にさえ見られる。「ソン」では、「叙事詩:ギア」を歌い、後半に「C & R」部分が来る。それには「主唱(雄鶏と呼ばれる)と合唱隊(コーラス:Coroと呼ばれる)」の他に「旋律楽器や太鼓のアドリブ・ソロ(Solo)とCoroの掛け合い」なども行われる。「ソン」では、この部分(キールターンに相当する)を「Montuno」と呼ぶ、
最も重要なことは、いずれも「リズムサイクル」に厳しく順ずる点である。末裔のひとつでもあるジャズの即興掛け合いも、それゆえに「4-Bars(四小節)」などと呼ばれサイズを揃える。逆に、リズムサイクルの理論を拡大解釈して、主唱者が2サイクルの様々な歌詞を歌い、合唱隊は1サイクルの定型詩だけで返す場合も少なくない。
創始期には、まだ楽曲形式が不定であったバジャンの末尾にキールターンが付加されていたと考えられ、キューバの「ソン」が、次第に「Montuno」が重視され(庶民が加わり盛り上がり易い為:大衆迎合)たことと同じように、「バジャン末尾」から乖離して独立した歌唱様式に至ったと考えることは容易である。インド文化にハマっている人々の中には「キューバの歌など関係ないだろう」と思う感情思考の人が少なくないが、「ものの有様とその源流」を論理思考で理解するには、「異なる派生の比較・類推」、「置き換え」と「二点測量」は不可欠である。
例えば、この先「キールターン・ブーム」が飽きられるとしたら、その単調性に他ならないであろうが、原点回帰し、「前唱歌~バジャン~キールターン」の様式を復活させれば、極めて意味深い説法と音楽が成り立つであろう。(現にUP州の春歌:ホリーやカジャリーには、そのスタイルが残っている)
元来のキールターンの詠唱には、宗派によって「九つの段階(場面)」や「五つの場面」があり、イスラム系神秘主義の中で音楽を重要視する宗派の祈祷システムに類似する。つまり、一般庶民に向けてバクティーを布教した際の「キールターン」の姿と、帰依者・献身者たちの内向的儀礼(秘儀も含む)の姿にはかなり隔たりがある、と見ることが出来る。いずれにしても、日本では後者の検証・学びはもちろん、一般への実践は難しい。
音楽的スタイルは、ベンガル地方のもの、北インドのものが有名であり、その他、シク教には独自なものがある。

しばしば「サン・キールターン」とも呼ばれるが、この場合の「接頭語:サン」は、「サ行」を参照されたい。
(※)また、「キールターン」の字義には「繰り返し」の他に、「語り、説法」の意味があるとされるが、派生的でもある。同源の「Krt」からは近代南インド古典声楽の「Kriti」も生じているが、ここには「繰り返し」や「C&R」の要素はなく、純然たる「ヴィシュヌ讃歌」である。

キルヴァーニ:
南インド古典音楽の旋法(ラーガ)のひとつ。アラブ・トルコのマカームのひとつと類似し、西洋人から「オロエンタル・マイナー」と称されるものと類似するため、1950年代末以降のインド音楽の海外演奏でお飲んで用いられ、やがて北インドの演奏家も起用するようになった。北インドの類似ラーガは、古代に衰退してしまった。

キンナラ:
天上の楽師。ブラフマン教後期に既に「アシュラ神群」に属する下級神の扱いを受け、後の仏教、ヒンドゥー教でも下級神。良くて精霊的な存在とされた。仏教では、他の下級神同様に「釈迦に詫び、懇願し仏法の守護を条件に存続した下級神:天部」とされ、音訳して緊那羅とされる。
本来、下級ではないにしても、上級紙の従者・眷属ではあったと考えられ、「ガンダールヴァ:天上の歌手」「アプサラ:天上の舞踊手」と共に、天上音楽の担い手であった。インドシナにも深く伝わり、後に小乗仏教に支配された後も進行が継承された。「キンナリ」とも言われ、寺院石彫に「キンナリ・ヴィーナ」という干瓢共鳴胴が1~2個の弦楽器が描写され、後の弦楽器ルードラ・ヴィーナの前駆型とされている。

カ行・ク

クッティー・カーラ
身分の低い音楽家を指す差別用語

クトゥ・ターン
旋律の即興的装飾法の一種。ジグザグ進行が激しい。難解なもののひとつ。

クリ:
太鼓変奏法の一種で「対句(掛け合い)の問いかけ部分」

クリヤー:
「機能、働き」のこと。

クリヤー・ヨーガ:
現代ヨガの一派。現代ハタ・ヨガ(Pistural-Yoga/体操ヨガ)とは異なり、精神ヨガ・瞑想ヨガに偏る。属する人々には、古代タントラ・ヨガからの伝統を引いているとされるが、確証はない。そもそも「Tantra」は、密教的な系譜のみではない上に、密教系タントラの中でも、後世広く知られた過激派ばかりではない。中世の「ハタ・ヨガ」の主流派は、その「密教系・過激派タントラ」に根ざしていたとされる。その中心的な教義に、特殊な瞑想法による「クンダリーニ覚醒」があり、現代クリヤー・ヨガは、その伝統を引いていると主張する。

クリシュナ:
ヒンドゥー三大神のひと柱「ヴィシュヌ神」の10の化身(Avatara)の八番目。人間と同じ姿で、色黒で表現される。七番目の「ラーマ王子」と共に、昔から庶民の人気が高い。二大叙事詩「ラーマーヤナ」ではラーマ王子が主人公で、「マハーバーラタ」では、クリシュナが助演(副主人公)。その他、クリシュナは「バガヴァド・ギータ(散文聖典)」で重要な役割を果たす。同聖典に於けるクリシュナは、禅問答のように様々な形で真理を示唆するが、後世にかなり加筆されたことが疑われ、現代、その原典の正しい形を知ることは難しい。
一方、クリシュナは、元来先住民族の神であったものがヒンドゥーに取り込まれたとも言われる。それ故、「肌の色が黒い」とされ、「クリシュナ=黒色」と説く派もある。その一方で、「シャーム=黒色」もまた、クリシュナのおびただしい「別名/徒名」のひとつに数えられる。
また、クリシュナは独自の神で、ヴィシュヌの化身とされる「マツヤ(半人半漁様)、クールマ(亀)、ヴァラーハ(猪)、ナラシンハ(半人半獅子様)」は「クリシュナの化身」と説く派もある。
前述の二大叙事詩と聖典の他にも豊富なクリシュナ神話があるが、大別すると
「生誕の物語」悪政王に苦しむ民衆がヴィシュヌに祈願し、「人間の子」として生まれると予言。それを知った王が、該当夫婦に生まれた新生児をことごとく抹殺。出産の瞬間に運び出されたのがバラ・ラーマ(ヴィシュヌの従者アナンタ竜王/蛇王の化身)と弟クリシュナと言われ、実父、養母も神格化に近い人気がある。
「乳幼児の物語」養母の目を盗んでギー(バターの類)を盗み喰うことから「マッカンチョール(バター泥棒)」の徒名を付けられた赤ん坊のクリシュナ。TV-Radioなどが無い時代、結婚前・出産前後のヒンドゥー女性のアイドルだったとも言われる。
「少年時代の物語」
羊飼いの少年として「ゴパール(ラ)」として、乳搾りの娘たち「ゴピ」との日々の物語。「ブランコ遊び」や「ホリー祭りの色水掛け」などが讃歌、劇、絵画の主題となる。「ゴピ・クリシュナ」の対句がある。
「青年時代の物語」
人妻のゴピ「ラーダ」との恋物語が極めて有名。「ラダ・クリシュナ」の対句が在る。
……………………..
「ゴピ・クリシュナ」と「ラダ・クリシュナ」の双方に共通のテーマが「笛吹き童子」である。竹の横笛「バンスリ」の別名「ムラーリ」を持つ男「ムラーリ・ダール」とも言われる。
このテーマは、古今東西に比較的多く散見され、「日本の笛吹き童子(Radio-Dramの原典はかなり古い)」「ハーメルンの笛吹き男(13cのドイツの実話?)」は特に有名。オスマン・トルコで準国境扱いを受けた神秘主義の一派では、縦笛「ネイ」が極めて重要で、「笛の音」は、或る種彼岸との交信器具(神器)とも言われる。トルコでは近代迄「笛は命を取る」と考えられ、「ひさしぶりだが、ずいぶんやつれたね」などの時に「笛吹きのようだね」という常套句があるほど。日本各地の竜蛇伝説では、笛の達人が池・沼に引きずり込まれる話は多い。実際、洋の東西で著名管楽器奏者が呼吸器疾患で早世した例も少なくない。古代インドのバラモンの菜食主義では「根菜」を食べず「竹」もまた「根と一体化(葉や果実ではない)している」として、食べず。「竹笛」も口に当てなかった(だから鼻で吹いた、という記述もある)と言われる。

クレーダカ・カパ:
「Tri-Dosha(Dhatu)」のひとつ「Kapha」の「副五要素」のひとつ。カパの総体は「留め・構築・基盤・安定・保存・接合・代謝」であるが、クレーダカ・カパは、特に「潤滑・潤い・溶解」の側面を似ない、ピッタの力で「分解・燃焼」された栄養素や、ヴァータとピッタで作り出された(副産物)不要物・毒素・老廃物を液化して処理(排出)する。例えば、クレーダカ・カパは、ピッタの「酸」と共同して「胃酸」となると同時に、「胃粘膜を更に保護する粘液」とも考えられている。広義には「唾液・涙」などの「粘膜保護液」や「関節潤滑液」などもクレーダカ・カパの働きによって分泌される。

クシャトリア:
一般に「カースト」と呼ばれる「四ヴァルナ」のひとつで、ブラフマンに次ぐ地位。神々が創作した「原人」の腕から生まれた人間たちとされる。武士階級としても知られ、二大叙事詩の時代に隆盛した。時代の符号からみても、「ブラフマン教・仏教」から「ヒンドゥー教」への流れには、王族・僧侶・貴族の権力から、地方豪族・武士階級への権力の移行が認められる。

クンダリーニ:
第一チャクラにあるとされる「エネルギーの根源」→クリヤー・ヨガ

クンティー:
弦楽器の糸巻

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(文章:若林 忠宏

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ヨーガ・スートラ第4章第26節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तदा विवेकनिम्नङ्कैवल्यप्राग्भारञ्चित्तम्॥२६॥
Tadā vivekanimnaṅkaivalyaprāgbhārañcittam||26||
タダー ヴィヴェーカニムナンカイヴァリャプラーグバーランチッタム
その時、識別知の方向に傾き、独存に向かう。

簡単な解説:前節において、プルシャと覚の相違を知る人は、自己の存在に関してさまざまに思いを巡らすことがなくなると説かれました。本節では、その時、心は識別知の方向に傾き、プルシャが自分だけで存在する状態である独存に向かうと説かれます。

クシェーパナ・ムドラー

苛立ったり、悩んだり、疑ったり、日々を過ごす中で、ネガティブなエネルギーに支配されることはないでしょうか。
そうして抱え込んでしまうエネルギーは、私たちの心身やその周囲にも、さまざまな悪影響を生み出します。
このエネルギーを手放すことを助けてくれる、クシェーパナ・ムドラーと呼ばれるムドラーがあります。

クシェーパナには、手放す、解放する、放り出すなどという意味があります。
このムドラーは、私たちが抱え込むネガティブなエネルギーを放出し、ポジティブなエネルギーを受容する助けとなるムドラーとして知られます。

クシェーパナ・ムドラーでは、左右の手の平を合わせ、人差し指はまっすぐに伸ばしたまま、中指、薬指、小指はそれぞれ交差させて曲げ、手の甲で休ませます。
左右の親指も同じように交差させ休ませます。
または、最初に両手を組んでから、人差し指をまっすぐに伸ばすこともできます。
この手の形を、まっすぐに伸ばした人差し指が地面に向くように組むのがクシェーパナ・ムドラーです。
臥位で行う際は、人差し指が足先に向くように組みます。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指には、それぞれ5元素の象徴があります。
クシェーパナ・ムドラーでまっすぐに伸ばす人差し指は、風を象徴します。
風は、自由に何かを動かし変化をもたらす性質であるヴァータの象徴です。

そして、一説に、頭頂から流れるエネルギーは、足を通して大地に放たれると伝えられます。
インドでは、尊者のエネルギーを受け取るために、その御足に触れ礼拝を行うことも少なくありません。

自由に動く風の象徴である人差し指をまっすぐに伸ばし、エネルギーが放出される足先(大地)に向けるこのムドラー。
その実践を通じては、抱え込んだネガティブなエネルギーを動かし、放出することができると信じられています。

時に変化を恐れる私たちは、手放すことができずに不必要な物事を抱え込んでいることが少なくありません。
そうして抱え込んだエネルギーを放出することで、思考や感情を浄化することができると信じられます。
それはまた、幸せに満ちた前向きなエネルギーを取り入れることを可能にしてくれるに違いありません。

(文章:ひるま)

※クシェーパナ・ムドラーは、カーリー・ムドラーとされる場合もあります。

クベーラ・アシュタ・ラクシュミー・マントラ


・ॐ ह्रीं श्रीं क्रीं श्रीं कुबेराय अष्ट-लक्ष्मी मम गृहे धनं पुरय पुरय नमः॥

・om hrīṁ śrīṁ krīṁ śrīṁ kuberāya aṣṭa-lakṣmī mama gṛhe dhanaṁ puraya puraya namaḥ॥
・オーム・フリーン・シュリーン・クリーン・シュリーン・クベーラーヤ・アシュタ・ラクシュミー・ママ・グリヘー・ダナン・プラヤ・プラヤ・ナマハ
・意味:クベーラ神とアシュタ・ラクシュミー女神よ、私の家に富を注いでくださいますように。

財宝の神であるクベーラ神と、8体のラクシュミー女神を礼拝するマントラです。
このマントラを通じた礼拝によって、貧しさや金銭的な不足が取り除かれると信じられます。

このマントラの詠唱は、不動宮に月がある夜に行うことが勧められます。
まずは身を清め、清潔な白い衣服を身につけます。
手の平に聖水をとって祈願を捧げます。
白い布を敷いてクベーラ・ヤントラを南の方角に設置し、白い花、干しぶどう、サフラン、ギー・ランプ、お香を捧げて礼拝を行います。
クリスタル・マーラーを用いて、このマントラを2100回唱えます。
そして、5日、または11日の間に、合計で125000回のマントラを唱え終えます。
その後は、このマントラを毎日108回、朝と夕に唱えることが勧められます。

参照:Kuber Ashta Laxmi Mantra

187、アーユルヴェーダ音楽療法入門49 (Vata気質と精神構造-1-)

トゥリ・ドーシャ(バータ)に於ける「ヴァータ」は、「流れ・運搬・運用」の働きを司ると同時に、過剰に亢進すると、「蓄積を阻害する」という反作用を招くとされます。
何度も申し上げていますが、今日のAyurvedaは、日本のみならず現地でも。「心身」の「体」についてばかり問われ、説かれますが、実際は、「心身」は、極めて強力に関連し合っているのですから、「心の状態=思考回路」についても説かねばなりません。残念ながら、そのような価値観を持っている専門家は、少なくとも日本にはほぼ皆無です。
………………………………………………………….
何度かご説明しています「ヴァータの図」の左右上半分は、「論理思考領域」が本来の姿で活性されうる「思考性・思考力」を持った人の場合の「右脳左脳」に於ける「Vata気質」の効率良い、効果的な活用例です。
左右下半分は、現代人に極めて多い「気分・感情領域に偏重した思考性・思考力」の人に、残念ながら極めて頻繁に現われてしまう「Vata気質の悪影響・悪癖」の例です。
よって、
日本のAyurveda専門家の多くが、この下半球の話ばかりを都合良く引用し、もっぱら偏った説明や解釈の説得力に利用しているのです。
………………………………………………………….
つまり、「本来の健康な姿=上半球的な思考性・思考力の活性化」を説き、「Vataの効果的・有益な活用」を説くという観念が、そもそも存在していないのです。
…………………………………………………………..
「Vata気質」の「論理的思考」と「感情思考」の対比の典型的な例が、「上半球(論理思考)の楽観・寛容・協調性」と「下半球(感情思考)の移り気・優柔不断・散漫・混乱」でしょう。
とかく、
人間は、誰しも、自分の関わる事柄を美化したがります。現代人に最も顕著なのは、「他者から被った被害は大袈裟に感じ、自分が与えた損害は軽微に思う」という感覚ですが、
図の
「下半球(感情思考)の移り気・優柔不断」は、見事に「外交的・寛容性」と自認・自称してしまう人が殆どです。
そもそも「外交的・移り気」や「寛容性・優柔不断」の論理的な区別が存在していません。そういう考え方・価値観で物事を理解しないのです。
その結果、
殆どの人が、
「良く言って外交的・悪く言って移り気」「良く言って寛容性・悪く言って優柔不断」などという恐ろしい感覚が「当たり前=普通」だとしてしまう訳です。
「寛容性」は、
『住職に柱に縛り付けられた雪舟が、涙を足の指でなぞって鼠の絵を書いた』
のような、言わば「転んでも徒では起きない」。如何なる状況に置かれても、自分の信念を貫くようなことであり、
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の類であれば、昨今の「暑さ寒さが苦手で、直ぐにエアコンを入れる」という感覚が「寛容性」であろう筈はないのです。
つまり、
「論理思考」に於ける「寛容性」には、
「他者・条件・環境の所為にしない」という側面が必ずセットになっているのです。

従って、現代人の殆どがやりかねない。
「良く言って外交的・悪く言って移り気」「良く言って寛容性・悪く言って優柔不断」の正体は、
「外交的と良く思いたい・言いいたいが、その実は、単なる移り気」
「寛容性と良く思いたい・言いいたいが、その実は、単なる優柔不断」ということです。

…………………………………………………………………………………………….
雪舟の逸話は、
図の上半球右側の「発想の転換・想像力」と、下半球右側の「根気・持久力脆弱」の対比にも当てはまります。
現代人は、
「絵を描きたいのにお勤めばかり→逆らったら縛り付けられた→こんな環境・条件では『やりたいこと』など出来る筈がない!」という結論を短絡的・安直に導いていしまいますが。
逆に言えば
「柱に縛り付けられる」などというありがたい状況はないのです。
その間、
「好きに想像・創造・妄想や、論理思考」を自由に繰り広げられる訳ですし、
実際、雪舟は、「涙」を活用して「足で絵を描いた」訳です。

尤も
「涙が出る」ということが「悲しみ」だった場合。そのような思いつきは得られなかったであろうと思われますから、逸話はイマイチ眉唾的ではありますが…………….。
もし、事実、雪舟が「哀しみ」を抱き、それが涙を誘ったならば、幼い少年にあっぱれな「論理思考活性状態」だったのでしょう。
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chametabla@yahoo.co.jp 若林

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(文章:若林 忠宏

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カッドゥー・ハルワーのレシピ

ヴラタ(誓願)に勧められるカッドゥー・ハルワー(कद्दू हलवा)のレシピをご紹介いたします。

ナヴァラートリーやエーカーダシーなど、インドではそれぞれの信仰に基づいて、さまざまなヴラタ(誓願)が行われます。ヴラタにおいて広く実践されるのが、断食や食の節制です。完全な断食を行うこともあれば、身体を浄化する果物や牛乳などの摂取は進んで行うこともあります。

インドには、こうしたヴラタの際に勧められるさまざまなレシピがあります。その一つ、カッドゥー・ハルワーをご紹介いたします。

カッドゥー・ハルヴァーは、かぼちゃを甘く煮たデザートの一種です。カッドゥー(कद्दू)はかぼちゃ、ハルワー(हलवा)は甘いお菓子を意味します。ハルワ、ハルヴァ、ハルヴァーなどとも呼ばれ、セモリナ粉や豆、野菜や果物などでできたものがあります。

★カッドゥー・ハルワー★

【材料】
・かぼちゃ:500グラム(皮を剥いて)
・牛乳:500ml(乳脂肪4%程度の加工していない牛乳)
・砂糖:125グラム
・カシューナッツ:大さじ1〜2
・カルダモンパウダー:小さじ1/2
・ギー:大さじ2〜3

【作り方】
・牛乳をフライパンに入れて火にかける。
・牛乳を火にかけている間、皮を剥いたかぼちゃを粗めにすりおろす。
・牛乳が沸騰したら、焦がさないように混ぜながら、強火で煮詰めていく。
・別のフライパンにギーを入れて温め、すりおろしたかぼちゃを2分ほど炒める。
・蓋をして4分ほどかぼちゃに火を通し、よく混ぜたら、さらに10分~12分ほど火を通す。
・かぼちゃに火が通り、柔らかくなったら、砂糖を加えてよく混ぜる。
・砂糖を加えた後は、水分が飛ぶまでよく炒める。
・牛乳が煮詰まって塊(コーヤー、マーワーなどと呼ばれる)ができてきたら、かぼちゃに加えてよく混ぜる。
・刻んだカシューナッツとカルダモンパウダーを加えてよく混ぜて、出来上がり。

※レーズンやアーモンドなど、お好みのドライフルーツを加えることもできます。

カッドゥー・ハルヴァーの作り方は、以下の動画が参考になります。

ヨーガ・スートラ第4章第25節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


विशेषदर्शिन आत्मभावभावनाविनिवृत्तिः॥२५॥
Viśeṣadarśina ātmabhāvabhāvanāvinivṛttiḥ||25||
ヴィシェーシャダルシナ アートマバーヴァバーヴァナーヴィニヴリッティヒ
相違を知る人は、自己の存在に関する思案が消滅する。

簡単な解説:前節において、心は無数の潜在的傾向を保有し、複雑多様であるけれども、それは他者(プルシャ)のために存在していると説かれました。本節では、プルシャと覚の相違を知る人は、自己の存在に関してさまざまに思いを巡らすことがなくなると説かれます。

ハタヨーガの素晴らしさ

私(ガネーシャギリ)がハタヨーガの修行を始めて、早いものでもう四半世紀を超えました。
そして、2021年には瞑想の方もはじめて40年になる予定です。
この間、瞑想修行の中断をしたことはなかったのですが、ハタヨーガに関しては2度ほど、約1年間、主要なアーサナの実践ができない時期がありました。
肉体を操作するヨーガのため、病気やケガなどにより、実践に制約が生じることはどなたにでもあり得ます。
しかしながら、その気になりさえすれば、身体的にどんな状況であってもプラーナヤーマ(調気法)などの実践は続けられますし、厳密にはほんの少しでも身体を動かせれば、ハタヨーガのアーサナの要素を実践することが可能です。
私自身もそうやって身体を維持してきたのですが、注目すべきは、身体的な制約がとれていざ身体が動かせるようになったあとの回復の早さです。
1か月もあれば、以前と同じようなエネルギーの状態に戻すことができます。
これが、筋トレなどとは違う(筋トレも素晴らしいものですが)、ハタヨーガのエネルギー操作法としての側面なのだと感じます。
ハタヨーガの実践は、パンデット(僧侶)がホーマ(護摩)を実践するようなものだと感じます。
長年使い込まれた護摩壇は、たとえ放置されていても、最低限のメンテナンスさえ怠らなければ、すぐに強力な護摩の火を焚くことができるでしょう。同じようにハタヨーガを正しく長年実践されてきた身体は、すぐにクンダリニーの火を灯すことができるものなのです。
私たち現代人は、ハタヨーガという素晴らしい宝物を簡単に学べる環境にいるわけですから、もっともっと親しんでいきたいものですね。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャギリ同行「星の力に守護された西インド・南インド至福の旅」

ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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ナヴァグラハ・ガーヤトリー・マントラ

一生懸命に働いても、よい行いをしていても、人生で辛いときというのはあるものです。
この理由の背後には、避けることのできない惑星の悪い配置、ホロスコープの影響があるとされます。
ヴァラーハミヒラのような古代の天文学者によると、惑星はほぼ直接的に人間に影響をおよぼすとされています。
それと同時に、われわれの祖先は、マントラのような音の波動により、惑星の悪影響を取りのぞく方法を見出しました。

「ガーヤトリー」とは、もともと韻律の一種であり、8音節の句を3つ重ねた、合計24音節からなる詩形を意味します。
このマントラの24音節からなる詠唱は、人間の肉体の24の異なる部位に共鳴するといわれます。
また、詠唱によって特別なオーラが肉体の周囲に生み出されるといいます。
これらの2つの変化によって、わたしたちは次の2つの恩恵を手にします。
すなわち、宇宙の神秘についての天啓と、過去世に犯した罪の浄罪です。
このようにして、人は輪廻の循環から自由になることができます。

9つの惑星であるナヴァグラハのガーヤトリー・マントラをご紹介いたします。
(複数あるナヴァグラハ・ガーヤトリー・マントラの一部をご紹介しています。)


सूर्य(sūrya、スーリヤ(太陽))
・ॐ भास्कराय विद्महे महद्युतिकराय धीमहि ।
तन्नो आदित्यः प्रचोदयात्‌ ॥

・om bhāskarāya vidmahe mahadyutikarāya dhīmahi |
tanno ādityaḥ pracodayāt ||
・オーム バースカラーヤ ヴィッドゥマヘー マハディユティカラーヤ ディーマヒ
タンノー アーディティヤハ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがバースカラ(光をつくる方)を知り、偉大なディユティカラ(光彩を放つ方)を瞑想できるように
アーディティヤ(アディティの息子)よ、我らを導き給え

चन्द्र(candra、チャンドラ(月))
・ॐ निशाकराय विद्महे कलानाथाय धीमहि ।
तन्नश्चन्द्रः प्रचोदयात्‌ ॥

・om niśākarāya vidmahe kalānāthāya dhīmahi |
tannaścandraḥ pracodayāt ||
・オーム ニシャーカラーヤ ヴィッドゥマヘー カラーナーターヤ ディーマヒ
タンナシュチャンドラハ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがニシャーカラ(夜をつくる方)を知り、カラーナータ(時の主)を瞑想できるように
チャンドラ(月)よ、我らを導き給え

अंगारक(aṁgāraka、アンガーラカ(火星))
・ॐ अंगारकाय विद्महे भूमिपालाय धीमहि ।
तन्नः कुजः प्रचोदयात्‌ ॥

・om aṁgārakāya vidmahe bhūmipālāya dhīmahi |
tannaḥ kujaḥ pracodayāt ||
・オーム アンガーラカーヤ ヴィッドゥマヘー ブーミパーラーヤ ディーマヒ
タンナハ クジャハ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがアンガーラカ(火星)を知り、ブーミパーラ(大地の守護者)を瞑想できるように
クジャ(大地の息子)よ、我らを導き給え

बुध(budha、ブダ(水星))
・ॐ गजध्वजाय विद्महे सुखहस्ताय धीमहि ।
तन्नो बुधः प्रचोदयात्‌ ॥

・om gajadhvajāya vidmahe sukhahastāya dhīmahi |
tanno budhaḥ pracodayāt ||
・オーム ガジャドゥヴァジャーヤ ヴィッドゥマヘー スカハスターヤ ディーマヒ
タンノー ブダハ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがガジャドゥヴァジャ(象の旗を持つ方)を知り、スカハスタ(喜びの手をした方)を瞑想できるように
ブダ(水星)よ、我らを導き給え

गुरु(guru、グル(木星))
・ॐ सुराचार्याय विद्महे सुरश्रेष्ठाय धीमहि ।
तन्नो गुरुः प्रचोदयात्‌ ॥

・om surācāryāya vidmahe suraśreṣṭhāya dhīmahi |
tanno guruḥ pracodayāt ||
・オーム スラーチャーリヤーヤ ヴィッドゥマヘー スラシュレーシュターヤ ディーマヒ
タンノー グルフ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがスラーチャーリヤ(神々の教師である方)を知り、スラシュレーシュタ(神々の中でもっとも尊い方)を瞑想できるように
グル(木星)よ、我らを導き給え

शुक्र(śukra、シュクラ(金星))
・ॐ रजदाभाय विद्महे भृगुसुताय धीमहि ।
तन्नः शुक्रः प्रचोदयात्‌ ॥

・om rajadābhāya vidmahe bhṛgusutāya dhīmahi |
tannaḥ śukraḥ pracodayāt ||
・オーム ラジャダーバーヤ ヴィッドゥマヘー ブリグスターヤ ディーマヒ
タンナハ シュクラハ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがラジャダーバ(銀色の栄光)を知り、ブリグスタ(ブリグの息子)を瞑想できるように
シュクラ(金星)よ、我らを導き給え

शनीश्वर(śanīśvara、シャニーシュヴァラ(土星))
・ॐ काकध्वजाय विद्महे खड्गहस्ताय धीमहि ।
तन्नो मन्दः प्रचोदयात्‌ ॥

・om kākadhvajāya vidmahe khaḍgahastāya dhīmahi |
tanno mandaḥ pracodayāt ||
・オーム カーカドゥヴァジャーヤ ヴィッドゥマヘー カドゥガハスターヤ ディーマヒ
タンノー マンダハ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがカーカドヴァジャ(カラスの旗を持つ方)を知り、カドガハスタ(刀を手にした方)を瞑想できるように
マンダ(遅い方)よ、我らを導き給え

राहु(rāhu、ラーフ)
・ॐ नाकध्वजाय विद्महे पद्महस्ताय धीमहि ।
तन्नो राहुः प्रचोदयात्‌ ॥

・om nākadhvajāya vidmahe padmahastāya dhīmahi |
tanno rāhuḥ pracodayāt ||
・オーム ナーカドゥヴァジャーヤ ヴィッドゥマヘー パドマハスターヤ ディーマヒ
タンノー ラーフフ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがナーカドゥヴァジャを知り、パドマハスタ(蓮を手にした方)を瞑想できるように
ラーフよ、我らを導き給え

केतु(ketu、ケートゥ)
・ॐ चित्रवर्णाय विद्महे सर्परूपाय धीमहि ।
तन्नः केतुः प्रचोदयात्‌ ॥

・om citravarṇāya vidmahe sarparūpāya dhīmahi |
tannaḥ ketuḥ pracodayāt ||
・オーム チトラヴァルナーヤ ヴィッドゥマヘー サルパルーパーヤ ディーマヒ
タンナハ ケートゥフ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがチトラヴァルナを知り、サルパルーパ(蛇の姿をする方)を瞑想できるように
ケートゥよ、我らを導き給え

全世界に幸福をもたらすガネーシャ神の姿

全世界に幸福をもたらすガネーシャ神は、障害除去の神として、唯一無二の存在です。
そんなガネーシャ神にまつわる数々の神話には、幸せに生きるための多くの秘訣を見ることができます。
その神話の中に、ヴィシュヌ神とラクシュミー女神の結婚式に招待をされたガネーシャ神の神話が伝わります。

ヴィシュヌ神とラクシュミー女神の結婚式には、ガネーシャ神をはじめ、多くの神々が招待されました。
しかし、象の頭、大きなお腹、折れた牙、そんなガネーシャ神の姿を奇妙に思う神々は、美しいラクシュミー女神の結婚式にガネーシャ神は来てほしくないと感じます。
すると、神々はガネーシャ神を置いてきぼりに、こぞって結婚式に向かいました。

その話を聞いたガネーシャ神は、心を痛めます。
すると、ガネーシャ神の乗り物であるネズミが、他の多くのネズミを率いて、ヴィシュヌ神の馬車が通る道の下に穴を掘りました。
馬車に乗ったヴィシュヌ神が通りかかると、道には穴があき、車輪が沈んでしまいます。

神々は馬車を持ち上げようとするも、持ち上げることができません。
そんな時、通りかかったひとりの農夫が、「ジャヤ・ガネーシャ!」と掛け声をかけると、軽々と馬車を持ち上げてしまいました。
神々は驚き、なぜガネーシャ神の名前を口にしたのか、農夫に問います。
農夫は、ガネーシャ神が障害除去の神だからと答えたといわれます。

この神話は、ガネーシャ神の外面に惑わされた神々が、障害除去の神というガネーシャ神の本質を見失い、障害に直面したことを伝えています。
私たち自身も、自分自身の立場の中で、外面的に物事を判断してしまうことが少なくありません。
あるがままに物事を見ることができない私たちの心の働きは、自分自身に限界を生み出し、さまざまな障壁となって、私たちの前を塞ぎます。

ひとりの農夫がガネーシャ神の御名を口にしただけで障害を取り除いたのは、彼が自分自身の立場を超えて、本質を見ることが可能であったからに違いありません。
ガネーシャ神の礼拝を通じて、その本質への結びつきを強める時、私たちの心は解放され、物事をあるがままに見ることができるようになるはずです。
そうして一人ひとりが自分自身の存在に喜びを見出し、この世界に大きな幸福が満ちることを心から願っています。

(文章:ひるま)