女神の神秘

命を与え、育み、そして取り去るもの。その力は女神として、インドでは古代から崇められてきました。宇宙全体を動かすその力は、究極の美しさからおののくほどの恐ろしさまで、この世界を神秘的にあらわします。

シャクティとして崇拝されてきた女神の力は、誰しもが持つ根底のムーラーダーラ・チャクラにおいて、クンダリニーとして渦巻いています。シャクティ信仰では、クンダリニーが上昇し、頭頂のサハスラーラ・チャクラに座すシヴァ神と合一する時、究極の境地へ至ると信じられてきました。

そんなシャクティ信仰の初期に崇められていた女神に、ラッジャー・ガウリー(Lajja Gauri)と呼ばれる女神がいます。この女神に、頭はありません。首の上には、大きな蓮が美しく開花しています。豊満な身体で足を大きく広げ、外陰部を露出させるその姿には、古代から崇められてきた女性エネルギーの神秘が漂います。宇宙を生み出す母として、神聖さと大胆さを併せ持つその妥協のない姿に、生きる意味の生々しさを見るようでした。

ラッジャー・ガウリー女神は大胆な姿を見せる一方で、その名には、謙虚や内気という意味があります。一説には、シヴァ神との結びつきにおいて、彼女は恥ずかしさのあまり頭を隠すと、頭のない女神として崇められるようになったのだといわれます。

個々の内には、シヴァ(精神)とシャクティ(物質)の原理が存在します。その二つの結合は、肉体を持って生まれたことにおける最終的な目的として求められてきました。私たちが生きようとする力は、頭頂で待つシヴァ神に結ばれようとする女神の願いのあらわれに他ありません。こうして生きる日々は、目覚めに向けた気づきを得る大切な瞬間であることを女神は教えてくれます。

個々の内に生きる女神の力が昇華し、頭頂でシヴァ神と合一する時、私たちは永遠の至福に包まれます。ナヴァラートリー祭は、断食や祈りを通じ、女神の力を呼び覚ますもっとも吉祥な時です。そして開花する意識は、蓮の花のように美しいに違いありません。

(文章:ひるま)

シャクティの愛

ヒンドゥー教において、私たちを育む力は、偉大な母を意味する神聖な女性のエネルギーとして崇められます。シャクティと呼ばれるその力は、宇宙全体を動かす根源の力であり、女性の肉体と生殖能力をとってあらわれる一方、男性の内にも潜在的に見えない形で存在しています。シャクティは成長を司るだけでなく、あらゆる変化の源です。それは、スヴァータントラヤとして独立した存在であり、自らの意思に従って世界全体を動かします。

ヒンドゥー教の宗派の1つであるシャクティ派において、シャクティは最高の存在として崇められます。また、ヴィシュヌ派ではヴィシュヌ神の力をあらわし、シヴァ派ではシヴァ神の力をあらわす重要な存在であり、プルシャとプラクリティの関係で崇められます。古代の賢者であるリシ達は、女性原理をシャクティとし、女神として崇めてきました。

シャクティは、有力な男神の配偶神であり、母神として崇められるマートリカーとしても活躍します。マートリカーは、7人(サプタ・マートリカー)や8人(アシュタ・マートリカー)で伝えられる場合があります。「Hindu Goddesses」の著者であるDavid R. Kinsleyは、シャクティについて、神々の王であるインドラ神の妻、シャチー女神に基づいたエネルギーであるといいます。シャチー女神はインドラーニー女神として知られるマートリカーの1人です。

シャクティとして崇められる女神は、南インドのタミル・ナードゥ州やケーララ州、アーンドラ・プラデーシュ州において、広くアンマとして親しみを持って崇められています。南インドの村には、シャクティの化身に捧げる寺院が多く存在します。シャクティは村の守り神であり、悪人を懲らしめ、病気を治し、村に幸せをもたらす存在であり、村人たちは1年に1度、盛大に女神たちを崇める祝祭を執り行います。

インド亜大陸には、シャクティ・ピータと呼ばれる51のシャクティ崇拝の聖地があります。シャクティ・ピータは、シヴァ神が焼身をはかった最愛の妻サティーの身体を抱え、悲しみのあまり破壊の踊りを踊った際、ヴィシュヌ神がその破壊の踊りを止めようと、武器であるスダルシャナ・チャクラでサティーの身体をバラバラにし、そのサティーの身体の一部一部が落ちた場所として知られています。インド、スリランカ、ネパール、バングラデシュ、チベット、パキスタンにもわたるシャクティ・ピータの多くは、高名な聖地として崇められるようになりました。アマルナート、ジワーラー、マニカルニカー、カーマーキャー、ナイナー・デーヴィーなどがあります。

あらゆる創造に内在する偉大な力である原初のシャクティは、アーディ・シャクティとして、ヒンドゥー教では古代から崇められてきました。ヒンドゥー教に限らず、インドでは母なる存在を深く崇める伝統が受け継がれています。シャクティへの祈りのマントラや賛歌の中でも、ビージャ・マントラ(種子真言)である「MA」は、シャクティを呼び覚まし崇める重要なマントラです。そのマントラを唱える時、偉大なシャクティと繋がり、母なる女神からの恩寵を授かることができるでしょう。

私たちは、常に母なるシャクティの慈愛の力に包まれています。困難に直面したとき、慈愛の源泉であるシャクティに祈りを捧げてみましょう。愛しい我が子たちを救うために、きっと温かい手を差し伸べてくれるに違いありません。

(SitaRama)

ガネーシャの導き

人は何か強く願望を抱くとき、そのエネルギーは願いの実現に向けた道標としてさまざまにあらわれます。その道標に気づくためには、不断の努力が欠かせません。そんな私たちの人生の歩みに、道標としてふとあらわれる存在の一人がガネーシャ神です。いよいよ近づいてきたガネーシャ降誕祭を前に、インドに伝わるある有名な神話を通じて、ガネーシャ神に近づきたいと思います。

インドで崇められる聖なる7つの川の一つに、南インドを流れるカーヴェーリー川があります。このカーヴェーリー川の誕生には、ガネーシャ神と聖者アガスティアにまつわる神話があります。

アガスティアは、干ばつに苦しんでいた南の大地に水をもたらそうと、長きに渡り努めていました。そして、シヴァ神から聖水の入った壺を授かると、南の適切な場所でその聖水を流すよう伝えられます。アガスティアは、その適切な場所を見つけるために歩み続けるも見つからず、疲れ果てていました。

休息を必要としていたアガスティアのもとへ、小さな男の子が姿をあらわします。疲れ果てていたアガスティアは、大切な聖水の入った壺を男の子に預けると、少しの間だけ休息をとりました。しかし、休息から戻ると壺は地面の上に置かれ、壺の上には一匹の鳥が留まっています。壺が倒れ大切な聖水がこぼれては大変だと、アガスティアは鳥を追い払おうとしました。すると壺が倒れ、そこに聖水がこぼれると大河となり、干ばつに苦しんでいた南の地に豊かな水の流れを生み出したと伝えられます。

疲れ果てていたアガスティアの前にあらわれ、壺を預かった小さな男の子こそ、ガネーシャ神でした。ガネーシャ神は、そこが適切な場所であることを知らせるために、アガスティアの前にあらわれたのでした。

人生を歩む道では、時に疲れ果て、休息が必要になることもあります。しかし、強い願望がある時、道は必ず開けます。その道にあらわれる道標に気づき、学びを深め成長していくことで、アガスティアのように心から望む目的を達成することができるに違いありません。

自分自身の歩みが進んでいく時、そこにはきっと、ガネーシャ神の力が働いていることと思います。どんなにゆっくりであろうと、自分自身が歩めることに感謝をし、道標を見失わないよう、あらゆる出来事を受け入れながら日々を生きることを努めたいと感じます。

2017年のガネーシャ降誕祭は、8月25日です。皆様にもガネーシャ神の大きな祝福がありますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

参照:http://www.speakingtree.in/allslides/beautiful-stories-of-lord-ganesha/35798

ブラフマンへ至る道

ヒンドゥー教における重要な概念の一つに、宇宙の根本原理であるブラフマンの存在があります。ブラフマンは創造主であり、万物に浸透する根本原理を示す語として、古代から用いられてきました。あらゆる存在はブラフマンから生まれ、そしてブラフマンへ戻ると信じられています。

チャーンドーギャ・ウパニシャッドは、ブラフマンについて「तत् त्वम् असि(タットゥ トヴァム アシ)」を説いています。「汝はそれである/それは汝である」という意味があるこの大格言は、ヴェーダンタの学派によりさまざまに異なる解釈があります。アドヴァイタ(不二一元論)学派においては、窮極の真実であるブラフマン「タットゥ」と、個人のジーヴァとしての「トヴァム」の絶対平等を意味します。ブラフマンと個人が同一となる時、ブラフマンの名は真実となるのです。

ブラフマンを定義する場合、それはブラフマンを制限することになるため、定義することはできないといわれています。それ故、ブラフマンについては数多くの逆説的な解釈がなされています。

最も深い本質において、人間の魂は宇宙全体を包む不滅のブラフマンと同じです。バガヴァッド・ギーターには、ブラフマンについて以下のような記述があります。

さて 永遠の生命を得るために
知るべきことを これから説明しよう
大霊ブラフマンは無始であり
有と無を超越している

あらゆるところに かれの手あり足あり
眼も頭も顔も至る処にあり
至る処に耳があって全ての音を聞き
全てを覆いつくして時空に充満している

かれはあらゆる感覚機能をもつが
かれ自身には感覚器官が無い
一切を維持しながら一切に執着なく
物質性を楽しんで 物質性を超越している

全てのものの内にも外にもかれは在り
不動であって しかも動く
はるかに遠く また極めて近く
その精妙なこと とても肉体感覚では認識不可能だ

個々に分かれて存在するように見えるが
かれは決して分かれず常に一である
かれは万生万物の維持者であるが
全ての絶滅者であり 創造育成者である

かれは光るものの光の源泉であり
物質性の明暗を超えて光り輝いている
かれは知識であり 知識の対象であり
知識の目的であって全個々の心臓に住む
(バガヴァッド・ギーター 第13章第13-18節 田中 嫺玉訳)

ヴェーダは、万物に存在するひとつの本質について示唆しています。宇宙を支配する原理であるブラフマンと、個人を支配する原理である我が同一である(梵我一如)と理解することは、非常に難しいことです。それを理解する時、誰もが永遠の至福に到達することができるでしょう。

ブラフマンを知るには、まず、自己の本質を知る必要があります。それは、究極の自己認識に他ありません。梵我一如を悟る時、私たちは永遠に自由となり、あらゆる苦しみから解放されることでしょう。

(SitaRama)

自由のための戦い

クリシュナ降誕祭がいよいよ近づいてきました。2017年は、8月14日、または15日に祝福されます。8月15日は、インドの独立記念日でもあります。この日を迎えるために、そして自由を勝ち取るために、インドの地で流された涙は計り知れません。自由とは何か、バガヴァッド・ギーターの中で、クリシュナ神が説く教えを思い出します。

マハーバーラタにおいて大戦が始まろうとしている時、クリシュナ神は、敵方に親族や友人の姿があるのを目にし戦いを拒んだアルジュナに、「卑小なる心の弱さを捨てて立ち上がれ」と諭しました。武士としてのアルジュナが戦わない限り、社会に平和がもたらされることはなかったからです。そして、滅びるのは肉体であり、魂は不滅であると、その永遠性をアルジュナに説きました。

私たちは何よりもまず、魂の永遠性について理解する必要があります。そうして死という恐怖から自由になる時、私たちは物事の変化に悩まされることなく、自分自身の義務をまっとうし、人生を生きることに集中できるからです。そこで、私たちは真の平和と幸福を見つけることができるはずです。

クリシュナ神が、「戦いを放棄せよ」とは決してアルジュナに言わなかったように、魂の永遠性を理解するまでには、肉体の中で尽きぬ欲望や無知と戦い続けなければなりません。その戦いは、私たちが真実を理解するための義務の一つです。そうして戦い終えた後、永遠の魂として自由になることができるに違いありません。

インドを独立に導いたのは、バガヴァッド・ギーターを指針とし、非暴力を礎に戦ったガーンディーでした。胸を張って敵にすら愛を示す戦いは、自分自身を制する戦いでもあります。誰しもの内にあるその戦場において、バガヴァッド・ギーターの詩句は私たちを導き、いずれ社会に平和をもたらしてくれるでしょう。

霊的叡知の宝庫であるインドの独立記念日に重なる今年のクリシュナ降誕祭。意義深いこの日、改めて、クリシュナ神の教えを読み返し、自分自身の義務について見つめ直したいと感じます。皆様にとっても、祝福に満ちた時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

チャクラを活性化するビージャ・マントラ

チャクラを浄化すると信じられる技法に、種子真言を意味するビージャ・マントラの詠唱があります。ビージャ・マントラの詠唱は、対応するチャクラの滞りを取り除き、刺激を与えると伝えられ、それぞれのチャクラが活性化されると、身体のあらゆる部分に恍惚としたエネルギーが流れ出すと信じられます。この神秘的な技法を実践する方法について見ていきましょう。

ビージャ・マントラには、7つのチャクラに共鳴する音があります。それは、それぞれのチャクラを浄化、活性化、強化させる神聖な音です。各チャクラのビージャ・マントラは、以下の通りです。

第1チャクラ(ムーラーダーラ、背骨の根底): लं(LAM、ラム)
第2チャクラ(スヴァーディシュターナ、仙骨):वं (VAM、ヴァム)
第3チャクラ(マニプーラ、みぞおち): रं(RAM、ラム)
第4チャクラ(アナーハタ、胸の中央):यं (YAM、ヤム)
第5チャクラ(ヴィシュッダ、喉元):हं (HAM、ハム)
第6チャクラ(アージュニャー、眉間):ॐ(OM、オーム)
第7チャクラ(サハスラーラ、頭頂):ー

このビージャ・マントラを通じたチャクラの浄化と活性化の技法には、パートナーと行う方法と、独りで行う方法があります。

パートナーと実践する場合:パートナーとともに座り、自分自身が抱く思いを言葉にし、パートナーと共有します。パートナーはただ耳を傾けましょう。この時、「何時までに終わりにしたい」「体には触れないで欲しい」など、適切な境界を設けることが大切です。そうすることで、お互いに安心し、心を開き、今にいることができます。また、その境界が変わったと感じた時は、パートナーに知らせ、新しい境界を受け入れてもらいましょう。

マントラを唱える際には、各チャクラに対応するビージャ・マントラをパートナーのチャクラへ送ります。その際、受け手は横たわります。送り手は手を筒型に形作り、一端をパートナーの身体のチャクラに対応する部位から数センチ離して置き、もう一端からマントラを唱え吹き込みます。手の筒を通じマントラが適切に身体に届くと、チャクラが浄化され、活性化されます。

独りで実践する場合:チャクラに対応する部位に手を置き、マントラを唱えます。唱えると同時に、意識をしながら手を通じチャクラへエネルギーを送ります。瞑想的な音楽と共に実践するのも良いでしょう。7つすべてのチャクラへマントラを唱え終えたら、落ち着いて心身を観察します。

マントラを唱える順番は、男性と女性で異なります。男性エネルギーは、天、精神、陽に関連するため、第1チャクラ(背骨の根底)から始め、第7チャクラ(頭頂)へと上がると良いでしょう。一方、女性エネルギーは、地、物質、陰に関連するため、第7チャクラ(頭頂)から始め、第1チャクラ(背骨の根底)へと下がると良いでしょう。繰り返し実践をすることで、自信が育まれ、大きな恩恵を得ることができるはずです。

(SitaRama)

ハヤグリーヴァの降誕

兄弟姉妹の愛の絆を祝うラクシャ・バンダンが祝福されるシュラヴァナ月の満月。この日は、ブラーフミンの間で「ウパーカルマ(アーヴァニ・アヴィッタム)」という重要な儀式が執り行われる時でもあります。ガーヤトリー・マントラを唱えながら、身につけていたブラーフミンの象徴である白い聖紐を新たに付け替える時であり、ガーヤトリー・ジャパの日としても知られています。

「ウパーカルマ」は始まりを意味します。ヴェーダの学習に取り掛かる重要な日として伝えられるこの満月には、ある言い伝えがあります。大昔、マドゥとカイタバという悪魔によって、ブラフマー神から知識の象徴であるヴェーダが盗まれました。すると、ヴィシュヌ神が馬の頭をしたハヤグリーヴァとなり、盗まれたヴェーダを取り戻すと、暗闇に飲み込まれていた世界が光に包まれたのだと伝えられます。

ヴィシュヌ神がハヤグリーヴァとなって降誕した時が、このシュラヴァナ月の満月であると信じられています。ヴェーダを世界に取り戻したハヤグリーヴァの降誕は、無知という暗闇から生じる苦悩が溢れる世界に、知識という光から生じる幸福がもたらされた聖なる時を意味します。

ハヤグリーヴァは、仏教では馬頭観音として知られます。知識の主であるハヤグリーヴァへの礼拝を通じ、その力が呼び覚まされる時、思考は明瞭となり、集中力や記憶力、分析力や直感力が高まるといわれます。そうして向上する知識は、人生のあらゆる苦悩の源である無知を滅するための、何よりも強い武器となるものです。それを手にする時、大きな幸福に包まれるに違いありません。

ハヤグリーヴァは、毎朝、世界に太陽をもたらす重要な存在として崇められます。全世界を照らす太陽は、私たちの内で意識として明るく輝いています。シュラヴァナ月の満月、太陽の光を讃えるガーヤトリー・マントラに触れてみるのも良いかもしれません。ハヤグリーヴァの誕生とともに、自分自身の内で、新たな知識の光が昇ることでしょう。

(文章:ひるま)

2017年8月の主な祝祭

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2017年8月の主な祝祭をご紹介いたします。

一年のうちでとりわけ神聖なシュラヴァナ月が続く8月は、ラクシャ・バンダンやクリシュナ降誕祭、ガネーシャ降誕祭など、数多くの祝祭が祝福されます。また、神聖なシュラヴァナ月のこの間、毎週月曜日にはシュラヴァナ・ソーマヴァール・ヴラタ(シヴァ神に捧げられる祈りや断食)、火曜日にはマンガル・ガウリー・ヴラタ(ガウリー女神に捧げられる女性たちの断食や祈り)が執り行われます。皆様もどうぞ神聖な時をお過ごしください。

8月3日 エーカーダシー
8月4日 ヴァラ・ラクシュミー・ヴラタ
8月7日 満月(日本時間の満月は8日)/ラクシャ・バンダン/ガーヤトリー・ジャヤンティ/シュラヴァナ月の終わり(主に北インド)
8月14日、15日 クリシュナ降誕祭
8月15日 ダヒー・ハーンディー、独立記念日
8月17日 シンハ(獅子座)・サンクラーンティ
8月18日 エーカーダシー
8月20日 シヴァラートリー
8月21日 新月(日本時間の新月は22日)/シュラヴァナ月の終わり(主に南インド)
8月24日 ヴァラーハ・ジャヤンティ
8月25日 ガネーシャ降誕祭
8月26日 リシ・パンチャミー
8月29日 マハーラクシュミー・ヴラタの始まり/ラーダー・アシュタミー

*地域や慣習によって、祝祭の日にちには差異が生じることがあります。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

ガネーシャ神の8つの姿と人間の8つの弱点

ヒンドゥー教の神々は、正義が失われ悪がはびこる時、特別な化身となって姿をあらわし、世界を守ると信じられます。象の頭を持ち、愛らしい姿を見せるガネーシャ神も同じです。障害除去の神として崇められるガネーシャ神には、8つの有名な姿があります。

8つのガネーシャ神の姿は、私たち人間が持つ8つの弱点を取り除くと信じられます。ガネーシャ神が取り除く私たちの8つの弱点とは、嫉妬、傲慢、妄想、強欲、怒り、欲望、自我、慢心です。一説に、ガネーシャ神は以下のような姿となって、これらの8つの弱点の象徴である悪魔を倒したと信じられています。

1、ヴァクラトゥンダ(曲がった鼻の神):マートサリヤースラ(嫉妬の悪魔)
2、エーカダンタ(一本の牙の神):マダースラ(傲慢の悪魔)
3、マホーダラ(大きなお腹の神):モーハースラ(妄想の悪魔)
4、ガジャーナナ(象の顔の神):ローバースラ(強欲の悪魔)
5、ランボーダラ(ふくれたお腹の神):クローダースラ(怒りの悪魔)
6、ヴィカタ(奇形の神):カーマースラ(欲望の悪魔)
7、ヴィグナラージャ(障害を取り除く神):ママタースラ(自我の悪魔)
8、ドゥームラヴァルナ(灰色をした神):アビマーナースラ(慢心の悪魔)

嫉妬、傲慢、妄想、強欲、怒り、欲望、自我、慢心は、私たちが日々を幸せに生きるための道を塞ぐ大きな障壁です。それは、私たちの成功を阻む弱点にも他ありません。内なる世界に蔓延るこうした悪魔を倒す時、私たちは自分自身の本質である大いなる幸せに気づくことができます。

ガネーシャ神の礼拝は、これらの悪魔を倒すための優れた方法の一つです。ガネーシャ神の姿が見せる一つ一つの象徴を見つめ、その崇高な存在に心を定める時、私たちの内なる世界は浄化され、障壁が取り除かれていきます。

ガネーシャ降誕祭を通じ、その姿を見つめ直してみるのも良いかもしれません。そこで得る気づきは、ガネーシャ神の大きな祝福として、私たちの障壁を取り除き、幸せを授けてくれることと思います。

(文章:ひるま)

参照:http://www.speakingtree.in/allslides/8-avatars-of-lord-ganesha/152276

真理へ至る瞑想

現在、瞑想は宗教を超え、世界中で幅広く実践されています。中でも、ヒンドゥー教は瞑想を実践する最古の生きる信仰です。仏教を中心に実践されている瞑想も、もともとは、仏教の生まれたヒンドゥー教に起源があります。

ヒンドゥー教における瞑想は、最高神であるブラフマンを探求する人々から発展しました。神とは一体どのような存在なのか、彼らは静かに座り、熟考しました。そうして集中し長時間座ることであらわれた悟りの瞬間は、今でも多くの修行者たちが瞑想により達成しようと試みる境地です。

こうしたインドの瞑想の技法を用いた釈迦は、菩提樹の下で瞑想を行い、悟りを開きました。釈迦により広まった仏教には、悟りを求める修行者が必ず修めるべき「戒学・定学・慧学」という三学があります。こうした仏教の思想は、瞑想を生きとし生けるものに近づく手段と考えました。

一方で、釈迦も実践していたとされるヨーガでは、呼吸法であるプラーナーヤーマと、座法であるアーサナの実践後に、瞑想を取り組むことが重要であるとします。そうすることで身体が解き放たれ柔軟になり、安定して長時間座ることが可能になるからです。特に呼吸は、瞑想を実践するためにとりわけ優れた行為です。ゆっくりとした呼吸は心拍数を下げ、思考を落ち着かせ、瞑想に適した穏やかさを身体に生み出します。

8世紀後半以降、インド後期密教とヨーガの概念から形成されたチベット仏教でも、瞑想が実践されます。ラマと呼ばれる高僧を尊崇するチベット仏教はラマ教とも呼ばれ、その瞑想は、密教の原理が中心となります。さまざまな宗派がある密教的な実践では、各宗派で無上ヨーガ・タントラの実践が行われています。チベット仏教には、精神を浄化し悟りへの道へと導く、特定の瞑想が数種あります。その瞑想では、慈悲を育むこと、自他を同等に見ることなどが重要視されます。

ヒンドゥー教、そしてヨーガの教えにおいては、瞑想は道であり、目的です。その瞑想は、呼吸法であるプラーナヤーマ、マントラや祈り、また、キールタンやバジャンといった音楽を用いた瞑想もあり、さまざまな実践法が伝えられ、現代においても多くの人々に真理の源泉へと至る道を示しています。

(SitaRama)