ヴィヴェーカーナンダの精神

インドが生んだ偉大な指導者、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ。近代インドの聖者であるシュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの主要な弟子であり、その教えの下で、多様な思想を持つインドという大国を愛したヴィヴェーカーナンダは、インドの思想や哲学を熱心に教え広め、世界に大きな影響を与えました。ラーマクリシュナの教えは、ヴィヴェーカーナンダを通じ世界に伝えられたといっても過言ではありません。

19世紀、ムガル帝国の衰退と入れ替わるようにイギリスの支配が始まると、インドの社会は急速に近代化が進みます。そこでは、西洋思想を受け入れインドの社会の革新を目指す運動に加え、西洋思想に反対しヒンドゥー教の再興を目指す運動が盛んになります。その運動の中核をなしたのが、ラーム・モーハン・ローイ、スワーミー・ダヤーナンダ・サラスワティー、シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサなどででした。

インドの社会を改革しようとした彼らの努力は、インド人としてのアイデンティティーの自覚を促す新しいナショナリズムの波を生み出し、インドの自由闘争を導くものとなります。これらの指導者の中でも、西洋学問を深く学んでいたヴィヴェーカーナンダの存在は特異であり、東洋の思想と西洋の思想の融和を主張した強い指揮性は、多くの人々の支持を引き寄せました。

そんなヴィヴェーカーナンダは、20代前半の時にラーマクリシュナと出会います。優れた知性から西洋哲学の本を熱心に読みあさるも、答えを得られなかった神という存在について、答えをくれる聖者を求めていた時のことでした。ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナにその問いを投げかけます。ここからラーマクリシュナとの繋がりが深まると、その教えの下で霊性修行を積みながら、任された数々の重要な仕事を遂行しました。

1886年8月15日、ラーマクリシュナに肉体の死が訪れると、ヴィヴェーカーナンダは広大なインドの地をめぐる巡礼を開始します。その巡礼の中で、インドの社会に渦巻く厳しい現実を見たヴィヴェーカーナンダは、インドの最南端であるカンニヤークマリを訪れた時、聳え立つ岩の上で真理を会得します。そして、ヴィヴェーカーナンダはインドという国の活性化と、そこに住まう人々への奉仕に人生を捧げることを心に決めました。

ヴィヴェーカーナンダの教えは、世俗を離れることや超越的な体験をすることとは異なり、仕事を求め、行動を起こし、社会的に下層の人々へ奉仕を行うことにありました。その奉仕は、物質的な面に限定されるのではなく、インドの中核とみなされる精神的な探求をより深いレベルで導きます。インドという大国を目覚めさせるために働いたヴィヴェーカーナンダの力は、精神的な強さ、身体的な強さ、民族的な強さ、そして他のために働く強さとして、現代でも生き続けています。

(SitaRama)

インド式・幸福の秘訣

人々を魅了してやまない神秘の国、インド。この国を知る上で、まず理解しなければならない重要な極意があります。それは、「ジュガール(シュガード)の精神」です。近頃は、このジュガールの精神を経営技術として取り入れる大企業も少なくありません。インドでは誰もが実践するこのジュガールの精神を、霊的観点から見てみたいと思います。

ジュガールとは、創意工夫や応急処置といわれます。日本のように生活の基盤となるインフラが整っていないインドでは、この創意工夫や応急処置が日常に欠かせません。例えば、電気のない暑い日、日よけにかぶるショールを濡らし窓際に干すと、気化熱でひんやりと冷たくなった空気が部屋に入り、臨時のクーラーが出来上がります。

こうした発想力や行動力は、やがて大きな富をもたらすと、その精神を成功の秘訣として取り入れる人々も多くいます。便利な物やサービスが溢れる日本の生活では、それらに発想力や行動力が阻められてしまうことも少なくありません。一方で、インドの生活は、毎日の与えられた状況の中で、最大限に幸せに生きることを学ばせてくれるものでした。

掲載した写真は、ジュガールの精神に溢れた一枚です。友人宅ではクリシュナ神の大切なフルートが行方不明になり、爪楊枝で応急処置がされていました。それでも、クリシュナ神を熱心に崇め至福に浸る友人の姿を目にし、大切なのは形ではないということを教えられました。

インドの生活で学ぶこうしたジュガールの精神は、私にとって何よりも、霊性を育む大切な教えとして生きています。そこには、こんな秘訣があります。

・状況を受け入れる
・足るを知る
・あるがままに生きる
・本質を理解する

なかなか気づくことが難しいこうした教えは、ジュガールの実践を通じてシンプルに理解することが可能です。その実践によって、自分自身が定めた限界は取り払われ、日々は生き生きと、より大きな幸せと喜びを知ることができるはずです。

毎日がわくわくするインドの生活。その生活で受け継がれる極意を実践しながら、生きる喜びを常に見出していきたいと感じています。

(文章:ひるま)

智の泉・ヴェーダ

インダス文明に遡る古い歴史を持つインドは、さまざまな民族、言語、宗教が入り混じり、多様性に富む大国です。この国の文化を知るには、神々に捧げられた美しい讃歌で構成される聖典「ヴェーダ」を知ることが欠かせません。自然現象を神々として信仰するアーリヤ人がインドに入り、ガンジス川流域に広がったのがヴェーダ時代。紀元前1500年ごろから紀元前500年ごろまで続いたこの時代に生まれたのが、「ヴェーダ」です。

ヴェーダは、知識を意味します。アーリア人が神々に捧げた讃歌や儀礼などが含まれたヴェーダには、私たちの魂を至高神と結びつける神聖な波動が含まれます。文字として正確に表現できないこれらの教えは、グルと弟子の関係の中で、太古から口伝によって受け継がれてきました。このヴェーダには、4大ヴェーダといわれる、リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダがあります。

最も古いと伝えられるのが、リグ・ヴェーダです。リグ・ヴェーダは神々への讃歌の集成であり、神々を讃えることでその恩恵と加護を祈ります。霊的進化を遂げる個人の魂にとって重要となる秩序と真理が秘められています。
サーマ・ヴェーダは、リグ・ヴェーダと同じように讃歌によって構成されています。それらの讃歌を一定の旋律で歌うサーマ・ヴェーダは歌詠の集成であり、音楽による霊的進化が明らかにされています。
ヤジュル・ヴェーダは、リグ・ヴェーダの讃歌に加え、祭祀の実施時に唱えられる祭詞より構成されます。祭詞の集成であるヤジュル・ヴェーダは、祭祀の実施による霊的進化の恩恵を祈ります。
アタルヴァ・ヴェーダは、呪術に関わる古文書として構成されます。神々への讃歌などを集成した他の3つのヴェーダとは異なるも、健康的な人生のための祈りなどを含み、最終的には霊的進化についての真理が説かれます。

至高神の息吹から生まれた波動であるヴェーダは、私たちに至高神と結びつけるための神聖な知識を与えます。霊的叡智の宝庫であるインドを代表する聖典であり、至高神と繋がることを目的とするヴェーダの本質を知ることで、私たちは真の霊性を育み、至高神を知ることができるでしょう。

(SitaRama)

14の宝石と14のシッディ

新月の暗い夜に光を灯し祝福されるディーワーリー祭は、悪に対する善の勝利を祝福する祝祭です。およそ5日間に渡るその祝福では、医神であるダンヴァンタリ神や、豊穣の女神であるラクシュミー女神の降誕を喜ぶ祝福も執り行われます。ダンヴァンタリ神とラクシュミー女神は、ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌を通じて生まれた、14の宝石に数えられます。

神々と悪魔が協力して行った乳海撹拌は、私たちが歩む霊性修行の道のりそのものです。そして、善と悪が渦巻く内なる世界を撹拌することで得られる14の宝石は、14のシッディとして例えられることがあります。この14の宝石は、主に以下のように伝えられます(聖典によって異なる場合があります)。

・ラクシュミー:豊穣の女神
・アプサラス:天女とも称される水の精
・ヴァールニー:酒の女神
・カーマデーヌ:あらゆる願望を満たす牝牛
・アイラーヴァタ:神々の王インドラ神が乗る白い象
・ウッチャイヒシュラヴァス:7つの頭を持った最高の馬
・パーリジャータ:決して枯れない樹
・カルパヴリクシャ:あらゆる願を叶える樹
・チャンドラ:シヴァ神の頭を飾る月
・カウストゥバ:もっとも貴重な宝石
・シャンカ:勝利の象徴であるホラ貝
・シャランガ:もっとも強い武器である弓
・ダンヴァンタリ:不死の霊薬を持つ医神
・アムリタ:不死の霊薬

これら14の宝石を生み出した乳海撹拌の真の目的は、不死の霊薬であるアムリタを得ることでした。神々と悪魔は、その目的のために懸命に働き、授かったこれらの宝石を分かち合うと、最後にアムリタを手にします。

神々と悪魔のように、私たちは正しい目的を持って、この霊性修行の賜物であるシッディを賢明に用いる方法を学ばなければなりません。自分自身の欲望を満たすためにこれらのシッディを用いる時、それは霊性修行を妨げるものと成り得ます。

神々と悪魔は、自分自身の内なる善と悪の象徴です。正しい目的の下で内なる世界を撹拌し、授けられるこれらのシッディは、善と悪を分別するための学びを私たちに与えてくれるに違いありません。悪に対する善の勝利を象徴するディーワーリー祭を祝福し、世界の多くが平和であることを心から願いたいと感じています。

(文章:ひるま)

 

40日の恵み

夢や目標を実現するためには、たゆまぬ研鑽や日々の積み重ねが欠かせません。特に、長きに渡る霊性修行においては、不断の努力が必要です。しかし、常に変化を必要とする心を持つ私たちにとって、継続は決して容易いものではありません。その過程で、意志や気力を見失ったり、挫折したりすることも多くあることと思います。

そこで重要となるのが、40という期間です。特に霊性修行において、40日という期間は恩恵があらわれる期間として重要視されてきました。それは、世界各地の思想や慣習を見てもわかります。

とりわけ聖書には、40日や40年という記述が多く見られ、40という数字には特別な意味があることがうかがえます。例えば、イエスが荒野で悪魔の誘惑を受けながら断食をしたのは、40日間でした。一方で、悩みを抱き洞窟で瞑想をしていたムハンマドが啓示を受けたのは、40歳の時でした。インドの一部の慣習では、出産後の女性は40日間、外出が禁じられることがあります。それは、心身の浄化が行われる時だからです。

宗教を超えて重要視される40という期間。こうして見ると、それは困難や逆境のように見ることができます。しかし、霊性修行においては、自分自身の内で習慣化した思考や行動に変容があらわれる重要な期間として捉えられてきました。それは、自分自身に良い変化を生み出すための恵みの期間に他ありません。

ヨーガの修練やマントラの詠唱、瞑想の実践なども、集中的な取り組みとして、40日間のプログラムが組まれることが多くあります。その取り組みを通じては、時に困難と向かい合わなければならない時もあります。しかし、自分自身の内で起こる変化の中で、夢や目標の実現に向けた大きな恩恵を感じている人々が実際に多くいることが伝えられています。

具体的な期間を設定することは、私たちの心を目的により深く集中させてくれるものです。まずは40日という期間、夢や目標を実現するための取り組みに挑戦してみるのも良いかもしれません。その実践は、自分自身の内により良い変化をもたらし、さらなる高い境地へと私たちを導いてくれることと思います。

(文章:ひるま)

ナクシャトラとルドラークシャ

多くの恩恵が伝えられるルドラークシャは、自身の抱く願望やホロスコープなどに基づいて選ぶことができます。また、個人の生まれた時のナクシャトラ(ジャンマ・ナクシャトラ)から、適したルドラークシャを選んで身につけることも勧められます。

ナクシャトラに対応するルドラークシャをご紹介いたします。27の星宿であるナクシャトラは、個人の性格や運命などを決める重要なものとして捉えられています。 ナクシャトラから適したルドラークシャを選び、身につけてみるのも良いかもしれません。

ナクシャトラとルドラークシャ
ナクシャトラ  支配星  ルドラークシャ
 クリッティカー  太陽  1面、12面、11面
 ウッタラ・パールグニー  太陽  1面、12面、11面
 ウッタラ・アーシャーダー  太陽  1面、12面、11面
 ローヒニー  月  2面
 ハスタ  月  2面
 シュラヴァナ  月  2面
 ムリガシールシャ  火星  3面
 チトラー  火星  3面
 ダニシュター  火星  3面
 アーシュレーシャー  水星  4面
 ジェーシュター  水星  4面
 レーヴァティー  水星  4面
 プナルヴァス  木星  5面
 ヴィシャーカー  木星  5面
 プールヴァ・バードラパダー  木星  5面
 バラニー  金星  6面
 プールヴァ・パールグニー  金星  6面
 プールヴァ・アーシャーダー  金星  6面
 プシャー  土星  7面、14面
 アヌラーダー  土星  7面、14面
 ウッタラ・バードラパダー  土星  7面、14面
 アールドラー  ラーフ  8面
 スヴァーティ  ラーフ  8面
 シャタビシャー  ラーフ  8面
 アシュヴィニー  ケートゥ  9面
 マガー  ケートゥ  9面
 ムーラ  ケートゥ  9面

宇宙の根本原理ブラフマン

ヒンドゥー教において、宇宙の根本原理は「ブラフマン」と呼ばれ、そのブラフマンを超えた至高の存在は、「パラ・ブラフマン」と呼ばれます。ヴェーダ時代の文献であるウパニシャッドでは、このブラフマンについての思想が発展します。その中心が、梵我一如の思想です。それは、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と、個人の根本原理であるアートマン(我)が同一となる時、私たちは解脱に至るのだと説かれます。

ウパニシャッドに専心するヴェーダーンタ学派は、あらゆる現象とその可能性の背後にある原理を持つブラフマンを、究極の真理として説きました。タイッティリーヤ・ウパニシャッドでは、それを「サッティヤン・ニャーナン・アナンタン・ブラフマ(ブラフマンは、真実、全知、無限である)」と説きます。

このヴェーダーンタからは、いくつかの分派が生まれます。その一つであるアドヴァイタ(不二一元論)は、ブラフマンは形、属性、特性のないものとし、その至高の存在を「ニルグナ・ブラフマン(形のないブラフマン)」としてあらわしました。ヴィシュヌ神やシヴァ神といった存在は、アドヴァイタにとって「サグナ・ブラフマン(形のあるブラフマン)」と捉えられます。ニルグナ・ブラフマンを究極の真理と考えるアドヴァイタにとって、形、属性、特性のあるものは、すべて真理ではありません。

このアドヴァイタの唱道者であるシャンカラは、現象世界はブラフマンから生じたマーヤー(幻影)に過ぎないと説きます。そして個人がそれを理解する時、マーヤーの覆いがとれ、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と、個人の根本原理であるアートマン(我)が同一となると説きました。

一方、ヴィシシュタードヴァイタ(制限不二一元論)は、現象世界はマーヤーに過ぎないというアドヴァイタにの概念に反論します。唱道者であるラーマーヌジャにとって、ブラフマンはニルグナ・ブラフマンではなく、特質をもって現れたサグナ・ブラフマンであり、それはナーラーヤナ神(ヴィシュヌ神)でした。万物は神の身体として存在し、この最高神への絶対的な帰依によって解脱が得られると説いています。

世界各地に降る雨は、各地の川を通じて、やがて同じ大海へと至ります。それと同じように、世界には数多くの宗派がありますが、どのような道においても、宇宙の根本原理であるブラフマンへと通じているのです。

(SitaRama)

2017年10月の主な祝祭

2017年10月の主な祝祭をご紹介いたします。

10月は、ヒンドゥー教の3大祭りの一つにあたり、光の祭典として盛大な祝祭が行われるディーワーリー祭を迎えます。ディーワーリー祭を終えた後は、7月から続いていた聖なる4ヶ月間であるチャトゥル・マースも終わりを迎え、その後は多くの地域で結婚式を執り行うにふさわしい時期を迎えます。

10月1日 エーカーダシー
10月2日 マハートマー・ガーンディー生誕祭
10月5日 満月/コジャーガラ・プールニマー(日本時間の満月は6日)
10月9日 カルヴァー・チャウト
10月12日 アホーイー・アシュタミー
10月15日 エーカーダシー
10月17日 ダンテーラス/ダンヴァンタリ神の降誕祭
10月18日 チョーティー・ディーワーリー/ナラク・チャトゥルダシー
10月19日 新月/ディーワーリー
10月20日 ゴーヴァルダナ・プージャー
10月21日 バーイー・ドゥージュ
10月26日 チャタ・プージャー
10月28日 ゴーパーアシュタミー
10月31日 エーカーダシー/チャトゥル・マースの終わり

*地域や慣習によって、日にちに前後の差異が生じます。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

カルマ・ヨーガの果報

ヒンドゥー教の代表的な聖典の一つである「ラーマーヤナ」は、霊的な解脱についての教えが含まれた万人に読まれる叙事詩です。その中に、偉大な王であるジャナカにまつわる神話があります。ジャナカ王はリシであり、理想的なカルマ・ヨーガの実践者でもありました。リシとは賢者や聖者を意味し、あらゆる知識を得た者を意味します。ジャナカ王はカルマ・ヨーガを達成し、輪廻から解放され、解脱を得たリシとして崇められています。

このジャナカ王が達成したカルマ・ヨーガは、「行為のヨーガ」を意味します。聖典バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナ神はこのカルマ・ヨーガの教えを深く説き、四大ヨーガ(カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガ)の中でもとりわけ重要な位置付けがなされています。結果に執着せず、義務をまっとうし、正しい行為を実践するカルマ・ヨーガは、私たちのあらゆる行為を人生の創造と目的に調和させ、やがて創造主である神に結びつけます。

カルマ・ヨーガを毎日の暮らしで実践することは、私たちの心を浄化する優れた手段です。それは、真の知識を得るための能力を向上させるでしょう。あらゆる行為において、結果への執着や果報への期待を捨てる時、それは瞑想となり、献身となり、私たちの人生に真の価値を与えます。

このカルマ・ヨーガの実践者となるための最初のステップは、創造主である神の行為の偉大さを理解することです。その理解は、決しても難しいものではありません。ただ心を神の探求に向けるだけでも、その行為はヨーガとなるでしょう。その行為を実践すればするほど、神の存在に引き寄せられるはずです。

カルマ・ヨーガにおいては、すべての行為が義務として、正義を達成するために為されます。それは、神に向かうことを意味します。人生におけるさまざまな行為を通じて学びを得ながら、私たちは自分自身の本質を理解しなければなりません。

どんな行為も、多岐にわたる能力を身につける貴重な学びの機会です。例えば、仕事は技術や専門知識、時間、集中力、意思決定など、さまざまに異なる要素を求められます。カルマ・ヨーガの実践者は、これらをすべて、スヴァダルマ(自己の義務)に従ってまっとうします。私欲のないその行為の先には、神との結合が待ち受けているでしょう。

ギーターの中でクリシュナは、自己の義務を献身的に行うことで、出家や隠遁生活をすることなしに、究極の解脱に達することができると説いています。私たちに与えられた義務を、私欲なく、行為の果実を求めずに、神への捧げものとして行うことは、カルマ・ヨーガの理想の姿であり、ブラフマンへ融合する正道となります。

(SitaRama)

母なる女神の怒りと愛

女神たちを崇める9日間のナヴァラートリー祭は、ドゥルガー・プージャーとも呼ばれるように、強力な戦士であるドゥルガー女神と真摯に向き合う吉祥な時です。ドゥルガー女神は、マヒシャースラという悪神を倒すために、このナヴァラートリー祭を通じて生まれたと信じられます。ドゥルガー女神の誕生神話を見つめると、自分自身の内なる女性エネルギーの重要性を、深く理解することができます。

大変な苦行を行った悪神のマヒシャースラは、男性には殺されないという特別な力を与えられ、世界を恐怖に陥れていました。マヒシャースラを倒すための女性を必要としていた世界では、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神が力を合わせると、強力な戦士としてドゥルガー女神が生まれます。神々の力をすべて合わせ持つドゥルガー女神は、世界の危機に激しく怒り、自身の子どもである世界を守るため、悪神のマヒシャースラを9日間の戦いの後に倒すと、悪を滅ぼす女神として崇められるようになりました。

この神話は、男性の力だけでは世界の秩序を保つことができず、正義には女性の力が必要であることを示しています。その力は、ドゥルガー女神として、誰しもの内に生きています。個々の内でドゥルガー女が目覚める時、一切の悪は打ち砕かれ、世界には平和が生まれていきます。

ドゥルガー女神が倒したマヒシャースラは、水牛の悪魔でした。水牛は、動物的な性質をあらわします。それは、私たちの肉体であり、また欲望の象徴として捉えられます。世界に混乱をもたらす欲望を制御する優れた方法は、母なるドゥルガー女神の愛を礼拝し、内なる女性エネルギーを目覚めさせることです。その祈りは、私たちの身体と心に渦巻く悪質を浄化し、社会に平和をもたらす大切なプロセスとなります。

9日間のナヴァラートリー祭を終えると、2017年は9月30日に、勝利の10日目であるダシャラー祭が祝福されます。季節の変わり目は、悪質な感情や思考がとりわけ強くなる時といわれます。この9日間、断食や瞑想を通じ母なる女神の愛と大切に向き合い、内なる悪質を倒し、ダシャラー祭を清らかな身体と心で祝福したいと感じます。皆様にとっても、女神の大きな祝福に満ちた時となりますよう、心よりお祈りしております。

(文章:ひるま)