ディヤーに灯る光

いよいよディーワーリー祭が間近に迫ってきました。
新月の暗い夜に、無数の光が灯され祝福されるディーワーリー祭は、言葉にならないほど美しいものです。
人々の喜びが満ちるこの日、街は美しい光のデコレーションに彩られ、煌びやかな光景に魅了されることも多くなりました。

そんなディーワーリー祭において、人々が大切に受け継ぐのが、ディヤーに灯す光です。
ディヤーは、素焼きの器を用いたシンプルなオイルランプです。
器にオイルを満たし、コットンの芯を浮かべ火をつけると、少しずつ芯が燃えながら、小さな光が灯ります。

ディヤーを灯すことには、霊的に美しい意味があります。
ディヤーが灯される器は、私たちの身体を象徴し、そこに満たされるオイルは、私たちの内なるヴァーサナー(心の潜在的傾向)を象徴します。
そして、そこに浮かぶ芯が象徴するものが、私たちの自我です。

芯がオイルを吸収し燃焼するとき、ディヤーは光を放ちます。
私たちが光を発するためには、肉体という小さな世界の中で、記憶に染み込んだ習癖を燃やす必要があることを物語っているかのようです。
そうして内なる世界が浄化される時、私たちは永遠の幸福である自分自身の本質を理解し、人生には明るい光が満ちていきます。

外界の世界に惑わされ、永遠の幸福である自分自身の本質を見失う私たち。
その無知は、一筋の光も見えない暗闇を作り出し、人生において多くの苦難を生み出します。
それでも私たちは、幸福を追求し、外界に変化を求めようとします。

しかし、永遠の幸福を望むのであれば、私たちはディヤーのように、自分自身を燃やす努力をしなければなりません。
そうして灯される光は、無知を打ち破り、自分自身の本質を理解する力を与えてくれるはずです。

今年のディーワーリー祭は、11月7日の新月です。
この暗い夜、光を灯し、燃えゆく光の意味を見つめてみるのも良いかもしれません。
皆様にとっても、光に満ちた時となりますよう、心よりお祈り申し上げております。

(文章:ひるま)

2018年11月の主な祝祭

2018年11月の主な祝祭をご紹介いたします。

11月は、ヒンドゥー教の3大祭りの一つにあたり、光の祭典として盛大な祝祭が行われるディーワーリー祭を迎えます。ディーワーリー祭を終えた後は、7月から続いていた聖なる4ヶ月間であるチャトゥル・マースも終わりを迎え、その後は多くの地域で結婚式を執り行うにふさわしい時期を迎えます。

11月3日 エーカーダシー
11月5日 ダンテーラス/ダンヴァンタリ神の降誕祭/シヴァラートリー
11月6日 チョーティー・ディーワーリー/ナラカ・チャトゥルダシー
11月7日 新月/ディーワーリー
11月8日 ゴーヴァルダナ・プージャー
11月9日 バーイー・ドゥージュ
11月13日 チャタ・プージャー
11月16日 ゴーパーアシュタミー/ヴリシュチカ(蠍座)・サンクラーンティ
11月19日 エーカーダシー/チャトゥル・マースの終わり
11月20日 トゥラシー・ヴィヴァーハ
11月21日 ヴァイクンタ・チャトゥルダシー
11月23日 満月
11月26日 サンカタハラ・チャトゥルティー
11月29日 カーラ・バイラヴァ・ジャヤンティ

*地域や慣習によって、日にちに前後の差異が生じます。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

闇から光への道のり

秋が深まり、インドでは続いていた9日間に渡るナヴァラートリー祭が終わりを迎えました。
季節の変わり目に祝福されるナヴァラートリー祭では、大自然のあらわれである女神への熱心な礼拝が続きます。
そして、この秋のナヴァラートリー祭の終わりに祝福されるのが、ダシャラー祭です。

ダシャラー祭は、ドゥルガー女神が悪神マヒシャースラを倒した日として、また、ラーマ神が魔王ラーヴァナに打ち勝った日として崇められます。
悪に対する善の勝利を象徴する、とても意義深い日であり、今年は10月19日にあたります。

このダシャラー祭から21日後に祝福されるのが、光の祭典であるディーワーリー祭です。
ディーワーリー祭にはさまざまな神話が伝わりますが、その中の一つでは、ランカ島でラーヴァナを倒したラーマ神が、アヨーディヤー王国へ凱旋した日であると伝えられます。

ダシャラー祭とディーワーリー祭の間が21日間であるのは、ラーマ神がラーヴァナを倒しアヨーディヤー王国へ戻るまでに、21日間かかったからだと信じられます。
興味深いことに、Google マップでルート検索をすると、その道のりが同じように21日間と表示されることで話題になりました。
偶然の一致かもしれませんが、現代の技術を通じて垣間見る古代の叡智には、どこか神秘性を感じます。

 

そして、その21日間の間には、一年でもっとも明るいと信じられる満月を迎えます。
その明るい月夜から一気に暗闇へと落ちる新月の夜、ディーワーリー祭が祝福されます。
この日、私たちは正義の象徴であるラーマ神を迎え入れるために、光を灯します。

私たちの歩みは、ラーマ神の行状記に見られる壮大な物語と同じように映ります。
さまざまな出来事に翻弄される人生のなかで、奮闘する私たち。
しかし、それらはすべて、闇から光へと向かうための道のりに他ありません。

今年のディーワーリー祭は、11月7日です。
ラーマ神を内なる世界に迎え入れるためにも、これからの21日間を大切に過ごしたいと感じます。
皆様にとっても、実りある時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

移り気な女神

新月の暗闇が光に包まれるディーワーリー祭。
そんな美しい夜に広く礼拝されるのが、ラクシュミー女神です。
ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌を通じ、ラクシュミー女神はこのディーワーリー祭の日に、姿をあらわしたと信じられています。

豊かさの女神として崇められるラクシュミー女神には、チャンチャラという別名があります。
チャンチャラとは、あちこちに動く、不安定になる、などといった意味があります。
それはまるで、私たちが手にする富のようです。
ラクシュミー女神がそんな風に呼ばれるようになった理由には、ある神話が伝わります。

神々と敵対するアスラの生まれであるバリ王は、献身的に力をつけ、王国を繁栄させました。
しかし、強欲になったバリ王にうんざりしたラクシュミー女神はバリ王を離れ、神々の王であるインドラ神のもとへ行きました。
バリ王は力を失うも、インドラ神は力をつけます。
しかし、力をつけたインドラ神は遊びに耽り怠惰になると、ラクシュミー女神はインドラ神のもとも離れ、インドラ神は力を失いました。

バリ王のもとへ行ったり、インドラ神のもとへ行ったりするラクシュミー女神は、アスラたちから移り気で気まぐれな女神、チャンチャラと呼ばれてしまいます。
すると、ラクシュミー女神は答えました。
「私は正義に忠実である」と。

強欲になったり、怠惰になったり、私たちが正義を欠く時、さらなる富は生まれません。
それは、ラクシュミー女神が離れていくからです。
そんなラクシュミー女神が常に寄り添うのが、夫であるヴィシュヌ神です。
世界を維持するヴィシュヌ神は、正義の下で、大変な努力と働きを行う者であると考えたからだといわれます。

ヴィシュヌ神の下で維持されるこの世界を見てもわかります。
動きがある場所には、命や再生があり、動きがない場所には、死や腐敗があります。
自然の摂理に従って動くこの世界には、豊かな恵みが溢れています。

あちこちに動くラクシュミー女神を側に留めておくためには、私たちは常に、誠実な努力の下で動き続けなければなりません。
その人生には、限りのない豊かさというラクシュミー女神が、どんな時も側にいてくれるはずです。

(文章:ひるま)

野菜の女神

空が高く澄み渡り、季節の移り変わりを感じるようになりました。
この季節の変わり目においては、女神を讃えるナヴァラートリー祭が9日間に渡って祝福されます。
山や川、草や木など、インドでは大自然のあらわれが女神として崇められてきました。
そんな女神の中に、シャーカンバリーという女神がいます。

シャーカンバリー女神は、ドゥルガー女神の化身であり、野菜や果物、緑の葉の女神として崇められています。
この地の深刻な食糧危機を救うために生まれたと伝えられる、シャーカンバリー女神。
その降誕神話は、自然災害が相次ぐ現代を生きる私たちに、多くの学びを伝えています。

厳しい苦行を行い、4つのヴェーダを手にしたドゥルガマと呼ばれる悪魔がいました。
賢者たちはヴェーダを失い、供儀という重大な義務の遂行ができなくなります。
火に供物を捧げることによって生まれるエネルギーは、かつてのように太陽へ届きません。
雲ができず、雨が降らず、穀物は枯れ、この地は荒れ果てました。
賢者たちはこの世界の大惨事を目にし、大自然を動かす女神の力を呼びさまそうと苦行を始めます。

賢者たちの苦行に心を動かされた女神は、その姿をあらわしました。
荒れ果てた世界を目にした女神は、哀れみと悲しみに打ちひしがれます。
その身体には無数の目があらわれ、9日間に渡って涙を流し続けました。
女神の身体から溢れる涙は、地上に降り注ぎ、やがて川を生み出します。

その後、飢える世界を救おうと、女神は野菜、果物、穀物、薬草といった自然の恵みを手にし、この地に命や再生をもたらします。
そして、女神はドゥルガマを倒すと、この世界にヴェーダを取り戻し、再び繁栄を呼び覚ましました。

飽食の時代にある今、かつて世界がヴェーダを失ったように、私たちは祈ることも忘れ、欲望のもとで真実を見失っています。
そして、女神そのものである自然を破壊し、私たち自身が苦難を経験しています。

インドでは、菜食の食事はシャーカンバリー女神の供物として食されることもあります。
食事という恵みに感謝をし、菜食を心がけるなど、自然を崇め、謙虚に生きることが、女神への一番の礼拝になるはずです。
一人一人がそうして生きることで、生きとし生けるものは平安に包まれるに違いありません。

(文章:ひるま)

アナーハタ・チャクラを活性化するイーシャーヴァーシャ・ウパニシャッド

人生は、霊的進化のための偉大な機会であると、インドの聖人たちは経験によって悟りました。

そして、彼らは、霊的な視点にたち、人生のあらゆる側面について瞑想し、より高次の意識へとつながる、身体の精神エネルギー中枢であるチャクラを発見しました。
適正なバランスに保たれたチャクラは、健康と実り多い人生をもたらします。

ハート・チャクラは、聖者たちが、原初音ともとれる微細な音を、胸の中心で聞いたことからアナーハタ・チャクラ(アナーハタとは、打楽器以外で奏でられる音を指す意)とも呼ばれています。
このチャクラは、人生に大きな祝福を与えるだけでなく、あらゆる恵みを与える願望実現の中枢であるともいわれます。

このチャクラのバランスが崩れると、傲慢、強欲、うぬぼれや空虚さに囚われるとされます。
逆にこのチャクラが健全であるときは、楽観主義で、努力家となり、真実と非真の識別能力が備わるといわれます。

「支配者」「主」の意で、一般的にはシヴァ神を意味するイーシャは、この第4のチャクラであるアナーハタ・チャクラに作用する神格です。
そして、アナーハタ・チャクラに対応するのが、イーシャーヴァーシャ・ウパニシャッドです。

イーシャーヴァーシャ・ウパニシャッドは、シュクラ・ヤジュールヴェーダ・サンヒターの一部で、20のマントラを含みます。
このウパニシャッドの核となる意味は、「イーシャーヴァーシャム・イダム・シャラヴァム」、すなわち神は遍在であり、すべてを守護するという教えです。
万物は、完全に神の御力に依存します。
それは、霊的探求のために欲望を滅すること、神への献身において、自身の定められた義務を遂行することを意味します。

チャクラに対応した神々の波動のリズムに乗り、調和と成功に満ちた生活を生み出しましょう。

カラスのアーサナ

インドの一部地域では、今年は9月25日から10月9日まで、先祖供養の期間が続いています。
さまざまな儀式が執り行われるこの先祖供養の期間においては、カラスに食事を与える人々の姿を目にすることが多くあります。
インドでは、カラスに食事を与えると、先祖が喜ぶと伝えられているからです。

カラスと先祖供養の関係については、さまざまな神話が伝わります。
天と地の間を飛ぶ鳥は、神のメッセンジャーであると捉えられ、特に真っ黒なカラスは、死の神ヤマの使いであるなどと伝えられてきました。
ヨーガには、そんなカラスにちなんだポーズがあります。

カーカーサナと呼ばれ実践されるカラスのポーズは、全体重を腕に乗せてバランスを取る、まるでカラスが飛ぶような姿を見せるポーズです。
バランス感覚だけでなく、筋力や体幹を必要とするこのポーズにおいては、呼吸が少しでも乱れれば、地面に顔から落ちることも少なくありません。

恐怖心を抱くと挑戦することが難しくなるこのポーズでは、深く呼吸をし、自分自身を信じることが不可欠です。
それは、自分自身に課した限界を取り払い、大きな自由へと飛び立たせてくれるものでもあります。

そんなカラスのポーズの実践においては、バランスを取ることで、眉間のあたりにあるとされるアージュニャー・チャクラが活性化されるといわれます。
また、膝を曲げて前屈をすることで、仙骨のあたりにあるとされるスヴァーディシュターナ・チャクラが活性化されるともいわれます。

スヴァーディシュターナ・チャクラは、自らが宿る場所という意味を持ち、自分自身の全てが眠っていると伝えられます。
このチャクラと向き合うことは、過去の行いによって形づくられた自分自身と向き合うことにも他ありません。
そんな中でバランスを取るには、何よりも深い集中力を要します。
それは、過去にも未来にも行くことができない、現在という瞬間に留まる術を教えてくれるものです。
カラスのポーズは、過去でもなく、未来でもなく、現在という瞬間に存在する自分自身に気づく究極の修練でもあります。

先祖供養においてカラスが重要視されるのも、時間と向き合い、その束縛の中から自分自身を解放することを意味しているのかもしれません。
この時が、皆様にとっても実りある時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

2018年10月の主な祝祭

2018年10月の主な祝祭をご紹介いたします。

10月の新月を迎えると、9月の満月以降続いていた先祖供養の期間が終わり、いよいよ女神を讃える9日間の夜、秋のナヴァラートリー祭が始まります。

10月2日 マハートマー・ガーンディー生誕祭/マハーラクシュミー・ヴラタの終わり
10月5日 エーカーダシー
10月7日 シヴァラートリー
10月9日 新月/ピトリ・パクシャ(先祖供養の2週間の終わり)
10月10日 秋のナヴァラートリー祭の始まり
10月17日 トゥラー(天秤座)・サンクラーンティ/ドゥルガー・アシュタミー
10月18日 マハー・ナヴァミー/ナヴァラートリ祭の終わり
10月19日 ダシャラー/ヴィジャヤ・ダシャミー
10月20日 エーカーダシー
10月23日 満月/コージャーガラ・プールニマー(日本時間では24日)
10月27日 カルヴァー・チャウト/サンカタハラ・チャトゥルティー(日本時間では28日)
10月31日 アホーイー・アシュタミー

*地域や慣習によって、日にちに前後の差異が生じます。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

アナンタ・チャトゥルダシーの神話

2018年は9月13日に、インドの各地で盛大なガネーシャ降誕祭が祝福されました。
伝統に従う人々は、このガネーシャ降誕祭において土でできたガネーシャ神像を祀り、10日間に渡って礼拝を続けます。
そして10日目、その神像を川や海へと流す、ガネーシャ・ヴィサルジャンという祝福が行われます。
土でできたガネーシャが、自然に還りながら、私たちのカルマを溶かしていくのだと信じられています。

このガネーシャ・ヴィサルジャンを行う日は、アナンタ・チャトゥルダシーとも呼ばれます。
アナンタ・チャトゥルダシーには、聖者として知られるカウンディニャと、妻であるスシーラにまつわる、ある神話が伝わります。

カウンディニャとスシーラが川沿いを歩いていた時、カウンディニャは沐浴のために川へ入りました。
一方で、スシーラは熱心に祈りを捧げる女性たちに出会います。
女性たちは、アナンタと呼ばれる永遠の蛇を礼拝していました。
その神前には、14の結び目がある聖紐が捧げられ、祈りが終わると、女性たちはその聖紐を手首に巻きつけました。
14年間に渡ってそれを身につけ、アナンタへの礼拝を行うことで、限りのない豊かさが授けられるのだとスシーラは教えられます。

信心深いスシーラは、アナンタへの礼拝を行うことを決め、その聖紐を手首に巻きつけます。
すると、カウンディニャとスシーラ夫妻は、みるみる豊かになり、周囲には富が溢れるようになりました。
ある時、カウンディニャはスシーラの手首に巻かれた聖紐に気がつき、スシーラはアナンタの礼拝について説明をしました。
しかし、豊かになったのは自分の努力のおかげであり、アナンタの恵みによるものではないと、カウンディニャは怒り、聖紐を捨ててしまいます。

しばらくすると、カウンディニャとスシーラは数々の苦難に見舞われ、極度の貧困に陥りました。
カウンディニャは、アナンタへの敬意を欠いたことによって、貧困に陥ったことに気がつきます。
その後、カウンディニャは14年間に渡ってアナンタへ捧げる苦行を行うと、罪は取り除かれ、再び豊かさに恵まれたといわれます。

強い自尊心や慢心は、私たちに苦難をもたらす大きな障壁であると、古代から伝えられてきました。
個々の心が全体である崇高な存在から離れることで、迷いや疑いに苛まれ、あらゆる物事が複雑に、そして困難が増していきます。
一方で、謙虚さは、私たちを全体である崇高な存在に結びつけます。
受け入れること、身を任せること、そうして生まれる大きな平安や至福の中で生きる時、限りのない豊かさに気づくことができるに違いありません。

こうした神話を学ぶことは、真の豊かさとは何か、自分自身の生き方を見つめる良い機会となるはずです。
アナンタを礼拝するアナンタ・チャトゥルダシーは、今年は9月23日(一部地域では14日)です。
皆様にも大きな恩寵がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

ピトリ・パクシャ2018

日本において先祖供養が行われるお彼岸の中日は、秋分の日(昼と夜の長さがほぼ同じになる日)として知られています。悟り(仏)の世界を彼岸、煩悩に満ちた世界を此岸と呼ぶ仏教では、彼岸は西に、此岸は東にあるとされてきました。太陽が真東から昇り真西に沈むこの秋分(また春分)は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなるとされ、この時に先祖を供養する行いがされるようになったと言われます。

インドではこの先祖供養の時にあたるのが、2018年は9月25日から10月9日までの約2週間、ピトリ・パクシャと呼ばれる期間です。この間は、先祖が地上にもっとも近づくと言われ、熱心な先祖供養の行いが執り行われます。それにはこんな言い伝えがあります。

マハーバーラタに登場する不死身の英雄カルナ王は、多くの人々に金や銀を与えてきましたが、天界にいった時、食事と水を与えられず空腹に苦しみました。それは、カルナ王が人々に金と銀しか与えず、食事と水を施さなかったことに理由がありました。神々はカルナ王に、地上に戻り人々に食事と水を施す機会を与えます。再び地上に戻り、人々へ食事と水を施したカルナ王は、その後、天界で幸せに暮らしたと言われています。

カルナ王が地上に戻ったのが、このピトリ・パクシャの約2週間であるとされ、人々は先祖だけでなく、貧しい人々への食事の施しを熱心に行います。インドでは、私たちは先祖と血縁関係で結ばれているだけでなく、先祖の行いや思いの影響を非常に強く受けていると信じられています。先祖を飢えさせないよう、先祖だけでなく、貧しい人々にも食事や水を恵むことで、先祖の魂は満たされ、私たちもまた祝福されると伝えられてきました。何より、そうして行われる善行は私たち自身の行いを清めるものでもあり、これから先をより良い方向へ導くものに他ありません。

さまざまな聖典の記述に従って複雑な儀式が執り行われるインドの先祖供養では、シュラーッダと呼ばれる儀式が重要視されます。「信頼」や「信念」を意味するシュラーッダは、信愛から生じる不変的な気づきに他なく、家族という身近な存在を敬う気持ちが、私たちをより良い道へと導きます。起こる物事にはすべて大切な意味があり、それらが私たちのこれからを最善に導いていることに気づき、こうして与えられた今という機会を大切に生きていきたいと感じています。

(文章:ひるま)

参照:”Significance of Pitru Paksha”, http://www.speakingtree.in/blog/significance-of-pitru-paksha