舌先に座る女神

あたたかな光が満ち始め、春の到来を感じる時、インドでは学問と芸術の女神であるサラスワティー女神の降誕祭が祝福されます。
サラスワティー女神は、あらゆるものを清めると神聖視されてきた優美な水の流れであり、そのあらわれである川の神格として崇められてきました。

純白のサリーを身にまとうサラスワティー女神を礼拝する時、内なる世界には、清らかな流れが生まれることを確かに感じます。
そうして鮮明になる意識は、より明瞭な知識を得る力を与えてくれるようでした。

サラスワティー女神は、言語の女神としても崇められます。
インドには、そんなサラスワティー女神にまつわる、ある俗伝が伝わります。
それは、サラスワティー女神が一日のある時だけ、私たちの舌先に座るのだといいます。
そして、その時に発せられた言葉は、どんな言葉でも、必ず真実になるのだと伝えられてきました。
だからこそ、私たちはどんな時も、正しい言葉を発することに専心しなけなければなりません。

言葉という意味を持つマントラが、古代より霊性修行において重要視されてきたように、言葉はとても大きな力を持ちます。
喜びを広め、愛を深めるだけでなく、争いを生み出し、心を傷つけるのも、私たちの言葉です。
そうして世界を変えるほどの力がある言葉は、私たちの意識に深く響き、願いを実現させる手段としても伝えられてきました。

そんな言葉の力を持つ私たちは、一瞬一瞬において、サラスワティー女神を見出す必要があります。
そうして清らかな言葉を心がけることは、自分自身を浄化し向上させる、何よりもの霊性修行となるはずです。
その行為は、私たちに嘘偽りのないエネルギーをもたらし、真実の中で生きるための光という知識を与えてくれるに違いありません。

世界が光に満ち始める時、サラスワティー女神へ祈りを捧げ、正しい言葉を使う力と清らかな流れを呼び覚ましたいと感じます。
春の陽光とともに、皆様の内なる世界にもあたたかな光が満ちますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

スタッフ日記:フード・サービス・プログラムのご報告(新年のお祝い)

フード・サービス・プログラムにご支援をいただいている皆様、本当にありがとうございます。
最近の写真が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

病院での食事の配給では、クリスマスのお祝いにあわせ、可能な時には、ケーキを配ることがあります。
昨年は、クリスマスとはなりませんでしたが、12月31日と1月1日に、新年のお祝いとしてケーキを配ることができました。
一切れのケーキですが、入院していた患者の方々と、付き添いのご家族の方々、全員(300人ほど)に配ることができました。

社会から隔絶されたり、差別を受けたりする人々にとっては、こうして周囲の人々と同様に喜びを持つことがとても大切であると考えています。
ケーキを配る際には、患者の方々やご家族の方々と楽しく会話をしながら、治療のこと、家族のこと、日々のことなどを共有する時間を取りました。
小さなことですが、こうして社会的に受容されることは、特に重要なことであると捉えています。

皆様の温かいご支援によって、昨年もこうしてケーキを配ることができました。
食事の配給は、祝日も休むことなく、現在も続いています。
皆様の温かいお気持ちが繋がり、社会がより豊かになり、そして平和が広まることを、心より願っています。

皆様の温かいご支援に心より感謝申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

ガネーシャの牙

気持ちが改まるお正月を迎え、新しい一年が始まりました。
幸せな一年になるよう、祈りを捧げた方も多くいらっしゃることと思います。
インドで最初の祈りといえば、欠かすことができないのが、ガネーシャ神です。

ガネーシャ神は、父親であるシヴァ神から、まず始めに礼拝される神格としての地位を与えられたと伝えられます。
あらゆる面で最初に礼拝されるようになったガネーシャ神は、障害を取り除く神格として広く崇められるようになりました。
そんなガネーシャ神の姿を見ると、障害を克服しながら、幸せに生きるための方法が見えてきます。

ガネーシャ神は、「一本の牙」を意味する「エーカダンタ」という名前で崇められることがあります。
よく見ると、ガネーシャ神の片方の牙は折れています。
ガネーシャの牙が一本である理由にはさまざまな神話が伝わりますが、その一つに、聖仙ヴィヤーサとの神話が伝わります。

大きな耳を持ち、注意深く聞くことができる能力を持つガネーシャ神は、聖仙ヴィヤーサから「マハーバーラタ」を書き記して欲しいと頼まれました。
その重要性を理解したガネーシャ神は、自らの牙を折り、その牙でマハーバーラタを書き記したと伝えられます。

マハーバラタを書き記すという偉業を成し遂げたガネーシャ神には、自らの牙を折るという犠牲の精神がありました。
エゴを持つ私たちは、思い通りにならない状況に障害を見出し、自分自身に限界を定め、幸せを遠ざけています。
何よりも始めに礼拝すべき存在であるガネーシャ神の姿は、私たちがまず、エゴを取り除く必要があることを伝えているかのようです。

ガネーシャ神の姿から犠牲の精神を学ぶことで、障害を克服するための知識や知恵が与えられるに違いありません。
そうして能力を高めながら、成功を達成するための力を発揮することができるはずです。

新しい一年の始まり、そんなガネーシャ神への祈りを捧げみるのも良いかもしれません。
その祈りは、障害を乗り越える力となって、私たちの内に呼び覚まされるはずです。
皆様にとって、この一年が幸せに満ちた年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

満ち足りた存在

今年も残りわずかとなった今、過ぎ去ろうとしている一年を振り返る機会が多くあります。
得たもの、失ったもの、さまざまな思いが心の中を駆け巡ります。
そんな中、今年の初めにご紹介をした、願望の実現のための「サンカルパ」について思い起こしています。

サンカルパは、自分自身の内で目標を明確にし、決意することを意味します。
それは、目標達成のための力を呼び覚ます、瞑想としても伝えられてきました。
しかし、さまざまに揺れ動く心の働きを持つ私たちにとって、目標を持ち続けることは、決して簡単なことではありません。
新年の時に抱いた目標を、どれだけ実現することができたでしょうか。

達成できたもの、できなかったもの、この一年にはさまざまな経験があったことと思います。
そんな一年を振り返ることは、さらなる成長のために、人生の整理のために、とても大切な行為であるとされてきました。
しかし、その過程では、できなかったものが心の中を大きく占めることも少なくありません。

私たちの心は、欠けているもの、足りないもの、手にしていないものに向かいがちです。
そんな私たちに、インドの叡智はあるシャーンティ・マントラを伝えてきました。
「オーム・プールナマダ・プールナミダム」として知られるそのマントラは、満ちている完全なブラフマンを讃えます。

インドの叡智が時を超えて伝えてきたように、何かが欠けていたとしても、私たちはそれだけで完全な存在であるということを忘れてはなりません。
人生が与えてくれるさまざまな教訓を通じ、その意味を学び深めるとき、私たちは真に満ち足りた人生を過ごすことができるはずです。

山があり、谷がある人生。
その中で、満ち足りた存在への気づきを育む時、私たちはより確かなサンカルパのもとで、成長することができるに違いありません。
感謝とともに一年を振り返りながら、新しい一年の目標をしっかりと思い描いてみたいと思います。

皆様の来る年が、幸せに満ちた実り多き一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
どうぞよいお年をお迎えください。

(文章:ひるま)

2019年1月の主な祝祭

boat sailors at sunrise sunset in ganga river at allahabad indian asia

2019年1月の主な祝祭をご紹介いたします。

束の間の寒い冬を迎えている北インドも、1月15日に迎えるマカラ・サンクラーンティ以降は太陽が北方への回帰を始め、暖かくなり始めます。日本では寒さの厳しい時が続きますが、どうぞ良い年末年始をお過ごしください。

1月1日 エーカーダシー
1月3日 プラドーシャ
1月4日 シヴァラートリー
1月6日 新月
1月12日 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕日
1月13日 ローリー
1月15日 マカラ・サンクラーンティ/ポンガル
1月17日 エーカーダシー
1月19日 シャニ・プラドーシャ
1月21日 満月/タイプーサム
1月24日 サンカタハラ・チャトゥルティー
1月26日 共和国記念日
1月31日 エーカーダシー

*地域や慣習によって、日にちに前後の差異が生じます。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

2019年のプラドーシャ

プラドーシャは、月の満ち欠けのそれぞれ13日目にあたり、月に2度訪れるシヴァ神を讃える吉兆な時にあたります。プラドーシャは夕暮れを意味し、特に日没の前後1時間半が吉兆と信じられ、夕暮れ時には数多くの寺院でシヴァ神に捧げられるプージャーが執り行われます。

プラドーシャには、乳海撹拌にまつわる神話があります。不死の霊薬であるアムリタを得るために、神々と悪魔が協力し、海を撹拌したと伝えられる乳海撹拌では、霊薬であるアムリタだけでなく、猛毒であるハラーハラも生み出されてしまいます。世界を救うために、その猛毒であるハラーハラを飲み込んだのがシヴァ神でした。シヴァ神が猛毒に倒れたとき、妻のパールヴァティー女神は、シヴァ神の首を押さえ、猛毒は喉で止まりました。シヴァ神の首は猛毒で青くなり、後にニーラカンタ(青い首を持つ者)と呼ばれるようになります。

神々は、パールヴァティー女神のおかげで一命を取り留めたシヴァ神の回復を願い、集いました。意識を取り戻したシヴァ神は、神々が集う嬉しさのあまり、アーナンダ・タンダヴァムの踊りを舞います。この時が、プラドーシャであると信じられます。

すべての神々が集い、シヴァ神がアーナンダ・タンダヴァを舞うプラドーシャの吉日に、シヴァ神への礼拝を捧げることで、平安、至福、解放が授けられると信じられています。このアーナンダ・タンダヴァの礼拝は、15日間(半月)に犯されたすべての悪い行いを取り除く非常に効果のあるものだとも伝えられます。

また、プラドーシャは、重なる曜日によって、月曜日はソーマ・プラドーシャ、火曜日はバウマ・プラドーシャ、土曜日はシャニ・プラドーシャと呼ばれます。月曜日のプラドーシャはシヴァ神からのとりわけ大きな恩寵、火曜日のプラドーシャは病からの解放、土曜日のプラドーシャは土星の悪影響を軽減する恩恵が授けられると信じられます。

2019年のプラドーシャをご紹介いたします。

1月3日(木)
1月19日(土) シャニ・プラドーシャ
2月2日(土) シャニ・プラドーシャ
2月17日(日)
3月3日(日)
3月19日(火) バウマ・プラドーシャ
4月2日(火) バウマ・プラドーシャ
4月17日(水)
5月2日(木)
5月16日(木)
6月1日(土) シャニ・プラドーシャ
6月14日(金)
6月30日(日)
7月14日(日)
7月30日(火) バウマ・プラドーシャ
8月12日(月) ソーマ・プラドーシャ
8月28日(水)
9月11日(水)
9月26日(木)
10月11日(金)
10月26日(土) シャニ・プラドーシャ
11月10日(日)
11月24日(日)
12月9日(月) ソーマ・プラドーシャ
12月23日(月) ソーマ・プラドーシャ

※プラドーシャの日にちは地域や慣習によって異なる場合があります。

参照:2019 Pradosham Days

神の国があるところ

聖と俗が入り混じる広大なインドの地では、生きるという人間の一途な姿が、むき出しに迫ってくることがあります。
思わず目をつぶりたくなるその瞬間には、今でも学ぶことが尽きません。
しかし、さまざまな思想が多様に混在する社会が、調和と均衡のもとで、目をしっかりと開くことの意味を教えてくれました。

主となるヒンドゥー教徒だけでなく、イスラム教徒やキリスト教徒も多いインドでは、それぞれの宗教に基づいた祝日が定められています。
クリスマスも、その一つです。
そうして異なる思想が生きる社会は、より明確に、その中心を見せてくれるようでした。
そんな中で、聖書には次のような言葉があります。

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねた時、イエスが答えた言葉です。

「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ルカによる福音書 第17章20-21節)

さまざまな解釈がなされるイエスのこの言葉は、インドの地が伝えてきた霊性を育む数々の教えに重なるものでした。
それは、今にいること、気づくこと、委ねること、受け入れること、手放すこと。
まさに、幸せに生きる実践そのものです。

苦しみに満ちる日々において、私たちは救いを求めます。
幸せはどこにあるのか。苦しみはいつ終わるのか。
しかし、そう思い続ける限り、苦しみは終わらず、幸せを手にすることはできないということを、混沌としたインドの地でただ生きようとする人々の姿が教えてくれました。

見える形に幸せを求めがちな私たちは、大切なものを見失いがちです。
この大きな世界に育まれながら、一つひとつの呼吸が生まれること。
見えないその瞬間の力に気づくことは、何よりも大きな幸せであるということを学びました。

私たちを取り巻くその恩寵に気づく時、神の国の中で生きることができるに違いありません。
宗教を超え、神とともに生きる人々の姿が織り成すインドの地に、これからも学び続けたいと思います。

(文章:ひるま)

2019年のシヴァラートリー

シヴァラートリーとは「シヴァの夜(ラートリー)または吉兆の夜」という意味です。シヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。しかし、特にパールグナ月(マーガ月となる地域もあります。2月~3月)のシヴァラートリーは、マハー・シヴァラートリーと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。

この夜、シヴァ神の信者たちは、断食をし、睡眠を絶ち霊性修行に励みます。シヴァラートリーは、月が満月から新月へと変化する境目です。充ち満ちた欲望(月)がやがて消滅していくように、満月から新月へと変化するシヴァラートリーの日に霊性修行に励むことで、欲望を滅し、解脱へと至る精神力が獲得できると信じられてきました。

シヴァラートリーの日は、シヴァ神を崇めるもっとも神聖な日です。この日には、シヴァリンガムを崇めたり、あるいは、シヴァ神の御名やルドラムを唱えたり、バジャンを歌ったり、瞑想を行うことがすすめられています。またルドラークシャを身に着けるのにもっとも適した日であるとも言われています。シヴァ・パンチャクシャラ・マントラ(オーム・ナマ・シヴァーヤ)も、この日に唱えることで、大きな功徳をもたらすといわれます。

2019年のシヴァラートリーをご紹介いたします。また、2019年のマハー・シヴァラートリーは、3月4日となります。シヴァ神を礼拝する吉兆な月曜日に重なります。

1月4日(金)
2月3日(日)
3月4日(月) ※マハー・シヴァラートリー
4月3日(水)
5月3日(金)
6月1日(土)
7月1日(月)
7月30日(火)
8月29日(木)
9月27日(金)
10月26日(土)
11月25日(月)
12月24日(火)

参照:2019 Shivaratri Dates

2019年のエーカーダシー

大自然の移り変わりと密接に結びついたインドの暦の中に、エーカーダシーという吉日があります。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。

インドの暦は、こうした月のサイクルに深く結びついています。
その月は人々の心に関連すると信じられ、この月のサイクルに従った行いは、自身の心を整えるより良い機会であると、さまざまな行いが月の様相に通じて古くから伝えられてきました。
特に、この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
また、11が意味するものは、5つの感覚、器官、そして心を合わせた11のものであり、このエーカーダシーにおいては、それらを統制することが重要な行いとなります。

特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。

困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けると言われます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。

月の満ち欠けのそれぞれ11日目にあたるこのエーカーダシーは、年間でおよそ24回訪れます。
2019年のエーカーダシーについてご紹介いたします。

1月1日(火) サファラ・エーカーダシー
1月17日(木) パウシャ・プトラダー・エーカーダシー
1月31日(木) シャッティラー・エーカーダシー
2月16日(土) ジャヤー・エーカーダシー、ビーシュマ・エーカーダシー
3月2日(土) ヴィジャヤー・エーカーダシー
3月17日(日) アーマラキー・エーカーダシー
4月1日(月) パーパモーチャニー・エーカーダシー
4月15日(月) カーマダー・エーカーダシー
4月30日(火) ヴァルティニー・エーカーダシー
5月15日(水) モーヒニー・エーカーダシー
5月30日(木) アパラー・エーカーダシー
6月13日(木) ニルジャラ・エーカーダシー
6月29日(土) ヨーギニー・エーカーダシー
7月12日(金) デーヴァシャヤニー・エーカーダシー
7月28日(日) カーミカー・エーカーダシー
8月11日(日) シュラヴァナ・プトラダー・エーカーダシー
8月27日(火) アジャー・エーカーダシー
9月9日(月) パリヴァルティニー・エーカーダシー、パールシュヴァ・エーカーダシー
9月25日(水) インディラー・エーカーダシー
10月9日(水) パーパーンクシャー・エーカーダシー
10月24日(木) ラーマ・エーカーダシー
11月8日(金) プラボーディニー・エーカーダシー
11月23日(土) ウトパンナ・エーカーダシー
12月8日(日) モークシャダー・エーカーダシー
12月22日(日) サファラ・エーカーダシー

※それぞれのエーカーダシーの名称、日にちは地域や慣習によって異なる場合があります。

参照:2019 Ekadashi fasting days

太陽の愛

凛とした空気の中に、透き通るような自然の美しさを見る季節になりました。
しかし、心身は太陽の温かな光を欲してなりません。
そんな時、インドでは、太陽を崇めるマカラ・サンクラーンティが祝福されます。

日本の冬至にあたるマカラ・サンクラーンティでは、私たちに限りのない恵みを与える太陽がスーリヤ神として崇められます。
ヒンドゥー教においては、至要たる存在として崇められてきたスーリヤ神。
そんなスーリヤ神の妻となったのが、創造神であるヴィシュヴァカルマンの娘、サンジュニャーでした。

サンジュニャーは、万物を育むスーリヤ神を深く愛する誠実な妻となります。
しかし、スーリヤ神の放つ熱に耐えられなくなると、自らの影を残してスーリヤ神のもとを去ってしまいます。
その後、サンジュニャーは雌馬の姿となって、この地を彷徨ったという神話が伝わります。

そんなサンジュニャーの姿は、この地で生きる私たちの姿を映し出していると教えられたことがありました。
太陽という最高の光から遠ざかり、この地を彷徨ったサンジュニャーは、まるで、神から遠ざかり、この物質世界で欲望に駆られている私たちのようです。

変化を求め欲望に突き動かされる私たちにとって、神という不変の真実を見ることは、時に耐えられないほどの苦痛を伴います。
そうして私たちは、真実から遠ざかり、光を失い、無知という暗闇の中でもがき続けなければなりません。
事実、スーリヤ神のもとを去ったサンジュニャーには、多くの苦難が待ち受けていました。

しかし、後にスーリヤ神はサンジュニャーを見つけ出すと、彼女を連れ戻し、再び夫婦となります。
太陽が万物を照らし、限りのない恵みを注ぎ続けるように、神の恩寵は常に私たちを取り巻いています。
私たちの霊性修行とは、その光の中で生き続けることができるかということを意味しているのかもしれません。
そうして真実を理解する時、私たちは不変の幸福の中で生きることができるはずです。
冬から春へ、闇から光へと変わるマカラ・サンクラーンティにおいて、太陽の光をしっかりと見つめたいと感じます。

(文章:ひるま)

※スーリヤ神とサンジュニャーにまつわる神話は、聖典によってさまざまに異なります。