シャニ・ジャヤンティ2017

ジェーシュタ月(5月〜6月)の新月は、インドの一部の慣習において、土星であるシャニ神の生誕日(シャニ・ジャヤンティ)として崇められています。2017年は5月26日です。

私たちの人生の歩みには惑星の直接的な影響があると強く信じられるインドにおいて、土星であるシャニ神の存在は特に大きなものです。シャニ神が広く崇められる理由には、シャニ神が多くの試練を私たちに授ける惑星であると信じられていることにあります。

人々はシャニ神を礼拝する時、黒い服を身につけ、黒い花や黒ゴマ、マスタード・オイルなどを捧げます。シャニ神自身も、真っ黒な姿で描かれます。しかし、シャニ神はその黒さとはかけ離れた、輝く太陽神スーリヤの子どもであると伝えられています。このシャニ神の誕生にも、さまざまな神話が存在します。

一説に、スーリヤ神と結婚をしたサンジュニャーは、スーリヤ神の強すぎる熱に耐えられず、自分自身の影(チャーヤー)を残し、スーリヤ神のもとを離れました。この影であるチャーヤーとの間にできた子どもがシャニ神であると言われます。

また、チャーヤーはシヴァ神への強い信仰から、シャニ神を身ごもっている間にも厳しい苦行を続け、食事を怠ることもありました。この苦行が、シャニ神を真っ黒にしたと言われています。父親であるスーリヤ神は、シャニ神が輝きを持たずに生まれたことから、チャーヤーを疑いの目で見続けます。チャーヤーの厳しい苦行から、シャニ神は非常に強い力を持っており、母親であるチャーヤーに疑いを持つスーリヤ神と敵対するようになったとも言われています。

シャニ神は、ホロスコープ上の配置によって、さまざまな試練を私たちに与えると信じられる惑星です。愛する者との別れ、大きな損失、身体的な苦痛など、その苦しみは計り知れないとも言われます。しかし、それら物質的な苦難はどれも、私たちを精神的に大きく成長させてくれるものに他ありません。

厳格な師としても崇められるシャニ神は、より良い道を歩むことができるよう私たちを導く存在です。人々が熱心にシャニ神へ祈りを捧げる姿は、心からの祈りによって、どんな苦難も克服できることを物語っているようにも思います。私たち一人一人が崇高な存在と共に生き、世界がどんな時も平安にあるよう心から願っています。

(文章:ひるま)

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Shani
http://www.shanidev.com/

ラタ・ヤートラー2017

神聖な存在をより身近に感じる瞬間が、インドで過ごす日常には溢れています。偉大すぎて掴みがたいその存在も、インドの世界の中では不思議と親しみやすいものとして際立ち、人々を優しく迎え入れます。そんな神様の一人が、これから盛大な祝祭を迎えようとしているジャガンナータ神でした。

極彩色に彩られた姿、真ん丸とした大きな目、そして愛らしい表情が、一目見ただけで心の奥深くまでぐっと入り込み、大きな存在感を放っていたことを思い出します。ジャガンナータ神は、主に東インドで崇拝される、ヴィシュヌ神、もしくはクリシュナ神の化身とされる神様であり、最も盛大な祝祭が、2017年は6月25日~7月3日に迎える「ラタ・ヤートラー」です。

ラタ・ヤートラーは、東インドに位置するオリッサ州の聖地プリーにて、豪華な山車が街を練り歩くお祭りとして知られています。一説に、悪行を働いていたカンサを打ち破ったクリシュナ神が、兄のバララーム神と妹のスバドラー神と共に山車に乗り帰還したことを祝福するお祭りであるといわれ、豪華絢爛な山車と共に進むジャガンナータ神の姿が多くの人々を惹きつけます。

そんな山車は馬車とも捉えられ、精神性を学ぶ上で多くの例えに用いられるものです。カタ・ウパニシャッドにおいては、「真我(アートマン)は車主であり、肉体は馬車、理性が御者、そして意思が手綱である。」(カタ・ウパニシャッド第3章3~4節)と、人の体、心、そして精神のあり方が述べられています。

苦楽を生み出す感覚器官に操られる肉体を、意志と言う手綱を持って導くことは、精神性を向上させるための道において、最も強調される努めるべく行いの一つです。その先にあるものは、体、心、そして精神の統一であり、乱れのないその小さな世界の中において、誰もが偉大な存在に気づくに違いありません。

ジャガンナータ神を乗せた一つの大きな山車が、集まった個々の手によって真っ直ぐに導かれる様子こそ、一人一人が偉大な存在の下に一つであることを物語っています。心が主に定まる時、そこにはいつの時も平安があることを私たち自身が証明しているかのように映ります。

祝祭を通じ、そうした精神性を向上させる教えが、一瞬一瞬に溢れているのがインドでの生活です。ラタ・ヤートラーは9日間に渡る祝祭です。インドの各地から、また世界の多くの場所で、この愛らしい神の下に人々が歩み寄り一体となります。そのエネルギーが生み出す平安が、世界を包み込むことを心から願っています。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Ratha-Yatra

ナーラダ・ジャヤンティ2017

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2017年5月11日は聖仙ナーラダの降誕日にあたります。このナーラダの降誕日は、多くの慣習でブッダ・プールニマーの次の日に祝福されます。(日本時間では5月12日となります。)

ナーラダはインドにおいて重要な聖仙の一人であり、数々の聖典をこの世に伝えてきた聖者として知られています。ヴィシュヌ神を崇拝し、ヴィシュヌ神の別の姿である「ナーラーヤナ」の御名を常に唱えていると言われます。

ナーラダは楽器のヴィーナを手にして描かれ、このヴィーナと共にヴィシュヌ神を讃えると伝えられ、その敬虔な姿はバクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)にも大きな影響を与えたと伝えられます。ナーラダは常にヴィーナを手にすることから、楽器の師の一人としても崇められています。

ナーラダは賢者として伝えられる一方で、ヴェーダをより親しみやすく伝えるためにいたずら好きな一面も多く描かれます。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Narada

クールマ・ジャヤンティ2017

2017年5月10日はクールマ・ジャヤンティです。

クールマ・ジャヤンティは、ヴィシュヌ神の2番目の化身であり亀神として崇められるクールマ神の降誕祭にあたります。ヴィシュヌ神がこの亀の姿となった理由は、ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌に秘められています。

大昔、悪魔との戦いに敗れた神々は、力を取り戻すためにアムリタを得なければなりませんでした。そして神々はヴィシュヌ神の働きかけの下、悪魔たちと協力をしながらアムリタを作り出すために乳海撹拌を行うことになります。

あらゆる薬草を海へと投入し、マンダラ山に大蛇ヴァースキを絡ませ引っ張り合うことで海を撹拌しアムリタを生み出します。神々を助けようと働きかけるヴィシュヌ神にとって、この作業は非常に骨の折れるものでした。

マンダラ山が海に沈まぬよう、ヴィシュヌ神は大亀クールマとなりその上に山を乗せます。そして絡ませた大蛇ヴァースキを神々と悪魔引っ張り合いました。

アムリタを含め、多くの物が産出されたこの乳海撹拌において、幸運を運ぶラクシュミー女神もまた誕生し、後にヴィシュヌ神の妻となります。

悪と戦う神として化身することが多いヴィシュヌ神の姿の中で、クールマ神は他を支え救うために姿を現します。亀はヴィシュヌ神の象徴である維持や保護そのものであるとも伝えられ、妃であるラクシュミー女神と共に崇められることも多くあります。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Kurma

ナラシンハ(ヌリシンハ)・ジャヤンティ2017

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2017年5月9日はナラシンハ(ヌリシンハ)・ジャヤンティです。

ナラシンハ(ヌリシンハ)・ジャヤンティはヴィシュヌ神の4番目の化身であるナラシンハ(ヌリシンハ)の降誕祭として祝福が執り行われる時です。ナラシンハは一説に、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から14日目に降誕したと伝えられます。

ナラシンハは、 魔王ヒラニヤカシプを倒す為にヴィシュヌ神が化身した姿です。人獅子の姿をし、ヴィシュヌ神の最も強い神格と信じられ、帰依者には最高の保護が与えられると信じられています。

ナラシンハの誕生には、一説に以下のようなものが伝えられます。

魔王ヒラニヤカシプは、ヴィシュヌ神の熱心な帰依者である息子のプラフラーダをよく思っていませんでした。息子が父ヒラニヤカシプに、ヴィシュヌ神の偉大さを説くと、三界を征服していた父は非常に腹立たしくなりました。

ヒラニヤカシプは、苦行の賜物として、神、魔神、人間、動物によって殺されることのない肉体を手にしていましたが、ヒラニヤカシプの悪態を見るに見かねたヴィシュヌは、神、魔神、人間、動物でもない人獅子ナラシンハとなって、ヒラニヤカシプを倒しました。

参照:http://www.drikpanchang.com/dashavatara/narasimha/narasimha-jayanti-date-time.html?year=2017

アクシャヤ・トリティヤのプージャー時間

2017年4月29日はアクシャヤ・トリティヤの大吉日です。

アクシャヤ・トリティヤは、惑星のあらゆる悪影響を受けない時とされ、ムフールタに関係なく、吉祥な時間に満ちていると伝えられます。中でも、2017年のアクシャヤ・トリティヤの吉祥な時間をご紹介いたします。

4月29日4時56分〜10時25分(日本時間)

この時間帯は、プージャーを執り行ったり、価値あるものを購入するとりわけ吉祥な時間であるとされています。

※ヒンドゥー教の暦には、48分単位で刻まれるムフールタと呼ばれる時間の概念があり、このムフールタによれば、1日の中にも吉兆な時間とそうでない時間があり、特定の行為に対して適切な時刻が定められています(ムフールタについて)。

皆様にとって大きな祝福に満ちた時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

参照:http://www.drikpanchang.com/festivals/akshaya-tritiya/akshaya-tritiya-date-time.html?year=2017

ガンガー・サプタミー2017

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2017年5月2日はガンガー・サプタミーです。

ガンガー・サプタミーは、一部の慣習でガンジス河の生誕日として崇められる日にあたり、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から7日目と信じられています。

ガンジス河の生誕日は、このガンガー・サプタミーや、またガンガー・ダシャラーなどさまざまな日が存在します。

一般的に広く知られているガンジス河の生誕日「ガンガー・ダシャラー」は、天を流れていたガンガーが地上に降りる際、その強すぎる勢いが地上を洗い流してしまわぬように、シヴァ神がその流れを髪で受け止め、地上へと注いだ日として広く崇められています。

「ガンガー・サプタミー」には別の言い伝えがあります。シヴァ神に受け止められていたガンガーがシヴァ神より放たれた後、その勢いで、ある聖者のアシュラムを流してしまいます。聖者は怒り、ガンガーの水を全て飲み干してしまいました。神々がガンガーを解き放つよう懇願すると、聖者はガンガーを解放しました。こうしてまたガンガーが流れるようになったと言われ、この日がガンガー・サプタミーとして崇められています。

参照:http://www.drikpanchang.com/festivals/ganga-saptami/ganga-saptami-date-time.html?year=2017

パラシュラーマ・ジャヤンティ

一年の大吉日といわれるアクシャヤ・トリティヤが、2017年は4月29日に迫っています。

アクシャヤ・トリティヤはパラシュラーマの生誕日であると伝えられています。パラシュラーマはヴィシュヌ神の6番目の化身として、ブラーフミンの家系に生まれました。パラシュは斧を意味し、斧を持つラーマをあらわします。

このパラシュラーマにまつわるさまざまな神話の中に、奢り高ぶった数多くのクシャトリヤを殺害したという言い伝えがあります。武士階級であるクシャトリヤによる尊大さや横柄さが、世の中を混乱に陥れていた時代のことであったと言います。これは、純質なサットヴァであるパラシュラーマが、ラジャス(激質)やタマス(惰質)によって生じた混乱を破壊することを物語っているのだと伝えられます。

この物語は、自分自身の内なる世界においても常に起きていることに変わりありません。ラジャスとタマスによって生み出される怒りや憎しみ、悲しみや憂いといった様々な感情は、自身の内を戦場のように作り上げ、その混乱によって、私たちは自身の本質を見失います。混乱を打ち破り、輝く純粋な質へと自分自身を導くこと、それがこの社会を生きる私たちの日々における修練に他ありません。

より良い作物を育て上げるためには、雑草を引き抜かなければならないように、自身の成長を遂げる中で、破壊は誰もが経験せねばならないということが、このパラシュラーマの歩みに象徴されていると言われます。

そして何より、このパラシュラーマには強い信仰心がありました。手にする斧は、パラシュラーマの苦行に喜んだシヴァ神が授けたものだとも伝えられます。信じる心、それが正しい道を歩むための最大の強みとなることを忘れてはなりません。

維持や保護の神として知られるヴィシュヌ神は、世界が混乱に陥った時、人々を正しい道へと導くためにさまざまに姿を変え現れると信じられています。太陽と月の輝きが最も満ちる時となるアクシャヤ・トリティヤにおいて、こうした神々の象徴を見つめることは、自分自身の内の純質を磨きあげる大切な行いとなることでしょう。皆さまもどうぞこの吉兆な時を大きな喜びと共にお迎えください。

(文章:ひるま)

ブッダ・プールニマー(ウエサク祭)

2017年5月10日の満月は、ブッダ・プールニマーです。ブッダ・プールニマーは、仏陀降誕の日として世界中で祝われている盛大なお祭りです。※日本時間の満月は5月11日となりますが、11日の夜には満月を過ぎるため、10日に祝福されます。

以下に、Wikipediaよりブッダ・プールニマー(ヴェーサーカ)の記事をご紹介します[1]。

ヴェーサーカ(パーリ語;サンスクリット語ではヴァイシャーカ)は、ネパール、シンガポール、ベトナム、タイ、カンボジア、スリランカ、ミャンマー、バングラデシュ、インドネシア、インドなどの南アジア、東南アジアの仏教徒による伝統的な年間行事です。
通常は、仏陀の降誕日とされていますが、実際には仏陀の降誕日、悟りの日(ニルヴァーナ)、成仏を包括する日とされています。
ヴェーサーカの正確な日にちは、各国に伝統的な太陰暦によって変化します。テーラワーダ(上座部仏教)の国々では、満月のウポーサタ日(仏教徒の安息日;不浄な心を清める日)に行われます。中国のヴェーサーカ日は、中国の太陰暦における第4月の8日目に行われます。西洋のグレゴリオ暦では、年によって異なりますが、毎年4月か5月に行われます。

●歴史
ヴェーサーカを仏陀の降誕会とする決議は、1950年にスリランカで行われた第一回世界仏教徒連盟(WFB)の会議で採択されましたが、仏教国における当時の祭典は、各国の古い伝統に基づいて行われていました。
ヴェーサーカにおいては、世界中の仏教徒は、仏陀の誕生日、悟りの日、成仏日を含む重要な行事として祝します。インドから仏教が伝来して、多くの外国文化に同化したように、ヴェーサーカは世界各国において独自の方法で祝されています。

●ヴェーサーカの祭典
ヴェーサーカにおいては、敬虔な仏教徒や信奉者たちは、祝典のために夜明け前に各地の寺院に集合し、仏旗を掲げ、仏・法・僧の三宝を讃える讃歌を歌います。帰依者たちは、師の御御足に捧げるための花、ろうそくや線香を持参します。これらの象徴的な捧げ物は、美しい花はすぐに萎れ、ろうそくや線香はすぐに燃え尽きるように、人生は儚く短いことを意味しています。帰依者たちは、あらゆるものの殺傷を避けるために、特別な努力を行い、この日は精進料理(ベジタリアン・フード)を摂ることが勧められています。特にスリランカなどのいくつかの国では、ヴェーサーカを祝するための2日間は、酒屋や食肉処理施設は、閉店するように政府の法令によって定められています。また、意に反して捕らわれていたおびただしい数の鳥、昆虫、動物が自由の象徴として放たれます。敬虔な仏教徒の中には、簡素な白装束をまとい、八正道に対する新たな決意を胸に、一日中寺院で過ごす人もいます。
敬虔な仏教徒は、教えに基づく五戒を遵守する誓約をし、高潔な日々を過ごしていますが、特に新月と満月の特別な日には、道徳、簡素、謙虚を実践するために八正道を遵守します。
またある寺院では、小さな幼児の仏陀像を祭壇の前にまつり、花で飾りつけられた小さなたらいに水を張り、帰依者が像に水をそそぐことができるようにしています。これは、悪い業(カルマ)を洗い清め、神々や精霊の祝福のもと、仏陀の降誕を再現する象徴的な行為になります。
帰依者たちは、僧侶による説法を聴きます。この日は、国や国民の繁栄と平和を願い、僧侶たちは仏陀によって語られた詩句を詠唱します。仏教徒たちは、仏陀が説いたように、他人を信頼し、他人の信条を尊敬し、調和を持って生活することを思い起こされます。

●他の人々に幸せを運ぶ
ヴェーサーカの祝日は、高齢者、障がい者、病人のような人々に幸せを運ぶ特別な努力をする日を意味します。この日には、仏教徒は贈り物を贈ったり、奉仕活動をしたりします。ヴェーサーカは、大きな幸せや喜びの時であり、自分の欲望を満たすのではなく、寺院での奉仕活動や、仏陀の教えを世間に示すために専念する時でもあります。また、敬虔な仏教徒たちは、仏陀を礼拝するために寺院に足を運んだ信奉者たちに、軽食や精進料理(ベジタリアン・フード)を提供する腕を競い合います。

ブッダ・プールニマー(ヴェーサーカ)は、日本ではウエサク祭(または花祭り、降誕会など)として親しまれています。京都の鞍馬寺では、5月10日にウエサク祭の行事が行われます。
興味ある人は、足を運んで、仏陀の教えを学び、瞑想する良い機会にするとよいでしょう。

[1]Ves?kha, http://en.wikipedia.org/wiki/Vesak

インド各地の新年

4月14日はメーシャ(牡羊座)・サンクラーンティです。太陽が牡羊座に入るこの時は、インドの多くの地域で新年を迎えます。

ケーララ州ではヴィシュ、タミルナードゥ州ではプッタンドゥ、ベンガル州ではポヘラ・ボイシャクなど、各地が盛大な祝福に包まれます。また、主にパンジャーブ州ではシク教による新年となり、収穫祭としても祝福されるヴァイサーキーの祝福が行われます。広大な地でさまざまな思想や慣習が入り混じるインドでは、古くからそれぞれ独自の暦が用いられています。

2017年の4月14日は満月から4日目となり、ガネーシャ神を礼拝する吉祥なサンカタハラ・チャトゥルティーにも重なります。

皆様もどうぞ祝福に満ちた時をお過ごしください。