ラタ・サプタミー2019

インドでは2月12日に、ラタ・サプタミーの祝日を迎えます。ラタ・サプタミーは、マーガ月(1~2月)の新月から7日目にあたり、スーリヤ神(太陽神)を讃える吉日として祝福されます。

スーリヤ神はこの日、7頭の馬に引かれた自身の乗り物(ラタ)の向きを北方へ変えると信じられています。その乗り物の御者が、アルナと呼ばれる暁の神です。アルナとは「赤い」を意味し、暗闇を切り開く太陽が空を赤く染める輝きの神格として崇められます。

このアルナ神の誕生には、興味深い神話が伝わります。アルナ神は、有名な聖仙の1人であるダクシャの娘、ヴィナターの卵から生まれました。しかし、ヴィナターは偉大な息子の誕生を待ちきれず、その卵を自ら割ってしまいます。割れた卵からは閃光としてアルナ神が飛び出すも、時期が早すぎたために、その光は太陽のように明るくなることはなかったといわれます。

そんなアルナ神は、後にスーリヤ神の乗り物の御者となり、7頭の馬を操りながら、その乗り物を導きます。この7頭の馬は、太陽の光から生まれる7つの色を意味しているといわれます。それは、7色とされる虹の色であり、私たちの身体に点在する7つのチャクラの色でもあります。

この7色の光を象徴する7頭の馬は、アルナ神の手綱にしっかりと収まり、まっすぐに走り続けています。毎朝、太陽が昇り真っ赤に染まる朝の空ほど、生きることの美しさを見る瞬間はありません。時を超えて変わることなくその暁をもたらすアルナ神は、太陽の光が万物を支えていることを確信しているようです。

そんな豊かな自然現象の一瞬一瞬を、太古の人々は神として崇めてきました。そのエネルギーは、個々の内にも生きています。アルナ神の手綱に統率された馬のように、太陽を崇めながら、内なるチャクラの調和に努めたいと感じます。

ラタ・サプタミーは、太陽からの光とその恵みを授かる吉兆な時です。皆様にも太陽の大きなお恵みがありますように、心よりお祈りしております。

(文章:ひるま)

永遠の若さを持つ神

霊的叡智の宝庫であるインドの神話においては、善と悪の戦いが繰り広げられることが多くあります。
それらは、私たちが霊的に成長すべきための教えとして、深い意味を持ち合わせます。
そんな神話の中で、霊的探求の守り神として礼拝されるのが、カールッティケーヤ神です。

カールッティケーヤ神は、シヴァ神とパールヴァティー女神の子どもとして生まれました。
シヴァ神の子ども以外には殺されないという力を持った、タラカースラという凶悪な悪魔を倒すために、世界がシヴァ神の子どもを必要としていた時のことだといわれます。
その時、シヴァ神は最愛のサティーを亡くし、瞑想にふけるばかりでした。

そんなカールッティケーヤ神は、スカンダ、ムルガン、スブラフマニヤなど、数多くの名前を持ちます。
その一つに、「子ども」を意味する「クマーラ」という名前があります。

シヴァ神とパールヴァティー女神の子どもであるカールッティケーヤ神は、常に若々しく、老いを知らない優雅な姿で描かれます。
マハーカーラ(=偉大な時)とも呼ばれ、時を超えた存在であるシヴァ神を父に持つカールッティケーヤ神は、永遠の魂を象徴しているかのようです。

物質という肉体を持って生じた私たちは、始まりがあり、終わりがある時の中で、魂の永遠性を見失う瞬間が多くあります。
巡りゆく時の移ろいに心を乱され、さまざまな苦難を経験することも少なくなりません。

シヴァ神(精神)とパールヴァティー女神(物質)の結合によって生まれたカールッティケーヤ神。
そんなカールッティケーヤ神は、生まれ持った肉体を通じ、さまざまな苦難を経験しながら、永遠の魂に気づくための歩みを続けている私たちを、守り導いてくれるに違いありません。

永遠の若さで描かれるカールッティケーヤ神への礼拝を通じては、時という悪魔を倒す力を与えられ、今という瞬間の中で生きるエネルギーが呼び覚まされるはずです。
そこでは、永遠の魂という、不変の真実を知ることができるに違いありません。

1月21日の満月には、主に南インドにおいて、カールッティケーヤ神を讃えるタイプーサムが盛大に祝福されます。
皆様にもカールッティケーヤ神の大きな祝福がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

ヴァサント・パンチャミー2019

2019年2月10日に、インドはヴァサント・パンチャミーを迎えます(9日となる地域もあります)。

ヴァサントとは、「春」の意味で、このお祭りは、春の到来を祝うお祭りです。光の祭典であるディーワーリーは富の女神ラクシュミーを祀り、ナヴァラトリーはドゥルガー、そしてヴァサント・パンチャミーは、学問と芸術の女神であるサラスワティーを祀るお祭りにあたります。

ヒンドゥー教では、サラスワティー女神は、このヴァサント・パンチャミーの日に生まれたとされ、この日、盛大に祝福されます。
このお祭りでは、黄色が特に重要な意味を持ちます。黄色は、春の作物がたわわに実ることをあらわしています。この日、サラスワティー女神は黄色の衣装を装い祝福されます。またそれを祝う人々も黄色の服を着て、人々にふるまわれるお菓子なども黄色、食べ物もサフランなどで黄色に色づけがされています。

サラスワティー女神は、ブラフマー神と同じように、インドでは寺院の数も少なく、あまり大々的に礼拝されることのない女神です。しかし、この祭日には、インドの学生はペンやノートをサラスワティー女神の像の前に置いて、学業の成就を祈願します。またこの祭日を設立日としている教育機関も少なくありません。
日本ではこの時期、受験シーズンにあたりますが、受験を控えた方々は、この祭日にあわせて弁財天に合格祈願されるのもよいかもしれません。

ここでは、ヴァサント・パンチャミーについて、アーチャーリヤ・サティヤム・シャルマ・シャーストリ氏の解説をご紹介いたします[1]。

 『ヴァサント・パンチャミーは、学問の女神であるサラスワティーに捧げられるお祭りです。マーガ月(1月〜2月)の新月から5日目が、ヴァサント・パンチャミーにあたります。世界中のヒンドゥー教徒は、熱心にこの祭日をお祝いします。この祭日は、サラスワティーの誕生日だと信じられています。
この祭日では、黄色が特別な意味を持つことになります。サラスワティーの女神像は、黄色の衣服で飾り付けられて礼拝されます。また人々も、この日は黄色の衣服を着るようにしています。親類や友人の間では、黄色のお菓子などが贈られます。
中には、この日は僧侶に食事を与える人もいます。また先祖供養(ピトリ・タルパン)を行ったり、愛の神であるカーマ・デーヴァを礼拝する人もいます。
子どもたちにとっては、学習を始めるのに最適な日であることから、アルファベットを学ぶ初日になります。そして、学校、大学などの教育機関は、サラスワティー女神への特別な礼拝を行います。パンディット・マダン・モーハン・マラヴィヤ氏は、バナーラス・ヒンドゥー大学をこの日に創設しました。今では、世界的に有名なトップクラスの教育機関となっています。
ヒンドゥイズムでは、マカラ・サンクラーンティや、ヴァサント・パンチャミーのように、宗教的な祭事を季節に織り込むことを特に重要視しています。人々は、個人の信条や願望に応じて、家庭の主宰神(イーシュタ・デーヴァータ/デーヴィー)を礼拝する傾向があります。また一般に人々は富や権力を求める傾向にあります。カリ・ユガ(現在)の時代では、お金(富、権力、名声)の追求が、ほとんどの人々の主目的になっています。まるでお金が神のように崇められています。
しかし、分別のある人々は、霊的な啓蒙のために、サラスワティー女神を礼拝します。彼らによると、王と学識ある人(霊的に優れた人)との間には何の違いもありません。王は、王国の中では敬意を払われますが、学識ある人は、どこに行っても敬われます。高徳の人、霊的な進歩に邁進する人々は、サラスワティー女神への礼拝を非常に重視します。
サラスワティー、ラクシュミー、ドゥルガーの三女神に割り当てられた乗り物は、彼女たちの特別な力を象徴しています。サラスワティー女神の乗り物である白鳥は、サットヴァ・グナ(清浄と識別の要素)を象徴します。ラクシュミー女神のフクロウ、そしてドゥルガーのライオン(虎)は、それぞれタマス(暗質)とラジャス(激質)を象徴しています。
ヴァサント・パンチャミーは、これに続くお祭りであるホーリーの前兆になっています。季節は次第に変化し、春の到来が感じられてきます。木々は新芽を出し、森や草原では新しい生命が息吹き始めます。自然は、マンゴーの木に花を咲かせ、小麦や作物は、新しい生命に活力を与えます。
ヴァサント・パンチャミーは、季節感、社会的意義と敬虔さに満ちた祭日です。新しい季節の到来を胸に、世界中のすべてのヒンドゥーによって盛大に祝福されます。』

サラスワティー女神の祝福のもと、霊的知識に恵まれ、豊かな時間を過ごすことができますよう、お祈り申し上げます。


参考:
[1]Vasant Panchami, http://www.hinduism.co.za/vasant.htm

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ・ジャヤンティ

1月12日は、スワーミー・ヴィヴェーカナンダの生誕日です。この日は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ・ジャヤンティとして、盛大な祝福が行われます。

ヴィヴェーカナンダは、近代インドの聖者であるシュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの主要な弟子として知られ、霊的指導者として、インドのみならず世界中の人々に影響を与えました。宗教を超えた真理の教え、また社会的実践の中での霊的修行の価値を説き、現代も多くの人々を惹きつけています。

内側から成長しなさい。
誰も、あなたを教え導くことはできず、
誰も、あなたを神聖にすることはできません。
あなたの魂以外に、師はいないのです。
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

“You have to grow from the inside out. None can teach you,
none can make you spiritual.
There is no other teacher but your own soul.”
Swami Vivekananda

ヴィヴェーカーナンダの教えは、世俗を離れることや超越的な体験をすることとは異なり、仕事を求め、行動を起こし、社会的に下層の人々へ奉仕を行うことにありました。その奉仕は、物質的な面に限定されるのではなく、インドの中核とみなされる精神的な探求をより深いレベルで導きます。インドという大国を目覚めさせるために働いたヴィヴェーカーナンダの力は、精神的な強さ、身体的な強さ、民族的な強さ、そして他のために働く強さとして、現代でも生き続けています。

参照:https://en.wikiquote.org/wiki/Swami_Vivekananda

マカラ・サンクラーンティ2019

2019年1月15日はマカラ・サンクラーンティです。マカラ・サンクラーンティは、春の到来を告げる収穫祭であり、インドに限らず、東南アジアの国々でもお祝いされる盛大なお祭りです。

マカラとは「山羊座」、サンクラーンティとは「変遷」のことであり、この日より太陽が山羊座に入ることから、マカラ・サンクラーンティと呼ばれています[1]。

マカラ・サンクラーンティは日本でいう冬至にあたり、昼がもっとも短い日であり、この日から太陽は北方への回帰を始めます(ウッタラーヤナ)。
緯度の違いから、日本では例年12月22日頃がそれにあたります。

インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」では、ウッタラーヤナについて次のように述べられています[2]。
「火、光明、昼、白月、太陽が北に向かう六ヶ月。そこにおいて、逝去したブラフマンを知る人々はブラフマンに達する。(8.24)」

インドでは太古よりウッタラーヤナの期間中に肉体を去ることは、成就に至るために重要であると考えられてきました。
そのためマハーバーラタの英雄として知られるビーシュマは、この吉兆の時に死ぬことを望み、ウッタラーヤナが訪れるまで、矢でできた臥床で死を待ったといわれます。

マカラ・サンクラーンティの吉日では、インド各地において、朝早くから沐浴をし、祈りを捧げ、太陽の恵みに感謝し、豊作を祈願します。
また精神的な恵みを得るためにも重要な吉日であると考えられています。

プラーナ文献では、マカラ・サンクラーンティから1ヶ月間、太陽神スーリヤが息子である土星神シャニの家を訪れると述べています。
山羊座は、インド占星術における土星神シャニが支配する星座です。
父スーリヤとその息子シャニは、いつもはあまり仲が良くありませんが(敵対星座)、父スーリヤが1ヶ月間、息子シャニの家に来ることにより、お互いの関係を確かめ合います。
これは占星術的には、一般の父と息子の関係にとっても重要な意味があるととらえられています。
息子にとっては、父を快く受け入れることで、よりよい家族関係を築くのに重要な時期であるといわれます[3]。

また太陽が北へ向かう6ヶ月の間(冬至から夏至の間)、ここから神々の昼が始まるとして、多くの祭事はこの期間を中心に行われることになります。
太陽が南へ向かう6ヶ月の間(夏至から冬至の間)は、神々の夜にあたる時期と考えられ、ギーターでは、「そこにおいて、逝去したヨーギンは月光に達してから回帰する。(8.25)」と、忌み嫌われている時期であることが窺えます。

しかし、ガンディーが「無執着ヨーガ」の中で、「信愛に従い、ひたすら無執着の行為を行い、真理を見た者は、いつ死のうとも解脱を勝ち得る。」と述べているように[4]、真理とともに生きている人々にとっては、毎日がマカラ・サンクラーンティのような吉日であるといえるのかもしれませんね。

太陽の恵みを感じやすくなるこの時期、皆さまに大きな恵みがありますように。

Reference
[1] Sankranthi, Wikipedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Makar_Sankranti
[2] 上村勝彦訳,バガヴァッド・ギーター,岩波文庫,1992
[3] Makar Sankranti, http://www.rudraksha-ratna.com/news_letter/makarsankranti-mailer-2015.html
[4] 赤松明彦著,『バガヴァッド・ギーター』神に人の苦悩は理解できるのか?,岩波書店,2008

2019年のサンカタハラ・チャトゥルティー

月の満ち欠けのそれぞれ4日目はチャトゥルティーと呼ばれ、ガネーシャ神に捧げられる吉兆な日として崇められます。満月からの4日目はサンカタハラ・チャトゥルティーと呼ばれ、新月からの4日目はヴィナーヤカ・チャトゥルティーと呼ばれます。

サンカタハラの「サンカタ」は「困難」、「ハラ」は「取り除く」を意味します。このサンカタハラ・チャトゥルティーにおいては、ガネーシャ神のマントラを唱えたり、祈りを捧げたり、断食を行うことが勧められます。これらのヴラタ(戒行)によって、困難を抱える人々からは障害が取り除かれ、幸せや豊かさがもたらされると信じられています。

2019年のサンカタハラ・チャトゥルティーをご紹介いたします。特に、ガネーシャ神に捧げられる火曜日にこのチャトゥルティーが重なることはとりわけ吉兆な時とされ、それはアンガーリカー・サンカシュティ(サンカタハラ)・チャトゥルティーと呼ばれます。2019年はアンガーリカー・サンカシュティ(サンカタハラ)・チャトゥルティーは生じません。

1月24日(木)
2月22日(金)
3月24日(日)
4月22日(月)
5月22日(水)
6月20日(木)
7月20日(土)
8月19日(月)
9月18日(水)
10月17日(木)
11月16日(土)
12月15日(日)

参照:Sankashti Chaturthi 2019

ヴィヴァーハ・パンチャミー2018

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2018年12月12日はヴィヴァーハ・パンチャミーの吉日です。ヴィヴァーハ・パンチャミーは、ラーマ神とシーター女神が結婚をした日として崇められ、マールガシールシャ月(11月から12月)の新月から5日目に祝福されます。

古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」の舞台の一つで、シーター女神が生まれた場所であり、また、ラーマ神とシーター女神が結婚した場所ともされるネパールのジャナクプルには、各地から帰依者が集まり、盛大な祝福が行われます。

2つの魂の結合を祝福するこの日、ラーマ神の御名やシーター女神のマントラを唱えたり、また祈りを捧げることで、大きな幸せが授けられると信じられています。

参照:2018 Vivah Panchami

カーラ・バイラヴァ・ジャヤンティ2018

KATHMANDU, NEPAL - CIRCA NOVEMBER 2013: Kaal Bhairav statue at Basantapur Durbar square in Kathmandu circa November 2013 in Kathmandu.

シヴァ神のさまざまな姿の一つに、カーラ・バイラヴァ神という姿があります。カーラ・バイラヴァ神は、カールッティカ月(10月~11月)の満月から8日目(アシュタミー)に降誕したと信じられ、2018年は11月30日(一部地域では29日)に降誕祭が祝福されます。

満月から8日目に降誕したとされるカーラ・バイラヴァ神には、主となる8つの姿があります。それぞれはアシュタ・マートリカー(八母神)を妃として持ち、8つの方向を守ると信じられます。タントラの世界ではとりわけ熱心に礼拝される神格です。

カーラ・バイラヴァ神は、欲望にまみれ驕り高ぶった態度を見せたブラフマー神を罰するために、シヴァ神から生まれたと伝えられます。カーラ・バイラヴァ神の姿となったシヴァ神は、5つあったブラフマー神の頭を切り落とし、長きにわたる苦行を行いました。

「カーラ」は「時」、「バイラヴァ」はシヴァ神の化身した恐ろしい姿を意味します。シヴァ神のもっとも恐れられる姿にも関わらず、カーラ・バイラヴァ神への礼拝は限りのない保護と繁栄を授けると信じられます。それは、私たちの欲望という最も恐ろしい敵を倒すとともに、優れた精神力を授けてくれるからに違いありません。

そんなカーラ・バイラヴァ神は、犬を乗り物として描かれることがあります。インドでは古くから、犬は死の世界に関連があると捉えられてきました。そんな犬を乗り物とすることは、時を征服することの象徴でもあります。

過去や未来に囚われる時、私たちは恐怖や衰退を感じることが少なくありません。欲望は、もっとも大切な今という瞬間を見失わせることもあります。今を粗末にすることは、カーラ・バイラヴァ神に無礼を働くことに変わりなく、今を全力で生きることで、カーラ・バイラヴァ神へのもっとも偉大な礼拝が成し遂げられます。そうして生きることで、恐怖や衰退を見せる欲望という強敵は倒され、限りのない保護と繁栄が授けられるように思います。

(文章:ひるま)

ギーター・ジャヤンティ2018

2018年は、12月18日(日本時間では19日)にギーター・ジャヤンティを迎えます。バガヴァッド・ギーターの生誕日として祝福されるギーター・ジャヤンティは、クリシュナ神によってこの世界にバガヴァッド・ギーターがもたらされた日として祝福されます。毎年、11月~12月に生じる新月から11日目のエーカーダシーがその時です。

バガヴァッド・ギーターは、ヒンドゥー教における最も重要な聖典の一つであり、世界においても価値ある哲学的古典と見なされています。サンスクリットでギーターは「詩」、バガヴァッドは「神」を意味することから、バガヴァッド・ギーターは「神の詩」と訳されます。ウパニシャッドの概説として、ギートーパニシャッドと呼ばれることもあります。聖仙ヴィヤーサによって書かれたとされる叙事詩マハーバーラタの一部にあり、ヒンドゥー教の真髄として受け継がれてきました。偉大な実在について、宗教を超えた霊的教義が記されたバガヴァッド・ギーターは、至高のあらわれであるクリシュナ神によって説かれ、紀元前2世紀頃に成立したと伝えられます。

信仰を持った継続的な学びは、困難と向き合う方法を示し、私たちの魂を浄化すると共に、内なる平安を生み出します。原本はサンスクリットで記されながらも、バガヴァッド・ギーターは世界に広まり、マハートマー・ガーンディー、アルベルト・シュヴァイツァー、ヘルマン・ヘッセ、ラルフ・ワルド・エマーソン、オルダス・ハクスリー、ルドルフ・シュタイナー、ニコラ・テスラといった多くの著名人に読まれ、時を超えたその叡智に人々は感銘を受けてきました。神とは何か、その根本となる確かな知識に加え、究極の真実、生と死、行為と結果、永遠の魂、解脱、人生の目的、存在の意味といった、深い概念が記されています。

バガヴァッド・ギーターは、ヴェーダとウパニシャッドの精髄です。思想や宗教を超え、あらゆる人々が読むことのできる聖典であり、そこには、ヨーガ、バクティ、ヴェーダーンタ、カルマに関する崇高な知識と、実践的な教えが含まれています。 バガヴァッド・ギーターは、多くの偉大な思想家たちに影響を与えてきました。理解することが非常に困難であるとされた、一元論と二元論の概念を並立しながら、その合一を主張しています。一元論と二元論は、それぞれ異なる起源と目的を持つ古代インドのシャド・ダルシャナ(六派哲学)に属しますが、それらすべては、解脱を得るための実践的な教えとして認められ取り入れられてきました。
シャド・ダルシャナ(六派哲学)は、ニヤーヤとヴァイシェーシカ、ヨーガとサーンキヤ、ヴェーダーンタとミーマーンサーが、それぞれ対となり互いに補い合う関係です。バガヴァッド・ギーターには、異なるサーンキヤの概念と、ヴェーダーンタの概念の調和が見られます。

ギーターに触れ、その教えを吸収し、実践することで、現代においても、世俗の浮き沈みに惑わされることのない、確固たる人生観を築くことができるでしょう。

(SitaRama)

ヴァイクンタ・チャトゥルダシー2018

カールッティカ月(10月~11月)の月が満ちる14日目、インドではヴァイクンタ・チャトゥルダシーという吉日が祝福されます。2018年は11月21日となるこの日は、ヴィシュヌ神とシヴァ神に捧げられる日として、インドの各地で礼拝が執り行われます。

ヴァイクンタ・チャトゥルダシーは、シヴァ神が神聖な武器であるスダルシャナ・チャクラを、ヴィシュヌ神に授けた日と伝えられます。ヴィシュヌ神がシヴァ神を礼拝するために、1000の蓮の花を捧げていた時のことでした。1000個目の蓮の花がないことに気づいたヴィシュヌ神は、足りない蓮の花の代わりに、蓮のようだと称される自らの片目を捧げ、シヴァ神がその献身さに心を動かされたからだと伝えられます。

スダルシャナ・チャクラは、太陽の炎から生まれた、あらゆる悪を滅ぼす強力な円盤型の武器といわれます。その輪は、まるで輪廻の世界をあらわしているように見えます。このスダルシャナ・チャクラには、ある有名な神話があります。

父親のダクシャから結婚を反対され、焼身をはかったサティーを思い悲しみにくれていたシヴァ神は、サティーの身体を抱え破壊の踊りを踊りました。ヴィシュヌ神は、その破壊の踊りを止めようと、スダルシャナ・チャクラでサティーの身体をバラバラにします。シヴァ神は、サティーの身体がバラバラになった後、正気を取り戻したと伝えられます。

肉体や物質に対する執着や欲望は、誰しもが抱くものです。その執着や欲望という暗闇の中で、私たちは大きな苦難を経験し、輪廻を繰り返さなければなりません。スダルシャナ・チャクラは、私たちのそんな執着や欲望を断ち切り、輪廻からの解放をもたらす強力な武器となるものです。

常日頃、太陽の炎でできたこのスダルシャナ・チャクラを思うことで、私たちはその光を知ることができます。その過程であらゆる悪は滅ぼされ、魂の平安を得ることができるに違いありません。このヴァイクンタ・チャトゥルダシーが、皆様にとっても意味のある日となりますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)