サンスクリット語豆知識 世界に広がったサンスクリット語とインド文化

Ulun Danu temple Beratan Lake in Bali Indonesia, Temple of the l

個人的な話から始まって恐縮ですが、
筆者は先日旅行でバリ島へ行ってきました。
 
霊峰アグン山を抱き海に囲まれた島は
水が豊富で苔むす深く濃い緑に包まれた空気感と瑞々しさ、
賑やかな観光地を少し離れれば
素朴な景色や静けさと祈りに満ちていました。
スピリチュアルな体験もできるスポットとして
近年人気を得ています。
 
インドネシアはイスラム教徒が90%近くを占める国ですが
バリ島だけはヒンドゥー教が信仰されていて、
土着の宗教観と混交した信仰は
インドのヒンドゥー教と区別して
バリ=ヒンドゥーと呼ばれます。
ヒンドゥーの神々を祀った寺院、
精霊を祀った祠などがそこかしこにありました。
 
一般的にヒンドゥー教は「民族宗教」と言われますが、
現代ではヨーガやインド思想を通して
ヒンドゥー教に惹かれる人は増えていますし、
歴史的にも東南アジアの各地へ伝播して、
それぞれの地域の文化や宗教に大きな影響を与えたことを考えると
準世界宗教といえます。
 
東南アジアへの文化や宗教の伝達を
担っていたのがサンスクリット語で、
そのため、東南アジア各国の単語には
サンスクリット語に由来するものが多数あります。
 
挙げきれないほどの例のなかから
日本でも馴染みのあるところでは、
タレントとして有名なデヴィ夫人。
彼女の名前をサンスクリット語風に言えば
デーヴィー(देवी devī)
つまり「女神」という意味です。
 
その夫、故スカルノ大統領の名前も、
マハーバーラタの登場人物
カルナ(कर्ण karṇa)に由来しますし、
 
バリ島の名そのものも
供物を意味するバリ(बलि bali)に由来します。
 
地名や国名では

シンガポール → シンハ・プラ(獅子の町)सिंह-पुर siṁha-pura
スリランカ → シュリー・ランカー(聖なるランカー島)श्री-लङ्का śrī-laṅkā
アンコール → ナガラ(都)नगर nagara
ジャカルタ → ジャヤ・カルタ(勝利の行為) जयकर्ता jayakarta
アユタヤ → アヨーディヤ(ラーマ神の生誕地) अयोध्य ayodhya
ブルネイ → ヴァルナ(水の神) वरुण varuṇa、
       またはブーミ(大地) भूमि bhūmiという説も
カリマンタン → カーラ・マンタナ(燃えさかる季節・気候) कालमन्थन kāla-manthana
ビルマ → ブラフマー ब्रह्मा brahmā
モルディブ → マーラー・ドゥヴィーパ(島々の首飾り) मालाद्वीप mālādvīpa

など、サンスクリット語に由来するといわれています。

(他の語源説があるものもあります)
 
最近では、ヨーガやインド思想を通して
サンスクリット語が広く使われていますが
もっと一般的な例をあげれば、
ゲームやSNSで自分自身を表わすキャラクターのことを
「アバター」といいますよね。
これもサンスクリット語のアヴァターラ
「化身」(अवतार avatāra)からきている言葉です。
 
日本で昔から使われてきた言葉にも
 
旦那 दान-पति dāna-pati ダーナパティ(布施主、仏教語の「檀那波底」「檀那」)
瓦 कपाल kapāla カパーラ(小皿、頭蓋骨、かわらけ)
シャリ(お寿司の) शालि śāli シャーリ(米)
奈落 नरक naraka ナラカ(地獄)
刹那 क्षण kṣaṇa クシャナ(一瞬)
「カルピス」は、カルシウムのカル + サルピス सर्पिस् sarpis(乳製品の一種、醍醐)
から名付けられました。
 
世界に広まったサンスクリット語から
身近にあるサンスクリット語までの一例でした。
 
(文章:pRthivii)

サンスクリット語豆知識 言霊と呪い

Hindu priest performs the Ganga Aarti ritual

「音声としての言葉」には神秘的な力、呪力が宿っている、
と考える文化は古今東西たくさんあります。

インドでは、リグヴェーダの時代から
「言葉」を意味する単語「ヴァーチュवाच् vāc」は
「言葉をつかさどる女神」そのものでありました。
その後、サラスヴァティー(सरस्वती sarasvatī)がヴァーチュと同一視され、
今日に到るまでサラスヴァティーは言葉をつかさどる女神として人気があります。

日本ではそうした言葉の呪力を「言霊」といいました。
たとえば「忌み言葉」も、忌まわしい言葉(またそれを連想する言葉)が
現実になってしまうことを恐れて、発することを避けるものです。
また、平安時代の貴族女性は、本当の名前を他人に
知られないようにしていたことがよく知られています。
「紫式部」「清少納言」などは父親の冠位や部署にちなんだ「あだな」ですし、
鎌倉時代「蜻蛉(かげろう)日記」を残した貴族女性は
「藤原道綱の母」としか名前が伝わっていません。

名前は本人そのものの象徴であり、
相手の名前を知ることで、相手を支配したり
呪いを掛けたりすることができる、と信じられていたからです。

それはインドでも同様でした。
そうした名前にかかわる呪力をモチーフとする説話が
『マハーバーラタ』第13巻93章に挿入されている「七仙人の名乗り」です。

鬼女に名前を問われた仙人たちは、
名前を知られれば鬼女に殺されてしまう、
偽りの名を名乗れば自分自身が破滅する、というジレンマに悩みます。
そこで仙人たちは、本名を述べながらも、知能の劣った鬼女に
名前を悟られない巧妙な言葉遣いで名乗ることで
危機を脱しました。

この物語の背景には、「名前が持つ呪力」と同時に、
「真実がもたらす呪力」の存在があります。

サティヤ(सत्य satya)は「真実」を意味し、

真実だけを語ったり行なったりすること、誓ったことを守り通すこと、「誓戒」を

サティヤヴラタ(सत्यव्रत satyavrata)

真実の言葉、「真実語」を

サティヤヴァチャナ(सत्यवचन satyavacana)

といいます。

どんな儀式を行なうよりも真実を語ることの方が善果をもたらします。
また、サティヤヴラタは聖人たる証でもあり、
さらには聖仙に具わる神通力の根拠でもあって、
真実の誓いを破ってしまえば、たちまちに
神通力もなくなってしまう恐れがあります。

しばしば、インドの神話や説話では、
願望を叶えるために、神に対して苦行の誓いを立てた登場人物が
誓いを有言実行することによって神の恩寵を得る、
というモチーフが数多くあります。
これとは逆に、登場人物が不注意で聖仙や仙人を怒らせ
呪いの言葉をかけられ、言われた通りの悪い出来事がおきる、
というモチーフも同じくらい多数あります。

一度発せられた「呪いの言葉」は言った本人(聖仙)であっても
決して取り消すことができず、代わりに、
「こうこうこういうことが起きたとき呪いが解ける」という
未来を予言することしかできません。

「嘘をつかない」といった道徳的なレベルを超えて、
インドではそれほどに言葉の持つ真実性、言葉の呪力、
真実の呪力が信じられてきました。

古代に限らず、現代は個人情報保護や防犯意識の高まりもあって
簡単に名前を知られないように注意する人が増えていますが、
全く知らない相手から本名をフルネームで呼びかけられたときに
一瞬で心に隙ができてしまう状況も、
一種の「名前の呪い」といえるでしょう。

参考:

中村 史「『マハーバーラタ』第13巻第93章の説話の考察 : 七仙人の名乗り」
印度學佛教學研究 62(1), p.273-268, 2013

(文章:prthivii)

サンスクリット語豆知識 ガーヤトリー女神が登場する短編物語

Gayatri

サンスクリット文学、というジャンルがあるのをご存知でしょうか。
古代インドの共通語だったサンスクリット語で書かれた文学のこと。
もっとも有名なのは、二大叙事詩
『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』ですが、
その他にもたくさんの演劇の脚本や詩や説話文学があります。
古のインドの社会や文化や風習などが描かれているので
読むとその当時の空気まで伝わってくるような気がします。

 

「バガヴァッドギーター」が『マハーバーラタ』の途中で
サンジャヤによって盲目の王ドゥリタラーシュトラに
語られていることはご存知の方も多いでしょうが、
インドの叙事詩や説話文学は
このような本筋の物語(枠物語)の途中途中で
登場人物が場面や状況に応じた様々な短編を物語る、
入れ子のような構造になっています。

 

今回、『カターサリットサーガラ』(物語の川が注ぐ大海)
という11世紀くらいの説話集のなかから
女神ガーヤトリーが登場する
「アンギラスとサーヴィトリー」という挿話を紹介します。

今日「ガーヤトリーマントラ」として知られるマントラは
もともと「サヴィトリ神への讃歌」という意味の
「サーヴィトリー」とも呼ばれており、
それがこの物語の鍵になっています。

『アンギラスとサーヴィトリー』

昔、アンギラスという名の聖者がアシュタヴァクラの娘に求婚しました。娘の名はサーヴィトリー。けれどアシュタヴァクラは娘をアンギラスに嫁がせませんでした。アンギラスは申し分ない人でしたが、サーヴィトリーにはすでに婚約者がいたのです。その後、アンギラスはアシュルターという名の姪に求婚しました。結婚した彼は妻とともに幸せに暮らしていました。
さて、妻は夫がかつてサーヴィトリーに求婚したことを知っていました。あるとき聖者アンギラスが声を出さずにぶつぶつ唱えながら長いこと座っていたので、夫を愛する妻アシュルターはふと彼に尋ねました。
「あなた、何をそんな風に長い時間考えているの?話してください。」と。
アシュルターは夫から「愛しい人よ、私はサーヴィトリーを念想しているのだよ。」と言われたとき、それが聖者の娘サーヴィトリーのことだと考えて、ひとりで腹をたてたのでした。
そのことを惨めに思った妻は自殺するために森に行き、夫の幸せを願いながら首に縄を巻きました。
そのとき、ガーヤトリー(=サーヴィトリー)がルドラークシャの数珠と木椀(カマンダル)を持った姿で現れ、「娘よ!早まってはなりません。あなたの夫アンギラスが念じていたのは、彼女ではないのです。念じていたのは私、サーヴィトリーです」と言うや、縄から彼女を解きました。そして敬虔な信者に心を寄せる女神はアシュルターを元気付け消えてしまいました。その後、探しにきたアンギラスとともに妻は森から帰っていきました。
(終)

『カターサリットサーガラ』の枠物語自体は
ウダヤナ王とその息子ナラヴァーハナダッタ王子の行状記です。
上の挿話は、側近がナラヴァーハナダッタ王子に
恋人を探しに行かせるために聞かせた物語でした。

今回私が訳出した挿話は入っていませんが、
『カターサリットサーガラ』の抄訳が岩波文庫から出ています。
(岩本裕訳『カターサリットサーガラ』全4巻、岩波文庫,1954~1961)

<原文>

कथासरित्सागर १०५.२२-३१
kathāsaritsāgara 105.22-31

मुनिः पुराङ्गिरा नाम विवाहार्थमयाचत।
अष्टावक्रस्य तनयां सावित्रीं नाम कन्यकाम्॥२२
muniḥ purāṅgirā nāma vivāhārthamayācata|
aṣṭāvakrasya tanayāṁ sāvitrīṁ nāma kanyakām||22

अष्टावक्रो न ताम् तस्मै ददावङ्गिरसे सुताम्।
सगुणायापि सावित्रीमन्यस्मै पूर्वकल्पिताम्॥२३
aṣṭāvakro na tām tasmai dadāvaṅgirase sutām|
saguṇāyāpi sāvitrīmanyasmai pūrvakalpitām||23

ततस्तद्भ्रातृतनयामश्रुतां नाम सोऽङ्गिराः।
उपयेमे तया साकं स तस्थौ भार्यया सुखम्॥२४
tatastadbhrātṛtanayāmaśrutāṁ nāma so'ṅgirāḥ|
upayeme tayā sākaṁ sa tasthau bhāryayā sukham||24

सा च भार्यस्य वेत्ति स्म सावित्रीं पूर्ववाञ्चिताम्।
एकदा सोऽङ्गिरा मौनी जपन्नासीच्चिरं मुनिः॥२५
sā ca bhāryasya vetti sma sāvitrīṁ pūrvavāñcitām|
ekadā so'ṅgirā maunī japannāsīcciraṁ muniḥ||25

भार्याथ सा तम् पप्त्रच्च मुहुः सप्रणयाश्रुता।
चिरं किमार्यपुत्रैवं चिन्तयस्युच्यतामिति॥२६
bhāryātha sā tam paptracca muhuḥ sapraṇayāśrutā|
ciraṁ kimāryaputraivaṁ cintayasyucyatāmiti||26

प्रिये ध्यायामि सावित्रीमित्युक्ते तेन साश्रुता।
सावित्रीं तां मुनिसुतां मत्वात्मनि चुकोप ह॥२७
priye dhyāyāmi sāvitrīmityukte tena sāśrutā|
sāvitrīṁ tāṁ munisutāṁ matvātmani cukopa ha||27

दुर्भगोऽयमिति त्यक्तुं देहं गत्वा वनं च सा।
शुभं भर्तुरनुध्याय कण्ठे पाशं समर्पयत्॥२८
durbhago'yamiti tyaktuṁ dehaṁ gatvā vanaṁ ca sā|
śubhaṁ bharturanudhyāya kaṇṭhe pāśaṁ samarpayat||28

मा पुत्रि साहसम् कार्षीः पत्या ध्याता न तेऽङ्गना।
ध्याताऽहं तेन सावित्रीत्युक्त्वा पाशाद्ररक्ष ताम्॥२९
mā putri sāhasam kārṣīḥ patyā dhyātā na te'ṅganā|
dhyātā'haṁ tena sāvitrītyuktvā pāśādrarakṣa tām||29

प्रकटीभूय गायत्री साक्षसूत्रकमण्डलुः।
भक्तानुकम्पिनी चैतां समाश्वास्य तिरोदधे॥३०
prakaṭībhūya gāyatrī sākṣasūtrakamaṇḍaluḥ|
bhaktānukampinī caitāṁ samāśvāsya tirodadhe||30

अथैषाङ्गिरसा भर्त्रा सम्राप्तान्विष्यता वनात्।
तदेवं दुःसहं स्त्रीणामिह प्रणयखण्डनम्॥३१
athaiṣāṅgirasā bhartrā samrāptānviṣyatā vanāt|
tadevaṁ duḥsahaṁ strīṇāmiha praṇayakhaṇḍanam||31

(文章:prthivii)

サンスクリット語 現在形10類動詞 (mantraという単語からできた動詞)

サンスクリット語は、動詞に関する分析が非常に細かく
優れていることでも知られています。

動詞は語幹の作られ方に応じて10種類に分類されます。

以前の記事を参照(現在形 1類動詞パラスマイパダ)

今回は10類動詞です。

「mantra マントラ」という名詞を元に出来た
√mantr- という動詞があります。

この場合の「mantra」は「聖句」の意味だけでなく
「相談」「助言」「協議」の意味があって、
動詞の√mantr- は「相談する」「助言する」「協議する」の意味や、
「聖句を唱える」の意味にもなります。

このような名詞由来動詞の多くは10類動詞として活用されます。

「10類」の特徴は、

  • 語根の最後に-aya-を付ける。
  • 例:√rac- (形成する) → racayati (彼は形作る)
    √mantr- (相談する) → mantrayati (彼は相談する)

  • 語根の母音が短母音で、かつ後ろの子音が1つのとき、母音はguṇa(グナ)になる。
  • 例:√cur- (盗む) → corayati (彼は盗む)
    √taḍ- (打つ) → tāḍayati (彼は打つ)

  • 短母音の後ろの子音が2つあるときは、母音は変化しない。
  • 例:√cint- (考える) → cintayati (彼は考える)

  • 長母音のときは、母音は変化しない。
  • 例:√pīḍ- (傷つける) → pīḍayati (彼は傷つける)

このように、10類動詞の語幹は語根と語尾の間に-aya-が入っていることに特徴があります。

活用の例 √pīḍ- 現在形能動態(パラスマイパダ)
単数 両数 複数
1人称 pīḍayāmi*
(私は傷つける)
pīḍayāvaḥ*
(私たち二人は傷つける)
pīḍayāmaḥ*
(私たちは傷つける)
2人称 pīḍayasi
(あなたは傷つける)
pīḍayathaḥ
(あなたたち二人は傷つける)
pīḍayatha
(あなたたちは傷つける)
3人称 pīḍayati
(彼は傷つける)
pīḍayataḥ
(彼ら二人は傷つける)
īḍayanti
(彼ら(それら)は傷つける)

*語幹の最後の母音-a-は、m、vの前で長母音になります。

<例文>

バガヴァッド・ギーターを挿話として含む
インドの大叙事詩『マハーバーラタ』のなかから
10類動詞 √mantr- (相談する)という単語が出てくる例文を紹介します。

अतिद्यूतं कृतमिदं धार्तराष्ट्रा य अस्यां स्त्रियं विवदध्वं सभायाम्।
योगक्षेमो दृश्यते वो महाभयः पापान्मन्त्रान्कुरवो मन्त्रयन्ति॥ 2.63.17
atidyūtaṁ kṛtamidaṁ dhārtarāṣṭrā ya asyāṁ striyaṁ vivadadhvaṁ sabhāyām|
yogakṣemo dṛśyate vo mahābhayaḥ pāpān mantrān kuravo mantrayanti||2.63.17

「ドゥリタラーシュトラの息子たちが
この集会場で女を巡って言い争おうとは、
度の過ぎた賭け事が行われたものだ。
お前たちの安泰は大いに危険に見える。
クル族は罪深き共謀を行なっている。」

これは、アルジュナの兄であるユディシュティラが
敵対する従兄の策略によって賭けにのめりこみ、
妻ドラウパディーを賭けて負けた場面です。
親族を二分する激しい戦争が起こる伏線でもあります。

ちなみに、mantra-という言葉に
「~を有する」の意味の接尾辞-inを
付け加えたmantrin(マントリン)という単語は、
普通は王の顧問や大臣を意味します。

<例文に出てくる単語>
ati 過度な(副詞)
dyūtaṁ(dyūta-) 争い(中性形、主格、単数)
kṛtaṁ(kṛta-) 起こった(√kṛ- 過去分詞、中性形、主格、単数)
idaṁ この(代名詞、中性形、主格、単数)=dyūtaṁ

dhārtarāṣṭrāḥ(dhārtarāṣṭra-) ドゥリタラーシュトラの息子たち(男性名詞、主格、複数)
ya(=ye) 彼ら(関係代名詞yat-、男性形、主格、複数)=dhārtarāṣṭrāḥ
asyāṁ(idam) その(代名詞、女性形、処格、単数)=striyaṁ
striyaṁ(strī-) 女(女性名詞、処格、単数)
vivadadhvaṁ(vi√vad-) 論争する(現在、命令法、能動態、2人称、複数)
sabhāyām(sabhā-) 集会、ホール(女性名詞、処格、単数)

yogakṣemo(yogakṣema-) 安泰(男性名詞、主格、単数)
dṛśyate(√dṛś-) 見える(現在、受動態、3人称、単数)
vo(=vaḥ) あなたたちの(2人称代名詞、属格、複数)
mahābhayaḥ(mahābhaya-) 大きな危機(男性名詞、主格、単数)

pāpān(pāpa-) 罪な(形容詞、男性形、対格、複数)
mantrān(mantra-) 協議、密議(男性名詞、対格、複数)
kuravo(kuru-) クル族(男性名詞、主格、複数)
mantrayanti(√mantr-) 相談する(現在、能動態、3人称、複数)

(文章:prthivii)

サンスクリット語 現在形6類動詞

サンスクリット語では、動詞は語幹の作られ方に応じて10種類に分類されます。

以前の記事(現在形 1類動詞パラスマイパダ)

今回は6類動詞です。
バガヴァッド・ギーター8章11節から
例文を紹介します。ここは、アルジュナから
「ブラフマンとは何か?アートマンとは何か?」と問われた
クリシュナが説明を始める場面です。
この文章には関係代名詞yatが含まれているので
構文的には中級以上になりますが、
比較的読みやすい文体です。

यदक्षरं वेदविदो वदन्ति
विशन्ति यद्यतयो वीतरागाः ।
यदिच्छन्तो ब्रह्मचर्यं चरन्ति
तत्ते पदं संग्रहेण प्रवक्ष्ये ॥८- ११॥
yad-akṣaram-vedavidaḥ-vadanti viśanti yad-yatayaḥ-vītarāgāḥ |
yad-icchantaḥ-brahmacaryam-caranti tat-te padam-saṁgraheṇa pravakṣye ||8.11||
(-の部分は連声無しで表記)
「ヴェーダを知る者たちは、
それ(ブラフマン)を不滅のものであると言い、
欲望を捨てた修行者たちは、それに入り、
それを望む人々は禁欲行を行う。
あなたにその境地を簡潔に語ろう。」

上記の文章の中に出てくる、
विशन्ति  viśanti が6類の動詞です。
動詞語根は √viś- (入る)。

√viś-が属する「6類」の特徴は、

1.語根の母音がguṇa(グナ)にもvṛddhi(ヴリッディ)にも変化しない。
2.最後に-a-を添えた形が語幹になる。

語根√viś- の最後に-aを付けた viśa- が語幹です。

そして、またまた繰り返しになりますが、
動詞は「語幹(語根から変化したもの)+語尾」のセットで単語として意味をなします。

語尾は、主語が何なのかを明示する役割があって、
次の表と見比べてみると、viśanti の語尾と同じ形なのは
3人称の複数形 –nti ですね。

現在形能動態(パラスマイパダ)の語尾
単数 両数 複数
1人称 -mi*
(私は~)
-vaḥ*
(私たち二人は~)
-maḥ*
(私たちは~)
2人称 -si
(あなたは~)
-thaḥ
(あなたたち二人は~)
-tha
(あなたたちは~)
3人称 -ti
(彼(それ)は~)
-taḥ
(彼ら二人(それら二つ)は~)
-nti
(彼ら(それら)は~)

*語幹の最後の母音-a-は、m、vの前で長母音になります。

√viśの活用を全てあげたのが次の表です。

√viś(入る)の現在形パラスマイパダ
単数 両数 複数
1人称 viśāmi
(私は入る)
viśāvaḥ
(私達二人は入る)
viśāmaḥ
(私達は入る)
2人称 viśasi
(あなたは入る)
viśathaḥ
(あなた達二人は入る)
viśatha
(あなたは入る)
3人称 viśati
(彼は入る)
viśataḥ
(彼ら二人は入る)
viśanti
(彼らは入る)

その他の6類動詞の例

√tud-(打つ) tudati(パラスマイパダ3人称単数)

語根の最後が母音の場合、
語幹母音-a との間に半母音が入ります。
√ri-(流れる) riyati(パラスマイパダ3人称単数)
√nu-(讃える) nuvati(パラスマイパダ3人称単数)

例外的な語幹は、

(1)鼻音を挿入するもの
√kṛt-(切る) → kṛintati
√lip(塗る) → limpati
√śic(注ぐ) → śiñcati

(2)cchaに変わるもの
√iṣ-(望む) → icchati

(3)半母音の母音化(サンプラサーラナ)
√prach(問う) → pṛcchati
√vyac(囲む) → vicati

例文:バガヴァッド・ギーター8章11節

यदक्षरं वेदविदो वदन्ति
विशन्ति यद्यतयो वीतरागाः ।
यदिच्छन्तो ब्रह्मचर्यं चरन्ति
तत्ते पदं संग्रहेण प्रवक्ष्ये ॥८- ११॥
yad-akṣaram-vedavidaḥ-vadanti viśanti yad-yatayaḥ-vītarāgāḥ |
yad-icchantaḥ-brahmacaryam-caranti tat-te padam-saṁgraheṇa pravakṣye ||8.11||
(-の部分は連声無しで表記)
「ヴェーダを知る者たちは、
それ(ブラフマン)を不滅のものであると言い、
欲望を捨てた修行者たちは、それに入り、
それを望む人々は禁欲行を行う。
あなたにその境地を簡潔に語ろう。」

出てくる単語
yad- それ(関係代名詞、中性、単数、対格)
akṣara- 不滅の(形容詞、中性、単数、対格)
vedavid- ヴェーダを知る者、ヴェーダ学者(男性名詞、複数、主格)
√vad-(vadanti) 語る(現在形能動態3人称複数)
√viś- (viśanti) 入る(現在形能動態3人称複数)
yati- 修行者、隠遁者(男性名詞、複数、主格)
vītarāga- 欲望(rāga)を離れた(vīta)者(複合語、男性形、複数、主格)
√iṣ-(icchantaḥ) 望む(現在形能動態3人称複数)
brahmacarya- ヴェーダ学習、ヴェーダ学習に入る学生期、禁欲の行(中性名詞、単数、対格)
√car-(caranti)行く、行う(現在形能動態3人称複数)
tat- それ(代名詞、中性、単数、対格)
te 汝、あなた(二人称代名詞、単数、為格)
pada- 境地、地位、足跡(中性名詞、単数、対格)
saṁgraha- 集約、まとめ(男性名詞、単数、具格)<具格で副詞的な意味:手短に、簡潔に
pra√vac-(pravakṣye) 語る(未来形能動態1人称単数)

(文章:prthivii)

サンスクリット語 現在形4類動詞&否定辞na

Om symbol on the beach

今回は、バガヴァッド・ギーター1.31を題材に、
現在形の例を紹介します。

निमित्तानि च पश्यामि विपरीतानि केशव ।
 न च श्रेयोऽनुपश्यामि हत्वा स्वजनमाहवे ॥१-३१॥
 nimittāni ca paśyāmi viparītāni keśava
 na ca śreyas-anupaśyāmi hatvā svajanam āhave ||(-の部分は連声無しで表記)
 「そしてクリシュナよ、私は不吉な前兆を見ます。
 戦で親族を殺しても、私は幸福を見出しません。」

繰り返しになりますが、
動詞は「語幹+語尾」のセットで単語として意味をなします。

語尾は、主語が何なのかを明示する役割があります。

現在形パラスマイパダの語尾は、次のようなものです。

単数 両数 複数
1人称 -mi*(私は~) -vaḥ*(私たち二人は~) -maḥ*(私たちは~)
2人称 -si(あなたは~) -thaḥ(あなたたち二人は~) -tha(あなたたちは~)
3人称 -ti(彼(それ)は~) -taḥ(彼ら二人(それら二つ)は~) -nti(彼ら(それら)は~)

 
*語幹の最後の母音-a-は、m、vの前で長母音になります。

また、動詞は語幹の作られ方によって10種類に分類され、
前回は「1類」の動詞を説明しました。
(詳しくは前回の記事(現在形 1類動詞パラスマイパダ)をご覧ください。)

次に「4類」の動詞の場合は

1.語根の母音は変化しない。
2.語根の後に-y-をつける。
3.最後に-a-を添えた形が語幹になる。

例をあげると、
語根が√paś(見る)という動詞の場合は、
語幹は paśya- になります。

√paś(見る)の現在形パラスマイパダ
単数 両数 複数
1人称 paśyāmi(私は見る) paśyāvaḥ(私達二人は見る) paśyāmaḥ(私達は見る)
2人称 paśyasi(あなたは見る) paśyathaḥ(あなた達二人は見る) paśyatha(あなたは見る)
3人称 paśyati(彼は見る) paśyataḥ(彼ら二人は見る) paśyanti(彼らは見る)

 
4類動詞のなかには、不規則な変化をするものもあります。

(1)短母音が長母音になるもの、
√kram(歩く) → krāmya-
√div(遊ぶ) → dīvya-
√śam(静まる) → śāmya-

(2)鼻音を失うもの
√rañj(染まる) → rajya-
√bhraṁś(落ちる) → bhraśya-

(3)その他
√vyadh(刺し通す) → vidhya-
√śo(鋭くする) → śya-

例文:バガヴァッド・ギーター1.31から。

निमित्तानि च पश्यामि विपरीतानि केशव ।
 न च श्रेयोऽनुपश्यामि हत्वा स्वजनमाहवे ॥१-३१॥
 nimittāni ca paśyāmi viparītāni keśava
 na ca śreyas-anupaśyāmi hatvā svajanam āhave ||(-の部分は連声無しで表記)
「そしてクリシュナよ、私は不吉な前兆を見ます。
 戦で親族を殺しても、私は幸福を見出しません。」

この文章のなかには、現在形で表わされている動詞が二つあります。

ひとつめが paśyāmi です。
ちょうど4類動詞で紹介した √paś(見る)ですね。
語尾に注目しながら、上の表と見比べてみると、
-mi というのは、1人称単数の語尾であることがわかります。

つまり「私は見る」という意味になります。

もうひとつの anupaśyāmi は、
anu + √paś →(見出す、思い巡らす)という動詞。
こちらも語尾が1人称単数なので
「私は見出す」という意味ですが、
同じ行の冒頭に na という否定辞がついていますので、
「私は見出さない」という否定文になります。

その他の単語

nimitta- 前兆(中性・複数・対格)
ca そして(接続詞、格変化しない)
viparīta- 不吉な(中性・複数・対格)
keśava- 美髪の者=クリシュナ(男性・単数・呼格)
śreyas- 幸福(中性・単数・対格)
hatvā √han(殺す)の絶対分詞「殺して」
svajana- 親族(男性・単数・対格)
āhava- 戦争(男性・単数・処格)

(文章:prthivii)

アタルヴァヴェーダの天変地異を鎮めるマントラ

Space sunrise

自然は人間に豊かな恵みを与えてくれるだけでなく、
ときに恐ろしい姿を人間に見せつけます。
初期のヴェーダ聖典、リグヴェーダには、
そうした様々な自然現象とともに神を感じ、
純粋に神を畏怖し、崇め奉る聖なる詩があります。
一方、リグヴェーダよりも新しいアタルヴァヴェーダでは、
より人間的な心情に近い詩、現世利益を願ったり
敵の調伏を願う詩が残されています。

アタルヴァヴェーダには 1章すべて
天変地異に対する鎮静(シャーンティ)の祈りが
こめられているマントラがあります。
九州地方で地震による災害が続いている今、
ヴェーダの詩人達が捧げた祈りを
共有したいと思い、ここに和訳しました。

<アタルヴァヴェーダ 19巻9章>

天は平安であれ、大地は平安であれ、この広い中空は平安であれ。
波打つ海は平安であれ、水は平安であれ、我らのために薬草は平安であれ。(1)

前兆は平安であれ、なされたこともなされなかったことも我らのために平安であれ。
現在も未来も平安であれ、我らのために全てが平安があれ。(2)

彼女は至高なる言葉の女神、祈祷により磨かれた女神。
呪言をかける女神によりて、どうか我らに平安があれ。(3)

あるいは、それは至高なる心、祈祷により磨がれた心。
呪言をかける心によりて、どうか我らに平安があれ。(4)

それらは五つの感覚、第六には意識を備え、我が心にある、祈祷によって磨かれたもの。
呪言をかける五感によりて、どうか我らに平安があれ。(5)

我らに対してミトラは温和であれ、ヴァルナは温和であれ、ヴィシュヌは温和であれ、プラジャーパティは温和であれ。
我らに対してインドラは温和であれ、ブリハスパティは温和であれ、アリヤマンは温和であれ。(6)

ミトラは温和であれ、ヴァルナは温和であれ、ヴィヴァスヴァットは温和であれ、死の神(アンタカ)は温和であれ。
大地と中空の凶兆や天を進む惑星は我らに温和であれ。(7)

揺れている大地は我らに温和であれ、流星は温和であれ。
赤い乳を出す牝牛は温和であれ、沈む大地は温和であれ。(8)

流星に刺されたナクシャトラ(星宿)は我らに温和であれ、呪詛は我らに温和であれ、魔法は温和であれ。
大地に埋まった手綱は我らに温和であれ、流星は温和であれ、土地の災難は我らに温和であれ。(9)

ラーフによって蝕された満月は平安であれ、またラーフによって蝕された太陽も平安であれ我らに。
死は平安であれ、隕石は平安であれ、威力あるルドラたちは平安であれ。(10)

ルドラたちは平安であれ、ヴァスたちは平安であれ、アーディトヤたちは平安であれ、アグニたちは平安であれ。
偉大な聖仙たちは平安を、神々は平安を、ブリハスパティは平安を我らに。(11)

ブラフマン、プラジャーパティ、ダートリ、世界、ヴェーダ、七仙人、アグニたち、
彼らにより恩寵がなされた。インドラは我に庇護を与えよ、ブラフマーは我に庇護を与えよ。
一切の神々は我に庇護を与えよ。全ての神々は我に庇護を与えよ。(12)

世界で七仙人たちが知っているどんな平安も、
その全てが平穏であれ。我らのために。我らのために平安あれ。我らに安泰あれ。(13)

大地が平安であれ、中空が平安であれ、天が平安であれ、水が平安であれ、薬草が平安であれ、木々が平安であれ、一切の神々が我に平安であれ、全ての神々が我に平安であれ、平安によりて平安あれ。
今この災いが、今この危機が、今この罪が、鎮静し、緩和し、どうか一切が我らに平安であれ。(14)

サンスクリット原文

शान्ता द्यौः शान्ता पृथिवी शान्तम् इदम् उर्व् अन्तरिक्षम् | 
शान्ता उदन्वतीर् आपः शान्ता नः सन्त्व् ओषधीः ||1|| 
śāntā dyauḥ śāntā pṛthivī śāntam idam urv antarikṣam | 
śāntā udanvatīr āpaḥ śāntā naḥ santv oṣadhīḥ ||1||
शान्तानि पूर्वरूपाणि शान्तं नो अस्तु कृताकृतम् | 
शान्तं भूतं च भव्यं च सर्वम् एव शम् अस्तु नः ||2|| 
śāntāni pūrvarūpāṇi śāntaṃ no astu kṛtākṛtam |
śāntaṃ bhūtaṃ ca bhavyaṃ ca sarvam eva śam astu naḥ ||2||
इयं या परमेष्ठिनी वाग् देवी ब्रह्मसंशिता | 
ययैव ससृजे घोरं तयैव शान्तिर् अस्तु नः ||3|| 
iyaṃ yā parameṣṭhinī vāg devī brahmasaṃśitā | 
yayaiva sasṛje ghoraṃ tayaiva śāntir astu naḥ ||3||
इदं यत् परमेष्ठिनं मनो वां ब्रह्मसंशितम् | 
येनैव ससृजे घोरं तेनैव शान्तिर् अस्तु नः ||4|| 
idaṃ yat parameṣṭhinaṃ mano vāṃ brahmasaṃśitam | 
yenaiva sasṛje ghoraṃ tenaiva śāntir astu naḥ ||4||
इमानि यानि पञ्चेन्द्रियानि मनःषष्ठानि मे हृदि ब्रह्मणा संशितानि | 
यैर् एव ससृजे घोरं तैर् एव शान्तिर् अस्तु नः ||5|| 
imāni yāni pañcendriyāni manaḥṣaṣṭhāni me hṛdi brahmaṇā saṃśitāni | 
yair eva sasṛje ghoraṃ tair eva śāntir astu naḥ ||5||
शं नो मित्रः शं वरुणः शं विष्णुः शं प्रजापतिः | 
शं न इन्द्रो बृहस्पतिः शं नो भवत्व् अर्यमा ||6|| 
śaṃ no mitraḥ śaṃ varuṇaḥ śaṃ viṣṇuḥ śaṃ prajāpatiḥ | 
śaṃ na indro bṛhaspatiḥ śaṃ no bhavatv aryamā ||6||
शं नो मित्रः शं वरुणः शं विवस्वां छम् अन्तकः | 
उत्पाताः पार्थिवान्तरिक्षाः शं नो दिविचरा ग्रहाः ||7|| 
śaṃ no mitraḥ śaṃ varuṇaḥ śaṃ vivasvāṃ cham antakaḥ | 
utpātāḥ pārthivāntarikṣāḥ śaṃ no divicarā grahāḥ ||7||
शं नो भूमिर् वेप्यमाना शम् उल्का निर्हतं च यत् | 
शं गावो लोहितक्षीराः शं भूमिर् अव तीर्यतीः ||8|| 
śaṃ no bhūmir vepyamānā śam ulkā nirhataṃ ca yat | 
śaṃ gāvo lohitakṣīrāḥ śaṃ bhūmir ava tīryatīḥ ||8||
नक्षत्रम् उल्काभिहतं शम् अस्तु नः शं नो 'भिचाराः शम् उ सन्तु कृत्याः | 
शं नो निखाता वल्गाः शम् उल्का देशोपसर्गाः शम् उ नो भवन्तु ||9|| 
nakṣatram ulkābhihataṃ śam astu naḥ śaṃ no 'bhicārāḥ śam u santu kṛtyāḥ | 
śaṃ no nikhātā valgāḥ śam ulkā deśopasargāḥ śam u no bhavantu ||9||
शं नो ग्रहाश् चान्द्रमसाः शम् आदित्यश् च राहुणा | 
शं नो मृत्युर् धूमकेतुः शं रुद्रास् तिग्मतेजसः ||10|| 
śaṃ no grahāś cāndramasāḥ śam ādityaś ca rāhuṇā | 
śaṃ no mṛtyur dhūmaketuḥ śaṃ rudrās tigmatejasaḥ ||10||
शं रुद्राः शं वसवः शम् आदित्याः शम् अग्नयः | 
शं नो महर्षयो देवाः शं देवाः शं बृहस्पतिः ||11|| 
śaṃ rudrāḥ śaṃ vasavaḥ śam ādityāḥ śam agnayaḥ | 
śaṃ no maharṣayo devāḥ śaṃ devāḥ śaṃ bṛhaspatiḥ ||11||
ब्रह्म प्रजापतिर् धाता लोका वेदाः सप्तऋषयो 'ग्नयः | 
तैर् मे कृतं स्वस्त्ययनम् इन्द्रो मे शर्म यछतु ब्रह्मा मे शर्म यछतु | 
विश्वे मे देवाः शर्म यछन्तु सर्वे मे देवाः शर्म यछन्तु ||12|| 
brahma prajāpatir dhātā lokā vedāḥ saptaṛṣayo 'gnayaḥ | 
tair me kṛtaṃ svastyayanam indro me śarma yachatu brahmā me śarma yachatu | 
viśve me devāḥ śarma yachantu sarve me devāḥ śarma yachantu ||12||
यानि कानि चिच् छान्तानि लोके सप्तऋषयो विदुः | सर्वाणि शं भवन्तु मे शं मे अस्त्व् अभयं मे अस्तु ||13|| yāni kāni cic chāntāni loke saptaṛṣayo viduḥ | sarvāṇi śaṃ bhavantu me śaṃ me astv abhayaṃ me astu ||13||
पृथिवी शान्तिर् अन्तरिक्षं शान्तिर् द्यौः शान्तिर् आपः शान्तिर् ओषधयः शान्तिर् वनस्पतयः शान्तिर् विश्वे मे देवाः शान्तिः सर्वे मे देवाः शान्तिः शान्तिः शान्तिः शान्तिभिः | 
यद् इह घोरं यद् इह क्रूरं यद् इह पापं तच् छान्तं तच् छिवं सर्वम् एव शम् अस्तु नः ||14|| 
pṛthivī śāntir antarikṣaṃ śāntir dyauḥ śāntir āpaḥ śāntir oṣadhayaḥ śāntir vanaspatayaḥ śāntir viśve me devāḥ śāntiḥ sarve me devāḥ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ śāntibhiḥ | 
yad iha ghoraṃ yad iha krūraṃ yad iha pāpaṃ tac chāntaṃ tac chivaṃ sarvam eva śam astu naḥ ||14||

(文章:pRthivii)

サンスクリット語 現在形 1類動詞パラスマイパダ

サンスクリット

前回の記事では、サンスクリット語の動詞には
パラスマイパダ(能動態)とアートマネーパダ(反射態)という
区別がある、という話をしました。
 
パラスマイパダとはサンスクリット語で「他者のための語」を意味する文法用語で、
動作主以外の何かのために行為を行うときの活用。
 
アートマネーパダとは「自分のための語」を意味する文法用語で、
動作主自身のために行為を行なうときの活用。
 
ヴェーダ聖典ではそれぞれ意味の区別がはっきりありましたが、
時代が下るにつれてその違いは曖昧になっていき、
パラスマイパダだけで活用する動詞、
アートマネーパダだけで活用する動詞、
(文脈や韻律に合わせて)両方で活用する動詞
と、固定化されていきました。
 
今回は、現在形パラスマイパダの例として
√bhū (~なる、~ある)の活用を紹介します。
この動詞は、いわゆる「be動詞」と考えればよいでしょう。
また、bhū-(大地)、bhuvana-(世界)、などの語根でもあります。
 
もともとの「語根」√bhū が、
実際に活用するときには、bhava-という「語幹」に変身し、
その後に「語尾」がくっつきます。
 
サンスクリット語の文法家は、動詞を語幹の形によって10種類に分けました。
√bhū- は「1類」の動詞です。
 
「1類」の動詞は
 
1.語根の最後に-a-を添えた形が語幹になる。
2.最後に母音がくる語根(例:√bhū-、√ji-)、または、
最後が1個の子音でその前が短母音の語根(例:√ruh-)は、その母音はグナになる。
 
と説明ができます。
 
グナというのは母音の段階的な種類のこと。
サンスクリット語 グナとヴリッディ(以前投稿した表を参照してください)
√bhūの母音-ū-のグナは-o-なのですが、
最後に幹母音-a-がつくために、-av-a-、結果的にbhava-となります。
 
その他の動詞の語幹の例を見て、母音の変化に注目してください。

√bhū- (~なる)→ bhava-

√nī- (導く) → naya-

√ji- (勝つ) → jaya-

√pat- (落ちる)→      pata- (aのグナはaなので母音の変化は無し)

√ruh- (登る) →      roha-

 

このように形を変化させた「語幹」の後に付くのが「語尾」。
現在形パラスマイパダの語尾は、次のようなものです。

単数 両数 複数
1人称 -mi* -vaḥ* -maḥ*
2人称 -si -thaḥ -tha
3人称 -ti -taḥ -anti+

 
*語幹母音-a-は、m、vの前で長母音になります。
+語幹母音-a-は消滅します。

 

これらの語尾を、さきほどの√bhū -の語幹bhava-にくっつけてみましょう。

√bhū(~なる)の現在形パラスマイパダ
単数 両数 複数
1人称 bhavāmi
(私は~なる)
bhavāvaḥ
(私たち二人は~なる)
bhavāmaḥ
(私たちは~なる)
2人称 bhavasi
(あなたは~なる)
bhavathaḥ
(あなたたち二人は~なる)
bhavatha
(あなたたちは~なる)
3人称 bhavati
(彼は~なる)
bhavataḥ
(彼ら二人は~なる)
bhavanti
(彼らは~なる)

 

例文:

(1)देवाः असुरान् जयन्ति।
devāḥ asurān jayanti|
「神々はアスラたちに勝つ。」
(2)गजः गिरेः पतति।
gajaḥ gireḥ patati|
「象が山から落ちる。」
(3)कृष्ण त्वम् मनुष्यान् देवलोकम् नयसि।
kṛṣṇa tvam manuṣyān devalokam nayasi|
「クリシュナよ!あなたは人間たちを天界に導く。」
(4)मम पतिः वने भवति।
mama patiḥ vane bhavati|
「私の夫は森にいる。」

(文章:prthivii)

サンスクリット語 動詞の種類:パラスマイパダとアートマネーパダ

サンスクリット語は名詞の格変化の種類もたくさんあるうえに、
動詞にもたくさんの種類の語尾があります。

サンスクリット語の動詞で大事なのは、

「語幹」という部分で動詞の意味を伝えることと、
「語尾」という部分で主語を限定すること。

「語尾」の違いによって

「私は」「私たち二人は」「私たちは」
「あなたは」「あなたたち二人は」「あなたたちは」
「彼は」「彼ら二人は」「彼らは」

と、いずれかの主語であることを区別できます。

さらに語尾は、時制を区別したり、
話し手の気持ちや態度をあらわす場合もあります。

今回取り上げるのは、語尾で区別される
「パラスマイパダ(能動態)」と「アートマネーパダ(反射態)」。

パラスマイパダとはサンスクリット語で「他者のための語」を意味する文法用語で、
動作主以外の何かのために行為を行うときの活用。

アートマネーパダとは「自分のための語」を意味する文法用語で、
動作主自身のために行為を行なうときの活用。

 

動詞 √यज्- yaj- 「祭祀する」を例にすると、

(1)यजति। yajati.「彼(=祭官)は(祭主のために)祭祀を行なう」
(パラスマイパダ:能動態)

主語「彼」とは祭祀を行なう祭官のことで、
祭祀の依頼主である祭主のために祭祀を行ないます。

一方、

(2)यजते। yajate.「彼(=祭主)は(自分のために)祭祀を行なう」
(アートマネーパダ:反射態)

主語の「彼」は、祭祀の執行を祭官に依頼した祭主のことです。

最後の母音が違うだけで、こんなにも意味が変わってくるところが
サンスクリット語の奥の深さでもあります。

 

しかし、全ての動詞が両方の態を持つわけではなく、
どちらかだけで活用する動詞も多数あります。
古典サンスクリット以降、態の区別はあまり意味をなさなくなっていきます。

とはいえ、リグヴェーダなどの古い聖典で使われていた
ヴェーダ語の場合は、アートマネーパダとパラスマイパダの
区別は明確に意識されており、意味を知る上でかなり重要です。

(文章:prthivii)

【サンスクリット語豆知識 春の訪れとホーリー】

holi3_1280

3月23日はホーリーですね。
春を迎える季節のお祭りにふさわしく、
色とりどりの粉や水を掛け合う、賑やかな祭礼です。

サンスクリット語では होली holī、होलिका holikā、होला holā

などといいますが、古典文学作品などには

春祭り
वसन्तोत्सव (वसन्त-उत्सव)
vasantotsava(vasanta-utsava)
ヴァサントートゥサヴァ(分かち書きするとヴァサンタ・ウトゥサヴァ)

とか、

カーマ神の祭り
कामोत्सव (काम-उत्सव)
kāmotsava(kāma-utsava)
カーモートゥサヴァ(分かち書きするとカーマ・ウトゥサヴァ)

のような名前で出てきます。

カーマ神は「愛」の神様で、
南の暖かい空気をもたらす春の風は
しばしば「カーマ神の軍」と文学的に表現されます。
春になると人々の心がウキウキしたり
胸がときめいたりするのも カーマ神のしわざかもしれません。

7世紀に書かれた文学作品
दशकुमारचरित
daśakumāracarita
ダシャクマーラチャリタ

では、ホーリーにあたる春の祭りについて少し触れています。

その中から、春の訪れを詩的に表わしている部分を紹介します。

「さて、南の風はカーマ神の軍を引き連れて、
マラヤ山の木々に絡まり棲みつく蛇の残餌のごとく、ごく微かに
白檀の芳しい香りという荷を抱いて優しくそよぎ、
別れの心に愛の炎を燃え上がらせました。
また、サハカーラ樹の新芽や蜜を喜ぶコキーラ鳥たちや
蜜蜂たちの甘いささやきの 低くざわめく南風で
地上を騒がせ、頑なな女の心にも気まぐれを起こさせるのです。
そして(略)木々に蕾をつけ、 春の大祭を待ちわびる人々の心を弾ませながら、
春の季節はやって来ました。」

日本語では複数の文に分けて訳しましたが、
実は原文ではひとつの文章です。
原文をデーヴァナーガリーで書くとこうなります。

अथ मीनकेतनसेनानायकेन मलयगिरिमहीरुहनिरन्तरावासिभुजङ्गमभुक्तावशिष्टेनेव सूक्ष्मतरेण धृतहरिचन्दनपरिमलभरेणेव मन्दगतिना दक्षिणानिलेन वियोगिहृदयस्थं मन्मथानलमुज्ज्वलयन् सहकारकिसलयमकरन्दास्वादनरक्तकण्ठानां मधुकरकलकण्ठानां काककलकलेन दिक्चक्रं वाचालयन् मानिनीमानसोत्कलिकामुपनयन् माकन्दसिन्दुवाररक्ताशोककिंशुकतिलकेषु कलिकामुपपादयन् मदनमहोत्सवाय रसिकमनांसि समुल्लासयन् वसन्तसमयः समाजगाम १।५।१

これが全部ひとつの文章なのには驚かされます。
いくつもの語をずらずらと繋げて一つの単語としたり、
韻を踏んだり、言葉遊びがあったり、
技巧的に凝ったこういう文体のことを
「美文体 काव्य kāvya」といいます。

原典からの和訳は平凡社東洋文庫から出版され(現在は絶版)、
日本語のタイトルは「十王子物語」です。

物語のあらすじは、
敵に国を奪われた王子とその友人たち(大臣や豪商の息子など)が
森でちりぢりに生き別れ、知略と勇気をもって様々な冒険をしながら
途中で恋人も得て、16年後に全員再会して敵を破り
王座につく、というお話です。

敵と戦ったり、魔術を使って敵を欺いたり、
神の恩寵によって神通力を得たり、運命的な恋に落ちたり、
と、ファンタジー小説のような盛りだくさんの内容。

インドの古典文学を読むと
当時の文化や社会が分かって面白いですよ。

(文章:prthivii)