クリシュナとキリストの共通点

クリシュナは、紀元前に実在したとされるヴィシュヌの第8番目の化身です。そして、イエス・キリストは、西欧を中心に救世主と崇められる「神の子」です。しかし、クリシュナとイエス・キリストにはさまざまな類似点があることは、以前から指摘されていました[1]。
・両者の名は、ともに「K」と「R」の音で始まっています(「クリ」と「キリ」)。
・クリシュナは牢獄で、キリストは馬屋で生まれ、ともに子を産む場所としては不適切な場所でした。
・両者ともに王族の血筋を継いでいましたが、正義を復興するために生まれた「神の子」に、当時の王が自らの地位を脅かされることを恐れ、同時期に生まれた子を皆殺しにしようとした点なども一致しています。
そして、両者とも、後世に「バガヴァッド・ギーター」、「福音書」として、彼らの教えを記した書物を残しています。
ここで「バガヴァッド・ギーター」(上村勝彦訳)と、新約聖書の中から、同様の記述を比較してみましょう[3,4]。
「アルジュナよ、私は万物の心中に宿る自己(アートマン)である。私は万物の本初であり、中間であり、終末である。」(ギーター / 10章20節)
「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」」(ヨハネの黙示録 / 1章8節)
ここでは、神にはじまりもなければ終わりもないと述べられています。
「感官には、それぞれの対象についての愛執と憎悪が定まっている。人はその二つに支配されてはならぬ。それらは彼の敵であるから。」(ギーター / 3章34節)
「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、」(コリントの信徒への手紙一 / 1章 23節)
「しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。」(ヨハネの黙示録 / 2章 14節)
真理を実現するその過程には、さまざまな障壁があり、クリシュナもイエスもそれには十分注意するよう述べています。
また以下の例では、クリシュナとイエスの教えの要点がほぼ同じものであることが分かります。
「あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。しかも分別くさく語る。賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ。」(ギーター / 2章11節)
「イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」」(マタイによる福音書 / 8章 22節)
「私は万物に対して平等である。私には憎むものも好きなものもない。しかし、信愛をこめて私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。」(ギーター / 9章29節)
「神は人を分け隔てなさいません。」(ローマの信徒への手紙 / 2章 11節)
「敵と味方に対して平等であり、また尊敬と軽蔑に対しても平等であり、寒暑や苦楽に対しても平等であり、執着を離れた人、……彼は私にとって愛しい。」(ギーター / 12章18-19節)
「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書 / 5章 44節)
「梵天の昼は一千世期で終わり、夜は一千世期で終る。それを知る人々は、昼夜を知る人々である。」(ギーター / 8章17節)
「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」(ペトロの手紙二 / 3章 8節)
もちろん、両者には異なる部分もあります。イエス・キリストは独身で子がいなかったといわれるのに対して、クリシュナには1万6千人の妻があり、18万人の子をもうけたといわれています。これなどは、もっとも大きな違いのひとつでしょう。
しかし、一見つながりのないような両者に共通点があることは、どの宗教も、じつはひとつの真理に基づいているからに他ならないのでしょう。
お互いの共通点を見つけることは、お互いの良さを理解するひとつのきっかけにもなります。
クリシュナを知らないキリスト教徒でも、このような類似点を知ることでクリシュナに親しみが湧いてくるのではないでしょうか。
明日8月24日は、クリシュナが降誕された日にあたります。
みなさまにとって、祝福の多い一日となりますように。
参考文献
[1]インド神々の事典, p102, 学研, 2008
[2]上村勝彦訳, バガヴァッド・ギーター, 岩波文庫, 1992
[3]Linkages between two God-men saviors: Christ and Krishna, http://www.religioustolerance.org/chr_jckr.htm
[4]Specific similarities between the lives of Jesus and Krishna, http://www.religioustolerance.org/chr_jckr1.htm

パンチャークシャリ・マントラの唱え方について

マントラを唱える方法について、パラマハンサ・ムクターナンダは、「静かに(マーナシカ−心の中で唱える)、話すのと同じ速さで唱えるのが理想である」と言っています。呼吸に合わせ、息を吸うときに一度、吐くときに一度唱えるのも良い方法です。ムクターナンダによると、このように唱えるなら、マントラは心を浄化し、また唱えられたマントラは体内をかけめぐって、その振動とともに血液細胞に浸透します。日々マントラを唱える部屋では、「その壁にさえマントラは浸透する」とムクターナンダは言います。このことについて、彼は自らの体験を次のように説明しています。
『インドにあるわたしのアシュラムには、わたしが長い間生活した特別な部屋がありました。わたしはそこで瞑想し、マントラを唱えていました。やがてわたしは他の部屋へと移ったために、その部屋は閉ざされていました。数年前、政府の役人がアシュラムを訪れたのですが、その際彼は、私に言いました。
「多くの人があなたのアシュラムではたやすく瞑想に入れると言っているのを聞きました」
そこで、わたしは彼を例の部屋へ連れて行き、中を見せ、座って瞑想するように言いました。
「マントラは何を唱えればいいでしょう?」
と聞かれたので、
「部屋の中でマントラが聞こえてきたら、それを唱えてください」
と答えました。瞑想を終えて部屋を出るとき、彼は言いました。
「壁からオーム・ナマ・シヴァーヤが聞こえてきました。なんと部屋全体がオーム・ナマ・シヴァーヤを唱えていたのです!」
マントラは生きた力です。長い間一心に繰り返すことで、あなたを取り巻く環境すべてにそれは染み込むのです。』
太古からインドの偉大な聖者や悟りを開いた人々の多くは、オーム・ナマ・シヴァーヤのマントラを推奨し、常にこれを唱えることを勧めました。なぜこのマントラがそれほど特別なものであるのか、スワミ・スブラムニヤスワミは次のように述べています。
「オーム・ナマ・シヴァーヤがこのように価値あるマントラであるのは、それが真我から心へと流れている音に最も近いためです。それは真我(つまりはシヴァ、あなたの内なる神、ハイヤーセルフ)へと至る確実な道であるため、オーム・ナマ・シヴァーヤを唱えることは意義深いことなのです」
聖仙ウパマニュ(リグ・ヴェーダの作者のひとりとされる)は、「特別な儀式を要せず」、「時間の制約なく」、「外的な条件の束縛もない」というオーム・ナマ・シヴァーヤの神秘について説いています。
「もしこのマントラがあなたの心の内に響き続けるなら、苦行も瞑想もヨーガも必要ない。このマントラに、儀式や祭式は必要なく、また唱えるべき時刻も、唱えるべき場所もない。」
また、このマントラはすべての人に開かれたマントラであることは特筆すべき点です。パラマハンサ・ムクターナンダは「このマントラは規則、規制にしばられない」と言っています。 「オーム・ナマ・シヴァーヤには、いかなる制限もなく、老いも若きも富める者も、貧しき者も唱えることができる。たとえその人がどのような状況にあろうと、オーム・ナマ・シヴァーヤはそれを唱える者を清める。」
ムクターナンダは言います。
「摩訶不思議かな、オーム・ナマ・シヴァーヤ。唱えよ、唱えよ、ひたすら唱えよ」
熱意を持ってオーム・ナマ・シヴァーヤを唱える人々は、サムサーラの海を渡り、悟りの彼岸に至るといわれています。このマントラを唱えていたカシミールの偉大な聖女ララ、すなわちラル・デッドは次のように述べています。
「正しい知識を持ち、耳を傾け、聞くのです。木々がオーム・ナマ・シヴァーヤに合わせて、いかに身を揺らすのかを。風がそよぐとき、いかにしてオーム・ナマ・シヴァーヤを唱えるのかを。ナマ・シヴァーヤの音とともに、いかにして水が流れるのかを。全宇宙がシヴァの名を唱えているのです。そのことに気づくには、わずかに注意を払えばよいのです」
このマントラを唱える機会に恵まれ、熱心に努力するならば、やがてその果報として多くのものを得るでしょう。現代生活ではジャパのための時間を十分に作ることは難しいかもしれません。しかし、テレビを見たり、会話を楽しむための時間があるならば、その気になれば、毎日でもジャパやマントラのために10分間をさくことくらいはできるはずです。一度その価値を知った人は、そこから得られる恩恵は、純金よりも価値があることを知ることでしょう。
「ルドラークシャ・ビーズを身につけ、パンチャークシャラ・マントラを唱えなさい。心が柔和になり、溶け出すでしょう。愛を込めてこの5文字のマントラを唱えれば、シヴァの心を見るでしょう。そして、不純なもの、心配、疑念は破壊されます。」-シヴァ・ヨーガスワミ
※以上「パンチャークシャラ・マントラの唱え方について」より
ところで、本日8月6日、インドではナーガ・パンチャミーのお祭りが行われます。ナーガ(ヒンディー語ではナーグ)は蛇の意味で、特にコブラのことを指していわれます。今の季節は、インドでは雨期のため、コブラの巣が水浸しになり、難を逃れてさまよい歩いているうちに、人家に入る恐れがあります。そこでコブラによる人的被害がないように祈りを捧げたことが、ナーガ・パンチャミーの起源であるといわれています[1]。
しかし、コブラはシヴァ神の首飾りとして、ヴィシュヌ神のお気に入りのシェーシャ(蛇)として描かれているように、幸運を運ぶ生き物としても知られています。
この吉兆の日、皆さまの元にナーガを通じて幸運が運ばれますことを、心よりお祈りいたします。
また本日、広島では63回目の原爆忌を迎えました。今後原爆が決して使用されることのない、平和な世界が実現されることを、あわせて祈念いたします。
参照
[1]Festivals Of India, http://festivalsofindia.in/nagpanchami/

ガーヤトリー・マントラについて

瞑想法として、また願望成就のための最高のマントラとして、ガーヤトリー・マントラは古より多くの聖者・聖賢たちに称賛されてきました。ガーヤトリーとは、もとはヴェーダの韻律の名称です。俳句が五・七・五の音節からなるように、ガーヤトリーは八・八・八の音節からなりたちます。この定型詩は、のちにガーヤトリー女神として神格化されました。
ガーヤトリー・マントラの典型は、タイッティリーヤ・アーラニヤカ第十章のマハーナーラーヤナ・ウパニシャッドに見ることができます。
そこでガーヤトリーの詩形は、次のように記述されています[1]。
「(1) ヴィッドゥマヘー
(2) ディーマヒー
タンノ (3) プラチョーダヤートゥ」
「われらは(1)を知り、
(2)を瞑想できますように。
そこにわれらを(3)は導きたまえ」
(1)、(2)、(3)にはそれぞれの神格に応じた詩句が入ります。
たとえば、ハムサ・ガーヤトリーでは、
(1)「ハムサーヤ」
(2)「パラマハムサーヤ」
(3)「ハムサ」
が当てはまります。
その意味は、
「われらはハムサーヤ(アートマン、自己)を知り、
パラマハムサーヤ(究極のアートマン)を瞑想できますように。
そこにわれらをハムサ(アートマン)は導きたまえ」
となります。
(ハムサ(ハンサ)は白鳥とも訳され、ヴェーダにおいては太陽と結びつき、豊饒の男性原理として表されます。また「ソーハム」をハムサ・ガーヤトリーと呼ぶこともあります)
しかし、その中でも最高位とされるガーヤトリー・マントラは、太陽神サヴィトリに捧げられる讃歌であり、このマントラを1日3,000回唱える人は、いかなる罪を犯そうとも一ヶ月でその罪から解き放たれるともいわれています[2]。
「オーム ブール ブワッ スワハ
タットゥ サヴィトゥル ワレーニャム
バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒー
ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤートゥ」
「死すべき者、不死なる者、神なる者の上に平和あれ
わが瞑想は太陽神の最も輝ける光のため
われらが知の力、神が掻き立て給わんことを
(かくして、正しき時に正しきおこないをなす霊感を授からんことを)
(リグ・ヴェーダ-3.62、訳:浜田吾愛)
このガーヤトリー・マントラについては、多くの偉人、聖仙や聖者たちがその効果を実感し、人々にこのマントラを唱えるよう勧めています[3]。
・マハトマ・ガンジー(インド独立の父)
「絶え間なくガーヤトリー・マントラを唱えることは、病を癒し、霊的進化に非常に有効である。落ち着いた気持ちで、心を込めて唱えることで、いかなる試練や逆境も乗り越えることができる。」
・ガンガダール・ティラク(インド独立に貢献した政治家)
「政治的な力だけでは、インド国民が多くの領域で受ける束縛を克服することはできない。そのためには、インド国民が心の領域で互いに結びつく必要があり、それによって何が真実で何が不正であるかが分かるだろう。ガーヤトリー・マントラは、束縛の道から離れ、正義の道へと進もうとする人々に敬虔な気持ちを抱かせる。」
・マダン・モーハン・マラヴィヤ(政治家、バナーラス・ヒンドゥー大学創立者)
「聖仙から受け継いだ数多くの宝石の中で、もっとも価値ある宝石はガーヤトリーと呼ばれる。ガーヤトリーの礼拝は我々の知性を清める。神聖な光が我々の魂を照らし、この光によって、実に多くの人々が物質に束縛される大海原を乗り越えてきた。ガーヤトリーの礼拝によって、我々の信仰はより強固に神へと向かう。これとともに、我々はまた、物質的な利益も得る。ガーヤトリー礼拝は、ブラフミン(僧侶階級)にとってもっとも必要なものだ。ガーヤトリー・マントラを唱えないブラフミンは、行うべき当然の義務を怠るという罪を被る。」
・ラビンドラナート・タゴール(詩人、思想家)
「一息で唱えられ、インドを大国として目覚めさせるマントラ。それがガーヤトリー・マントラである。極めて純粋なこのマントラが唱えられている限り、いかなる道理の対立、意見の相違、弊害はないだろう。」
・ラーマクリシュナ・パラマハンサ(近代の代表的聖人)
「私は常々、霊的修行に長日月を費やすべきでないといっている。しかし、この短時間のガーヤトリー礼拝による霊性修行は別だ。ガーヤトリー・マントラを唱えることで、偉大な霊的目標に到達するだろう。このマントラはとても短いが、無限の力を秘めている。」
・スワミ・シヴァナンダ(近代の代表的聖人)
「毎朝午前3時から午前6時の神聖な時間帯に、ガーヤトリー・マントラを唱えることで、魂は磨かれ、心は神聖となる。肉体は病を克服し、性格は清らかになる。知性が研ぎ澄まされ、記憶力が鋭くなることで、物事を見通す力がつく。耐え難い逆境にあるとき、ガーヤトリー・マントラの力は助けとなる。その結果、人はあらゆるものに浸透する精妙なもの(神)を理解する。」
・ラマナ・マハリシ(近代の代表的聖人、神秘思想家)
「ヨーガの科学においては、マントラの科学がもっとも価値あるものだ。マントラの力は、人々を計り知れない成功に導く。ガーヤトリーは、物質的、精神的な恵みを与えるマントラである。」
・スワミ・ヴィヴェーカーナンダ(ヴェーダンタ哲学の霊的指導者)
「王には、些細な物でなく、重要な物を請うべきである。それと同じように、全知全能の神には、はかない物質的な快適さではなく、純粋な知性のみを請うべきである。神を喜ばせるとき、信奉者は純粋な知性を手にできる。人は、純粋な知性によって、正しい道を歩み、あらゆる種類の快適さを味わうことができる。人が真理の道を歩むとき、彼は自動的にすべての喜びを味わうのだ。ガーヤトリーは純粋知のマントラだ。したがって、あらゆるマントラの中でも、ガーヤトリーは最高の宝である。」
・シャンカラチャリヤ(不二一元論を提唱した思想家、哲学者)
「ガーヤトリー・マントラの栄光を歌うのに、人はあまりにも無知である。知性に関する限り、ガーヤトリーの右に出るものはない。ガーヤトリーの礼拝を通じて、純粋知が働き、真我に至る。ガーヤトリーは、根源的なマントラである。誤りを正し、真理を確立するために、このガーヤトリー・マントラが明らかになった。」
・スワミ・ラームティールト(近代の代表的聖人)
「この世で最大の仕事は、神に到達することである。ガーヤトリーは、欲望に囚われた知性を、欲望のない神聖な知性に変える助けとなる。純粋な知性を通じてのみ、神に至ることができる。ガーヤトリーは、知性に穢れがあってはならず、物質的な利益よりも、神の実現に目を向けるべきであると述べている。」
・聖仙パラーシャラ(マハーバーラタの作者のひとりとされる)
「すべてのスークタ(讃歌)やヴェーダのマントラの中でも、ガーヤトリーがもっとも優れている。ガーヤトリー・マントラを信心込めて唱える人は、解脱に至り、あらゆる面で浄化されるだろう。ヴェーダ、プラーナ、イティハーサ(歴史)のすべてを学んでも、ガーヤトリーを唱えないならば、ブラフミン(僧侶階級)とは呼べない。」
・聖仙シャンカ(マハーバーラタ・ヴィラータ編のヴィラータ王の息子とされる)
「ガーヤトリーは、罪の海で溺れている人々を救う尊い手のようなものだ。地上においても、天界においても、ガーヤトリーより優れているものはない。ガーヤトリーを知る者は、確実に天界へ到達するだろう。」
・聖仙アトリ(リグ・ヴェーダに最も多く登場する聖仙)
「ガーヤトリーの礼拝は、魂を浄化するもっともよい方法である。その偉大な力によって、人々の罪や欠点は清められる。ガーヤトリーの原理を真に理解した人は、この世界のすべての喜びを手にするだろう。」
・聖仙ヴィヤーサ(マハーバーラタの作者のひとりとされる)
「花は密に、ミルクはバターに濃縮されるように、すべてのヴェーダはガーヤトリーに濃縮される。ガーヤトリーを揺るぎない信念で礼拝するとき、それはカーマデーヌ(願いを叶える聖牛)となる。ガンジス河は、肉体のあらゆる罪を清め、ガンジス女神の姿をしたガーヤトリーは魂を清める。ガーヤトリーを礼拝せずに、他の霊性修行を追求する者は、誠に愚かである。なぜなら、それは家にご馳走があるのに、他で残飯を乞うようなものだからだ。ガーヤトリーより偉大なものはない。この苦行に耐えるならば、解脱は近い。」
・聖仙バラドヴァージャ(リグ・ヴェーダの作者のひとりとされる)
「ブラフマーのような神々でさえ、神を実現するためのガーヤトリー・マントラを唱える。ガーヤトリーのおかげで、卑しい行為は完全に阻止されるからだ。ガーヤトリーの礼拝を避ける人々は、奴隷より劣る。」
・聖仙チャラカ(アーユルヴェーダに多くの貢献をしたとされる)
「禁欲をし、ミロバランの実を食べることを避け、ガーヤトリー・マントラを唱えるならば、長命を手にする。」
・聖仙ナーラダ(リグ・ヴェーダの作者のひとりとされる)
「ガーヤトリーは、バクティ(信愛)が形となったものである。ガーヤトリーのあるところ、バクティがある。ナーラーヤナ(神)の存在を疑ってはならない。」
・聖仙ヴァシシュタ(リグ・ヴェーダの作者のひとりとされる)
「心の弱き者、堕落した人生を過ごす者、理性に欠ける者は、ガーヤトリーの礼拝によって最高の状態を獲得する。彼の死後、高貴な霊的境地に達することは確かだ。純粋な決意と、確固たる信念を持ってガーヤトリーを礼拝する者は、魂の英知を手にする。」
インドでは、ガーヤトリー・マントラを授かることは第二の誕生を意味するといわれています。日本でこのマントラに触れる機会に恵まれた人は、その意味を理解し、正しく唱え続けることで、かつての聖仙・聖人たちが悟り得た究極のゴールに一歩近づくことができるでしょう。
参照
[1]インド思想史略説 http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/narayana.htm
[2]インド神話伝説辞典、菅沼晃編、東京堂出版
[3]Shiram Sharma, “A Most Widely Accepted and Stupendous Spiritual Endeavor”, http://ezinearticles.com/?A-Most-Widely-Accepted-and-Stupendous-Spiritual-Endeavor&id=484527
※この原稿は、「ハムサの会 会誌No.16 2008年7月号」に掲載された記事に加筆・修正を加えたものです。

ルドラークシャの面数について

ルドラークシャ(金剛菩提樹)について詳しく述べられている聖典「シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム」から、ルドラークシャの面数についての説明を一部紹介いたします。ただし、面数の意味については、同じ聖典でもさまざまな記載があり、別の聖典では違う説明をしている場合もありますので、ご了承ください。

シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム
第11巻、第7章
1-4節
(中略)1面のルドラークシャは、パラタットヴァ(至高の真理)を明らかにする。これを身につけるとき、パラタットヴァの知識が生じ、ブラフマーを見る。
2面のルドラークシャは、半身がシヴァで半身がパールヴァティーであるアルダナーリーシュヴァラである。これを身につけるとき、アルダナーリーシュヴァラ・シヴァは常にその者に歓喜する。
3面のルドラークシャは、顕現された炎である。…3面のルドラークシャは3人のアグニであるダクシナーグニ、ガールハパティヤ、アーハヴァニヤである。バガヴァーン・アグニは、3面のルドラークシャを身につける者に常に歓喜する。
4面のルドラークシャは、ブラフマー自身である。身につける者は、栄華が促進され、病が破壊され、神聖知識が泉のように湧出して、常に歓喜に満たされる。
5面のルドラークシャは、5つの顔を持つシヴァ自身である。マハーデーヴァは、これを所有する者に歓喜する。
6面のルドラークシャを司る神は、カールッティケーヤである。ある専門家は、6面を司る神はガナパティであり、6種の知識が確立されるとする。
7面のルドラークシャを司る神は、太陽と七聖仙である7人のマートリカー(神群)である。これを所有することで、幸運が増大し、健康と純粋知識が確立される。これは、人が清らかである時に身につけられるべきである。
8面のルドラークシャを司る神は、8人のマートリカー(神群)であるブラーフミーである。これを所有することで、8人のヴァス(自然現象を神格化した神群の総称)とガンジス河が歓喜する。これを身につけることで、ジーヴァ(生命原理、個我)が真理と歓喜に満たされる。
9面のルドラークシャのデーヴァター(神格)は、ヤマ(閻魔天)である。これを所有することで死の恐怖から逃れる。
10面のルドラークシャのデーヴァター(神格)は、10種の慈愛である。10種の慈愛は10面のルドラークシャを身につける者に歓喜する。
11面のルドラークシャのデーヴァター(神格)は、11人のルドラとインドラである。これを所有する者は、幸福を享受する。
12面のルドラークシャは、ヴィシュヌが顕現したものである。そのデーヴァター(神格)は、12人のアーディティヤ神群である。シヴァの帰依者は、これを所有するべきである。
13面のルドラークシャは、もし身につけるならば、その者の願望を確実にする。彼には、もはや失敗はない。カーマ・デーヴァは、これを身につける者に歓喜する。
14面のルドラークシャは、すべての病を破壊し、永遠の健康を授ける。これを持つ間は、酒、肉、玉葱、大蒜、サジュニャーの実、チャールターの実、そして排泄物を食べる豚の肉などを食してはならない。日食や月食の期間、ウッタラーヤニャ・サンクラーンティあるいはダクシナーヤナ・サンクラーンティの期間、満月や新月の期間にルドラークシャを身につけるならば、その者は、即座にすべての罪から解放される。
※ここで、マハールシ・ヴェーダ・ヴィヤーサによる一万八千詩節のマハー・プラーナム・シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム第十一巻第七章、一面その他のルドラークシャの偉大さについてを終わる。』

出典:
http://www.sacred-texts.com/hin/db/bk11ch07.htm

ルドラークシャ・ダウジング・セラピー

B.プランダール博士は、ムンバイ出身の世界的に有名な婦人科医でした。彼はインド政府より「パドマブーシャン」(インドで3番目に栄光ある栄誉賞)を授与されています。故インディラ・ガンディー元首相や、ネパール国王の義理の娘であったラター・マンゲーシュカールなど、彼の患者には多くの著名人がいました。プランダール博士は、マラーティー語の自叙伝「シャリヤチキツァック」を著し、この本の中で「ルドラークシャ・ダウジング・セラピー」と、この神秘のビーズについての素晴らしい体験について述べています(p.110-112)。
体験談で、彼は次のように語っています。
「私は、友人に会うためにデリーに行きました。そこで私は少し休息したいので、デリー滞在中は、私の居場所を明らかにしないように友人に頼んでおきました。
ある時、友人の「グル」が数日間、友人宅に来ることになりました。グルはとても感じのよい人でした。彼の滞在を知った多くの人々が、いろいろな問題についてのアドバイスを受けるために、彼の元に集まってきました。私はホールの片隅に静かに座っていました。グルは、右手にルドラークシャ・ペンデュラムを持って、相談者の掌の上で「ルドラークシャ・ダウジング」をしていました。しばらくして、グルは私の存在に気がついて、私を近くに呼びました。グルに右手の掌を見せると、彼はルドラークシャ・ペンデュラムを私の手の上にかざしました。すると、それはとても早いスピードで時計回りに回転し始めました。グルは、私に何の仕事をしているのか尋ねました。私は、ボンベイ(現ムンバイ)に小さな工場を持っている。そして友人であるグプタ氏に会って契約を取り付けるために、時々デリーに来ると伝えました。すると、グルは「このルドラークシャは、すぐに今のビジネスをやめて、医学の勉強を始めるべきだといっています。あなたは世界的に有名な医者になるでしょう。その分野で、たくさんのお金と名誉を得ます。」と言いました。それはとても衝撃的でした。すぐに私は、グルに私は医者であり、ビジネスマンでないことを打ち明けました。」
プランダール博士は、次のように続けています。
「この興味深い体験のあと、この神秘のビーズについての情報を収集しました。私は、一般に手に入れることのできる良質なパンチャ・ムキ(5面)のルドラーシャ・ビーズとシルクの紐でペンデュラムを製作し、人体についてのダウジングを研究しました。それはとても素晴らしい結果となりました。それからは、手術の際の重要な問題を解決するために、この「ルドラークシャ・ペンデュラム」の力を借りることになりました。当時の医学は、現代のように発展していません。私は、ルドラークシャ・ダウジングで、健康状態と手術における複雑な問題についての正しいアイデアを得ていました。それは、子宮の異常、胎児のへその緒の異常などについて、正しい理解を提供してくれました。その結果、ある患者には実際に手術方法を変更したこともあります。ルドラークシャ・ダウジングは、ペンデュラムの様々な動きを観察することによって、健康な臓器や病気の臓器、ガンのような細胞異常についての正しい理解を与えてくれます。私は、いくつかの外科の国際シンポジウムで、この研究について講演しました。また医学分野の講義や記事を通して、この方法を広めるように努めてきました。私はこのルドラークシャ・ペンデュラムの手法を定期的に取り入れています。」
プランダール博士は、ルドラークシャ・ダウジングは、次の3種類に分類できると言っています。
(1)時計回りに円を描く
(2)振り子のように揺れ動く
(3)動かずに静止したまま
彼は、ルドラークシャ・ダウジングは、人間のオーラに反応すると述べています。
プランダール博士は、さらにこう述べています。
「私は仕事のためにカルカッタ(現コルカタ)に行きました。ある日、カルカッタのチャクラワルティ博士から、病院を手伝うように頼まれました。私は承諾し、彼の病院に行きました。私は暗に婦人科の仕事だと思っていましたが、そこへ到着すると、それは心臓外科で、チャクラワルティ博士は心臓外科医であることが分かりました。私たちは医療について様々な意見を交わしました。チャクラワルティ博士は、「ルドラークシャ・ダウジング」について読んだようで、彼はそれについては懐疑的であると言いました。彼は私を試すように、心臓病の患者について、ルドラークシャ・ダウジングで正しい知見を与えるよう要求してきました。私はこの挑戦を受け、5、6人の心臓病患者を診ました。そして、ルドラークシャ・ダウジングによって、私は患者の病状について正しい診断を伝えることができました。それは彼にとって、非常に驚きだったようです。」
それからは、チャクラワルティ博士自身が、心臓外科についてのルドラークシャ・ダウジングの研究を開始しました。チャクラワルティ博士は、これらの研究によって、心臓手術における複雑な問題や、その対応策についての正しい理解を得られるようになったようです。また彼は、心臓手術の国際シンポジウムで、この研究についての発表も行っています。
(ルドラークシャ療法は、インドの民間療法に相当します。ルドラークシャの科学的特性が現代科学で認知されているわけではありません。症状が明らかな場合は、お近くの医療機関を受診ください。)
http://sitarama.jp/?mode=f5#rdtより

マントラについてのFAQ

マントラに関するよくある質問について、サンスクリット・マントラに詳しいThomas Ashley-Farrand氏の回答からご紹介させていただきます。

Q:いくつもの願い事があるので、マントラを一度にいくつか唱えようと思っています。これは良いことでしょうか。
A:マントラへの取り組みがはじめての時は、マントラの効果が現れ始めるまでの40日間は、ひとつのマントラに集中して唱えられることをおすすめします。その後は、あなたの願望にあわせて、あなたの好きな組み合わせで唱えてもよいでしょう。マントラは、あなた自身と、宇宙からのエネルギーに作用します。したがって、複数のマントラを実践する場合は、少なくとも唱える場所を統一した方がよいでしょう。
Q:周りに人がいるときは、心の中でマントラを唱えていますが、これでよいでしょうか。
A:本当は、心の中でマントラを唱えることは、もっとも強力な方法です。心の中で繰り返し唱えることは、チャクラに対応する花弁を刺激するため、身体の微細な領域にエネルギーが流れ込みます。
Q:マントラはグル(師)から授からないと効果がないと聞きました。これは本当でしょうか。
A:マントラを数多く繰り返し唱え、マントラの力を解放した人々は、「マントラ・シッディ」と呼ばれることがあります。これは、マントラによって何らかの霊力を獲得し、マントラに熟達したことを意味します。彼らは「霊力」とともに他の人々にマントラを授けることができるかもしれません。こうしてマントラを授かった人々は、グルから「霊力」とともに伝授されなかった人々よりも、すみやかに目的が達成される場合があります。しかしながら、サンスクリットのマントラは、チャクラに直接作用するため、あなたに生来与えられている霊的な権利です。マントラは、ただ本などで読んだ場合でも、実践することでその力を発揮します。
マントラ・シッディに達するために、最低限唱えなければならない回数は、一般に12万5千回といわれています。
Q:マントラを他の人のために唱えたいと思っています。これは良いことでしょうか。
A:他の人々のために祈ることは、どんな時でも良いことです。しかしながら、一般の祈りは、その回答を神々に委ねるのに対し、サンスクリットのマントラは積極的かつ特定的で、一般の祈りとは多少異なります。したがって、もし可能であるならば、祈りたい人にあらかじめ、あなたの幸福を願ってお祈りしたいとのことを伝えておくとよいかもしれません。これを伝えるのが難しい場合は、彼らの至高善と吉兆のために祈りのエネルギーが使用されるように祈るするとよいでしょう。また祈りの際は、彼らの名前を先に読み、マントラが彼らのために唱えられるを明確にして、彼らのカルマを被らないようにしましょう。
なお両親は、子供たちに対して、マントラによる祈りの権利と責任を本来的に持っています。

ところで本日は、インドではブッダ・プールニマ祭が行われます。日本では、ウエサク祭として、各地で祭典が行われる予定です。どうぞよい吉日をお過ごしください。
出典:http://www.sanskritmantra.com/FAQ.htm

ガーヤトリー・マントラの恩恵

現在知られているマントラの多くは、現世利益的な効果を願ったものですが、ガーヤトリー・マントラは、私たちに良識を与えてくれるように願う唯一のマントラといわれています。そのガーヤトリー・マントラの恩恵の一例として、「Gayatri – The Highest Meditation」よりご紹介します。

知性が啓発されない限り、真理は覆い隠されたままです。知性は、タマス(暗質)とラジャス(激質)によって覆われています。世俗的な事にどれほど聡明で、賢くても、本当の安らぎや幸福は手に入りません。知性は、サットヴァ・グナ(浄質)すなわち静寂によって浄められ、光り輝く状態となります。ガーヤトリー・マントラの光は、暗く鈍い状態や激情の原因となる錆や埃を取り除き、内面を照らすことによって真理を映し出します。この光輝によって、人は至高の平安を手にします。これを経験した後のすべての行為は、社会を向上させる模範となります。彼らは、人類に祝福される存在となるでしょう。
暗質的な行為や激質的な行為によって、日々浪費されているプラーナ(生命)・エネルギーは、上昇に転換します。神聖なガーヤトリー・マントラは、プラーナ・エネルギーの浪費を防ぎ、人々を健康、繁栄、勇敢、無尽蔵の強さによって祝福します。
ガーヤトリーの光は、禁欲的な力、真理の力、スピーチの力、ヒーリングの力、他人にスピリチュアルなエネルギーを伝達する力などで祝福します。
ガーヤトリー・マントラの実践によって、健康、長寿、無執着、人間性、霊的な洞察力、無私の奉仕、犠牲、相互理解、忍耐、普遍的友情、真理への揺るぎない信念、宇宙的意識、普遍的愛、その他の神的な美徳などが人々にあらわれます。
人は、無知の暗闇によって、過ちや罪を犯します。ガーヤトリーは、真理の光によって祝福し、カルマ(業)や輪廻転生の渦から救い出します。叡智の第三の目を開くことで、私たちの過去、現在、未来が明かされ、穏やかに天界へと導かれます。私たちのエネルギーを神聖な愛や創造性に転換させるガーヤトリーの光は、私たちの人生すべてを神聖なものにします。
ガーヤトリー・マントラは、あらゆる恐怖を取り除きます。すべての病にとっての最高の治療法です。カルマを破壊し、解放によって祝福します。ガーヤトリー・マントラが唱えられるところは、神の言葉の炎によって、悪魔や悪霊が祓われます。

ガーヤトリー・マントラの恩恵のもと、よい休日をお過ごしください。
参照:
Sadguru Sant Keshavads, Gayatri The Highest Meditation, p67, Motilal Banarsidass Publishers Pvt. Ltd., India

シヴァ・パンチャークシャラ・マントラ

オーム・ナマ・シヴァーヤ
このマントラは、あらゆるヴェーダやタントラの核心であるといわれています。「ナマ・シヴァーヤ」は、ルドラムの中で頻繁に見ることができます。またアーガマ・シャーストラでは、その意味が詳細に述べられています。
ナッチンタナイは次のように述べています。
「ナマ・シヴァーヤは、アーガマとヴェーダの真理をなすものです。ナマ・シヴァーヤは、すべてのマントラとタントラを表現しています。ナマ・シヴァーヤは、わたしたちの魂であり、肉体であり、財産です。ナマ・シヴァーヤは、確実にわたしたちを守ってくれます。」
このマントラの意味を明確にすることは容易ではありません。単純な訳語では、「わたしはシヴァ神に帰依します」という意味になります。しかし、この訳は、すべてを表現していません。シヴァには、吉兆という意味があるため、このマントラは吉兆に敬意を示すという意味もあります。シヴァは、本などで書かれているように、単なる破壊の神としてではなく、文脈の中でその意味を判断する必要があります。
シャイヴィズム(シヴァ派)やその他のヒンドゥー教の組織では、シヴァは、神々の源となる無形の超越的な存在(パラマーシヴァ)とされています。これは、他のすべての存在の源と考えられ、他者と切り離された神ではなく、すべての人の中心に内在している神とされています。シヴァは、外部にあるわけでもなく、あなたと切り離されたものでもなく、むしろ、あなたの心の中心に存在するものです。
このマントラの訳語よりもさらに重要なことは、その音と波動にあります。その他すべてのマントラと同じように、マントラの意味よりは、音により大きな重点が置かれます。このマントラは、「ナ」、「マ」、「シ」、「ヴァ」、「ヤ」の5音節(パンチャークシャラ)のマントラとして知られています。マントラのはじめには、すべてのマントラや音の起源となるマハービージャ(種子)の聖音「オーム」によって構成されます。マントラに含まれた音節は、それぞれに意味と特性があるとされています。
サットグル・シヴァーヤ・スブラフマニヤスワミは、次のように述べています。
「”ナ”は、神の隠れた恩寵を、”マ”は世界を、”シ”はシヴァを示し、”ヴァ”では、彼の恩寵を明らかにし、”ヤ”は(救済された)魂をあらわす」
そして、次のように続けます。
「五元素も、この古代の呪文によって発動されたものである。”ナ”は地、”マ”は水、”シ”は火、”ヴァ”は風、”ヤ”は空(エーテル、アーカーシャ)である。」
パラマーハンサ・ムクターナンダも、このマントラが精神や霊的な道にいかに有用であるか、雄弁に語っています。このマントラを唱えることで、タマス(暗質)とラジャス(激質)を取り除き、高尚な霊験に適した、純粋な心の状態を作るといいます。
ムクターナンダはこう述べています。
「このマントラに潜在する力は、偉大な神秘です。わたしたちがナマ・シヴァーヤの5音節を唱えるとき、肉体を構成する五元素が浄化されます。それぞれの音節は、それぞれの要素に対応します。ナの音節は地の要素に、マの音節は水の要素に、シの音節は火の要素に、ヴァの音節は風の要素に、そしてヤの音節は空(エーテル)の要素に対応します。それぞれの音節は、対応した要素を浄めます。肉体や心が完全に清らかでないとき、わたしたちが霊的修行から得る恩恵は限られたものになります。それゆえ、心身を浄めるために、オーム・ナマ・シヴァーヤを唱えます。」
ヨーガ・マガジンで、スワミ・ニランジャナーナンダ・サラスワティーは、マントラの波動的な性質と、主要なチャクラの関係について、いくつか詳しく解説しました。彼は次のように述べています。
「例えば、わたしたちが”オーム・ナマ・シヴァーヤ”を唱えるとき、わたしたちはシヴァ派になるわけでもなく、神を崇めたり、帰依したりするのでもなく、これは、さまざまなチャクラのエネルギーを刺激していることになります。”オーム”は、心の純粋さ、創造性、直感に対応するアージュナー・チャクラの音です。”ヤ”あるいは”ヤム”は、アナーハタのマントラです。”ヴァ”あるいは”ヴァム”はスヴァーディシュターナのマントラです。これと同じように、”ナ”、”マ”、”シャ”も、それぞれ異なるチャクラに対応する音節となります。」
ここで聖者スブラフマニヤスワミは、マントラとチャクラ、そしてプラーナやアストラルのような事柄について解説しています。「”オーム・ナマ・シヴァーヤ”が繰り返されるとき、わたしたちはナ・マ・シ・ヴァ・ヤ・オームのチャクラを通過します。オームは頭頂のチャクラです。ナマ・シヴァーヤは、地・水・火・風・空の要素をなし、すべてに浸透する意識へと変革します。そして、”オーム”の終わりは、頭頂よりさらに上の偉大なチャクラへと続きます。呼吸をするように、「オーム・ナマ・シヴァーヤ・オーム・ナマ・シヴァーヤ・オーム・ナマ・シヴァーヤ……」と繰り返し唱える時の間は、至高の存在に到達するための空間であり、魂、心、精神、肉体の世界へいったん後退し、それらすべてを新たなエネルギー、新たな生活、新たな知力で祝福する時です。「ナマ・シヴァーヤ・オーム、ナマ・シヴァーヤ・オーム、ナマ・シヴァーヤ・オーム」は、絶え間なく続く人生の過程であり、人生の本質を示しています。」
声に出しても、心の中で唱えても、このマントラを繰り返し唱えてみてはじめて、聖者が述べているような味わい深い甘露を味わうことができるでしょう。
「ルドラークシャ・ビーズを身につけ、パンチャークシャラ・マントラを唱えなさい。心が柔和になり、溶け出すでしょう。愛を込めてこの5文字のマントラを唱えれば、シヴァの心を見るでしょう。そして、不純なもの、心配、疑念は破壊されます。」-シヴァ・ヨーガスワミ
http://sitarama.jp/?mode=f6より

アダムの橋(ラーマ・セートゥ)

「王子として誕生したラーマは、神の仕事を遂行するために超人的な力を発揮し、インド洋を制御した。そして、対岸(ランカ島)に棲まう悪名高き王ラーヴァナを殺した」(シュリーマド・バーガヴァタム)
古い記事になりますが、かつてNASAが撮影した衛星写真に、ラーマーヤナの神話で登場したインドとスリランカを繋ぐ橋が、はっきりと映し出されていると話題になりました。

(出典:NASA Digital Image Collection)
以下にHindustan Times(2002, Oct.10)からの記事を紹介いたします。

NASAによって撮影された衛星写真が、インドとスリランカを結ぶポーク海峡にある不思議な古代の橋を明らかにしました。最近発見された橋は、アダムスブリッジと命名され、約30kmに渡って続いています。
橋の独特な湾曲や構造から、人工物であることが考えられます。古代の伝説や考古学的な考察から、橋の建設年とほぼ同時期の約175万年前に、スリランカに先住民が移住した証であるとされています。
これは、トレータ・ユガの時代(170万年以上前)の出来事であるとされるラーマーヤナの神話に、重大な見地を与えます。
この叙事詩では、至高神の化身であるラーマの指揮の下、ラーメーシュワラム(南インド)とスリランカの間に、橋が建築されたことについて述べられています。
この情報は、人類の起源に関心を持つ考古学者にとってはあまり重要ではないかもしれませんが、インド神話にまつわる古代史について、世界中の人々に知る機会を与え、宗教的な門戸を開いたことは確かです。

(註:橋の建築年代や長さ、また人工物か自然形成のものかなど、さまざまな議論があります)
現在は、温暖化による海面上昇で渡ることはできませんが、数百年前までは橋として機能していたという説もあるようです。ラーマーヤナに書かれているように、ラーマがハヌマーンとともにこの橋を建築し、ランカ島に渡って悪魔を退治したと想像するのは楽しいですね。
しかし2007年、このアダムの橋を横切る水路建設にともない、保守派から猛反発を受けたインド政府は、ラーマが実在した証拠はないとの見解を表明したようです。発展著しいインドですが、近代化にともなって、伝統的な宗教的価値感までが蔑ろにされるのは少し寂しい気がします。
ところで本日4月14日は、そのラーマーヤナの主人公であるラーマの誕生日です。ラーマーヤナで語られるラーマの栄光をあらためて見直してみるのもよいかもしれません。
参照:
・”NASA Images Find 1,750,000 Year Old Man-Made Bridge between India and Sri Lanka”,
http://www.lankalibrary.com/geo/ancient/nasa.htm(画像あり)
・”NASA Images Find 1,750,000 Year Old Man-Made Bridge”,
http://www.salagram.net/VWHIndia.html#LankaBridge
・”インドとスリランカをつなぐ7つの島”,
http://www.eorc.nasda.go.jp/imgdata/topics/2003/tp031016.html(画像あり)
・”Adam’s Bridge”,
http://en.wikipedia.org/wiki/Adam’s_Bridge(画像あり)

マントラによる瞑想

音声心理学、自然原理にもとづいて数千年間に渡って実証されてきたジャパによる瞑想には、さまざまな実利的な救済があります。
西洋文化によく見られるロザリオによる祈祷は、ジャパの形式のひとつといえます。ロザリオに似たジャパ・マーラーは、マントラを繰り返し唱える際によく使用されます。これを使用することで、リズミックに繰り返し唱えることができ、集中力の強化や内的な気づきを得る助けとなります。ジャパ・マーラーは、通常108個のビーズと、他のビーズより少し大きめのメールという親玉で成り立ちます。この親玉は、ビーズ1個につきマントラを一回唱えていったときに、108回のジャパ(1マーラー)が完了したことのシグナルになります。続けて唱える場合は、指は親玉を交差してはいけません。親玉に到達したら、数珠を反対方向に繰っていきます。ビーズを繰る時は、親指と中指を使用します。人差し指は、ネガティブな意味があるので、インドでは滅多に使用されることはありません。数珠は、臍より下に垂れないようにし、使用しないときは、清潔な布に包んでおきます。
瞑想の開始前には、適切な祈りを唱えることで、感覚を研ぎ澄ますことができます。軽く目を閉じ、眉間にあるアージュナー・チャクラか、胸にあるアナーハタ・チャクラに意識を集中させ、好きな神さまや師匠を想起します。マントラは、間違えないようにはっきりと唱えます。唱えるのが速すぎても、遅すぎてもいけません。そして、その意味にも意識を向けます。心が彷徨いだしたときは、マントラのスピードをあげて、集中力を取り戻してもよいでしょう。心は時間とともに流される傾向があるので、瞑想の間は集中力を保つことが重要になります。
ジャパに変化を持たせることは、同じ音節を繰り返し唱えることによる疲労や退屈さを妨げ、集中力を維持するために必要です。しばらくの間は大きな声で唱え、それからささやき声で、最後には心の中で唱えるのもよいでしょう。心は変化を必要としていて、単調では飽きてしまいます。しかしながら、感情を排除した機械的な繰り返しでも、とても大きな効果があります。瞑想の上達に応じて、内的な変化を持たせていくことが大切です。
声に出してのジャパは、ヴァイカリー・ジャパと呼ばれます。一方、ささやき声でのジャパは、ウパームスと呼ばれます。心の中で唱えるマーナシカ・ジャパは、もっとも強力ですが、心はふらふらと彷徨う傾向にあるため、鋭い集中力が必要とされます。周囲の環境にも配慮する必要がありますが、大きな声によるジャパの利点は、世間の騒音や気をそらすものをシャットアウトし、集中力を維持しやすい点にあります。周囲の環境、心の状態、集中力や眠気など、必要に応じて方法を変えるのがよいでしょう。
この種の取り組みに慣れていないビギナーの人たちは、マントラを5分や10分繰り返しただけで、すぐに音をあげてしまうかもしれません。しかし、少なくとも30分は辛抱して繰り返すことで、意識の中にマントラが浸透し、数日の内にその恩恵を感じ取ることができるようになるでしょう。
マントラを繰り返し唱える間、好きな神さまのイメージを想起することは、ジャパの効果を大きく高めます。音と形は、お互いに強め合います。集中力と信念があれば、音波は、意識の中に対応した形をつくり出す力があります。このプロセスは、胸や眉間に神さまの姿を想起することで、非常に高められます。視覚化によって、その神さまの多様な性質に気づきます。その神さまが心に内在し、神さまが心や意識を内から浄め、マントラの力によってその存在が大きくなることを感じましょう。
例えば、シヴァ神を瞑想するとします。物理的なエネルギーは、数珠を繰ることに集中されます。そして、三つ目、三日月、コブラ、三叉矛、太鼓などのシヴァの特徴的なイメージが、心の一層を占めます。同時に「オーム・ナマ・シヴァーヤ」のマントラが繰り返され、意識の中にもう一層が形成されます。マントラの繰り返しは、蓄積的な作用があり、継続することでその効果が増大します。ジャパによる瞑想は、単なる言葉の繰り返し以上のものであることは明らかです。最終的には、三昧の境地に導くものです。
結びの祈りや、瞑想後の過ごし方も重要です。ジャパが終わった後すぐに、世俗的な活動に取り組むのはよくありません。10分ほど静かに座し、神さまを想念し、神さまの存在を感じます。日常の活動を再開した時も、神聖な波動はしばらく残っています。どのような活動に従事しようと、この傾向がいつまでも続くように心がけます。
手仕事を行うときは、手は仕事に集中し、心は神さまに捧げます。
友だちと会話を楽しみながら編み物をしている女性のような場合は、メンタル・ジャパをすることもできます。練習をすることで、手仕事は無意識のうちにこなすことができます。マントラが一日を通じて繰り返されるようになれば、神さまの意識が生活の中にまで浸透してくるでしょう。
リキタ・ジャパと呼ばれるマントラを紙に書くことは、ジャパの補完的な方法です。リキタ・ジャパでは、この目的のためだけのペンとノートを特別に用意して、マントラをノートに書いていきます。静寂と集中力をもって、30分間続けます。書いている間は、心の中で同時にマントラを唱えることで、意識下の影響が強められます。リキタ・ジャパはどの言語や字体で行っても構いません。これは、集中力を高め、瞑想状態に導く大きな助けとなります。人がどのような状態であっても、人々を守り導く神聖なエネルギーの影響を継続させる助けとなる方法です。
これ以上の高度な瞑想方法は、指導者の指示なしに行わない方が賢明です。あまり知られていないビージャ・マントラやシュリー・ヴィディヤーなどの特殊なマントラは、マントラやサンスクリット語に精通していない場合は唱えない方がよいでしょう。不適切に唱えられた場合は、精神的によくない影響がある場合もあります。高度で特殊なマントラに精通していない場合、指導者が近くにいない場合は、広く知られている一般的なマントラに集中するようにしましょう。
神々のマントラは、集中されたジャパ瞑想を長期間にわたって行うプラスチャラナに用いられます。プラスチャラナを行う際は、ジャパのために毎日数時間割り当てる必要があります。マントラは、1種類につき100万回繰り返されます。そして、規定の回数をこなすまでは、信心を込めて、正しい姿勢と心構えで挑みます。マハーマントラのジャパをゆっくり行うと、終了するまでに3年ほどかかります。実行者は、プラスチャラナに関する聖典の記述にある規則や規律を確認し、定められた食事制限などを遵守する必要があります。
アヌシャーサナは、ある精神的な目的達成のために行われる宗教的な苦行です。成功するためには、願望は霊性に関するものであり、苦行の間つねに信念を持ち続けなければなりません。苦行の厳しさはさまざまですが、実行者の体質や健康状態にも依存します。
ジャパ・アヌシャーサナでは、望む目的に応じた神さまのマントラを選択するべきです。個人的に好きな神さまがクリシュナであったとしても、心に響く音楽を作曲したいならばサラスワティー女神のマントラを唱えたり、精神的な障害を取り除きたい場合にはガネーシャのマントラを唱えるとよいでしょう。こうしたジャパ瞑想は、鋭い集中力を持った雑念のない状態で長期間にわたって行われれば、希望の目標に到達することは間違いありません。
ジャパ瞑想については他にもさまざまな形式があるかもしれませんが、一般論とテクニックに大きな違いはありません。信念と愛をもって、不屈の精神で行えば、ジャパは覚りを実現する直接的な道となります。
http://sitarama.jp/?mode=f2より