ヨーニ・ムドラー

目まぐるしく変化をする現代社会において、休むことなく動き続ける私たちは、多くのストレスを抱えています。
溢れる情報の中で、大切なものを見失うことも少なくありません。
そんな社会を生きる時、古代から伝えられる叡智の実践が大きな力を発揮します。
その一つが、ヨーニ・ムドラーです。

ヨーニは、シヴァリンガムの土台として崇められることが多くあります。
シヴァリンガム(男性エネルギー)と結合したヨーニ(女性エネルギー)は、誕生や調和の象徴です。

ヨーニという言葉には、子宮、陰門、母胎、起源、貯蔵所などといった意味があります。
ヨーニ・ムドラーは、母親の子宮の中で守られる胎児のように、外界から完全に自分自身を切り離す象徴があります。
それは、自分自身の起源に戻ることを意味します。

ヨーニ・ムドラーでは、両手で胎児が包まれるような形を作ります。
まず、両手の親指の先、また、両手の人差し指の先を合わせます。
そして、中指、薬指、小指の3本の指の背をくっつけるように、内側に曲げ込みます。
子宮の中で胎児が眠るようなこの手の形を、親指がお臍に向くように、お腹のあたりで組むのがヨーニ・ムドラーです。

親指は大宇宙である梵、人差し指は小宇宙である我をあらわします。
これが結びついた輪の中に、自分自身が繋がります。
このムドラーを通じては、外側に向いていた意識が内側へ向き始めます。
そうして自分自身の源に繋がることで、心身は落ち着き、深い安らぎがもたらされると伝えられます。

何よりも、こうして意識的に外界から自分自身を切り離すことで、私たちは離欲を実践することが可能となります。
あらゆる物事に対し中立を保つ離欲は、万物の源に安住することでもあります。
その平安の中で自分自身の本質を理解するとき、あらゆる苦悩は消えていくに違いありません。

忙しない日々の一瞬においても実践できるムドラーは、私たちの意識を磨き、より豊かな日々へと導いてくれるはずです。
時を超えて受け継がれるこうした叡智を通じて、変わることのない幸福を見出したいと感じます。

(文章:ひるま)

※ヨーニ・ムドラーは、指で両目と両耳と鼻と口の6つを塞ぐ、シャンムキ・ムドラーとされることがあります。

パンカジャ・ムドラー

インドの国花として、人々に広く愛される蓮の花。
泥沼から汚れのない花を咲かせるその美しさは、純粋さや神聖さの象徴です。
そんな蓮の花を象徴する、パンカジャ・ムドラーと呼ばれるムドラーがあります。
「パンカジャ」は、泥沼に生じたものを意味し、パドマやカマラのように、蓮の花の呼称です。

パンカジャ・ムドラーでは、両手で蓮の花のような形を作ります。
まず、両手の平を合わせた後、両手の親指と小指を合わせたまま、残りの3本の指はそれぞれ大きく広げます。
まるで蓮の花が大きく開花するようなその手の形を、アナーハタ・チャクラがある胸のあたりで組むのがパンカジャ・ムドラーです。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指には、それぞれ5元素の象徴があります。
パンカジャ・ムドラーで合わせる親指と小指は、それぞれ、火と水を象徴します。

古来より、儀式では炎が焚かれるように、火は環境を浄化し、悪霊を祓い、罪を浄める力があるとされてきました。
また、沐浴が重要視されるように、水は物理的な汚れを洗い流すだけでなく、穢れを清めるものとして神聖視されています。

その火と水を象徴する親指と小指をしっかりと合わせるこのムドラーでは、私たちの心身において、浄化のエネルギーが高まります。
そうして清められる心身は、苦難が満ち、時に泥沼のように見える人生においても、蓮の花のような美しさを保つための力を与えてくれるはずです。

このムドラーを組むアナーハタ・チャクラは、「心の座」ともいわれるように、愛情や感情が満ちる場所です。
しかし、私たちは時に、複雑な感情にのみ込まれ、ネガティブなエネルギーに包まれることも少なくありません。
このムドラーの実践を通じては、そんな複雑な感情から自分自身が解放されていく感覚を抱くことが幾度となくありました。
そうして生まれる清らかな平安は、より大きな世界を愛することを学ばせてくれるものです。

ムドラーは、自分自身の内なる世界からその周囲まで、取り巻くエネルギーを向上させる術でもあります。
日々の一瞬一瞬において、自分自身の動作や姿勢に意識的になることで、より美しい日々を自ら築き上げることができるに違いありません。

(文章:ひるま)

瞑想を深めるムドラーの実践

ヨーガの練習では、その始まりや終わりにおいて、手と手を合わせる合掌のポーズを行うことが多くあります。「祈りのポーズ」、または単に「祈り」ともいわれるこの行いは、アンジャリ・ムドラーと呼ばれます。ヨーガの練習の始めにアンジャリ・ムドラーを行うと、心が落ち着き、確かな集中力を感じることができるでしょう。

しかし、ムドラーの本来の意味を理解しないと、このアンジャリ・ムドラーもヨーガの練習の一部としてしか感じられないかもしれません。なぜムドラーが重要視されるのか、その意味を理解すると、ムドラーは日常生活においても大きな意味と目的を持った行いとなります。

「印相」を示すムドラーの本来の意味には、「封印」や「印章」があります。それは、ある意味を象徴的に表現したり、さらにその意味を刻印する動きでもあります。手で示すムドラーに加え、ハタ・ヨーガでは身体で示すムドラーも実践されます。それぞれのムドラーには特定の働きと象徴があり、ムドラーを行うとそれぞれの働きと象徴が持つ意味を封印し、意識に強く働きかけます。私たちは日常生活の中で、自分自身の思考や感情を手や身体の動きで示しますが、ムドラーを学び、自分自身の姿勢、そして身振りや手振りに気づくことで、より意識的に日常生活を過ごすことができます。

基本のムドラーを以下にいくつか挙げてみます。

アンジャリ・ムドラー

アンジャリ・ムドラー:閉じた蓮の花のように両手のひらを合わせます。右手と左手は、相反するものの象徴です。清浄と不浄、陰と陽、男性と女性、自分と他者、梵と我など、相反するものが一つになる感覚は、大きな安らぎをもたらします。アンジャリは感謝や敬意を意味し、ナマステーの挨拶でも実践されるように、自分と世界に平安をもたらすムドラーです。

チン・ムドラー

チン・ムドラー:親指の先と人差し指の先を合わせ輪を作り、他の3本指は真っ直ぐに伸ばしたまま、手のひらを上に向けます。親指は大宇宙である梵、人差し指は小宇宙である我をあらわし、これを結びつけることによって梵我一如を象徴します。このムドラーは、広く瞑想中に実践されます。膝の上でチン・ムドラーを結ぶことで、大きな世界と深くつながることができるでしょう。

プラーナ・ムドラー

プラーナ・ムドラー:薬指の先と小指の先、親指の先を合わせ、人差し指と中指は合わせて真っすぐに伸ばし、手のひらを上に向けます。瞑想中は膝の上で、または腕を上げたままの状態で結んでも良いでしょう。エネルギーの流れを調整し、内なるエネルギーや世界のエネルギーとの結びつきを強めるムドラーです。

安らぎを感じるために、内なるエネルギーへのアクセスのために、敬意をあらわすために、世界と繋がるために、神々との結びつきを深めるために、ムドラーの実践を始めてみると良いかもしれません。まずは1日の始まりと終わりにムドラーを数分間実践し、どんな感覚を得るか見つめてみましょう。瞑想時にはその始まりと終わりにムドラーを実践することで、瞑想状態がより深まることに気がつくでしょう。

(SitaRama)

仏陀とアバヤ・ムドラー

Statue of Buddha in a temple in China

今年も仏陀の降誕祭として祝福される満月が近づいています。インドでは、ヴィシュヌ神の9番目の化身とされる仏陀。そんな仏陀が見せるさまざまな御姿には、その一つ一つに、深い意味があると伝えられます。特に、その手が示すムドラー(印相)は、私たちに大きな気づきを与えてくれるものです。

仏陀が結ぶさまざまなムドラーの中に、「施無畏印」といわれる「アバヤ・ムドラー」があります。アバヤ・ムドラーは仏陀だけでなく、ヒンドゥー教の多くの神々が結ぶムドラーでもあり、「恐れのない」ムドラーを意味しているといわれます。このアバヤ・ムドラーと仏陀の間には、ある言い伝えがあります。

多くの帰依者を従えるようになった仏陀は、ある時、嫉妬深い従兄に殺害を企てられます。従兄は暴れ狂う一匹の象を、仏陀の歩く道に放しました。目の前にこの象がやって来た時、仏陀がアバヤ・ムドラーを示すと、象は途端に穏やかになり、仏陀を襲うことはしなかったといわれます。

アバヤ・ムドラーは、肩のあたりに手を上げ、指をそろえた手の平を前に向けるムドラーです。それは、手に武器が握られていないことを象徴するとも伝えられます。相手に恐怖心を与えないこのムドラーは、守りや平安を授けるムドラーとして、インドの神々の間で結ばれることも多くあります。崇高な存在と向き合うことは、何よりも、私たちの内に渦巻く無数の恐怖を、払拭してくれるものに他ありません。

ムドラーは、主に手で示すジェスチャーによって、ある意味を象徴的に表現するものと伝えられます。ハタ・ヨーガにおいては身体で示すムドラーも実践されるように、ムドラーは自分自身の内なる世界からその周囲まで、取り巻くエネルギーを改善し向上させる術でもあります。

私たちは日常生活の中で、自分自身の思考や内なるエネルギーの在り方を、手や身体の動きで示しています。日々の一瞬一瞬において、自分自身の姿勢、そして身振りや手振りに意識的になることで、より豊かな日々を自ら築き上げることができるに違いありません。

ブッダ・プールニマーを迎える今、改めて、仏陀の姿勢を通じその教えに触れています。多くの苦難を経験しながらも、深い瞑想によって悟りを得た仏陀のように、まずは自分自身の行いに、常に意識的でいられるよう努めたいと感じています。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Abhayamudra

ナマステーとアンジャリ・ムドラー

OM symbol,amulet from Nepal

インドを旅行したり、その文化に触れたり、また学んだりする時、まず覚えるものに「ナマステー」という言葉があると思います。挨拶として広く用いられるこのナマステーには、手と手を合わせる行いも欠かせません。それはアンジャリ・ムドラーといわれ、祈りや瞑想、またヨーガの実践においても同じように行われるものであり、ナマステーと共にとても大切な意味を持っています。

両手を合わせながら交わされる挨拶「ナマステー」には、「あなたに敬礼をします」という意味があります。それは、あなたの内なる神性を礼拝することを意味しています。ヒンドゥー教の思想では、誰もが神のあらわれであると信じられています。このナマステーでは、一人一人の内にその神を認識し、そして礼拝をする、とても神聖で霊的な意味が秘められています。

そして、両手を合わせるアンジャリ・ムドラーは、親指が軽く胸骨にあたるように、胸のチャクラの前で手を合わせる行いです。(親指が鼻、または眉間にくるように手を合わせることもあります。)胸のチャクラは「心の座」とも言われ、情が溢れ愛が満ちる場として知られています。その中心で手と手を合わせる時、異なるものが一つとなり、大きな愛に包まれます。それはまた、「あなた」と「わたし」の神性を合わせる行いに他ありません。

右手と左手は、相反するものの象徴です。清浄と不浄、陰と陽、男性と女性、または自分と他者、さらには梵と我。ヨーガや瞑想において、このムドラーを実践する時、とても大きな安らぎを感じることがあります。自分自身の内の相反するものが一つになる感覚、そうしてはかられる均衡は、確かな安定をもたらしてくれるのだと実感します。

あらゆるものに神を見出し、一つに繋ぐ行い。ナマステーと両手を合わせる行いに秘められた深い意味に気づきながら、その大切な教えを意識的に実践してみるのも良いかもしれません。個々の結びつきが強まる時、教えが伝えるように、世界は大きな平和に包みこまれるのだと感じています。

(文章:ひるま)

シャームバヴィー・ムドラー

内なる幸せを見出すことは、霊性を育む教えを実践する中で何よりもの大きな目標となるものです。永遠であり、決して変わることのないその幸せを獲得することは、霊性を探求する人々だけでなく、誰しもの願いであるかもしれません。

その幸せを得るために、さまざまな修練が伝えられ、ここインドでは現代でも広く実践されています。その中に、シャームバヴィー・ムドラーと呼ばれる修練があります。第3の目があるとされる眉間を見つめる(両目の焦点を眉間に合わせる)このムドラーには、幸せを得るための大切な意味が秘められています。

シャームバヴィー・ムドラーは、ただ眉間を見つめるだけの修練ではありません。眉間にある第3の目は、真実を見る目であり、またシヴァ神の象徴として知られています。シヴァ神には「幸福」という意味もあるように、このムドラーを通じ見つめるものは、まさに真の「幸せ」です。

シャームバヴィー・ムドラーでは、左右の目の焦点をその中心に合わせることから、左右の脳のバランスに始まり、心身のエネルギー・バランスにも調和や均衡が生まれると伝えられてきました。自分自身の肉体の内でさまざまに生じるエネルギーを、シヴァ神のもとに統一させるこの行いは、調和の中で永遠の幸福(シヴァ神)を得るための大切な術に他ありません。

シヴァ(精神、男性原理)とシャクティ(物質、女性原理)の結合が究極の解脱としても捉えられてきたように、このムドラーを通じ得る、自身の内の相反するエネルギーの穏やかな調和は、私たちに内なる幸せを経験させてくれるものでもあります。

現代社会において、目まぐるしく変化する外界の様相は、この目を通じ、私たちの内なる世界にも大きな影響を与えています。目を統制し、外界と内界とのバランスをとることも、私たちに大きな安らぎを与えてくれるもののように思います。

シャームバヴィー・ムドラーは簡単そうに見えても、少しの時間集中するだけで、目の周辺部が非常に大きく働くことが分かります。このムドラーは、多くの場合、目を開けたまま行うよう伝えられますが、閉じたままでも行うことのできる修練です。空いた少しの時間でも、このムドラーを通じ、内なる幸せを見る修練をしてみるのも良いかもしれません。

(文章:ひるま)

逆さまの行い

ヨーガの修練には、その行いの一つ一つに賢人たちが見出した深い意義が込められています。座法や呼吸法においても、それが秘める意味を紐解いていく中で、自分自身や世界の存在の意味を知ることが多くあります。
その中に、ヴィパリータ・カラニー・ムドラーというものがあります。身体を使ったムドラーとも呼ばれ、座法に更なる深い要素が取り入れられたヨーガの修練法として知られています。
「ヴィパリータ」は逆さまになること、「カラニー」は行いを意味し、その名の通り、頭を支えとしながら足を空中に高く上げ、逆さまになります。そして喉、腹部、会陰部の3つのバンダ(締め付けること)を取り入れることにより、この行いがムドラーとして心身に大きな働きを生み出します。
私たち個々の肉体が小宇宙と捉えられる中で、そこには、月と太陽も同じように存在しています。経典によれば、喉の上方に月が、下腹部に太陽があり、そして月は毎日、私たちに命をもたらす霊液を生み出していると言います。(シヴァ・サンヒター第2章)
しかし、喉にある月から生み出されるこの霊液は、下方の腹部にある太陽へと滴り落ちて燃えつき、いつしか老いや衰えが生じます。滴り落ちるその霊液が太陽の炎に焼かれないよう、上方へと留めるべく行われるのが、この逆さになったヴィパリータ・カラニー・ムドラーだと言われます。
霊液が生み出される喉元は、清浄を意味する「ヴィシュッダ・チャクラ」としても知られています。生命のもととなる霊液が清浄な場に留まることにより、そのエネルギーは私たちを純粋なものに満たすに違いありません。
この行いは、逆さまになることで血液循環が良くなり、内臓機能を活発化、慢性疲労を和らげると言われます。老化を防ぎ、若返り効果のあるポーズと言われ実践されることにも、古くから伝わるその意味が含まれていることが分かります。
一日の終わり、横になって足を上げるだけでも、疲れや緊張が解け、心も体も落ち着き、生き生きとしたエネルギーが体を巡ることを実感します。叡智の秘める意義を大切に実践しながら、日々をより豊かに過ごしていきたいと感じています。
(文章:ひるま)