インドの道端

インドでする好きなことの一つに、道端の観察があります。歩きながら、バスの窓から、ぎゅうぎゅう詰めのリキシャから、チャイ屋や、たまにはきれいなレストランから、角度や気分が変わっても、そこから見える道端には、雑然と、全てのものが存在しているように見えるんです。
インド人は何でも道端に放り投げます。牛の糞だらけの道には、お菓子の袋や生ゴミ、プラスチックの容器やサンダル、何だかわからない布切れ、本や人形、とにかく何でも落ちています。汚いなぁとつくづく思いますが、そこにはピンクや水色のどぎつい色で塗られた神様がどっしりと座り、通りすがる人々は手を合わせます。よだれを垂らした犬が死んだように眠っていて、自分の背丈を越えるほどの巨大な牛がうろついていることもあります。彼らはいつもお腹をすかせていて、野菜や果物を持って歩いていると、目がけて突撃されることもありました。生ゴミなどは牛が食べてくれるので、自炊生活で出るゴミは集めて道端にいる牛にやったりします。でも、そういう時に限ってどこにもおらず、気づけば生ゴミを持って自分がうろうろしていたりします。不思議なインドの世界にどっぷりと浸っていると感じる瞬間です。
ほうきを持って掃除をしている人も見かけますが、たいていは、時たま降る大雨があたりを一斉にきれいにしてくれます。
物乞いや死にかけた人がいて、その隣で、延々とマントラを唱えている人がいます。何かに怒っている人や、ひたすらに祈っている人もいます。洗濯をしている人や、ご飯を炊いている人もいます。聖も俗も、生も死も、いものも奇麗なものも、すべてが当たり前のようにそこにあるので、ついつい見入ってしまうのです。
生活習慣も文化も違えば珍しく映るのは当然ですが、インドは何度訪れても新しい発見を与えてくれます。活気が満ち溢れる路上に見える生活が、何も隠そうとはせず、良いものも悪いものもあるがままの姿を見せてくれるからかもしれません。あまりにもリアルに物事が迫ってくるので、疲れることも多々ありますが、インドの生活が面白いのはきっとそのせいだと思います。
(文章:ひるま)

光の祭典−ディーワーリー(ディーパーヴァリー)

2010年11月5日(金)は、ヒンドゥー教の三大祭のひとつであるディーワーリーの祝日です。このお祭りは、別名ディーパーヴァリーともよばれ、サンスクリット語では「光の列、夜のイルミネーション」を意味します。
この祭典期間中は、ろうそくや煌びやかな照明がインド全国の街中で灯され、その美しさはおおくの人々を魅了します。
このお祭りは、以下のように解説されています[1]。
「ディーパーヴァリーは「光の祭典」として知られ、正義が悪に打ち勝った象徴である。ランプには、その勝利の祝福と人類の希望の記として、灯が点される。ディーワーリーまたはディーパーヴァリー(陶器製のランプの列)を祝う理由は、ラーマが宮殿から追放され14年間を森で暮らす間に、シーターを奪った羅刹王ラーヴァナを殺し、凱旋したラーマを祝福するためである。ラーヴァナを殺した日は、ダシャラー(ディーワーリーの19〜21日前日)として祝われる。祭典は、光とランプに焦点がおかれ、地域によっては、花火が打ち上げられるところもある。
ディーパーヴァリーは、ヒンドゥー暦のアーシュヴィン月に6日間連続で祝われる。おおよそ10月あるいは11月に行われるが、インドでは、もっとも人気があり、待ち望まれている祭典のひとつである。ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒、シーク教徒は、この祭典を、人生の祝福、そして家族と社会の絆を深めるために祝う。ジャイナ教徒にとっては、もっとも重要な祭典であり、ジャイナ教暦では新年にあたる。またシーク教徒にとっても、信仰上重要な祭典である。
・ヒンドゥー教における意義
祭典は、悪に対する正義の勝利を象徴する。サンスクリット語のディーパーヴァリーは、光が暗闇に勝利したことをあらわす光の列を意味する。サンスクリット語の知識が廃れるにしたがい、特に北インドでは、名称が一般にディーワーリーと変化した。
ディーワーリーの日は、多くの人は新しい服を身につけ、お菓子を分け合い、爆竹を鳴らす。北インドの経済界では、事業年度はディーワーリーの日に開始され、新しい商業帳簿はこの日から付けられる。
ヒンドゥーでは、この祭典を祝う理由を、次のようにいくつか挙げている。
・スカンダ・プラーナによると、女神シャクティは、シヴァ神の半身を手に入れるために、シュクラ・パクシャのアシュタミー(月が満ちる時)から21日間の苦行を行った。この誓願(ヴラタ)は、ケーダラ・ヴラタとして知られる。ディーパーヴァリーは、この苦行が完了した日である。この日、シヴァ神は左半身にシャクティを受け入れ、アルダナーリーシュヴァラとして顕現した。熱心な帰依者は、空間を意味するカラシャと呼ばれる容器に21本の紐を入れ、35日間21種類の供養を行う。最終日はケーダラ・ガウリー・ヴラタとして祝われる。
・ディーワーリーは、アヨーディヤの王ラーマが羅刹王ラーヴァナを殺し、シーターと弟のラクシュマナとともに、アヨーディヤへと凱旋した祝いでもある。道に沿ってオイルランプに灯りを点すことで、暗闇にある人々の道を照らすと信じられている。北インドでは、祭典はヴィクラム暦の最終日に行われる。次の日は北インドの新年にあたり、アンナクットと呼ばれる。
・クリシュナの妻のひとりであるサティヤバーマーによって、大破壊をもたらした悪鬼ナラカースラ(地獄のアスラの意味)が倒された祝日。クリシュナのアヴァターの時代であるドゥヴァーパラ・ユガにもたらされた。別の解釈では、悪鬼はクリシュナ自身に倒されたともいわれる。南インドでは、シャリヴァハナ暦にしたがうため、ディーワーリーの新年は一致しない。
(以下略)」
地方によっては、女神ラクシュミーをお祀りするところなどもあるようです。この日はインドの習慣にならって、ランプに灯を点し正義の復興を願ったり、日頃お世話になっている人々に贈り物をしてみるのもよいかもしれませんね。
インドのディーワーリーに先駆けて、横浜では明日10月16日(土)、17日(日)と「ディワリ・イン・ヨコハマ2010」が開催されます。
さまざまなイベントや出店が予定されておりますので、横浜近郊にお住まいの方は参加されてみてはいかがでしょうか。
ディワリ・イン・ヨコハマ2010のプログラム
出典
[1] Wikipedia “Diwali”, http://en.wikipedia.org/wiki/Diwali

ナヴァラートリ祭

ナヴァラートリとは、ドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティー女神をお奉りするヒンドゥー教の三大祭典のひとつです。「ナヴァ」はサンスクリット語で9をあらわし、「ラートリ」は夜を意味します。したがって、ナヴァラートリとは、9日間の夜となります。この祭典は、春と秋の年2回、9日間にわたって行われます。ヒンドゥー教のカレンダーでは、月齢にしたがっているために毎年開催時期が多少前後しますが、今年は本日10月8日から10月16日まで行われます。
ナヴァラートリの9日間は、礼拝する神さまに応じて、3日間ずつに分けられます。はじめの3日間は、わたしたちの心の中に潜む不純物や悪徳、欠点を破壊するため、強力な戦士でもあるドゥルガー女神を礼拝します。次の3日間は、すべての帰依者に尽きることのない富と幸福を授けるといわれるラクシュミー女神を礼拝します。そして、最後の3日間は、創造主ブラフマーの妻であり、学問と芸術、そして叡智を授ける女神であるサラスワティー女神を礼拝します。わたしたちは人生のさまざまな局面で、神々からの祝福を求めて、3つの側面をもつそれぞれの女神さまにお祈りを捧げます。そのために、この祭典には9日間が費やされます。
ナヴァラートリの期間中、真摯な帰依者の中には、断食をしながら、健康や繁栄を願って祈りを捧げる人々もいます。じぶん自身の日々の生活を見つめ直して、人生の向上につながる新しい習慣をはじめるには、昔からナヴァラートリはこの上ない吉祥の日であるといわれています。
10月17日に行われるナヴァラートリの第10日目は、ダシャラー(Dussehra)と呼ばれる吉日です。この日には、ラーヴァナという悪魔をかたどった像が燃やされ、ラーマに主導される善の勢力が、悪に打ち勝った日として盛大に祝われます。
ナヴァラートリは、自身の内面に潜む不浄な傾向を克服するために、非常に重要な期間とされています。この神聖な期間を活かして、かつてラーマが悪鬼ラーヴァナに勝利したように、わたしたちの内面に潜む悪魔を討ち滅ぼすことができるよう日々を過ごされてみるとよいでしょう。
参照
[1] “Navaratri” from Wikipedia, Free encyclopedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Navratri

ガーヤトリー・ジャパの日

2010年8月25日は、ガーヤトリー・ジャパの日です。
この日は、ガーヤトリーの栄光を讃え、ガーヤトリー・マントラを唱える事がすすめられています。
以下に、スワミ・シヴァーナンダの「Hindu Fasts & Festivals」より、ガーヤトリー・ジャパの日についての記事をご紹介します。

偉人たちの人生を、人々の心に呼び覚まさせるため、古代の宗教家たちはとりわけ神聖で吉兆な日として、1年のうちにいくつかの祭日を設けました。これらの祭日では、国をあげてこの偉人たちの栄光を讃え、彼らの精神を呼び覚まし、人々に永遠の記憶を植え付けます。
ヒンドゥー教のカレンダーには、神の化身や聖仙、聖者の誕生日、ギーター・ジャヤンティ、グル・プールニマ、シヴァラートリ、ヴァイクンタ・エーカダシ、そして多くの吉日が記されています。
ガーヤトリー・ジャパの日は、これらの神聖で栄光ある日のひとつとして、すべてのマントラの中でもっとも偉大かつ栄光ある神聖なガーヤトリー・マントラを思い起こす日として設けられています。
ガーヤトリーは、敬虔深いヒンドゥー教徒すべての生命であり支柱です。それは、信奉者を守り導く決して破れない霊的な鎧であり、堕ちることのない要塞です。事実、ガーヤトリーの言葉の真の意味は、「それを歌う人を守るもの」です。
ガーヤトリーは、人間を神へと変え、最高の霊的光輝によって人々を祝福する神の力です。自分の好きな神が誰であっても、ガーヤトリー・ジャパを数マーラー(1マーラーは108回唱えること)を毎日定期的に行うことで、限りない恩寵と祝福が降り注ぐでしょう。それは、絶対神の光に捧げられた純粋で熱心な祈りのすべてに当てはまります。至高のブラフマンであるガーヤトリー・マントラは、すべてのマントラの中でもっとも重要です。信条や身分に関わらず、すべてのブラフミンにとって、ガーヤトリーは寄る辺となるただ一つの光とされています。学生期(独身者)、家住期(世帯主)、林住期(退職者)では毎日このマントラを唱えるべきであり、サンニャーシン(隠遁者)は、このマントラの代わりにオームを唱えるよう求められます。
ガーヤトリー・マントラの本質は、あなたの好きな御姿を瞑想している時にも、唱えることができることです。信奉者の多くは、ガーヤトリーは女性の神格と考えています。女神として礼拝している人々は、この信念を曲げることはありません。しかし、実際のところ、ガーヤトリーは女性として語られることはありません。ガーヤトリー・マントラの中には、女性として出てくる単語は一語もありません。「ガーヤトリー」は女性形の単語ですが、必ずしもその神格を女性にすることはできないのです。それは単なる韻律の名称にすぎず、その神格を示しているものではないからです。
またある人は、ガーヤトリー・マントラは太陽を司ると考えます。しかし、この考えも少し見直さなければなりません。ここでの太陽は、私たちの肉体の目で見える、地上を照らす太陽ではなく、「タット サヴィトゥル」すなわち「あの太陽」です。あの太陽とは、輝くものではなく、人格もない、絶対的なブラフマンのことです。
したがって、その主宰神は至高のブラフマン自身に他ならず、ガーヤトリーはすべてのマントラの中でもっとも偉大なマントラです。それなのに、どうして他のマントラに心を惹かれるのでしょうか。ガーヤトリー自身が至高のマントラ、すなわちすべてのマントラの中の王なのです。ナ・ガーヤトリヤハ・パロー・マントラハ――ガーヤトリーより偉大なマントラはありません。
ガーヤトリーのそれぞれの単語、それぞれの文字は、絶対かつ至高の真理であるヴェーダンタ哲学の頂点に位置します。ガーヤトリーのジャパを行いなさい―それは、あなたにもっとも素晴らしい果報、すなわち永遠の果報を授けるでしょう。
マントラは次のとおりです。
Om bhur bhuvah svah
Tat savitur varenyam
Bhargo devasya dheemahi
Dhiyo yo nah prachodayaat.

Om:至高のブラフマーの象徴
Bhuh:地界
Bhuvah:空界
Svah:天界
Tat:その、すなわち神の
Savituh:創造主
Varenyam:崇拝すべき
Bhargah:罪と無知を消し去るもの。栄光、光輝
Devasya:目映い、光輝く
Dheemahi:私たちは瞑想します
Dhiyah:知性、叡知
Yo: 〜であるもの
Nah:私たちの
Prachodayaat:啓発せよ、導け、駆り立てよ
意味:私たちは瞑想します。
この宇宙を創造したお方を、
崇拝されるべきお方を、
知識と光輝の化身であるお方を、
一切の罪と無知を取り去るお方を、創造主の光輝を。
どうか彼が、私たちの知性を啓発しますように。
ここで、ガーヤトリーは以下の5つの節から成り、それぞれの節の後には休止が入ります。
1.オーム
2.ブール・ブヴァハ・スヴァハ
3.タット・サヴィトゥル・ヴァレーンニャム
4.バルゴー・デーヴァッスヤ・ディーマヒ
5.ディヨー・ヨー・ナハ・プラチョーダヤートゥ
この非常に貴重な神の財産であるガーヤトリー・マントラは、現代の若者たちに軽視されています。これは非常に深刻な問題です。この神聖な日に心を入れ替え、今すぐにガーヤトリーのジャパを熱心に始めてください。少なくとも108回(1,008回ならなお良いでしょう)、このガーヤトリー・ジャパの日に唱えましょう。そして、一日たりとも忘れずに、毎日それを唱え続けるのです。
この吉兆なガーヤトリー・ジャパの日の啓蒙を通じて、ガーヤトリーの意識が全世界に浸透しますように。今この瞬間から、ガーヤトリー・ジャパを毎日行う誓約を立てて、あなたたちすべてに三界の祝福がありますように。あなたが、ガーヤトリー・マントラの内なる真理を悟ることができますように。
ガーヤトリー・ジャパの日は、ラクシャ・バンダンまたはアヴァニ・アヴィッタム(7月〜8月)の日の後に行われます。

出典:
Swami Sivananda, “Hindu Fasts & Festivals”, http://www.dlshq.org/download/hindufest.htm#_VPID_6

シュラヴァナ月

シュラヴァナ月(シュラヴァナ・マース)は、ヒンドゥー暦の5番目の月であり、もっとも神聖な月の1つとされます。この月は、チャトゥル・マース(4つの聖なる月)の最初の月にあたり、多くの祭典や吉兆の日で満たされています。
満月の日やシュラヴァナ月の期間は、ヴェーンカテーシュヴァラ神の誕生星である「シュラヴァナ」が天球を支配するため、この月はシュラヴァナ月と呼ばれるようになったといわれます。
インドで伝統的なヒンドゥー暦における2010年のシュラヴァナ月は、7月27日〜8月24日となります。
特に、シュラヴァナ月の月曜日は、もっとも重要といわれます。この日は、シヴァ神に敬意を示し、多くの帰依者たちが、名高いソームヴァール・ヴラット(月曜絶食)を行います。
またシヴァ寺院では、この期間の月曜日は、一日中シヴァリンガムに聖水を浴びせ、シヴァ神を讃えます。
伝説によると、天地創造の神話であるサムッドラ・マンタン(乳海攪拌)は、この月に起きたといわれています。
シヴァ神が、世界を救うためにハラハラの毒を飲んだ結果、シヴァ神の喉は青くなってしまいました。そのため、シヴァ神は、ニーラ・カンタ(青い喉)と呼ばれるようになりました。
またその毒は、あまりに強力であったために、毒の影響を和らげるために、シヴァ神は三日月を頭に乗せて冷やしました。他の神々たちは、ガンジスの水をシヴァ神に浴びせ、毒の影響を和らげようとしました。
シヴァ神の頭に、三日月とガンジス河が描かれているのは、このような言い伝えがあるためです。
シュラヴァナ月の月曜日に、シヴァ神の象徴であるルドラークシャを身につけることはとても功徳ある行為とされています。
またシヴァ神像やシヴァリンガムに、ミルクやガンガージャルを浴びせることは、多くの功徳を積む行為とされています。
シュラヴァナ月に行うと良い行為には、以下のようなものがあります。
・ルドラークシャを身につける。またはルドラークシャ・マーラーでジャパを行う。
・シヴァ神像にヴィブーティをつける。または自身の眉間につける。
・シヴァリンガムにパンチャームリタ(ミルク、ヨーグルト、ギー、蜂蜜、ヤシ糖を混ぜた甘露)を捧げる。
・シヴァ・チャーリーサーやアーラティを唱える。
・マハー・ムリティユンジャヤ・マントラを唱える。
・月曜日に断食をする。未婚女性は、シュラヴァナ月のすべての月曜日に断食をすると、よい男性に巡り会えるといわれています。(シヴァ神はマッチメーカー(仲介役)としても有名な神様です)
またシュラヴァナはサンスクリット語で、「聴聞」の意味があるため、この期間は、グルの講話などを聞くことも大きな功徳を積む行為といわれています。
この神聖な期間を有意義に過ごしましょう。
参照:
Wikipedia, “Shravan”, http://en.wikipedia.org/wiki/Shravan
Shravana Mas – Shravan Month in 2010, http://www.hindu-blog.com/2008/06/shravana-mas-shravan-month-in-2008.html

アシュタヴィナーヤカ ― 八体のガネーシャがつくり出す曼荼羅

ガネーシャは、シヴァの妃であるパールヴァティー女神の門番役として誕生したといわれています。そのためインドでは、ガネーシャは魔除けのために寺院の門前に置かれることが少なくありません。また従神としてガネーシャを祀る寺院、そしてガネーシャを本尊として祀る寺院も数多くあります。
インドで有名なガネーシャ寺院の中でも、特に注目を集めているのは、アシュタヴィナーヤカと呼ばれる、マハーラーシュトラ州のプネーを中心とした半径100km内に点在するガネーシャの特徴的姿を祀る八寺院でしょう[1]。八寺院のガネーシャには、それぞれに神話や伝説があり、それらのガネーシャが一体になることで、「ガネーシャの聖なる宇宙を表現する曼荼羅を形成している」[2]といいます。
これらの寺院で祀られているガネーシャには、人間が作ったものではなく、自然が創り出したスヴァヤンブというガネーシャがあるといわれます。
アシュタヴィナーヤカの巡礼は、いくつかのルートがありますが、シャーストラ(教典)では次のようなルートが勧められています。
アシュタヴィナーヤカ
1. シュリー・マユレーシュワラ(モーレーシュワラ)寺院
2. シュリー・シッディヴィナーヤカ寺院
3. シュリー・バッラレーシュワラ寺院
4. シュリー・ヴァラダヴィナーヤカ寺院
5. シュリー・チンタマニ寺院
6. シュリー・ギリジャートマジャ寺院
7. シュリー・ヴィグナハラ寺院
8. シュリー・マハーガナパティ寺院
中でも一番重要な寺院といわれるのが、最初の巡礼地である「シュリー・マユレーシュワラ(モーレーシュワラ)寺院」です。アシュタヴィナーヤカの巡礼は、最後に再びこの寺院に戻り終了します。
シュリー・マユレーシュワラ寺院の入り口には、通常はシヴァ寺院でしか見られない牛のナンディがあるなど、各寺院にはそれぞれ個性豊かな特色があります。
インドの旅行会社では、アシュタヴィナーヤカ巡礼のための数日間の巡礼ツアーが組まれています。総距離数約700kmの長い巡礼コースになりますが、霊験あらたかなガネーシャ巡礼のひとつとしておすすめのコースです。
本日、8月23日は、ガネーシャ・チャトゥルティー(ガネーシャ神の降誕祭)です。皆さまにガネーシャの祝福がありますよう、心よりお祈り申し上げます。
[1]Ashtavinayaka, Wikipedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Ashtavinayak
[2]Grimes, John A., Ganapati: Song of the Self, State University of New York Press, 1995
※この原稿は、「ハムサの会 会誌No.21 2009年5月号」に掲載された記事に加筆・修正を加えたものです。

「異次元は存在する」

「異次元は存在する」――このようなタイトルを見ると、ほとんどの人はSF的なイメージを膨らませるでしょう。
しかし異次元についての議論は、最新の物理学で最も注目を浴びているテーマのひとつです。
ハーバード大学物理学教授であるリサ・ランドール博士は、1999年、「わたしたちの暮らす3次元世界は、人間の目には見えない5次元世界に組み込まれている」という、5次元世界に関する論文を、物理学の専門誌「Physical Review Letters」に発表し、一躍脚光を浴びました[1,2,3]。
ランドール博士の提唱する5次元世界は、わたしたちが見たり触れたりすることはできないにもかかわらず、わたしたちの住む宇宙を取り囲み、大きな影響を与えているといいます。
この5次元世界の提唱により、理論物理学における難問を解決する可能性が示され、ランドール博士は2007年、アメリカの「Time」誌で、「世界で最も影響力のある100人」の1人に選出されました。
ランドール博士の提唱する5次元世界を実証すべく、欧州原子核研究機構(CERN)による総工費3,500億円をかけた大型ハドロン衝突型加速器(LHC)での実験が計画されています(LHCは稼働初期の電気系統事故による修理のため、2009年11月に実験再開が予定されています)。
しかし、この最新の物理学が提唱する5次元世界は、古代インドの聖典である『バガヴァッド・ギーター』で述べられている世界観と非常に多くの共通点があることに驚かされます。
以下、バガヴァッド・ギーター[4]と、ランドール博士の提唱する5次元世界の概念の対応を見てみましょう。
万物創造について
『万物は初めは顕現せず、中間が顕現し、終りは顕現しない。ここにおいて、何の嘆きがあろうか。(2.28)』
『昼が来る時、非顕現のもの(根本原質)から、すべての顕現(個物)が生ずる。夜が来る時、それらはまさにその非顕現と呼ばれるものの中に帰滅する。(8.18)
この万物の群は繰り返し生成し、夜が来ると否応なしに帰滅する。昼が来ると再び生ずる。(8.19)
しかし、その非顕現のものよりも高い、別の永遠なる非顕現の存在がある。万物が滅びる時も、それは滅亡しない。(8.20)』
ギーターでは、わたしたちの宇宙は、目に見えない非顕現のものから、目に見える物質が顕現し、その過程が繰り返されると述べられています。
ランドール博士の理論では、3次元世界は、知覚できない無限の5次元世界に覆われています。博士の理論の発展させることで、5次元世界の中で3次元世界が生まれては消え、この過程が永遠に繰り返されるモデルが考えられます。
余剰次元について
『この全世界を遍く満たすものを不滅であると知れ。この不滅のものを滅ぼすことは誰もできない。(2.17)』
『これは低次のものである。だが私にはそれとは別の、生命(ジーヴァ、霊我)である高次の本性(プラクリティ、精神的原理)があると知れ。それにより世界は維持されている。(7.5)
万物はこれに由来すると理解せよ。私は全世界の本源であり終末である。(7.6)
私よりも高いものは他に何もない。アルジュナよ。この全世界は私につながれている。宝玉の群が糸につながれるように。(7.7)』
ギーターでは、この世界は目に見えない不滅の存在で満たされているといいます。そして、目に見える「低次のもの」と、目に見えない「高次の原理」によって世界が維持されていると述べています。
わたしたちの3次元世界は、目に見える「低次のもの」すなわち物質によって構成されています。しかし、その目に見える物質も、極微になればなるほど、不可解な挙動が見え隠れしてきます。
ランドール博士は、素粒子同士が超高エネルギーで衝突すると、粉々になった粒子の破片が、ある確率で姿を消すことを予測し、この粒子が姿を消した先が5次元世界ではないかと考えました。
『この全世界は、非顕現な形の私によって遍く満たされている。万物は私のうちにあるが、私はそれらのうちには存立しない。(9.4)
しかも、万物は私のうちに存立しない。見よ、私の神的なヨーガを。私の本性(アートマン)は万物を支え、万物を実現するが、万物のうちには存しない。(9.5)
いたる所に行きわたる強大な風が、常に虚空(エーテル)の中にあるように、同様に、万物は私のうちにある、と理解せよ。(9.6)』
『最高の主は万物の中に等しく存在し、万物が滅びても滅びることはないと見る人、彼は〔真に〕見るのである。(10.27)』
ギーターでは、わたしたちの住む世界は、目に見えない非顕現のものによって満たされているという記述が度々登場します。
ランドール博士の提唱する5次元世界は3次元世界を遍く覆い尽くしますが、3次元世界から見ると、5次元世界は永遠に広がる異空間であり、人が見ることも、触ることもできません。3次元世界は、人間が知覚できない5次元世界によって遍く満たされているといいます。
余剰次元の理解について
『神々の群は私の本源を知らない。大仙(偉大な聖仙)たちもまた。なぜなら、私はあらゆる点で、神々と大仙たちの本初であるから。(10.2)』
ギーターでは、非顕現の存在を理解することは、神々や大仙でも難しいと述べています。それは、例えば蟻が人間のことを理解することができないように、人間が自分よりも大きな存在を認識することが困難であるのと同様です。わたしたちは通常、自分より大きな存在について、十分な理解を得ることができません。
同様に、ランドール博士の5次元世界は、数式や実験によって垣間見ることはできるかもしれませんが、実体を把握ことは、専門の学者によっても困難です。
重力エネルギーについて
『アルジュナよ、私は万物の心中に宿る自己(アートマン)である。私は万物の本初であり、中間であり、終末である。(10.20)』
ランドール博士の理論では、わたしたちが3次元世界から5次元世界へと飛び出すことは不可能とされます。しかし、重力エネルギーに限り、3次元世界と5次元世界を行き来することができるといいます。
ここではランドール博士の説とはことなりますが、重力エネルギーは、太陽や月の満ち欠けなどから、生命エネルギーと深い関係があることが指摘できます。太陽が昇る時、生命は活発に活動を開始し、月の満ち欠けに応じて、新たな生命が誕生します。さらに、占星術における星の配置や、風水における建造物の構造も、重力との深い関わりがあることから、これらの一部非科学的とされる分野について、重力エネルギーを切り口として科学的なメスを入れることも可能になるかも知れません。
ギーターでは、至高の自己(アートマン、魂)は、高次的な存在であることを指摘していますが、ギーターとランドール博士の理論との対応を考えると、重力エネルギーと生命エネルギーは同種のエネルギーではないかと考えることもできます。
今後、5次元世界が実験で証明されることがあったとしても、5次元世界が「最高の主」としての神のような意識を持つことがあるのか、そしてそれを証明することができるのか、物理学にとってはとても難しい問題かもしれません。
ランドール博士は、5次元世界を観測するには重力エネルギーの測定機器が必要であるといいますが、ギーターでは、高次の世界を知るためには、物質的な手段によっては不可能であると断言しています。
「霊性は、物理学が終わるところから始まる」とも言われるように、物理学では5次元世界の存在を予測することはできても、わたしたちが3次元世界に存在している以上、5次元世界のすべてを知ることはできないのかもしれません。
科学と宗教は、昔から相容れない存在として扱われてきましたが、ともに普遍の真理を探究するものであるならば、どこかで共通の交差点にさしかかります。
そのひとつの交差点が、リサ・リンドール博士の提唱する5次元世界の理論になるかは、これからの時代が証明していくことになるでしょう。
明日、8月13日は、バガヴァッド・ギーターの主クリシュナの降誕祭です。クリシュナの祝福が皆さまにありますよう、心よりお祈り申し上げます。
※ランドール博士の5次元世界について、詳しくは以下の参考文献[1,2,3]をご参照ください。
参考文献
[1]リサ・ランドール、若田光一、「リサ・ランドール―異次元は存在する (NHK未来への提言)」、NHK出版、2007
[2]リサ・ランドール、「ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く」、NHK出版、2007
[3]Lisa Randall, Raman Sundrum, “A Large Mass Hierarchy from a Small Extra Dimension“, Phys.Rev.Lett.83:3370-3373, 1999
[4]上村勝彦訳、「バガヴァッド・ギーター」、岩波文庫、1992

ガネーシャの神通力

ガネーシャは、インドや東南アジアをはじめ、世界中で人気のある象の頭をもつユニークな姿をした神様です。
朝起きたら「おはよう」、ご飯を食べる前には「いただきます」というように、仕事、勉強、旅行など、物事をはじめる前には、除災厄除を願って最初にガネーシャへの礼拝が行われます。
インドの聖典では、現代はカリ・ユガと呼ばれ、ダルマ(正義)がアダルマ(不正)に支配される時代であるといわれます。このような時代にあって、ガネーシャ信仰は発祥の地インドでも形骸化しつつあり、ガネーシャは空想上の偶像に過ぎないと考える人が多くなっているようです。しかし、信仰深い人たちの間では、ガネーシャが常に私たちを見守り、身の回りのさまざまな便宜を図っていることは疑いの余地がありません。
シャイヴァ・アーチャーリヤによるガネーシャ讃歌では、ガネーシャの5つの神通力が讃美されています。ここでは、ガネーシャがもたらす5つの神通力を見ていきましょう[1]。
ガネーシャの1番目の神通力は、家族の調和です。すべての物質は原子から構成されるように、家族は人類の最小の構成単位です。家族の調和なくして、人類の幸福はあり得ません。ガネーシャは、家族間の調和をはかり、愛を浸透させる神通力があります。家族が強い絆で結ばれ、お互いに信頼し、愛し合うこと。すべてはガネーシャの恩寵により実現されます。
ガネーシャの2番目の神通力は、親戚や血縁者、隣家や友人に及ぶ調和です。親戚、隣家や友人は、コミュニケーション不足のために些細なことで不調和となりがちです。ガネーシャへの真摯な祈りや礼拝は、このような付き合いにおいて、調和をもたらす神通力があるといわれます。
ガネーシャの3番目の神通力は、関わり合うすべての人々との調和です。職場であれば同僚そして上司や部下、学校であれば先生や友人など、社会に出ると様々な人との関わり合いは避けることができません。そのような関わり合いを通して、社会は成り立っています。そうして、経済が形成され、物や通貨が滞りなく流通します。人々が幸せに暮らせる社会には、安定した流通が欠かせません。財運向上の神様として崇められるガネーシャは、個人的な財運のみならず、世界経済維持のためにも欠かせない神通力をもちます。
ガネーシャの4番目の神通力は、発展的な文化・文明活動です。学問・芸術の神としても崇められるガネーシャは、人類の文化・文明活動を支える側面を持ちます。魅力的な音楽、神秘的な絵画や彫像、驚きと発見をもたらす科学や文学の数々……人々の心に潤いと安らぎをもたらす文化・文明活動は、ガネーシャの恩寵なくしてあり得ません。また先祖礼拝、神々への祭祀などの宗教活動も、ガネーシャの神通力により支えられています。
ガネーシャの5番目の神通力は、ダルマ(美徳、正義)の確立です。神への真摯な愛、人々への献身、無私の奉仕。このようなダルマに則った活動は、霊的成長のために欠かせない重要な要素です。ダルマが衰えるとき、至高神はさまざまな姿をとってダルマを復興すると、インドの聖典では述べられています。ガネーシャは、主ブラフマンの化身であり、人々の霊的成長に欠かせない神通力を持ち合わせています。
こうしてみると、太陽が日の恵みを与えるように、雨が人々の喉の渇きを潤すように、ガネーシャの神通力は自然の中にありふれた身近な恵みに感じられるかもしれません。しかしそれは、身近にあるものが実はもっとも重要なものであることの証でもあります。
今日もガネーシャは、見えないところで家族の幸せを支え、経済を支え、ダルマの復興を支えているはずです。そのようなガネーシャの恩寵は、私たちの生活に欠かすことができません。毎日の生活が無事に送れることに感謝しつつ、今日も一日を、ガネーシャの礼拝から始めてみてはいかがでしょうか。
7月7日(火)は、グル・プールニマ(師匠を讃える満月祭)です。世界の主であり、万人のグルであるガネーシャの祝福がありますように、お祈り申し上げます。
参考文献
[1]Satguru Sivaya Subramuniyaswami, Loving Ganesha, Himalayan Academy, India, 2000
※この原稿は、「ハムサの会 会誌No.21 2009年5月号」に掲載された記事に加筆・修正を加えたものです。

マハー・シヴァラートリ

明日23日(月)は、1年に1回のシヴァ神の大祭、マハー・シヴァラートリです。
天地創造が完了したとき、パールヴァティーは夫であるシヴァ神に、あなたが喜ぶ儀式はどのようなものかと尋ねたといいます。その時シヴァは、マーガ月(2月〜3月)における満月から13日目の夜/14日目にあたる日がもっとも好ましい吉日である、と応えました。パールヴァティーがこの内容を友人に伝えたため、友人から全生命にこの「吉兆の夜」の意義が拡がったともいわれます。
インドでは通常、この吉日には夜を徹して祭祀が行われます。また夜通しバジャン(宗教讃歌)を歌ったり、マントラ・ジャパや瞑想が行われます。
シヴァラートリは、満月から新月へと変化する境目であるため、欲望の象徴である月が欠けていくこの吉兆の日に霊性修行に励むことは、大きな功徳があると信じられています。
とりわけ、今年のマハー・シヴァラートリは、シヴァの日といわれる月曜日に重なるため、より大きな意味をもつことでしょう。
どうぞ1年で最大の「吉兆の夜(マハー・シヴァラートリ)」をお過ごしください。

ヴァサンタ・パンチャミー

今月31日(土)は、サラスワティー女神の降誕祭にあたるヴァサンタ(ヴァサント)・パンチャミーです。
サラスワティー女神は、ブラフマー神と同じように、インドでは寺院の数も少なく、あまり大々的に礼拝されることのない女神です。しかし、この祭日には、インドの学生はペンやノートをサラスワティー女神の像の前に置いて、学業の成就を祈願します。またこの祭日を設立日としている教育機関も少なくありません。
日本ではこの時期、受験シーズンにあたりますが、受験を控えた方々は、この祭日にあわせて弁財天に合格祈願されるのもよいかもしれません。
ここでは、ヴァサンタ・パンチャミーについて、アーチャーリヤ・サティヤム・シャルマ・シャーストリ氏の解説をご紹介いたします[1]。
『ヴァサンタ・パンチャミーは、学問の女神であるサラスワティーに捧げられるお祭りです。マーガ月(1月〜2月)の新月から5日目が、ヴァサンタ・パンチャミーにあたります。世界中のヒンドゥー教徒は、熱心にこの祭日をお祝いします。この祭日は、サラスワティーの誕生日だと信じられています。
この祭日では、黄色が特別な意味を持つことになります。サラスワティーの女神像は、黄色の衣服で飾り付けられて礼拝されます。また人々も、この日は黄色の衣服を着るようにしています。親類や友人の間では、黄色のお菓子などが贈られます。
中には、この日は僧侶に食事を与える人もいます。また先祖供養(ピトリ・タルパン)を行ったり、愛の神であるカーマ・デーヴァを礼拝する人もいます。
子どもたちにとっては、学習を始めるのに最適な日であることから、アルファベットを学ぶ初日になります。そして、学校、大学などの教育機関は、サラスワティー女神への特別な礼拝を行います。パンディット・マダン・モーハン・マラヴィヤ氏は、バナーラス・ヒンドゥー大学をこの日に創設しました。今では、世界的に有名なトップクラスの教育機関となっています。
ヒンドゥイズムでは、マカラ・サンクラーンティや、ヴァサンタ・パンチャミーのように、宗教的な祭事を季節に織り込むことを特に重要視しています。人々は、個人の信条や願望に応じて、家庭の主宰神(イーシュタ・デーヴァータ/デーヴィー)を礼拝する傾向があります。また一般に人々は富や権力を求める傾向にあります。カリ・ユガ(現在)の時代では、お金(富、権力、名声)の追求が、ほとんどの人々の主目的になっています。まるでお金が神のように崇められています。
しかし、分別のある人々は、霊的な啓蒙のために、サラスワティー女神を礼拝します。彼らによると、王と学識ある人(霊的に優れた人)との間には何の違いもありません。王は、王国の中では敬意を払われますが、学識ある人は、どこに行っても敬われます。高徳の人、霊的な進歩に邁進する人々は、サラスワティー女神への礼拝を非常に重視します。
サラスワティー、ラクシュミー、ドゥルガーの三女神に割り当てられた乗り物は、彼女たちの特別な力を象徴しています。サラスワティー女神の乗り物である白鳥は、サットヴァ・グナ(清浄と識別の要素)を象徴します。ラクシュミー女神のフクロウ、そしてドゥルガーのライオン(虎)は、それぞれタマス(暗質)とラジャス(激質)を象徴しています。
ヴァサンタ・パンチャミーは、これに続くお祭りであるホーリー(2009年3月11日)の前兆になっています。季節は次第に変化し、春の到来が感じられてきます。木々は新芽を出し、森や草原では新しい生命が息吹き始めます。自然は、マンゴーの木に花を咲かせ、小麦や作物は、新しい生命に活力を与えます。
ヴァサンタ・パンチャミーは、季節感、社会的意義と敬虔さに満ちた祭日です。新しい季節の到来を胸に、世界中のすべてのヒンドゥーによって盛大に祝福されます。』

新緑の季節に入り、植物が新芽を出し始めるこの頃、霊的にも実りある豊かな時間をお過ごしください。
[1]Vasant Panchami, http://www.hinduism.co.za/vasant.htm
[2]ヴァサント・パンチャミー,http://blog.sitarama.jp/?eid=186517