クリシュナとキリストの共通点

クリシュナは、紀元前に実在したとされるヴィシュヌの第8番目の化身です。そして、イエス・キリストは、西欧を中心に救世主と崇められる「神の子」です。しかし、クリシュナとイエス・キリストにはさまざまな類似点があることは、以前から指摘されていました[1]。
・両者の名は、ともに「K」と「R」の音で始まっています(「クリ」と「キリ」)。
・クリシュナは牢獄で、キリストは馬屋で生まれ、ともに子を産む場所としては不適切な場所でした。
・両者ともに王族の血筋を継いでいましたが、正義を復興するために生まれた「神の子」に、当時の王が自らの地位を脅かされることを恐れ、同時期に生まれた子を皆殺しにしようとした点なども一致しています。
そして、両者とも、後世に「バガヴァッド・ギーター」、「福音書」として、彼らの教えを記した書物を残しています。
ここで「バガヴァッド・ギーター」(上村勝彦訳)と、新約聖書の中から、同様の記述を比較してみましょう[3,4]。
「アルジュナよ、私は万物の心中に宿る自己(アートマン)である。私は万物の本初であり、中間であり、終末である。」(ギーター / 10章20節)
「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」」(ヨハネの黙示録 / 1章8節)
ここでは、神にはじまりもなければ終わりもないと述べられています。
「感官には、それぞれの対象についての愛執と憎悪が定まっている。人はその二つに支配されてはならぬ。それらは彼の敵であるから。」(ギーター / 3章34節)
「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、」(コリントの信徒への手紙一 / 1章 23節)
「しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。」(ヨハネの黙示録 / 2章 14節)
真理を実現するその過程には、さまざまな障壁があり、クリシュナもイエスもそれには十分注意するよう述べています。
また以下の例では、クリシュナとイエスの教えの要点がほぼ同じものであることが分かります。
「あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。しかも分別くさく語る。賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ。」(ギーター / 2章11節)
「イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」」(マタイによる福音書 / 8章 22節)
「私は万物に対して平等である。私には憎むものも好きなものもない。しかし、信愛をこめて私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。」(ギーター / 9章29節)
「神は人を分け隔てなさいません。」(ローマの信徒への手紙 / 2章 11節)
「敵と味方に対して平等であり、また尊敬と軽蔑に対しても平等であり、寒暑や苦楽に対しても平等であり、執着を離れた人、……彼は私にとって愛しい。」(ギーター / 12章18-19節)
「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書 / 5章 44節)
「梵天の昼は一千世期で終わり、夜は一千世期で終る。それを知る人々は、昼夜を知る人々である。」(ギーター / 8章17節)
「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」(ペトロの手紙二 / 3章 8節)
もちろん、両者には異なる部分もあります。イエス・キリストは独身で子がいなかったといわれるのに対して、クリシュナには1万6千人の妻があり、18万人の子をもうけたといわれています。これなどは、もっとも大きな違いのひとつでしょう。
しかし、一見つながりのないような両者に共通点があることは、どの宗教も、じつはひとつの真理に基づいているからに他ならないのでしょう。
お互いの共通点を見つけることは、お互いの良さを理解するひとつのきっかけにもなります。
クリシュナを知らないキリスト教徒でも、このような類似点を知ることでクリシュナに親しみが湧いてくるのではないでしょうか。
明日8月24日は、クリシュナが降誕された日にあたります。
みなさまにとって、祝福の多い一日となりますように。
参考文献
[1]インド神々の事典, p102, 学研, 2008
[2]上村勝彦訳, バガヴァッド・ギーター, 岩波文庫, 1992
[3]Linkages between two God-men saviors: Christ and Krishna, http://www.religioustolerance.org/chr_jckr.htm
[4]Specific similarities between the lives of Jesus and Krishna, http://www.religioustolerance.org/chr_jckr1.htm

アダムの橋(ラーマ・セートゥ)

「王子として誕生したラーマは、神の仕事を遂行するために超人的な力を発揮し、インド洋を制御した。そして、対岸(ランカ島)に棲まう悪名高き王ラーヴァナを殺した」(シュリーマド・バーガヴァタム)
古い記事になりますが、かつてNASAが撮影した衛星写真に、ラーマーヤナの神話で登場したインドとスリランカを繋ぐ橋が、はっきりと映し出されていると話題になりました。

(出典:NASA Digital Image Collection)
以下にHindustan Times(2002, Oct.10)からの記事を紹介いたします。

NASAによって撮影された衛星写真が、インドとスリランカを結ぶポーク海峡にある不思議な古代の橋を明らかにしました。最近発見された橋は、アダムスブリッジと命名され、約30kmに渡って続いています。
橋の独特な湾曲や構造から、人工物であることが考えられます。古代の伝説や考古学的な考察から、橋の建設年とほぼ同時期の約175万年前に、スリランカに先住民が移住した証であるとされています。
これは、トレータ・ユガの時代(170万年以上前)の出来事であるとされるラーマーヤナの神話に、重大な見地を与えます。
この叙事詩では、至高神の化身であるラーマの指揮の下、ラーメーシュワラム(南インド)とスリランカの間に、橋が建築されたことについて述べられています。
この情報は、人類の起源に関心を持つ考古学者にとってはあまり重要ではないかもしれませんが、インド神話にまつわる古代史について、世界中の人々に知る機会を与え、宗教的な門戸を開いたことは確かです。

(註:橋の建築年代や長さ、また人工物か自然形成のものかなど、さまざまな議論があります)
現在は、温暖化による海面上昇で渡ることはできませんが、数百年前までは橋として機能していたという説もあるようです。ラーマーヤナに書かれているように、ラーマがハヌマーンとともにこの橋を建築し、ランカ島に渡って悪魔を退治したと想像するのは楽しいですね。
しかし2007年、このアダムの橋を横切る水路建設にともない、保守派から猛反発を受けたインド政府は、ラーマが実在した証拠はないとの見解を表明したようです。発展著しいインドですが、近代化にともなって、伝統的な宗教的価値感までが蔑ろにされるのは少し寂しい気がします。
ところで本日4月14日は、そのラーマーヤナの主人公であるラーマの誕生日です。ラーマーヤナで語られるラーマの栄光をあらためて見直してみるのもよいかもしれません。
参照:
・”NASA Images Find 1,750,000 Year Old Man-Made Bridge between India and Sri Lanka”,
http://www.lankalibrary.com/geo/ancient/nasa.htm(画像あり)
・”NASA Images Find 1,750,000 Year Old Man-Made Bridge”,
http://www.salagram.net/VWHIndia.html#LankaBridge
・”インドとスリランカをつなぐ7つの島”,
http://www.eorc.nasda.go.jp/imgdata/topics/2003/tp031016.html(画像あり)
・”Adam’s Bridge”,
http://en.wikipedia.org/wiki/Adam’s_Bridge(画像あり)

シンプル占星術

だれにでもすぐに習得できて、驚異の的中率をほこる占星術(?)をお伝えします。
「明朝、太陽が東から昇るとともに、人々は活発な活動を始めるだろう」
あまりにも当たり前すぎて、これは占星術ではないとお叱りを受けてしまうかもしれませんが、太陽という星の動きをもとに、人々の活動を予測しているので、立派な占星術(?)だといえます。
さらにもうひとつ、
「月の満ちるとき(欠けるとき)、あらたな生命が誕生するだろう」
魚をはじめ、生命誕生のリズムと月の満ち欠けは、密接な関係があることが知られています。
これも、月の動きによって、未来を予測することなので、占星術(?)といえなくはありません。
占星術というと、難しいチャートをみつめて、難しい法則を駆使して導き出す難解なものというイメージがあります。しかし、古代の人々は、このような単純な法則から、星々と生命の何らかの関係を感じ取り、現在の占星術に発展させていったということは、想像に難くありません。
太陽は、莫大なエネルギーを放出し続け、わたしたちの生命活動を支える欠かせない存在であることは、誰の目から見ても明らかです。
人間、動物や植物はみな、太陽の恵みを受けて活発に活動し、生命維持に必要なエネルギーを太陽から得ています。
また月は、地上の生命のリズム維持に、重要な役割を果たしています。満潮・干潮、生物の産卵リズムなどには、月の影響が大きく関わっています。
占星術で太陽や月が重要な地位にあるのは、このような事実があるからかもしれません。
しかし、いざ占星術のチャート上で、太陽や月をもとに将来を予測しようとなると、その解釈はさまざまに変化してきます。
その解釈に一喜一憂するよりも、実はもっとも基本的なこと、太陽や月などのリズムにあわせて、日々を過ごすということが何よりも重要です。
ヴェーダでは、午前4時〜午前8時はサットヴァ(浄性)の時間帯、午前8時〜午後4時はラジャス(激性)の時間帯、午後4時〜午後8時はサットヴァ(浄性)の時間帯、そして午後8時〜午前4時はタマス(鈍性)の時間帯というように、1日24時間の中で、人々に適した活動の時間帯を定めています。
この時間の概念は、ムフールタ(ムフルタ)とも呼ばれ、吉日の選定などにも使用されています。ムフールタは、正確には48分単位で刻まれ、中でもブラフマー・ムフールタの時間帯は、ヨーガや瞑想に適した時間であるとされています。
ムフールタの名称
1 06:00 – 06:48 RUDRA
2 06:48 – 07:36 AHI
3 07:36 – 08:24 MITRA
4 08:24 – 09:12 PITRU
5 09:12 – 10:00 VASU
6 10:00 – 10:48 VARA
7 10:48 – 11:36 VISVADEVA
8 11:36 – 12:24 VIDHI
9 12:24 – 13:12 SATAMUKHI
10 13:12 – 14:00 PURUHUTA
11 14:00 – 14:48 VAHINI
12 14:48 – 15:36 NAKTANCARA
13 15:36 – 16:24 VARUNA
14 16:24 – 17:12 ARYAMA
15 17:12 – 18:00 BHAGA
16 18:00 – 18:48 GIRISHA
17 18:48 – 19:36 AJAPAD
18 19:36 – 20:24 AHIRBUDHNYA
19 20:24 – 21:12 PUSA
20 21:12 – 22:00 ASWINI
21 22:00 – 22:48 YAMA
22 22:48 – 23:36 AGNI
23 23:36 – 24:24 VIDHATR
24 24:24 – 01:12 CANDA
25 01:12 – 02:00 ADITI
26 02:00 – 02:48 JIVA
27 02:48 – 03:36 VISNU
28 03:36 – 04:24 YUMIGADYUTI
29 04:24 – 05:12 BRAHMA
30 05:12 – 06:00 SAMUDRAM
(出典:Wikipedia, “Muhurta”, http://en.wikipedia.org/wiki/Muhurta)
早起きは三文の得、と昔から言い伝えられていますが、世界のどの国でも、朝の時間は非常に大切な時間であるとされています。
仕事で帰宅が遅く、早く休めない人もいるかもしれませんが、無理せず、できる範囲でこのような智慧を取り入れてみるといいでしょう。
これは、占星術のもっとも基本形である、太陽と月の動きにかなった生活術であり、心身ともに活力を得るための、重要な処方箋となります。

ディーワーリー(光の祭典)

本日は、光の祭典ともいわれるディーワーリー(ディーパーヴァリー)の日です。
このお祭りは、インドやネパールで祝われ、またヒンドゥー教に限らず、ジャイナ教やシーク教など、宗教の垣根を越えてお祝いされる盛大なお祭りです。
このお祭りの起源は、もともとは収穫祭だといわれておりますが、現在では、その起源にまつわる多くの言い伝えが残されています。
(参照:光の祭典−ディーワーリー(ディーパーヴァリー)
http://blog.sitarama.jp/?eid=133762)
またこのお祭りは、ラクシュミー女神と強い結びつきがあり、各地でラクシュミー・プージャーなどが行われます。
もとは収穫祭が起源のために、豊作を願ってのことだと思われますが、言い伝えでは、この日に、ラクシュミー女神が乳海の攪拌によって誕生したともいわれます。
また、別の言い伝えでは、ヴィシュヌ神の第5番目の化身であるヴァーマナ(矮人)が、神々を恐怖におとしいれたバリ王から世界を救った日であり、その妻であるラクシュミー女神が慈悲と幸福の象徴として祝われるようになったともいわれます。
ディーワーリーでは、光の祭典の名にふさわしいように、各家庭でロウソクやオイルランプに火を灯し、光に満ち溢れた時を過ごします。
また一歩外に出れば、街中さまざまなイルミネーションに彩られ、人々の目を楽しませてくれます。
自然科学から宗教まで、さまざまな分野で光は特別な存在として扱われています。
光の活用なくしては、現代社会はあり得ませんが、その基本的な性質は、今なお多くの謎に満ち溢れています。
そして聖典では、光は神そのものともいわれます。
ロウソクやオイルランプの煌めく炎を見つめながら、光に満ち溢れた生活に日々の感謝しつつ、自身の内なる光を見つめ直してみる最適な日かもしれません。

ナヴァラートリ

今日12日から9日間にわたって、インドではナヴァラートリ祭が行われます。
ナヴァラートリとは、ヒンドゥー教の女神ドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティーをたたえる9日間の夜のことです。
(参照:http://blog.sitarama.jp/?eid=119359)
ナヴァラートリは、夏のはじまりと、冬のはじまりの時期、年2回行われます。
ではどうして、夏と冬のはじめに、このような盛大なお祭りが行われるのでしょうか。
インドでは、太陽は非常に神聖なものとして崇められています。
そして、太陽が地球に与える環境の移り変わりの時期が、ナヴァラートリの時期にあたると考えられています。
太陽から降り注ぐ、莫大なエネルギーが、このナヴァラートリを境にして微妙に変化してきます。
エネルギーの移り変わりの時期は、いろいろと不安定になりがちですが、その時期にトラブルなくスムーズに移行できるように、宇宙を維持している神々に感謝の気持ちを捧げるお祭りがナヴァラートリになります。
また環境の変化は、心と身体に自然と結びつきます。
季節が移り変わるにしたがって、わたしたちの心と身体も、季節にあわせて変化していきます。
その変化の波にうまく乗れて、わたしたちの心身がともに健康に過ごせるよう、お祈りを捧げるお祭りでもあります。
このように、ナヴァラートリには、大宇宙を維持しているエネルギーに感謝し、心身ともに、無事に変化を迎えられるように神々に感謝します。
季節の変わり目で、体調を崩しやすい日々が続きますが、ナヴァラートリに倣って、自然の神々に感謝を捧げることも、健康であることの秘訣かもしれません。
参照
http://hinduism.about.com/od/festivalsholidays/a/navaratri.htm

ガネーシャ・チャトゥルティー

2007年9月15日は、ガネーシャ・チャトゥルティーと呼ばれる、ガネーシャ誕生祭の日です。
人々は、土でガネーシャ像を造ったり、露天で買ったりしたものを、数日間家でお祀りし、最終日には、水の中に沈め、その年の家内安全を祈願します。
ガネーシャは、さまざまな別名でも示されているように、智慧と幸運を支配するインドの神様です。そして、ガネーシャは、自身が最高の師であるため、師を持ちません。ガナ(群衆)のイーシャ(主)を意味するガネーシャは、師の中の師と呼ばれる存在です。
ガネーシャは、ねずみを乗り物としていますが、どうしてこのような小さなねずみを乗り物としているか不思議に思うかもしれません。
ねずみは、無知と暗黒の象徴です。ガネーシャは、ねずみに乗ることによって、ねずみが象徴している、無知と暗黒を支配することを示しています。
無知と暗黒を克服するために、以下のガネーシャ・マントラを唱えるのも良いでしょう。
「ヴァックラトゥンダ・マハー・カーヤ
スーリヤ・コーティ・サマップラバ
ニル・ヴィッグナム・クルメー・デーヴァ
サルヴァ・カーリェーシュ・サルヴァダ」
Vakratunda Maha Kaya
Surya Koti Samaprabha
Nir Vighnam Kurumey Deva
Sarva Karyeshu Sarvada
意味:
曲がった鼻の、大きな身体をした
太陽の数億倍もの輝きを放つ主よ
どうか我らに叡智を授け、障害から常に
自由になりますように
当日は、午前4時〜午前8時のブラフマムフルタと呼ばれる神聖な時間帯に、ガネーシャについて瞑想します。
それから、沐浴をして、寺院にいき、ガネーシャ神をお参りします。
ガネーシャ神への捧げものとしては、ココナッツや甘いお菓子が好まれます。
心からの祈りを捧げることで、霊性に関する障害、そして直面しているさまざまな現実的な問題を、ガネーシャ神が取り除いてくれるでしょう。
もちろん、ガネーシャ神の存在を肌で感じながら、自宅でお祈りしても構いません。
ところで、ガネーシャ・チャトゥルティーの期間中は、月を見てはいけないと言われています
月を見ることは、ガネーシャを侮辱することになると考えられているからです(※[1]参照)。
しかし、この行為の真意は、この日から、あなたの信じる神や師匠、宗教などを侮辱する悪い仲間とは付き合わないようにしなさいと解釈されています。
ガネーシャ誕生祭を機に、心新たに、仕事、勉強、家事に取り組むことで、ガネーシャ神の恵みとして、精神的に、肉体的に充実した日々を送ることができるでしょう。
参照
[1] 天竺迦羅倶利庵 http://plaza.rakuten.co.jp/jagannatha/diary/200509070000/

クリシュナご降誕祭

本日、2007年9月4日は、ヴィシュヌ神第8番目の化身であるクリシュナが誕生した日です。
この期間中、インドでは、ミルク、凝乳、バター、はちみつ、フルーツなどを入れた大きな陶器の壺を、6〜12メートルもの高さに吊し、青少年たちが競って奪い合うお祭りが行われます。
壺を手に入れるためには、お互いの肩に足を乗せ、その高さまで人間ピラミッドを組んで手に入れなければなりません。一番上の人が運良く壺を手に入れることができたとき、この競技は終了となります。
通常、壺にはロープと一緒に紙幣が縛り付けてあり、一番上の人が手に入れた紙幣は、ピラミッドを組んだ人々に配られます。
この競技は、ミルクやバターが好物のクリシュナを讃えるために、行われるようになりました。クリシュナがまだ幼いとき、仲間といっしょに、ミルクやバターを手に入れるために、隣家に忍び込んだという言い伝えはとても有名です。
またこの日、人々は特に水分を絶つ断食をします。そして、クリシュナの栄光が書かれた書物を読んだり、賛歌を歌ったりして神聖な時を過ごします。
クリシュナが産まれた時刻である夜中には、アーラティが行われます。ここでは、ブランコの上にベビークリシュナが奉られ、豪華な食事が捧げられます。特にクリシュナの好物であったバターは欠かすことができません。
伝統的なプラサードは、「パンチャジリ」と呼ばれる、ショウガの粉末やコリアンダー、砂糖、ギーなど、5種類の成分からできたものです。
アーラティのあと、人々はクリシュナの化身を大喜びして、賛歌などを歌って讃え合います。



グル

僅かな光と音の世界から、外界の空気にはじめて触れるとき、いったい何を思うのでしょうか。
思いっきりの力を込めて、この世界を憂い嘆くのか、大きな産声を上げ、生を授かります。
産まれたばかりの赤ん坊にとって、母親こそ第一の師(グル)であり、生命をつなぐ、切れない糸で結ばれています。
今日29日はグル・プールニマです。
師に対する尊敬の念が常に強いインドであっても、この日はとくに盛大に祝福されます。
「グ」は暗黒や無知を意味し、「ル」はそれを追い払う者というサンスクリットの語源をもちます。
すなわち、グルとは、暗黒や無知を追い払う者という意味になります。
「グル」は霊性の道において、大きな道標となって、わたしたちを照らします。
しかし、いわゆる「グル」以外でも、親というグルもあります。
母親は、その限りない愛をもって、我が子の無知や暗黒を追い払う第一のグルです。
「機が熟したとき、グルは地球の裏側からでも姿をあらわす。」
よく知られたこの諺は、しかし、すべての真実を語ってはいません。
種を蒔き、水をやり、手入れをすることで、花を咲かせ、実をつける。
ただこれだけでも、わたしたちは、因果の概念をそこからから学びます。
裸足で大地を踏みしめ、清々しい空気を全身で呼吸する。
自然というグルに生かされ、偉大さと恵みを感じる瞬間です。
そして、もっとも身近である内なるグル。
一生涯ついてまわる、きっても切れない内なる良心です。
どのようなグルであっても、いつもお世話になっているお気に入りの「グル」に思いを馳せ、感謝するのに最適な日かもしれません。

土星の神 シャナイシュチャラ

ヴェーダ占星術では、土星はシャナイシュチャラと呼ばれます。シャナイシュチャラの語源は、サンスクリット語で「ゆっくり動くもの」を意味する「シャニシュチャラ」です。シャンという言葉はシャナイシュチャラから派生した言葉で、「無知」、「意識しなくなること」を意味し、土星はその象徴です。この「意識しなくなること」は、物質界への執着が希薄になることも意味します。
土星は、霊性が高く、物質次元にとらわれなくなった修行者を示しています。しかし、不吉な惑星ともいわれます。土星は、山羊座と水瓶座の支配星であり、天秤座において高揚し、牡羊座において減衰します。
土星は長寿、惨めさ、悲しみ、老齢、死、修養、制約、責任、遅延、大志、統率、権威、謙虚、誠実、経験による知恵、そして、苦行、拒絶、無執着、霊性、勤勉、組織、現実、時間のカーラカ(表示体)です。
チャート上、土星は第7室とケーンドラ(アセンダント、第4室、第7室、第10室をさす)において最も力が強まり、特にアセンダントが牡牛座や天秤座に位置する人にとって有益な星です。土星の性質はヴァータ、すなわち軽快さです。土星に対応する石はブルーサファイア、あらゆる黒い石、そして金属は鉄です。方角は西であり、曜日は土曜日です。ヴェーダの神話においては、土星は太陽の息子であり、太陽の影の妻チャヤの下に生まれました。太陽の第一婦人サンジャナの子供たちのひとりから怒りを買い、足を折られてしまったために、土星は足が不自由です。足を引きずって歩くことから、惑星の中で一番ゆっくりと進みます。
マンダ(遅いもの)としても知られる土星は、一般的にサディ・サティ(7年半続く)や、アシュタマ・シャニ(第8室にあり、2年半続く)といったある特定のハウスに位置するとき、人に逆境をもたらすことで知られています。土星は山羊座と水瓶座の支配星であり、また、最も歩みが遅く、それぞれのラーシを2年半かけて進み、1つの周期に30年かかります。このデーヴァター(神)への祈り、特に土曜日に行なわれる祈りは、そうした逆境の時期に向き合わねばならない苦難を軽減するといわれています。シャナイシュチャラは真心を持って祈りをささげる帰依者にはあらゆる恩寵を注ぎます。
シャナイシュチャラはそれぞれのラーシに2年半とどまりますが、出生時の月を第1室とした場合の第12室、第1室、第2室を土星が通過する期間はサディ・サティ(ナートゥ・シャニ)と呼ばれ、それは7年半続きます(サディ・サティは7年半の意味)。また第4室にあるときには、アルタシュタマ・シャニと呼ばれ、第8室にあるときには、アシュタマ・シャニと呼ばれます。こうした時期にある者には、シャナイシュチャラによって困難がもたらされます。
政府、同僚、妻、子供に起因する問題、業績の悪化、財産の損失、ハンセン病といったものは土星のトランジットによってもたらされます。
人生において、サディ・サティ(ナートゥ・シャニ)は30年周期でおよそ3度巡ってきます。最初のサイクルはマング・シャニと呼ばれ、本人よりもむしろ近親者に影響があるとされます。第2サイクルはポーング・シャニと呼ばれ、家庭内や事業面での影響があるとされます。第3サイクルは、マーラナ(死)・シャニと呼ばれ、子供、家族、健康面に影響を与え、本人の死を意味することもあります。第4サイクルは、肉体や魂からの解放を示すものとされています。
シャナイシュチャラは与えるものであり、また破壊するものであると考えられています。シャナイシュチャラに祈る者は、直面している悩みや心配から解放されるだけでなく、望んだ人生を与えられることによって祝福されます。
シャニ・マントラ
『プラーナ』より抜粋された次のマントラを唱えることで、土星を沈静化します。
ニーラーンジャナ・サマーバーシャム・ラヴィプトラム・ヤマーグラジャム
チャーヤー・マールターンダ・サンブータム・タム・ナマーミ・シャナイシュチャラム
(neelaanjana samaabhaasam raviputram yamaagrajam|
Chaayaa maartaanda sambhootam tam namaami shanaishcharam|| )
ビージャ・マントラ
オーム・プラーム・プリーム・プラウム・サハ・シャナイシュチャラーヤ・ナマハ
(om pram preem proum sah shanaischaraaya namah)
一般的なマントラ
オーム・シャナイシュチャラーヤ・ナマハ
(om shanaishcharaaya namaha)
土星を鎮めるためには、上の3つのマントラのどれを唱えても構いません。
マントラを唱える回数(総回数):2万3千回
マントラを唱える時間帯:夕刻
出典:
MailerIndia.com, “Shanaiswara – The Saturn”,
http://mailerindia.com/nava/grahas/index.php?saturn
Chakrapani Ullal, “What is Sade-sati?”,
http://www.vedicastrology.com/articles/articlewhatissadesati.htm

サイババ・ジャヤンティ

本日11月23日は、シュリー・サティヤ・サイババ・ジャヤンティ(誕生祭)です。インドで現存している聖者の中では、おそらくもっとも有名な聖者だと思われますが、日本や西欧諸国ではスキャンダル報道が先行し、あやしいと感じる方も多いと思われます。
わたしたちが手に入れた情報を判断する場合、その情報は本当に信頼できるソースからのものであるかどうか、まず周到に確認する必要があります。インターネットの世界では、数多くの情報が氾濫していますので、正確な情報を探し出すというのは非常に難しい作業です。
例えば、学術研究者であれば、さまざまな理由から、個人の作成したサイトをそのまま信用することはまずありません。そのような情報は、概して誤りが多く、学術的な情報として信用するに足らないからです(このサイトもご注意ください(笑))。
多くのメディアは、視聴率や本や雑誌の販売部数に重点をおいているために、正確な情報を伝えるという本来の使命が失われつつあります。そのため、他人のスキャンダルやうわさ話など、わたしたちが本能的に飛びつく情報を優先的に流しがちになります。一部の週刊誌や新聞などの報道記事を巡る訴訟が常に絶えないのは、すべてがそうとは限りませんが、メディアの本来の正確な情報を流すという役割を失った結果であると考えることもできるでしょう。
ここでは最終的な結論は出すに至りませんが、サイババの報道を巡る在り方も、内容をよく吟味し、真偽は自身で判断するしかないと思われます。
そのための判断材料として、代表的な反サイババ・サイトと、その疑惑について反論している擁護サイトを、参考までに掲載いたします(英語)。
反サイト http://www.exbaba.com/
擁護サイト http://www.saisathyasai.com/
インド、プッタパルティのアシュラムでは、アブダル・カラム大統領もかけつけ、盛大に誕生祭が行われたようです。

アシュラムでのニュース記事:
http://www.puttaparthilive.com/news.html