アシュタヴィナーヤカ ― 八体のガネーシャがつくり出す曼荼羅

ガネーシャは、シヴァの妃であるパールヴァティー女神の門番役として誕生したといわれています。そのためインドでは、ガネーシャは魔除けのために寺院の門前に置かれることが少なくありません。また従神としてガネーシャを祀る寺院、そしてガネーシャを本尊として祀る寺院も数多くあります。
インドで有名なガネーシャ寺院の中でも、特に注目を集めているのは、アシュタヴィナーヤカと呼ばれる、マハーラーシュトラ州のプネーを中心とした半径100km内に点在するガネーシャの特徴的姿を祀る八寺院でしょう[1]。八寺院のガネーシャには、それぞれに神話や伝説があり、それらのガネーシャが一体になることで、「ガネーシャの聖なる宇宙を表現する曼荼羅を形成している」[2]といいます。
これらの寺院で祀られているガネーシャには、人間が作ったものではなく、自然が創り出したスヴァヤンブというガネーシャがあるといわれます。
アシュタヴィナーヤカの巡礼は、いくつかのルートがありますが、シャーストラ(教典)では次のようなルートが勧められています。
アシュタヴィナーヤカ
1. シュリー・マユレーシュワラ(モーレーシュワラ)寺院
2. シュリー・シッディヴィナーヤカ寺院
3. シュリー・バッラレーシュワラ寺院
4. シュリー・ヴァラダヴィナーヤカ寺院
5. シュリー・チンタマニ寺院
6. シュリー・ギリジャートマジャ寺院
7. シュリー・ヴィグナハラ寺院
8. シュリー・マハーガナパティ寺院
中でも一番重要な寺院といわれるのが、最初の巡礼地である「シュリー・マユレーシュワラ(モーレーシュワラ)寺院」です。アシュタヴィナーヤカの巡礼は、最後に再びこの寺院に戻り終了します。
シュリー・マユレーシュワラ寺院の入り口には、通常はシヴァ寺院でしか見られない牛のナンディがあるなど、各寺院にはそれぞれ個性豊かな特色があります。
インドの旅行会社では、アシュタヴィナーヤカ巡礼のための数日間の巡礼ツアーが組まれています。総距離数約700kmの長い巡礼コースになりますが、霊験あらたかなガネーシャ巡礼のひとつとしておすすめのコースです。
本日、8月23日は、ガネーシャ・チャトゥルティー(ガネーシャ神の降誕祭)です。皆さまにガネーシャの祝福がありますよう、心よりお祈り申し上げます。
[1]Ashtavinayaka, Wikipedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Ashtavinayak
[2]Grimes, John A., Ganapati: Song of the Self, State University of New York Press, 1995
※この原稿は、「ハムサの会 会誌No.21 2009年5月号」に掲載された記事に加筆・修正を加えたものです。

「異次元は存在する」

「異次元は存在する」――このようなタイトルを見ると、ほとんどの人はSF的なイメージを膨らませるでしょう。
しかし異次元についての議論は、最新の物理学で最も注目を浴びているテーマのひとつです。
ハーバード大学物理学教授であるリサ・ランドール博士は、1999年、「わたしたちの暮らす3次元世界は、人間の目には見えない5次元世界に組み込まれている」という、5次元世界に関する論文を、物理学の専門誌「Physical Review Letters」に発表し、一躍脚光を浴びました[1,2,3]。
ランドール博士の提唱する5次元世界は、わたしたちが見たり触れたりすることはできないにもかかわらず、わたしたちの住む宇宙を取り囲み、大きな影響を与えているといいます。
この5次元世界の提唱により、理論物理学における難問を解決する可能性が示され、ランドール博士は2007年、アメリカの「Time」誌で、「世界で最も影響力のある100人」の1人に選出されました。
ランドール博士の提唱する5次元世界を実証すべく、欧州原子核研究機構(CERN)による総工費3,500億円をかけた大型ハドロン衝突型加速器(LHC)での実験が計画されています(LHCは稼働初期の電気系統事故による修理のため、2009年11月に実験再開が予定されています)。
しかし、この最新の物理学が提唱する5次元世界は、古代インドの聖典である『バガヴァッド・ギーター』で述べられている世界観と非常に多くの共通点があることに驚かされます。
以下、バガヴァッド・ギーター[4]と、ランドール博士の提唱する5次元世界の概念の対応を見てみましょう。
万物創造について
『万物は初めは顕現せず、中間が顕現し、終りは顕現しない。ここにおいて、何の嘆きがあろうか。(2.28)』
『昼が来る時、非顕現のもの(根本原質)から、すべての顕現(個物)が生ずる。夜が来る時、それらはまさにその非顕現と呼ばれるものの中に帰滅する。(8.18)
この万物の群は繰り返し生成し、夜が来ると否応なしに帰滅する。昼が来ると再び生ずる。(8.19)
しかし、その非顕現のものよりも高い、別の永遠なる非顕現の存在がある。万物が滅びる時も、それは滅亡しない。(8.20)』
ギーターでは、わたしたちの宇宙は、目に見えない非顕現のものから、目に見える物質が顕現し、その過程が繰り返されると述べられています。
ランドール博士の理論では、3次元世界は、知覚できない無限の5次元世界に覆われています。博士の理論の発展させることで、5次元世界の中で3次元世界が生まれては消え、この過程が永遠に繰り返されるモデルが考えられます。
余剰次元について
『この全世界を遍く満たすものを不滅であると知れ。この不滅のものを滅ぼすことは誰もできない。(2.17)』
『これは低次のものである。だが私にはそれとは別の、生命(ジーヴァ、霊我)である高次の本性(プラクリティ、精神的原理)があると知れ。それにより世界は維持されている。(7.5)
万物はこれに由来すると理解せよ。私は全世界の本源であり終末である。(7.6)
私よりも高いものは他に何もない。アルジュナよ。この全世界は私につながれている。宝玉の群が糸につながれるように。(7.7)』
ギーターでは、この世界は目に見えない不滅の存在で満たされているといいます。そして、目に見える「低次のもの」と、目に見えない「高次の原理」によって世界が維持されていると述べています。
わたしたちの3次元世界は、目に見える「低次のもの」すなわち物質によって構成されています。しかし、その目に見える物質も、極微になればなるほど、不可解な挙動が見え隠れしてきます。
ランドール博士は、素粒子同士が超高エネルギーで衝突すると、粉々になった粒子の破片が、ある確率で姿を消すことを予測し、この粒子が姿を消した先が5次元世界ではないかと考えました。
『この全世界は、非顕現な形の私によって遍く満たされている。万物は私のうちにあるが、私はそれらのうちには存立しない。(9.4)
しかも、万物は私のうちに存立しない。見よ、私の神的なヨーガを。私の本性(アートマン)は万物を支え、万物を実現するが、万物のうちには存しない。(9.5)
いたる所に行きわたる強大な風が、常に虚空(エーテル)の中にあるように、同様に、万物は私のうちにある、と理解せよ。(9.6)』
『最高の主は万物の中に等しく存在し、万物が滅びても滅びることはないと見る人、彼は〔真に〕見るのである。(10.27)』
ギーターでは、わたしたちの住む世界は、目に見えない非顕現のものによって満たされているという記述が度々登場します。
ランドール博士の提唱する5次元世界は3次元世界を遍く覆い尽くしますが、3次元世界から見ると、5次元世界は永遠に広がる異空間であり、人が見ることも、触ることもできません。3次元世界は、人間が知覚できない5次元世界によって遍く満たされているといいます。
余剰次元の理解について
『神々の群は私の本源を知らない。大仙(偉大な聖仙)たちもまた。なぜなら、私はあらゆる点で、神々と大仙たちの本初であるから。(10.2)』
ギーターでは、非顕現の存在を理解することは、神々や大仙でも難しいと述べています。それは、例えば蟻が人間のことを理解することができないように、人間が自分よりも大きな存在を認識することが困難であるのと同様です。わたしたちは通常、自分より大きな存在について、十分な理解を得ることができません。
同様に、ランドール博士の5次元世界は、数式や実験によって垣間見ることはできるかもしれませんが、実体を把握ことは、専門の学者によっても困難です。
重力エネルギーについて
『アルジュナよ、私は万物の心中に宿る自己(アートマン)である。私は万物の本初であり、中間であり、終末である。(10.20)』
ランドール博士の理論では、わたしたちが3次元世界から5次元世界へと飛び出すことは不可能とされます。しかし、重力エネルギーに限り、3次元世界と5次元世界を行き来することができるといいます。
ここではランドール博士の説とはことなりますが、重力エネルギーは、太陽や月の満ち欠けなどから、生命エネルギーと深い関係があることが指摘できます。太陽が昇る時、生命は活発に活動を開始し、月の満ち欠けに応じて、新たな生命が誕生します。さらに、占星術における星の配置や、風水における建造物の構造も、重力との深い関わりがあることから、これらの一部非科学的とされる分野について、重力エネルギーを切り口として科学的なメスを入れることも可能になるかも知れません。
ギーターでは、至高の自己(アートマン、魂)は、高次的な存在であることを指摘していますが、ギーターとランドール博士の理論との対応を考えると、重力エネルギーと生命エネルギーは同種のエネルギーではないかと考えることもできます。
今後、5次元世界が実験で証明されることがあったとしても、5次元世界が「最高の主」としての神のような意識を持つことがあるのか、そしてそれを証明することができるのか、物理学にとってはとても難しい問題かもしれません。
ランドール博士は、5次元世界を観測するには重力エネルギーの測定機器が必要であるといいますが、ギーターでは、高次の世界を知るためには、物質的な手段によっては不可能であると断言しています。
「霊性は、物理学が終わるところから始まる」とも言われるように、物理学では5次元世界の存在を予測することはできても、わたしたちが3次元世界に存在している以上、5次元世界のすべてを知ることはできないのかもしれません。
科学と宗教は、昔から相容れない存在として扱われてきましたが、ともに普遍の真理を探究するものであるならば、どこかで共通の交差点にさしかかります。
そのひとつの交差点が、リサ・リンドール博士の提唱する5次元世界の理論になるかは、これからの時代が証明していくことになるでしょう。
明日、8月13日は、バガヴァッド・ギーターの主クリシュナの降誕祭です。クリシュナの祝福が皆さまにありますよう、心よりお祈り申し上げます。
※ランドール博士の5次元世界について、詳しくは以下の参考文献[1,2,3]をご参照ください。
参考文献
[1]リサ・ランドール、若田光一、「リサ・ランドール―異次元は存在する (NHK未来への提言)」、NHK出版、2007
[2]リサ・ランドール、「ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く」、NHK出版、2007
[3]Lisa Randall, Raman Sundrum, “A Large Mass Hierarchy from a Small Extra Dimension“, Phys.Rev.Lett.83:3370-3373, 1999
[4]上村勝彦訳、「バガヴァッド・ギーター」、岩波文庫、1992

ガネーシャの神通力

ガネーシャは、インドや東南アジアをはじめ、世界中で人気のある象の頭をもつユニークな姿をした神様です。
朝起きたら「おはよう」、ご飯を食べる前には「いただきます」というように、仕事、勉強、旅行など、物事をはじめる前には、除災厄除を願って最初にガネーシャへの礼拝が行われます。
インドの聖典では、現代はカリ・ユガと呼ばれ、ダルマ(正義)がアダルマ(不正)に支配される時代であるといわれます。このような時代にあって、ガネーシャ信仰は発祥の地インドでも形骸化しつつあり、ガネーシャは空想上の偶像に過ぎないと考える人が多くなっているようです。しかし、信仰深い人たちの間では、ガネーシャが常に私たちを見守り、身の回りのさまざまな便宜を図っていることは疑いの余地がありません。
シャイヴァ・アーチャーリヤによるガネーシャ讃歌では、ガネーシャの5つの神通力が讃美されています。ここでは、ガネーシャがもたらす5つの神通力を見ていきましょう[1]。
ガネーシャの1番目の神通力は、家族の調和です。すべての物質は原子から構成されるように、家族は人類の最小の構成単位です。家族の調和なくして、人類の幸福はあり得ません。ガネーシャは、家族間の調和をはかり、愛を浸透させる神通力があります。家族が強い絆で結ばれ、お互いに信頼し、愛し合うこと。すべてはガネーシャの恩寵により実現されます。
ガネーシャの2番目の神通力は、親戚や血縁者、隣家や友人に及ぶ調和です。親戚、隣家や友人は、コミュニケーション不足のために些細なことで不調和となりがちです。ガネーシャへの真摯な祈りや礼拝は、このような付き合いにおいて、調和をもたらす神通力があるといわれます。
ガネーシャの3番目の神通力は、関わり合うすべての人々との調和です。職場であれば同僚そして上司や部下、学校であれば先生や友人など、社会に出ると様々な人との関わり合いは避けることができません。そのような関わり合いを通して、社会は成り立っています。そうして、経済が形成され、物や通貨が滞りなく流通します。人々が幸せに暮らせる社会には、安定した流通が欠かせません。財運向上の神様として崇められるガネーシャは、個人的な財運のみならず、世界経済維持のためにも欠かせない神通力をもちます。
ガネーシャの4番目の神通力は、発展的な文化・文明活動です。学問・芸術の神としても崇められるガネーシャは、人類の文化・文明活動を支える側面を持ちます。魅力的な音楽、神秘的な絵画や彫像、驚きと発見をもたらす科学や文学の数々……人々の心に潤いと安らぎをもたらす文化・文明活動は、ガネーシャの恩寵なくしてあり得ません。また先祖礼拝、神々への祭祀などの宗教活動も、ガネーシャの神通力により支えられています。
ガネーシャの5番目の神通力は、ダルマ(美徳、正義)の確立です。神への真摯な愛、人々への献身、無私の奉仕。このようなダルマに則った活動は、霊的成長のために欠かせない重要な要素です。ダルマが衰えるとき、至高神はさまざまな姿をとってダルマを復興すると、インドの聖典では述べられています。ガネーシャは、主ブラフマンの化身であり、人々の霊的成長に欠かせない神通力を持ち合わせています。
こうしてみると、太陽が日の恵みを与えるように、雨が人々の喉の渇きを潤すように、ガネーシャの神通力は自然の中にありふれた身近な恵みに感じられるかもしれません。しかしそれは、身近にあるものが実はもっとも重要なものであることの証でもあります。
今日もガネーシャは、見えないところで家族の幸せを支え、経済を支え、ダルマの復興を支えているはずです。そのようなガネーシャの恩寵は、私たちの生活に欠かすことができません。毎日の生活が無事に送れることに感謝しつつ、今日も一日を、ガネーシャの礼拝から始めてみてはいかがでしょうか。
7月7日(火)は、グル・プールニマ(師匠を讃える満月祭)です。世界の主であり、万人のグルであるガネーシャの祝福がありますように、お祈り申し上げます。
参考文献
[1]Satguru Sivaya Subramuniyaswami, Loving Ganesha, Himalayan Academy, India, 2000
※この原稿は、「ハムサの会 会誌No.21 2009年5月号」に掲載された記事に加筆・修正を加えたものです。

マハー・シヴァラートリ

明日23日(月)は、1年に1回のシヴァ神の大祭、マハー・シヴァラートリです。
天地創造が完了したとき、パールヴァティーは夫であるシヴァ神に、あなたが喜ぶ儀式はどのようなものかと尋ねたといいます。その時シヴァは、マーガ月(2月〜3月)における満月から13日目の夜/14日目にあたる日がもっとも好ましい吉日である、と応えました。パールヴァティーがこの内容を友人に伝えたため、友人から全生命にこの「吉兆の夜」の意義が拡がったともいわれます。
インドでは通常、この吉日には夜を徹して祭祀が行われます。また夜通しバジャン(宗教讃歌)を歌ったり、マントラ・ジャパや瞑想が行われます。
シヴァラートリは、満月から新月へと変化する境目であるため、欲望の象徴である月が欠けていくこの吉兆の日に霊性修行に励むことは、大きな功徳があると信じられています。
とりわけ、今年のマハー・シヴァラートリは、シヴァの日といわれる月曜日に重なるため、より大きな意味をもつことでしょう。
どうぞ1年で最大の「吉兆の夜(マハー・シヴァラートリ)」をお過ごしください。

ヴァサンタ・パンチャミー

今月31日(土)は、サラスワティー女神の降誕祭にあたるヴァサンタ(ヴァサント)・パンチャミーです。
サラスワティー女神は、ブラフマー神と同じように、インドでは寺院の数も少なく、あまり大々的に礼拝されることのない女神です。しかし、この祭日には、インドの学生はペンやノートをサラスワティー女神の像の前に置いて、学業の成就を祈願します。またこの祭日を設立日としている教育機関も少なくありません。
日本ではこの時期、受験シーズンにあたりますが、受験を控えた方々は、この祭日にあわせて弁財天に合格祈願されるのもよいかもしれません。
ここでは、ヴァサンタ・パンチャミーについて、アーチャーリヤ・サティヤム・シャルマ・シャーストリ氏の解説をご紹介いたします[1]。
『ヴァサンタ・パンチャミーは、学問の女神であるサラスワティーに捧げられるお祭りです。マーガ月(1月〜2月)の新月から5日目が、ヴァサンタ・パンチャミーにあたります。世界中のヒンドゥー教徒は、熱心にこの祭日をお祝いします。この祭日は、サラスワティーの誕生日だと信じられています。
この祭日では、黄色が特別な意味を持つことになります。サラスワティーの女神像は、黄色の衣服で飾り付けられて礼拝されます。また人々も、この日は黄色の衣服を着るようにしています。親類や友人の間では、黄色のお菓子などが贈られます。
中には、この日は僧侶に食事を与える人もいます。また先祖供養(ピトリ・タルパン)を行ったり、愛の神であるカーマ・デーヴァを礼拝する人もいます。
子どもたちにとっては、学習を始めるのに最適な日であることから、アルファベットを学ぶ初日になります。そして、学校、大学などの教育機関は、サラスワティー女神への特別な礼拝を行います。パンディット・マダン・モーハン・マラヴィヤ氏は、バナーラス・ヒンドゥー大学をこの日に創設しました。今では、世界的に有名なトップクラスの教育機関となっています。
ヒンドゥイズムでは、マカラ・サンクラーンティや、ヴァサンタ・パンチャミーのように、宗教的な祭事を季節に織り込むことを特に重要視しています。人々は、個人の信条や願望に応じて、家庭の主宰神(イーシュタ・デーヴァータ/デーヴィー)を礼拝する傾向があります。また一般に人々は富や権力を求める傾向にあります。カリ・ユガ(現在)の時代では、お金(富、権力、名声)の追求が、ほとんどの人々の主目的になっています。まるでお金が神のように崇められています。
しかし、分別のある人々は、霊的な啓蒙のために、サラスワティー女神を礼拝します。彼らによると、王と学識ある人(霊的に優れた人)との間には何の違いもありません。王は、王国の中では敬意を払われますが、学識ある人は、どこに行っても敬われます。高徳の人、霊的な進歩に邁進する人々は、サラスワティー女神への礼拝を非常に重視します。
サラスワティー、ラクシュミー、ドゥルガーの三女神に割り当てられた乗り物は、彼女たちの特別な力を象徴しています。サラスワティー女神の乗り物である白鳥は、サットヴァ・グナ(清浄と識別の要素)を象徴します。ラクシュミー女神のフクロウ、そしてドゥルガーのライオン(虎)は、それぞれタマス(暗質)とラジャス(激質)を象徴しています。
ヴァサンタ・パンチャミーは、これに続くお祭りであるホーリー(2009年3月11日)の前兆になっています。季節は次第に変化し、春の到来が感じられてきます。木々は新芽を出し、森や草原では新しい生命が息吹き始めます。自然は、マンゴーの木に花を咲かせ、小麦や作物は、新しい生命に活力を与えます。
ヴァサンタ・パンチャミーは、季節感、社会的意義と敬虔さに満ちた祭日です。新しい季節の到来を胸に、世界中のすべてのヒンドゥーによって盛大に祝福されます。』

新緑の季節に入り、植物が新芽を出し始めるこの頃、霊的にも実りある豊かな時間をお過ごしください。
[1]Vasant Panchami, http://www.hinduism.co.za/vasant.htm
[2]ヴァサント・パンチャミー,http://blog.sitarama.jp/?eid=186517

マカラ・サンクラーンティ

マカラ・サンクラーンティは、春の到来を告げる収穫祭です。インドに限らず、東南アジアの国々でもお祝いされる盛大なお祭りであり、今年2009年は1月14日に行われます。
マカラとは「山羊座」、サンクラーンティとは「変遷」のことであり、この日より太陽が山羊座に入ることから、マカラ・サンクラーンティと呼ばれています[1]。
マカラ・サンクラーンティは日本でいう冬至にあたり、昼がもっとも短い日であり、この日から太陽は北方への回帰を始めます(ウッタラーヤナ)。
緯度の違いから、日本では例年12月22日頃がそれにあたります。
インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」では、ウッタラーヤナについて次のように述べられています[2]。
「火、光明、昼、白月、太陽が北に向かう六ヶ月。そこにおいて、逝去したブラフマンを知る人々はブラフマンに達する。(8.24)」
インドでは太古よりウッタラーヤナの期間中に肉体を去ることは、成就に至るために重要であると考えられてきました。
そのためマハーバーラタの英雄として知られるビーシュマは、この吉兆の時に死ぬことを望み、ウッタラーヤナが訪れるまで、矢でできた臥床で死を待ったといわれます。
マカラ・サンクラーンティの吉日では、インド各地において、朝早くから沐浴をし、祈りを捧げ、太陽の恵みに感謝し、豊作を祈願します。
また精神的な恵みを得るためにも重要な吉日であると考えられています。
プラーナ文献では、マカラ・サンクラーンティから1ヶ月間、太陽神スーリヤが息子である土星神シャニの家を訪れると述べています。
山羊座は、インド占星術における土星神シャニが支配する星座です。
父スーリヤとその息子シャニは、いつもはあまり仲が良くありませんが(敵対星座)、父スーリヤが1ヶ月間、息子シャニの家に来ることにより、お互いの関係を確かめ合います。
これは占星術的には、一般の父と息子の関係にとっても重要な意味があるととらえられています。
息子にとっては、父を快く受け入れることで、よりよい家族関係を築くのに重要な時期であるといわれます[3]。
また太陽が北へ向かう6ヶ月の間(冬至から夏至の間)、ここから神々の昼が始まるとして、多くの祭事はこの期間を中心に行われることになります。
太陽が南へ向かう6ヶ月の間(夏至から冬至の間)は、神々の夜にあたる時期と考えられ、ギーターでは、「そこにおいて、逝去したヨーギンは月光に達してから回帰する。(8.25)」と、忌み嫌われている時期であることが窺えます。
しかし、ガンディーが「無執着ヨーガ」の中で、「信愛に従い、ひたすら無執着の行為を行い、真理を見た者は、いつ死のうとも解脱を勝ち得る。」と述べているように[4]、真理とともに生きている人々にとっては、毎日がマカラ・サンクラーンティのような吉日であるといえるのかもしれませんね。
太陽の恵みを感じやすくなるこの時期、皆さまに大きな恵みがありますように。
Reference
[1] Sankranthi, Wikipedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Makar_Sankranti
[2] 上村勝彦訳,バガヴァッド・ギーター,岩波文庫,1992
[3] Makar Sankranti Festival, http://www.vmission.org/hinduism/festivals/sankranti/
[4] 赤松明彦著,『バガヴァッド・ギーター』神に人の苦悩は理解できるのか?,岩波書店,2008

バガヴァッド・ギーターのエッセンス

バガヴァッド・ギーターは、インドの古典文献中でもっとも有名な聖典です。古今東西、世界中の人々が、バガヴァッド・ギーターに親しみ、最高の知識を学び、生きる勇気を与えられてきました。
バガヴァッド・ギーターは、社会人として世間の活動に従事しつつも、成就に達することが可能であると説きます。
ここでは、バガヴァッド・ギーターの日本語訳として「バガヴァッド・ギーター」(上村勝彦訳、岩波文庫)[1]を参照に、ギーターに感銘を受けた人々が残したギーターのエッセンスについての言葉を紹介いたします[2]。
比較宗教学、比較哲学で著名なラーダークリシュナン博士は、ギーター第11章55節が「バクティ(信愛)のエッセンス」であり、ギーターのすべての教えの要旨であると語っています[3]。
「私のための行為をし、私に専念し、私を信愛し、執着を離れ、すべてのものに対して敵意ない人は、まさに私に至る。アルジュナよ。」(11.55)
ここでいう「私のための行為」とは、クリシュナを念想することといわれています。
一方、スティーブ・ローゼン博士は、ギーターの要約を以下の4節にまとめています[4]。
「私は一切の本源である。一切は私から展開する。そう考えて、知者たちは愛情をこめて私を信愛するのである。(10.8)
私に心を向け、生命を私に捧げ、互いに目覚めさせつつ、彼らは常に私について語り、満足し楽しむ。(10.9)
常に〔私に〕専心し、喜びをもって私を信愛する彼らに、私はかの知性(ブッディ)のヨーガを授ける。それにより彼らが私に至るところの。(10.10)
まさに彼らへの憐愍のために、私は個物(アートマン)の心に宿り、輝く知識の灯火により、無知から生ずる闇を滅ぼす。(10.11)」
ラーマクリシュナは、ギーターの本質は、「ギーター」を繰り返し唱えることで得られると述べています[5]。
「「ギーター、ギーター、ギーター…」と繰り返し唱えると、やがて「ターギー、ターギー、ターギー…」と聞こえてくるでしょう。ターギー(ティヤーギン)とは、一切の行為の結果を神に委ねる捨離者のことです。」
クリシュナは、ギーターの中で、放擲(サンニャーサ)と捨離(ティヤーガ)の重要性を繰り返し述べています。放擲と捨離との真実については、第18章でアルジュナがクリシュナにたずねています。
またラーマクリシュナの弟子であるスワミ・ヴィヴェーカーナンダは、「あなたが次の一節を読むならば、ギーターのすべてを読む功徳が一度に得られるだろう。この一節にはギーターのすべてのメッセージが要約されている」と述べ、ギーターのエッセンスとして次の一節を取り上げています[6]。
「アルジュナよ。女々しさに陥ってはならぬ。それはあなたにふさわしくない。卑小なる心の弱さを捨てて立ち上がれ。(2.3)」
これは、すべての現代人に向けられた言葉といえるでしょう。
マハートマ・ガンディーは、ギーターについて次のように書いています[7]。
「ギーターの目的は、私にとって、成就に至るためのもっとも優れた方法を示しているように見える。」
そして、「欲望のない行為によって、行為の果報を放棄することによって、すべての行為を神に捧げることによって、すなわち、肉体と魂を神に委ねることによって」―このような無私の行為によって成就に至ることができる、とガンディーは述べています。
またガンディーは、ギーターへの想いを次のように表現しています[8]。
「私はバガヴァッド・ギーターの中に安らぎを見る。それはイエスの山上の垂訓でもなかったことだ。失望が私を覆い隠すとき、私は一筋の光に目をやるのではなく、バガヴァッド・ギーターに回帰する。ここで詩句を見つけ、あちらで詩句を見つけ、そうするうちに、どうしようもない悲劇のさなかでも瞬時に笑顔に戻る。私の人生は、悲劇の連続だった。目に見えない、消すことのできない傷跡が私に残っても、私はバガヴァッド・ギーターの教えにすべてを委ねる。」
バガヴァッド・ギーターは、現代に生きる術の知識がすべて含まれた、まさに現代人にとってのバイブルと言えます。バガヴァッド・ギーターで得られる知識は、時代を経ても変わることなく、永遠に自己の糧として残るでしょう。
毎日飲み、食べ、眠るように、毎日バガヴァッド・ギーターを読む習慣を身につけるならば、知識という火に照らされた輝きが心に与えられるに違いありません。
今年一年間、SitaRamaをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
どうぞよいお年をお迎えください。
Reference
[1] 上村勝彦訳,「バガヴァッド・ギーター」,岩波文庫,1992
[2] http://en.wikipedia.org/wiki/Bhagavad_Gita
[3] Radhakrishnan, S (1974). “XI. The Lord’s Transfiguration”. The Bhagavad Gita. HarperCollins. p. 289.
[4] Rosen, Steven; Graham M. Schweig. “The Bhagavad-Gita and the life of Lord Krishna”. Essential Hinduism. p. 121.
[5] Isherwood, Christopher (1964). “The Story Begins”. Ramakrishna and his Disciples. p. 9.
[6] Vivekananda, Swami. “Thoughts on the Gita”. The Complete Works of Swami Vivekananda. 4. Advaita Ashrama.
[7] Gandhi, M.K. (1933). “Introduction”. The Gita According to Gandhi.
[8] Quotation from M. K. Gandhi. Young India. (1925), pp. 1078-1079, is cited from Radhakrishnan, front matter.

ライブ・ダルシャン

インドの聖典では、神に謁見すること(ダルシャン)は、非常に大きな功徳があるといいます。そのため、広大なインド各地から、バスや電車に揺られながら、長時間かけて目的の寺院に参拝に行くことも珍しくありません。
そんな中、いくつかの有名な寺院では、インターネットでライブ・ダルシャンが受けられるサービスが始まりました。
これは、インド最大級のタタ財閥のグループ企業のひとつ、タタ・スカイという衛星放送会社のサービスです。営利会社のため、このサービスを広告としてよく思わない人も中にはいるようですが、遠く離れた日本からでも、インドの寺院の様子がライブ中継で見られるのはとても有り難いですね(インターネット版は無料です)。
(追記:このサービスには他にタタ・インディコム、タタ・コミュニケーションズのグループ関連会社が携わっているようです。メインのサービス提供元は申し訳ございませんが分かりませんでした)
現在は、シュリー・シッディヴィナーヤカ・ガナパティ・テンプル、シュリー・サイババ・サマーディ・マンディール、シュリー・カシ・ヴィシュワナート・マンディールの3寺院でライブ中継が観られるようです。
以下にライブ中継が観られるリンク先と毎日のスケジュールを掲載いたしますので、ご参照ください。
またインドとの時差は日本時間−3時間30分です。日本時間で午前7時は、インドで午前3時30分になります。
・シュリー・シッディヴィナーヤカ・ガナパティ・テンプル
(この寺院のガネーシャ像は、珍しい右曲がりの鼻になっています)
ライブ・ダルシャンのリンク先
http://www.siddhivinayak.org/livewebcasting.htm
(リンク先の「Camera 1」をクリックしてください)
デイリー・プログラム
http://www.siddhivinayak.org/dailyaartischedule.htm
(※www.siteadvisor.comやwww.aguse.jpでは安全性が確認できておりますが、Googleにおいて危険なサイトとの認識があるようですので、念のため安全が確認できるまで直リンクを外しております。試聴希望の方は、申し訳ございませんが自己責任でURLをコピー&ペーストして移動してください)
・シュリー・サイババ・サマーディ・マンディール
ライブ・ダルシャンのリンク先
http://www.shrisaibabasansthan.org/shirdilivedarshan1.htm
デイリー・プログラム
http://www.shrisaibabasansthan.org/main_English/shirdi/dailyprograms.asp
・シュリー・カシ・ヴィシュワナート・マンディール
ライブ・ダルシャンのリンク先
http://www.shrikashivishwanath.org/en/online/live.aspx
デイリー・プログラム
http://www.shrikashivishwanath.org/en/daily/aarti.aspx
映像を観ていると、パンディットの人たちが花飾りや信奉者の持ち物にブレスを与えている場面が繰り返し流れています。あまりにも参拝者が多いので一見録画かと思いましたが、どうやら録画ではないようです。インドの人々の信仰心が窺えますね。
どうぞよい一週間をお過ごしください。

右曲がりのガネーシャ vs. 左曲がりのガネーシャ

インドで人気の神様といえば、まずはじめに思い浮かぶのがガネーシャ神です。
ガネーシャ神は、礼拝が盛んなインドでも、他の神様を差し置いて、第1番目に礼拝されるとても重要な神様です。
このガネーシャ神は、人間の身体に象の頭をもち、ネズミを乗り物とするという、とても不釣り合いな姿をしていますが、実はこの姿形は神聖なシンボルとして大きな意味を持っています。
ここでは、「Ganapati」(H.H. Dr. Jayant Balaji Athavale & Dr. [Mrs.] Kunda Jayant Athavale編、Sanatan Sanstha出版)より、ガネーシャの姿の宗教的な意味についてみてみましょう[1]。
1. ガネーシャ神の全身はオームカーラ、すなわちプラナヴァ(原初音)と呼ばれるオームの音を表しています。象は、サンスクリット語の「オーム」を体現する唯一の生き物といわれておりますが、ガネーシャの頭が象になったのは、そのような意味から必然だったのかもしれませんね。
2. ガネーシャの鼻の向きは、多くの場合ガネーシャから見て左曲がりになっています。左曲がりの鼻のガネーシャは、別名ヴァーマムカとも呼ばれています。ヴァーマはサンスクリット語で、左側や北の意味があり、ムカ(ムキ)には顔の意味があります。そして、チャンドラ・ナーディ(月の管)が左側にあるといわれているため、左曲がりのガネーシャは、静寂をもたらすといわれます。加えて、北の方角は、霊的に有益な方角であり、祝福(アーナンダ)を与えるといわれます。また左曲がりのガネーシャは、女性的な面を表し、お金、名声、幸運、幸福な家庭などの生活に恵まれるとされています。
一般的に入手できるガネーシャ像のほとんどが左曲がりの鼻のもので、この「ヴァーマムカ・ガネーシャ」は通常の方法で礼拝してよいといわれています。
一方、右曲がりのガネーシャは、ダクシナームールティまたはダクシナービムカと呼ばれます。ダクシナーは南、ムールティは像、ムカは顔を意味するので、それぞれ「南向きの像」あるいは「南向きの顔」の意味になります。
南の方角は、死の神であるヤマ(閻魔大王)の方角といわれています。また、右側にはスーリヤ・ナーディ(太陽の管)があるといわれています。
ヤマやスーリヤから想像できるように、この方角はとても強力な組み合わせです。したがって、右曲がりのガネーシャ神は、とても強力で活動的なガネーシャ像といわれています。また男性的な面を表し、厳格、誠実、高潔、節制、そして道徳にもとづいた規則正しい生活などを象徴しているといわれます。
3. モーダカ(甘い蒸し団子)は、ガネーシャの大好物です。ガネーシャは、消化に悪い油が嫌いなため、甘いお菓子でも蒸したものでなければ召し上がりません。「モーダ」は喜びやうれしさを意味する語で、「カ」は小さなという意味があります。
またモーダカの形は、霊的な知識の到達度を象徴しています。はじめは霊的な知識が少なく、甘美さを味わえない状態(皮しか食べられない)から、霊的な知識が増すにすれ、やがて大きな甘みが味わえる状態(中身まで食べられる)になります。ガネーシャは、霊的な知識を与える神様であるといわれるゆえんです。
4. ガネーシャが乗り物としているネズミは無知の象徴といわれています。またネズミは素早く動き回るために、激情的な性質の象徴といわれています。ガネーシャがネズミに乗る姿は、無知や激質を克服することを象徴しています。
私たちも素早く動き回るネズミに振り回されずに、ガネーシャのように上手な「ネズミ乗り」になってみたいものですね。
同じガネーシャでも、入手できるガネーシャ像は、製作者によって姿形が様々に変わってきます。今一度、いつもお世話になっている手元のガネーシャ像を良く見直して、ガネーシャの姿形や手にしているものの意味を考え直してみるのもよいでしょう。
参考文献:
[1]H.H. Dr. Jayant Balaji Athavale & Dr. [Mrs.] Kunda Jayant Athavale, “Ganapati”, Sanatan Sanstha, India

ハッピー・ディーワーリー!

本日10月28日は、ディーワーリー(ディーパーヴァリー、光の祭典)です。この日は日本のお正月のように、インドでは、子供にお年玉をあげたり、大掃除や買い物をしたり、甘いお菓子を贈りあったりして新年をお祝いします。
参照ブログ
光の祭典−ディーワーリー(ディーパーヴァリー)
ディーワーリー(光の祭典)
ところで、ディーワーリーでの新年をお祝いするにあたって、その内的な意義も忘れてはなりません。ディーワーリーは「光の祭典」として知られています。
「光」は「富と繁栄」の象徴ですので、ディーワーリーは「富と繁栄のお祭り」ともいうことができます。
しかし、富と繁栄といっても、物質的な富や繁栄には限界があります。
インド哲学では、肉体や心を超越したところに、何ものにも犯されることのない、永遠不滅の「アートマン」が存在するといいます。そして、アートマンは、私たちすべての心の中に宿ると信じられています。
私たちが、肉体の誕生を毎年お祝いするように、ディーワーリーは内的な光である「アートマン」を祝うお祭りでもあります。アートマンは、私たちに限りない富と繁栄をもたらしてくれる永遠の存在です。
この内なるアートマンが輝き出すとき、私たちの無知の暗闇は消え去り、真の自然状態へと回帰することでしょう。それは、肉体や物質を超越した永遠不滅の存在、つまり神を知ることと同じです。
アートマンは、愛や調和の本質ともいえます。すべての人々に存在するアートマンは何一つ違うことなく、すべて共通の性質をもっているからです。
インド哲学では、このアートマンを理解することによって、アーナンダ(内的平安)を得ることができるといわれています。
ディーワーリーは、外見的にはオイルランプに火を灯し、花を捧げたり、お菓子を贈りあったりするお祭りですが、この内的な意義を忘れてはなりません。ディーワーリーの祝い方は地方によって様々ですが、内的な意義は世界共通です。
つまり、内なる光であるアートマンを照らし、すべてに共通の性質であるブラフマンを知ることです[1]。

どうぞよいディーワーリーの祝日をお過ごしください。
参考文献
[1]Diwali, http://en.wikipedia.org/wiki/Diwali