ガネーシャの神通力

ガネーシャは、インドや東南アジアをはじめ、世界中で人気のある象の頭をもつユニークな姿をした神様です。
朝起きたら「おはよう」、ご飯を食べる前には「いただきます」というように、仕事、勉強、旅行など、物事をはじめる前には、除災厄除を願って最初にガネーシャへの礼拝が行われます。
インドの聖典では、現代はカリ・ユガと呼ばれ、ダルマ(正義)がアダルマ(不正)に支配される時代であるといわれます。このような時代にあって、ガネーシャ信仰は発祥の地インドでも形骸化しつつあり、ガネーシャは空想上の偶像に過ぎないと考える人が多くなっているようです。しかし、信仰深い人たちの間では、ガネーシャが常に私たちを見守り、身の回りのさまざまな便宜を図っていることは疑いの余地がありません。
シャイヴァ・アーチャーリヤによるガネーシャ讃歌では、ガネーシャの5つの神通力が讃美されています。ここでは、ガネーシャがもたらす5つの神通力を見ていきましょう[1]。
ガネーシャの1番目の神通力は、家族の調和です。すべての物質は原子から構成されるように、家族は人類の最小の構成単位です。家族の調和なくして、人類の幸福はあり得ません。ガネーシャは、家族間の調和をはかり、愛を浸透させる神通力があります。家族が強い絆で結ばれ、お互いに信頼し、愛し合うこと。すべてはガネーシャの恩寵により実現されます。
ガネーシャの2番目の神通力は、親戚や血縁者、隣家や友人に及ぶ調和です。親戚、隣家や友人は、コミュニケーション不足のために些細なことで不調和となりがちです。ガネーシャへの真摯な祈りや礼拝は、このような付き合いにおいて、調和をもたらす神通力があるといわれます。
ガネーシャの3番目の神通力は、関わり合うすべての人々との調和です。職場であれば同僚そして上司や部下、学校であれば先生や友人など、社会に出ると様々な人との関わり合いは避けることができません。そのような関わり合いを通して、社会は成り立っています。そうして、経済が形成され、物や通貨が滞りなく流通します。人々が幸せに暮らせる社会には、安定した流通が欠かせません。財運向上の神様として崇められるガネーシャは、個人的な財運のみならず、世界経済維持のためにも欠かせない神通力をもちます。
ガネーシャの4番目の神通力は、発展的な文化・文明活動です。学問・芸術の神としても崇められるガネーシャは、人類の文化・文明活動を支える側面を持ちます。魅力的な音楽、神秘的な絵画や彫像、驚きと発見をもたらす科学や文学の数々……人々の心に潤いと安らぎをもたらす文化・文明活動は、ガネーシャの恩寵なくしてあり得ません。また先祖礼拝、神々への祭祀などの宗教活動も、ガネーシャの神通力により支えられています。
ガネーシャの5番目の神通力は、ダルマ(美徳、正義)の確立です。神への真摯な愛、人々への献身、無私の奉仕。このようなダルマに則った活動は、霊的成長のために欠かせない重要な要素です。ダルマが衰えるとき、至高神はさまざまな姿をとってダルマを復興すると、インドの聖典では述べられています。ガネーシャは、主ブラフマンの化身であり、人々の霊的成長に欠かせない神通力を持ち合わせています。
こうしてみると、太陽が日の恵みを与えるように、雨が人々の喉の渇きを潤すように、ガネーシャの神通力は自然の中にありふれた身近な恵みに感じられるかもしれません。しかしそれは、身近にあるものが実はもっとも重要なものであることの証でもあります。
今日もガネーシャは、見えないところで家族の幸せを支え、経済を支え、ダルマの復興を支えているはずです。そのようなガネーシャの恩寵は、私たちの生活に欠かすことができません。毎日の生活が無事に送れることに感謝しつつ、今日も一日を、ガネーシャの礼拝から始めてみてはいかがでしょうか。
7月7日(火)は、グル・プールニマ(師匠を讃える満月祭)です。世界の主であり、万人のグルであるガネーシャの祝福がありますように、お祈り申し上げます。
参考文献
[1]Satguru Sivaya Subramuniyaswami, Loving Ganesha, Himalayan Academy, India, 2000
※この原稿は、「ハムサの会 会誌No.21 2009年5月号」に掲載された記事に加筆・修正を加えたものです。

マハー・シヴァラートリ

明日23日(月)は、1年に1回のシヴァ神の大祭、マハー・シヴァラートリです。
天地創造が完了したとき、パールヴァティーは夫であるシヴァ神に、あなたが喜ぶ儀式はどのようなものかと尋ねたといいます。その時シヴァは、マーガ月(2月〜3月)における満月から13日目の夜/14日目にあたる日がもっとも好ましい吉日である、と応えました。パールヴァティーがこの内容を友人に伝えたため、友人から全生命にこの「吉兆の夜」の意義が拡がったともいわれます。
インドでは通常、この吉日には夜を徹して祭祀が行われます。また夜通しバジャン(宗教讃歌)を歌ったり、マントラ・ジャパや瞑想が行われます。
シヴァラートリは、満月から新月へと変化する境目であるため、欲望の象徴である月が欠けていくこの吉兆の日に霊性修行に励むことは、大きな功徳があると信じられています。
とりわけ、今年のマハー・シヴァラートリは、シヴァの日といわれる月曜日に重なるため、より大きな意味をもつことでしょう。
どうぞ1年で最大の「吉兆の夜(マハー・シヴァラートリ)」をお過ごしください。

ヴァサンタ・パンチャミー

今月31日(土)は、サラスワティー女神の降誕祭にあたるヴァサンタ(ヴァサント)・パンチャミーです。
サラスワティー女神は、ブラフマー神と同じように、インドでは寺院の数も少なく、あまり大々的に礼拝されることのない女神です。しかし、この祭日には、インドの学生はペンやノートをサラスワティー女神の像の前に置いて、学業の成就を祈願します。またこの祭日を設立日としている教育機関も少なくありません。
日本ではこの時期、受験シーズンにあたりますが、受験を控えた方々は、この祭日にあわせて弁財天に合格祈願されるのもよいかもしれません。
ここでは、ヴァサンタ・パンチャミーについて、アーチャーリヤ・サティヤム・シャルマ・シャーストリ氏の解説をご紹介いたします[1]。
『ヴァサンタ・パンチャミーは、学問の女神であるサラスワティーに捧げられるお祭りです。マーガ月(1月〜2月)の新月から5日目が、ヴァサンタ・パンチャミーにあたります。世界中のヒンドゥー教徒は、熱心にこの祭日をお祝いします。この祭日は、サラスワティーの誕生日だと信じられています。
この祭日では、黄色が特別な意味を持つことになります。サラスワティーの女神像は、黄色の衣服で飾り付けられて礼拝されます。また人々も、この日は黄色の衣服を着るようにしています。親類や友人の間では、黄色のお菓子などが贈られます。
中には、この日は僧侶に食事を与える人もいます。また先祖供養(ピトリ・タルパン)を行ったり、愛の神であるカーマ・デーヴァを礼拝する人もいます。
子どもたちにとっては、学習を始めるのに最適な日であることから、アルファベットを学ぶ初日になります。そして、学校、大学などの教育機関は、サラスワティー女神への特別な礼拝を行います。パンディット・マダン・モーハン・マラヴィヤ氏は、バナーラス・ヒンドゥー大学をこの日に創設しました。今では、世界的に有名なトップクラスの教育機関となっています。
ヒンドゥイズムでは、マカラ・サンクラーンティや、ヴァサンタ・パンチャミーのように、宗教的な祭事を季節に織り込むことを特に重要視しています。人々は、個人の信条や願望に応じて、家庭の主宰神(イーシュタ・デーヴァータ/デーヴィー)を礼拝する傾向があります。また一般に人々は富や権力を求める傾向にあります。カリ・ユガ(現在)の時代では、お金(富、権力、名声)の追求が、ほとんどの人々の主目的になっています。まるでお金が神のように崇められています。
しかし、分別のある人々は、霊的な啓蒙のために、サラスワティー女神を礼拝します。彼らによると、王と学識ある人(霊的に優れた人)との間には何の違いもありません。王は、王国の中では敬意を払われますが、学識ある人は、どこに行っても敬われます。高徳の人、霊的な進歩に邁進する人々は、サラスワティー女神への礼拝を非常に重視します。
サラスワティー、ラクシュミー、ドゥルガーの三女神に割り当てられた乗り物は、彼女たちの特別な力を象徴しています。サラスワティー女神の乗り物である白鳥は、サットヴァ・グナ(清浄と識別の要素)を象徴します。ラクシュミー女神のフクロウ、そしてドゥルガーのライオン(虎)は、それぞれタマス(暗質)とラジャス(激質)を象徴しています。
ヴァサンタ・パンチャミーは、これに続くお祭りであるホーリー(2009年3月11日)の前兆になっています。季節は次第に変化し、春の到来が感じられてきます。木々は新芽を出し、森や草原では新しい生命が息吹き始めます。自然は、マンゴーの木に花を咲かせ、小麦や作物は、新しい生命に活力を与えます。
ヴァサンタ・パンチャミーは、季節感、社会的意義と敬虔さに満ちた祭日です。新しい季節の到来を胸に、世界中のすべてのヒンドゥーによって盛大に祝福されます。』

新緑の季節に入り、植物が新芽を出し始めるこの頃、霊的にも実りある豊かな時間をお過ごしください。
[1]Vasant Panchami, http://www.hinduism.co.za/vasant.htm
[2]ヴァサント・パンチャミー,http://blog.sitarama.jp/?eid=186517

マカラ・サンクラーンティ

マカラ・サンクラーンティは、春の到来を告げる収穫祭です。インドに限らず、東南アジアの国々でもお祝いされる盛大なお祭りであり、今年2009年は1月14日に行われます。
マカラとは「山羊座」、サンクラーンティとは「変遷」のことであり、この日より太陽が山羊座に入ることから、マカラ・サンクラーンティと呼ばれています[1]。
マカラ・サンクラーンティは日本でいう冬至にあたり、昼がもっとも短い日であり、この日から太陽は北方への回帰を始めます(ウッタラーヤナ)。
緯度の違いから、日本では例年12月22日頃がそれにあたります。
インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」では、ウッタラーヤナについて次のように述べられています[2]。
「火、光明、昼、白月、太陽が北に向かう六ヶ月。そこにおいて、逝去したブラフマンを知る人々はブラフマンに達する。(8.24)」
インドでは太古よりウッタラーヤナの期間中に肉体を去ることは、成就に至るために重要であると考えられてきました。
そのためマハーバーラタの英雄として知られるビーシュマは、この吉兆の時に死ぬことを望み、ウッタラーヤナが訪れるまで、矢でできた臥床で死を待ったといわれます。
マカラ・サンクラーンティの吉日では、インド各地において、朝早くから沐浴をし、祈りを捧げ、太陽の恵みに感謝し、豊作を祈願します。
また精神的な恵みを得るためにも重要な吉日であると考えられています。
プラーナ文献では、マカラ・サンクラーンティから1ヶ月間、太陽神スーリヤが息子である土星神シャニの家を訪れると述べています。
山羊座は、インド占星術における土星神シャニが支配する星座です。
父スーリヤとその息子シャニは、いつもはあまり仲が良くありませんが(敵対星座)、父スーリヤが1ヶ月間、息子シャニの家に来ることにより、お互いの関係を確かめ合います。
これは占星術的には、一般の父と息子の関係にとっても重要な意味があるととらえられています。
息子にとっては、父を快く受け入れることで、よりよい家族関係を築くのに重要な時期であるといわれます[3]。
また太陽が北へ向かう6ヶ月の間(冬至から夏至の間)、ここから神々の昼が始まるとして、多くの祭事はこの期間を中心に行われることになります。
太陽が南へ向かう6ヶ月の間(夏至から冬至の間)は、神々の夜にあたる時期と考えられ、ギーターでは、「そこにおいて、逝去したヨーギンは月光に達してから回帰する。(8.25)」と、忌み嫌われている時期であることが窺えます。
しかし、ガンディーが「無執着ヨーガ」の中で、「信愛に従い、ひたすら無執着の行為を行い、真理を見た者は、いつ死のうとも解脱を勝ち得る。」と述べているように[4]、真理とともに生きている人々にとっては、毎日がマカラ・サンクラーンティのような吉日であるといえるのかもしれませんね。
太陽の恵みを感じやすくなるこの時期、皆さまに大きな恵みがありますように。
Reference
[1] Sankranthi, Wikipedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Makar_Sankranti
[2] 上村勝彦訳,バガヴァッド・ギーター,岩波文庫,1992
[3] Makar Sankranti Festival, http://www.vmission.org/hinduism/festivals/sankranti/
[4] 赤松明彦著,『バガヴァッド・ギーター』神に人の苦悩は理解できるのか?,岩波書店,2008

バガヴァッド・ギーターのエッセンス

バガヴァッド・ギーターは、インドの古典文献中でもっとも有名な聖典です。古今東西、世界中の人々が、バガヴァッド・ギーターに親しみ、最高の知識を学び、生きる勇気を与えられてきました。
バガヴァッド・ギーターは、社会人として世間の活動に従事しつつも、成就に達することが可能であると説きます。
ここでは、バガヴァッド・ギーターの日本語訳として「バガヴァッド・ギーター」(上村勝彦訳、岩波文庫)[1]を参照に、ギーターに感銘を受けた人々が残したギーターのエッセンスについての言葉を紹介いたします[2]。
比較宗教学、比較哲学で著名なラーダークリシュナン博士は、ギーター第11章55節が「バクティ(信愛)のエッセンス」であり、ギーターのすべての教えの要旨であると語っています[3]。
「私のための行為をし、私に専念し、私を信愛し、執着を離れ、すべてのものに対して敵意ない人は、まさに私に至る。アルジュナよ。」(11.55)
ここでいう「私のための行為」とは、クリシュナを念想することといわれています。
一方、スティーブ・ローゼン博士は、ギーターの要約を以下の4節にまとめています[4]。
「私は一切の本源である。一切は私から展開する。そう考えて、知者たちは愛情をこめて私を信愛するのである。(10.8)
私に心を向け、生命を私に捧げ、互いに目覚めさせつつ、彼らは常に私について語り、満足し楽しむ。(10.9)
常に〔私に〕専心し、喜びをもって私を信愛する彼らに、私はかの知性(ブッディ)のヨーガを授ける。それにより彼らが私に至るところの。(10.10)
まさに彼らへの憐愍のために、私は個物(アートマン)の心に宿り、輝く知識の灯火により、無知から生ずる闇を滅ぼす。(10.11)」
ラーマクリシュナは、ギーターの本質は、「ギーター」を繰り返し唱えることで得られると述べています[5]。
「「ギーター、ギーター、ギーター…」と繰り返し唱えると、やがて「ターギー、ターギー、ターギー…」と聞こえてくるでしょう。ターギー(ティヤーギン)とは、一切の行為の結果を神に委ねる捨離者のことです。」
クリシュナは、ギーターの中で、放擲(サンニャーサ)と捨離(ティヤーガ)の重要性を繰り返し述べています。放擲と捨離との真実については、第18章でアルジュナがクリシュナにたずねています。
またラーマクリシュナの弟子であるスワミ・ヴィヴェーカーナンダは、「あなたが次の一節を読むならば、ギーターのすべてを読む功徳が一度に得られるだろう。この一節にはギーターのすべてのメッセージが要約されている」と述べ、ギーターのエッセンスとして次の一節を取り上げています[6]。
「アルジュナよ。女々しさに陥ってはならぬ。それはあなたにふさわしくない。卑小なる心の弱さを捨てて立ち上がれ。(2.3)」
これは、すべての現代人に向けられた言葉といえるでしょう。
マハートマ・ガンディーは、ギーターについて次のように書いています[7]。
「ギーターの目的は、私にとって、成就に至るためのもっとも優れた方法を示しているように見える。」
そして、「欲望のない行為によって、行為の果報を放棄することによって、すべての行為を神に捧げることによって、すなわち、肉体と魂を神に委ねることによって」―このような無私の行為によって成就に至ることができる、とガンディーは述べています。
またガンディーは、ギーターへの想いを次のように表現しています[8]。
「私はバガヴァッド・ギーターの中に安らぎを見る。それはイエスの山上の垂訓でもなかったことだ。失望が私を覆い隠すとき、私は一筋の光に目をやるのではなく、バガヴァッド・ギーターに回帰する。ここで詩句を見つけ、あちらで詩句を見つけ、そうするうちに、どうしようもない悲劇のさなかでも瞬時に笑顔に戻る。私の人生は、悲劇の連続だった。目に見えない、消すことのできない傷跡が私に残っても、私はバガヴァッド・ギーターの教えにすべてを委ねる。」
バガヴァッド・ギーターは、現代に生きる術の知識がすべて含まれた、まさに現代人にとってのバイブルと言えます。バガヴァッド・ギーターで得られる知識は、時代を経ても変わることなく、永遠に自己の糧として残るでしょう。
毎日飲み、食べ、眠るように、毎日バガヴァッド・ギーターを読む習慣を身につけるならば、知識という火に照らされた輝きが心に与えられるに違いありません。
今年一年間、SitaRamaをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
どうぞよいお年をお迎えください。
Reference
[1] 上村勝彦訳,「バガヴァッド・ギーター」,岩波文庫,1992
[2] http://en.wikipedia.org/wiki/Bhagavad_Gita
[3] Radhakrishnan, S (1974). “XI. The Lord’s Transfiguration”. The Bhagavad Gita. HarperCollins. p. 289.
[4] Rosen, Steven; Graham M. Schweig. “The Bhagavad-Gita and the life of Lord Krishna”. Essential Hinduism. p. 121.
[5] Isherwood, Christopher (1964). “The Story Begins”. Ramakrishna and his Disciples. p. 9.
[6] Vivekananda, Swami. “Thoughts on the Gita”. The Complete Works of Swami Vivekananda. 4. Advaita Ashrama.
[7] Gandhi, M.K. (1933). “Introduction”. The Gita According to Gandhi.
[8] Quotation from M. K. Gandhi. Young India. (1925), pp. 1078-1079, is cited from Radhakrishnan, front matter.

ライブ・ダルシャン

インドの聖典では、神に謁見すること(ダルシャン)は、非常に大きな功徳があるといいます。そのため、広大なインド各地から、バスや電車に揺られながら、長時間かけて目的の寺院に参拝に行くことも珍しくありません。
そんな中、いくつかの有名な寺院では、インターネットでライブ・ダルシャンが受けられるサービスが始まりました。
これは、インド最大級のタタ財閥のグループ企業のひとつ、タタ・スカイという衛星放送会社のサービスです。営利会社のため、このサービスを広告としてよく思わない人も中にはいるようですが、遠く離れた日本からでも、インドの寺院の様子がライブ中継で見られるのはとても有り難いですね(インターネット版は無料です)。
(追記:このサービスには他にタタ・インディコム、タタ・コミュニケーションズのグループ関連会社が携わっているようです。メインのサービス提供元は申し訳ございませんが分かりませんでした)
現在は、シュリー・シッディヴィナーヤカ・ガナパティ・テンプル、シュリー・サイババ・サマーディ・マンディール、シュリー・カシ・ヴィシュワナート・マンディールの3寺院でライブ中継が観られるようです。
以下にライブ中継が観られるリンク先と毎日のスケジュールを掲載いたしますので、ご参照ください。
またインドとの時差は日本時間−3時間30分です。日本時間で午前7時は、インドで午前3時30分になります。
・シュリー・シッディヴィナーヤカ・ガナパティ・テンプル
(この寺院のガネーシャ像は、珍しい右曲がりの鼻になっています)
ライブ・ダルシャンのリンク先
http://www.siddhivinayak.org/livewebcasting.htm
(リンク先の「Camera 1」をクリックしてください)
デイリー・プログラム
http://www.siddhivinayak.org/dailyaartischedule.htm
(※www.siteadvisor.comやwww.aguse.jpでは安全性が確認できておりますが、Googleにおいて危険なサイトとの認識があるようですので、念のため安全が確認できるまで直リンクを外しております。試聴希望の方は、申し訳ございませんが自己責任でURLをコピー&ペーストして移動してください)
・シュリー・サイババ・サマーディ・マンディール
ライブ・ダルシャンのリンク先
http://www.shrisaibabasansthan.org/shirdilivedarshan1.htm
デイリー・プログラム
http://www.shrisaibabasansthan.org/main_English/shirdi/dailyprograms.asp
・シュリー・カシ・ヴィシュワナート・マンディール
ライブ・ダルシャンのリンク先
http://www.shrikashivishwanath.org/en/online/live.aspx
デイリー・プログラム
http://www.shrikashivishwanath.org/en/daily/aarti.aspx
映像を観ていると、パンディットの人たちが花飾りや信奉者の持ち物にブレスを与えている場面が繰り返し流れています。あまりにも参拝者が多いので一見録画かと思いましたが、どうやら録画ではないようです。インドの人々の信仰心が窺えますね。
どうぞよい一週間をお過ごしください。

右曲がりのガネーシャ vs. 左曲がりのガネーシャ

インドで人気の神様といえば、まずはじめに思い浮かぶのがガネーシャ神です。
ガネーシャ神は、礼拝が盛んなインドでも、他の神様を差し置いて、第1番目に礼拝されるとても重要な神様です。
このガネーシャ神は、人間の身体に象の頭をもち、ネズミを乗り物とするという、とても不釣り合いな姿をしていますが、実はこの姿形は神聖なシンボルとして大きな意味を持っています。
ここでは、「Ganapati」(H.H. Dr. Jayant Balaji Athavale & Dr. [Mrs.] Kunda Jayant Athavale編、Sanatan Sanstha出版)より、ガネーシャの姿の宗教的な意味についてみてみましょう[1]。
1. ガネーシャ神の全身はオームカーラ、すなわちプラナヴァ(原初音)と呼ばれるオームの音を表しています。象は、サンスクリット語の「オーム」を体現する唯一の生き物といわれておりますが、ガネーシャの頭が象になったのは、そのような意味から必然だったのかもしれませんね。
2. ガネーシャの鼻の向きは、多くの場合ガネーシャから見て左曲がりになっています。左曲がりの鼻のガネーシャは、別名ヴァーマムカとも呼ばれています。ヴァーマはサンスクリット語で、左側や北の意味があり、ムカ(ムキ)には顔の意味があります。そして、チャンドラ・ナーディ(月の管)が左側にあるといわれているため、左曲がりのガネーシャは、静寂をもたらすといわれます。加えて、北の方角は、霊的に有益な方角であり、祝福(アーナンダ)を与えるといわれます。また左曲がりのガネーシャは、女性的な面を表し、お金、名声、幸運、幸福な家庭などの生活に恵まれるとされています。
一般的に入手できるガネーシャ像のほとんどが左曲がりの鼻のもので、この「ヴァーマムカ・ガネーシャ」は通常の方法で礼拝してよいといわれています。
一方、右曲がりのガネーシャは、ダクシナームールティまたはダクシナービムカと呼ばれます。ダクシナーは南、ムールティは像、ムカは顔を意味するので、それぞれ「南向きの像」あるいは「南向きの顔」の意味になります。
南の方角は、死の神であるヤマ(閻魔大王)の方角といわれています。また、右側にはスーリヤ・ナーディ(太陽の管)があるといわれています。
ヤマやスーリヤから想像できるように、この方角はとても強力な組み合わせです。したがって、右曲がりのガネーシャ神は、とても強力で活動的なガネーシャ像といわれています。また男性的な面を表し、厳格、誠実、高潔、節制、そして道徳にもとづいた規則正しい生活などを象徴しているといわれます。
3. モーダカ(甘い蒸し団子)は、ガネーシャの大好物です。ガネーシャは、消化に悪い油が嫌いなため、甘いお菓子でも蒸したものでなければ召し上がりません。「モーダ」は喜びやうれしさを意味する語で、「カ」は小さなという意味があります。
またモーダカの形は、霊的な知識の到達度を象徴しています。はじめは霊的な知識が少なく、甘美さを味わえない状態(皮しか食べられない)から、霊的な知識が増すにすれ、やがて大きな甘みが味わえる状態(中身まで食べられる)になります。ガネーシャは、霊的な知識を与える神様であるといわれるゆえんです。
4. ガネーシャが乗り物としているネズミは無知の象徴といわれています。またネズミは素早く動き回るために、激情的な性質の象徴といわれています。ガネーシャがネズミに乗る姿は、無知や激質を克服することを象徴しています。
私たちも素早く動き回るネズミに振り回されずに、ガネーシャのように上手な「ネズミ乗り」になってみたいものですね。
同じガネーシャでも、入手できるガネーシャ像は、製作者によって姿形が様々に変わってきます。今一度、いつもお世話になっている手元のガネーシャ像を良く見直して、ガネーシャの姿形や手にしているものの意味を考え直してみるのもよいでしょう。
参考文献:
[1]H.H. Dr. Jayant Balaji Athavale & Dr. [Mrs.] Kunda Jayant Athavale, “Ganapati”, Sanatan Sanstha, India

ハッピー・ディーワーリー!

本日10月28日は、ディーワーリー(ディーパーヴァリー、光の祭典)です。この日は日本のお正月のように、インドでは、子供にお年玉をあげたり、大掃除や買い物をしたり、甘いお菓子を贈りあったりして新年をお祝いします。
参照ブログ
光の祭典−ディーワーリー(ディーパーヴァリー)
ディーワーリー(光の祭典)
ところで、ディーワーリーでの新年をお祝いするにあたって、その内的な意義も忘れてはなりません。ディーワーリーは「光の祭典」として知られています。
「光」は「富と繁栄」の象徴ですので、ディーワーリーは「富と繁栄のお祭り」ともいうことができます。
しかし、富と繁栄といっても、物質的な富や繁栄には限界があります。
インド哲学では、肉体や心を超越したところに、何ものにも犯されることのない、永遠不滅の「アートマン」が存在するといいます。そして、アートマンは、私たちすべての心の中に宿ると信じられています。
私たちが、肉体の誕生を毎年お祝いするように、ディーワーリーは内的な光である「アートマン」を祝うお祭りでもあります。アートマンは、私たちに限りない富と繁栄をもたらしてくれる永遠の存在です。
この内なるアートマンが輝き出すとき、私たちの無知の暗闇は消え去り、真の自然状態へと回帰することでしょう。それは、肉体や物質を超越した永遠不滅の存在、つまり神を知ることと同じです。
アートマンは、愛や調和の本質ともいえます。すべての人々に存在するアートマンは何一つ違うことなく、すべて共通の性質をもっているからです。
インド哲学では、このアートマンを理解することによって、アーナンダ(内的平安)を得ることができるといわれています。
ディーワーリーは、外見的にはオイルランプに火を灯し、花を捧げたり、お菓子を贈りあったりするお祭りですが、この内的な意義を忘れてはなりません。ディーワーリーの祝い方は地方によって様々ですが、内的な意義は世界共通です。
つまり、内なる光であるアートマンを照らし、すべてに共通の性質であるブラフマンを知ることです[1]。

どうぞよいディーワーリーの祝日をお過ごしください。
参考文献
[1]Diwali, http://en.wikipedia.org/wiki/Diwali

ナヴァラートリ祭

本日9月30日から10月8日まで、ナヴァラートリ祭が行われます。
ナヴァラートリ祭は、季節の変わり目に年に2回行われる、女神をお祝いするお祭りです。
もとは収穫祭の意味もあったようですが、絶え間なく恵みを与える太陽に、生命を育む水や大地に、その他の自然のすべてに感謝するため、シャクティに象徴されるエネルギーを司る女神が礼拝されます。
ナヴァラートリの9日間は、ドゥルガー(カーリー)、ラクシュミー、サラスワティーの3女神を3日間にわたって礼拝します。
・1日目〜3日目
自身の内面に潜む欠点や悪い習慣、想いなどを打ち壊すために破壊の女神であるドゥルガーが礼拝されます。
・4日目〜6日目
ドゥルガーの礼拝によって内外両面のさまざまな悪を打ち払ったあとは、精神的・物質的に豊かな恵みをもたらすためのラクシュミー女神が礼拝されます。
・7日目〜9日目
技能や能力、知識を身につけ、社会に立派に貢献できるよう、サラスワティー女神が礼拝されます。
そしてナヴァラートリの10日目にあたる日は、ダシャラー祭とよばれるお祭りが行われます。ダシャラーは、ラーマ王子がラーヴァナという悪魔を倒した吉日とされています。
このナヴァラートリの期間は、夏から冬への移行期間であり、自然界も少しずつ冬支度を始めてきます。年々繰り返される自然のサイクルに従って、わたしたちも冬支度を始めると共に、内面にたまった垢や汚れもこの時期に整理するとよいでしょう。
きっと健康で心健やかな日々が送れることと思います。
参照:
ナヴァラートリ祭, http://blog.sitarama.jp/?eid=119359
ナヴァラートリ, http://blog.sitarama.jp/?eid=309298

ガネーシャ・チャトゥルティー by スワミ・シヴァーナンダ

明日9月3日から、ガネーシャ・チャトゥルティー(ガネーシャ降誕祭)が始まります。熱心な信奉者は、14日(日)まで続く12日間、毎日ガネーシャ神に祈りを捧げる盛大な祭典です。
ここに、ガネーシャ・チャトゥルティーについて、スワミ・シヴァーナンダのお話をご紹介します[1]。
『至高神であり、シヴァ神の活力であり、祝福の源泉であり、美徳そしてあらゆる試みの成功を授けるブラフマー自身であるガネーシャに礼拝します。
ムシカヴァーハナ・モーダカ・ハスタ
チャーマラ・カルナ・ヴィランビタ・スートラ
ヴァーマナ・ルーパ・マヘーシュワラ・プトラ
ヴィグナ・ヴィナーヤカ・パーダ・ナマステー
意味:
「ヴィナーヤカ神よ!障害を取り除かれる、小柄なシヴァ神の息子。
ねずみを乗り物とし、甘いお菓子を手に持ち、大きな耳と長い鼻を持ったお方。
あなたの蓮華の御足にひれ伏します!」
ガネーシャ・チャトゥルティーは、インドのお祭りの中でももっとも人気のあるお祭りのひとつです。この日は、ガネーシャの誕生日にあたります。これは、ガネーシャにとって、もっとも神聖な日となります。インドの太陰太陽暦では、バードラパダ月(8月〜9月)の新月から4日目にあたります。このお祭りは、インド国内はもちろんのこと、ガネーシャを信奉する世界中の人々によって祝福されます。
このお祭りでは、土のガネーシャ像が作られて、2日間から地域によっては10日間お祈りが捧げられた後、川に流されます。
ガネーシャ神は、象の頭をした神様です。そして、お祈りの最初にまず崇められます。神聖な仕事がされる前、さまざまな祈祷が行われる前には、ガネーシャの御名が最初に唱えられます。
ガネーシャは、力と英知の神様です。ガネーシャは、シヴァ神の長男であり、軍神スカンダ(カールッティケーヤ)の兄にあたります。ガネーシャは、シヴァ神の源泉であるため、シャンカラとウマー・デーヴィーの息子ともいわれます。母親にとって、ガネーシャ神を礼拝することは、子供たちにガネーシャのような美徳を身につけてほしいとの願いが込められます。
次の物語は、象の頭をどのようにしてもつようになったかという、ガネーシャの誕生にまつわるお話です。
昔、ガウリー女神(シヴァ神の妃)が沐浴をしている時、彼女の身体から出た垢から、真っ白なガネーシャを作り、家の玄関に置きました。彼女は、自分が沐浴をしている間は、決して誰も中に入れてはならないと、ガネーシャに言い聞かせました。すると、そこへシヴァ自身が、急いで家に帰ってきましたが、玄関でガネーシャに止められてました。シヴァは怒り、ガネーシャを門外漢だと思い込んで、彼の首を切り落としてしまいました。
それを知ったガウリーは、悲哀に暮れました。彼女の悲しみを慰めるために、シヴァ神は家来たちに、北を向いて寝ている生き物を探し出し、その生き物の首をここへ持ってくるよう命令しました。家来たちはさっそく行動に移し、象だけがその方向へ向いて寝ているのを見つけました。こうして象が生贄となり、象の首がシヴァに届けられました。すると、シヴァ神は、象の首をガネーシャの身体につなぎ合わせました。
シヴァは、仕事、結婚、旅行、学問、その他すべての行為の始めに、ガネーシャを礼拝の対象にするようにしました。そして、毎年、バードラパダ月(8月〜9月)の新月から4日目に、ガネーシャの礼拝を行うことを定めました。
ガネーシャの恩寵と援助がなければ、どのような試みも達成することができません。私たちのすべての行為は、ガネーシャの援助、恩寵、祝福によって支えられています。
マハーラーシュトラの子供たちは、アルファベットの最初のレッスンは、「オーム・シュリー・ガネーシャーヤ・ナマハ」という、ガネーシャ神のマントラ(真言)から始まります。そうしてはじめて、アルファベットが教えられるのです。
次の名前は、ガネーシャ神に共通の名前です。
ドゥームラケートゥ、サンムカ、エーカダンタ、ガジャカルナーカ、ランボーダラ、ヴィグナラージャ、ガナーディヤクシャ、パラチャンドラ、ガジャーナナ、ヴィナーヤカ、ヴァックラトゥンダ、シッディヴィナーヤカ、スールパカルナ、ヘーランバ、スカンダプールヴァジャ、カピラー、ヴィグネーシュヴァラ等。そして、ガネーシャ神は、マハー・ガナパティとしても知られています。
ガネーシャ神のマントラ(真言)は、「オーム・ガン・ガナパタイェー・ナマハ」です。ガネーシャを守護神として信奉する霊性修行者は、このマントラか、または「オーム・シュリー・ガネーシャーヤ・ナマハ」のマントラ(真言)を繰り返し唱えるとよいでしょう。
ガネーシャの信奉者は、次のガネーシャ・ガーヤトリー・マントラのジャパを行うこともできます。これは、次のようになります。
タットゥ・プルシャーヤ・ヴィッドゥマヘー
ヴァックラトゥンダーヤ・ディーマヒー
タンノ・ダンティ・プラチョーダヤートゥ
ガネーシャ神は、英知と至福の化身です。ガネーシャ神は、ブラフマチャリヤ(自己実現を探求する独身者)たちの神様であり、禁欲主義者にとってもっとも重要な神様です。
ガネーシャ神は、小さなネズミを乗り物としています。ガネーシャ神は、クンダリニー・シャクティが宿り、身体の霊的中枢であるムーラーダーラ・チャクラに安住する神様です。
ガネーシャ神は、霊性修行者が歩む道のすべての障害を取り除き、霊的な成功はもちろん、世俗的な成功を授ける神様です。そのため、ガネーシャ神は、ヴィグナ・ヴィナーヤカと呼ばれます。ガネーシャ神のビージャ・アクシャラ(種子)は、「ガン(Gung)」です。これは英語の「sung(singの過去分詞形)」と同韻を踏む発音になります。彼は、調和と平安の神様です。
ガネーシャ神は、ヒンドゥー教徒の間で主要なマントラである「オーム」すなわちプラナヴァ(原初音)を示します。これを唱えることなしには、何事も行うことができません。これは、あらゆる儀式や計画の前に、ガネーシャ神を召喚するための習慣です。ガネーシャ神の2本の足は、知識と行為の力を示します。象の頭は、自然の造詣の中で、オームを象徴している唯一のものとして、重要な意味を持ちます。
ガネーシャ神がネズミを乗り物とする意義は、エゴを完全に克服することです。アンクシャ(槍のような武器)を手に持つ姿は、ガネーシャ神が世界の支配者であることを示し、これは、神々の王族の紋章でもあります。
ガネーシャ神は第一番目の神様です。自然の中でもっとも小さい生き物のひとつであるネズミに乗り、すべての動物の中でもっとも大きい象の頭をもつことは、ガネーシャ神がすべての動物の創造者であることを意味します。象はとても賢い動物です。これは、ガネーシャ神が英知の象徴であることを示します。またネズミは、進化して象になり、最終的に人間になるように、進化の過程を意味します。ガネーシャ神が、人間の身体や象の頭を持ち、ネズミを乗り物とすることには、このような理由があります。これが、ガネーシャ神の姿の哲学的象徴です。
ガネーシャ神は、元素のグループ、感覚のグループなどのガナ(群)の神様です。ガネーシャ神は、シヴァ神の従者の長であり、シヴァ神の最高の家来になります。
ガネーシャ神は、ヴァイシュナヴァ派の信奉者たちにも礼拝されます。彼らはガネーシャ神を、象の鼻をもつ神様という意味のトゥンビッカイ・アルワールと呼びます。
ガネーシャ神の持つ2つの力は、クンダリニーとヴァッラバすなわち愛の力です。
ガネーシャ神は、甘いプディング菓子(甘い中実が詰まった米粉の饅頭)が大好物です。誕生日には、ガネーシャ神は甘いお菓子の供物を受け取りに、家から家へと渡り歩きます。たくさんのお菓子を食べ、夜も更けたとき、ガネーシャはネズミに乗って出発します。しかし突然、蛇が襲いかかってきたのを見たネズミがつまずいてしまい、ガネーシャはネズミから落ちてしまいました。その衝撃で、ガネーシャのお腹は破裂し、詰め込んだ甘いお菓子が全部外に飛び出てしまいました。しかし、ガネーシャはそのお菓子をお腹に再び詰め込むと、蛇を捕まえ、彼のお腹に縛り付けました。
この一部始終を見ていた夜空の月は、腹の底から大笑いしました。ガネーシャは、月の失礼な態度に腹を立て、彼の牙の一本を月に向かって投げつけました。そして、ガネーシャ・チャトゥルティーの期間は、誰も月を見てはいけないと呪いをかけたのです。もし誰かが月を見るようなことがあれば、悪名や批判、不運は避けられないだろうと……。しかし、この期間に間違って月を見てしまった場合は、スヤマンタカ宝に関するクリシュナの逸話を聞いたり、読んだりすることが、呪いを解く唯一の方法だといわれています。この逸話は、シュリーマド・バーガヴァタムに引用されています。ガネーシャ神はこの取り決めを喜びました。帰依者たち優しく、慈愛に満ちたガネーシャ神に栄光あれ!
ガネーシャと彼の兄弟であるスブラマニヤは、かつてどちらが年長者であるかで競ったことがあります。事態は、シヴァ神の最終的な判断に委ねられました。シヴァは、宇宙を一周して、先にこの出発点に戻ってきた者を、年長者とすると決めました。スブラマニヤは、彼の乗り物であるクジャクに乗って、すぐに宇宙を周り始めました。しかし、賢いガネーシャは、尊敬の念を持って、彼の両親の周りを一周すると、勝利を求めました。
シヴァ神は問いかけます。
「賢い最愛のガネーシャよ。お前は宇宙を一周していないのに、どうして勝利を要求するのか?」
ガネーシャは答えました。
「私は両親の周りを一周しました。両親は全宇宙を象徴しています!」
こうして兄弟論争はガネーシャの勝利で幕を閉じ、その後、2人の中でガネーシャが長男として知られるようになりました。母のパールヴァティーは、賞品として、ガネーシャにフルーツを与えたといいます。
ガナパティ・ウパニシャッドでは、ガネーシャは至高神と同一と見なされます。ガネーシャにまつわる伝説は、ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナのガナパティ章に記されています。
ガネーシャ・チャトゥルティーの日は、早朝のブラフマムフルタの神聖な時間帯に、ガネーシャ神にまつわる神話を瞑想しなさい。それから、沐浴をした後、寺院に行き、ココナッツや甘いお菓子とともに、ガネーシャ神に祈りを捧げなさい。愛と信仰をもって祈りを捧げることで、ガネーシャは霊的な進化の過程で経験するすべての障害を取り除いてくれるでしょう。家でもお祈りを捧げることです。パンディット(僧侶)の援助を得てもよいでしょう。ガネーシャ神の絵や写真、神像を家に飾り、ガネーシャがそこにいるように感じなさい。
この期間に月を見てはいけないということは、忘れてはいけません。ガネーシャ神に失礼な行為になります。この行為の真意は、この日から神を冒とくしたり、あなたの霊的な師や宗教を蔑む信仰のない仲間たちを避けなさいという意味があります。
心新たに霊的な決意をし、あらゆる試みで成功するための精神的な強さをガネーシャ神に祈りなさい。
ガネーシャの恩寵が、すべての人々に降り注ぎますように。
ガネーシャが、あなた方の霊的道程に立ちふさがるすべての障害を取り除きますように。
そして、あなた方に精神的成就のみならず、物質的な豊かさがもたらされますように。
スワミ・シヴァーナンダ』
ガネーシャ・チャトゥルティーでは、期間中にお世話になったガネーシャ神像を最終日に川に流します。そのため通常は土でできたガネーシャ神像を特別に買い求め、その期間中はその土のガネーシャ神像を礼拝することが行われています。
ガネーシャ・チャトゥルティーを本格的にお祝いしたい方は、日本では土製のガネーシャ神像を入手することは難しいと思いますが、次のビデオなどを参考にして、粘度でガネーシャ神を造ってみるのも面白いかもしれませんね。


このようにして造られたガネーシャは、きっと愛着のわく素敵なガネーシャになるでしょう。もちろん、すでにお持ちのガネーシャ像にお祈りを捧げてもよいと思います。
どうぞガネーシャとともに、楽しいガネーシャ・チャトゥルティーをお過ごしください。
参照
[1]Sri Swami Sivananda, Ganesh Chaturthi, http://www.dlshq.org/religions/ganesh.htm
[2]SitaRamaブログ, ガネーシャ・チャトゥルティー, http://blog.sitarama.jp/?eid=297450