28、Shivaと音楽

Shiva Statue in Murudeshwar, Karnataka, India.

ヒンドゥー教の二大勢力とも言える、Shiva系(の神々や信仰、宗派閥)とVishnu系とでは、庶民文化および音楽、伝統芸能においては圧倒的にVishnu系が優勢と思われます。それはひとえに、「創造と破壊の神Shiva」よりも「その間の維持の神Vishnu」の方が庶民生活に身近であるからと考えられます。
言い換えれば、より厳格なもの、厳しいもの、高貴高尚なものには、Sihva系のイメージの方が相応しいという、庶民感覚もあるわけです。

実際、Shivaをテーマにした演目や「Raga(ラーガ/旋法)」は、Vishnu関連の神々をテーマにしたり因んだ演目より重たいものがほとんどで、おそらくそのような観念が大分失われた今日でさえ、Shiva系の演目をVishnu系の演目よりも重きを置いた位置に演じるということは誰もしないのではないかと思われます。

インド音楽を聴き慣れない日本人の耳には、例外的に「軽やかに聴こえる」と思われるのが「Raga:Shivaranjani(シヴァランジャーニ)」ですが、それでさえも、演奏会のアンコールや、Vishnu系Ragaの後に演奏する人は、今でも居ないと思われます。これは、そのようなしがらみに無縁のはずのイスラム教徒の演奏家でも同様であるところがインドの不思議なところでもあります。Raga:Shivaranjaniは、日本の唱歌に多用される「四七抜調」を短調にしたような五音音階を用います。

私の師匠は、イスラム教徒でありながら、「Raga:Durga」を得意としていました。ご存知Durgaは、Shivaの妃Parvatiの化身とも言われる女神ですが、師匠にとっては関係無いはずです。しかもその音階は、日本人の耳にもとても親しみを感じさせます(なんと「炭坑節」と同じ音階です)。
しかし、師匠は、Raga:Durgaを常に渾身の想いで奏でていました。ヒンドゥーの女神を知らず、イメージせずとも、温かく柔らかい旋律であるにもかかわらず、「Raga音楽」の巨匠にとって「Raga:Durga」は、決して軽くも親しみ易くもないのです。これこそ、「Raga」の真髄の奥深さを物語り、イスラム宮廷古典音楽になって数百年経った後、イスラム教徒の演奏家にさえも継承される「科学音楽」の「科学性」ではないでしょうか。

例外が、「Raga:Bhairavi」で、フラメンコ旋法のひとつや、西洋人にも「オリエンタル・マイナー」として親しまれたアラブ・トルコ古典音楽で多用される旋法(マカーム)と類似する、切なさ、もの哀しさ、柔らかさを感じさせる音階を用います。
ヒンドゥー神としての「Bhairavi」は、一説にはShivaの従者のひとりとも、Shivaそのものの別名とも言われる「Bhairaw」の妃、即ち、Durga同様Parvati系列の女神で、多くの場合、Durgaよりも凶暴でおどろおどろしく描かれます。
ところが、中世花柳界の叙情詩でひじょうに流行し、あまりに多くの艶っぽい名曲が継承され、既に19世紀頃にはヒンドゥー教徒の音楽家でさえも「重い曲」のイメージは失っていた様子です。なので、演奏会の最期のデザートのような位置づけで演じられるほどポピュラーなRagaとなっています。
もっとも、Raga:Bhairaviにも、二三の異なる解釈や表現法があり、演奏会のラストに演じられるスタイルではない二三種は、少なくとも録音では、この30年新たなものを聴いたことが無いほど、本来は難しいRagaなのですが。

(文章:若林 忠宏

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27、Krishnaと音楽

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ヒンドゥー教の「三大神」と言えば、Brahman、Shiva、Vishnuですが、Brahmanは、ヒンドゥー教成立以前のBrahman教の名残も感じられ、言わば象徴的な感じがします。対してShivaとVishnuは、二大派閥を形成し、しばしば互いに争ったりしたほどの確執があり。古典音楽の歴史にも、この派閥勢力の浮き沈み、交代劇に大きく影響された様子は多く見られます。かと思うと、私の師匠や、知り合ったインド人の多くがニュートラルな感覚で、「どちらも信仰しているが、強いて言えばこちら」のような人が多いような印象を受けます。それと同時に、そんな感覚の庶民にとっては、「創造と破壊の神Shiva」よりは、「その間の維持のVishnu」の方が、とっつき易く、ありがたい、という感覚もあるように感じました。

実際、科学音楽から発展した古典音楽の「Raga(ラーガ/旋法)」でも、Vishnu関連の名を持つRagaが、Shiva関連を圧倒しています。
とりわけVishnuの化身のひとつである、ご存知「Krishna(クリシュナ)」は、様々な「Bhajan」「Kirtan」などのテーマに多く取り上げられています。

KrishnaをテーマにしたBhajanの面白い性質が、例外的にBeatlesのジョージ・ハリソンが後援したインド人教祖がアメリカで興した新興宗教の讃歌を除き、ほぼ全てにおいて、「Krishna」の名が歌に出て来ないということです。
これは、Bhajan創世記における迫害や不理解への対処のみならず、日本の歌舞伎役者も昔は本名(芸名)で呼ばずあだ名(愛称)で呼ぶのがむしろ礼儀であったのと同じようなものが伺えます。事実インド古典音楽では、あだ名的なタイトルが同じ様に礼儀として本名に優先されました。

かつて世界各地で、聖なるものや高貴なもの、偉大なものと、虐げられた卑しいもの、禁忌なものには、同じように「あだ名、蔑称、愛称、タイトル、称号、隠語、」が着けられる不思議な共通性がありました。
その共通の感覚を強いて説くならば、「非日常であり非凡である」とか、「共同体において異端である」という感覚の為せる技であろうと考えられます。
そのような、「善し悪し」や「尊蔑、上下」が不明瞭に、しばしばまるで同義同質であるかのように、普通に行われることが多いのもインドの大きな特徴ではないか、と痛感することが多くあります。

BhajanやKirtanなどの歌詞がある音楽では、知る人ぞ知る「Krishnaの別名やあだ名、愛称」によって、Krishnaに捧げる歌であることが分かりますが、歌詞の無い古典器楽や、歌詞があってもほんの数行の古典声楽では、「あだ名、愛称」以上の理解と知識がないとKrishnaがテーマであることは分からないかもしれません。
そんな少しマニアックなキイワードが「河渡り、悪戯、揺れる、ブランコ、彩り、森」などです。
例えば、「Raga(ラーガ/旋法)」のひとつ「Hindol(ヒンドール)」の字義は、「揺らす」ですが、Krishna信仰の音楽家にとっては、Krshnaが幼少期のみならず、乳搾りの娘Gopiたちと戯れる少年期、Radhaとラヴストーリーを繰り広げる青年期に至るまでこよなく愛したブランコ遊びをイメージします。なので、旋律が揺れる様子も、イメージが異なる音楽家とは多分に変わってくるはずです。
他にも、古典声楽の主題の一節「さあ!起きなさい、何時迄寝ているんですか!」などは、知らない人、無関心な人には、「つまらない歌詞だ」と思われるかもしれませんが、Krishna信仰の声楽家にとっては、Krishnaの養母Yashodaの台詞として理解されるだろう、ということです。

(文章:若林 忠宏

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26、僧侶と竹笛

Indian man Playing Flute in Studio Lighting for closeup shots.

ヒンドゥー教の僧侶階級は、ご存知のように菜食主義者です。しかしインドの菜食は言わば「インド式」で、乳製品はOKというものであり、より厳格な「Vegan(ヴィーガン)」よりはかなり柔軟なことで知られています。
しかし、同じインドの菜食でも、乳製品はOKなのに、「根菜類はNG」という僧侶階級の人を多く見かけます。太鼓タブラの話しで述べました、僧侶階級なのに、太鼓奏者という友人自炊のカレーには、玉葱が入っていませんでした。
また彼は、他人が口を着けた食器やグラスは、それが家族であっても口に充てることはしないそうで、日本に来た時はどうにもならないので自分で洗って使ってました。最近日本でもちょっと有名になったインド人が1Lの紙パック飲料を見事に口に充てずに飲むのもそのような慣習が原点なのでしょう。

このテーマのインドでの想い出は、夜行列車の「チャイのための深夜の臨時停車」で味わった、後にも先にも「最高の美味しさ」の感動とともに蘇って来ます。
小さな素焼のカップに注がれたチャイを飲み干すと、インド人たちはカップを線路に投げつけていました。もちろん街の屋台やレストランでは使い捨てではないのですが、理想を言えば、駅の素焼カップや紙コップがありがたいということでしょう。紙コップは非エコですが、素焼カップは、枕木の下の砂利と同化してしまうようです。

かつて世界各地の楽器には、「誰もが自由に触れる奏でられる」ではない、厳しい掟やしきたりがありました。葬式音楽専用の楽器もあれば、女性が触れない楽器も多い。かと思うと、もっぱら女性用の楽器も無くもない。今日の日本では民芸品店で気軽に売っていても、本来は現地でも容易く触れなかったものも少なく在りません。高貴高尚であることと差別蔑視の両方の場合がありますが。

インドの僧侶階級は、横笛「Bansri(バンスリ)」を本来禁忌としていました。「本来」と述べたのは、またしても例の友人は、太鼓のみならずBansirも吹いていたからですが。逆にインドで初めてBansriで古典音楽を演奏し認められた演奏者がデビューした際には、けっこう物議を醸したと言われ、その演奏者は、古典声楽の技法をもってして民謡扱いのBansriの音楽性を高め次第に認知されたと言います。しかも彼は、民謡のBansriの数倍は大きいBansriを開発し、そのために指の間の皮を切って指が届くようにしたという噂さえあります。
奇しくも私の太鼓Tablaの師匠のひとりがその演奏者の甥っ子なのですが、噂は噂に過ぎず、生まれつき手が大きな人だったとのことでした。

「僧侶階級は竹を口に充てることをしないので、Bansriは禁忌である」は、私自身いまひとつ納得し切れていない観念なのですが、Bansriは、「民謡の楽器」という格下扱いであるからでなく、一説には、「竹が根菜であるから駄目なのだ」と言われます。
比較的厳しいインド菜食では、葉ものや果実はOKですが、芋や根菜はNG。玉葱のみならず、長葱も、「根っこ、幹、枝、葉、果実」と明確に分離されていないから駄目だと説いてくれた人も居ました。そう言われれば竹も確かにその類いではありそうです。
幾つかの文献には、「しかたなく鼻で吹いた僧侶が居た」とも書かれています。真剣な話しなのか、日本の一休さんのような話しなのか? 分かりきれないところがインド的でもありますが。ハワイにも「鼻笛」がありますから、古代人にとっては、何か意味深いものがあったのかも知れません。

(文章:若林 忠宏

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25、弁才天とVina

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インド・ヒンドゥー教の「元祖弁才天」である「Saraswati(サラスワティー)女神」は、四本の手の二本で、弦楽器「Vina(ヴィーナ)」を奏でる姿で描かれていますが、面白いことに、この女神は、ヒマラヤを越えてチベット、中国、日本へと伝わり、チベットからは、一時期同盟国で、チベット仏教を取り入れたモンゴルにも伝わり、それぞれの国の伝統的な民族弦楽器を構える姿で描かれています。

ひとつの不思議な共通点が、インド以外の「弁才天」は擬人性が増し、いずれも腕は二本であることです。チベット仏教の場合、教義的にはタントラ仏教の要素が濃いのですから、四本腕の「Saraswati」よりも、八本腕の「Matangi」が伝わったのではないか、とさえ思えますし、有名な「曼荼羅画」では多手の神々が描かれています。にもかかわらず「弁才天」に相当すると思われる神々はいずれも人間と同じ姿なのです。

今日見ることが出来るSaraswatiが持つ弦楽器は、「近代南インド型Vina」がほとんどどで、Saraswatiのタントラにおける姿であるという解釈もあるMatangi女神は、「近代南インド型Vina」の他、「北インド型Vina(Vin)」を持って描かれることもありますが、Saraswatiが「北インド型Vina」を持って描かれた姿を、私は未だ見たことがありません。

実は、そもそもVinaという楽器は、前述では便宜上「北インド型」としました楽器が本来なのです。「北インド型Vina」は、同じ大きさの大きな干瓢の実の共鳴体に、竹竿を渡し、糸巻を差し弦を張ったシンプルな構造です。
これは、竹筒の弦楽器を、女神がその豊かなふたつの乳房に充てて響かせたという神話に基づくとも言われます。

「近代南インド型」の大きな深いスプーン(柄杓)の様な形状は、実はイスラム勢力がもたらした西・中央アジアの弦楽器が原点なのです。
その楽器は、「Tambur(タンブール)」と呼ばれ、西・中央アジアでは主要旋律弦楽器でしたが、イスラム王朝インドでは、もっぱら花柳界および宮廷宴楽の歌姫が自ら音取り(基音持続)の伴奏に爪弾きました。このスタイルは、10世紀に始まり13世紀から18世紀の間には全インドに広まったようです。
しかも、イスラム王朝と闘っては和平するを繰り返しヒンドゥー藩王国を維持した西北インドのラージプート地方。および、ほぼ全土をイスラム勢力に支配されながらもヒンドゥー文化が細々と生き残っていた南インドといったヒンドゥー文化圏でも「Tambura」は、重要な伴奏弦楽器となっていたのです。

南インドの近代Vinaは18世紀頃に今日の形になったと思われますが、当時の南インドは、イギリスの植民・分割統治の弊害もあって長く戦乱が続き、その伝統や系譜はかなり混乱してしまったため、正確なことは分かりにくくなっています。しかし、今日のSaraswatiが構えているような、一見ギターや三味線と同様な構え方をするようになったのは20世紀中頃からのことで、20世紀初頭の写真からは、北インドのVinaよりも立て、ほぼ垂直に構えて弾いていたことが見て取れます。

18世紀頃の図版でも発見されない限り、言い切ることは出来ませんが、Saraswatiが構えた弦楽器「Vina」は、古くは南北共に同じ形をしていた。それは、今日「北インド型Vina(Vina/Rudara-Vina)」と呼ばれるものと同形であった。従って、本来は「北インド型」という言い方をする必要はなく、「近代南インド型(Saraswati-Vina/Karnatick-Vina)」が隆盛によって対象的に言われるようになったに過ぎない。と考えられるのです。

(文章:若林 忠宏

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24、弁財天か弁才天か

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インドの芸術と学問の女神「Saraswati(サラスワティー)女神」は、日本に伝わり「べんざいてん/弁天/弁天様」として知られるようになりましたが、近年ではもっぱら「弁財天」と表記されます。ところが、本来の仏典では「弁才天」つまり財産・富・繁栄の女神ではなく、芸術と学問・言語の女神だったのです。

ご存知の方も多いと思いますが、「財産・富・繁栄の女神」は、インドでは「Lakshmi(ラクシュミ)女神」で、日本では「吉祥天」として知られ、商店が、今日でも土地の「商売繁盛の神さま」の札を貼るように、インドの飲食店・商店の多くに「Lakshmi」の絵が掲げられています。同様に、ヒンドゥー教徒の音楽家であればもちろん、舞踊家、様々な芸術家の家には額縁に入れられた「Saraswati」を見ることになります。

Saraswatiは、その四本の手の一本に数珠を持ち、一本に経典を持ち、残る二本で弦楽器を奏でることでも知られます。その弦楽器は、現代ではもっぱら南インドの「近代Vina/Karnatick-Vina」が描かれています。楽器については次回詳しくご説明致しますが、大樹を刳り貫いた深いスプーンの様な形の棹と胴の楽器は、実はインド原産ではないのです。

インドにおけるヒンドゥー教の女神の中には、Saraswatiの他にも弦楽器を抱える女神がいます。「スピリチュアルインド雑貨 SitaRama」のブログでも紹介された、「十の智の女神(Das-Mahavidya)」の中の「Matangi(マータンギー)女神」は八本の腕の二本でVinaを奏でます。
Matangi女神は、タントラにおけるSaraswatiであるという説もありますが、腕の数が倍ですし、Natangiの名の他にもShri RajashyamalaやLalitha Parameswari といった名前があります。何度も申し上げているように、地域限定の神がヒンドゥーに組み込まれた要素もあると思われ、全てをSaraswati女神の異なる名前や姿であると解釈することも出来るとともに、全て異なる神々であると解釈することも可能なはずです。
SitaRamaのブログに紹介されているMatangi女神は、「南インド近代Vina」ではなく、より古い「北インドVina/Vin/Rudra-Vina」を構える姿で描かれており、Shri RajashyamalaやLalitha Parameswari として描かれる際も、「北インド型」が描かれている場合が少なくないようです。逆にSaraswatiとして描かれている場合は、殆どが「近代南インド型Vina」であるのもなにやら意味深い感じがします。
何故ならば、Saraswati信仰がとりわけ南インドで盛んである、というわけではないはずだからです。さらに言えば、近代南インド型Vinaが描かれている形になった頃には、北インドの新しい弦楽器シタールも、ほぼ今日の形に発展していましたから、北インドで印刷されるSaraswati絵画では、Sitarを構えていてもおかしくないのです。もちろんこれは、Sitarがイスラム教徒音楽家的であろうから有り得ないのでしょうが。と、思いきや、最近の北インドで描かれたポスターではシタールも目だってきた感じもします。ようやく、インドの人もこの問題に取り組み始めたのでしょうか?

「弁才天」が「弁財天」に替えられた話をインドの師匠のひとりに言いましたら、「日本人は才能より金が欲しいのか!」と冷笑していましたが、かく言うインドでも、持たせる楽器に何やら恣意がありそうなのです。
日本でもインドでもSaraswatiは、常に叡智と母性に満ちた優しい微笑みを浮かべながら、人間の甘えと奢りをすべて容認してくれているようでもあり、申し訳ない気がしてきます。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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23、世界最初の太鼓奏者:Ganesha

Ganesh ,elephant god, figure closeup focused on face

Ganeshという神さまは、象の頭を持つことで、絵画等を一度見れば誰もが忘れない印象深い存在ですが、その誕生のいきさつには諸説あるのが不思議な気がします。なぜならば、地域のアニミズムの神々がヒンドゥーに吸収されたと思わせる神々が多い中で、諸説あるということは逆に普遍的なものを感じさせるからです。

私にとって印象深い説は、Shivaの妃Parvatiが、湯浴みの番人として泥と垢を捏ねて人間を作ったが、そうとは知らないShivaは、己の帰宅を邪魔するその者の首をはねた。怒ったParvatiに詫びるため、Shivaは「この道を最初に通った者の首を授けよう」と言ったところ象が通った、というものです。
この逸話には幾つかの世界的に普遍のキイワードが見られます。特筆すべきそのひとつは「泥と垢(そして水)」という、ある種の「カオス」から生まれたという点であり、もうひとつは、「この道を最初に」という点です。実際、インドにおいてGaneshは、「道行きの神」「物事の最初に関わる神」としても知られますが、この「道祖神」のアニミズム信仰は、世界の様々な地域に見られるのです。

みっつめに関心を誘った点が、ひとつめと同じ「泥と垢」ですが、初めて聞いた時には、「浄・不浄を分別するインドらしからぬ、何だか不衛生な話しだ」、という印象を持ったのです。ところが、以前にもこのコラムで述べましたように、そもそも「浄・不浄」と「清潔・不潔」は別次元であるとともに、むしろ「泥・土・地・大地」というものは、決して汚れたものではない、ということを後に理解したのでした。

ただ、アーユルヴェーダの「五元素」および、深く関連があると考えられる古代ペルシア・ゾロアスター教が説く「四元素」に共通する基本的解釈、戒律では、それらの元素は、正しい方法で融合させねばならず、間違った方法では互いの元素が汚される、という教えが説かれていたことを考えねばなりません。
その「正しい方法」こそは、神々の領域であるとともに、神の教えを学んだ人間にのみ許されるものであるということです。
例えば、古代ペルシアにて、人間が神から学んだものに、焼き物の水差しや花瓶と、花瓶型の太鼓がありますが、太鼓は、四元素の「土を水で捏ね、空気で乾かし、火で焼いて作る」素焼胴の太鼓です。同じ様に、インドで最も古く、かつ由緒あるとされる太鼓「Mridang(ムリダング)」も同様に作られた素焼胴の両面太鼓で、「Mrid」は、「土」、「Ang」は「胴」の意味です。
そして、このMridangを世界で初めて創り叩いたのが、誰あろうGaneshaであると言われています。

シヴァ神の良く知られた役割のひとつに「Nata-Raja(ナタ・ラージャ/舞踊王、舞踊神)」があり、インド八百万の神々の中で、舞踊を司るのは、おそらく唯一シヴァ神なのです。そして、その妻パールヴァティーも舞踊手であり、その息子Ganeshaは、父母の舞踊のために世界で初めて太鼓(Mridang)を叩いた者です。

中世以降から今日に至るインド各種古典舞踊でも、シヴァの舞踊「Tandava(ターンダヴァ)」は、男性的で厳しい性格を持つ演目や技法の原点であり、パールヴァティーの舞踊「Rasya(ラースヤ)」は、流麗な女性的な柔らかな演目、技法の原点とされます。
ところが不思議なことに、インド古典舞踊の演目では、シヴァやパールヴァティーに捧げる演目よりも、圧倒的にGaneshに捧げるものが多くあります。Ganesh自身は太鼓奏者であり舞踊手ではないのにもかかわらず。
もちろん、その理由には様々なものがありますが、Ganeshが、それほどまでに親しみ深い存在であるということは確かなことです。

(おしらせ)
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(文章:若林 忠宏

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世界初の音楽家:聖者Narada

Narada01

インドのヒンドゥー教徒の音楽家ならば誰もが知り、そして誰もがその息子や弟子に語り継ぐであろう逸話で知られる聖者(Rish)が、音楽家でもあった「Narada(ナーラダ)」でしょう。Naradaは、芸術と才能の女神「Saraswati(サラスワティー)女神」の人間で唯一の弟子であり、世界で初めての音楽家であるとされています。ところが、Naradaの逸話からは、インドの音楽家たちの敬虔な思いと裏腹な、弟子を育てることや伝統を守り継承させて行くことの難しさなど、「神話の世界の話し」だけでは終わらない多くの学びを得ることが出来ます。
これも理論が極めて論理的であり不偏的である一方、実践においてはとても現実的であるという、一見一聞して矛盾するようなインド文化の特性ならではことだと思われます。もちろん、この矛盾のような姿こそは、まず「森(森羅万象=論理)」を観、常に感じながら、個々の樹を見るというインド文化およびヒンドゥー科学の根本的姿勢に根ざしているから有り得ることなのです。

「Rish:Narada」の逸話に始まり、インド音楽数千年の歴史の中で、今日まで続く永遠のテーマは、「教えの厳守」と「独創性」という、本来相容れないふたつの性質の対峙でありましょう。
中学生の私が、ターラの手のひらを返す所作を演奏中にするのだと思い込んで読んだ本の著者(イギリス人宣教師)も、同じテーマの「Rish:Narada」の最も有名な逸話を紹介しています。

人間で初めて演奏を許されたと自負するNaradaは、ヒンドゥー寺院音楽の最高峰に位置し、バラモン高僧も一目を置く存在になっていたのですが、ある時、道に迷い見知らぬ森に入り込むと、程なくあちこちで男や女が「痛い」「苦しい」とか弱い悲鳴を上げているのに気付きます。何があったのかを訊ねると、男女は、様々なラーガとラーギニの「精霊」であり、Naradaという馬鹿者が彼等を誤って弾いたがために、体のあちこちに支障が生じたと嘆いていたのでした。
ところが私は、この一文を読んだ中学生の時も、成人した後インドで師匠の何人かからこの話を聞いた時も、その意味は分かっておらず「神話好きなインド人好みのお伽噺」程度しか理解していませんでした。

しかし、これも数十年経ってみれば、「Raga演奏」は、言わば「降霊術」のようなものであり、分かった気になって出鱈目を弾けば、体中を痛めた「精霊」が、元の世界に帰ることも出来ず、私の回りに魑魅魍魎のように、のたうち回っている程の重大なことであると理解するのでした。

などと言うと、かつての私がそうであったように、多くの現代人は、まやかしとか考え過ぎとかの印象を受けるに違いありません。しかし、アーユルヴェーダの音楽療法に照らさずとも、音楽や音が、水や食物と同じように、私たちの体と心に摂り込まれるものである以上、「医食同源」と同じ、言わば「医音同源」であれば、むやみな摂取や「食べ合わせ」の様な禁忌もきっと多くあるに違いないのです。もっとも、ある種の「プラセボ効果」で、よろず「癒された」と聴いていれば、「毒も薬」になるのかもしれません。ある程度は。

ここ十年二十年の外科医学の技術的進歩はめまぐるしいものがありますが、逆に内科医学では、漢方薬を取り入れるお医者さんが急増したり、代替医療、全身医療に関心を示す人も増えるどころか、「腸内環境問題」に至っては、従来の抗生物質の立場やあり方が揺らぎそうなほどの転換点にあるようにも言われます。また、有害物質に対する関心は、日々高まる一方です。
ところが、何故か音楽に関しては同じように体と心に摂り込むものであるにもかかわらず、相変わらず「心地よければ良い」「楽しければ良い」「癒されれば良い」が主流ではないでしょうか。
私の先輩の世代の人が言っていました。戦後の食糧難に生き延びた子供たちは、とにかく「甘い」というだけでとてつもない御馳走と歓喜したそうです。ですが、その当時の「甘味料」や「スウィーツ」は、今日ではとんでもなく有害と言われるものばかりなのです。

最後になりましたが、森での精霊との出逢いで深く痛み入ったリシ・ナーラダは、一から厳しい修行をやり直し、今日のあらゆる音楽学校や音楽堂にその肖像画が掲げられるまでの楽聖になったことは、もちろんな話ですが、語り添えねばなりませんでした。
しかし、ここで大切なこと (ナーラダの気づき)は、「全てに渡って寸分違わず正確にすべき」ではなく、「決して変えたり手を抜いてはならぬ部分と、その場の空気(温度湿度響き波動)で変化すべき部分の分別」を正しく理解するということに他なりません。

(おしらせ)
もうご存知の方も居て下さると思いますが。アーユルヴェーダライフさまのサイト・コラムにも、ゆっくり連載を書かせて頂いております。このSita-Ramaさんの「科学音楽」のお話に至る以前の「人間と音楽の関わり」についてから「医療音楽」に至るお話です。是非、合わせてご覧下さいませ。
また、音楽とは少し離れますが、世界の著名人の名言を網羅した数在るサイトの中でも、かなり掘り下げたサイト「癒しツアー」さまで、この度、「猫の名言」の連載コラムを始めさせて頂きました。猫に対しての好き嫌いもございましょうが、「心と心のコミュニケーション」という点で、興味を抱いて頂けましたら幸いです。どちらも、SitaRamaさまがご用意下さっております、若林忠宏プロフィールにURLがございます。宜しくお願い致します。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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古代インドの総合芸術

Beautiful clay dolls of miniature folk musicians performing in a band of classical Indian music

インド古典音楽についての記述が見られる最古の文献は、「Natya-Shastra(ナーティア・シャストラ)」であるとされます。ところが、本文献は、タイトル「Natya(演劇)のShastra(科学)」にあるように演劇書であり、舞踊書であり、音楽に関しては関連して述べられているに過ぎないのです。しかも、諸説ある成立年代の最も遅い説では8世紀、早くてもB.C.5世紀ですから、「科学音楽」が成立し、最も充実していたであろう時代より、優に千年、もしくはそれ以上後世の文献なのです。
そもそも古代インドにおいて、演劇と舞踊と音楽は、芸術はひとつの「芸術」、すなわち現代感覚で言うと「総合芸術」であったわけで、「Natya-Shastra」の時代には、分けて論じる観念が無かったとも言われます。

実は、この件に関する今迄の研究者の説明には考え落ちがあるように思えます。
まず、Natya-Shastraにて説かれている「総合芸術」が如何にして存在したか? 一言で言えばそれは、庶民に対する教育・啓蒙のためであったと考えます。

そもそも「科学音楽」以外の寺院音楽と舞踊は、一般大衆に見せる芸能ではなく、神々にささげる供養楽、供養舞であったのです。現代でも寺院で演奏されるBhajanなどの讃歌は、しばしば演奏者は聴衆に背を向けて神棚に向かって演じます。近年でこそ、信徒の方を向いて演じられるようにもなりましたが、その場合は、ある種の「説教」なのです。そうとは知らず見事な歌と演奏だったので、一曲終ったところで私独り思わず拍手をしてインド人聴衆(信徒)たちに笑われたことがあります。
演劇は元々、供養劇の要素よりも、庶民への啓蒙・教育の要素が強かったであろうことは想像出来ますが、これに舞踊、音楽を加えた「総合芸術」のプログラムもまた、ヒンドゥー神話の普及、布教的要素が濃かったと考えられるのです。さすれば、自然と「Performing-Art」の性質を帯びて来るに違いありません。

つまり、古代インドで音楽は、ヒンドゥー科学の実践としての「科学音楽」と、ヒンドゥー布教のために聴衆に向けて演じられる「総合芸術」の伴奏音楽と、宮廷儀礼音楽や宴楽、などの異なるジャンルがあったということです。
それらの複数を兼業した演奏家も居たかもしれません。古典的な音楽の場合、その理論や技法は、「科学音楽」に根ざしていたに違いありません。
さすれば、全く目的が異なるそれぞれのジャンルは、どのようにしてその精神性、意識を分別、けじめたのでしょうか。

古代中国、とりわけ唐代では、異なるジャンルが入り交じることを必死に防ごうとした様子が見られます。ところが、インドの場合、元々が多民族国家の中で育まれた多様な複合文化であったことや、その上で比較的頑強なヒエラルキーが構築されていたこと、本質的に、厳格な論理の幹があれば実践の枝葉は柔軟で由のような懐の大きさ、などなどで、芸術文化のジャンルの線引きやけじめが極めて曖昧であったのです。

言わば、免疫機能、拒絶反応、アレルギー反応のいずれも生じないかのごとくです。その結果、10世紀以降のイスラム文化圏からの音楽の流入に対しても、実にすんなり受入れ、吸収しました。それと同時に、内部、すなわちヒンドゥー文化の担い手の中での精神性の変化に対しても寛容であったのです。

結論的に言えば、その結果、古代インド古典音楽は、常に活き活きと発展し続けて来たと言える反面、その精神性は、決定的な変貌を遂げてしまったと言えるのです。

(文章:若林 忠宏

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インド音楽だけが堅持する基音持続法

Om symbol on the sand at the beach near the ocean

世界各地の音楽の起源を探ってみますと、ほぼ全てが「単旋律」から始まっています。そして、いずれもほどなく「基音」を伴う手法「基音持続法」が開発されました。ドレミで言うと、ドの音を鳴らしながら、ドレミなどの旋律を奏でるという手法です。世界の様々な地域で、シンクロニシティーにこの手法が生まれながら、ほとんどの地域で、後にこれをやめているという不思議な現象があります。それに対し、インド音楽では、科学音楽から民謡に至るまで、今日まで、これを継続しているのです。言うまでもなく、世界的に希なことであるとともに、「基音持続」の発祥と割愛、もしくは継承の全ての答えがインド音楽に在るということなのです。

この「基音持続法」は、英語で「Drone(ドローン)」と呼ばれます。字義は「雄蜂の羽音」であり、「ブーン」という持続音が由来なわけですが、恐らく昨今話題流行の「超小型ヘリ・無人飛行カメラ」の語源でもあるのでしょう。

ところが意外にも、用語が豊富なインド音楽にもかかわらず、この「基音持続法」を指す用語が見当たらないのです。強いて言えば「Shrti(シュルティー)」なのですが、「Shrti」は、古代の一時期の「オクターブの分割音」のことであり、「基音」を指す語ではありませんでした。おそらく、その言葉が死語になった後に、「基音」を指すようになったらしいのですが、実は論理的にも理論的にも正しくないうえに、演奏家でもその呼称を言わない、知らない人は少なくありません。それほどに基音はインド音楽にとっては「当たり前」「在って当然」のものであったのでしょう。

かと思うと、どうしても「基音持続」を言わねばならないとき、例えば、オーボエの元祖管楽器である「Shahnay(シャーナイ)」楽団で、何時間も「ド」だけ吹いている伴奏専門楽器は「Shrti-Upangi(シュルティー・ウパンギ)」と言いますし、近代になって声楽家やセミクラッシックの歌手の演奏旅行用に開発され、そこそこ人気の「基音」を出す、ラジオ型の電子楽器は「Shrti-Box」という商品名ですから、「Shrti」の呼称は、全インドで共通に認識されているのでしょう。

そもそも「基音持続」は、絶対音感でもない限り、「ドレミのド」なのか? 「ファソラのファ」なのか?は、誰も決めつけることができないはずです。そこで、旋律とは別に「ド」を鳴らし続けると、それが水平線、地平線、または絵画のキャンバスのような役割を担い、上下に動く旋律の曲線がイメージできる、というのが世界各地で「基音持続」が生じた理由です。

西洋でも、スコットランドのバグパイプは、いわゆる「コード進行」を持つ音楽であるにもかかわらず、「ドローン管」の音が常に鳴らされています。西洋における不協和音になってしまっても「基音持続」を堅持している楽器と音楽は、古楽器を別として、おそらくバグパイプだけと思われます。

日本でも津軽三味線の曲弾きの冒頭に鳴り響きますが、ほどなく、旋律弦だけになってしまいます。シルクロードや西アジアでは、民謡楽器では少なくありませんが、古典音楽ではほとんど「基音持続」をしません。

つまり、インド音楽以外では、「基音持続」を捨てることが、「新しい」「洗練された」と考えられた歴史があるのでしょう。

しかし、インド音楽は、数千年の長きに渡って、決して捨てることをしなかったばかりか、一曲の間に途切れることさえしないのです。

それは「基音」こそが「全ての原点、源」であるかれでもあり、「基音=OM」を捨てるはずがないからに他なりません。

(文章:若林 忠宏

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即興演奏とエゴイズム

drums

インド科学音楽と古典音楽は、近代の南インド古典音楽を例外として、極めて即興性の高い音楽です。しかし、その即興性は、「思うがまま」「意のまま」というものではなく、厳格な法則に基づいたものなのです。私はこのこともレクチャーコンサートでは、日本の唱歌「赤とんぼ」と「海」を例に実際インド弦楽器シタールで弾いて説明しています。

「海」という唱歌は、「ドレミのミから始まり一気に下降する」「ラレドーやソレドーという大きく巻き込むような動き」という珍しい特徴を持っています。一方の「赤とんぼ」は、冒頭で最低音から最高音まで一気に上昇し、「ソドラソー」のような急な上下行や、「ラドドー」と大きな幅で急降下したかと思うと「ドラソラソミ」のような隣り隣りへのジグザグな細かい動きもみせます。

この二曲は、いずれも「標題音楽」ですが、偶然か、作者の天才的叡智か、上記の動きの特徴は、正しく「海の波」であり、同じ広場に留まり自在に飛び回りつつも、蚊などを捕食するため急激な動きの変化を見せる「赤とんぼ」の様子そのものです。

ところが、このように、明らかに定義つけることができる「音の動きの特徴」を同定し、それに基づく即興のデモ演奏をやってみたとき、それは最早、私自身が「海」や「赤とんぼ」をイメージして表現するというものではなくなるのです。

あくまでも原曲の「海」と「赤とんぼ」が持つ音の動きの特徴を法則として捕らえ、原曲には無いけれど矛盾しない新たな旋律を即興的に演奏してみせるのです。言うまでもなく、それは原曲が持つ「標題性」を失い、原曲の法則の具現が目的の「絶対音楽」となるわけです。

例えば、「海」の特徴的な動き「ラレド」と「ソレド」は、全く異なる方向性を持っています。「ラレド」は、その後に「ソ」が来ることが大前提であり、「ド」に辿り着いたとしても帰結しないのです。「ド」に帰結したければ「ソレド」を取らねばなりません。また「ラ」は、そのような未完成な動きの経過音として重要ですが、「ソラド」の動きは禁じられます。さすれば、原曲に無くとも「ソラソレド−」は有り得ますが「ソララレドー」は有り得ないばかりか、誰が聴いても違和感を覚えるに違いありません。このようなことを熟考、熟知して即興を繰り広げるのがインド科学音楽の「Raga(ラーガ)」の世界なのです。故に、即興演奏とは言っても「意のまま」「感情のほとばしり」のようなわけにはいかないのです。

もちろんインド科学音楽や古典音楽のプロであるならば、まるで「意のまま」「感情の赴くまま」のように自在に弾くに違いありません。しかし、それはもの凄いスピードでラーガの法則を考えているのです。もちろん、手が勝手に動くほどの練習を積んでいることもありますが、そればかりではありません。

実際は、練習したことしか出来ない、しないプロも少なくありませんが、昔気質の演奏家には見破られるに違いなく(緊張感が全く違いますし)、そのような演奏は、自らの恥どころか師匠や流派の名誉を傷つけるものでした。

ところが、ラーガを知れば知るほど、分かれば分かるほど、難しいと痛感させられる一方で、「何か(誰か)に弾かされている」という不思議な実感を多く体験するのです。

上記の「海」で、「ラレド」と弾けば、自ずと「ソ」を取らざるを得ない。もしくは、「ラレドーララレドー」と復唱するしかない。そのような選択肢が無数に積み重なってゆき、その即興演奏を何度も繰り返してゆくと、全く新鮮な組み合わせに遭遇することもあれば、全く新しい、弾いたことがないような音の動きにも遭遇するのです。しかし、その「Raga」の個性や全体的な「色合い」は、汚してないのです。

まるで自分の手が勝手に。言わば「手が勝手に意のままに」なので、そこには、演奏者の意図や恣意はほとんど存在しないのです。

これは正に「無我の境地」であり、自らの感情を表現する「標題音楽」的な即興演奏のエゴイズム、自己中心の世界とは全く異なる世界なのです。

(文章:若林 忠宏

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