サーダナ(霊的修練)を積むということは、長い階段を一歩一歩上がっていくようなものだと思います。
とても地味な作業だとも言えるでしょう。
ハタヨーガであれば、多彩なアーサナがあり、バクティの修行者であれば様々な種類の神を讃える歌をうたい、ヴェーダの僧侶であれば複雑なマントラと様々な供物を火に捧げるなど、多様な所作や方法があるのは、実はサーダナの本質が地味であるため、飽きて集中力が落ちないように、という側面もどこかにあるのかもしれません。
実はこうした修行をコツコツ積んでいく際、ある一定のレベルのところまで昇ると、そこにエレベーターやエスカレーターのようなものがあることも多いのです。
もちろん本当にエスカレーターがあるわけではなく、今まで積み重ねてきたものが飽和点に達して一気に成就するということなのでしょうけれど、まるで神が何かの恩寵を降り注いでくれているようにも感じます。
(実際に神の恩寵の場合もあるかもしれません。)
その時期は、人により数年でくることもあれば10年以上かかることもあるかもしれません。
私ガネーシャギリは、ある技法に関して先日そういう体験をしました。
一気に目の前が拓けて至福の体験でした。本当に嬉しかったです。
その技法に取り組んで実に33年も経っていました。しかもあまりに才能がないため一旦諦めていた時期もありました。
才能を感じなくても愚直に取り組むことも、霊性の道には必要なのかもしれません。
(文章:ガネーシャ・ギリ)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
ガネーシャギリ同行「星の力に守護された西インド・南インド至福の旅」
ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
コメント