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若林忠宏:論理とスピリチュアル:新連載 Vol.3 クリシュナの言葉に学ぶ・現代人はどう生きるべきか ③

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ご無沙汰しております。
昨年末から年始に掛けての、人生初の重度の気管支炎の後、パンデミックで、演奏活動・教室が大打撃を受け、連載コラムの長いお休みを頂いてしまいました。今も変わらぬ厳しさですが、人生のラスト・スパート、起死回生の意欲で峠を乗り越えんと奮起いたしました。
この間、シーターラーマ社長様には、言葉で書き切れない励ましを頂きました。また、私の連載記事の読者さんからfacebook-friendさんになって下さった方にも大変励まされました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
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新連載に際しまして、読者のみなさまにお許しを請います。旧連載のシリーズの多くが中途であることを一旦お許し頂き、新連載では、今までお話した様々な論理を応用して、パンデミックの時代の人々により具体的に励ましとなるようなテーマを、ご提供させていただきたいという我がままです。
何卒、よろしくお願い致します。
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私たちは、バガヴァド・ギータで文字化されたクリシュナの教えから、人間が、数千年も前から外の敵と内なる敵との対峙を余儀なくされていたことを思い知らされます。バガヴァド・ギータを「古代の戦記」と読むのは容易ですが、だとすると、登場人物と要衝の地名があまりにも複雑ですし、数千年もの間、あまたの聖者が哲学として学んで来た理由も分かりにくくなります。そもそも「人間の生まれてから死ぬまで」に深く関わるヴィシュヌ神の化身の中で、最も人間に寄り添ったクリシュナの示唆が、軍人・武士階級の為だけであろうはずもないことです。そもそも、或る意味世捨て人でもある聖人聖者にとって、或る意味、人間と社会の最も醜い欲深い行為の最たるものである「戦争」が、重要な教本になろう筈もありません。つまり、バガヴァド・ギータの全ての文言は、極めて広く、深い世界観・生命観を戦記に擬えて隠したものに他ならないのです。

※ 尚、新連載のバガヴァド・ギータの文言は、数ある紹介の中でも最もご誠実で丁寧で分かり易く説かれたとお奨めする、シーターラーマさんブログから引用させていただきますので、文言それぞれの詳しい解説は、公式サイトのブログで学んで下さい。
(本連載では、一部、著者の要約に代えさせていただいておりますことをご了承ください。)

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バガヴァッド・ギーター第3章第34節(3)
各感覚器官には、対象に対する愛執と憎悪が定められているが、
人間はその両者に支配されてはならない。なぜなら、それらは彼の敵であるから。
..........................................................................................................................................ここで一旦、あえて結論を急ぎますと、
本節では、
「愛であろうと、憎悪であろうと、それに支配されてしまうと、それらは人間を苦しめる敵となる」
と説いていると「強く仮定する」もしくは、「殆ど決定する」とします。それによってどれほどの矛盾や無理があるか?を検証する、という論理思考です。

本節は、以下のように分かり易く書き換えることが可能です。

人間は、あらゆる外からの情報に対して「享受か拒否」で反応しがちであるが、それは、そもそも「享受・愛」と「拒否・憎悪」が、全ての感覚器官にデフォルトで設置されているからである。だからと言って、人間は、そのどちらかに偏って執着しがちであるが、これは危険であり、人間を苦しめる敵性な要素である。

ところが、「相反する要素が定め置かれている」という部分は、全体的な主旨から考えると、必ずしも必要ではないのです。すると、本節のより深い意味は、その「わざわざ書き加えた部分」にこそある、と考えることが可能であり、それをしないならば、おかしな文言ということになってしまうのです。

わざわざ書き加えられたものを省くと。

人間は、あらゆる外からの情報に対して「享受か拒否」で反応しがちであると共に、そのどちらかに偏って執着しがちであるが、これは危険であり、人間を苦しめる敵性な要素である。

となり、充分筋が通っていますし、古今東西で同じ教えは沢山ありましょう。

ところがバガヴァド・ギータでは、こうは述べていないのです。
その、わざわざ書き加えられたものだけを引き抜くと、

そもそも「享受・愛」と「拒否・憎悪」が、全ての感覚器官にデフォルトで設置されているからである。

ですが、ここには、
「相反する二つの要素がセットで定め置かれているもの」という事実を、この一節は、主旨の最前提に据えています。

同じく、この最前提を「核」とすれば、様々な置き換えの文言が見出されます。
例えば

あらゆる生物が天敵や同族と戦う時、そこには「勝ち負け」が生ずる。
それは、そもそも「勝ち負け」があらかじめ定められているからである。
その結果、人間は、「勝ち負け」にこだわり、執着し、勝敗を決定付けなくてはならないと
考えがちであるが、人間以外の生物は決してそうではない。何故ならば、完全に敵を滅ぼしてしまえば、生態系が狂い、自らも滅亡してしまいかねないことを、生き物は知っているからである。

とか、

人間の周りの自然の生き物には、人間にとって「有益」なものと「有害」なものがある。
それは、そもそも「益と害」があらかじめ定められているからである。
しかし、「有益なものを摂り過ぎることの弊害」もあれば、「有害なものを少量用いることの利益」もある。前者は「飽食のリスク」「酒に溺れる」であり、後者は「毒でもある薬の正しい処方」である。

などなど、挙げればキリがないことでしょう。

こう検証すると、
「あらかじめ定め置かれている、愛は、愛執となった時、人間性にとって害であり敵となり」
「憎悪は、それを制御することによって、対象の中の憎悪を知ることが出来る唯一の物差しとなる」
を本節から抜き出すことが可能になります。

実際、生命体の中の「相反する要素」は、常に本節が説いている摂理によって存在し「恒常性」を維持しています。

例えば、胃潰瘍は、人間が内蔵している「それがなければ、食物の消化が始まらない「塩酸(及び体中の酸を集める機能と塩酸を合成する機能)」を猛毒として存在させてしまった結果でもあります。

また昨今のパンデミックで重症化して死に至らしめる「サイトカイン・ストーム」も、そもそも「ふたつの別系統の免疫システムの一方だけが亢進した結果」です。ウィルスは、それを刺激し、狂わせ、エスカレートさせる知恵と力を持っているのです。 

最後に、本節に対する、私の個人的見解で、最も重要と考えている主旨を書かせて下さい。「個人的」としましたのは、本節の語だけでは、論理を持ってしても、導くのには若干無理があるからであり、決して思いつきで考えたことではありません。

それは、ここ三編に渡って述べた論理的検証でも少し登場しました、「愛と憎しみ」について、「二元論」=「相反する逆の別もの」であるか?「一元論」=「同源同質の表裏」であるか? というテーマです。

一応、本節は、前者の解釈で、考え得る全ての解釈が成り立ちますが、先に述べたように、文言全体を検証せず、部分を取り出したり、部分を黙殺して、「都合の良い解釈」を抜き出した典型例である「愛でも憎しみでもない無我無関心の境地こそが悟りである」というものは、間違いに他ならないということがひとつ。

では、どうすれば本節の主旨に沿うのか?
それは、「愛と憎しみを常に偏らずに感じること」具体的には、
「以下に愛として美化しようとも、バランスを崩したら、それは憎しみに変質するであろう」というこを、決して忘れてはならないという考え方です。

これは、「生命体の恒常性」「薬は毒でもある」という摂理に矛盾しないどころか、そのものを述べています。それに対し、「間違った解釈の無我」は、「人間性の否定」に他なりません。

強いて加えれば「憎しみも、それだけでは、いくら「相手が悪いからだ」と強く主張しても、その人の心と体には、害・敵でしかないということです。下世話で幼稚な例で恐縮ですが「罪を憎んで人を憎まず」のように、「相手を憎むのは、自分に愛があるからであろう」とか「相手を憎む時、愛を完全に捨ててしまえば、それは自分にも弊害がある」ということです。

私は、クリシュナは、これを伝えたかったのだと、思えてなりません。
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何時も最後までご高読下さってありがとうございます。

バガヴァド・ギータの詳しい語彙の解説は、シーターラーマさんのブログで是非、学んで下さい。
SitaRamaブログ

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(文章:若林 忠宏

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