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若林忠宏:論理とスピリチュアル:新連載 Vol.7 バガヴァッド・ギーター:第二章・第2節 ③

新連載のバガヴァド・ギータの文言は、数ある紹介の中でも最もご誠実で丁寧で分かり易く説かれたとお奨めする、シーターラーマさんブログから引用させていただきますので、文言それぞれの詳しい解説は、公式サイトのブログで学んで下さい。
(本連載では、一部、著者の要約に代えさせていただいておりますことをご了承ください。)
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バガヴァッド・ギーター:第二章・第2節 ③

クリシュナは言った。
危機に於いて、この弱気はいったい何処から貴殿ににじり寄ったのだ!
それは貴殿にそぐわず、天界に導きもせず、不名誉をもたらすものだ。アルジュナよ。

前回、ブラフマン教~ヒンドゥー教では、「相反する二者」は、生命体の原理であり、宇宙の原理でもあるのだから「どちらが善でどちらが悪」などという解釈はあり得ない(要約)と述べました。その一方で、この「拮抗のバランスを崩さんとするもの」は、明らかに「絶対悪」であると述べました。

アルジュナは、第一章の末で、
「美徳が滅びれば、まさに悪徳がすべての一族を支配する」と、「絶対悪」と「絶対善」の存在の事実を明言しつつ、しかし「それらは元々同族である」ことに加えて、「古来の伝統が滅びる」とも述べ、その葛藤を露にしていました。

これは、極めて深い意味を持っています。

つまり、
「AとBという相反する存在が拮抗して存在するABによって(或る意味平和的に)存続した慣習・伝統」が、「AがBを」または「BがAを」滅ぼしてしまえば、「A」か「B」に帰してしまい、「ABの総ての伝統は滅びる」という不可避の結末を意味しているのです。

「AB」だ、「A」だ「B」だ、などと言うと、血液型を思い起こしますが、あながち的外れではないかも知れません。私は、生薬・ハーブに関して、血液型の輸血適合性に通じる理論を持っていますが、またの機会にお話出来たらと思います。

かつての日本は、平安時代頃から明治維新迄の長きに渡って神道と仏教をごちゃまぜにする政策「神仏混淆」を取っていました。その弊害や無理も多くありますが、「明王信仰」「権現信仰」などは、混交・混淆・習合を超えた「融合の神」とも言えます。ところが、明治維新では、仏教弾圧の性格も持つ「神仏分離(神仏判然令)」によって「習合」は、権力によって無理やり引き裂かれました。同時に、一部で仏教弾圧「廃仏毀釈」の動きさえ見られました。 その結果、日本は、社会主義国並に「無宗教・無心論者(が圧倒的多数の)」の国になってしまいました。

つまり、「神道と仏教を合わせた信仰感」に、「区別」を強要した結果、バランス崩壊はもとより、双方とも廃れ、信仰心そのものを失ってしまった、ということです。

これなどは、クリシュナとアルジュナの問答、とりわけ第一章から第二章に掛けてのテーマにより相応しい喩えの例かも知れません。
(つづく)

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何時も最後までご高読下さってありがとうございます。

バガヴァド・ギータの詳しい語彙の解説は、シーターラーマさんのブログで是非、学んで下さい。
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(文章:若林 忠宏

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コメント

    • 疑問がありまして
    • 2022.01.15 7:17pm

    そもそも江戸時代に幕府が半強制的に仏教に日本人を帰依させましたがそれらは仏教の正しい在り方だったでしょうか?
    その歪みが廃仏毀釈の原動力となったと感じます

    また神身離脱などは誰が唱えだしたのでしょうか?
    それらは仏教の元々の教えだったでしょうか?
    そのような元々の教えから逸脱した説を説いても仏教では戒律に抵触しなかったでしょうか?
    また仏教が信仰されていたとされますが何故人々は仏を信じながら殺しあいをしていたのでしょうか?
    誰が戒律を守っていたのでしょうか?
    戒律を守らない仏教とは一体なんだったのでしょうか?

    明治や大正、昭和と時代を経ていきましたが決して人々は無神論者でありましたか?
    明治や大正の大本教などの躍進
    今よりも断然人々は神や仏に対して一定の行いをしていました
    また日本を特別視するような思想も多々見られます。
    今よりも昔の習俗を見れば断然人々は信仰が存在していました
    ただし昔よりも一般的教育水準が高くなった為に人々はそれらに紛れる詐欺のような物を忌避するようにもなりました
    それらが悪かは人によって違うかと思いますが近代や現代でも見られた宗教トラブルを見れば一方向的な見方で判断してはならないのではないでしょうか?

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