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雑記帳

神の探求

「神というもの以外に探求すべきものはない」と、ある時言われたことがあります。そして、「祈りの対象と一つになることは、決して難しいことではない」とその話は続きました。
「心を私に定めなさい。」聖典、バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナがアルジュナにそう伝えるように、自分の強い思いで、私たちはいつだって信じるものと一つでいることができます。クリシュナがそう言い続けるのも、信じるものを持つことが、私たちの日々の生活の中に大きな救いを与えてくれるからに違いありません。しかし、それを理解していたとしても、やはり、常に胸に抱き続けることは時に困難です。
慌ただしく過ぎ去っていく日常生活の中で見失ってしまう、信じるもの。それを失った心は物事を正しく見られず、本来の姿からはかけ離れた、まるで違った世界を見ています。恐れや不安、痛み、悲しみ、そういった感情は、その信じるものから心が離れる時に生じ、自分とその対象が一つであるという真実を見失っている状態だと言われます。
クリシュナはアルジュナに言います。「行いの全てを私に捧げ、行いへの執着を手放しなさい」と。そして、「それは瞑想にも勝る、心に平安をもたらす術である」と。
これに気づくのは、ヨーガの練習においてです。信じる対象だけに心を定め、呼吸も動作も、自分の行い一つ一つ全てを捧げるように行うと、もうそこには、その祈りの対象と自分しか存在しません。集中力が増すにつれ、その距離がどんどんと近くなる時、そしてもっと深く入り込めば、それと一体になれる時が来るのだろうと、そう感じることがあります。その状態にいる時、自分でも驚くくらいに、心は揺らぎません。
神を探求することは、自分を見つめることであり、自分がその信じるものと一体であるという真実に気づくことなのだと、ここで実感しています。信じるものを近くに、そしてそこから生まれる心の強さを感じること。ヨーガはいつも、それを教えてくれます。
参照:Srimad Bhagavadgita, Gita Press, Gorakhpur
(文章:ひるま)

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