「振り返って神に感謝し、前を見て神を信じなさい。辺りを見回して神を感じ、自分の内側に神を探しなさい。物質社会の中にいても、決して神を見失ってはなりません。」帰国直前、あるスワミジはそう強く何度も私に言い続けました。
形のあるものへと幸せを見出すこの社会の中で、目に見えないスピリチュアルな目覚めに抵抗を持つ人は少なくありません。しかし、始まりがあれば終わりがあるように、そして、出会いがあれば別れがあるように、この世界が形を持って現れたからには、また形のないものへと戻っていきます。その変化の中で変わらずにある本質は、目には映らないものであるために、形に慣れ親しんだ人々にはなかなか受け入れがたいものであるのも当然のことです。
しかし、形を失う中で経験する悲劇や苦痛は、人々を新しい意識の変化へと導いていくと言います。世界中が祈りに包まれた大震災の後、初めて自分の生まれ育った場所へと戻る私に、スワミジは続けて言いました。「何かを失ったとしても、不幸だと思ってはいけません。神は、罰しようとしたのではなく、新しい何かを受け取ることができるよう、その手を空にしたのです。」
物や形を失うということが本質的なものを得る状態へと私たちを導いていくのであれば、禅などの素晴らしい文化を持ちながら、物質主義の社会の中でもがく私たちにとって、今この時は本質へと戻る大きなチャンスであるに違いありません。
インドでは古くから、そして今でも、スピリチュアルな指導者たちが重要視され、精神的な修行を続ける人々が多くいます。古い時代、世界中がそうであったにも関らず、現代文明の波に押され人々は本質を見失ったと、多くのヨギたちが口にしていたのを忘れることができません。
物や形を失ったことで、変わることのない「意識」というその存在に気づき始めた人々、そしてその意識、それは重要な役割を担っているのだと言います。「転機を迎えようとしている世界の中で、あなたたちの担う役目はとても大きいものです。」スワミジは最後にそう言いました。
あらゆるところに神を見ること、それは形ではない不変の存在に気づくことでもあります。見失ってはならないものは神であり、それは自分という本質的なものでもあるのだと、この度のインドでの滞在、そしてそこで見た日本から、学んだような気がしています。
(文章:ひるま)
雑記帳
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