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ムドラー

ヴァラダ・ムドラー

ヒンドゥー教の神々は、恩恵を与えるムドラーとして知られるヴァラダ・ムドラーを結ぶ姿で描かれることがあります。
ヴァラダ・ムドラーは、祝福を注ぐように、指先を下にした手の平を前に向けるムドラーです。
このムドラーは、神々が帰依者の願いを聞き入れ、恩恵を与える慈悲深さを示しているとされます。

このムドラーを結んだ姿で頻繁に映し出されるのが仏陀です。
特に、このヴァラダ・ムドラーをアバヤ・ムドラーとともに結んだ姿が多く見られます。
指先を上にした手の平を前に向けるアバヤ・ムドラーは、手に武器が握られていないことを示し、恐れのないムドラーを意味します。
それは、相手に恐怖心を与えない、守りや平安を授けるムドラーとして実践されます。
仏陀は、このアバヤ・ムドラーを右手で結び、左手でヴァラダ・ムドラーを結ぶ姿で映し出されることがあります。

手の平を見せる行為は、開かれた心を象徴し、相手を受け入れようとする気持ちのあらわれともいわれます。
それは、来るものを拒まずに、分け隔てなく受け入れる、慈愛や寛容といった豊かな心を意味します。
その豊かな心を注ぐように実践するのがヴァラダ・ムドラーであり、与えることや許すことを象徴するムドラーとしても捉えられています。

そして、このムドラーで下を向く5本の指は、仏教において完全性を意味する6つのパーラミター(波羅蜜)のうち、智慧に至るまでの5つを象徴するとされます。
その5つは、布施(与えること)、持戒(戒律を守ること)、忍辱(耐え忍ぶこと)、精進(努め励むこと)、禅定(精神を統一すること)です。

これらを実践しながら前進し、真理を見る智慧を得る私たちは、やがて完成に至ります。
その時、神々が万物に恩恵や慈愛を注ぐように、自分自身が衆生の幸福の源となり、豊かな祝福を注ぐ存在になることができます。

ある意味を象徴的に形作るムドラーの実践は、私たちの意識に強く働きかける力を持つとされます。
こうしたムドラーに学びながら、日々の中で自分自身の動作や姿勢に意識的になることで、豊かな日々を築き上げることができるはずです。
仏陀の表情に見える美しい平和が世界に広まることを願いながら、その実践に励んでいきたいと感じます。

(文章:ひるま)

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