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ガネーシャ・ギリ

組織と悟り2

グルといわれる人がいたとします。その方の元に弟子たちが集まり始め、やがて集団になり、戒律や序列等が生まれ、それが組織になっていきます。
この場合組織が大きくなればなるほど、本質から遠ざかっていると言えます。ハタヨーガを例にとれば、2〜3人しか弟子がいなければ、グルの行うテクニックをきちんと近くでみてマスターすることができるでしょう。しかし3000人の弟子ならば、おそらく組織の序列なかで下位に当たる方は、きちんと見ることすらできない人が大多数になるでしょう。またグルから見ても全く目が届かないと思います。また、たとえ下位の方の中で抜群の霊的才能がある人や、悟りかけた人が現れたとしても組織のシステムゆえ、開花せず埋もれてしまうことも出てくるでしょう。
ハタヨーガのような肉体を使った技術だけに限らず、本質というものは、長年身近に接し、一緒に生活するような環境でないとなかなか伝わらないものだと私は思います。
本質を伝える場合、「なんとなく一緒にいる時間」が非常に大切だと、私はヨーガの師から学びました。
たとえハタヨーガのような技術を本質的な秘伝として伝えるものであっても、ベースにある共有した時間が非常に重要になるのだと思います。
そういう観点に立った場合、家族同士でさえきちんと理解し合うのは、大変であるのに、大きな組織にいて、身近に接することのできないグルのことをきちんと理解するのは、本質的には不可能に近いかもしれません。ましてやグルに会うのは、月に何度とか、あるいはグルが海外にいるため年に何度か、という場合などは、本質を得るのはかなり難しいと思ったほうがいいでしょう。
グルの立場から見ても、今まで上(神)を見ていたものが、下(たくさんの弟子達)をみなければならない状況に変わるわけです。
グル自身のさらなる成長という観点から見ても大きな組織というものは(霊的な意味において)負担になるのだと思います。
(グルは悟っており、これ以上向上のしようのない最高位におられる、という考え方は素晴らしいと思います。しかし本当の意味でのヨーガ行者などは最高位に至ってもさらにその上があると感じ探求を続けるものです。)
このように、書いてきますと、たとえば遠く離れた多くの信奉者を抱えるインドの聖者をグルとして信奉されている方々は失望されるかもしれません。
しかし、一見たくさんの人々があつまる組織のように見えて、実は組織ではない場合もあります。
ラーマクリシュナやラーマナ・マハリシの元にはたくさんの人たちが集まりましたが、彼らは「組織の長」ではありませんでした。
現代の聖者にもそういう方がおられると思いますが、「組織ではない」人々の集まりのため、グル自身が経営にかかわらず、悟後の修行に専念できる、
そしてさらに本質に触れたい人は「グル実際に接する機会がある」という形は、霊的な意味において非常に重要だと私は考えます。
(次回も続きます)
(文章:ガネーシャ・ギリ)
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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902
「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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