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雑記帳

心を定めること

あちらこちらから聞こえてくる祈りやマントラ、バジャンやキールタン、寺院や家庭から溢れる香の香りや炎の煌めき、インドで過ごす日常に溢れるその美しい神への捧げ物は、いつの時も神聖さを深め、精神性を育んでくれるように思います。
それが日本へ戻ると途端に、まるで別の世界に来てしまったかのようにぼやけていくことがあると、ある時スワミジに尋ねたことがありました。そしてスワミジが述べた言葉を今静かに思い出しています。
「真実において、全てのものは神の影に他ありません。私たちの求めるものは、神の求めるものであり、私たちの言葉は、神の言葉です。私たちは神を見つめているのにも関わらず、あちらこちらを探し回り、そして神の側に座しているのに、あなたはどこにいるのですか?と尋ねるのです。」
スワミジは続けます。「神を見るのは、祈りや儀式だけではありません。全ての瞬間に神とありなさい」と。
至高なものを信じ、そしてそこに心を定める行いは「シュラッダー」と言われ、ヨーガの行いの中でも欠かせない真智を得るための大切なステップの一つです。ヨーガ・スートラにおいても、バガヴァッド・ギーターにおいても、その堅信なしに始まるものは何もないと綴られていきます。
インドの不思議なほどに惹きこまれる神聖さと精神性に溢れる世界の中だけではなく、あらゆる場面で至高な存在を見失わず抱き続けることは、この生活の中でのまさに修業の一つのように思います。しかし、それは与えられた生を享受するための最もシンプルな術に他なく、その堅信から生まれる揺るがない強さは、聖典がそう伝えるように、どんな時も真実を与えてくれることに間違いはありません。
さ迷い出る心は変わらずあっても、定まるべく所を見つめ直しながら、インドの教えを噛みしめる日々が過ぎていきます。そして、インドに戻るまでに何を学ぶのか、そんな修業の毎日がここにあることに感謝をしながら今日も過ごしています。
(文章:ひるま)

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