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雑記帳

幼子の願い

厳しい自然と共にあるインドの生活には、さまざまな所に人々の神を想う畏敬の念が現れています。道を歩いていても、空を眺めていても、あらゆる所に神の姿が見え隠れし、そしてその神の背景に存在する伝承を紐解いていくと、この世界の神秘さにぐっと惹きこまれることが何度もありました。
例えば、インドでは北極星も神の恩寵によって神格化された存在です。北極星を意味する「ドゥルヴァ」という言葉は、もともと、ある幼い子どもの名前を表すものでした。そこにはこんな美しい話が存在します。
ドゥルヴァの父には二人の妻がおり、一人は傲慢で、一人は優しいドゥルヴァの母でした。傲慢なもう一人の妻によって、幼いドゥルヴァは父の膝の上に座ることすら許されず、母に泣きつきます。母はドゥルヴァに言います。「他人を悪く思わず、ヴィシュヌ神の御足を拝みなさい。」と。
そして、ヴィシュヌ神の恩寵を求めドゥルヴァの苦行が始まります。一人になり森へ入り、片足で立ちながら仙人に伝えられたマントラを繰り返し唱え続けます。幼いドゥルヴァのそんな姿を知ったヴィシュヌ神は、ドゥルヴァに他の星が中心として回る最も大切な場所を与えます。ドゥルヴァが北極星となったのです。
インドの聖典、「シュリーマド・バーガヴァタム」に記された話です。耐えがたい苦痛や困難にあっても、信じる者が救われるその事実を一つ一つの物語が美しく証明しています。そして、あらゆるものの存在は、神の具現として神聖なものであるということを私たちに気づかせます。
インドに身を置き感じる神聖さは、至る所に神の姿があるからです。例えば空を見上げ北極星が見える時、ヴィシュヌ神を想い信じ続けたドゥルヴァの悲しくも美しい話を思い出しながら、神との絆を目にします。あらゆるものの存在の意味、そしてそこにある真実を知る時、私たちはきっと自分自身の存在の意味を理解し、大いなるものと繋がることができるように思います。
日常に見える小さな物事が最も大切なものとの繋がりを見せ、そして私たちはその存在とどんな時も一体であるということ、忘れがちなそんな真実に気づかせる生活がインドには今も存在しています。
(文章:ひるま)

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