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雑記帳

行いのヨーガ

私たちが生活を営む上で欠かすことができないものが「行い」です。生きるために働き、学び、家族を共にし、また社会におけるさまざまな行いも限りのないものです。そしてその中での役割は、労働者、学生、父親、母親、子ども、友人など多岐に渡り、私たちは行いを前に、一瞬たりともその役割から解放されることはありません。
「行い」というものの大切さについて、バガヴァッド・ギーターの中で特に強く記されています。
戦いの場にいるアルジュナは、敵方に師を、そして親族の姿があるのを見つめ、ひどく困惑します。弟子として、息子として、孫として、様々な役割を同時に背負ったアルジュナの心は大きく揺れ、定まりません。
クリシュナ神は説きます。戦いの場にいるアルジュナは、弟子でも、息子でも、孫でもないと。そして、クシャトリヤ(武士)として目の前にある役割を全うし、果たされるべく行いに集中すべきことを諭します。
それは、この社会を生きる私たちにも当てはまることかもしれません。例えば仕事場において、父として夫として、または母として妻としての役割を抱えたままの時、目の前にある成されるべく仕事に対しての集中はなく、心は定まりません。起こりうる、または起こったあらゆる結果に囚われ、様々な想いが大きく心の中を駆け巡っています。まさにアルジュナの心境です。
行いの意味についてスワミジの言葉を思い出します。「子どもの将来を期待してミルクを与える母親はいません。お腹を空かせた子どものために、ただ愛ゆえに、その行いを行うのです。」
それこそが献身です。私たちが担う役割には数多くのものがあります。結果のためではなく、ただ目の前にある瞬間の中で自分の役割を全うする時、それは何にも代えられない献身であり、瞑想とも言える集中となります。
私たちはいつしか結果に惑わされ、多くの物事を混同し、自分のすべき事柄を、そして自分自身すらも見失っていきます。結果ではなく、その瞬間にある物事に心を定め愛すること、自分の役割を全うすること、それがこの社会をよりよく生きるための術であるのかもしれません。
「喜びと苦しみ 損と得 勝ちと負け 
それらを同じものと受け止め戦うならば 
あなたは決して罪を負わない」
(バガヴァッド・ギーター2章38節)
(文章:ひるま)

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