スピリチュアルインド雑貨SitaRama

雑記帳

インドラ神の剣

2022年は11月28日に、ラーマ神とシーター女神が結婚をした日として崇められるヴィヴァーハ・パンチャミーが祝福されます。
正義の象徴であるラーマ神と、そんなラーマ神を心から愛するシーター女神が歩んだ日々からは、多くの学びを得ることができます。
叙事詩のラーマーヤナで語られるシーター女神の言葉もそのひとつです。
その言葉の中に、インドラ神の剣にまつわる神話があります。

かつて、大変な苦行により、秀でた力を持ったある賢者がいました。
神々の王であるインドラ神は、その偉大さに、自らの地位を奪われるのではないかと心を悩ませ始めます。
そこである計画を思いついたインドラ神は、武士のような姿になってその賢者を訪ねました。
そして、賢者を心から信頼していることを伝え、大切な剣を預かって欲しいと頼みます。

賢者は、信頼を裏切らないように、心を込めてその剣を預かります。
そして、どこへ行くにも剣を肌身離さず持ち歩きました。
その後、苦行に向けられていた意識は散漫になり、剣を持ったことで獰猛で荒々しい性格に変わっていきます。
しまいには残虐な行為に喜びを見出すようになると、賢者は地獄に落ちたと伝えられます。
一方で、インドラ神は自らの地位を守りました。

この神話は、ラーマーヤナのアラニヤ・カーンダ(森林の巻)でシーター女神がラーマ神に伝えた神話です。
王国を追放され、さまよう森で武器を持つことになったラーマ神に対し、その武器に影響されることがないようにとシーター女神が願ったからでした。

そうして伝えられたこの神話は、私たちの人生にも明確な意味を与えてくれます。
インドラ神がもたらした剣は、真の目標から私たちの注意をそらす、この物質世界のあらゆる物事に例えられます。
それによって真の目標を見失うと、私たちは向かうべく目的地から遠く離れて行ってしまいます。

私たちは、誰かからこうした剣を送られることもあるかもしれません。
偉大な賢者ですら1本の剣に惑わされたように、どんなに気をつけていても、心が傾いてしまうことがあります。
しかし、こうした神話を一瞬でも思い出し、自分自身がどこにいるのかその歩みを日々の中で確かめることができれば、真の目標を見失わずに、人生を突き進むことができるはずです。
ラーマ神とシーター女神が結婚をしたとされるこの吉祥の日に、その歩みに触れ、進むべき方向を見つめ直したいと感じます。

(文章:ひるま)

参照:Rámáyan Of Válmíki, Canto IX.: Sita's Speech.

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


RANKING

DAILY
WEEKLY
MONTHLY
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3

CATEGORY

RECOMMEND

RELATED

PAGE TOP