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雑記帳

清浄な行い

ここでのヨーガの行いは日々続いています。朝目を覚まし、そして眠りにつくまで、一瞬たりとも疎かにすることなく行いを努めることは、それらが日々を美しく生きるための術として存在しているかのように、多くの気づきを与え、至福をもたらしてくれるように感じます。そしてそこから生み出される清らかな流れは、確実に、日々をより良いものへと変えていきます。
例えば体や髪を洗い流すこと、歯を磨くこと、爪を切ること、それらは日々の生活の中で誰もが当然のごとく努める行いです。そして自分自身を清潔に保つことは、社会生活においてすべきことの一つとして、ヨーガの経典に記されるヨーガの八支則でも「サウチャ=清浄」として述べられています。しかしそれは、体や髪を洗い流すことだけではありません。
愛情の込められた食事をとり、適度な運動などをし、休息をとり、肉体をより良い状態に保つことも、このサウチャに当てはまります。至高者が宿る場としてのこの肉体は神殿でもあり、日々プラサーダが捧げられ、掃除がなされ、礼拝が行われるその場と、何一つ変わることはありません。
ヨーガを通じ、至高者との一体である繋がりを求める中では、その繋がりを阻害する感覚が生み出す様々な現象を見つめることも修行の一つです。それらを思うと、例えば口にするものも、舌が感じる美味しさだけではなく、至高者が宿る肉体により愛情と栄養の入ったものを捧げたくなるように感じるのです。質素なものであっても、それはどんなものよりも深い至福を感じさせてくれるように思います。
それらは純化とも捉えられるかもしれません。崇高者が宿るこの場においては、口から出る言葉、心に現れる感情、頭に浮かぶ思考など、あらゆるものを清らかに保ちたいと感じるような気がします。それらから生み出される行いの背景には、欲や自我に代わり、愛や思いやりが存在していることにも気づかされます。
常に至高者を想うことは体や心を清浄に導き、そして私たちを束縛する行いすらも浄化をしていくのかもしれません。ヨーガの叡智が生み出すその深い意味をここでまた見つめ直しているようです。日々の行いを通じ、こうして自分自身を浄化できる瞬間があること、この生きる日々に感謝をしながら、大切に、そして丁寧に日々を過ごしたいと改めて強く感じています。
(文章:ひるま)

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