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ガネーシャ・ギリ

クンブメーラーとベンガル探訪・女神篇

今回訪れたある街に女神のお寺がありました。しかも一つの街に同じ名前の女神を祀る2つの寺院があるのです。
そう書くと、少し詳しい方はすぐどこの街か、どんな女神かすぐにわかってしまうと思いますが、まぁよろしければ心の中に伏せておいてください。
一つ目の寺では、本来はその時間帯に女神様の参拝はできないはずなのに、幸運が重なり、女神様のお顔を拝見することができました。
さらにプラサード(神饌)までいただけたのです。
女神様は威厳にみちたそのお姿とは裏腹に、慈愛に満ちた波動を発しておられました。
インドの神像は魂を入れてあり(プラーナ・プラティシュタ)、実際に生きておられるとされています。
母性にみちたのそのプラーナ(生命エネルギー)を全身に浴びて至福に包まれました。
もう一つの寺に行ったのですが、神域に入った瞬間、私は違和感を感じました。。
そしてそれは単なる気のせいではないと思いました。
寺院の中はある種の波動に満ちており、私自身はその波動をあまり合わないと感じました。
結局、私は折角の機会でありながら、ご本尊を見ることなく寺をさりました。
2つ目の寺は、おそらくヤギなどの生贄をささげる習慣がある(あるいは昔あった)のかもしれません。
そして20年以上一切肉や魚を食べていない、私はその儀式の際の波残留波動を感じたのかもしれません。
ヤギなどを神への生贄に捧げることは、今でも世界のかなりの地域で行われています。
しかしヴェジタリアンが多く、それ以外の人も普段肉をほとんど食べないインドにおいてそのように生贄として捧げられる動物の数は、欧米や日本などで殺され食肉にされる動物の数とは比べ物にならないほど少ないでしょう。
ですから、それが必ずしも残酷な行為とは言えません。
またそういう生贄をささげる神様の現世的なご利益は、非常に大きいとも聞いたことがあります。
話を本筋に戻しますが、日本の神道においてても、たとえば稲荷神などは、同じ名前で祀られていても、個々の神社で神格にはかなり違いがあると聞きます。
同じ名前の神様でも違いがあるということは、違う名前の神様はもっと違った要素を持つということになります。それらが集まっているのですから、多様になり混沌とした体をなしてくるのは当然でしょう。
インドのヒンドゥー教や、日本の神道などのように、一神教ではなく、アメニズムにその由来をもつ多神教にはその性格上、こうした混沌ととした多様性を良く見かけます。
そしてそれは、その文化の魅力でもあるのです。
やはりインドも様々な、混沌とした様々な要素が混じってインドとなっているのだな、今回2柱の女神様の寺院を訪ねて、改めてそう感じました。
(文章:ガネーシャ・ギリ)
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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902
「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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