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雑記帳

心を克服する

あらゆるものの本質を探る中で、大きな壁となるのが心の働きです。その止滅こそがヨーガの目的であると、聖典「ヨーガ・スートラ」でも述べられるように、ヨーガの行いを努める中で、本質に近づく瞬間が非常に多くあることを実感しています。
日々の暮らしにおいて、人が本質からそれる所には、常に心から生じる様々な欲望が存在しています。その欲望は、「こうあってほしい」「こうあるべきだ」と、ただ「在る」という本質をはるかに遠くに追いやります。本質からずれるが故、当然生じる現象に、自分は大きな問題を抱えていると、まるで暗闇の中にいるかのような幻想をそこで抱かざるを得ません。
その問題を解決するために、私たちは物事を操り、状況を操り、人を操り、いつしか人生に操られていきます。しかし、問題の根本が解決しない限り、光が見えることはありません。問題の源である心の働きと向き合うヨーガの行いの中で、私たちはただ、その働きに操られないよう、常に気づきをもって本質と共に生きることを努めねばならないと、日々学んでいました。そこに問題は存在しません。
揺れ動くことが性質である心に操られずにいることは、大変に困難なことであることは確かです。しかし、決してそうではないということも、インドで過ごす日々に教えられたことを思い返します。それは、本質そのものである真の存在に心を定める、ただそれだけのことでした。
聖典・バガヴァッド・ギーターにおいても、第6章にて、その心の在り方が事細やかに述べられ、「心を克服した者は、最高我に達する」と、クリシュナ神は繰り返し語りかけています。
起こり得るあらゆる出来事を通じ、心の在り方を学ぶ瞬間が、人生には満ちています。その中で、心を定める場所を自身の内にしっかりと保つことが、人生を光で満たす一つの術になるに違いありません。
バガヴァッド・ギーターの第6章は、現在SitaRamaブログにおいて原典を通じながらご紹介しております。叡智に触れ、自分自身の心を観察することによって、本質へと近づく多くの気づきを得る機会となりますことを、心よりお祈りしております。
(文章:ひるま)

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