インドの精神的支柱といえばヴェーダがその最右翼にくるでしょう。
もちろん他にも素晴らしい聖典はたくさんあるのですが、ヴェーダはシュルティ(天啓聖典)と言われ、スムルティ(伝承聖典)といわれる他の経典とは少し違った扱いになっています。
つまり他の聖典が伝承されてきたのに対し、ヴェーダは賢者(もしくは見者)が深い瞑想中に感得したものの集大成という扱いになっています。
これが本当かどうかは、学者ではなく実践家の私にはわかりません。
しかし、そう言っても納得できるような旋律の美しさが、たしかにヴェーダの詠唱には感じられます。
インドの歴史をみると現在のヨーロッパの人たちと祖先を同じくするアーリア人が紀元前2000年頃、インドにやってきて土着のドラヴィダ人を征服したという歴史があります。
そして征服されていった方の文化も捨てられることなく、吸収整理されてきたのが、今のヒンドゥー文化と言っていいと思います。
ですから、よく調べてみるとアーリア由来のもの、ドラヴィダ由来のもの、というものが浮き上がってきます。
ヴェーダそしてプージャーなどははアーリア由来、タントラ経典やハタ・ヨーガやはドラヴィダ由来ですが、ハタヨーガでよく行われるれるスーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)はアーリア由来など・・。
インドの神々もそうでアーリヤ由来ドラヴィダ由来あるいはその両方のから生まれたものなど、多種多様なのですが、それぞれ個性としてにじみ出ているが素晴らしいと思います。
ちなみにわりとやさしいアーリア系の神様に比べて、元々ドラヴィダ由来の神様は、畏怖面をもつものが多いです。
インドの寒村などに行くと、日本の道祖神のように村に祀られた神像をみかけることがあります。たいていはガネーシャやシヴァなど日本人の私でもわかる神様なのですが、中には知らない神様もおられます。(私はインドの神様にはかなり詳しい方です。)
そしてこれらはもしかしたらドラヴィダ由来なのかな、と思うこともあります。
そうしたときインドの遥かなる歴史に想いを馳せてなんとも言えない気持ちになります。
私は2004年から2011年位までヴェーダやプージャーなどを勉強してきました。そして今は土着(ドラヴィダ系)の神々やそれらに付随する精神的身体的技術に非常に興味があります。
洗練された美しいヴェーダに対し、どこかにわずかに残ったごつごつ感のようなものに原初の魅力を感じております。
もちろんどちらもれっきとしたインドの文化であり、現在は分かつこともできません。
全てがインドなのです。インドは本当に混沌としながら調和のとれた魅力に満ちています。インドって素晴らしい、そう思います。
(アーリア人とドラヴィダ人の関係には異説もあります。でもインドの文化が混沌としながら調和をしているという「事実」には変わりはありません。)
(文章:ガネーシャ・ギリ)
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「ガネーシャ・ギリによる特別ゼミ インド占星術基礎と運命改善技法」
http://www.uranai-school.jp/h_kaikou/toku_vedic_girii.html
「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902
「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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ガネーシャ・ギリ
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