この地に危機が生じた時、世界を守るために特別な姿となって現れるヴィシュヌ神は、その9番目の化身として仏陀の姿をとりました。
そんな仏陀が示すムドラーに、ブーミスパルシャ・ムドラー(ブーミスプリシュ・ムドラー)と呼ばれるムドラーがあります。
大地に触れるという意味があるこのムドラーは、悪魔のマーラに対する仏陀の勝利を象徴するムドラーとして知られます。
マーラは、仏陀が悟りを開く瞑想に入った時、それを妨げるために現れたといわれる悪魔です。
マーラは煩悩の化身であり、仏陀が悟りを開いてしまえば消滅することから、さまざまな誘惑や障害を仏陀に仕向け続けます。
しかし、仏陀はいずれにも屈せず、悟りを開きました。
マーラは、仏陀が悟りを開いたことを証明する者はいるのかと問い詰めます。
この時、仏陀は右手を伸ばして大地に触れます。
すると、大地が轟音をたて、仏陀の悟りの証人になったと伝えられます。
この時の手の形がブーミスパルシャ・ムドラーです。
このムドラーの実践は、まず蓮華座で座り、右腕を組んだ右足の上において伸ばし、その指先で地面に触れます。
そして、左手は手の平を上向きにして、組んだ足の上においておきます。
このムドラーの形では、一説に、右手がウパーヤ(方便)、左手がプラジュニャー(般若)を象徴するとされます。
悟りへ近づく巧みな手段の意味があるウパーヤと、真理を見抜く深い智慧の意味があるプラジュニャーがひとつになり、仏陀の悟りを美しく描写します。
大地に触れることは、土の要素を持ち、「根を支えるもの」の意味がある自分自身のムーラーダーラ・チャクラを目覚めさせる方法であるといわれます。
私たちの心は拠り所を失うと、いとも簡単にさ迷い出て、無明の暗い闇に落ちていきます。
そうして心に悪魔が現れた時、私たちは大地に触れ、その安定の中で深い叡智に繋がる必要があります。
仏陀がその悟りを証明するために大地を必要としたのは、この地において他から切り離された存在はなく、すべては相互に関係し合いながらひとつに繋がっていることを示しているともいわれます。
自然や他者と共存し生きる私たちは、仏陀がそうであったように、日々において哀楽に心を乱され、さまざまな苦悩を経験します。
それを糧としながら、ウパーヤとプラジュニャーによって動じない心の静けさを育む時、私たちは最高の境地に辿り着くことが可能になります。
私たちを支える大地は、私たちのあらゆる行動を見つめています。
その支えに気づきながら、ウパーヤとプラジュニャーによって行動する時、私たちは仏陀となって、この世界を守ることができるに違いありません。
(文章:ひるま)
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