また、大好きな祝祭の一つが近づいています。ヨーガに触れるようになって以来、どんな時も心の支えとして持ち続けた、神の詩―バガヴァッド・ギーターで真理を説く、クリシュナ神の降誕祭です。その神の詩の中に溢れる愛に満ちたひと言ひと言が、今ここでぐっと深く心に入りこみ、これから迎える祝祭を特別なものとしています。
ギーターの言葉は、どんな暗闇にも確かな光を与え、喜びをもたらします。その言葉の主であるクリシュナ神の存在が、喜びそのものであるからかもしれません。心が揺れ動く時、求めるクリシュナ神の言葉は、定まるべく場所へと確実に、自身を導いていくことを強く感じていました。その言葉が、自分自身の本質に違いないからです。
クリシュナ神は、いたずら好きな愛らしい子どもから、ギーターで教えを説く偉大な師まで、さまざまな姿を見せています。それはまるで、社会生活を営みながらさまざまな役割をもつ私たちに重なります。しかし、どんな姿にあっても、どんな役割にあっても、クリシュナ神の喜びという中心が揺らぐことはありませんでした。その不変の喜びが、こうして世界中の人々を現代においても強く惹きつけ、魅了し続けている理由に他ありません。
そんなクリシュナ神が誕生したのは、真夜中であったと言われます。それは、私たちが日々を生きながらさまざまに経験する闇の中に、喜びという光を与えるように現れることを象徴するのだと言います。
人々は常に、愛や守り、幸福を欲しいと願います。「私はあなたを愛している」ギーターの中でそう繰り返される神の言葉を心に定めるならば、私たちは決して、不変の喜びからはぐれることはありません。
ギーターの中で説かれるものは、行為のすべてをクリシュナ神に捧げ、そして信愛することの大切さです。それは私たちが自らの内に喜びを見出すとてもシンプルな方法だからに違いなく、そこには、本質と深く繋がった限りのない喜びが待ち受けています。
この祝祭を迎え、今改めて、崇高な言葉の数々を心の奥深くに据え、光を灯し続けたいと感じています。そこに生まれる喜びこそが、クリシュナ神の誕生なのだと、この祝祭が教えてくれているように思います。
(文章:ひるま)
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