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雑記帳

ヒマラヤの地

この地が見せるさまざまな表情に、どこまでも惹かれる日々が続いています。インド最北の地を訪ね、連なるヒマラヤの偉大な山々の姿に、心の定めるべき場所を再確認したように思います。そこでは、宇宙を感じさせるほどの濃い空の青さの中で、木も生えない厳しい環境を生きる人々の祈りが、いつものように響いていました。
体で感じ、移り変わるものについ心を奪われて、最も大切なものを見失う瞬間が重なる日々の中で、持てるものだけを持ち、こうして動くこの生活が私はとても好きです。歩む先では、自分自身を定義するものが何一つ、存在しないからかもしれません。それは決して、社会から身を切り離すことではなく、過去でもない、未来でもない、今という世界に完全に心が定まることを意味するのだと感じています。
真っ白な心で偉大すぎるほどの山々を前にすれば、自我は消え失せ、敬服の念と共にこの上ない美しさと喜びを実感し、人間ができることなど何もないのだと、ただそこに存在する至福の意味、そして生きる喜びに気づかされます。木も生えないこの地で祈りを続ける人々の姿が、何よりもそれを明確に物語っていました。
多様に変化を見せるインドだからかもしれません。その中で不変の存在を、人間を通じて垣間見る時、その存在が何よりも強く迫り、自身のもとへと飛び込んできます。彼らがそうするように、永遠に変わらずに存在するもののもとにいつも心を定め、ただ生きることの美しさと喜びを、自身を通じ映し出していたいと、心の底から感じたほどです。
永遠に変わらない、絶対の存在はどこにあるのか。目を閉じれば、あの偉大な山々が姿をあらわすように、それは全て、自身の内にあることを実感しています。その事実は、ヨーガの集中的な修練を通じ学んできたものに他ありません。
外界が変化を続けながらも、それをじっと見守る存在がいつもそこにあり続けます。この肉体の内で、自身の中心にその存在が変わらずに在ることを、絶え間なくインドの地が教えてくれるように思います。この地を歩みながら、どこにいても、いつの時も、その事実に気づくための日々の修練が続いています。
(文章:ひるま)

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