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雑記帳

バスマ・ジャーバーラ・ウパニシャッド:シヴァ信仰の神秘と実践

ヒンドゥー教の豊かな精神的伝統の中で、ウパニシャッドは特別な地位を占めています。サンスクリット語で「近くに座る」という意味を持つウパニシャッドは、古代の師から弟子へと秘密裏に伝えられた霊的な教えを集めたものです。その中でも、バスマ・ジャーバーラ・ウパニシャッドは、シヴァ神への帰依と実践的な儀式を通じて解脱を目指す重要な文献として知られています。

この文献は、後期ウパニシャッドの一つとされ、おそらく紀元後500年から1000年の間に成立したと考えられています。シヴァ派の教義が体系化される過程で生まれたこのウパニシャッドは、初期ウパニシャッドの哲学的な探求とは異なり、より具体的な宗教実践に焦点を当てています。

バスマ・ジャーバーラ・ウパニシャッドの特徴的な要素は、「バスマ」すなわち聖灰の使用です。シヴァ神の象徴である聖灰を体に塗ることの重要性や、その調製方法、塗布の作法が詳細に説明されています。これは、シヴァ信仰における身体的実践の重要性を示すものであり、精神的な悟りと同時に、日々の儀式的行為を通じての浄化を強調しています。

また、このウパニシャッドは、カーシー(現在のヴァーラーナシー)という聖地の重要性を強調しています。カーシーはシヴァ神の都市とされ、そこで死ぬことが解脱につながるという信仰が述べられています。これは、ヒンドゥー教における聖地巡礼の伝統と深く結びついています。

さらに、マントラの使用や特定の儀式の詳細な説明は、タントラの影響を示唆しています。これは、後期ヒンドゥー教における呪術的・神秘的要素の増大を反映しています。

バスマ・ジャーバーラ・ウパニシャッドは、哲学的な教義だけでなく、日常的な宗教実践や倫理的な生活指針も提供しています。これは、解脱という最終目標に向けての全人格的なアプローチを示しており、ヒンドゥー教の多様性と包括性を表しています。

この文献を読むことで、私たちは古代インドの霊的な智慧に触れるだけでなく、現代のヒンドゥー教徒の多くが今もなお実践している生きた伝統の源流を理解することができます。それは単なる歴史的文書ではなく、何世紀にもわたって人々の心と魂を導いてきた霊的な道標となっています。

バスマ・ジャーバーラ・ウパニシャッド全文

平等性の知識と時の火によって、自己以外の存在の幻想を
残りなく灰にするもの、それこそが私である唯一のブラフマンである。

オーム。我々が耳で吉祥なることを聞きますように。神々よ。
我々が目で吉祥なることを見ますように。祭祀を受けるお方よ。
堅固な肢体で、体で(神を)賛美しつつ、
神々のために定められた寿命を全うしますように。

インドラ神が我々に幸あらしめんことを。彼は広く知られし名声を持つ。
プーシャン神が我々に幸あらしめんことを。彼はすべてを知る。
翼あるガルダが我々に幸あらしめんことを。彼は障害のない車輪を持つ。
ブリハスパティ神が我々に幸あらしめんことを。

オーム。平安あれ、平安あれ、平安あれ。

ハリ オーム。そして、ジャーバーラの弟子ブスンダは、カイラーサ山頂に住み、オームカーラの姿をした、ウマー女神を半身とする冠を持つ大神シヴァに敬礼した。その方は太陽と月と火を目とし、無限の月と太陽の輝きを持ち、虎の皮を衣とし、鹿を手に持ち、体に灰を塗り、額には三本の線が輝き、五種の顔を持ち満面の笑みを浮かべ、英雄の座に座す、計り知れない、始まりも終わりもない、部分のない、属性のない、静寂な、汚れなき、病なき方であり、フムとパットの音を作り出し、絶えずシヴァの名を唱え、金色の腕を持ち、金色の姿、金色の色彩、金の宝庫を持つ不二なる第四のもの、ブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラを超えた唯一の望ましき主シヴァに何度も敬礼し、崇拝し、シュリーパラの葉と灰で頭を下げ、合掌して尋ねた。「主よ、ヴェーダの真髄を取り出し、三本線を引く方法をお教えください。それなくしては解脱の獲得はありません。灰の素材は何ですか。それを塗る場所はどこですか。そこで唱えるマントラは何ですか。それを保持する期間はどれくらいですか。誰がそれを行う資格がありますか。彼らの規則は何ですか。弟子である私に解脱に関する教えを授けてください。」

そこで至高の主、慈悲深き方は答えた。彼は従者たちや神々を見渡し、「朝、日の出から、清浄な牛糞を集め、ブラフマンの葉の上に置き、『トリャンバカム』(त्र्यम्बकम्, tryambakam)というマントラで乾かせ。何らかの火で、自分の家法に従って火を設置し、そこにその牛糞を置き、『ソーマーヤ スヴァーハー』(सोमाय स्वाहा, somāya svāhā)というマントラで、胡麻と米を精製バターと共に供える。これを1008回か、その半分行う。そこでは、供物を注ぐ杓は葉で作られるべきだ。それによって罪を聞くことはない。その供養のマントラは『トリヤンバカム』(त्र्यम्बकम्, tryambakam)だけである。最後に完全な献供を行い、同じマントラで八方に供物を捧げる。その灰を『ガーヤトリー・マントラ』(गायत्री मन्त्र, gāyatrī mantra)で清め、金、銀、銅、土の器に入れ、ルドラのマントラで再び清め、清浄な場所に置く。そして、バラモンたちに食事を与える。そうすれば自身も清浄となる。『マーナスタカ』(मानस्तोक, mānastoka)と『サドヨジャータ』(सद्योजात, sadyojāta)などの五つのブラフマ・マントラで灰を集め、『アグニル・イティ バスマ』(अग्निरिति भस्म, agniritibhasma)『ヴァーユル・イティ バスマ』(वायुरिति भस्म, vāyuritibhasma)『ジャラム・イティ バスマ』(जलमिति भस्म, jalamitibhasma)『スタラム・イティ バスマ』(स्थलमिति भस्म, sthalamitibhasma)『ヴヨーメーティ バスマ』(व्योमेति भस्म, vyometibhasma)『デーヴァー バスマ』(देवा भस्म, devā bhasma)『リシャヨー バスマ』(ऋषयो भस्म, ṛṣayo bhasma)。『実に、これらすべては灰である。清浄で浄化するものよ、私はあなたに敬礼する。あなたはすぐにすべての罪を滅ぼす』と頭を下げて唱える。清浄な左手に『ヴァーマデーヴァーヤ』(वामदेवाय, vāmadevāya)と唱えて置き、『トリヤンバカム』(त्र्यम्बकम्, tryambakam)と唱えて清め、『シュッダム・シュッデーナ』(शुद्धं शुद्धेन, śuddhaṃ śuddhena)と唱えて磨き、清める。それで足から頭まで塗る。

そこで、ブラフマのマントラは五つある。残りの灰の用途は以下の通り。人差し指、中指、薬指で『アグネール・バスマーシー』(अग्नेर्भस्मासि, agnerbhasmāsi)と唱えて灰を取り、『ムールダーナム』(मूर्धानम्, mūrdhānam)と唱えて頭の先に置く。『トリャンバカム』(त्र्यम्बकम्, tryambakam)と唱えて額に、『ニーラグリーヴァーヤ』(नीलग्रीवाय, nīlagrīvāya)と唱えて喉に、『トリアーユシャム』(त्र्यायुषम्, tryāyuṣam)と唱えて喉の右側に、『ヴァーメーティ』(वामेति, vāmeti)と唱えて両頬に、『カーラーヤ』(कालाय, kālāya)と唱えて両目に、『トリローチャナーヤ』(त्रिलोचनाय, trilocanāya)と唱えて両耳に、『シュリヌヴァーメーティ』(शृणवामेति, śṛṇavāmeti)と唱えて口に、『プラブラヴァーメーティ』(प्रब्रवामेति, prabravāmeti)と唱えて胸に、『アートマナ・イティ』(आत्मन इति, ātmana iti)と唱えて臍に、『ナービル・イティ』(नाभिरिति, nābhiriti)と唱えて右腕の付け根に、『バヴァーヤ』(भवाय, bhavāya)と唱えてその中央に、『ルドラーヤ』(रुद्राय, rudrāya)と唱えてその手首に、『シャルヴァーヤ』(शर्वाय, śarvāya)と唱えてその手の甲に、『パシュパタヤ・イティ』(पशुपतय इति, paśupataya iti)と唱えて左腕の付け根に、『ウグラーヤ』(उग्राय, ugrāya)と唱えてその中央に、『アグレーヴァダーヤ』(अग्रेवधाय, agrevadhāya)と唱えてその手首に、『ドゥーレーヴァダーヤ』(दूरेवधाय, dūrevadhāya)と唱えてその手の甲に、『ナモー・ハントレ』(नमो हन्त्रे, namo hantre)と唱えて肩に、『シャンカラーヤ』(शङ्कराय, śaṅkarāya)と唱えて順番に灰を塗る。『ソーマーヤ』(सोमाय, somāya)と唱えてシヴァに敬礼し、その後手を洗い、その灰水を『アーパハ・プナントゥ』(आपः पुनन्तु, āpaḥ punantu)と唱えて飲む。決して下に捨ててはならない。

これを正午と夕方、一日三回規則通りに、怠ることなく灰を塗るべきである。怠れば堕落する。これこそがバラモンの法であり、唯一の法である。このように灰を塗らずに果物や食事やその他のものを食べてはならない。もし食べれば、精液を食べることになる。水を飲んではならない。もし飲めば、膿を飲むことになる。

もし過失により一度、私を礼拝せずに食事をし、食べさせ、髪を剃り、牛の五つの産物を集め、断食し、水中でルドラ礼拝を行い、ルドラヌヴァーカを三回唱え、太陽を見つつ瞑想し、自らの行為を行い、ルドラのマントラで身を清めれば、清浄となる。そうでなければ、死者は苦しみを味わう。

葉や果実や水やその他のものでヴィシュヴェーシュヴァラ(全宇宙の主)を礼拝してから食事をすべきである。カピラ牛の乳でルドラスークタを唱えてシヴァリンガの姿をした者に灌頂すれば、バラモン殺しの罪から清められる。カピラ牛のギーで灌頂すれば、金泥棒の罪から清められる。蜂蜜で灌頂すれば、師の妻との関係の罪から清められる。白砂糖で灌頂すれば、あらゆる生き物を殺した罪から清められる。

これらの乳などで灌頂すれば、すべての望みを得る。このように、それぞれ大プラスタ(重量単位)百を百回奉げて礼拝すれば、輪廻の束縛から解放される。

シヴァリンガの姿をしたものを、アールドラー星が満月か新月と重なる日、あるいは大ヴヤティーパータ(特定の天体配置)、日食、月食、あるいは太陽の黄道十二宮の移行の時に灌頂し、胡麻と米と大麦を供え、ビルヴァの葉で礼拝し、カピラ牛のギーを含んだ栴檀の香で香をたき、灯明を灯し、ギーを含んだ供物を用意し、花を捧げる。このように敬虔に礼拝する者は、私と一体となる。

大プラスタ百の割れていない米で灌頂すれば、月の世界を望む者は月の世界を得る。同量の胡麻で灌頂すれば、風の世界を望む者は風の世界を得る。同量の豆で灌頂すれば、ヴァルナの世界を望む者はヴァルナの世界を得る。同量の大麦で灌頂すれば、太陽の世界を望む者は太陽の世界を得る。これらを2倍の量で灌頂すれば、天界を望む者は天界を得る。これらを4倍の量で灌頂すれば、四重の網、ブラフマンの殻、死が見ることのできないものを超えて、私の世界を望む者は私の世界を得る。私の世界より上はない。それを得た者は悲しまない。彼は二度と戻ってこない、二度と戻ってこない。

リンガの姿をした私を礼拝し、ヨーギンたちは瞑想し、達人たちは完成に至る。祭司たちは私を祭る。付随文献や奥義書、歴史書を伴うヴェーダは私を讃える。私以外に他はなく、私がすべてである。すべては私の中に確立されている。

それゆえ、カーシーにおいて、敬虔な者たちによって私は日々礼拝されるべきである。そこでは、恐ろしい顔をした、様々な顔を持ち、様々な武器を持ち、様々な姿をし、様々な印を持つガナたち(従者たち)がいる。彼らはみな体に灰を塗り、ルドラークシャの装飾品をつけ、合掌して常に瞑想している。

そこでは東の方角にブラフマーが合掌して昼夜私を礼拝している。南の方角にヴィシュヌが頭で合掌して私を礼拝している。西の方角にインドラが体を屈めて礼拝している。北の方角に火の体を持つウマーが、金の体の装飾品を付け、金の衣をまとって私を礼拝している。四つの姿を持つヴェーダたちも私を礼拝している。

南の方角に解脱の場所があり、それは解脱の殿堂と呼ばれる。そこには武器を持った多くのガナたちが守護者として、罪を滅ぼす者たちとしている。そこにはシヴァに帰依する聖仙たち、パーシュパタたち、大シヴァ教徒たちが、ヴェーダを冠としてつけ、シヴァの五音節マントラを唱え、オームを伴う解脱のマントラを喜びながら唱えている。

そこには一つの宝石の台座がある。そこに私は座し、カーシーで肉体を捨てたシヴァ教徒たちを連れてきて、自分の膝に座らせ、灰とルドラークシャで飾られた彼らに触れ、「これらの者たちに再び生と死がありませんように」と、解脱のシヴァのマントラを授ける。

すると彼らは解脱し、知恵の体で私の中に入る。彼らは二度と戻ってこない。供物が火に捧げられるように、そこで解脱のために、この五音節のシヴァのマントラが授けられる。それが解脱の場所である。それはオームの形をしている。そこで私に行為を捧げる者たち、私に心を向ける者たちは、私の姿となる。これはほかの者たちのためのブラフマンの知識ではない。これがブラフマンの知識である。

解脱を求める者たちはカーシーにのみ住み、活力に満ち、知識に満ちている。知恵に満ちたブラフマンの殻、四重の網を持つブラフマンの殻を(求める)。それは死が見ることのできないもの、ブラフマーが見ることのできないもの、ヴィシュヌが見ることのできないもの、インドラとアグニが見ることのできないもの、ヴァルナたちが見ることのできないものである。

その輝きこそが、不浄なものを焼き尽くす黄金の(姿の)ウマーを抱き、月の一千万倍の輝きを持ち、月を冠とし、月と太陽と火を目とし、灰で飾られた体を持つシヴァである。このように私を瞑想する者たちは、罪から解放され、束縛から解き放たれ、私の中に溶け込む。

カーシーで排泄をする者たち、贈り物を受けることに熱中する者たち、灰を塗ることをやめた者たち、ルドラークシャを身につけることをやめた者たち、月曜日の誓戒をやめた者たち、惑星のための祭祀をやめた者たち、ヴィシュヴェーシュヴァラ(シヴァ)への礼拝をやめた者たち、五音節マントラの唱えをやめた者たち、バイラヴァ(シヴァの恐ろしい姿)への礼拝をやめた者たちは、カーシーにおいて、バイラヴァによる恐ろしい様々な苦しみを死後に経験し、その後清められて私のもとに来る。

家の中で精液や尿や糞を排出する者たちは、それによって祖先たちに(不浄を)振りかける。そのような罪を犯す者が死ぬと、ニーララローヒタ(青と赤の)バイラヴァがそれを見て、その者を燃え盛る火の穴やその他(の地獄)に落とす。

それゆえ、注意深くカーシーに住むべきである。注意深く、リンガの形をしたカーシーに住むべきである。これがウパニシャッドである。

オーム。我々が耳で吉祥なることを聞きますように。神々よ。
我々が目で吉祥なることを見ますように。祭祀を受けるお方よ。
堅固な肢体で、体で(神を)賛美しつつ、
神々のために定められた寿命を全うしますように。

インドラ神が我々に幸あらしめんことを。彼は広く知られし名声を持つ。
プーシャン神が我々に幸あらしめんことを。彼はすべてを知る。
翼あるガルダが我々に幸あらしめんことを。彼は障害のない車輪を持つ。
ブリハスパティ神が我々に幸あらしめんことを。

オーム。平安あれ、平安あれ、平安あれ。ハリ オーム、タット サット。

ここにバスマ・ジャーバーラ・ウパニシャッドは完結する。


参考文献

"Bhasma Jabala Upanishad." Sanskrit Documents, https://sanskritdocuments.org/doc_upanishhat/bhasma.html

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