クリシュナ神の実母として知られるデーヴァキーには、悪王として名高いカンサという従兄弟がいたことで知られます。
カンサ王は、デーヴァキーの8番目の子どもに倒されると予言されていたため、デーヴァキーのもとに生まれた子どもの命を次々に奪っていました。
その恐怖の中で生まれ、奇跡的に生き延びた8番目の子どもであるクリシュナ神は、私たちの魂の目覚めがいかに静謐に、そして力強く人生に訪れるかを優美に語りかけます。
このクリシュナ神の誕生には、ある1頭のロバにまつわる言い伝えがあります。
そのロバは、デーヴァキーが子どもを産むたびに、鳴き声を上げたといわれます。
カンサ王はそのロバの鳴き声を通して、デーヴァキーの子どもの誕生を察知していました。
しかし、クリシュナ神が生まれたとき、ロバは鳴き声を上げなかったといわれます。
この言い伝えには、深い霊的な意味が込められています。
ロバは、勤勉や忍耐の象徴がある一方で、無知や愚鈍の象徴としても捉えられることがあります。
この二面性は、精神的な成長と物質的な欲望の間で揺れ動く、私たちの内なる葛藤を映し出しているように見えます。
私たちの内なる世界では、そんなロバが絶えず鳴き声を上げています。
しかし、内なる神性が目覚めるとき、その騒がしい声は静まります。
それは、クリシュナ神の誕生において、ロバが鳴き声を上げなかったことに象徴されています。
この言い伝えは、真の霊的な目覚めが静寂の中に訪れるということを明確に示唆しています。
それは決して派手な現象ではなく、内なる静けさの中に宿るものです。
日々の騒がしい思考や欲望の声に惑わされず、その静寂に耳を傾けるとき、私たちはそこに神聖なる存在を感じ取ることができるはずです。
奇跡的に生き延びたクリシュナ神は、後にカンサ王を倒し、この地に喜びをもたらしました。
そんなクリシュナ神は、私たちの内なる世界にも、静かに、しかし確実に存在しています。
喧騒に満ちた世界の中でも、内なる静寂を探求することで、私たちは自らの内にクリシュナ神を見出すことができるはずです。
そうすることで、カンサ王に象徴される内なる悪を打ち倒し、喜びに満ちた人生を歩むことができるに違いありません。
(文章:ひるま)
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