人生の荒波を漂う私たちの心は、往々にして安らぎを求め彷徨うことがあります。
そんな時、思いがけない場所に希望の灯火を見つけることがあります。
インドの大地に根づくアショーカの木は、まさにその光の象徴として、私たちの心に寄り添い、癒しを与えてくれています。
「悲しみのない」という意味を持つアショーカの木の起源には、サショーカという冷酷な男にまつわる言い伝えがあります。
その名前に「悲しみ」という意味があるように、サショーカは他者に悲しみをもたらすことで生きる喜びを感じる、内面に闇を抱える者でした。
しかし、深い瞑想に耽る聖仙との出会いがサショーカの人生を一変させます。
聖仙の放つ平和で静謐な雰囲気に心を奪われたサショーカは、自らの罪深い過去から解放されたいと願うようになりました。
聖仙はサショーカに瞑想を教え、来世でアショーカの木として生まれ変わり、人々の悲しみを癒す存在になると告げました。
叙事詩『ラーマーヤナ』において、このアショーカの木は重要な役割を果たします。
羅刹王のラーヴァナに誘拐されたシーター女神は、このアショーカの木の下で愛するラーマ神の救出を信じ、待ち続けました。
シーター女神の悲しみに寄り添いながら、希望の光を灯し続けたのが、このアショーカの木でした。
この言い伝えは、どれほど暗い過去があっても、私たちは生まれ変わる力を持っているということを教えてくれています。
何より、その過程で私たちはより強く、より思いやりのある存在へと成長していくことができます。
悲しみを経験した私たちこそが、他者の悲しみを癒す存在になれるということを、この言い伝えは静かに語りかけています。
生きる日々において、多くの悲しみに直面する私たちは、誰かのアショーカの木になれるということを忘れずにいなければなりません。
私たちは皆、サショーカのように変容の可能性を秘め、シーター女神のように希望を見出す力を持っています。
アショーカの木の教えを心に留め、より思いやりと希望に満ちた存在になることを心がけることで、この世界をより美しいものに変えていくことができるはずです。
和名では無憂樹と呼ばれるアショーカの木。
青々と茂る葉の間から顔を覗かせる赤橙色の花々は、悲しみと慈しみ、苦しみと安らぎという、人生の相反する面を映し出します。
それは、深い悲哀から豊かな心が育まれる可能性を鮮やかに示しています。
このアショーカの木の姿に学びながら、優しく実りある人生を歩んでいきたいと感じます。
(文章:ひるま)
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