影が長く伸びる夕暮れに、夏の名残が静かに消えていく季節となりました。
この秋の深まりとともに訪れるお彼岸は、インドでもピトリ・パクシャと呼ばれる先祖供養が行われる期間にあたります。
この静謐な時期、私たちの心は亡き人々へと向かい、命の儚さに思いを馳せることがあります。
そこでは、死の神であるヤマに付き従う二匹の犬、シャーマとシャバラの存在が、私たちに生きることの意味を問いかけます。
ヤマ神の忠実な従者であるシャーマとシャバラは、冥界と現界の境界を守る恐ろしい番犬として知られます。
死者と生者の道を正しく導く二匹の犬として、シャーマとシャバラには多様な象徴が織り込まれています。
その名前が宿す意味を辿ると、生と死、そこにある光と闇について考えるきっかけを得ることができます。
シャーマは「黒」や「暗い色」を意味し、夕暮れから夜へと移ろう時間帯を象徴します。
太陽が沈む黄昏は、一日の営みが終わり、世界が徐々に闇に包まれる瞬間です。
この時間は、一日の喧騒が静まり、私たちに休息と内省の機会を与えてくれます。
それはまた、人生の終わり、すなわち死を象徴する時間でもあります。
一方、シャバラは「まだら」や「多彩な色」を意味し、夜明けを象徴します。
漆黒の闇に少しずつ光が差し込み、世界に色彩が蘇る瞬間です。
その光と闇が交じり合ったまだら模様は、万物が再び目覚める時として、私たちに明るい力と希望を与えてくれます。
それはまた、人生の始まり、すなわち生を象徴する時間でもあります。
このシャーマとシャバラは、私たちの人生に常に存在する「死」と「生」の循環を鮮やかに映し出しています。
日々において経験するその小さな「死」と「生」に気づきを深めることで、私たちは今ここにある命の尊さを認識し、より豊かに生きるための智慧を得ることができます。
何より、常に寄り添うシャーマとシャバラは、生と死、光と闇、これらが決して対立するものではなく、私たちの人生を紡ぐ不可欠な糸であることを静かに伝えています。
言い伝えによれば、肉体を離れた魂はヤマ神の裁きを受けるために、シャーマとシャバラの前を通らなければならないといわれます。
私たちは、日々の小さな「死」と「生」を通じ、絶えず成長の機会を与えられています。
毎日を真摯に生き、シャーマとシャバラの前を正々堂々と通る時、私たちは迷うことなく次の扉を開くことができるはずです。
木々の葉が色づき、やがて散りゆくように、私たちの人生もまた、美しく、そして儚いものです。
日々に訪れる夕暮れと夜明けに、シャーマとシャバラの姿を心に映しながら、与えられた一日一日を大切に、正しく生きることの意味を胸に刻みたいと感じます。
(文章:ひるま)
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